古代史
卑弥呼の愛犬?
奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で出土した3世紀前半の犬が復元され、桜井市立埋蔵文化財センターと市役所で公開されている
邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の愛犬ではないか?
とも考えられており、愛称募集には1300件を超える応募という人気ぶり
卑弥呼について、いわゆる魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は
「年すでに長大なるも夫なし。見る者少なし」
と記しており、人前に姿を見せない霊能力を持った女性だったようだ
女王といえば華やかなイメージもあるが、愛犬で孤独を癒やす老女の姿もイメージできる
犬を飼っている人が認知症になるリスクは飼っていない人よりも低いそうだし、「歩くの大好き」ではない人でも、犬に誘われて毎日歩くのが習慣(犬の散歩)になっている人も多い
邪馬台国と言えば「どこにあったか?」が昔から古代史論争の大テーマ
九州説と近畿説があるが、そのほか日本中のあらゆる場所が候補地になっていて、「邪馬台国は火星にあった」などというトンデモ説もある
古代史は分からないことが多く、誰でも好き勝手な説を唱えることが出来るので、それが古代史の魅力にもなっている
私は作家の松本清張がダイスキで、最初は推理小説を楽しんでいたんだけど、彼は古代史関係も大量に書いていて(古代史専門の大学教授もタジタジになるほど詳しかった)、それで私も一時、古代史にのめりこみました
確かに古代史は謎だらけなので、読んでいると推理小説みたいです
邪馬台国近畿説なら、纒向遺跡は最有力の候補地になります
纒向遺跡は非常に巨大な遺跡で、現在把握されているだけでも300万平米もあり、発掘史料から察するに、単なる自然発生的な集落ではなく、「計画された都市」らしい
纒向遺跡の中にある箸墓(はしはか)古墳は、「卑弥呼の墓」ではないかとも言われている
卑弥呼という名前は、当時の「ひのみこ」という呼び名を、魏志倭人伝を書いた中国人が漢字表記したものだと考えられている
多分「日の巫女」で、太陽神(アマテラス?)に仕える霊能者としての役割を当時の日本人が説明し、それを聴いた中国人が固有名詞(人名)だと受け取めて、魏志倭人伝に当て字で「卑弥呼」と書いたのだろう(当時の日本には、文字は無かったらしい)
すでに弥生時代、水田農業(コメ作り)が始まっていた日本で、日当たりと日陰ではコメの育ちがまったく違うことから、「コメを実らせる元」として太陽を崇拝していたのではないかな?
現在の日本の国旗(日の丸)だって、太陽崇拝の旗だ
日本人とコメの付き合いは長いね
(^_^;)~♪
▲箸墓古墳
ウラヤミ系 修羅場 YouTube 対岸の火事
ネット上には、「裏」「闇」「修羅場(しゅらば)」というようなキーワードに該当する情報がある
私は「ウラヤミ系」と勝手に呼んでいる
世間体を考えて乙に澄ましている「オモテの顔」の背後に、人間のドロドロした欲望が渦巻いていて、それが時々露出している場面がウラヤミ系の舞台だ
ヤクザなど反社勢力や犯罪現場が登場することも多いが、犯罪までいかなくても、不倫などの男女関係や、嫁姑対立など家族関係に関する修羅場も多い
昔は(今でもあるが)「アサヒ芸能」とか「週刊大衆」みたいなスキャンダル専門雑誌があって、芸能人や有名人の修羅場を扱っていたし、テレビのワイドショーなども似たような世界
今はネットで誰でも情報発信できるので、ごく普通の一般人の修羅場情報が、ネット上には山ほどアフレている
共和制ローマ期(紀元前1世紀)のエピクロス派の哲学者(詩人)に、ルクレティウス(→)という人がいる
彼はその著書『物の本質について』(De Rerum Natura)の中で、次のように書いている
「大海で風が波を掻き立てている嵐の時、安全な陸の上から(船に乗った)他人の苦労をながめているのは面白い。
他人が困っているのが面白い楽しみだと云うわけではなく、自分はこのような不幸にあっているのではないと自覚することが楽しいからである。
野にくりひろげられる戦争の大合戦を、自分がその危険に関与せずに見るのは楽しい。
とはいえ、何ものにも増して楽しいことは、賢者の学問(哲学)を以て築き固められた平穏な殿堂にこもって、高所から人を見下し、彼らが人生の途を求めてさまよい、あちらこちらと踏み迷っているのを眺めていられることである。
才を競い、身分の上下を争い、日夜甚だしい辛苦を尽くし、富の頂上を極めんものと、また権力を占めんものと、あくせくしているのを眺めていられることである。」
「対岸の火事」「他人の不幸は蜜の味」などと言うが、ルクレティウスはその心情を、セキララに、ぬけぬけと、哲学的な詩に書いている
大昔(紀元前1世紀)の人だが、人間のこの辺の心情は、2千年たっても変わらない
人類が自我(自意識)を持つようになった、たぶん数百万年前からずっと変わらない、人間の持つ根源的な心情の一つなのだろう
グーグルやYouTubeで「修羅場 不倫」などと入れると、その種の「対岸の火事」情報が山ほど出て来る
上の動画はその中の一つで、特に厳選したものではなく、この程度の平凡な修羅場情報ならネット上にありふれている
中には、不倫された側からの報復(復讐)が徹底していて、不倫した側を精神的にも経済的にも社会的にも、地獄の底までトコトン追い詰めていくようなスサマジイ動画もある
普段はおとなしい温厚な人でも、怒らせたら怖い人は確実に存在する
どちらかと言うと、妻に不倫された夫が、腹いせや同情集め、あるいは第三者のアドバイスを求めて、2チャンネルなどのネット掲示板に不倫の経緯を投稿(カキコ)するケースが多い
どう考えても不倫妻より不倫夫の方が多いと思うのだが、夫に不倫された妻からの情報が少ないのは、ネット掲示板の利用者に男が多いからだろう
それらの掲示板情報を整理して動画化したのが、修羅場 YouTube
投稿者は最初に「スペック」といって、自分や配偶者(汚嫁)、不倫相手(間男)などのプロフィール(子の有無、美人やイケメンかどうか、職業、年収、性格、愛情や打算の有無など)を紹介する
この種の投稿が多いせいか、この辺の書き方のスタイルは確立されている感じがする
それから不倫発覚の経緯とその後の動き(興信所や弁護士が登場する場合が多い)や報復(復讐)について説明していく流れだ
「今日、不倫現場に踏み込んだ」(→)とか、現在進行形の生々しい情報が多くて臨場感がある
その都度、掲示板を閲覧している第三者からの意見や質問、アドバイス、ツッコミが入る
最初はこんなの閲覧数かせぎの作り話ばかりだろうと思っていたのだが、非常にリアリティの高い描写が多いので、最近は実話の方が多いのではないかと思い始めている
(^_^;)
「ちくわぶ」は東日本 紀文の鍋白書2022
そろそろ鍋が恋しい季節になりました
東西に長い日本列島ですので、食の好みが東西で異なるのは当然かもしれません
古代史的に言えば、縄文系と弥生系の違いもありそうです
私はおでん種では、「ちくわぶ」と「はんぺん」がダイスキ
熱くてフワっとした食材が、口の中でとろけるような感じがたまらない
あー、日本人に生まれて良かった!
(^_^;)
紀文食品の「鍋白書2022年度版」で、おでん種の地域分布を調査。
「ちくわぶ」は東日本で、「豆腐・焼き豆腐」は西日本で多い。
「家庭でおでんを作る時に、よく入れるおでん種」
をテーマとして、48種類のおでん種の喫食率について、上位10都道府県を算出。
練り物では、関東・南東北でよく用いられるのが「つみれ」で、イワシを原料にしたものが多いそうです。
中四国・九州でよく用いられるのが「かまぼこ」で、白色より紅色の方がおでん種として利用されているようです。
白い食材では、18位まで東日本の県で独占し、関東・南東北で圧倒的に喫食率の高いのが「ちくわぶ」(←)です。
これに対し、大豆加工品の「豆腐・焼き豆腐」は中四国と九州と北陸で上位10県を占めており、西日本で多く食べられています。
がんもどきで8位、厚揚げで5位の京都は、豆腐・焼き豆腐でも14位となりました。
盆ジョヴィ
花火大会や盆踊り(Bon Dance)のシーズンもそろそろ終わりかな?
最近では海外の音楽を取り入れて、駅前がクラブ化している盆踊りもあるようです
盆踊りは今では仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)に関連付けられて仏教行事の一種とされていますが、元々は素朴に祖先の冥福を祈るもので、日本に仏教が伝来する(約1500年前)よりはるか前から行われていたようです
さらに盆踊りは、男女が出会う場でもありました
今から1万年前の縄文時代、盆踊りに参加した人たちの関心は「祖先の冥福」よりも、「素敵な異性」を見つけることに注がれていたと思います
すでに死んだ祖先より、これから生まれて来る子孫をつくることに関心を注ぐのは、生き物の本能です
同じムラの中だけで相手を探していると近親交配になるので、盆踊りで近隣のムラとムラの若い男女の交流が図られたのでしょう
このような行事は「歌垣」(うたがき)などとも呼ばれて、今でも世界の未開民族では年中行事として残っています
キャンプファイアーのような中央の大きな焚き火を囲み、お酒を飲んで(おそらく原始的なお酒はあったと思う)踊り狂いながら、縄文時代の若い男たちは目当ての女性にアタックしたのではないかと思います
電気が無い時代ですから、中央の焚き火から少し離れれば、完全に真っ暗な闇の世界です
もう何でもやりたい放題(乱交パーティー)だったのかもしれませんね~
(^_^;)
今年も中野の盆踊り大会で「盆ジョヴィ」が行われました。
お盆の時期に迎えた祖霊、精霊をもてなし、死者の世界に再び送り返す事を主眼とする「盆踊り」。
パンデミック以降は全国的に中止が続いていましたが、行動制限を伴わない3年ぶりのお盆休みという事もあり、この夏は日本各地で盆踊り大会が復活しています。
盆踊りでは一般的に「炭坑節」、「八木節」、「東京音頭」など、伝統的な民謡が用いられますが、近年は多様化しています。
特に中野駅前の大盆踊り大会が元祖とされている、世界的ロックバンド「ボン・ジョヴィ」(→)の、「Livin’ on a Prayer」を用いた盆踊りは大反響を呼び、「盆ジョヴィ」として親しまれています。
世界遺産 縄文遺跡
上の写真は、三内丸山遺跡のシンボル、巨大な物見やぐら?
右は、ギッチリ詰めれば数百人が集会を開けそうな巨大建築で、30×10メートルくらいあります
下のニュースにも書いてありますが、遺跡というものは基本的に、地下に埋まっているので、地上からは簡単には見えません
上のような建物は、柱の跡(穴)などから、現代の考古学者が推察して地上に再現した実物大の模型です
正しいのは、柱の位置と太さや深さくらいで、あとは考古学者の想像(空想)です
左の物見やぐらも、本当に4階建てだったのか、高さや形なども、真実は闇の中です
右の巨大建物(公民館?)も、屋根が茅葺きになっていたのか、こんな形だったのか、こんな大きな建物の中で何をしていたのか、正確なところは不明で、ほとんどは考古学者の想像です
でも巨大な遺跡(多くは県立や市立の遺跡公園と資料館になっている)を維持し、今後の発掘研究の費用を捻出するためには、歴史マニアのお客さんをいっぱい呼び込んで、入場料収入をいただく必要があります
そこで、なるべく話題性があってニュースネタになりそうな地上模型を作るのも、考古学者の腕の見せ所かもしれません
もちろん真っ赤なウソは、いけないんですけどね
とにかく世界遺産に登録されれば、またお客さんで、ドット混むことでしょう
* * * * * * * * * *
20年くらい前に、遺跡(石器)をねつ造する事件がありました
余りにも見事に石器を発掘(発見)するので「神の手」と呼ばれていた考古学者が、実は事前に自分で石器を埋めて、それを後から掘り出して「発見」したと主張していたことが発覚した事件です
当時は大騒ぎになりました
これは縄文時代より前の旧石器時代(260~1万年前)のことなのですが、考古学者だって人の子ですから、「大発見をして脚光を浴びたい」という欲求はあって当然です
「神の手」(藤村新一、→)が発見した石器は、後から調べたらいろいろ矛盾だらけだったのですが、考古学会の主流は、その矛盾を追求せずに、彼の「発見」を鵜呑みにしていました
このねつ造(犯罪)をあばいたのが、考古学者ではなく新聞記者だったので、考古学会に対する世間の信用は地に堕ち、日本の旧石器時代の歴史は、全面的に書き換えを迫られました
一部の考古学者の間で「あるウワサ」が広がっているのを聞きつけた新聞記者が、夜中に遺跡の近くで張っていたら「神の手」がやってきて、石器を埋めていたのです
もちろんカメラマンも一緒でしたから、バッチリ証拠写真を撮って公表しました
私は、ある考古学者が書いた旧石器時代の本を、事件の前と後に出た2冊もっていますが、まったく書いてあることが変わっています
(^_^;)
ユネスコは7/27、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産への登録を決めた。
ユネスコの諮問機関は5月、
「先史時代の農耕を伴わない定住社会と複雑な精神文化、
定住社会の発展段階や環境変化への適応を示している」
と報告した。
「縄文都市」の異名を持つ巨大集落、三内丸山遺跡(青森市)では、道路や大型建物を計画的に作ったことが分かるほか、石を環状に並べた大湯環状列石(秋田県)は葬送や祭祀(さいし)の文化をうかがわせる。
御所野遺跡(岩手県)では、焼けた木の実が見つかり、祭りに火が使われていた可能性が判明した。
地元自治体は観光への効果に期待するが、遺跡自体は定住跡などで地中にあるものも多い。
観光資源とするためには、わかりやすく価値を伝える工夫が必要になる。
読書 ブッダ
手塚治虫(→)がブッダの一生を描いた有名な作品
全14巻3000ページ以上、一気に読みましたが、重厚な読み応えでした
以前に一度読んだような気もするのですが(途中までかもしれない)、ほとんど内容を忘れていたので、新鮮な気分で読めました
仏教書は哲学っぽい本が多いのですが、本書は大河ドラマのようにブッダの一生を描いていて、子どもでもそれなりに楽しめるようになっています
前半は、若いブッダが悟りに至るまでに迷いと苦悩の日々
後半は、多くの教祖がそうであるように、世間の無理解と弾圧に遭いますが、それらに対してガンジーのように非暴力で対応し、信者を得て教団を大きくしていきます
世界を征服していこうとする男性的な一神教(ユダヤ・キリスト・イスラム教)に対して、自分を世界に溶け込ませ一体化しようとする女性的な仏教
私は仏教信者ではありませんが、聖徳太子以来1000年以上、仏教の教えは日本人の生活や思考、行動様式、文化などに深く浸み込んでいるので、気が付くと仏教の価値観で読んでいる自分がいたりします
(^_^;)
読書 ブッダが考えたこと
ブッダ(仏陀)は、本来は「目覚めた人」の意
言うまでも無く、仏教の創始者「お釈迦さま」であり、本名は「ゴータマ・シッダールタ」で、インドの地方豪族であったゴータマ族の王子、シッダールタさんということになっている
実在した人物であったことは、ほぼ間違いがないとされているが、生没年について正確なことは不明で、紀元前5~7世紀の人であろうと言われている
著者は、インド哲学の研究者で、お坊さんや仏教信者ではなく、あくまでもインド哲学の一つとして、バラモン教、ジャイナ教などとも比較しながら、かなり冷静に「哲学としての仏教」を扱っている
特にインド哲学の根幹である輪廻説(りんねせつ)の説明は、著者独自の見解も含まれていて、読みごたえがある
本書を読む前から感じていたことではあるが、仏教は哲学としてみると、非常に奥が深い
ブッダ本人の言葉に最も近い「スッタニパータ」などの原始仏典を見ても、認識論や存在論について、非常に高度な哲学を展開している
別にキリスト教を馬鹿にするつもりは無いが、原始仏典に比べると、聖書の哲学は子供じみている
宗教は、必ずしも哲学である必要は無いから、それはそれで構わない
ブッダは、若い頃に人間の生老病死の苦について深く悩み、将来の王になる身分を捨てて出家し、苦行や瞑想を経て、菩提樹の下で悟りを得たとされている
重要なのは、この「悟りを得た」の具体的な内容だ!
何を、どのように考えて、どのような結論に至ったのか?
どのような結論ならば、「悟りを得た」と言えるのか?
この最も重要な点で、多くの仏教書の説明は、曖昧模糊としている
それもそのはずで、多くの仏教書の著者は、お坊さんや仏教信者で、教祖であるブッダの思索について、余り具体的に突っ込んで記述することを避けているきらいがある
教祖というものは、神秘的な雰囲気を帯びていた方が、信者にとっては信仰のしがいがあるということかもしれない
お坊さんや仏教信者は、特定の宗派(浄土真宗とか日蓮宗とか)に属しているから、その宗派の教え(教学)との兼ね合いもある
余り自由奔放に原始仏教について語ると、属している宗派内での、自分の立場が悪くなる恐れもある
私は敬虔な仏教信者ではない
葬式や墓参り、あるいは旅や散歩でお寺に行くことはあるが、信仰心は平均的な日本人と余り変わらない(それ以下かもしれない)
私は敬虔な仏教信者ではないが、哲学者としてのブッダの思索(哲学)には大いに興味があるので、この点で従来の仏教書には、少々物足りないものを感じていた
かと言って、「スッタニパータ」などの原始仏典を読むと、ブッダが一般の衆生に向けて分かりやすく説明するために、非常に多くのたとえ話などが混じり、文章も冗長だ
そのために、哲学的な思索の焦点が、ややボケているようにも感じられる
そのものズバリ、ブッダは2700年くらい前に、何を考え、何を結論としたのか?
本書は、それに対する答えを、私が今までに読んだどの仏教書よりも、ストレートに説明しているように感じた
【追記】
私は敬虔な仏教信者ではないが、海外旅行などで書類に「religion(宗教)」の欄があったら「Buddhist(仏教徒)」と記入している
「Muslim(イスラム教徒)」などと書くとテロリストと疑われそうだし、「Jewish(ユダヤ教徒)」では差別されそうだ
「No religion(無宗教)」が最悪で、キリスト教徒から、悪魔を見るような目で見られかねない
「Buddhist(仏教徒)」が一番無難なのだ
(^_^;)
18000年前の音楽
▲クリックすると聴けます
いまでも日本の山伏さんたちは
使っていますね
(^_^;)
いまからおよそ18000年前のことだ。
現在のフランスにある洞窟の内部に、誰かが珍しい忘れ物をしていった。
ホラガイの貝殻である。
といっても、ただの貝殻ではない。
先端のとがった部分が削られ、息を吹き込めるように加工されていたのだ。
研究者たちはCTスキャンなどの画像技術を駆使し、貝殻をこれまでに発見された最古の楽器へと変身させた後期旧石器時代の人の素晴らしい仕事ぶりを証明してみせた。
そのうえ科学者らは音楽家に演奏を依頼し、数千年にわたる沈黙からその音色をよみがえらせたのである。
読書 教説と手紙
快楽主義者のことをエピキュリアンと呼ぶが、エピクロスはその元祖
快楽主義という言葉のイメージとは逆に、人生の雑事を「苦」と考え、それからの解放を「快」としたので、その哲学の理想はむしろストア哲学(禁欲主義)に近い
大欲は無欲に通じるという禅の境地や、涅槃(欲望から解放された悟り)を理想とした原始仏教の境地にも似ている
人間(特に男)は若いうちは肉体的欲望の奴隷となりやすいので、老年こそ欲望から解放された、人生の最も充実した時代としている
その規範をひと言で言えば
「隠れて生きよ」
となって、世間の雑事に煩わされることなく、なるべく俗人に出会うことの少ない場所で静かに生きることを勧めている
ここまで来ると、老荘の無為自然の境地にも近くなり、深山幽谷に住む仙人のような生き方になる
エピクロスは非常に多くの著作を書いたが、そのほとんどは隠滅してしまい、現在残っているのはディオゲネス・ラエルティオスが「ギリシア哲学者列伝」に残した引用(つまり本書)だけとなっている
この時代の哲学は、自然哲学(世界観、のちの自然科学)と人生哲学(人生観、いかに生きるべきか)から成っているが、自然哲学は古代原子論(アトム)による説明で、現代人には少々退屈
人生哲学は、のちの哲学が非常に難解になったのに比べると単純明快で、現代人にも親しみやすい
本書には3つの手紙が含まれているが、最初の2つは主に自然哲学なので、ここで退屈して読むのをやめてしまうともったいない
3つ目の手紙(メノイケウス宛の手紙)から読むのがいいと思う
(^_^;)