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吉本萌慧 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲~♫
大野さんのご親戚、吉本萌慧ちゃん(旭川出身、藝大出身、都響メンバー)が、札幌交響楽団と共演しました!
ヴァイオリン 吉本萌慧
札幌交響楽団 Sapporo Symphony Orchstra
指揮 現田茂夫
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64
2025年2月9日(日)15:00~ 札幌コンサートホールKitara
(^_^;)~♪
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札響(札幌交響楽団)は1961年(昭和36年)に発足した、北海道で唯一のプロ・オーケストラです。
歴代指揮者は、名誉創立指揮者の荒谷正雄、ペーター・シュヴァルツ、岩城宏之、秋山和慶、尾高忠明、マックス・ポンマー、ラドミル・エリシュカ、マティアス・バーメルトなどが務めています。
現在は、名誉音楽監督 尾高忠明、友情指揮者 広上淳一、正指揮者 川瀬賢太郎を擁し、2024年4月から首席客演指揮者に下野竜也、2025年4月からはエリアス・グランディを首席指揮者に迎え、オーケストラのさらなる充実と発展を目指します。
2024年4月現在のメンバー数は、コンサートマスターを含めて75名。
年間の公演回数は道内外で約120回のオーケストラ・コンサートを行うほか、積極的に地域活動に参加し、小編成での教育福祉活動を北海道全域で展開しています。
50周年のヨーロッパツアーなど節目ごとに海外公演を行い、これまでにアメリカ、英国、ドイツ、イタリア、東南アジア、韓国、台湾を訪問、各地で好評を博しました。
北海道を拠点に世界に発信するオーケストラとしてますますの充実を目指します。
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都響(東京都交響楽団)は、東京オリンピックの記念文化事業として、1965年(昭和40年)に東京都が設立した、日本3大オーケストラの一つ。
都響のメンバーには、音楽大学で首席クラスの演奏家が集まっている。
音楽家にとっては、超「狭き門」。
たとえば、都響のメンバーの一人が定年退職してポストが空いた場合、新メンバーを募集をすると、応募者が50人以上になるのは当たり前。
技術だけでなく、都響との親和性など総合的に判断されるため、合格者がゼロの時もあるという。
阿波踊りの達人
昨日今日と連日35度を超える猛暑ですが、そろそろ夏祭りの季節ですね
私はお祭りダイスキで、日本全国の主なお祭りはほとんど見に行ってるんですが、そんな数ある日本の夏祭りの筆頭は、やはり阿波踊りだと思います
世の中が不安定になり、
庶民にストレスが鬱積すると、日本人は集団で踊り出す
と言われています
日本中の老若男女が突然、仕事も家も放り出して踊りの列に加わり、伊勢神宮をめざしたりする(おかげまいり)
明和のおかげまいり(1771年)では、300~400万人が伊勢に殺到した(当時の人口は約2200万人)
そんな集団乱舞の最後が、幕末に大流行した「ええじゃないか踊り」
民衆のストレスが爆発した狂気という側面もあるのですが、旅支度も無しで急に伊勢をめざしたりする踊り衆に対して沿道の住民は概ね好意的で、食事や寝る場所を提供したり、けっこう牧歌的なほのぼのとした側面もあったようです
「ええじゃないか踊り」の雰囲気を最も良く伝えているのが阿波踊り
だと言われています
集団のシンクロナイズが重要な女踊りに比べると、男踊りは個人芸の世界
子供の頃から阿波踊りの世界にどっぷり浸かって生きてきた地元徳島の老人には、上の動画のような、まさに芸術の域に達したような阿波踊りの達人がいっぱいいるようです
私は直接見たことは無いのですが、かつて東京など大都会に花街が隆盛を誇ったころ、その料亭でお客さんたちをもてなすお座敷衆の中に、芸者さんとは別に
幇間(ほうかん)と呼ばれる男性の職業
がありました
この幇間という職業は、「たいこもち」とか「男芸者」「太夫衆(たゆうしゅう)」などとも呼ばれますが、世の中で最も極めることが難しい職業
女性の芸者さんは、若くて美人ならそのお色気だけでもお客は満足しますが、男芸者である幇間は色気なしでお客をもてなし満足させる訳ですから、並大抵ではない
そんな幇間さんたちが、お座敷でどんな芸を披露したのか?
私は見たことないので良くは知りませんが、きっと上の動画のような粋な踊りも披露していたのではないかと想像します
花街の衰退とともに、幇間という職業もほぼ絶滅してしまったのが非常に残念です
咲き誇りし花街文化、風と共に去りぬ
谷崎潤一郎に「幇間」という短編小説があります
(^_^;)~♪
▲ええじゃないか踊り
▲映画「ええじゃないか」予告編
追伸
じいさんの年季の入った踊りもいいけど
やっぱキレイな女性の踊りは最高ですね
(^_^;)
セイコーマートの290円のクリスマスケーキ
全国的に師走となり、街にはクリスマスソングが流れ、何となく慌ただしい季節です
コンビニ「セイコーマート」の店頭に、290円のクリスマスケーキが登場しました
「まだ早すぎる」「小さすぎる」などと思ったら、実はこれ「試食用」のケーキ
本番のクリスマスケーキは、一家でそろって食べる「儀式用」なので、サイズも大きいし結構な値段がする
そんなケーキを12/24に一口食べたら、期待していた味と違ったりして
「あぁー、これ失敗じゃん!」
とガックリ経験をした人も少なくないはず
楽しいはずのクリスマスが台無しになりかねない
そこでセイコーマートが「試食用」ケーキを発売したら
「こーゆーのが欲しかったんだよ!」・・・(*)
と、ヒット商品になったそうです
試食用ケーキを買って味に安心できたお客さんの多くは、本番12/24にも同じ味のセイコーマートのケーキを買うでしょうから、顧客囲い込み戦略としても大成功!
まさに「天才の発明」です
マーケティングの世界には、「潜在ニーズ」という概念があって、顧客もまだ気付いていないニーズを発見して提供すると、(*)のような反応があって大歓迎されます
もちろん、潜在ニーズだと思って勝負したら大ハズレというケースもあるけどね
セイコーマートの試食用ケーキには、
「バタークリームデコレーション」
を筆頭に、
「ショコラピスターシュ」
「キャラメルポム」
「モンブラン」
「ショコラブラン」
「抹茶デコレーション」
など、おもわずヨダレが出てくる豪華ラインナップがズラリと並んでいます
同じくマーケティングの世界には
ホイラーの法則:ステーキを売るな、シズルを売れ!
というのもあって、「シズル」というのは、ステーキがジュージュー焼けるような音
何かを売りたければ「おもわずヨダレが出てくる」ように、商品のセールスポイントを最前面に押し出したマーケティングが重要とされています
結局、ビジネスとか経済って、心理学なんですよねー
コンビニ「セイコーマート」(→)は、東京では余り見ないんですけど、北海道ではそこらじゅう、セブンイレブンに負けないほど沢山あります
以前、北海道をドライブ旅したとき、その品揃え(特に食品)が素晴らしくて感動し、北海道以外にももっと進出して欲しいなぁと感じました
さすが北海道、日本最大の食品産地(特に乳製品)だけのことはありますよ
(^_^;)
林芙美子の恩師 今井先生
私は展覧会などへ行っても有料のパンフレット(その展覧会の展示内容をまとめた1000円くらいのパンフレット)はめったに買わない
でも今回の「林芙美子展」(→)のパンフレットは、内容が充実していたので買った
新宿歴史博物館のスタッフの水準は、かなり高いのかもしれない
その中に、芙美子の恩師についてのページがあった
芙美子は極貧の家庭環境で育ち、当時の常識から言えば小学校卒業と同時に女中奉公か何かで社会に出るのが普通だったと思うが、芙美子の文学的才能に気付いた小学校教師のすすめで女学校に進学した
親からの経済的援助は期待できず、昼は学校で夜は学費稼ぎのバイトという生活を送り、しかも周囲は富裕な家庭のお嬢さまばかりという、かなりキツイ女学校生活だったはず
それなのに芙美子が女学校生活を余りツライと感じていない、むしろ良き思い出の時代らしいのは、この先生がいたことが非常に大きいのだろう
まさに「恩師」と呼ぶにふさわしい、芙美子にとってとても重要な存在で、この人が芙美子の才能を開花させたのかもしれない
性犯罪ばかり起こしている昨今の学校教師どもに比べたら別世界
さらに言えば、芙美子にとってもっと重要な人物は、いち早く芙美子の才能に気付いて進学をすすめた小学校の先生かもしれない
この人がいなければ、今井先生に出会うことも無かったのだ
(^_^;)
▲女学校を卒業して2年21歳、東京での極貧生活の中から送ったはがき
下足番、女工、事務員、カフェーの女給などでギリギリの極貧生活
原稿を雑誌社・出版社に売り込んで回り、ときには拾われた
当時の原稿料は、現金書留や為替で送られてきたので
郵便配達が「林さん、書留でーす」と来ると、芙美子の胸は高鳴った
このころに芙美子がつけていた日記が「放浪記」の原形
▲昭和4年26歳、今井先生へのはがき
前年(昭和3年)に雑誌「女人芸術」掲載の「放浪記」が好評
翌年(昭和5年)に「放浪記」の単行本が出てベストセラー化
芙美子は超売れっ子作家になった
海軍航空隊と石岡のおまつり
ナニワ金融道を再読
コミック(マンガ)「ナニワ金融道」を再読した
累計発行部数1600万部という、日本の漫画史に残る有名な作品で、映画にもなっている
前回読んだのはバブル崩壊(1990年)直後で、まだ連載中だったので途中までだった
全19巻のうち、今日は1~15巻を読んだ
作者の青木雄二(←)は、マルクス主義者を自称するやや奇人変人、一種の天才奇才とも呼ぶべき人物なのだが、惜しくも2003年に肺がん(58歳)で亡くなっている
作者没後も後継者たちが「青木雄二プロダクション」というのをつくって「新ナニワ金融道」など続編をいっぱい出しているので、まだ未読が大量にあってしばらく楽しめそうだ
前回読んでから30年もたっているので記憶が薄れたところも多く、新しく読むような気分だったし、とにかくこの作品は元々メチャ面白い!
バブル崩壊のころは債権回収の「教科書」として、各銀行の支店などに本書が全巻そろえられていて、銀行員たちがむさぼるように読んでいたらしい
上の表紙から分かるように、大阪独特の下品さ泥臭さをこれでもかと言うほど前面に押し出した独特の画風で、人間のドロドロした欲望や情念が渦巻く修羅場をセキララに描いている
講談社のマンガ雑誌「モーニング」に1990~1996年連載で、まさに日本がバブル崩壊で揺れに揺れていた時期と重なる
突然襲ってきたバブルの破裂(と当時の人たちは思っていた)で、それまでの順風満帆の人生を根底から覆されて悲惨な地獄へ堕ちていく人たちの姿を、しかもユーモラスに描いている
それまでバブルでジャブジャブにお金を貸し出していた金融機関が、突然貸し出しを渋って債権回収に走った
お金を返せなくなった人たちも悲惨だが、返せない人から鬼や悪魔と呼ばれつつ、貸金の返済を迫る金融機関の最前線にいた金融マンたちも悲惨だった
▲債権回収とリストラの嵐で、ヤケクソになっているノンバンクの幹部
そのような金融機関の底辺に位置する街金融「帝国金融」の新人社員・灰原達之が主人公
街金融(まちきんゆう、消費者金融、サラ金)は、日本の金融カースト制度(↓)の底辺に位置し、上には都銀(メガバンク)、公庫、地銀、信金、クレジット、ノンバンクなどがあり、下には闇金融(やみきんゆう)という無法地帯もあって、本書にもたびたび登場する
考えてみると、日本がバブル崩壊した1990年からすでに33年も経過していて、当時のことを鮮明に覚えている人たちは50代以上だ
33年が過ぎても、日本バブルの後遺症はあちこちに残存しているが、日経平均がバブル崩壊後の高値を抜いたりして、ようやく後遺症から抜け出す気配が感じられ始めている
そして今、お隣の大陸では、超巨大な中国バブルの崩壊がすでに始まっている
何しろ不良債権の規模が33年前の日本バブル崩壊よりヒトケタ上(推計1000兆円~2000兆円)と予想されている
おまけに
何でも秘密主義、ワイロ主義の
暗黒独裁チャイナチス中国共産党
が経済を仕切っているから、マクロ経済統計の数字がまったくアテにならず、これから中国経済にどんな混乱が起こるのか非常に分かりにくい疑心暗鬼の状況になっている
なにしろチャイナチス中国共産党は、自分たちにとって
都合の良いことは100倍にして公表する
都合の悪いことは100分の1にして公表する
という超ウソつき体質で、かつての日本の大本営発表よりもはるかに悪質だ
とにかく、中国経済が壊滅するのは確実だが、日本を含めた世界経済も無傷では済まない
ノーベル賞経済学者クルーグマン(→)は、中国バブルの崩壊は、日本バブルの崩壊とは比較にならないほど大規模で悲惨なものになると予想している
ただし、経済学者の予想は外れることが多い
日本バブル崩壊のとき日本社会の混乱が比較的軽微で済んだのは、当初のバブル崩壊直後、金融機関が債権放棄などで不良債権処理を引き受けてバッファー(衝撃吸収材)となり、その後にゼロ金利政策などでゆっくり金融機関を救済したからだと思う
それでも30年かかったのだ
中国バブル崩壊の経済的な混乱はすでに始まっており、建築中のマンションを買ってお金をすでに払っっているのに(中国では完成前にお金を払うのが普通)、建築工事が中断してマンションが手に入らず、人生設計を台無しにされた人民が狂ったように泣き叫んでいる
そんな工事が中断して誰も住んでいないマンション群は「鬼城(きじょう、中国読みグェイチョン)」と呼ばれており、そんな廃墟(ゴーストタウン)が中国全土に山のように存在している
やがて中国バブル崩壊の経済的な大混乱が、中国の政治的混乱や社会的混乱に広がっていくのは間違いなく、これから半世紀くらいかけて、チャイナチス中国共産党の崩壊や、中国の国家分裂や内戦になる可能性もある
追い詰められたチャイナチス中国共産党が、活路を台湾進出(侵攻)に求めるかもしれない
それは世界恐慌→満州進出→真珠湾という、かつて日本がたどった道筋と重なって見える
((((;゚д゚))))
▲中国の鬼城と呼ばれる廃墟(ゴーストタウン)
貧しい育ちの大川隆法こと中川隆 「洗脳の科学」を研究して「幸福の科学」を起業する 宗教カルトを転々とした父親
貧しい生まれだが頭が良くて成り上がっていく
ソフトバンクの孫正義(←)を思い出しますね
貧しさやコンプレックスには
人を駆り立てる上昇パワーもありますが
どこか不安定な影のようなものも感じさせます
無教会派、生長の家、共産党、新興宗教GLAなど
宗教カルトを転々とした父親、中川忠義の人生が
中川隆(大川隆法)の人生に、大きな影響を与えたのは間違いなさそうです
父親のカルト体験から「カルト教祖はイケる!」と確信した商社マン中川隆(大川隆法)は
持ち前の頭脳を生かして「洗脳の科学」を研究し実践しました
((((;゚д゚))))
「幸福の科学」の教祖、大川隆法こと中川隆は、昭和31年(1956年)7月7日、父・中川忠義(幸福の科学内部での通称は善川三朗)母・君子の次男として、徳島県麻植郡川島町大字桑村に生まれた。
徳島からJRで40分ほどいった川島駅前の敷地20坪足らず、モルタル2階建ての小さな生家はいま空き家となっており、両親は現在、徳島市八万千鳥の敷地約120坪という、かなり大きな会員宅を無料提供されて住んでいる。
中川隆のこれまでの軌跡をたどるには、その父の中川忠義について触れなければなるまい。
中川忠義は大正10年(1921年)11月、父・源佐エ門、母・テルノの次男として麻植郡樋山地(現・鴨島町)に生まれた。
地元の古老によれば、父の源佐エ門は小作のかたわら大工仕事もしていた。
その生活は村でも最底辺であったという。
その父も死に、昭和のはじめ、中川一家は川島町に新天地を求めたものの、生活は いっかな好転せず、昭和9年(1934年)、母と幼い子供ら4人は、東京の書店で働く異腹の兄を頼って上京することを余儀なくされた。
麻布台のボロ家に身を寄せた一家は、思い思いの働きで貧しい家計を支えた。
忠義によれば、この東京生活の間、矢内原忠雄門下の無教会派で学んだ後、乃木坂にあった「生長の家」の門をたたき、谷口雅春から じきじきの教えを受けるなど、いくつかの宗教遍歴をつんだという。
戦後、故郷に戻った忠義は麻植郡美郷村の中枝小学校の代用教員をつとめた。
だが多感な性格から教職を投げだし、戦後の一時期は共産党運動に走った。
当時、一緒に運動にかかわった仲間によれば、忠義は只芳の偽名で、県委員会機関紙「徳島新報」の編集兼発行人をつとめていたという。
「只芳という名前から、ロハさんと呼ばれていた。共産党に入党はしていなかったが、機関紙の編集兼発行人だったから、みんなからは「アカ」と思われていた」
日本共産党中央委員会の理論政治誌『前衛』1984年11月号は「わが地方の日本共産党史(V)」として、徳島県を特集している。
そこにも古い活動家として中川只芳の名前が紹介されている。
共産党を離れてからの忠義は、当時めずらしかったマロングラッセの製造販売を手がけたり、毛糸の編み針の製造会社を興すなどしたが、いずれもうまくいかず、さらには結核に倒れ、1年間の療養生活を送らねばならなかった。
その間の生活は、理容学校出身の母・君子が、家の階下を床屋にして支えた。
忠義にようやく経済的安定の道がひらけるのは、かつて日共の運動仲間だった県畜産課職員を頼って、昭和39年(1964年)4月、社団法人・徳島県畜産会に就職してからのことである。
この間、忠義はたまたま徳島を訪れた生長の家系統の新興宗教GLAを主宰していた高橋信次の講演を聞き、深い宗教的感銘も受けている。
多感な性格から政治的活動や宗教的遍歴を重ね、常に経済的不安につきまとわれてきたその忠義は、毎晩のように子供に向かって宗教に関する話をした。
その一方で、強烈な一流志向と上昇志向を植えつけた。
「どんな田舎の学校であっても、
どんな小さな学校であっても、
一番だけは違うよ。
どんな狭い地域社会においても、
一番だけは値打ちがあるかもしれないよ」
片田舎での英才教育。
中川一家の近所での評判があまり芳しくないのは、ある意味で仕方のないことなのかもしれない。
「人柄は悪くはないんだが、忠義さんは ちょっと人を見くだしたところがある。
君子さんは君子さんで、あんまり息子自慢をするものだから、
誰もあの床屋には行かなくなってしまった」
佐野眞一著『幸福の科学主宰 大川隆法 挫折だらけの生いたち』から
今年の漢字「戦」 12月12日は「漢字の日」
これが発表されると、年の瀬を感じます
プーチンが発狂して核ミサイル乱れ撃ち
人類が滅亡することなく新年を迎えられたら
いいなぁと思っています
それにしても漢字協会は、商売がウマい!
(^_^;)
2022年の世相を表す漢字は「戦」。
日本漢字能力検定協会(京都市東山区)は12月12日、全国から募集し、最も選んだ人が多かった「今年の漢字」を清水寺(同)で発表した。
同協会は1995年から、「いいじいちじ」と読む12月12日の「漢字の日」に、「今年の漢字」を発表しており、今年で28回目。
清水寺の森清範(せいはん)貫主(→)が、縦1・5メートル、横1・3メートルの和紙に、「今年の漢字」を書き上げた。
募集期間は11月1日から12月5日で、応募22万3768票のうち、「戦」は最多の1万804票。
「戦」が選ばれたのは、2001年以来2度目で、前回は9.11同時多発テロの年だった。
「戦」が選ばれた理由は主に、
ロシアのウクライナ侵略戦争
サッカーW杯での日本代表の試合
MLBの大谷翔平選手の活躍
新型コロナや物価高への対応
などだった。
揮毫(きごう)を終えた森清範貫主は
「来年こそは戦が終わって、皆が心安らかな
日々を送れるようになっていただきたい」
と話した。
1位「戦」1万804票
認知症プーチンの、ウクライナ侵略戦争ですね
一歩間違えれば、人類滅亡戦争です
2位「安」1万616票
暗殺された安倍ちゃん
(安倍晋三首相)と思いたいけど
たぶん、円安でしょうね
3位「楽」7999票
4位「高」3779票
5位「争」3661票
6位「命」3512票
7位「悲」3465票
8位「新」3070票
9位「変」3026票
10位「和」2751票
私は統一協会の「壺」(つぼ)
にして欲しかったけど
宗教戦争になりかねないかな?
(^_^;)
雪を投げないで下さい
雪合戦は禁止?、と思いきや、さにあらず
場所によって言葉の意味が違うと、
面白いけど混乱のもと
他から引っ越して来た人が
「そぉーっと捨てただけ、投げてない!」
とか言い出しそうです
地元では「方言と思わなかった」というくらい、よく使う表現みたいです
関西あたりでは、捨てるという意味で「放る(ほうる)」とも言いますね
ホルモン焼きが、「放るもん焼き」から来ているのは有名
東京などあまり雪の降らない場所に住む人にとって、雪ってたまに積もっても午後には消えてしまう、ふわぁーっとした儚い(はかない)イメージですが、雪国になるとまるで違う
これから3か月くらい、豪雪地帯では土砂のような雪との戦いです
((((;゚д゚))))
弘前市が現在、水路への雪の投棄を防ぐ看板の表記を
「雪を投げないで下さい」から
「雪を捨てないで下さい」に変更している。(弘前経済新聞)
「投げる」は津軽弁で「捨てる」を意味する。
弘前市道路維持課の担当者によると、当時の担当者が津軽弁と気づかずに看板の発注を依頼した。
弘前市内では現在、「投げないで下さい」と「捨てないで下さい」の看板が混在しているという。
同担当者は
「『ゴミを投げる』などと日常的に使っていたため、私自身も津軽弁であることに気付かなかった。津軽弁では分かりにくいのではということから、傷んだ看板から『捨てないで下さい』に変更している」
「用水路や排水路へ雪を投棄した場合、固まった雪で水が流れにくくなり、流れがせき止められて冠水や浸水の危険性がある」
「雪は水路に捨てないようご協力いただきたい」
と呼びかける。