人生の「旅立ち」

上の動画は、先日の当ブログ記事「小田和正 ツアー完走」に載せた、松山千春「旅立ち」の再掲です

今日なんとなくこの動画を観て(聴いて)いたら、これは少し歌詞を変えると、

これから人生に別れを告げる人

(つまり死を目前にした人)

の歌になるなぁと思いました

若い人は「縁起でもない」とか言うかもしれないけれど、歳を取ると死が恐ろしいものと言うより、親しいものに感じられてくるのです

以下、赤い文字が変えた部分

旅立ち

私の瞳が ぬれているのは
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない
この日がいつか 来る事なんか
この世に生まれてすぐに 知っていたはず
私の事など もう気にしないで
貴方は貴方の道を 歩いてほしい

さよならいわずに 笑ってみるわ
の旅立ちだもの 泣いたりしない
言葉はいらない 笑顔をみせて
心の中の貴方は いつもやさしい
私は泣かない だって貴方の
貴方の思い出だけは 消えたりしない
私の瞳が ぬれているのは
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない

元歌での「貴方(あなた)」は恋人ですが、上の歌詞だと、妻(夫)や子どもたち、あるいはこれまでの人生で関係のあった人たちという意味になりますね

別れは人生に付きもので、長い人生には多くの出会いと別れがあります

特に愛する人との別れは、人の心に強烈な印象と記憶を残し、多くの音楽や芸術のモチーフになっています

仏教では、人生を四つの苦(生老病死)と考えますが、「四苦八苦」(しくはっく)という言葉があるように、さらに四つの苦をあげています

愛別離苦(あいべつりく) 親・兄弟・妻子など愛する者と別れる苦しみ

怨憎会苦(おんぞうえく) 怨み憎んでいる者に会う苦しみ

求不得苦(ぐふとくく) 求める物が思うように得られない苦しみ

五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ

多くの別れの最後に、人生の全ての関係性からの離脱、つまりがあります

死を一切の消滅(無)ととらえるか、新しい旅立ちととらえるか、それは人それぞれ

仏教に限らず、死は宗教や哲学の最大のテーマ

人間には、直視するのが難しいものが3つある

1)死

2)太陽

3)自分(の現実)

死を直視するところから、多くの芸術や哲学が始まっている

人は死んだらどうなるのか?

脳を含めた肉体を構成する物質(細胞や分子)のレベルで科学的に言えば、人の肉体の大部分は、火葬されたら水蒸気(H2O)や二酸化炭素(CO2)になって大気中に放散され、土に吸収されたり植物の栄養になったりして、新しい物質の流れに加わっていく

土葬なら、微生物による分解を通じて、新しい物質の流れに加わっていく

問題は、そのときに意識の連続性が有るかどうか

これを「有る」と言い切ると、霊魂の存在、天国や地獄、極楽浄土への往生(浄土系仏教)、輪廻転生による再生(インド哲学やヒンドゥ教など)、神による最後の審判(キリスト教)といった考え方につながってきます

能は、霊魂(怨霊)の存在を前提にした舞台芸術ですね

逆に、意識の連続性は科学的には「無い」と断言する人もいるが、これは科学的ではない

「無い」ことを科学的に立証することは不可能(悪魔の証明だからね)で、証明できないことを断言するのは、科学ではなく信仰です

私はもしかしたら、意識の連続性は「有る」んじゃないかなぁと思っているのですが、もちろん科学的に証明はできません

(^_^;)~♪

 

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追伸1 松山千春 19歳の「旅立ち」見つけました(半世紀前だよ)

当たり前だけど、昔はフサフサだったんだねぇ

動画に出て来る「とかち新聞」は、松山千春の父・松山明が北海道の足寄町(あしょろちょう)で発行していたローカル新聞で、デビュー前の松山千春19歳が働いていました

新聞は余り売れず、家は貧しかった

松山千春が政治家の鈴木宗男と仲がいいのは、父親ゆずりの政治志向かもしれませんね

二人は共に足寄町の出身

足寄町の面積は広大(23区の2倍以上)だけど、人口はわずか5800人だから、二人はたぶん足寄町出身の「二大有名人」

鈴木宗男が選挙のとき、松山千春はよく応援演説をしています

▼「とかち新聞」本社 しかし、いい味出してるなぁ

画像をクリックすると拡大します

足寄町図書館では、「とかち新聞」のデジタルアーカイブを公開しています

▲現在の足寄町の中心部

若い人が遊ぶには、少々寂しげな街

近くの大きな街というと、帯広までクルマで1時間ちょっと

19歳の動画で「足寄町からクルマで7時間」とか言ってたけど、札幌までかな?

今は高速つかって3時間半みたいだけど、半世紀前は高速が無かったんだろね

足寄町~札幌は、東京~名古屋と同じくらいだから、いかに北海道が広いかが分かります

( ゚Д゚) ヒエー

 

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追伸2 松山千春の昔の動画を見つけたついでに、北海道つながりで中島みゆきの古い動画を探したら、ありました!

夜のヒットスタジオ初出演:「アザミ嬢のララバイ」 「わかれうた」

正確な放送日は不明ですが、これも半世紀くらい前かな?

私は中島みゆきの音楽が死ぬほどスキ! 文句なしの天才!

彼女の作品も、その多くが「別れ」の歌

足寄町の松山千春とは違って、彼女は大都会札幌の出身(ただし、5歳から岩内、11歳から帯広)

かなりエートコのお嬢だったようです

彼女の初期代表曲は「時代」ですが、デビュー曲は「アザミ嬢」なんですね

比較的最近の「ヘッドライト・テールライト」

これも「旅立ち」と同じように旅をテーマにした曲

「旅」という言葉には、人の心を動かす何かがある

人生は旅、なのかな?

(^_^;)~♪

ヘッドライト・テールライト

語り継ぐ人もなく
吹きすさぶ風の中へ
紛れ散らばる星の名は
忘れられても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

足跡は 降る雨と
降る時の中へ消えて
称える歌は
英雄のために過ぎても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

行く先を照らすのは
まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは
あどけない夢
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

誰が密告したんだ!

職場で、内部告発者を突き止めようと必死になったBさん

「誰が密告したんだ?チクったんだ?」

「見つけたら徹底的に追い詰める!」

「辞めさせるまでやるぞ!」

とか息巻いて社内調査を進めたが、最終的には上司やコンプライアンス担当役員から厳しく叱責され、被害者たち(内部告発者としてBさんから追い詰められた人たち)に深く頭を下げる羽目になった

ところが、被害者たちはそれでも納得できず、Bさんを加害者として裁判所に提訴した

裁判所は

「Bさんの行為は行き過ぎだ、慰謝料を払え」

と命じた

という、笑い話のような事件(もちろん当事者には深刻な事件ですが)

日本人の大人なら誰でもご存じのように、日本の社会には江戸時代以前からある「村の論理」と、明治以降の「法の論理」があります

この二つの論理は、歴史的に言えば中世と近代という、かなり異なる考え方です

「論理」といいますが、ロジックというより、ルール(倫理、道徳、価値観)に近い概念

表面的には「法の論理」で動いているように見える「法治国家」日本ですが、ときどき「村の論理」が顔を出すことがあり、時には衝突することもあります

「村の論理」で処理しようとしたのに、「法の論理」の出番になったことを、少し前までの日本人は「裁判沙汰(ざた)」などと呼んでいました

特に、頭の中が「村の論理」一色というBさんみたいな人(昔の体育会系に多い)もたま~にいて、思わず笑っちゃうような珍事件を引き起こします

もちろん裁判所は「法の論理」の体現者ですから、原則として「村の論理」は通用しません

「村の論理」が成立したのは、おそらく室町時代の惣村」の形成と深く関係しているように思われます

警察も裁判所も無かった(ほとんど機能していなかった)時代に、農民が自分たちの生活を自分たちで守るために団結し、その結果生まれたのが「村の論理」

それから500年以上が経過していますが、「村の論理」は今も脈々と生きています

ちなみに、西部開拓時代のアメリカのフロンティアでも、警察も裁判所も無かった(ほとんど機能していなかった)時代がありますが、個人主義の強い白人社会でしたから、団結で身を守るよりも、個人個人が自分で自分の身を守るという方向へ進み、「銃の論理」(銃社会)になりました

それなりの歴史的な必然性でそうなっている訳ですから、急に「銃を廃止しろ!」とか叫んでも、急には変えられない

それは日本の「村の論理」が、急には変えられないのと同じ

(^_^;)~♪

事件の詳細へ

MacBookで命拾い

ブラジルのサンパウロ市内で10/1、中国人が覆面強盗に銃撃されるも、バックパックの中のMacBookに命を救われました

空港に着いて初めて、

バックパックの中のMacBookが銃弾を食い止めていた!

ことに気付いたそうです

ノートパソコンの筐体(きょうたい:ケース)には、軽さやコストを考えてプラスチック製が多いのですが、なぜかMacBookの筐体はアルミ製なのです

おそらくジョブズ以来のApple社のコダワリだと思いますが、今回はその「強度」が中国人の命を救いました

日本以外の多くの国では、拳銃強盗など日常茶飯事で、少しも珍しくありません

 特にブラジルを含む中南米は治安が悪い!

身を守るために普段からカバンの中に鉄板や防刃シートを入れていて、万一のときはこれで身を守ると聞いたことがあります

今や多くの外国人がやって来る日本、そんな治安の悪い国にはならないで欲しいものです

困ったことに、日本にやって来た外国人労働者による凶悪犯罪(特に日本人少女への強姦)が激増中

石破は全くダメだったけど、高市新総理には、迅速かつ適切な対応を期待します!

  (^_^;)~♪

錆びたレール

これは2024年の脱線事故(資料PDF)で、レールの撤去作業中に作業員が手を放した一瞬、破断したレールを撮った報道写真

まさに「瞬間芸術」と呼ぶべきか!

2025年の新聞協会賞を受賞したというのもうなずけます

場所は2024年11月にJR函館線の森駅近くで発生した脱線事故現場

本来の鉄道レールには、中央部に充分な厚みがあって、これが列車の荷重を支えている

これが腐食(さび)によって、紙のよう薄くなり、脱線事故につながった

私は鉄道に乗るのがダイスキ(乗り鉄

だからこの写真には大ショックを受けました!

鉄道会社には「保線」(ほせん)という仕事があり、線路が列車の安全運行に耐えるか、常に点検整備しています

事故発生までの函館線の保線部門は、いったい何をしていたのか?

レールはつながっているから、上の写真のようにレール断面を見ることは普段ありませんが、それを機械で測定して腐食(さび)の進行などを把握するのが保線の仕事

「鉄道」と言うくらいですから、レールが鉄で出来ていて錆びやすいことくらい、小学生でも知っています

脱線したのはJR貨物の車両だと思いますが、保線はJR北海道が担当していたと思われます

過疎路線の多いJR北海道は、旧国鉄から分離独立した時点で収益性に問題があり、現在でも政府からの補助金に頼った経営が続いています

純粋な民間企業とは言い難い「準公営企業」です

赤字が出ても補助金で助けてもらえる!

といった甘えが無かったのか?

この辺の経営体質と脱線事故の関係を徹底的に究明し、対策を講じてもらいたい!

しかし、その結論が「赤字路線の廃線」になるのだとしたら、それは何とも情けない!

そのように、乗り鉄の私は、シミジミ思います

 ((((;゚д゚)))) コワイ

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追伸 国内最古の車両が、2028年1月で引退です

小田急沿線の皆さんにはおなじみの箱根登山電車

小田和正 ツアー完走

歌手、小田和正(78)は10/1、横浜アリーナで全国アリーナツアーの最終公演を開催

9月20日の誕生日で78歳となり、2022年に自身が75歳2カ月で樹立したアリーナツアー完走の最年長記録を更新した

地元の横浜開催となった最終公演では約1万3000人の声援を受け

約210メートルの花道で何度も疾走

さわやかな白シャツ姿で客席を指さしながら「ありがとう!」と笑顔で感謝を伝えた

小田和正(おだかずまさ) 1947(昭和22)年9月20日生まれ。神奈川県出身。69年オフコース結成。「眠れぬ夜」「さよなら」「愛を止めないで」などヒット曲を連発し89年に解散。ソロアーティストとして「ラブストーリーは突然に」が自身初のミリオンセラーに

歌手、松山千春(69)は

「俺はいつも小田に会ったら言うんだけどさ、『お前、ステージでね、走ったりいろんなことしてるみたいだけど、お前がそんなことやったら、俺たち年下の人間は何やればいいのよ。頼むぞ』みたいなな。アーティスト、それぞれ自分のコンサートスタイルってのがありますからね」

と苦笑していた

松山千春(まつやまちはる) 1955(昭和30)年12月16日生まれ。北海道足寄町出身。足寄高卒業後、75年に「全国フォーク音楽祭」北海道大会への出場をきっかけに、77年にシングル「旅立ち」でデビュー。以降、多くのヒット曲を生み出す

いやぁ~、小田和正が松山千春より、9歳も年上とは知らなかった!

(^_^;)~♪

朝散歩2025秋 品川駅の海側

▲コンテナが並ぶ品川埠頭

前回「朝散歩2025夏」を書いたので、今回はバージョン

前回9/3の、「品川駅の山側」は、江戸時代に徳川将軍の御殿(御殿山)があったり、薩摩藩の大名屋敷があったり、歴史と伝統のあるエリア

▲135年前、品川駅は海岸だった

今回の「品川駅の海側」は、主に明治以降に埋め立てられたエリアです

ここはしばらく前まで、商船に荷物の積み卸しをする沖仲仕など、港湾労働者の街でした

物流のコンテナ化にともなって、肉体労働の港湾労働者は激減、ほぼ消え去りました

今では大企業の本社が並ぶオフィス街に変貌していますが、今回歩いた品川埠頭(ふとう)まで行くと、物流基地として今でも現役です

(^_^;)~♪

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国立能楽堂と三十三間堂

千駄ヶ谷にある国立能楽堂で能を鑑賞しました

3年以上前で、写真を当ブログにアップしないまま忘れていたのですが、本日たまたま思い出したので(山潤さんのLINEのおかげ)、アップしました

実は最近(9月半ばから)、室町時代の本を何冊か読んでいます

仏教絡みで一休さん(一休宗純)の一生を読んでるうちに、彼が生きた時代背景を知りたくなった訳です

室町時代は足利将軍の時代で、徳川幕府のような強力な統治能力を持った幕府ではなかったので、守護大名に何かと戦争(乱)が起きます

そのほとんどは代替わりに伴う跡目争いで、それを知っていた徳川家康が後に天下をとると、「跡継ぎは嫡男(正妻の長男)に限る」というような厳しい相続ルールを定めて、跡目争いの芽をつぶそうとしました

その戦争(乱)の最大が、有名な応仁の乱で、京都はほとんど焼け野原になった!

何のために戦ってるのかよく分からない変な戦争が、11年もダラダラ続いた

京都の人が「この前の戦争で焼けた」という場合、80年前の世界大戦ではなく、500年以上前の応仁の乱

おまけに天候不順やら疫病やらで大量の餓死者が出て、鴨川が死体で埋まった!などという恐ろしい記録が残っています

一番ヒドい時期には、京都(当時の人口20万人くらい)だけで、毎日1000人くらいの餓死者が出て、鴨川の河原は数万人の死体ですさまじい異臭!

鴨川の河原から京都の中心(そこに天皇も将軍もいた)まで、せいぜい1~2キロですから、東から西へ風が吹けば、異臭がそこを直撃する!

そんな時代でも将軍(足利義政)は知らん顔で、自分の趣味の世界に没頭して遊んでいたのですが、そこには不思議なくらい「文化の花」が咲きました

現在の我々日本人が「日本文化」と思っているものの多く、もその一つですが、この時代に花開いている

社会が混乱した時代の方が文化の花が咲くという、歴史の面白い側面です

文化の花は咲いたけど、政治や社会は大混乱!

やがて、雨降って(戦国時代)、地固まる(天下統一)という流れで、時代が進んでいきます

(^_^;)~♪

国立能楽堂 当日の写真へ

 

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追伸1) 能を大成したのは世阿弥ということになってますが、その世阿弥(超美少年だった)を全面的に支援したのが将軍義満(義政の祖父)

しかも、将軍義満と世阿弥の関係は、なかなか奥深い(アブナイ)ものがあります

室町幕府は240年(将軍15人)続きましたから、徳川幕府の260年(15人)にほぼ匹敵しますが、その実態は正反対

武力の裏付けが乏しい弱い将軍ですから、常に有力大名の顔色を見ながらなので、特に最後の方(戦国時代)の将軍たちは有名無実で哀れなものでした

気に入らない大名をバンバン「お家お取りつぶし」にした徳川将軍とは大違いです

その中でも比較的存在感がある将軍と言うと、初代の足利尊氏は別格として、上記の足利義満とその孫の足利義政

義満は、室町幕府の中では比較的パワフルな将軍で、金閣寺に代表される北山文化を創った

義政は、政治家(将軍)にはまったく向いてない気の弱い優柔不断な男で、妻の日野富子に押しまくられ、ひたすら趣味の世界に逃避していた

ただ芸術的なセンスは抜群だったようで、祖父に負けない東山文化を開花させた

この二人を見ていると、おフランス王家ブルボン王朝の、ルイ14世とルイ16世を思い出します

現在のおフランスを見ると、経済の柱がパリの観光業とブランド品ですから、ブルボン王朝の遺産(文化)で食っているようにも見えますし、文化の力は馬鹿に出来ません

 

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追伸2)山潤さんに教えてもらったんですけど、先日のブラタモリ「三十三間堂によると、応仁の乱の時焼けなかった京都の寺社は三十三間堂など4つしかないそうです

応仁の乱が550年くらい前だから、京都でそれ以上古い神社仏閣の建物はほとんど無い訳ですね

みんな木造だから、戦場になったらどうしようもないけどね

それに比べたら法隆寺とか、木造なのに1400年前だからメチャ古い!

▲三十三間堂(蓮華王院本堂)

 

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今では、三十三間堂と言うと、この「通し矢」で知られています

実は私、通し矢の当日、現場(三十三間堂)で生で見たことがあります

2020年ですから、もう6年近く前ですが、お正月の青春18旅(えべっさんを歩く)のヒトコマです

成人式のお祝いに、三十三間堂で通し矢をする習慣らしい

これからなのか、もう済んだのか、三十三間堂のまわりには、弓矢を持った20歳がうじゃうじゃ

華やいじゃって、女子大の卒業式みたい!

▲三十三間堂で「通し矢」するGALたち

青春18旅(えべっさんを歩く)、写真が2000枚以上あって、三十三間堂にたどり着くまで大変そうですが、おヒマのある方は下のリンクからご覧ください

いまザッと見たら、1230番あたりから三十三間堂でした

女子大の卒業式みたいな写真が山ほどあります

(^_^;)~♪

青春18旅(えべっさんを歩く)へ

御苑の内藤とうがらし

新宿御苑インフォメーションセンター入り口横で、新宿高校の生徒さんが育てた 内藤とうがらし を展示しているそうです

夏休みも交代で水やりをして一生懸命育てました

江戸時代には薬味として人気を博し、新宿の地はとうがらし畑で埋め尽くされたとも

新宿御苑は江戸時代、信州高遠藩内藤氏の江戸屋敷でした

▲江戸時代   ▼現在

明治神宮は、近江彦根藩井伊氏の江戸屋敷だったんですね

下の方が切れてるからよく分からないけど、文字の大きさから言って、井伊さんの屋敷は内藤さんの屋敷(新宿御苑)よりもずっと広かった感じ

たぶん明治神宮だけでなく代々木公園も井伊さんの屋敷だったのでしょう

大名としての格も、内藤さん(3万3000石)より井伊さん(23万石)の方が、はるかに上ですからねぇ

わずか3万石程度で新宿御苑は、広すぎないか? という気もします(上の地図で見ると3分の2くらいですが)

江戸時代に「大名」と呼ばれるのは原則として1万石以上ですから、3万石程度では「大名の下」くらいなのですが、実際に大名の「格」を決定するのは、石高以外に官位、将軍拝謁の可否、徳川家との歴史的関係性などが考慮されたようです

三河時代に徳川家康の小姓だった内藤清成(高遠藩内藤氏の初代)が、徳川家康から直々に新宿(当時まだ「新宿」という地名は無かった)周辺の土地を賜ったという歴史があります

「内藤清成が新宿周辺を拝領」へ

当時の新宿は江戸の中心(現在の千代田区中央区あたり)から見れば郊外(田舎)だったので土地の価値が低く、そのおかげで広い江戸屋敷をもらえたのかもしれません

ちなみに、私が朝散歩でよく行く高プリ(高輪プリンスホテル)は、薩摩藩島津氏の江戸屋敷のひとつ

薩摩藩は外様ですが、巨大な藩(73万石)だったので、江戸屋敷がいくつもありました

幕末の薩摩藩は、倒幕のために江戸市中でいろいろテロ(破壊)活動を行うのですが、そのテロ拠点が薩摩藩江戸屋敷で、そのテロリストの頭の一人が西郷隆盛でした

もちろん、徳川幕府の側から見たら「テロリスト」だったということです

有名な西郷隆盛と勝海舟による「江戸無血開城」の談判は、薩摩藩江戸屋敷の一つ(現在の田町駅付近)で行われました

 

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徳川家康(徳川幕府)は、家臣や大名に与える「ほうび」として、領地の他に、江戸屋敷の土地を利用しました

江戸屋敷の立地と広さがステータス!

これには、参勤交代(藩主ファミリーの江戸在住)が背景にあります

藩主ファミリーは見栄を張って豪華な江戸屋敷を建てるのですが、まずそのためには江戸市中に広い土地が必要

織田信長は、家臣や大名に与える「ほうび」として、領地の他に、茶道具(名物茶器)を利用しました

茶道具の由緒来歴がステータス!

いささか常軌を逸した茶道具好みの戦国時代(御茶湯御政道

茶器と一緒に爆死した松永久秀 天才的な美意識

一国一城より名物茶器を望んだ滝川一益 過激な茶道具オタク

そんな時代価値観の醸成に活躍した、千利休などの茶人(宗匠=当時の文化人)たち

堅実な努力家・家康 → 江戸の土地

芸術家肌の天才・信長 → 茶道具

いかにもなぁという感じがいたします

江戸時代の大名屋敷は、現在の大使館の役割も大きかったので、茶会などを利用した外交活動も活発に行われていました

現代日本の巨大メーカーが、地方に工場を置き(領地)、東京に本社を置いている(江戸屋敷)のと似ている様な気がします

もし信長が本能寺で殺されずに織田幕府を開いていたら、安土か京都か大阪か分かりませんけど、そこの大名屋敷の土地も「ほうび」に利用したことでしょう

参勤交代までやったかどうかは、分かりませんけどね

現在、安土城趾へ行くと、城内に秀吉邸とか家臣の屋敷趾が並んでいます

「安土城・織田信長を歩く」へ

(^_^;)~♪

▲織田信長

アグネス・ラムと広末涼子

アグネス・ラムは、1970年代後半の日本で大変な人気でした

上の動画を見れば分かるように、ちょっと人間ばなれしたカワイさ

彼女は 1956年生まれですから、朝陽27回メンバーと同世代

彼女は当時、大変な人気でしたが、サラっと芸能界を引退して、幼なじみと結婚して2児をもうけ、現在もハワイで暮らしているそうです

ここで比較の対象にするのは、やや気の毒かもしれないけど、広末涼子を思い出します

彼女は、いわゆる「奇行」で知られており、先日も事件を起こして警察沙汰になったばかり

奇行(きこう):奇妙な行動。普通の人がしないような変わった行動。eccentric behavior

その奇行にどんな心理的背景があるのか、もちろん人の心ですから真相は闇ですが、三面記事的なニュースを見る限り、彼女の美貌の衰えと人気の低下が深く関係しているらしい

若くて美しい(カワイイ)女性に、群がるように男が寄ってくるのは、ごく自然な現象

そんな女性が何かを望めば、寄ってきた男たちは即座にかなえてくれる

芸能界もマスコミも、彼女を「女王さま」に持ち上げる

チヤホヤされて、何でも思い通りになる状況がしばらく続きます

しかしこれも「しばらく」であって、やがて時間の経過と共に状況は変化し、山から谷への下降線をたどるようになる

彼女の魅力が高ければ高いほど、その山は高く、谷へ向かう下降線は急降下になる

彼女がいた場所に、別な若い女性タレントが立つようになる

これは当たり前すぎる現象であって、誰でも理屈では分かっているが、感覚が付いていかない場合もある

この現実と感覚のズレが、徐々に彼女の精神に悪影響を及ぼし、「奇行」を起こすようになったのではないか?

というのが、三面記事的なニュースによくある解説です

舞台やスクリーンで脚光を浴びた「過去の栄光」が忘れられない老女優、みたいな設定で、よく映画やドラマになったりしますよね

刑事コロンボに「忘れられたスター」という作品がありますが、「別れのワイン」と並ぶ、コロンボシリーズで最高の作品ではないかなぁ

以上は女性の場合ですが、男性の場合は「美貌」ではなく「組織内の権力」や「社会的地位」だったりして、美と力という違いはあるにせよ、やはり年齢と共に下降線をたどることがあります

最近は平均寿命が伸びて、この下降線の期間が長い!

よく知られているように、仏教の教祖であるお釈迦さま(仏陀)は、生老病死を万人に共通する人生最大の「」ととらえ、それに対処する方法を考えました

生は少し別として、老病死という苦しみの本質は

若さ、健康、生命が永久に続くことは無い

という現実(無常)に対して

理屈では分かっているが感覚が付いていかない

ことに起因しているとお釈迦さま(仏陀)は考えたようです

そして現実(老病死)を変えられない以上、変えるべきは自分の感覚であって、その感覚を変えることに成功した心の状態を「さとり」と呼んだようです

「サラっと芸能界を引退」したアグネス・ラムは、この「さとり」に近かったのかもしれませんね

同じアグネスでも、煩悩のカタマリのように見えるチャンとはエラい違いかな?

なお、上記の説明で使った「感覚」という言葉は、視覚、聴覚、味覚といった狭い意味での感覚ではありません

それは「理屈(知識)以外の何か」のことで、意識や感情、深層心理、固定観念、信念、勇気、価値観、気分など、総合的な心の作用(働き)のことを指しています

よって、これを変える(さとりに至る)のは簡単なことではなく、そのために仏教の永い歴史(約2500年)があるとも言えます

ただし、「さとり」を余りにも神秘的な何かと考えるのは間違いで、人によってはサラっと「さとり」に至る人もいれば、死ぬまで煩悩に苦しみ、「さとり」には縁遠い人もいるようです

なお、ハワイ出身のアグネス・ラムが引退したのは、単に日本の寒さが耐えられなかったから、という説もあります

(^_^;)~♪