92【東京近郊エリア】

日本橋を歩く

両国駅周辺でサンマルク会があったので、その直前に、東京駅から両国駅まで歩きました

日本一高い「トーチタワー」建設現場、さらにもうすぐ撤去される日本橋の上の高速道路も見ました

(^_^;)~♪

当日の写真へ(140枚)

西武園レトロ会

▲ Mr.アイルトン・ハセ 山潤さん たけちゃん 私

昨日6/8、サンマル会西武園ゆうえんち昭和レトロ体験ツアー

午前中の雨も上がって、暑くもなく寒くもなく、快適なお天気でした

遊園地って、ウン十年ぶりかな?

と思ったけど、日記を見たら13年前に後楽園遊園地でジェットコースターに乗ってる

童心に戻ってのどかな「夕陽の丘レトロ商店街」、だけじゃなくて

体感型VR(ヴァーチャル・リアリティ)

「ゴジラ・ザ・ライド」

「ウルトラマン・ザ・ライド」 

ハンパない大迫力でした!

参加には、身長と体重に制限があります

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▼これは、たけちゃんからいただいた、半世紀以上前の多摩湖の写真

都内小学生の遠足の定番

▼これは昨日

▼小学校3年生 世田谷のお坊ちゃんお嬢ちゃんたち(このころは一面畑?)

▼これは昨日乗った西武山口線、まだ園内遊具だった時代

▼これは山潤さんからいただいた、昨日「夕陽館」前の特撮写真

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昨日6/8の写真へ(約280枚)

湘南×宇宙

なんかまだよく分からないけど、「湘南×宇宙」が動き出してるみたい

私は最近、中学友人Uちゃんと一緒に、横浜の歴史を歩く会「ハマ研」を始めたんですけど、特に「みなとみらい」エリアを歩いていると、未来都市にいる気分になります

実は横浜ってここ150年くらい

常に日本の「未来都市」だった

日本最大の「巨大都市・東京(江戸)」のすぐ近くに出来た、「実験都市・横浜

幕末でも歩いて1日ですから、そんなに遠くない

明治になり日本最初の鉄道ができると、1時間で行ける「すぐそこにある未来になって、当時も今も先進的な人々を引きつけてきた街、それが横浜

その延長線上にある湘南は、常に日本の流行の最先端でした

そんな湘南に「湘南スペースパーク」というのができるらしい

宇宙ビジネスと言うと、イーロン・マスクとか、日本ならホリエモンとか、ベンチャー系の印象が強いですけど、いよいよ日本の大企業や行政、大学などが本腰を入れて取り組み始めたのかな?

昔から日本人には、集団の意思決定に時間がかかるので動き出すのは遅いけど、いったん動き出すと非常に速くて、先行者をあっという間に抜き去るという評価がありました

バブル崩壊以降、たまたま日本社会の急激な高齢化にぶつかったこともあり、経済の低成長や円安が続いてますけど、そろそろ日本の底力を発揮して欲しいなぁ

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神奈川宇宙サミット2026 湘南スペースパーク構想

横浜を歩く(ハマ研) 「横浜」をつくった男

動画をスマホで観るときは、スマホを横にしてご覧ください

多摩ファミ フレンズコンサート2026

山潤さんのマリンバ演奏

ご利用ネット回線の速度や接続状態によっては、動画を視聴できない、動画の開始まで時間かかる、動きが途中で止まる、などといった不具合が出る場合もあります

スマホの場合、画面を横にしてご覧ください

▼0▼テスト演奏 「NHK今日の料理」

山潤さんによると、番組「今日の料理」の企画立ち上げ当初はテーマソングを入れる予定はなかったが、初回放映前日になって急遽入れることになり、作曲家の冨田勲が録音スタジオの前で作曲し、その場で演奏録音されたそうです

今ではマリンバの代表曲であると同時に、料理の代名詞として日本人で知らない人がいない超有名曲ですが、それを即興で作曲してしまった冨田勲の天才には感動します

▼1▼プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」より「モンタギュー家とキャプレット家」

▼2▼マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲

定期演奏会と違って、普段のパート毎の練習風景が感じられる、のんびりまったりした雰囲気が好き

例年、出演チームが多くて時間が長いので、山潤さんのところだけ聴いてましたが、今年は例年より時間が短いので、全部聴きました

山潤さん、多摩ファミ出演者の皆さん、素敵な演奏をありがとうございました

終演後、居酒屋へ移動して、いつもの飲み会

会場は、多摩ファミメンバーも打ち上げしてた「ミライザカ高幡不動店

▲乾杯~♪

当日の写真はこちら

実はコンサート前に近くの多摩動物公園を歩きました

という訳で、動物の写真の方が圧倒的に多いです

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代官山を歩く

▲代官山 レストラン「シェ・リュイ

▲ド派手なビル

昨日5/27、目黒区役所に用があって、そのまま品川まで歩いて帰ろうとグーグルマップを見たら、代官山が近いので、久しぶりに歩いてみることにしました

実は最近、「代官山がさびれている」と言われていて、中には「廃墟のようだ!」などいう説もあり、その真相を自分の目で確かめたくなったのです

結果として、代官山駅周辺、アドレスのあたりは確かに少し「さびれ感」がありましたが、中目黒駅に近いエリアや旧山手通り沿いは、まだまだ「オシャレな代官山」でした

私自身は、「さびれ」とか廃墟とか嫌いじゃないし、探検したくなるんですけどね

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新宿駅の三角形

新宿駅で見つけたという光景

三角コーンを繋ぐポールが、三角形状に仕切られている

なぜ三角形なんだろう? (・_・?)

その理由の推測が、X(旧twitter)で話題になっているそうです

「三角形は形が安定」という性質を利用している訳で、鉄橋とか建物などで使われるトラス構造ですね

多角形の中で、三角形だけ

でも上の写真、よーく見ると、三角形じゃない場所もあって、厳密なトラス構造ではないね(その必要もないだろうけど)

さて、今年2月に品川駅の近くに、京急線の新しい八ツ山鉄橋が架けられました

あらかじめ京急品川駅の上で組み立てた鉄橋を、深夜にJR線路の上に移動させる(送り出し工法)という、面白い工事でした

(^_^;)~♪

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Youtube動画 スマホは横にしてご覧ください

 

八王子クマ出没→対策チーム

2年半ほど前にも、八王子市役所にクマ出没しましたね

下の地図で分かるように、八王子市は市の半分近くが山岳地帯ですが、今回のクマも近くに小中学校もある市街地に出没しました

八王子市は、旧東京府(現東京都)において、旧東京市(現23区)に次いで2番目に「市」になりました

推計人口は58万人で、鳥取県とほぼ同じ

別名「桑都(そうと)」と呼ばれていて、伝統的に絹織物や養蚕業が盛ん

多摩ファミの定期演奏会で毎年行ってます

最近、ハマ研(横浜を研究する会)で横浜をいろいろ歩いたりしていると、幕末から明治以降にかけて、絹織物の輸出で横浜が大発展した事が分かります

その絹織物は、桑都八王子から大量に運ばれたようで、明治41年には八王子と横浜を結ぶ鉄道「横浜線」もできています

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追伸 上の記事を5/13に書きましたが、八王子市役所は、クマ対策のプロジェクトチームを立ち上げました

それから、クマは時速50キロで走れるので、上の地図で障害物が少ない多摩川の河川敷を走ると、すぐに府中市、調布市、さらに世田谷区とかへ出没する可能性もあります

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ゆざわde音まつり

山潤さん 情報ありがとねー

第1回ということは、今年から新たに始まったイベントのようです

山潤さんが、「タマリンバ」で

マリンバを演奏の予定

「ゆざわ」と言っても、越後湯沢ではありません

高幡不動、多摩動物公園、京王百草園が近いね

事前申込は不要だそうです

「日野札所巡りの会」というのがあるみたいなのでググったら

日野市の札所・七福神めぐりにオススメの神社お寺まとめ7件 | ホトカミ

というページがありました

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牛丼「すき家」の壁の絵

前記事(同窓会誌「朝陽」来ましたね)で、牛丼「すき家」の創業者である小川賢太郞さん(新宿高校19回生)に触れましたので、そのつづきを書きます

上の絵は、牛丼「すき家」のお店の壁に大きく描かれています

私は「すき家」の牛丼がダイスキなので、この絵は前からよく見ておなじみなのですが、先日の

ハマ研(横浜を研究する会)

で、実際に横浜の街を歩いて

上の絵で人々が立っている場所は「象の鼻」だ!

ということに気付きました

それで当時の絵を探したら、ありました!

もう、そのものズバリ、牛丼「すき家」の店内壁画は、この絵を元にしてるのは間違いなさそうです

遠くに高台(港の見える丘公園のあたり)があって、右に海岸通り、これは現在の山下公園のあたりでしょう

となると上の絵で人々が立っている場所は、「象の鼻」以外あり得ない!

▲開港当時の「象の鼻」

▲現在の「象の鼻」

ではなぜ、牛丼「すき家」の店内には、開港当時の横浜の絵を飾っているのか?

牛丼「すき家」の創業者である小川賢太郞さん(新宿高校19回生)は、石川県の出身ですが、「すき家」の第1号店は、生麦駅の近くだった

生麦駅は、川崎と横浜の中間にありますから、横浜に縁が深い

そしてここから先は、まだ十分な事実確認をしていないので、私の推理になります

若いころの小川賢太郞さんは共産主義にハマっていたので、20歳代のほとんどを

港湾肉体労働者(沖仲仕)の組織化(オルグ)

に費やしています

いまでは想像することも難しいのですが、当時(1968年ころ)は、優秀な学生が全共闘運動に参加して革命を夢見るのは「当然」のことでした

1968年、小川賢太郞さんは20歳

日本が高度成長で、どんどん豊かになっていった時代

1969年にはアポロ11号が月面着陸、1970年には前回の大阪万博があったりして、お祭り気分もあった

でもまだ日本には、多くの貧困が残っていた

小川賢太郞さんは、共産主義に見切りをつけて実業家になってからも、社会における「貧困の解決」を自分の人生テーマにしていたようです

▲アポロ11号が月面着陸 1969年

▲前回の大阪万博 1970年

▲沖仲仕

「港湾」労働者の組織化(オルグ)ですから、主な活動場所が横浜だったであろうことは容易に想像できます

青春の情熱を注ぎ込んだ地である横浜

その近くに、「すき家」の第1号店を出し、今なお「すき家」の店内に横浜の絵を飾っている

小川賢太郞さんの横浜に対する思い入れが伝わって来ます

そうなると、

彼の20歳代の活動内容を知りたい!

となるのですが、この辺の情報が意外に無いんです

ズバリ「伝記 小川賢太郞」のような本があれば一番いいけど、先月4/7にお亡くなりになったばかりで、まだ出てないみたい

wikiに経歴の概略が書いてありますが、ほとんどは牛丼業界に飛び込んだ30歳代以降で、20歳代の活動にはほとんど触れてない

共産党活動と言っても戦後ですから、それほど非合法なことはしてないと思いますが、港湾肉体労働者(沖仲仕)を雇っている荷役会社からすれば、共産党オルグは「招かざる客」で、ドロドロの戦いもあったのかもしれない

という訳で、小川賢太郞さんの20歳代についての情報を、これからWebやYoutubeなどでコマメに探していこうと思っています

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