六中健児の歌

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山縣有朋らが心血を注いで制定した「軍人勅諭」が出来たのが、1882年(明治15年)

続く「教育勅語」が、1890年(明治22年)

新宿高校の前身である旧制府立六中が四中に間借りして開校、1921年(大正10年)

校舎完成、府立中学で初の鉄筋コンクリート、1922年(大正11年)

その直後に関東大震災、1923年(大正12年)今日からちょうど100年前

そして我らが「 六中健児の歌 」が出来たのは、1929年(昭和4年)

明治新政府の思想的バックボーンである富国強兵の皇国思想は、旧制中学の歌にまで着々と普及していった訳です

このような軍国思想を、現在の民主主義の立場から批判することは、頭の悪い小学生でもたやすいことですが、当時の社会状況や国際情勢を理解した上で、これらに正当な評価を下すことは、簡単ではないですね

(^_^;)

 

▲新宿高校(六中)の初代校舎と興国の鐘

 

六中健児の歌

作詞作曲 堀内 敬三

 

黎明の雲を破り さしいづる日のごと
明けし生気充てり 我等六中健児
いざ燃えよ朝日のごと 母校の光世にあらはせ
興国の鐘は響けり 興国の旗あがれり

建国の毅き力 こころに保ちて
新たなる御代を護る 我等六中健児
いざ築け強き日本 歴史の光なほ加へよ
興国の鐘は響けり 興国の旗あがれり

伏し仰ぐ大帝 御旨を畏み
神前の誓固し 我等六中健児
いざ励め祖国のため 誓ひし誠世に捧げよ
興国の鐘は響けり 興国の旗あがれり

湧き出る若き力 揺るがぬ意思もて
奮闘と努力やまず 我等六中健児
いざ進め撓まず往け 校旗を四方に輝かせよ
興国の鐘は響けり 興国の旗あがれり

 

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【参考】府立六中校歌   作詞 尾上紫舟

東西古今たぐひなき      聖き帝の神つ宮
伏して御前に誓ひてし     同じ心の千余人

みめぐみ深き御苑生に     続く校舎の窓近く
木々の翠を見やりつつ     学ぶ心の清きかな

紫にほふ武蔵野の       はてに聳ゆる富士のねの
雪の光をのぞみつつ      研く心の高きかな

仰ぐも遠き建国の        君と臣との雄心を
今も楯とし剣とし         進みゆくてに敵ありやむ

事しもあらば国のため      君のみためにそそぎてむ
あつき血潮を胸にもつ      同じ心の千余人

 

【参考】新宿高校校歌  作詞 安藤一郎

朝は澄める大空の        ひろきを仰ぐ清けさに
世界の心豊かに酌まむ     光を目ざす若き胸
ああ 千余のわれら理想に燃ゆる

代々木の森は年ごとに      緑の色もいや増して
若き命ぞまた立ち返る      希望は常に新しく
ああ 千余のわれら力に満つる

文化の流れ西東          新たに結ぶ日本の
若き世代はわれらの肩に     正義と愛の大道を
ああ 千余のわれら雄雄しく往かむ

 

 

【参考】六中行進曲  作詞 西条八十

若い瞳が振り仰ぐ        空は青空希望に燃える
振へ吾友六中健児       興るアジアの朝ぼらけ

歴史光栄ある学校に      強く鍛えたこの身と心
やがて担ふは未来の日本   雄々し使命の胸おどる

空に鳴る鳴る興国の      鐘にあはせて足音とどろ
進めわが友六中健児      高い理想へまっしぐら

 

【参考】六中つんつん節

一、僕は六中の五年生        胸に五つの金ボタン
二、私は第五の三年生        燃ゆる思いのセーラー服
三、二人を隔てる新宿の       町の繁華がうらめしい
四、夜毎夜毎に夢に見る       恋しあなたの面影を
五、あたしこの頃おそいのよ     いつものところで待っててね
六、二人で散歩の銀座道       月の光も淡いのよ
七、受験難関突破して         僕の頭にゃ白線帽
八、私は来年卒業よ          嫁入り支度に忙しい
九、君と木陰に休むとき        互いにうちとけあいながら
十、僕が大学出る頃にゃ       君を嫁とると約束し
十一、思えば長い六年間        二人の恋も実を結ぶ
十二、文金島田に裾模様        金らんどんすの帯しめて
十三、三三九度のさかづきを      いだだく君の美しさ
十四、新婚旅行の汽車の中      ふれあうひざのはずかしさ
十五、新婚旅行の初の日に      月の熱海を散歩する
十六、月もみかねて雲隠れ       寛一お宮も苦笑い
十七、楽しい旅行も無事おえて     社会の波にもまれけん
十八、会社に行っても気にかゝる    いとし君のあで姿
十九、いとしいとしと鳴く虫は      誰を思ふて鳴いたのか
二十、思い返せば十年前        僕は真面目な六中生
二十一、君も可憐な女学生        仲良く通ったあの頃を
二十二、思いで懐かし新宿の       今は夫婦の二人づれ
二十三、私このごろ変なのよ       若しかしたんじゃないかしら
二十四、若しもこの子が男なら      僕は断然六中さ
二十五、若しもこの子が女なら      私は断然第五です
二十六、十月十日の月終えて       可愛い坊やの誕生日
二十七、行く末長くいつまでも       二人の幸福続くよに

 

【参考】六中五万節

六中出てから  十余年
今じゃ  天下のルンペンで  ヨイショ
日本国中  股にかけ
くぐりし土管は  五万本  ヨイショ

六中出てから  十余年
今じゃ  天下のやぶ医者で  ヨイショ
腕に脂の  のる頃にゃ
殺せし患者は  五万人  ヨイショ

六中出てから  十余年
今じゃ  天下の実業家  ヨイショ
一度モーション  かけたなら
集まる芸者は  五万人  ヨイショ

六中出てから  十余年
今じゃ  満州の大馬賊  ヨイショ
万里の長城の  その奥に
囲いし妾は  五万人  ヨイショ

六中出てから  十余年
今じゃ  南洋の貿易商  ヨイショ
秋に河鹿の  鳴く頃にゃ
出船入り船  五万艘  ヨイショ

 

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