メンタルヘルス

デール・カーネギーの哲学「最悪を覚悟せよ」

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▲デール・カーネギー

 

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先日、日本製鉄がUSスチールを買収する当ブログ記事の中で、鉄鋼王カーネギー(アンドリュー・カーネギー、1835-1919)について書いた

アメリカにはもう一人の有名なカーネギー

デール・カーネギー(1888-1955)

という人がいる

鉄鋼王より半世紀ほど後に生まれた、自己啓発セミナー講師の元祖みたいな人で、その著書「道は開ける」「人を動かす」などで有名

道は開ける(→)には、人生に悩んでいる人へのアドバイスがハウトゥっぽく書かれている

その教えの一つに

「最悪を覚悟せよ」

というのがある

悩んでいる人というのは、アタマの中にモヤモヤしたものが充満して気分が落ち込み、思考力や行動力が落ちている場合が多いのだが、カーネギーは次のように言う

1)悩んでいることをすべて、紙の上に書き出せ

2)これから起こりうる最悪の事態を想定し、それも書き出せ

3)最悪の事態が現実になった状態をなるべくリアルにイメージせよ

4)最悪の事態を受け入れる覚悟を決めろ

5)最悪の事態を回避するために、今できることを書き出し、実行せよ

別に哲学的に深遠難解な表現は無く、たったこれだけなのだが、これが悩みの解消(または軽減)に非常に効果があると多くの人が言っているし、私もそう思う

多くの場合、悩める人は最悪の事態を直視せず、心の奥(潜在意識)に抑圧している場合が多いのだが、これを日常意識(顕在意識)の上に引きずり出す

書くことでアタマのモヤモヤを紙の上に引きずり出し、直視(客観視)する

そして最悪を受け入れる覚悟を決めることで、それ以下は無いという一種の安心感が得られる

この安心感の上で思考力や行動力を回復し、対応策のアイデアを出して実行する訳だ

ここで「紙に書く」というのが重要なポイントで、上の5段階をアタマの中だけでやろうとしても効果は乏しいように思われる

もちろん世の中には本当に深刻な悩みや精神病もあって、専門家による精神分析とか向精神薬などが必要になる場合もあるとは思うが、普通の人の日常的な悩みの8割以上は、上の5段階を踏むことで解決(軽減)されるだろう

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これは立派な哲学で、まさにプラグマティズムの国アメリカらしい哲学だ

日本で哲学というと、明治維新以来の大学哲学科でドイツ哲学が主流を占めたせいか、やたらと難解な表現を有り難がる悪習があるが、馬鹿げたことだ

お葬式にお坊さんを呼んでお経をあげてもらい、お経の意味も分からずに有り難がっているのに似ている

人生をいかに生きるべきかの議論をするのに、壮大な理論体系を構築し、難解な表現を好んで使うのは、ヨーロッパの田舎者だったドイツ人の悪癖ではなかろうか

(ドイツ哲学が日本で必要以上に難解になったのは、日本人の翻訳家や哲学者にも責任の一端はあると思うが)

上の5段階の中で、特に重要なのは覚悟だと思う

よく俗に「死んだ気になれば何でも出来る」などと言うが、人生で最悪の事態は死だろう

だから死を受け入れる覚悟が本当に出来たら、その人は怖いもの無しになる

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ただ、死を受け入れる覚悟をするのが簡単ではない

死を直視することもイメージすることも難しいし、考えることすら難しい

人生を山登りに例えると(→)人生の前半は上り坂で、目の前にはこれから登る山道と、その先には無限の未来(青空)が広がっているように見える(見えるだけだが)

これが人生の後半になると、下り坂の先にフモトが見え、そこには大きな穴(死)がアリアリと見える

「無限の未来」が単なる幻想だったことが分かり、イヤでも死を直視せざるを得なくなる

だから最悪の事態(死)を受け入れる覚悟を決めるには、人生の後半は適した季節だ

哲学者の三木清は「人生論ノート」の冒頭、「死について」で次のように語っている

近頃私は死というものをそんなに恐しく思わなくなった。

年齢のせいであろう。

以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが。

思いがけなく来る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齢に私も達したのである。

三木清は48歳で亡くなっているから、上の文章は40代のものだろう

哲学者として若いころから死について考えてきた三木清の、心の変化がつづられている

つい最近、昭和の途中くらいまで、40代は初老で、50歳を過ぎると完全に老人だった

60歳を過ぎると赤いチャンチャンコを着て長寿のお祝いをし、70歳になっても生きていると、古稀(こき、昔からめったにいない長生きという意味)として周囲が祝福した

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マンガ「サザエさん」の父、磯野波平(いそのなみへい、→)の年齢は、54歳ということになっていて、見るからに年寄りくさく描かれている

ここ半世紀ほどの高齢化がいかに急激な現象かが分かるし、そのおかげで日本は超高齢化社会になり、経済は停滞している

「エセー」の著者モンテーニュは言う

哲学とは、死の準備である

ソクラテスも言ってるけどね

(^_^;)

 

この世界は人間が見ている夢?

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「自分が見ている世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているなのではないか?」

との説は、巷でよく言われる思考実験の一つです。

このような考えを元に、実存主義やエントロピーの概念を解説したビデオを、科学系YouTubeチャンネルのKurzgesagtが公開しました。

 

* * * * * * * * * *

 

世界の実在や人間の認識に関する議論で必ず出て来る「水槽に浮かんだ脳」仮説

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日常とか常識を余り疑わないで生きている方々には奇妙な説に見えるのかもしれませんが、哲学好きには魅力的な仮説です

私も哲学好きなので、この仮説には余り違和感がありません

いやむしろ、かなり実感をともなった感覚(世界観)かもしれない

いま私の周囲に広がっている世界(宇宙)や、私の周囲にいる人たち、ビッグバンに始まると言われているすべての宇宙や地球や人類の歴史は、すべて私の脳が創り出した夢(幻想)なのではないか?

もし私が死んだら、世界(宇宙)も時間も実在性を失って消滅し、すべては無に帰する

このような仮説は、過去においても唯心論的な哲学や宗教で唱えられたりしていた訳ですが、いま科学の最先端の理論物理学者などでも、この仮説に魅力を感じる人が増えていて、一般の人たちの間にも共感が広がっているようです

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これとは少し違うけど、心理学者・岸田秀の「唯幻論」(ゆいげんろん)というのがあって、彼は世界はすべて幻想であると主張しています

岸田秀は高校生の頃から原書(ドイツ語)でフロイトに親しんで(のめりこんで)いたという、かなりの変人(天才肌)

彼の主著「ものぐさ精神分析」(←)は、「唯幻論」で脚色されたフロイト哲学(精神分析)の入門書で、非常に読みやすいオススメです

私は若い頃にこの本に出会い、余りの面白さにグイグイ引き込まれ、正続2冊計800頁余りを、一晩徹夜で読み明かしたことがあります

この本は要するに

「この世はすべて幻想である」

「人間は本能の壊れた動物である」

と主張し、その立場から人間行動や世界の歴史を説明する

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例えば高校生が必死に勉強していて、

「あの大学に合格できたら、きっと

素晴らしい人生(毎日)になるだろう」

と考える

しかし実際に合格して憧れの大学に入学すると、うれしくて舞い上がるのは、せいぜい1か月くらい

やがて現実の人生(毎日)が期待したほどのものでなかったことに気付き、中には幻滅して五月病に陥る人も出てくる

そして大学卒業が近づくと、

「あの会社に採用されたら、きっと素晴らしい人生(毎日)になるだろう」

と考え、さらに

「あの人と結婚できたら・・・」

「課長になれたら・・・」「役員になれたら・・・」

「自分の家が持てたら・・・」

でもそれはみんな夢(幻想)に過ぎず、夢が実現すれば、やがて必ず幻滅する

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なんだか夢も希望も打ち砕くような悲観的な哲学ですが、これを完全に否定し切るのは難しい

俗に「悲観哲学」と言われているショウペンハウエルの考え方も、これに近いと言えそうです

もしかすると遺伝子(DNA、→)が、人間(個体)の行動力(繁殖力)を高めるために、人間の脳に「夢を持つ」という特殊な機能を持たせたのかもしれません

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岸田秀さん(←)は現在、1933年12月25日生まれの89歳

余り将来に夢を持たない方が、長生きできるのかもしれませんね

  (^_^;)

 

詳細はここをクリック

 

 

貧しい育ちの大川隆法こと中川隆 「洗脳の科学」を研究して「幸福の科学」を起業する 宗教カルトを転々とした父親

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 貧しい生まれだが頭が良くて成り上がっていく

  ソフトバンクの孫正義(←)を思い出しますね

 貧しさやコンプレックスには

  人を駆り立てる上昇パワーもありますが

 どこか不安定な影のようなものも感じさせます

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無教会派、生長の家、共産党、新興宗教GLAなど

 宗教カルトを転々とした父親、中川忠義の人生が

中川隆(大川隆法)の人生に、大きな影響を与えたのは間違いなさそうです

父親のカルト体験から「カルト教祖はイケる!」と確信した商社マン中川隆(大川隆法)は

持ち前の頭脳を生かして「洗脳の科学」を研究し実践しました

  ((((;゚д゚))))

 

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幸福の科学」の教祖、大川隆法こと中川隆は、昭和31年(1956年)7月7日、父・中川忠義(幸福の科学内部での通称は善川三朗)母・君子の次男として、徳島県麻植郡川島町大字桑村に生まれた。

徳島からJRで40分ほどいった川島駅前の敷地20坪足らず、モルタル2階建ての小さな生家はいま空き家となっており、両親は現在、徳島市八万千鳥の敷地約120坪という、かなり大きな会員宅を無料提供されて住んでいる。

中川隆のこれまでの軌跡をたどるには、その父の中川忠義について触れなければなるまい。

中川忠義は大正10年(1921年)11月、父・源佐エ門、母・テルノの次男として麻植郡樋山地(現・鴨島町)に生まれた。

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地元の古老によれば、父の源佐エ門は小作のかたわら大工仕事もしていた。

その生活は村でも最底辺であったという。

その父も死に、昭和のはじめ、中川一家は川島町に新天地を求めたものの、生活は いっかな好転せず、昭和9年(1934年)、母と幼い子供ら4人は、東京の書店で働く異腹の兄を頼って上京することを余儀なくされた。

麻布台のボロ家に身を寄せた一家は、思い思いの働きで貧しい家計を支えた。

忠義によれば、この東京生活の間、矢内原忠雄門下の無教会派で学んだ後、乃木坂にあった「生長の家」の門をたたき、谷口雅春から じきじきの教えを受けるなど、いくつかの宗教遍歴をつんだという。

戦後、故郷に戻った忠義は麻植郡美郷村の中枝小学校の代用教員をつとめた。

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だが多感な性格から教職を投げだし、戦後の一時期は共産党運動に走った。

当時、一緒に運動にかかわった仲間によれば、忠義は只芳の偽名で、県委員会機関紙「徳島新報」の編集兼発行人をつとめていたという。

「只芳という名前から、ロハさんと呼ばれていた。共産党に入党はしていなかったが、機関紙の編集兼発行人だったから、みんなからは「アカ」と思われていた」

日本共産党中央委員会の理論政治誌『前衛』1984年11月号は「わが地方の日本共産党史(V)」として、徳島県を特集している。

そこにも古い活動家として中川只芳の名前が紹介されている。

共産党を離れてからの忠義は、当時めずらしかったマロングラッセの製造販売を手がけたり、毛糸の編み針の製造会社を興すなどしたが、いずれもうまくいかず、さらには結核に倒れ、1年間の療養生活を送らねばならなかった。

その間の生活は、理容学校出身の母・君子が、家の階下を床屋にして支えた。

忠義にようやく経済的安定の道がひらけるのは、かつて日共の運動仲間だった県畜産課職員を頼って、昭和39年(1964年)4月、社団法人・徳島県畜産会に就職してからのことである。

この間、忠義はたまたま徳島を訪れた生長の家系統の新興宗教GLAを主宰していた高橋信次の講演を聞き、深い宗教的感銘も受けている。

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多感な性格から政治的活動や宗教的遍歴を重ね、常に経済的不安につきまとわれてきたその忠義は、毎晩のように子供に向かって宗教に関する話をした。

その一方で、強烈な一流志向と上昇志向を植えつけた。

「どんな田舎の学校であっても、

 どんな小さな学校であっても、

 一番だけは違うよ。

どんな狭い地域社会においても、

 一番だけは値打ちがあるかもしれないよ」

片田舎での英才教育。

中川一家の近所での評判があまり芳しくないのは、ある意味で仕方のないことなのかもしれない。

「人柄は悪くはないんだが、忠義さんは ちょっと人を見くだしたところがある。

君子さんは君子さんで、あんまり息子自慢をするものだから、

誰もあの床屋には行かなくなってしまった」

佐野眞一著『幸福の科学主宰 大川隆法 挫折だらけの生いたち』から

 

宮台真司、首を切られる 都立大教授

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首を切られたというので、都立大の教授を解雇されたのかと思いました

犯人が正気で、かつ本気で狙ったのなら、確実に仕留めるはず

命が助かったということは、サイコパスとかメンヘラ系の犯罪かもしれません

  ((((;゚д゚))))

 

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宮台真司(みやだい・しんじ)が、首を切り付けられました。

宮台真司は、東京都立大学の人文社会学部教授で、現代社会や戦後思想などが専門。

警視庁によりますと11月29日16時半まえ、東京・八王子市の東京都立大の南大沢キャンパスで

「都立大の中で、男性が顔を切られた」

と目撃者の男性から110番通報がありました。

キャンパス内の路上にいたところ、頭を後ろから殴られたうえ、刃物のようなもので首を切られて病院に搬送されました。

命に別状ないということです。

 

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▲都立大の南大沢キャンパス

 

子猫を殴り殺して書類送検

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▲エキゾチックショートヘア

 

 犯罪としては微罪だと思うけど

  子猫殺しの犯人

 というのは、イメージ最悪!

  ヽ(`Д´)ノ

 

飼っていた子猫を殴ったとして大阪府警は10/5、動物愛護法違反で、大学生の男(21)を書類送検した。

子猫は殴られた約1カ月後に死に、火葬されていた。

動物の死骸がないまま立件するのは全国的にも珍しい。

男は1/14、当時交際相手と暮らしていたアパートの一室で、生後6カ月のエキゾチックショートヘアの頭部を殴った。

大阪府警の聴取に男は

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「徹夜明けのアルバイトでの寝不足や、

 就職活動のウェブ面接の失敗で、

 いらいらが爆発し殴り殺した」

「もともとネコ嫌いでイヌ派。

 ネコの鳴き声にいらつくことがあった」

と話したという。

 

大和市こもりびと支援条例

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ひきこもりも重症になると問題なのはたしかですが、逆に孤独に耐えられないというのも問題です

ひきこもれるというのは、一種の能力かもしれません

何事も程度問題だと思います

多くの文学や芸術は、「こもりびと」が生み出してきました

日本には古くから出家という習慣があり、地位も名誉もある人でも、出家して社会から距離を置く生き方を選びました

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そこまでいかなくても、生活の中に瞑想の時間を持ち、ひとりになって内省にひたるというのは、多くの人が実践しています

ひきこもりを問題行動としてのみ捉えるのではなく、創造的かつ生産的な内省行動としても捉える視点が必要ではないかと思います

 (^_^;)

 

「ひきこもり」ではなく「こもりびと

独自呼称の神奈川県大和市が、「こもりびと支援条例」を制定する。

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大和市は2019年に「より温かみのある呼称」を用いた「こもりびと支援窓口」を設置。

希望する時に必要な支援につながることのできる地域社会の実現に寄与することを目的と定めている。

大和市は、市内の15~64歳でひきこもりが約2300人いると推計。

支援窓口には開設から今年7月までに、236人から1482件の相談があった。

 

▲こもりびと文学の代表 鴨長明「方丈記」

 

あの子、死んだ?

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夏休みももうすぐ終わりますが、毎年この時期は、投げやりになった子供の犯罪が増えます

仲の良さそうな母娘を狙ったところに、犯人の少女の母娘関係に何かあったと感じます

犯行現場は、東電OL殺人事件の犯行現場のすぐ近く

ラブホテル街も近く、余り治安の良い場所ではありません

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それにしても襲われた母親が、刺されながらも犯人を取り押さえたことに驚きます

やはり、母は強し!

 ((((;゚д゚))))

 

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取り押さえられた少女は、うわごとのように

「あの子、死んだ?」

とつぶやいた。

8/20午後7時半頃、東京・渋谷区の路上で、53才の母親と19才の娘が、刃渡り8.5㎝の包丁で切りつけられた。

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「犯行現場は神泉駅近く。背後から襲われ、

 背中や腹のほか肩や腕などを執拗に何度も刺され、

 母娘ともに全治3か月以上の重傷を負いました。

 娘の傷は深さ10センチ

 腎臓にまで達していたそうです」(社会部記者)

殺人未遂容疑で逮捕されたのは埼玉県戸田市の市立中学の3年生(15才)だった。

 

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正義の人

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世の中には、「自分は絶対に正しい!」という変なアドレナリンが、脳内でタレ流しになっているアブナい人がいる。

そういう人を「正義の人」と呼ぶ。

彼らの言う「正義」とは、視野の狭い「幼稚な正義」だ。

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「正義の人」は、ヤクザやDQNより危険なこともある。

「正義の人」は、自分には崇高な使命があって、社会のために「悪」を懲らしめなければならないと信じている。

「正義の人」は、いつも不機嫌そうにイライラしていて、自分の怒りをぶつける相手、つまり「正義の人」にとっての「悪」を探している。

「正義の人」から「悪」と見なされると、非常にメンドウなことになる。

やっかいな「正義の人」には近寄らず、関わらないのが一番だ。

詳細はここをクリック

 

デスマーチ(死の行進)

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企業(今回は文化シャッター)が社内業務について情報システムを開発するには、日本IBMなどの情報システム開発会社に外注する場合が多い

その場合、開発会社は自社が開発済みの標準品のシステムを「部分手直し(カスタム開発)」して、顧客企業の業務に合わせようとする

ここで情報システムに詳しくない人や情報リテラシーが低い人は、「部分手直し」について大きな誤解をしている場合が少なくない

実は業務関連の情報システム開発ではたいてい、

開発費用の大半が「部分手直し」の費用になる

例えば標準システムが1000万円だとすると、「部分手直し」には1億円かかったりするのが普通だ

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情報システム開発会社が標準システムの開発に10億円かけたとしても、それを顧客企業100社で使えば、1社あたりの割り振りは100分の1(1000万円)で済む

ファッションの世界と同様に、

既製服は安いが、注文服は高くつく

のだが、情報システムに詳しくない人は、これを非常に軽く見る

システム開発がスタートしてから、「ここはこうしてくれ」とか、システム内容の変更(これを仕様変更という)を気楽に連発して「部分手直し」をやたら増やしたりする

自社の業務の進め方に例外処理などが多く、世間一般とは違っているほど、「部分手直し」には手間と費用がかかる

だから情報システムの開発をスタートする前に、自社の業務の進め方を再検討し、なるべく例外処理などを少なくして、業務の効率化と標準化をしておくのが望ましい

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そうしないと、どこの会社にもある自社独自のちょっと変な業務の進め方や例外処理が「固定化」されてしまう恐れがある

家の中の不要物を捨ててスッキリするには引越がチャンスであるように、無駄の多い業務を見直すには、情報システム開発のタイミングがチャンスなのだ

文化シヤッターの考え方を見ると、

「ウチの業務の進め方はそのままにして

 情報システムをそれに合わせろ!」

というスタンスだ

開発企業を下請け企業や納品業者のように下に見て、上から目線での強気の構えなのかもしれないが、このスタンスだと「部分手直し」に天文学的な巨額費用が発生しかねないし、下手をすると今回の件のように、システム開発全体が頓挫することもある

文化シヤッターの窓口(たぶん担当役員)と、日本IBMのプロジェクト・マネージャーが、事前にこの辺の考え方やスタンスをよくスリ合わせてから情報システムの開発をスタートすべきだった

今回の件で、日本IBMはこのスタンスを受け入れているようにも見えるし、それが敗訴した原因かもしれない

開発実務をよく知らない営業マンが、受注を焦って安請け合いして、後でトラブルになることも多い

このスリ合わせをナーナーで適当に済ませてシステム開発をスタートすると、ボタンの掛け違いがだんだん拡大して、やがて収拾がつかなくなる

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いわゆる、

デスマーチ(死の行進)

と呼ばれる状態になる

情報システム開発の現場で、ノイローゼ患者や自殺者が出かねない場面だ

それで両社の対立が裁判所にまで持ち込まれたが、今回は日本IBMに問題アリという判決になったみたいです

でも本当にどちらに問題があったかは、かなり微妙~だと思いますよ

 (^_^;)

 

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システム開発の失敗を巡る、文化シヤッターと日本IBMとの間の紛争と裁判。

東京地方裁判所は日本IBM側に19億8000万円の支払いを命じた。

米セールスフォースのPaaSを用いた販売管理システムの構築を目指し、2015年に始めた開発プロジェクトだったが、2017年にストップ(頓挫)していた。

東京地裁は開発失敗の原因をどう認定したのか。

裁判記録をもとに読み解く。

詳細はここをクリック

 

人生で最も重要な真理

▲画面をクリックすると、動画が始まります

下の文章を読む前に、動画(1分少々)を見ることをオススメします

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上の動画、なかなかよく出来ていて、納得された方も多いかもしれません

上の動画では、自分の人生を1個のビンにたとえている

これに詰まらないものを詰め込むと、大切なものが入らなくなるよ、という教えです

「自分の人生にとって、何が最も大切か、

 それをよく見極めよ」・・・(*1)

という教訓は、けして間違っていません

いやむしろ「人生で最も重要な真理」なのかもしれません

 

* * * * * * * * * *

 

ただ、次のような冷めた見方も可能です

人を説得する(納得させる)上で、たとえ話は、非常に強力な手段です

多くの人にとって、論理的な証明よりも、たとえ話の方が納得しやすい

ここに大きな落とし穴があります

たとえ話はたいてい

「AとBは似ている、ゆえにAで正しいことはBでも正しい」・・・(*2)

というような説明をします(ここでは、A=ビン、B=人生)

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しかし、(*2)が常に成り立つという保証は、どこにもありません

話者がビンを「人生」ではなく「人生の時間」にたとえているのも巧みです

これなら人生の大きさ(キャパ)が誰でも同じだと納得させやすい

でも本当に、人生の大きさ(キャパ)は誰でも同じでしょうか?

生まれてから死ぬまで、一定(変わらない)でしょうか?

人生の大きさ(キャパ)が大きい人もいれば、小さい人もいるような気がします

一見すると「詰まらないこと」が、人生のキャパの拡大に役立ったりすることもありそうです

小さなキャパだった人が、人生体験の中で、キャパを大きくすることだってありそうです

私は、(*1)が正しくない、などと言っているのではありません

たとえ話という説得手段に気を付けましょう!

と言っているだけです

なぜなら、

宗教の話の多くは、たとえ話で構成されている

からです

仏教のお経とか、キリスト教の聖書とか、もうほとんど、たとえ話の山です

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昔は学校教育も行き届かず、文字の読めない人も多かったので、論理的な証明よりも、たとえ話が多用されました

たとえ話に納得した多くの人々が、宗教の信者になりました

実はこの状況は、現代でも余り変わっていないような気がします

上手なたとえ話を聴いて、「人生で最も重要な真理」が分かったような気持ちになったら、それは非常に危険な状況なのかもしれません

 (^_^;)