13【新宿高校OB暴力団】

映画「君たちはどう生きるか」

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今週の 米国 映画収益ランキングで、

1位:「君たちはどう生きるか」

3位:「ゴジラ-1.0」

トップ3に日本映画2本は、ちょっとした快挙かな?

私はまだどちらも見てないので、内容についてどうこう言えません

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「君たちはどう生きるか」(↑)は、吉野源三郎が1937年に出した哲学的な小説

1937年(昭和12年)は、盧溝橋事件が起きて日中が全面戦争に突入し、日米関係が緊迫の度を高めていたころです

そんな86年も前の本を、いまアニメ化しようと考えた宮崎駿監督(→)

よほど思い入れのある本なんでしょうかね?

著者の吉野源三郎という人は、東大哲学科を出て、何を思ったか26歳で陸軍に入り、2年後に辞めてからは反戦活動を始める

戦前に元陸軍将校が反戦活動をするのだから、軍や政府の上層部からにらまれるよね

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もう少し後になって第二次大戦末期、時の首相の東條英機(→)は、気に入らない奴(特に左翼=共産主義者)を片っ端から徴兵して、危険な最前線に送るという手段を使った

その結果、若い人はもちろん、かなりの年配者でも最前線で亡くなったり、死ぬような苦労をした

私が東條英機を好きになれない最大の理由がこれだ

自分の周りにゴマすりイエスマンばかり集めて出世させ、優秀な人材を煙たがって左遷したのもこいつ

人間のちっぽけさ丸出しで、とても一国の首相とは思えない

今でもこんなトップのいる組織は、方向性や活力を失ってダメになりやすい

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出陣学徒壮行会で「天皇陛下バンザイ」を叫んだのもこいつ(→)

こんな奴に送られて最前線へ出陣させられた学徒たちが気の毒だ

吉野源三郎も年齢的に最前線に送られておかしくなかったのだが(終戦時46歳)、運よくそうはならなかったようだ

もう少し若かったら、元軍人なんだから、間違いなく最前線送りだったと思う

戦前の左翼は命がけの覚悟が必要だったし、立派な人物も多かった

現在のふやけたパヨクとはまるで違う

戦後の吉野源三郎は、岩波書店で岩波新書や雑誌「世界」の創刊に携わり、当時の左翼運動の先頭に立った

戦後25年間くらいは左翼(共産主義)運動が盛んで、全学連などの学生が暴れまくり、日本も共産化しそうになったことがある

その最若年層に坂本龍一もいて、新宿高校で暴れていた

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戦争に負けた日本(吉田茂内閣)は、米国中心の自由主義陣営と講和して国際社会に再デビューした

このとき吉野源三郎など左翼陣営は、ソ連や中国など共産国を含んだ講和を主張していた

この左翼陣営の主張が通っていたら、やがて左翼運動が盛り上がった1960年ころに日本が共産化して、現在の中国や北朝鮮のような暗黒独裁体制の共産主義国家になっていた可能性もあって恐ろしい

このころ、安倍ちゃんの祖父の岸信介首相が

「共産勢力に勝つためなら、何でも利用しよう!」

ということで、カルト宗教の統一教会(反共団体だった)に接近し、これが今に至る自民党と統一教会の腐れ縁になった

実際、共産革命を主張する全学連が国会を取り囲み(↓)、岸信介も命の危険を感じた

今では信じがたいが、日本が共産化するかどうか、紙一重だった

 

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▲国会を取り囲んだデモ隊(1960年)

 

統一教会のおかげも少しはあったのか不明だが、日本は共産化を免れた

当時の大学生の多くや坂本龍一は、共産革命の成功を本気で信じていた

その熱っぽい雰囲気は、柴田翔「されどわれらが日々」を読むと伝わってくる

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第二次大戦中の英国首相チャーチル(→)

「ヒトラーに勝つためなら、悪魔とでも手を組む!」

と言ったらしい(史実かどうか知らんけど)

まさに岸信介はそれを実行し、共産主義者に勝つために、悪魔(統一教会)と手を組んだ

チャーチルも岸信介も、相当な悪党だと思うが、東條英機よりははるかに人間が大きい

政治とは結局、力(パワー)の世界なのだから、必要とあらば猫の手でも悪魔の手でも借りるくらいの器の大きい悪党じゃなきゃいけないと思う

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黒船に乗ってペリーが日本に来てから170年、日本という国は随分と危険な橋を渡りながら現在に至っているのだなぁと思います

それでも何とか乗り切って来れたのは、徳川時代260年の天下太平の世で培われた民度の高さがあったからかな?

「どうする家康」終わっちゃったね

(^_^;)

 

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追伸 大河ドラマ「どうする家康」の最終回

北川景子演じる茶々が、燃え上がる大坂城と血まみれの顔で最期に掃き捨てたセリフ

つまらぬ国になるであろう」

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「正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ

 人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける」

「やさしくて、卑屈な、かよわき者の国に」

まさにニーチェの言った「畜群」そのもの

器の大きい悪党のいない国ですね

(;´Д`)

 

 

▲映画「君たちはどう生きるか」予告編(2023年)

 

▲学徒出陣壮行会(明治神宮外苑、1943年)

 

▲全学連の安保闘争デモ隊(1960年)

 

暴力団の組長さん、かわいそう

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暴力団「六代目山口組」の三次団体にあたる「常滑一家」の73歳の組長に、殴る蹴るなどの暴行を加えたとして、同組の若頭(わかがしら)中沢秀也(53)が逮捕された。

組長は言うまでもなく暴力団のトップで、若頭は組織のナンバー2とは言え、組長から見たら部下の組員。

  白いものでも組長が黒といえば黒になる

それが従来のヤクザ組織の「鉄のオキテ」だったはず。

ヤクザ組織に何が起きているのか?

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* * * * * * *

 

暴力団の組長(認知症)が部下の組員から暴行されちゃったとか、高齢化や暴対法など、時代の変化をスゴ~く感じます

暴対法(暴力団対策法)による締め付けがキツ過ぎて、暴力団員は激減(↓)し、みんなシノギに苦しんでいるらしい

ヤクザ組織の統制力が弱ったスキを突いて、「関東連合」などの半グレや不良外人、労組のフリをした狂暴集団(立憲民主党の辻本清美で有名になった「関西生コン」など、→)が跋扈(ばっこ)してきています

((((;゚д゚))))

 

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音楽と脳 2つの仮説

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昨夜はYouTubeで、Oldiesをいっぱい聴いた

特に、Joan Baezが良かった!

それにしても、この時期(1950~60年代)の音楽には、なぜかくも名曲が多いのだろう?

あるいは、なぜ「名曲が多い」と、私は感じるのだろう?

一つの仮説は、直前に第二次大戦が終わり、その爆発的な開放感が多くの名曲を生んだという仮説(外部要因)

そもそも、Oldiesという言葉があること自体、この時期の音楽の特異性を示している

もう一つの仮説は、人はその人生の初期(おそらく20歳くらいまで)に聴いた音楽を、脳の奥深くの特定の部位に記憶し(刻み込み)、後になって名曲として感動し易い認識構造が脳に形成されるという仮説(内部要因)

脳の深層記憶にはタイミングが重要という仮説だが、生まれたばかりの小鳥の母親認識などに明瞭に現れている

また、聴覚や味覚臭覚など人間の根源的感覚に関する記憶が、それを初めて感じ取った時の生々しい周辺記憶を呼び覚ますという現象は、人間心理(脳)の特徴として広く認識されている(プルーストの『失われた時を求めて』など)

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私は今でこそ高校の友人に誘われて時々クラシックのコンサート(多くは無料)へ行くこともあるが、残念ながらOldiesに感じるような、深層心理に突き刺さって来るような強烈な感覚は、クラシック音楽からはまったく得られない

生演奏特有の迫力があるので、クラシックのコンサート自体は嫌いじゃないんだけど、曲によっては「早く終わらないかなぁ」と感じることも少なくない

私の家は貧しかったから、子供のころ家にステレオはおろか、モノラルのプレーヤーすら無かった

日本全体が貧しかった時代だから、私の親が特別に悪いわけではない

小学校の半ばに家にテレビが入ったので、歌謡曲とかは聴くようになったが、親が新潟の山奥から東京に出て来たばかりで、世の中にクラシック音楽というものが存在することすら知らないような感じだったので、私がクラシック音楽を聴くことは皆無だった

私の両親は死ぬまで、クラシック音楽とは無縁だった

おそらくこのころ歌謡曲に混じってOldiesの曲もテレビから流れ、私の耳(脳)に入り込んだのかも知れない

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私がクラシック音楽も聴くようになったのは、大学生になって自分の部屋にステレオを買ってからだったように記憶している

高校の友人(熊さん)に勧められて、クラシックの廉価版LPを買ったのが最初、たしかヴィバルディの「四季」だったかな

ただ、その時すでに私の「人生の初期(おそらく20歳くらいまで)」は過ぎ去っていたので、クラシック音楽が私の脳の奥深くの特定の部位に記憶(刻み込み)されることは無かったのかもしれない

いま私がクラシックのコンサートへ一緒に行ったりする友人たちは、みなクラシック音楽に深く傾倒しているクラシックマニア(オタク)なのだが、彼ら彼女らに共通しているのは、「親もクラシック音楽が好きだった」という決定的な事実だ

おそらく彼ら彼女らは、生まれたときからクラシック音楽を日常的に聴き、クラシック音楽に囲まれて生きて(成長して)きているようだ

これがおそらく、彼ら彼女らの耳(脳)に、決定的な影響を与えているのだろう

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そして、その決定的な影響は、私には無かった

暴力団の世界を取材して、多くの本を書いている作家がいる

彼はこれまでに1000人以上の暴力団組長を取材してきているのだが、これまでクラシック音楽のファンだという組長には、一人も会ったことが無いと言っている

世の中にクラシック音楽のファンがそれほど多数派ではないことは知っているが、1000人の中に一人もいないというのは、かなりスサマジイことだ

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安部譲二(←)のような恵まれた家庭出身の例外もいるが、ヤクザの世界に入るということは、その生育環境が恵まれたものではなかったであろうことは容易に想像できる

時代の違いもあるが、おそらくステレオもモノラルプレーヤーも無い貧しい家庭がほとんどだったはずだ

そして1000人の組長の親に、クラシック音楽のファンは、ほぼ皆無だったのだろう

(ちなみに安部譲二は、クラシック音楽に関する本やCDも出しているが、組長ではない)

私は幸か不幸か、ヤクザにはならずに成長したが、クラシック音楽から「深層心理に突き刺さって来るような強烈な感覚」は、今でも得られずにいる

果たして2つの仮説のうち、どちらが正しいのか?(どちらも正しいのか?)

 (^_^;)

 

 

 

 

クラシック音楽と「頭の良さ」に関係あり?

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クラシック音楽と「頭の良さ」との関係

みんな薄々感じてはいますが、ズバリ論じるのは、ちょっと恥ずかしいような微妙なテーマですね

「頭の良さ」もあるでしょうけど、私は「育ちの良さ」(生育環境)との関係が非常に大きいと思っています

以前、あるジャーナリストが、ヤクザの親分1000人くらいに取材しました

日本のヤクザ人口から考えて、1000人というのは、ほとんどすべての親分を網羅していそうな気がします

そしたら、クラシック音楽のファンがゼロだったそうです

カラオケファンの親分なら結構いるんですけど、日常的にクラシックのコンサートへ行くような親分は、文字通り一人もいなかったそうです

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ただ、親分の子供(子分ではなく実の子供)にはクラシックファンがけっこういて、中にはクラシックのプロの演奏家もいた

これはつまり

劣悪な生育環境がヤクザを生み(これは大いにありそう)

その中で優秀な(頭の良い、度胸のある)ヤクザが親分になり

親分(ヤクザの成功者)の子供の生育環境は劣悪とは限らない

ということではないかと思います

どんな社会にもある、階級間移動(上方向)ですね

上の動画で話しているオペラ歌手の車田和寿さんは、音楽の中に含まれている「野性味」を大切にしたいと語っているようです

野性味なら、育ちが良くてお上品な「頭の良い」インテリより、ヤクザの親分の方が上かもしれませんから、ヤクザの親分に向いた(好まれる)クラシック音楽というのも有り得るのかもしれません

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現状、ファンがゼロでは、どうしようもありませんし、親分に尋ねたら「オレは演歌の方がいい!」と答えそうですけど

ちなみにクラシック(classic)という形容詞は「古典的な」と訳されることが多いですけど、元々はclass(階級)から出た言葉ですので、クラシックの原義は「階級的な」となります

  (^_^;)

 

新宿高校OB 変人編

BxA0boBCcAAtyFc高橋 岩太郎(たかはし いわたろう、1912年1月25日 – 2002年)は日本のヤクザ、右翼活動家。

日本国粋会落合一家六代目総長。東京都中野区本町出身。

明治45年(1912年)1月25日、東京府東多摩郡中野町(現:東京都中野区本町)で生まれた。実家は、農業と酒造業を営む旧家だった。

大正12年(1923年)、中野の桃園尋常小学校を卒業後、

東京府立第六中学校(現:都立新宿高校)に進学した。

同年9月1日昼、自宅の裏の鶏小屋で卵を取っていた。同日午前11時58分44秒、関東地震が発生し、関東大震災に発展した。東京府立第六中学校は半年間休校となった。休校の間に、酒、煙草、博打を覚え、喧嘩に明け暮れるようになった。

大正14年(1925年)、喧嘩で相手を刺傷した。

東京府立第六中学校から放校処分を受けた。実家を飛び出し、愚連隊に身を投じた。

その後、警察から追われるようになり、新宿を離れて、不良仲間だった高円寺の藤井の家に転がり込んだ。

幸平一家の中野・新井の貸元・大草宇一の若衆が藤井の家に出入りしていた。

その大草宇一の若衆の紹介で、大草宇一と知り合った。

昭和4年(1929年)、背中に「野ざらし」(長襦袢の袖口から両手を出した足のない幽霊と「南無阿弥陀仏」の文字が入った絵)の図柄の刺青を入れ始めた。

 

厳密に言うと 卒業していないので(放校) OBではないのかな

波瀾万丈の人生で 90歳まで生きた シブトさはすごい  (^_^;)

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不破哲三・共産党前議長(84)

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新宿高校出身の不破哲三・共産党前議長(84)が10日夜、9年ぶりに街頭演説に立った。

2006年に議長を退任してからも党の「理論的支柱」という存在感は大きく、グレーのコート姿で街宣車に上がり、マイクを握ると支持者から「おおー」というどよめきが起こった。

舞台は、祇園祭の山鉾(やまほこ)巡行ルートでもある京都市・四条河原町交差点。

不破氏は「日本のやった侵略戦争を認めない。ヒトラーを擁護するネオナチと同じ勢力に今の自民党は乗っ取られている」と自民党を批判。返す刀で、「我が党以外の野党の現状は惨たんたるものだ」とばっさり切り捨てた。

弁舌の鋭さは健在で、集まった数百人の聴衆からは何度も大きな歓声が上がった。11日には沖縄でもマイクを握る。

不破氏は、「京都の激戦ぶりを聞いて、矢も盾もたまらず駆けつけた。京都は日本を動かす大きなうねりのたびに先頭に立ってきた」と気勢を上げた。

京都府は、1996年衆院選の京都3区で共産党が最後の小選挙区議席を獲得したところだ。ここまで好調が伝えられる今回の選挙戦で、18年ぶりの小選挙区勝利を目指す。

民主党が政権交代の旗を降ろし、第3極も前回衆院選のような勢いがなく、「絶好の機会」(党関係者)というわけだ。

しかし、小選挙区比例代表並立制の導入以降、共産党は自民、民主の2大政党の間で埋没し、低落傾向にある。「共産党の勢いは一過性で他の野党が批判の受け皿にならないための一時的な現象」(民主党ベテラン)との見方は強い。

元気だねぇ~ (^_^;)