.港区

東洋英和女学院

▲六本木の鳥居坂通り 右が東洋英和

ネットニュースを見ていたら、東洋英和の中3・高1が夏休みカナダ研修という記事がありました

旅行費用の国内外価格差が減少(逆転)して、海外修学旅行が流行した時期がありましたが、最近は円安で騒がれなくなったけど、さすがお嬢さまの通う東洋英和は続けてますね(研修だから修学旅行とは少し違うのかな?)

東洋英和女学院は、大学は横浜にありますけど、幼稚園から高校までは六本木にあります

都内では新宿歌舞伎町と並ぶ「危険エリア」六本木ですから、こんなところへ子供を通わせて大丈夫なのかな?という気もしますが、子供の事故とか事件の話は余り聞かないですね

六本木の街を歩いていると、ランドセルを背負った子供とか制服を着た女子中高生などをよく見かけるのですが、その多くは東洋英和の生徒さんたちだと思います

六本木という場所柄、オシャレな制服を想像しますが、意外と普通ですね

私は以前、六本木駅の近くに30年くらい住んでいたので、東洋英和のある鳥居坂通りは、朝散歩などでよく歩きました

外苑東通りの猥雑な飲食風俗街から一本横道に入っただけなのですが、鳥居坂通りは静かな落ち着いた通りで、散歩道には最適でした

新宿歌舞伎町は広大な繁華街ですが、六本木の繁華街はそれに比べるとごく狭く、ちょっと横道に入ると落ち着いた麻布の住宅街です

六本木には、かつて陸軍歩兵連隊(聯隊)があって、二・二六事件の時はここから反乱軍の将兵が出撃して皇居方面へ向かいました

戦後は陸軍の敷地だった場所に米軍が駐留し、一気に横須賀みたいな米軍の街となり、流行や風俗の最先端を走ることになる

野地さんの本で有名なイタリアン「キャンティ」などのオシャレなお店に、三島由紀夫とか当時のインテリ文化人も集まるようになった

加藤和彦安井かずみも、鳥居坂の近くに住んでましたね

今年は三島由紀夫の生誕100年です

彼の早逝は誠に痛恨事でしたが、そのおかげで記憶の中の三島は常に若々しい

米軍が去って自衛隊の駐屯地となり、さらに自衛隊も去って、それが現在のミッドタウン

六本木は、日本の近現代史の縮図のような街です

(^_^;)~♪

朝散歩2025夏

▲大改造中の品川駅

9月に入りましたが、まだまだ毎日スゴい暑さ (;^_^;;;)

今は基本的に、自宅のエアコン冷え冷えの部屋(26度くらいで湿度低めにしてる)にこもって、不要不急の外出はしない方針なのですが、それだけだと足腰が弱るので、週に1~2回は比較的涼しい早朝に朝散歩をしています

早いもので当地へ引っ越して来て6年、近所の散歩道は歩き尽くして、散歩道の新発見もほぼ無くなったので、最近の朝散歩は割とパタン化してます

パタン化と言っても実際は数パタンあるのですが、今日はそんな朝散歩の中から、割と典型的なコースを一つご紹介します

ご覧いただくと分かるように、品川駅の周辺は大工事の真っ最中で、新宿駅や渋谷駅と同じように「工事現場の中に駅がある」といった感じです

そんな中を週に1~2回、朝散歩している訳ですが、大工事中ですから歩くたびに工事の進行で微妙に散歩風景が変わります

たぶん数年後には、まったく道の様相が変わっていると思います

そこで、2025年夏の朝散歩コースの一つを、記録写真に残しておくことにしました

大ざっぱに言えば、朝6~7時ころに自宅を出て、チンタラ歩きながら品川駅を通り、高プリ(高輪プリンスホテル)の日本庭園を散策し、涼しいロビーでしばし休憩、また品川駅を通って帰ってくるというコース

1時間半~2時間くらいで、歩数に大したこだわりは無いけど、だいたい1万歩ちょっとくらいかな

ちなみに犬は(猫も)飼ってません

(^_^;)~♪


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牛丼すき家が一斉休業

上の2枚の写真は、今朝の朝散歩で、近所の牛丼「すき家」を撮ったもの

我が家の近所(品川駅周辺)には、すき家2軒と吉野家1軒があります

駅の規模が大きい割に、飲食店などが並ぶ繁華街の規模が小さい、というのが品川駅地元民の不満

私は舌が余り敏感ではないようで、微妙な味の違いが感じ取れず、すき家と吉野家の違いもよく分からない

何を食べてもけっこう美味しいし、牛丼は特にダイスキ

他に寿司と焼肉とハンバーグが好き(超子供舌)

ただ食べるのが異常に遅い(これは直りそうもない)

写真1枚目が港南二丁目店で、ここが近いのでよく行きます(月に2~3回)

そんな愛用している「すき家」さんですが、今日は臨時休業

数日前から「すき家」全店休業してる

もちろん、例の「ねずみ汁事件」のせいです

個人経営の外食店で料理にゴキブリ混入くらいは、実はザラにある話で、外食産業でバイトとかしたことのある人は、余りの不潔さに「外食したくなくなる」とかよく聞きます

むしろ「すき家」さんは、客席からよく見えるところに厨房がある店が多いので、かなり清潔な方ではないかなぁと思っています

ただ今回のように、味噌汁の中にネズミが泳いでるような生々しい映像がネットに流れると、巨大外食チェーンの本部としても放置することができません

今回の全店休業措置(売上減24億円)を決定するにあたり、「すき家」の経営トップは、死ぬほど悩み、熟考したのではないかなぁと推察します

で、その「すき家」を経営しているのが

外食チェーン「ゼンショー」のトップ

都立新宿高校出身の小川賢太郎

ということで、朝陽27につながってくる訳です

「ゼンショー」の本部が、品川駅の駅ビル(JR品川イーストビル)に入っているので、地元企業的な親しみも感じています

小川賢太郎氏は、都立新宿高校から東京大学に進学するも、全共闘運動にのめり込みすぎて中退

その後は港湾労働者として汗を流し、大学の外での労働運動に身を投じた

音楽家の坂本龍一より少し上の世代で(1948年生まれ)、全共闘運動に巻き込まれて共産主義に洗脳され、一時は道を踏み外したかと思いきや、そこから猛然と反撃に出て、今や日本の外食産業を代表する「外食王」

共産革命に情熱を燃やし、20代はいろいろ回り道してます

外食業界に足を踏み入れたのは1978年、30歳ころに吉野家に入社してから

吉野家で働きながら牛丼店のノウハウを学び、コツコツ貯めた500万円を元手にささやかな弁当屋からスタート

そして今やグループ店舗数 1万5109店(2024年3月末)という巨大企業グループを築き上げた、まさに立志伝中の人物

若いころは労働者の味方となって革命運動に奔走し、やがて経営者(資本家)として成功する

英国首相チャーチルの言葉を思い出しますね

20才で保守なら情熱が足りない

40才でリベラルなら知能が足りない

If you are not a liberal at 20, you have no heart.

If you are not a conservative at 40, you have no brain.

外食産業では、YouTubeに不潔なイタズラ動画が流れた「くら寿司」とか、たびたび社会問題化しています

今回の「ねずみ汁事件」も、悪質なイタズラではないかとの憶測もありますが、真相は闇の中

今回の「すき家」一斉休業という決断には、災い転じて福と成そうという、小川賢太郎氏の不屈の闘魂のようなものを感じます

(^_^;)~♪

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高輪の桜が満開

高輪プリンスホテル(高プリ)日本庭園の桜が満開です

今朝(3/31)の朝7時前、外気温8度、かなり寒い

花見なんかしてる人は、ほとんどいない ((((;゚д゚))))

写真をクリックすると拡大します

▲御殿山花見之圖

高輪(御殿山)は江戸時代まで東京湾に突き出た高台で桜の名所

台へ登る坂道に手すり用のを張ったので、高縄→高輪

現在の品川駅あたりが海岸で、その先は海、房総半島まで見えた

上の浮世絵の下の方に見える街並みは東海道品川宿で大繁華街

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品川駅は海岸にあった

品川駅の近くにある物流博物館では、いま鉄道古写真展が開催されています

上の写真の、ビーチ沿いに建つ小洒落た建物、今から130年以上も前の品川駅です

新橋横浜間に鉄道が正式開業する前に、品川横浜間で試験運転をしたので、横浜駅とともに日本で最も古くからある駅です

線路用地取得難で海岸沿いや海上(高輪築堤)に線路を作り、駅も海岸のすぐ近くで、駅前はすぐに海岸です

写真左上に見えるのが現在の三田(田町)のあたりで、幕末まで薩摩藩の江戸屋敷などがあり、幕府との間でドンパチあった場所です

その奥に見えるのが皇居(江戸城)、その右が江戸の下町でしょうか?

海岸に沿って東海道があり、大名行列や旅人など、江戸時代から賑わっていたエリアです

上の写真の右側、品川駅の南側に少し行くと、東海道の最初の宿場町「品川宿」がありました

その近くには鈴ヶ森刑場があり、江戸時代220年間に10~20万人が処刑されました

仮に15万人とすると、年に680人、毎日2人くらい死刑になっていた計算になります

有名な放火犯人、八百屋お七が処刑されたのもここです

現在のような科学捜査など無い時代で、自白させるための拷問も許されていましたから、冤罪も多かったと思われます

品川宿は江戸市街の入口にあたり、東海道を通って江戸に流入してくる人々に

「悪いことをすると、こうなるぞ!」

という警告(見せしめ)の役割も果たして、江戸の治安維持をはかっていました

今でも品川駅の近くには「旧海岸通り」という道路がありますが、今では周辺が埋め立てられて、近くに海は見えません

品川駅の場所は、上の写真の当時から変わっていませんが、周辺が激変した訳です

上の写真の右側の海が埋め立てられて(大正~戦前)、現在の港区港南エリアが出来ました

私が現在住んでいる場所は、数十年前まで海でした

品川駅は今、高輪ゲートウェイ駅周辺(来年春に本格開業)と共に大規模工事が進められていて、大きく変貌しつつあります

(^_^;)~♪

フシギな写真

何だかフシギな感じのする写真ですね

羽田に着陸体勢のJAL機

加工写真ではなく、実写のようです

どこから撮影したんだろう?

(・_・?)

種明かしはこちら

 

品川駅の再開発

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▲品川駅中央通路

 

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東京の品川駅周辺が、さらに大きく変貌しつつあります

もともと品川駅の港南口には東京湾に面した倉庫が多くて、そこで働く港湾労働者や運送トラックの街、つまり肉体労働者の街でした

25年くらい前から品川インターシティなどの再開発が始まり、港南口にはソニー本社(→)、NTTデータ、キヤノン、ニコンなど、大企業のオフィスビルが次々に出来ました

今では、ちょっとした丸の内や大手町のようなオフィス街が形成されています

多くの倉庫跡地には高層マンションが林立して、現在ではタワマン街になっています

そしてごく最近、さらに大規模な再開発が品川駅周辺で進んでいます

リニア中央新幹線の始発駅建設(静岡県知事→が必死になって邪魔してますけどね)

JR品川駅と駅ビルの大改造(今までの高輪口駅ビルがショボ過ぎました)

高輪ゲートウェイ駅(↓)周辺の再開発(大型駅ビル、いくつも建設中)

高輪口の旧ホテルパシフィック跡地再開発(トヨタの東京本社などが出来ます)

京急とJRのホーム平面化工事(京急がJRと同じ1階へ下がってホームが1本増えますが、品川駅を出て横浜方面へ向かう京急線は、スグに急坂を登ることになります)

京急八ッ山橋跨線橋の掛替工事(「開かずの踏切」と言われていた京急八ッ山橋踏切が、立体交差で便利になりそう)

北品川駅周辺の再開発(★下の記事がこれです)

などが並行して進行中で、あと数年で品川駅周辺は、さらに大きく変貌します

 

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▲高輪ゲートウェイ駅

ほとんど「品川駅の中にある」と言っていいほど品川駅に近い

 

なお品川駅の南側に「北品川駅」があったり、「品川駅」なのに品川区ではなく港区にあったりとか、いろいろ歴史的な事情があって面白いですよ

下の地図にある「くら寿司」は、我が家から近いので、ときどき食べに行きます

この北品川駅の近くを旧東海道が走っていて、江戸時代を感じさせるレトロな商店街になってます

(^_^;)

 

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東京都品川区の「品川浦周辺地区再開発協議会」は、JR品川駅南側周辺で三つの再開発準備組合を2023年10月下旬に設立しました。

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約13ヘクタールの敷地を三つの街区に分けて、再開発ビルなどの建設を検討します。

対象区域は北品川一丁目と東品川一丁目にまたがるエリアです。

屋形船(→)や釣り船が停泊する品川浦を囲むように南、西、北の3街区に分かれ、うち西街区は京急本線の北品川駅が立地します。

北側はJR品川駅や同駅東口地区の再開発で整備した品川インターシティなどの高層ビル群が近接しています。

南街区
面積-約40,000㎡
準備組合-品川浦周辺南地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月28日
事業協力者-旭化成不レジデンス、東京建物、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、五洋建設、大林組、東急不動産

北街区
面積-約60,000㎡
準備組合-品川浦周辺北地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月30日
事業協力者-旭化成不レジデンス、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、清水建設、大林組、京浜急行電鉄、住友不動産、中央日本土地建物、東急不動産、長谷工不動産

西街区
面積-約35,000㎡
準備組合-品川浦周辺西地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月31日
事業協力者-旭化成不レジデンス、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、五洋建設、清水建設、京浜急行電鉄