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朝散歩2025秋 品川駅の海側

▲コンテナが並ぶ品川埠頭

前回「朝散歩2025夏」を書いたので、今回はバージョン

前回9/3の、「品川駅の山側」は、江戸時代に徳川将軍の御殿(御殿山)があったり、薩摩藩の大名屋敷があったり、歴史と伝統のあるエリア

▲135年前、品川駅は海岸だった

今回の「品川駅の海側」は、主に明治以降に埋め立てられたエリアです

ここはしばらく前まで、商船に荷物の積み卸しをする沖仲仕など、港湾労働者の街でした

物流のコンテナ化にともなって、肉体労働の港湾労働者は激減、ほぼ消え去りました

今では大企業の本社が並ぶオフィス街に変貌していますが、今回歩いた品川埠頭(ふとう)まで行くと、物流基地として今でも現役です

(^_^;)~♪

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六本木タクシー戦争

六本木で違反タクシーの取り締まりという動画です

数日前の当ブログ記事「東洋英和女学院」で

都内では新宿歌舞伎町と並ぶ「危険エリア」六本木

と書きましたが、確かに深夜の六本木周辺は危険タップリの風俗歓楽街だし、そこでの「タクシー戦争」も激しい

新宿署、麻布署(六本木)、渋谷署

が事件発生件数の都内御三家です

私が以前いた会社が、地下鉄の神谷町(六本木の隣駅)にあって、それで夜の飲み会は六本木が多かった

バブルのころは世の中の景気が良かったので、遅くまで飲んで電車が終わったあと、帰りのタクシーがなかなかつかまらない

それである日、仕方なく六本木から当時の自宅(目黒区)までトボトボ歩いて帰った(2時間以上かかった)

まだ「歩くの大好き」を始める前だったから、久しぶりの長距離散歩

その途中(テレ朝通り沿い)に良さそうなマンションがあったので、その中の一室を最初は事務所として借り、やがて住みついてしまったという訳です

まさか30年も住むとは思わなかったけど

「タクシー戦争」というのは、タクシーの顧客争奪戦を意味する場合が多いようです

タクシーは、道路を「流し」で走って手を挙げたお客を乗せる場合と、タクシー乗り場などに停車してお客を乗せる場合があります

タクシー乗り場は、お客が並んでる場合とタクシーが並んでる場合があるけど、たぶんタクシーが並んでる方が多い

タクシーの運転手にすれば、乗り場に長時間並んだあと、乗ってきたお客が1000円以下みたいな短距離だと、ガッカリするのは当然

タクシー運転手は、出来高給の割合が高いので

1日5~6万円くらいの水揚げ(売上)が無いと苦しい

1000円以下のお客なんか相手にしていては、目標達成は難しい

夜の六本木だと、

キャバクラとかガールズバーで遊んだお客には、帰りに遠くまで乗ってくれる金回りのいい「上客」が多い(チップもくれたりね)

そんなお店の集まってる狭いエリアでは、時刻が午前になったあたりから、空車タクシーの場所取り合戦になります

駐停車禁止とかマジメに守ってたら食っていけないよぉ、というのがタクシードライバーのホンネではないかな?

よく交通量の少ない道路脇とかにクルマを止めて昼寝してるドライバーがいますけど、「夜のタクシー戦争」に備えているのかもしれません

タクシー会社が常時ドライバーを募集しているのは、水揚げ(売上)が上がらず食っていけないと思ったドライバーがドンドン辞めて、その補充をしているからです

出来高給で固定費比率が低いから、タクシー会社としては多めに採用しても財務リスクになりにくく、応募があれば気楽に採用します

その結果、タクシーは供給過剰で、お客の奪い合いが常態化

麻布署の警察官に駐停車違反を告げられた運転手が

「俺らの税金でメシ食いやがって、このやろう!」

と文句を言いたい気持ちも分かる

駐停車違反 反則金12000円 違反点数2点

12000円もキツイだろうけど、点数が上限に届けば、運転できなくなって即失業

取り締まってる警察官もドライバーの窮状を知ってるだろうから、仕事とはいえ、人の良い警察官ならツライはず

もちろん、交通違反しないマジメなドライバーの方が多数派だとは思いますけどね

交通違反とは違うけど、タクシーセンターというのがあって、乗客からの以下のような苦情を受け付けてます

乗車拒否

わざと遠回り

危険運転(神風タクシー、現在ではほぼ死語)

接客態度が悪い

タクシーセンターは、「タクシー業務適正化特別措置法」に基づく国土交通省の関連団体(公益財団法人、たぶん天下り先)で、ここで苦情の多いタクシー会社には、キツ~イ行政処分がある

最悪はタクシー会社への営業許可の停止とか取消だから、経営を揺るがしかねない

タクシーで苦情を言うなら、タクシー会社よりタクシーセンターへ通報した方が、比較にならないほど効力絶大です

実際、ここで苦情の多いドライバーは、タクシー会社から危険視されて、すぐクビになるらしい(そんな奴を置いといたら、会社の営業許可が危なくなる)

タクシードライバーが恐いのが警察だとしたら、タクシー会社の経営者が恐いのは、たぶんタクシーセンター(とその背後にいる国土交通省)です

タクシーセンターの活用方法

もう20年くらい昔ですが、タクシーに乗ったら893みたいな荒っぽいクチをきく(ほとんど脅迫)、ものすごくしょーもないドライバーにぶつかったことがあり、即座にカネを払って降り、ナンバープレートをメモしてセンターへ通報しました

電話に出たタクシーセンターの人が「締め上げてやります!」と勇ましく言っていたのが、今でも記憶に残ってます

そのとき「運賃の返還を求めますか?」と尋ねられたので、「あんな893みたいな人と関わり合いになりたくないので、返還は不要です」と答えておきました

それ以来、凶悪ドライバーにぶつかってないので、通報はしてません

ここはかつて「タクシー近代化センター」と呼ばれていて、「泣く子も黙る」と言われてました(2002年に改名)

タクシードライバーの間では、略称「近セン」と呼ばれて、恐れられていたそうです

「近代化」と言うことは、それまでタクシー業界は「中世」だったのかな?

最近のタクシードライバーは温厚な方ばかりなので、中世を脱したようです

まあ最近の私は急いで移動する必要も減り、「歩くの大好き」で数キロくらいなら気楽に歩くし、それ以上ならたいてい電車があるから、タクシーに乗ることは少なくなりましたねぇ

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東洋英和女学院

▲六本木の鳥居坂通り 右が東洋英和

ネットニュースを見ていたら、東洋英和の中3・高1が夏休みカナダ研修という記事がありました

旅行費用の国内外価格差が減少(逆転)して、海外修学旅行が流行した時期がありましたが、最近は円安で騒がれなくなったけど、さすがお嬢さまの通う東洋英和は続けてますね(研修だから修学旅行とは少し違うのかな?)

東洋英和女学院は、大学は横浜にありますけど、幼稚園から高校までは六本木にあります

都内では新宿歌舞伎町と並ぶ「危険エリア」六本木ですから、こんなところへ子供を通わせて大丈夫なのかな?という気もしますが、子供の事故とか事件の話は余り聞かないですね

六本木の街を歩いていると、ランドセルを背負った子供とか制服を着た女子中高生などをよく見かけるのですが、その多くは東洋英和の生徒さんたちだと思います

六本木という場所柄、オシャレな制服を想像しますが、意外と普通ですね

私は以前、六本木駅の近くに30年くらい住んでいたので、東洋英和のある鳥居坂通りは、朝散歩などでよく歩きました

外苑東通りの猥雑な飲食風俗街から一本横道に入っただけなのですが、鳥居坂通りは静かな落ち着いた通りで、散歩道には最適でした

新宿歌舞伎町は広大な繁華街ですが、六本木の繁華街はそれに比べるとごく狭く、ちょっと横道に入ると落ち着いた麻布の住宅街です

六本木には、かつて陸軍歩兵連隊(聯隊)があって、二・二六事件の時はここから反乱軍の将兵が出撃して皇居方面へ向かいました

戦後は陸軍の敷地だった場所に米軍が駐留し、一気に横須賀みたいな米軍の街となり、流行や風俗の最先端を走ることになる

野地さんの本で有名なイタリアン「キャンティ」などのオシャレなお店に、三島由紀夫とか当時のインテリ文化人も集まるようになった

今年は三島由紀夫の生誕100年です

彼の早逝は誠に痛恨事でしたが、そのおかげで記憶の中の三島は常に若々しい

米軍が去って自衛隊の駐屯地となり、さらに自衛隊も去って、それが現在のミッドタウン

六本木は、日本の近現代史の縮図のような街です

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加藤和彦安井かずみも、鳥居坂の近くに住んでましたね

朝散歩2025夏 品川駅の山側

▲大改造中の品川駅

9月に入りましたが、まだまだ毎日スゴい暑さ (;^_^;;;)

今は基本的に、自宅のエアコン冷え冷えの部屋(26度くらいで湿度低めにしてる)にこもって、不要不急の外出はしない方針なのですが、それだけだと足腰が弱るので、週に1~2回は比較的涼しい早朝に朝散歩をしています

早いもので当地へ引っ越して来て6年、近所の散歩道は歩き尽くして、散歩道の新発見もほぼ無くなったので、最近の朝散歩は割とパタン化してます

パタン化と言っても実際は数パタンあるのですが、今日はそんな朝散歩の中から、割と典型的なコースを一つご紹介します

ご覧いただくと分かるように、品川駅の周辺は大工事の真っ最中で、新宿駅や渋谷駅と同じように「工事現場の中に駅がある」といった感じです

そんな中を週に1~2回、朝散歩している訳ですが、大工事中ですから歩くたびに工事の進行で微妙に散歩風景が変わります

たぶん数年後には、まったく道の様相が変わっていると思います

そこで、2025年夏の朝散歩コースの一つを、記録写真に残しておくことにしました

大ざっぱに言えば、朝6~7時ころに自宅を出て、チンタラ歩きながら品川駅を通り、高プリ(高輪プリンスホテル)の日本庭園を散策し、涼しいロビーでしばし休憩、また品川駅を通って帰ってくるというコース

1時間半~2時間くらいで、歩数に大したこだわりは無いけど、だいたい1万歩ちょっとくらいかな

ちなみに犬は(猫も)飼ってません

(^_^;)~♪


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牛丼すき家が一斉休業

上の2枚の写真は、今朝の朝散歩で、近所の牛丼「すき家」を撮ったもの

我が家の近所(品川駅周辺)には、すき家2軒と吉野家1軒があります

駅の規模が大きい割に、飲食店などが並ぶ繁華街の規模が小さい、というのが品川駅地元民の不満

私は舌が余り敏感ではないようで、微妙な味の違いが感じ取れず、すき家と吉野家の違いもよく分からない

何を食べてもけっこう美味しいし、牛丼は特にダイスキ

他に寿司と焼肉とハンバーグが好き(超子供舌)

ただ食べるのが異常に遅い(これは直りそうもない)

写真1枚目が港南二丁目店で、ここが近いのでよく行きます(月に2~3回)

そんな愛用している「すき家」さんですが、今日は臨時休業

数日前から「すき家」全店休業してる

もちろん、例の「ねずみ汁事件」のせいです

個人経営の外食店で料理にゴキブリ混入くらいは、実はザラにある話で、外食産業でバイトとかしたことのある人は、余りの不潔さに「外食したくなくなる」とかよく聞きます

むしろ「すき家」さんは、客席からよく見えるところに厨房がある店が多いので、かなり清潔な方ではないかなぁと思っています

ただ今回のように、味噌汁の中にネズミが泳いでるような生々しい映像がネットに流れると、巨大外食チェーンの本部としても放置することができません

今回の全店休業措置(売上減24億円)を決定するにあたり、「すき家」の経営トップは、死ぬほど悩み、熟考したのではないかなぁと推察します

で、その「すき家」を経営しているのが

外食チェーン「ゼンショー」のトップ

都立新宿高校出身の小川賢太郎

ということで、朝陽27につながってくる訳です

「ゼンショー」の本部が、品川駅の駅ビル(JR品川イーストビル)に入っているので、地元企業的な親しみも感じています

小川賢太郎氏は、都立新宿高校から東京大学に進学するも、全共闘運動にのめり込みすぎて中退

その後は港湾労働者として汗を流し、大学の外での労働運動に身を投じた

音楽家の坂本龍一より少し上の世代で(1948年生まれ)、全共闘運動に巻き込まれて共産主義に洗脳され、一時は道を踏み外したかと思いきや、そこから猛然と反撃に出て、今や日本の外食産業を代表する「外食王」

共産革命に情熱を燃やし、20代はいろいろ回り道してます

外食業界に足を踏み入れたのは1978年、30歳ころに吉野家に入社してから

吉野家で働きながら牛丼店のノウハウを学び、コツコツ貯めた500万円を元手にささやかな弁当屋からスタート

そして今やグループ店舗数 1万5109店(2024年3月末)という巨大企業グループを築き上げた、まさに立志伝中の人物

若いころは労働者の味方となって革命運動に奔走し、やがて経営者(資本家)として成功する

英国首相チャーチルの言葉を思い出しますね

20才で保守なら情熱が足りない

40才でリベラルなら知能が足りない

If you are not a liberal at 20, you have no heart.

If you are not a conservative at 40, you have no brain.

外食産業では、YouTubeに不潔なイタズラ動画が流れた「くら寿司」とか、たびたび社会問題化しています

今回の「ねずみ汁事件」も、悪質なイタズラではないかとの憶測もありますが、真相は闇の中

今回の「すき家」一斉休業という決断には、災い転じて福と成そうという、小川賢太郎氏の不屈の闘魂のようなものを感じます

(^_^;)~♪

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高輪の桜が満開

高輪プリンスホテル(高プリ)日本庭園の桜が満開です

今朝(3/31)の朝7時前、外気温8度、かなり寒い

花見なんかしてる人は、ほとんどいない ((((;゚д゚))))

写真をクリックすると拡大します

▲御殿山花見之圖

高輪(御殿山)は江戸時代まで東京湾に突き出た高台で桜の名所

台へ登る坂道に手すり用のを張ったので、高縄→高輪

現在の品川駅あたりが海岸で、その先は海、房総半島まで見えた

上の浮世絵の下の方に見える街並みは東海道品川宿で大繁華街

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品川駅は海岸にあった

品川駅の近くにある物流博物館では、いま鉄道古写真展が開催されています

上の写真の、ビーチ沿いに建つ小洒落た建物、今から130年以上も前の品川駅です

新橋横浜間に鉄道が正式開業する前に、品川横浜間で試験運転をしたので、横浜駅とともに日本で最も古くからある駅です

線路用地取得難で海岸沿いや海上(高輪築堤)に線路を作り、駅も海岸のすぐ近くで、駅前はすぐに海岸です

写真左上に見えるのが現在の三田(田町)のあたりで、幕末まで薩摩藩の江戸屋敷などがあり、幕府との間でドンパチあった場所です

その奥に見えるのが皇居(江戸城)、その右が江戸の下町でしょうか?

海岸に沿って東海道があり、大名行列や旅人など、江戸時代から賑わっていたエリアです

上の写真の右側、品川駅の南側に少し行くと、東海道の最初の宿場町「品川宿」がありました

その近くには鈴ヶ森刑場があり、江戸時代220年間に10~20万人が処刑されました

仮に15万人とすると、年に680人、毎日2人くらい死刑になっていた計算になります

有名な放火犯人、八百屋お七が処刑されたのもここです

現在のような科学捜査など無い時代で、自白させるための拷問も許されていましたから、冤罪も多かったと思われます

品川宿は江戸市街の入口にあたり、東海道を通って江戸に流入してくる人々に

「悪いことをすると、こうなるぞ!」

という警告(見せしめ)の役割も果たして、江戸の治安維持をはかっていました

今でも品川駅の近くには「旧海岸通り」という道路がありますが、今では周辺が埋め立てられて、近くに海は見えません

品川駅の場所は、上の写真の当時から変わっていませんが、周辺が激変した訳です

上の写真の右側の海が埋め立てられて(大正~戦前)、現在の港区港南エリアが出来ました

私が現在住んでいる場所は、数十年前まで海でした

品川駅は今、高輪ゲートウェイ駅周辺(来年春に本格開業)と共に大規模工事が進められていて、大きく変貌しつつあります

(^_^;)~♪

フシギな写真

何だかフシギな感じのする写真ですね

羽田に着陸体勢のJAL機

加工写真ではなく、実写のようです

どこから撮影したんだろう?

(・_・?)

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