ホストクラブのtiktok動画が面白い!

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私は動画閲覧でYouTubeをよく観ますが、tiktokもときどき観ます

ほとんどは女の子が踊ってる動画とかネコ動画なんですけど、ときどきそうじゃない動画もある

その中で、yuki__tachibana というtiktokチャンネルを見つけたんだけど、これがメチャ面白い!

新宿歌舞伎町のホストクラブが舞台で、各回がミニストーリーになっている

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この種のストーリー性のある動画は、あらかじめ台本がある場合(芝居)が多いみたいだけど、このチャンネルには芝居感が少なく、生の現場ドキュメンタリー風に仕上がってる

台本無し(たぶん無いケースが多いんだと思う)でこれだけ完成度の高い、面白い動画に仕上がっていることに感心します

橘優輝(たちばなゆうき)さんという主役のホストクラブ・マネージャーのアドリブ能力がスゴい訳で、彼の頭の回転の速さとか人柄の良さが動画から伝わってきます

橘さんは今じゃ、tiktok界の有名人らしい

あとは周囲の店内スタッフが交代で、常にスマホカメラを橘さんに向けて動画を撮り続け、その大量に撮影された動画をうまく編集してるのかな?(たぶん専門の編集スタッフもいると思う)

私はホストクラブへ行ったこと無いけど、この動画を見ていると、思ったより健全な業界なんだなぁと感じるし、この動画シリーズはホストクラブ業界のイメージアップも狙ってると思いますね

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私はキャバクラやガールズバーなら、客としてかなり通ったこともあるんだけど、あの業界も働いてる人たちは、世間のイメージよりマジメな人が多いように感じています

キャバクラやガールズバーでは、接客する側が「(じょう)」で、される側が「客」

「キャバ嬢」とか言われますよね

これがホストクラブだと、接客する側はもちろん「ホスト」で、される側は「(ひめ)」と呼ばれているようです

そして「」の多くは「」なのです!

嬢として客の相手をしてたまったストレスを、ホスト相手に姫は発散しているみたい

ただ、ホストクラブに通っているうちに、姫がホストに本気でホレてしまうというのはよくあることのようで、そこに別の姫が絡んで三角関係の修羅場になったりする

そこに橘さんが間に入って何とか解決したりする訳で、その辺もこの動画チャンネルはうまく描写しています

怒り狂った姫が店に乱入して「××ちゃん(ホスト)を出せ!」とか叫んでる場面もありますが、その時の「××ちゃん」のオロオロした表情が実にいい味だしてる

数年前に、メンヘラ気味の姫がホストを刺す殺人未遂事件も起きていますね

キャバクラ(ガールズバー)でも客が嬢に本気でホレるというのは時々あることですけど、姫がホストに本気でホレてしまう比率は、それよりはるかに高そうです(男性心理と女性心理の違い?)

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それともう一つ大きな違いは、キャバクラ(ガールズバー)で客が使うカネが数千円から数万円なのに対して、姫が使うカネはそれよりかなり大きいこと

何しろ嬢は高額所得者が多いですからね

ホストクラブでは、毎月ホストの売上ランキングを出して、ホスト同士を競わせます

自分がヒイキにしているホストを店のナンバーワンにするために、姫は大金を貢いだりします

動画に出て来る金額の大きさに驚きますよ

 (^_^;)

tiktokチャンネル(yuki__tachibana )へ

 

松永記念館を歩く

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先日、小田原の一夜城に登った際に見つけた松永記念館、昨日見学しました

開館は朝9時からで、少し早く着いたので小田原駅の近くの牛丼すき家でビール2本を飲み、30分くらい歩いて記念館へ

いやー、この途中の道が暑かったこと~ (;^_^;;;)

暑さのせいか見学客は私一人

「電力の鬼」松永安左エ門 (→)が晩年を過ごした自宅と茶室を静かに見学できました

帰宅して今日、

新井「七十歳からの挑戦 電力の鬼・松永安左エ門」

を読みました

明治から戦中戦後にかけての日本経済史の、ド真ん中を駆け抜けたような波瀾万丈の人生

昨日訪れた晩年の自宅に、総理大臣池田勇人とか、数多くの政財界人が通ったのですね

この松永安左エ門さん、福沢諭吉とか明治の話がいっぱい出て来るので、かなり昔の人のようでもありますが、1971年に95歳で亡くなられているので、割と最近の人でもあります

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上記の本には、実業家・福沢桃介(ももすけ、→)もたびたび登場します

同じく電力事業に傾倒し、時には松永の共同経営者、時には良きライバルだった桃介

ともに日本の電力開発に大きな足跡を残した天才実業家ですが、松永は秀吉に似た人たらしな所があり、桃介は信長に似てやや冷たく人を突き放すような所があった

松永と桃介は、ともに福沢諭吉の「直接の薫陶」を受けた慶応義塾の同窓

桃介の方が7歳年上だが、当時は入学とか学年とかエーカゲンだったので、ほぼ同期に塾生だった

諭吉は晩年、健康のために毎朝約4キロの散歩(三田から広尾や目黒のあたりまで)をしていたのですが、そのときに多くの塾生も同行し、その中に松永と桃介もいて、諭吉の前で時論を戦わせて親しくなりました

桃介は諭吉の娘と結婚(入り婿)して福沢に改名

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この桃介さん、右上の写真のようにジャニーズ系の超イケメン、おまけに超お金持ちだったので、モテまくって女性関係は派手だった

のちに日本最初の女優・川上貞奴(さだやっこ、→)と愛人関係(不倫)にあったことでも有名です

このあたり、川上貞奴が主人公の大河ドラマ「春の波濤」でも描かれました

もちろん、愛する娘のダンナが不倫すれば娘の父親である諭吉にとって面白くないのは当然ですが、当時は不倫(特に男の不倫)に対して世の中全般に甘いというか超ユルい感じだったので、大問題にはなっておらず、桃介と諭吉の関係が破綻したりもしていない

そんな訳で桃介と貞奴は、隠すことなく堂々と、愛人関係を続けました

桃介は水力発電所建設のため、たびたび木曽川に現場視察に出かけています

そのとき木曽川にかけた橋(桃介橋)や、貞奴と過ごした別荘(現在の桃介記念館)などが木曽川沿いに現存し、私も以前訪れたことがあります

帰りに川崎のよくいく回転寿司屋に寄ったのですが、そのときの板前さんが超面白い人だった

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親が医者で、その仕事の関係で海外で育ち、中学の時に日本に帰国したときは日本語がまったく話せなかった

英語フランス語イタリア語スペイン語が堪能で、今も1年の半分は海外生活、奥さん(イタリア人)は30歳以上も年下の超美人(写真を見せてくれた)

いま海外では日本人の板前が引っ張りだこで、日本での給料の倍以上もらえるとか、そんな人がなぜいま日本で回転寿司の板前をしているのかなど、面白い話をいっぱい聴きました

ビール1本のツモリで入ったのに、話の面白さにグングン引き込まれて、結局3本(今日は合計5本)飲んじゃった

 (^_^;)

 

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松永記念館(松永安左エ門の自宅)の居室

晩年の松永は、この部屋で寝起きをしていたらしい

 

80歳の男性が滑落死 北アルプス燕岳

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北アルプス燕岳(つばくろだけ)で8/4、登山中の男性(80が滑落し、死亡しました。

警察によりますと、8/4午前7時すぎ、神奈川県横浜市の男性(80)が北アルプス燕岳の標高2650m付近で滑落しました。

燕岳から大天井岳に向け登山中で、尾根からおよそ100m滑落したとみられています。

男性は8/3、2人のパーティーで中房登山口から入山。

もう一人の同行者からの救助要請を受けて、長野県警のヘリで松本市内の病院に搬送されましたが、頸椎損傷により死亡が確認されました。

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* * * * * * *

 

私は「歩くの大好き」なので、あちこち歩き回るし、ハイキング程度の低山にも登るが、2650mなどという高山にはほとんど登ったことが無い

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だから、この北アルプス燕岳(つばくろだけ)が、どれほど登山難易度の高い山か、正確には知らない

だけど、100mも滑落する危険があるというだけで、80歳には無理があるんじゃないかなぁと感じる

ワシはまだ若いんじゃ!」と言わんばかりに元気さを強調するじいさんが時々いるけど、年齢を無視した若化粧をしているばあさんに似たものを感じる

 (;´Д`)

 

夏休みの宿題はAIで

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アマゾンの商品ページを見ていたら、上のような本が並んでいた

小中学生の夏休みの宿題は、AI(人工知能)に任せようという内容の本

8月下旬になると、子供の夏休みの宿題を一家総出で仕上げるという、古き良き日本の夏の風物詩

それが今年から様変わりするかもしれない

読書感想文、自由研究、家族旅行の日記、・・・

AI(人工知能)に任せれば、あっという間に仕上がる

アタマの悪い学校教師は、宿題へのAI使用禁止とかピントのズレた対応をしているが、これからの学校教育の重点が、知識詰め込みからAI(人工知能)活用能力の修得へシフトしていくのは確実な情勢

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アタマの悪い学校教師は全部クビにして、教育はAIに任せる時代も目の前だ

上のような本がサラっと出るというのも、出版業界の激変を示している

ちょっと前までは本(紙の本)を出そうとすると、まず出版企画書を書いて出版社に提出し、編集者と何度も打ち合わせをして企画内容を修正し、それから原稿を書く

売れてない無名な著者だと、先に原稿を書き上げてから出版社に持ち込む場合もあった(たいていボツになる)

出来た原稿は校正やチェックを受け、場合によっては書き直し、さらに製版・印刷・製本などを経て、取次経由で書店の店頭に並ぶ

どんなに急いでも3か月以上、普通は1年くらいかかっていた

それが今の本(デジタル本)では、著者が出版企画を思いつくと、すぐに目次を作ってワープロなどで原稿を書き始める

書き上がったワープロ原稿のファイルをアマゾンへアップロードすると、すぐにWEB上で販売が始まる

原稿を書くのが速い著者なら、出版企画から販売開始まで1日で済んでしまう

編集者のチェックが入っていない場合が多いので、内容は玉石混淆で、ネット情報全般に言えることだが、読者(情報利用者)の「情報選別能力」が重要になってくる

この情報選別能力こそ、ネットリテラシーの核心だ

私は紙の本もデジタル本も出したけど、紙の本の印税(著者の収入)が本の売上の1割程度なのに対して、デジタル本では現状7割程度という違いも大きい

例えば1000円の本が1冊売れると、紙の本なら100円、デジタル本なら700円が著者の収入になる訳だ

出版社、取次、書店という伝統的な流通経路をすっ飛ばして中間マージンが無くなったせいだが、現状のデジタル本の流通販売をほぼ独占しているアマゾンが3割もの暴利をむさぼっている

この独占体制が崩れれば、著者の収入割合は、さらに増えるかもしれない

 (^_^;)

 

エアコンが効きにくい

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毎日、暑いですね~ (;^_^;;;)

エアコン、フル稼働してますが、今日みたいに外気温が34度以上もある日は、室温が28度以下に下がらなくなったりで、エアコンの有難みが薄れます

外気温が30度くらいだとちゃんと室温26度以下に冷えるから、故障ではないみたい

窓や玄関に断熱シートを貼ったり、室外機に直射日光が当たらないように日よけを付けたりしているのですが、今日は室温28度以下に下がらない

まあ、エアコンにもパワーの限界があるでしょうから、仕方ないのかな?

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と思ってネットで調べたら、室外機の空気取入口(空気吹出口の逆側)の気温が43度でも一定時間稼働するように、経産省令か何かの製造基準で定められているそうです

いくら今年の夏が猛暑でも、外気温が43度は無いはずですが、室外機周辺の空気の流れが悪いと、これが割と簡単に43度を超えてしまうんだとか

それで、古い扇風機を室外機の近くに設置して、室外機の空気取入口に送風するようにしてみました

これでしばらく様子を見ようと思いますが、まだはっきり効果が感じられるほどではない

あと1度下がって27度になれば、かなり快適なんですけど、これがなかなか下がらない

まだ7月末で、あと1か月半は猛暑が続くでしょうから、長い戦いになりそうです

 (;^_^;;;)

* * * * * * * 

追伸

いま、近所の銭湯へ行って汗や肌のべたつきを流し

 湯から出て居酒屋で冷たいビール!

私は自宅の狭い風呂より、銭湯の広い湯船が好き

で、店から出たらやけに涼しい(まだ17時なのに)

急激に外気温が下がったみたいで31度

で、帰宅したら室温27度になってて、かなり快適

うーん天国、エアコンえらい!  (^_^;)

 

 

音楽と脳 2つの仮説

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昨夜はYouTubeで、Oldiesをいっぱい聴いた

特に、Joan Baezが良かった!

それにしても、この時期(1950~60年代)の音楽には、なぜかくも名曲が多いのだろう?

あるいは、なぜ「名曲が多い」と、私は感じるのだろう?

一つの仮説は、直前に第二次大戦が終わり、その爆発的な開放感が多くの名曲を生んだという仮説(外部要因)

そもそも、Oldiesという言葉があること自体、この時期の音楽の特異性を示している

もう一つの仮説は、人はその人生の初期(おそらく20歳くらいまで)に聴いた音楽を、脳の奥深くの特定の部位に記憶し(刻み込み)、後になって名曲として感動し易い認識構造が脳に形成されるという仮説(内部要因)

脳の深層記憶にはタイミングが重要という仮説だが、生まれたばかりの小鳥の母親認識などに明瞭に現れている

また、聴覚や味覚臭覚など人間の根源的感覚に関する記憶が、それを初めて感じ取った時の生々しい周辺記憶を呼び覚ますという現象は、人間心理(脳)の特徴として広く認識されている(プルーストの『失われた時を求めて』など)

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私は今でこそ高校の友人に誘われて時々クラシックのコンサート(多くは無料)へ行くこともあるが、残念ながらOldiesに感じるような、深層心理に突き刺さって来るような強烈な感覚は、クラシック音楽からはまったく得られない

生演奏特有の迫力があるので、クラシックのコンサート自体は嫌いじゃないんだけど、曲によっては「早く終わらないかなぁ」と感じることも少なくない

私の家は貧しかったから、子供のころ家にステレオはおろか、モノラルのプレーヤーすら無かった

日本全体が貧しかった時代だから、私の親が特別に悪いわけではない

小学校の半ばに家にテレビが入ったので、歌謡曲とかは聴くようになったが、親が新潟の山奥から東京に出て来たばかりで、世の中にクラシック音楽というものが存在することすら知らないような感じだったので、私がクラシック音楽を聴くことは皆無だった

私の両親は死ぬまで、クラシック音楽とは無縁だった

おそらくこのころ歌謡曲に混じってOldiesの曲もテレビから流れ、私の耳(脳)に入り込んだのかも知れない

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私がクラシック音楽も聴くようになったのは、大学生になって自分の部屋にステレオを買ってからだったように記憶している

高校の友人(熊さん)に勧められて、クラシックの廉価版LPを買ったのが最初、たしかヴィバルディの「四季」だったかな

ただ、その時すでに私の「人生の初期(おそらく20歳くらいまで)」は過ぎ去っていたので、クラシック音楽が私の脳の奥深くの特定の部位に記憶(刻み込み)されることは無かったのかもしれない

いま私がクラシックのコンサートへ一緒に行ったりする友人たちは、みなクラシック音楽に深く傾倒しているクラシックマニア(オタク)なのだが、彼ら彼女らに共通しているのは、「親もクラシック音楽が好きだった」という決定的な事実だ

おそらく彼ら彼女らは、生まれたときからクラシック音楽を日常的に聴き、クラシック音楽に囲まれて生きて(成長して)きているようだ

これがおそらく、彼ら彼女らの耳(脳)に、決定的な影響を与えているのだろう

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そして、その決定的な影響は、私には無かった

暴力団の世界を取材して、多くの本を書いている作家がいる

彼はこれまでに1000人以上の暴力団組長を取材してきているのだが、これまでクラシック音楽のファンだという組長には、一人も会ったことが無いと言っている

世の中にクラシック音楽のファンがそれほど多数派ではないことは知っているが、1000人の中に一人もいないというのは、かなりスサマジイことだ

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安部譲二(←)のような恵まれた家庭出身の例外もいるが、ヤクザの世界に入るということは、その生育環境が恵まれたものではなかったであろうことは容易に想像できる

時代の違いもあるが、おそらくステレオもモノラルプレーヤーも無い貧しい家庭がほとんどだったはずだ

そして1000人の組長の親に、クラシック音楽のファンは、ほぼ皆無だったのだろう

(ちなみに安部譲二は、クラシック音楽に関する本やCDも出しているが、組長ではない)

私は幸か不幸か、ヤクザにはならずに成長したが、クラシック音楽から「深層心理に突き刺さって来るような強烈な感覚」は、今でも得られずにいる

果たして2つの仮説のうち、どちらが正しいのか?(どちらも正しいのか?)

 (^_^;)

 

 

 

 

7/29、ビッグモーター秋田店オープン

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このタイミングで新店オープンとは、たくましいと言うか何と言うか

今は袋だたき状態ですけど、人を殺した訳でもないし、保険金詐欺なんて業界では多かれ少なかれ、どこでもやってそうな気がしますけどね

むしろ会社ぐるみで関わって、保険金詐欺を大々的に進めていた可能性のある、損保ジャパンの方がヤバいかも

創業者の二代目(副社長)は定番のアホぼんぼんみたいですけど、創業者の元社長はそれなりの才覚(ビジネスセンス)の持ち主なのでしょう

一代で会社をデカくした創業経営者というのは、企業イメージが底辺の中小企業からスタートする訳ですから、人材募集してもろくな人材が集まらない

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周囲は社長のビジネス構想をまったく理解できない、愚鈍なイエスマンばかりになり、社長は孤独感を深める

それで社長はいつもイライラして部下をしかり飛ばし、気がついたらワンマン独裁者っぽくなってしまうことが多いんです

私は、そんな社長をいっぱい見てきました

 (^_^;)

 

一夜城と福翁自伝

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先日、小田原の一夜城(石垣山城)に登りました

城の建物はありませんが、石垣の多くは残っており、駐車場の近くにパティシエ鎧塚俊彦(→)の「ヨロイヅカファーム」もありました

天下統一の総仕上げ、秀吉が北条攻めのために「一夜で築いた」と言われる城なので、急ごしらえのチャチな城かと思っていたら、一の丸、二の丸、天守閣まである壮大な城でした

これを一夜ではないにしても、わずか88日間(3か月弱)で築いたと言うからビックリ

城から小田原市街が一望できます

日本一堅固と言われていた北条の小田原城は平野に立つ平城なので、山の上に立つ一夜城(石垣山城)の天守閣から、秀吉は小田原城を見下ろしたのでしょうか

いきなりすぐ近くに壮大な城が出来たせいか、北条は戦意を失い、すぐに降伏しています

秀吉はその生涯で多くの名城を築いていて、「秀吉は建築家だった」と言う人もいる

海岸付近から歩いて標高260mまで、距離的には往復10キロ4時間くらい登り下りしたので、ほとんどは舗装された道路でしたが、かなりの脚力強化になったような気がします

家を出るときは雲っていて、その前数日間より涼しかったのですが、登っているうちに晴れてきて暑くなり、汗だくだくになりました

城から下る途中にあった自動販売機のポカリスエットが死ぬほど美味しかった

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行く前にグーグルマップ(↑)で下調べをしたら、松永記念館というのが目に付きました

もしかして「電力の鬼」松永安左エ門?(→)と思ったら、まさにその通りで、松永が晩年を過ごした邸宅が没後に記念館になっています

一夜城に登った帰りに寄ろうと思ったのですが、暑さでその気が失せ、次回の楽しみにしました

現在の民営電力会社地方分割9社体制は松永の主張によるもので、旧国鉄のような公営1社全国独占体制を考えていた当時の政界の動きを封じて、自由競争体制による効率経営を実現しました

その後の国鉄の腐敗堕落と大赤字、さらに分割民営化への国家的大混乱を考えると、いかに松永に先見の明があったかが分かります

現在もまだ1社独占体制を続けて底なしの腐敗堕落(ケタはずれの高給&高受信料)の極みに達している公共放送NHKも、早く解体整理してもらいたいものです

小田原から帰宅して、松永の著書「人間福沢諭吉」を読みました

その中で松永は、福沢諭吉を「日本史上の三大偉人」として持ち上げています(残り二人は、聖徳太子と弘法大師空海)

松永が慶應義塾に在学したころまだ福沢諭吉は存命中で、三田のキャンパス内にあった福沢の自宅に松永はたびたび押しかけ、直接の薫陶を受けています

特に面白かったのは、松永と福沢の最初の出会いの場面

慶應義塾で教授に廊下ですれ違う時に丁寧なお辞儀をしていた松永に向かって、粗末な服装をした変なじいさんが近より、

「教師に向かって、そんな丁寧なお辞儀をするな!」

と言うのです

「三尺下がって師の影を踏まず」という伝統的価値観が生きていた時代に、それとは真逆なことを言う変なじいさんに松永は驚くのですが、それが福沢でした

福沢が言うには、

「ここ慶應義塾において

 教師も学生も共に学問する仲間だから同列で

 身分の上下などは無いし、あっては困るんだ!」

ということでした

松永の著書「人間福沢諭吉」は、「福翁自伝」からの引用が多いので、いままた「福翁自伝」を読み始めています

「福翁自伝」を読むのは今回で3回目ですが、グイグイ引き込まれるような面白さ

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最初に読んだのは大学時代、江藤淳先生(→)の授業「福翁自伝を読む」でこの自伝の存在を知りました

私は江藤淳先生から「直接の薫陶」は受けておりませんが、多大な影響を受けています

次に読んだのは30代の半ば、そして今回と、それぞれ感じるところが微妙に違います

福沢諭吉は66歳で亡くなっており、「福翁自伝」が書かれたのは63歳のとき

明治時代の63歳は、立派に「翁」だったのですね

いま「福翁自伝」の半分ほど読み終えたところで、貧乏書生がいきなり咸臨丸による万延元年遣米使節団トップのところへ押しかけて「私も乗せて行ってください」と頼むあたり、福沢の押しの強さを感じます

「日本史上の三大偉人」の一人、空海が遣唐使船に便乗するのと似ています

そして使節団トップが「ああ、いいよ」と簡単にOKするのですが、国家を代表する外交使節団に、どこの馬の骨とも分からぬ貧乏書生が紛れ込めたことに驚きです

福沢の洋学知識や押しの強さもさることながら、当時の牧歌的な雰囲気も感じます

このときの咸臨丸の艦長が勝海舟で、通訳としてジョン万次郎も同乗していた

関西育ちの福沢諭吉と、チャキチャキ江戸っ子の勝海舟は、ウマが合わなかったようで、「福翁自伝」でも勝海舟のことを余り良くは書いていません

空海も福沢も、行った先で文献を買いまくって日本へ持ち帰り、日本のその後の文明化に多大な貢献をしています