52【スポーツ】

馬込文士村を歩く

「文士」というのは、少し古臭い言葉で、最近は余り使いませんね

かつて大正から昭和の初めにかけて、馬込文士村とか田端文士村とか、作家や芸術家が集まって住み、サロンのような世界を形成していたようです

いま朝ドラで話題の宇野千代も住んでいました

今はみんな亡くなってしまい、後継して住む「文士」も余りいなかったようで、普通の住宅街になっている訳ですが、多少は痕跡が残っているのかな?と思って歩いてみました(近いし)

(^_^;)~♪

詳細はここをクリック

荒川治水資料館と赤羽せんべろ街を歩く

東京(江戸)では、1600年に徳川家康が来てから400年以上、ずっと大規模な建設工事が続いています

東京の下町は標高が低く、台風や大雨による水害に弱い

1910年(明治43年)の関東大洪水では、死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸という被害が出ました

そこで始まったのが荒川の治水で、名前の通り「荒れる川」でした

それまで荒川の下流が都心を流れる隅田川だったのですが、途中から新しい人工の川(荒川放水路)をつくり、大水のときは隅田川へ流れる水を減らして都心の洪水を防ごうというプランです

パナマ運河の掘削工事に参加して最先端の掘削技術を身に付けたエンジニア青山士(あきら)が先頭に立ち、1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)まで、17年間の大工事

まだパワーショベルのような重機も無い時代で、ほとんどは人力による苦難の工事、まさに感動ものです

隅田川へ流れる水をせき止める役目を果たすのが、今回見学した岩淵水門

上の写真は旧水門(赤水門)で、今は二代目の新水門(青水門)になっている

岩淵水門のすぐ近くに荒川治水資料館があり、「荒れる川」を治水した苦難の歴史を記録しています

資料館と水門を歩いたあと、近くの赤羽駅へ移動して、有名な「赤羽せんべろ街」を歩きました

熊さんからLINEで感想があり、下のMAPをいただきました

熊さん、ありがとー

(^_^;)~♪

当日の写真(396枚)へ

せんべろ街の写真だけ(最後の96枚)

乃木坂を歩く

乃木希典は日露戦争で陸軍トップの軍人(陸軍大将)で、学習院の院長もつとめた明治時代の偉人

昭和天皇の教育係も務めた

司馬遼太郎「坂の上の雲」では愚将として描かれましたが、最近「そうではない」という本も出て、名誉回復が図られています

彼は長州藩の支藩である長府藩の藩士、乃木希次の三男として、江戸の長府藩上屋敷(現在の六本木ヒルズ)に生まれた

乃木坂の地名は、ここに彼の自宅があったことから

六本木が現在のようになったのは戦後に米軍が来てからで、戦前は現在のミッドタウンの場所に陸軍歩兵第一連隊があり、「陸軍の街」でした(海軍の街は横須賀)

陸軍歩兵第一連隊は、1874年(明治7年)、最初の歩兵連隊として東京府赤坂檜町(現・東京都港区赤坂)で編成され、1877年(明治10年)には西南戦争で九州に出陣、西郷軍と戦っている

ちなみに昔は「連隊」ではなく「聯隊」と書いた

1936年(昭和11年)、2・26事件の反乱軍は、ここから皇居方面へ向かった

そんな「陸軍の街」六本木に、陸軍トップの彼が自宅を構えるのは、ごく自然なことでした

彼の自宅は港区立「乃木公園」として現存(復元?)しており、9/12に見学会があったので、行ってみました

上の写真はその自宅前ですが、貫禄たっぷりですね

でも彼は明治天皇の崩御のあとに、62歳で殉死しており、この写真はたぶんそのころ(殉死直前?)のもの

殉死(割腹自決)した部屋も見ることができ、血に染まった服などもありました

ですから上の写真は、現在の我々より8歳も年下ということになります

(;´Д`) トシトッタ

当日の写真(105枚)へ

 

産総研を歩く

産総研(産業技術総合研究所)は、経産省所管の独立行政法人で、最先端の技術開発を行っています

以前の工業技術院が母体で、21世紀初頭の中央省庁再編で、産総研になりました

9/13に産総研の一般公開があって、ラボ(研究室)の中が見れるというので、お台場散歩がてら出かけ、モーションキャプチャのラボを見学しました

当日の写真(113枚)へ

新宿高校野球部 都大会進出

▲足立薫(新宿高校)

新宿高校と桜丘の一戦は、終わってみれば17-2、5回コールドで新宿が圧勝した。

しかし新宿は、1回、2回は四死球による走者は出すものの安打が出ず、得点が入らない苦しい展開だった。

その一方で新宿に得点を与えない、桜丘のエースで主将で4番の清野 匠真が粘り強い投球が光っていた。

2回裏桜丘は、この回先頭の清野が三塁打を放ったものの、新宿の先発・足立 薫(2年)が後続を抑えて得点を許さない。

足立は、球の出どころが見えづらいやや変則の横手投げ。

「大舞台に強い投手です。練習試合でも、松商学園や近江を抑えています」と田久保 裕之監督は語る。

▲サイドノックを行う、新宿高校の田久保裕之監督

詳細はここをクリック

野球小僧イチロー 新宿高校野球部を指導

哲学堂を歩く

35262444

中野区に「哲学堂公園」という公園があります

今は区立公園になっていますが、元々は哲学者で東洋大学の創立者、故・井上円了博士によって精神修養の場として明治37年に創設されました

哲学をテーマにした公園というのは、海外は知りませんが、国内ではここだけではないかと思います

(^_^;)~♪

当日の写真(88枚)へ

門橋を歩く

▲ネットにあった写真 富士山が右に見えるから夕焼けかな

▲今日、歩きながら撮った写真 右下は釣りをする人たち

虹橋(レインボーブリッジ)は、わが家のベランダからよく見えます

門橋(ゲートブリッジ)は東京湾のもう一つの大きな橋で、これも端っこが少し見えます

今日は、汁パス(シルバーパス)を活用して門橋まで出かけ、橋の上を歩きました

橋の上を歩く距離は1600mで、20~30分

その前後にもたっぷり歩きましたけど

虹橋は以前に歩いて渡ったことがあり、お台場行きのバスでしょっちゅう通っているのですが、門橋は歩くのも通るのも初めて

そもそも人が歩けるのかな?と思い、ネットで色々調べてから出かけました

歩行可能時間などに、いろいろ制限があります

東京湾から見た都心遠景をながめることが可能

門橋はトラス構造の橋なので直線だけですから、見た目は無骨で男性的

虹橋のような吊り橋の曲線美はありません

虹橋は東京湾埋立地の奥にある深窓のお嬢さま、門橋は入口を守る屈強な門番の男という感じかな

虹橋を通っているのが4通り(一般道、首都高、歩道プロムナード、ゆりかもめ)で二階建てなのに対して、門橋は2通り(一般道、歩道)だけで、要するにシンプルな橋です

虹橋の歩道は両側にありますが、門橋の歩道は片側だけ

都心から離れているせいか、橋の上を歩いているのは私だけ?、みたいな不思議な気分を味わいました

門橋のすぐ下は釣り場になっていて、多くの釣り人が「江戸前」の魚を釣っていました

今日は23度くらい、涼しかったなぁ

(^_^;)~♪

当日の写真へ(200枚)

深川八幡まつりを歩く

深川八幡まつり(富岡八幡宮の例大祭)は、江戸三大まつりの一つ

寛永19年(1642)、3代将軍徳川家光の長男・家綱の世継ぎの祝賀を行ったのが始まり

今年は3年に一度の本祭り、各町会のお神輿(みこし)50基以上が登場

「水かけまつり」の別名通り、沿道の観衆が清めの水をかけまくります

当日の写真(245枚)へ