

上の写真は、「ドジャース・ワイブズ」(ドジャース奥様会)のパーティー写真
大谷選手が所属する米国MLB(大リーグ)球団、ロサンゼルス・ドジャースの、選手の奥さまたちが集まってパーティーしています
まあ、パーティーでの装いであって、この格好で街を歩く訳でもないとは思うんだけど
何だかちょっと、ド派手すぎるなぁ~!
わざとゴテゴテ奇抜な格好をする主旨の仮装大会か?
と感じてしまうのは私だけ?
ダンナがMLBで活躍する選手なら年収は億単位で、お金はタップリあるんだろうから、もう少し何とかならんの?という気分になる

大谷選手の奥さま真美子さんが、一人だけシックな感じで、「浮いてる」と言うか、世界が違う印象すらあります
着物で参加すればいいのにとも思うけど、そうすると今度は逆に目立ち過ぎちゃうから、遠慮したのかな?
このド派手パーティーなら、着物でも余り目立たないような気もするけどね
ふつうの日本人である私の目から見て、アメリカ人のファッションセンスというのは、ちょっと「いかがなものか?」と感じさせられることが少なくない
はっきり言えば「下品」の一語になるのだが、要するに
「品(ひん)」というものが感じられない
欧米全体で見ても、ヨーロッパ人には余り感じない、アメリカ人のファッションにだけ感じる違和感

逆に言えば、それだけファッションでも何でも「周囲の目」を気にせずに自由気ままに生きられるアメリカ社会(特に西海岸)の良さととらえることも出来る
何かと「周囲の目」に規制されがちな日本社会の息苦しさとは正反対の世界
過去数千年も島国の中で暮らしてきた日本と、最近300年くらいで世界中から集まって来た移民の国アメリカでは、同じ文化になる訳がない
アメリカという国は建国当初から皇室とか王室が無い、つまり「貴族がいない社会」で、平民(非貴族)が文化の主体になってきた
そのせいか、アメリカ人そのものは庶民的でフレンドリーな人が多く、とても親しみやすい
先日、横須賀の米軍基地のイベントに行ったんだけど、その時にいた米兵さんたちも非常にフレンドリーでいい感じでした

これと対極に位置しているのが、ヨーロッパ貴族文化の伝統が強いおフランス人で、悪く言えば尊大で上から目線で常に気取っていて、人を拒絶するようなところがある(だから周辺の国の人たちからメチャ嫌われてるけどね)
気分は貴族だから額に汗して働くのは大嫌いで、いつもカフェでお茶しながら「評論家」を気取っているイメージがある
そんな訳で実労働は何でも移民まかせ、移民なしでは社会が動かなくなり、パリの街を歩けば分かるけど、移民に国を乗っ取られそうな勢い(日本もそうなりつつあるけどね)

おフランス革命で、貴族の多くはギロチンで殺されたけど、その文化(貴族気分)は脈々と生きているのかもしれません
今でもおフランス人のお年寄りなんかには
「アンシャン・レジーム(フランス革命前)に戻りたい」
なんて言う人もいるらしい
文化というものには多面性があるから、ある側面だけを見て文化の優劣を判断するのは早計だとは思うんだけど、やはりアメリカ人のファッションセンスには違和感が付いてまわる
日本やヨーロッパでも、今では公式の貴族制度はほぼ廃止(緩和)されて平民(非貴族)主体の民主主義社会になっているが、長い間続いてきた貴族文化の影響は簡単には消えないし、消えて欲しくない気もする

逆にアメリカには、同じ平民(非貴族)とは言いながらも、貧富の格差(経済的階級)には歴然たるものがあり、世界の超大富豪の多くがアメリカ人だ
ただ、貧富の格差は上下移動が激しいから、貧しい育ちの大富豪みたいな人もいっぱいいて、閉鎖的な上流階級文化(貴族文化)が形成されにくい
文化、特に「品(ひん)」の形成には
何世代にもわたる、永い時間がかかる

そう言えば現大統領の大富豪トランプさんは、親も金持ちだったからエートコのボンボンで育ったハズなのに、着ているものは高価そうだけど、余り「品(ひん)」は感じられないね
話をファッションに戻すと、私の子供時代、母親とその知り合い(近所のおばさん)に付いて商店街の呉服屋(着物屋)に入ると、大人二人が
「派手かしら?地味かしら?」
と盛んにおしゃべりしていた記憶がある
私の子供時代の我が家は貧しい方だったと思うけど、母親は着物だけはいっぱい持ってて、亡くなったときにタンスや押入から大量の着物が出て来て、処分に困った記憶があります

現在の我々より数世代以上前の日本(江戸時代の日本)は、世界史でもマレに見るファッション大国で、町人でも収入の半分近くを着るものにつかっていたらしい
長い平和と都会生活が続くと、人間ってそうなるみたい
何しろ当時、江戸は世界最大の都市だったからね
だから呉服屋は江戸時代の巨大産業で、現在の大手老舗デパートには、江戸時代の呉服屋から発展したところが多い(詳細はこちら)
そんなファッション重視の伝統は、私の母親世代にも、そして多分、現在の日本人にも脈々と生きていているのだろう

私個人は余りファッションには興味がなく、日本人にしてはダサい格好をしている方だと思うけど、たまに渋谷とか原宿を歩くと、若い日本人のファッション重視には感動すら覚えます
特に若い男の子のオシャレがスゴいよ
アメリカ人のファッションセンスがダサい(下品な)理由の一つに、アメリカが「田舎の国」というのもありそう

知り合いに銀座で生まれ育ったおばさん(泰明小学校出身!)がいたんだけど、彼女が東京から少し離れた場所に引っ越したとき、周囲の人たちの着ているものが「ダラシ無い!」と言っていつも嘆いていた
周囲に常に大量の「人の目」がある都会と、人の少ない田舎では、他人から見られているという感覚(つまりファッションセンスにつながる)に差が生じるのは当然だろう

人口密度とファッションセンスには
強い正の相関がありそうだ
アメリカにだってNYとか人口密度の高い大都会はあるけど、あの超絶に広い国土なので、正確な数字は知らないけど、アメリカの田舎人口比率は、日欧よりかなり高そうな気がする
アメリカ人ばかりケナすのも気の毒なので、ヨーロッパに目を転じよう
下の写真を見たとき、私も「合成写真ではないか?」と目を疑った

ドイツのメルケル元首相(70)が、オペラを観劇しているところ
下の記事によると、パーティーやコンサートなどで盛装した女性が肌を見せることについて、日欧には大きな文化差があるらしい

広い世界にはイスラム圏のように、女性が人前で顔すら出さない文化もある
まあメルケルさんは、中国や北朝鮮みたいな共産主義暗黒独裁体制だった旧東ドイツ出身だから、「品(ひん)」を求めるのは気の毒かな?
(^_^;)~♪
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