インド

東大農場の観蓮会

大野さんが東大農場観蓮会を見学して、その写真をいただいたので、以下に載せます

超大人気のイベントで、見学者が5000人以上も押しかけたんだとか

小石川植物園が東大というのは知ってたけど、他にもいろいろあるんだね

東大農学部と言うと飯野さんなんだけど、この東大農場にも飯野さん来てたのかな?

ちなみに東大農場という名称は「生態調和農学機構」に変わったそうですが、聴いても5秒で忘れちゃいそうな名前で、旧名の方がずっと良いように思います

東大のセンセイ」たち、ネーミング・センスが乏しいなぁ

(^_^;)~♪

私(小杉)は今、仏教の本など読んでるんだけど、蓮の花は極楽をイメージさせる特別な植物

仏教の経典「維摩経ゆいまぎょう」には「身は泥中の蓮華(れんげ)」という言葉あり

蓮の特徴は、水中の泥に根づいて、水面より上に美しい花を咲かせること

不浄である泥の中から芽を出し、真っ直ぐに茎を伸ばして優美な花を咲かせる様子から、蓮は仏教の教えの象徴

蓮は極楽浄土に咲いている花

仏像では、台座に蓮のモチーフが取り入れられ、「蓮華座(れんげざ)」と呼ばれています

蓮は仏教の発祥地インドの国花

インドの旅は素晴らしい体験でしたが、清潔とは言いがたい場所も多く、「不浄である泥」という表現も分からんではないです

インドで誕生した仏教ですが、イスラム教徒に破壊されたりして、今ではインドの少数派宗教に転落し、インド最大の宗教はヒンズー教になっています

ヒンズー教の神さまたちも、蓮の花の上にいますね

以下、大野さんからいただいた写真へ

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「バカ殿」ダイスキ!

▲インドのプーリー石油・天然ガス相

インドのプーリー石油・天然ガス相は7/17、ロシアからの原油供給が二次制裁の影響を受けた場合でも、代替供給源で国内需要を満たせると自信を示した。

・・・とのことですが、

上の写真を見た瞬間に、志村けんの「バカ殿」に出てくる家老(桑野信義)を思い出してしまいました

▲「バカ殿」に出てくる家老(桑野信義)

桑野信義は1957年4月4日生まれで、朝陽27メンバーとほぼ同世代

2021年に大腸がんの宣告を受け、14時間に及ぶ大手術を受けたそうです

とにかく私は、ホントに「バカ殿」ダイスキ!だったんだけど、出演メンバーが逮捕、自殺、大手術、そして極め付けが志村さんのコロナ死で、さらに放送局(フジテレビ)が大スキャンダル、もう何かに呪われたような状況になっています

田代まさしは、実にいい味を出してたのに、残念です! (T_T)

もう今となっては叶わない夢ですが、あのトボケた田代の芸を、もう一度見たい!

ちなみに、「バカ殿」はタップリ録画してあるので、過去の芸はいつでも見れます

▲自殺した上島竜兵(右から二人目)

▲由紀さおりの定番、年齢詐称ギャグ

しかし由紀さおり(1946年生まれ、現在78歳)って、このとき何歳だったのか知らんけど(50歳くらいかな?)、トコトン「老けない女」だよねー

浅田真央ちゃんも「真央姫」として登場

(^_^;)~♪

 

ブッダは我が子に「悪魔」と名付けた

先日(6/16)みんなで行った鎌倉大仏

 

1993年、生まれた我が子に「悪魔」と命名して市役所に届け出たトンデモない親がいて、役所に受理されなかった事件(悪魔くん事件)がありました

子供に「悪魔」と名付けることは、「社会通念上、問題がある」と判断されたようです

ところが仏教の教祖であるブッダ(仏陀)も、我が子に「悪魔(ラーフラ)」と名付けています

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九死に一生を得た奇跡

インドで旅客機が墜落して多くの方が亡くなりました

この種の事故が起きると、「九死に一生を得た!」という人が現れます

道路の渋滞で空港に着くのが遅れて助かった!、みたいな人

今回の事故では、乗っていたのに助かった人が一人だけいて、「265死に一生を得た!」のにもビックリしました

確か明石家さんまさんも、番組収録の関係で一便ずらしたおかげで、墜落ジャンボ機(JAL123便、1985年8月12日)への搭乗を免れ

きてるだけでもうけ!」

という悟り?の境地に達し、娘さんの名前を「IMALU」にしたのは有名な話

当時私はある会社でコンサルをしていて、そこの会社のある役員さんも、JAL123便に乗るはずだったのに、直前の会議が伸びて命拾いしてました

その人の役員室へ行ったら、まさに墜落したJAL123便の航空券が額に入れて壁に飾ってありました

ちょっとクセの強い人で、いわゆる「一言居士」のウルサ型オヤジ

社内では「憎まれっ子世にはばかる」などと陰で言われてましたね

こんな奇跡で命が助かると、明石家さんまさんのように悟りの境地に達して、にわかに宗教心に目覚める人も少なくないようです

でもね、我々がいまここで平穏に生きてられるのは、それだけで大変な奇跡のおかげかもしれませんよ

地球上に生命が誕生した確率が信じられないほど低いことは科学者が主張してますし、いまだに地球以外の星に生命が確認できていないことからも分かります

人類の歴史は少なくとも過去数千年、飢餓と疫病と戦争と暴力による壮絶な苦難の歴史でしたが、現在(2025年)の我々日本人は、そのほとんどの苦しみから免れています(死だけは無理ですけど)

わずか30年くらい早く生まれていたら戦争に巻き込まれて、石川太郎先生のように大変な目に遭っていたであろうことを考えると、奇跡的に「いいタイミング」で生まれたなぁと思います

いま現在だって、ウクライナやガザに住んでたら、相当にキツイはず

そんな「奇跡」に立脚した今日このごろの日常ですが、それが当たり前の気分になっちゃうのも、人間という生き物の脳の習性(何でも慣れちゃう)なんでしょーかねー?

平穏な毎日の中で、「生きてるだけで丸もうけ!」と悟りの境地に達するのは、簡単ではないようです

(^_^;)

「九死に一生を得た」記事へ

牛が逃げた!

 

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今は食肉処理施設や食肉加工工場などと呼ばれていますが、昔は屠畜場、屠殺場、屠場などと呼ばれていました

明治まで仏教の影響で、あまり食肉をしなかった日本では、暗い悲しい歴史を背負った施設です

処理(加工)プロセスは残酷なので、一般人の目には触れないように隔離されていますが、ネットで探せばリアルな動画も見つかります

上の動画は、今日逃げた牛で、周囲の日本人がビックリしています

ちなみにヒンズー教で牛は神様なので、ヒンズー教徒は牛を食べず、イジメたりもしません

インドの街には野良牛(のらうし)がいっぱいいて、渋滞の原因になったりもしているのですが、インド人は牛を叩いたりせず、道路からいなくなるのを気長に待っています(牛の近くの道を棒で叩いて、その音で牛を追い払うくらいはする)

(^_^;)

 

food_gyudon12/12午前、神奈川県厚木市で食肉処理施設に運ばれる途中の牛1頭が逃げ出し、およそ1時間後に捕獲されましたが、牛とぶつかった70歳の女性など3人がけがをしました。

警察によりますと、12/12午前10時15分ごろ、神奈川県厚木市の食肉処理施設、「神奈川食肉センター」の近くの路上で、北海道からトラックで運ばれてきた牛13頭を食肉センターに運び込むため畜産業者が別のトラックに移動させていたところ、1頭が逃げ出しました。

この牛は、休日で混雑していた県道や住宅街などを1時間近く逃げ回り、およそ800メートル離れた場所で関係者により捕獲されました。

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警察によりますと、畜産業者の男性のほか、逃げていた牛とぶつかった70歳の女性や牛から逃げようとして転倒した5歳の女の子の合わせて3人がけがをしたということです。

いずれも軽傷だということです。

また、警察が、付近の道路を通行止めにするなどの対応をとりましたが、牛と車が接触した被害も複数、確認されているということです。

警察が畜産業者の男性に話を聞くなどして、詳しいいきさつを調べています。

 

 

 

宗教的信念(イデオロギー)のパワー

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人間を突き動かす心理的原動力と言えば

 第1の原動力:本能(DNA)の命令(根源的欲望)

 第2の原動力:宗教的信念(イデオロギー)

 第3の原動力:理性に基づく損得判断(これはタカが知れている)

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だから政治の世界でも、ワイロとか裏金みたいな金権政治は、第3のタイプなので、その害はタカが知れてますが、共産主義やナチズム、十字軍、ジハード(聖戦)のような第2のタイプは、非常に恐ろしいです

正義の人」が登場して、100%の善意と信念で、恐ろしい大虐殺をします

もし地獄という場所があるのなら、そこには善意が満ちていると思います

 ((((;゚д゚))))

 

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宗教的理由から、45年間右腕を上げたまま暮らしてきたインド人男性が話題になっている。

インド人男性のアマル・バルティさんは、ヒンズー教の「創造と破壊の神」であるシバ神(←)に自身を捧げるとして、1973年から45年間、右腕を一度も下ろさずに生活している。

過去にバラティさんは、妻と3人の子どもを持つ家長として働きながら平凡に暮らしていた。

しかし1973年に突然宗教的悟りを得て、ヒンズーの神に自身を捧げることを決心した。

バラティさんは家と家族を捨て、1人で山に入り修行を始めた。

彼は初めて、シバ神に対する信仰と感謝を表するために、片手を上げて生活を始めたという。

一部では彼が地球上のすべての戦争に反対して右腕を上げて生活し始めたと説明する。

45年にわたり上げられた右手の皮膚と爪は癒着し、肩の骨は固まってしまい手は全く使えなくなった。

現地メディアは

「やせ細った腕は、まるで棒のようだ」

と表現した。

バラティさんは最初の2年は苦痛の中で過ごしたが、その後、腕の感覚をすべて失ったと明らかにした。

あまりに長期にわたり腕を上げていたため、下ろしても腕に永久的な神経損傷ができる可能性が高く、一生手を上げたまま暮らすことがむしろ良いという。

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現在70歳をはるかに超えた年齢だが、彼の健康に大きな異常はないと外信は伝えた。

バラティさんのこうした行動が知らされ多くのインド人が、サドゥ(ヒンズー教の行者)になり彼のように腕を上げようとしたが、だれもバラティさんの記録を破ることはできなかった。

バラティさんは、いまも右腕を高く上げており、今後も下ろす計画はない。

読書 ブッダ

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手塚治虫(→)がブッダの一生を描いた有名な作品

全14巻3000ページ以上、一気に読みましたが、重厚な読み応えでした

以前に一度読んだような気もするのですが(途中までかもしれない)、ほとんど内容を忘れていたので、新鮮な気分で読めました

仏教書は哲学っぽい本が多いのですが、本書は大河ドラマのようにブッダの一生を描いていて、子どもでもそれなりに楽しめるようになっています

前半は、若いブッダが悟りに至るまでに迷いと苦悩の日々

後半は、多くの教祖がそうであるように、世間の無理解と弾圧に遭いますが、それらに対してガンジーのように非暴力で対応し、信者を得て教団を大きくしていきます

世界を征服していこうとする男性的な一神教(ユダヤ・キリスト・イスラム教)に対して、自分を世界に溶け込ませ一体化しようとする女性的な仏教

私は仏教信者ではありませんが、聖徳太子以来1000年以上、仏教の教えは日本人の生活や思考、行動様式、文化などに深く浸み込んでいるので、気が付くと仏教の価値観で読んでいる自分がいたりします

(^_^;)

手塚治虫 ブッダ 全14巻 -_01

「ブッダが考えたこと」へ

 

読書 ブッダが考えたこと

ブッダが考えたこと 仏教のはじまりを読む (角川ソフィア文庫)_01

 

ブッダ(仏陀)は、本来は「目覚めた人」の意

言うまでも無く、仏教の創始者「お釈迦さま」であり、本名は「ゴータマ・シッダールタ」で、インドの地方豪族であったゴータマ族の王子、シッダールタさんということになっている

実在した人物であったことは、ほぼ間違いがないとされているが、生没年について正確なことは不明で、紀元前5~7世紀の人であろうと言われている

著者は、インド哲学の研究者で、お坊さんや仏教信者ではなく、あくまでもインド哲学の一つとして、バラモン教、ジャイナ教などとも比較しながら、かなり冷静に「哲学としての仏教」を扱っている

特にインド哲学の根幹である輪廻説(りんねせつ)の説明は、著者独自の見解も含まれていて、読みごたえがある

本書を読む前から感じていたことではあるが、仏教は哲学としてみると、非常に奥が深い

ブッダ本人の言葉に最も近い「スッタニパータ」などの原始仏典を見ても、認識論や存在論について、非常に高度な哲学を展開している

別にキリスト教を馬鹿にするつもりは無いが、原始仏典に比べると、聖書の哲学は子供じみている

宗教は、必ずしも哲学である必要は無いから、それはそれで構わない

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ブッダは、若い頃に人間の生老病死の苦について深く悩み、将来の王になる身分を捨てて出家し、苦行や瞑想を経て、菩提樹の下で悟りを得たとされている

重要なのは、この「悟りを得た」の具体的な内容だ!

何を、どのように考えて、どのような結論に至ったのか?

どのような結論ならば、「悟りを得た」と言えるのか?

この最も重要な点で、多くの仏教書の説明は、曖昧模糊としている

それもそのはずで、多くの仏教書の著者は、お坊さんや仏教信者で、教祖であるブッダの思索について、余り具体的に突っ込んで記述することを避けているきらいがある

教祖というものは、神秘的な雰囲気を帯びていた方が、信者にとっては信仰のしがいがあるということかもしれない

お坊さんや仏教信者は、特定の宗派(浄土真宗とか日蓮宗とか)に属しているから、その宗派の教え(教学)との兼ね合いもある

余り自由奔放に原始仏教について語ると、属している宗派内での、自分の立場が悪くなる恐れもある

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私は敬虔な仏教信者ではない

葬式や墓参り、あるいは旅や散歩でお寺に行くことはあるが、信仰心は平均的な日本人と余り変わらない(それ以下かもしれない)

私は敬虔な仏教信者ではないが、哲学者としてのブッダの思索(哲学)には大いに興味があるので、この点で従来の仏教書には、少々物足りないものを感じていた

かと言って、「スッタニパータ」などの原始仏典を読むと、ブッダが一般の衆生に向けて分かりやすく説明するために、非常に多くのたとえ話などが混じり、文章も冗長だ

そのために、哲学的な思索の焦点が、ややボケているようにも感じられる

そのものズバリ、ブッダは2700年くらい前に、何を考え、何を結論としたのか?

本書は、それに対する答えを、私が今までに読んだどの仏教書よりも、ストレートに説明しているように感じた

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【追記】

私は敬虔な仏教信者ではないが、海外旅行などで書類に「religion(宗教)」の欄があったら「Buddhist(仏教徒)」と記入している

「Muslim(イスラム教徒)」などと書くとテロリストと疑われそうだし、「Jewish(ユダヤ教徒)」では差別されそうだ

「No religion(無宗教)」が最悪で、キリスト教徒から、悪魔を見るような目で見られかねない

「Buddhist(仏教徒)」が一番無難なのだ

(^_^;)

 

結婚式が一瞬にしてお葬式

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このニュースを読んで まず感じたことは

 「そんな馬鹿な!」

なのですが、よく落ち着いて考えると

 「日本の常識は、海外では通用しない」

のだと感じました

 ((((;゚д゚))))

 

インドで、結婚式が一瞬にしてお葬式になってしまった。

式の最中に花嫁が、心臓発作で亡くなってしまった。

しかし両家の合意のもと、花嫁の妹がそのまま新郎と結婚した

インドのウッタル・プラデーシュ州で、5/27に執り行われた結婚式は、地元に住む新郎マノジ・クマールさん(Manoj Kumar)と新婦スラビーさん(Surabhi)のために厳かに始まった。

ところが式の初めに行われる伝統儀式の花輪の交換をした直後、新婦スラビーさんが壇上で倒れてしまった。

すぐに医師が治療したが、その場で新婦スラビーさんの死を告げられた。

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死因は重度の心臓発作。

新婦の急死で両家は困惑した。

スラビーさんの兄弟であるサウラブさん(Saurabh)はこのように語っている。

「みんなどうしたらいいのか分からない状態でした。

 両家の家族が途方に暮れていると、誰かが

 『妹のニーシャ(Nisha)と結婚させたらどうか?』

 と提案してきたんです。それで両家で話し合った結果、

 代わりにニーシャが結婚することになったのです。」

両家は、新婦だったスラビーさんの遺体を別の部屋へ移し、新しい新婦である妹ニーシャさんと新郎マノジさんの結婚式をそのまま行った。

そして結婚式の後に、今度は亡くなった元新婦スラビーさんの葬式が行われた。

元新婦スラビーさんのおじであるアジャブ・シンさん(Ajab Singh)は、今回の出来事について次のように明かした。

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「私たち家族にとっては非常に厳しい決断でした。

 別の部屋で死んだ新婦スラビーが寝かされていて、

 すぐ近くで新婦の妹ニーシャが結婚式を挙げている

 元新婦スラビーが亡くなった悲しみも、

 幸せであるはずの妹ニーシャの結婚式も

 まだ完全に実感できていません。」

 

サイのツノのように

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 ブッダが弟子に与えた言葉です

  哺乳類で角が一本なのはサイだけです

 ブッダは弟子が修行中に

  群れることを好まなかったようで

ただ独り歩め」と繰り返し繰り返し 説いています

 (^_^;)

 

「 寒さと 暑さと 飢えと 渇えと 

風と 太陽の熱と 虻と 蛇と

これらすべてのものにうち勝って

 サイのツノのように ただ独り歩め 」

 

スッタニパータ』は ブッダ本人の言葉に最も近い

と言われている原始仏典です

中村元さんの訳で 岩波文庫に入っています アマゾン

 

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