トヨタ社長の豊田章男さんが、バプソン大学の卒業式スピーチをしています
若いころ、この大学に留学していたんですね
そのせいか堪能な英語で大ウケ、大爆笑の連続です
貫禄も十分、さすが国際的大企業の経営者
それでスピーチの要点は
本当に心の底から楽しめることを探せ!
ということのようです
19年前(2006年)に開催された新宿高校1年A組のクラス会で、来賓ご出席の有賀先生(A組担任)のスピーチでも、ほぼ同じ事をおっしゃっていたと記憶しています
(^_^;)~♪
トヨタ社長の豊田章男さんが、バプソン大学の卒業式スピーチをしています
若いころ、この大学に留学していたんですね
そのせいか堪能な英語で大ウケ、大爆笑の連続です
貫禄も十分、さすが国際的大企業の経営者
それでスピーチの要点は
本当に心の底から楽しめることを探せ!
ということのようです
19年前(2006年)に開催された新宿高校1年A組のクラス会で、来賓ご出席の有賀先生(A組担任)のスピーチでも、ほぼ同じ事をおっしゃっていたと記憶しています
(^_^;)~♪
▲バイデン一家
アメリカ前大統領バイデン(82)が、家族と一緒の写真(↑)をSNSにアップ
この写真が「不自然だ!」として話題になってる
今はAIで合成写真が簡単に作れるけど、何か不自然な感じが残ったりする
それで、わざと不自然さのある写真を合成して、「どこが不自然か?」を当てるクイズがネット上で流行っていたりもする
上の写真をよく見ると、バイデンは階段の最上段付近にいるのに、背の高さ(頭の位置)が何となくおかしい
立ってるようには見えず、床にヒザをついてる、あるいは階段に腰かけてるくらいの高さなんだけど、スーツ着てヒザをついたり階段に腰掛けたりするかな?
バイデンは在職中に、階段で何度もコケてるから、ちょうどコケて起き上がった(まだヒザついてる)ところの写真なら、さもありなん
だいたい前大統領なんだから、普通はバイデンを中央にして写真とるでしょ
上の写真のせいで健康不安説まで出ている
「すでに死んでいるのではないか?」とか
バイデンは大統領在職中からヨボヨボしていたし、いつみまかっても不思議ではない
遺産相続か何かの関係で、まだ生きてることにしたい事情でもあるのかな?
それに比べて、トランプ(78)の元気なこと!
上のバイデン一家、オシャレとはほど遠い(ダサい)普段着みたいな格好なんだけど、わざと庶民性をアピールしてるつもり?
トランプ一家が常にモデルみたいに超オシャレなのと大違い
実際、トランプの奥さんは元モデルだしね
とにかく私は、ちょっとミステリアスと言うか、ホラーっぽい話がダイスキです
(^_^;)~♪
▲トランプ一家
* * * * * * *
追伸 ローマ教皇フランシスコの葬儀で、
「男性は黒いスーツと黒いネクタイ、白いシャツ」
というドレスコードを無視して、トランプが青いスーツとネクタイで参列し、世界中から非難ゴーゴー
こうゆう
「オレのルールは、オレが作る!」
みたいなオヤジって、面白いから好きです
その下で働きたいとは思わないけど
それでも、トランプは先進国の文明人だから、ルールを破ったことがニュースになってる
これがプーチンとか習近平なら、ルールを守ったことがニュースになるよ
(^_^;)~♪
私は映画が好きだけど、観るなら映画館より自宅で一人で観る方が好き、そして字幕より吹替が好き
昨日観たこの映画、2018年のアメリカ映画、とても良かったので少し書きます
1960年代の米国で、成功してカーネギーホールの中の豪華ルームに住む黒人ピアニストが、まだ黒人差別が根強い南部への公演ツアーを計画する(非常に勇気のいること)
▲ニューヨークにあるカーネギーホール
▲カーネギーホールの中にある、黒人ピアニストの住居スペース
▲現在の非白人比率マップ
「黒人は畑で肉体労働する奴隷」という意識の強い南部に、経済的に成功した黒人が行けば、現地の白人たちから激しい反感を買い、何をされるか分からない
そこでピアニストは運転手兼用心棒に、粗野でがさつ、少々ケンカっ早いイタリア系を雇い、2人でクルマに乗って危険な公演ツアーという珍道中をする
このイタリア系というところもポイントで、白人だがアングロサクソンなどから差別されがちなイタリア系
刑事コロンボも主人公が「安月給のさえない」イタリア系の刑事で、成功した富裕な犯人(多くはアングロサクソン)を追い詰めるという設定が、米国庶民に大ウケ(たぶん、成功者の転落を見る庶民の爽快感なんだろね)
「安月給のさえない」を強調するツールが、ヨレヨレのコート、そしてボロボロのクルマ
黒人差別という重苦しくなりがちなテーマだが、ユーモラスに描いていて、時々泣かせる場面もある
経済力と弱点の両方を持つ少し気難しい男が、まったく異なる育ち境遇のがさつな男を助っ人として雇い、やがてふたりの間に友情が芽生えるというストーリーは、先日観た「最強のふたり」に通じる
「グリーンブック」とは、黒人でも泊まれるホテルをリストアップした旅行ガイド本
当時、米国の多くのホテルは白人専用で、黒人の泊まれるホテルはごく限られており、ゴキブリが這い回るような劣悪な環境だった
ピアニストはそれを覚悟で、南部への公演ツアーに出る
それから現在までの60年余り、公民権運動などによる差別撤廃が時代の流れとなるが、その裏で米国の貧しい白人たちは白人としての特権を次々に奪われ、経済的にも追い詰められて不満が鬱積していく
その貧しい白人の鬱積した不満に着目して(利用して)大統領になったのがトランプ
副大統領バンスの著書「ヒルビリー・エレジー」の副題は
アメリカの繁栄から取り残された白人たち
元大統領オバマが、このピアニストに重なって見えた
人種別の出生率の違いや移民の流入などによって、米国の白人比率は下がり続けている
白人が米国の少数民族になる日は、そんなに遠くない
現在のトランプ政権の政策は、白人層の「最後の抵抗」にも見えてくる
この映画には実話が背景にあり、「最強のふたり」と同様、二人は生涯親友でありつづけた
(^_^;)~♪
天皇皇后両陛下は、イタリア大統領とその長女を皇居へ招き、昼食会を催されました
昼食会では、皇后さまが大統領に
「猫がお好きなんですね?」
と声をかけられ、猫の話題で話が弾んだということです
猫って本当に、話が弾まない時に、便利な存在ですよねー
(^_^;) ニャー
▲小林まこと「ホワッツ マイケル」より
猫ってたいてい、コーヒーミルクが大好きです
なお、言うまでもありませんが
イタリア大統領が「話の弾まない客」だ
などと言っている訳ではありませんよ
(^_^;)~♪
この映画音楽がすごくいい
昨日の「最強のふたり」につづき、今日もまた超ステキなフランス映画を観ました
「最強のふたり」は少しアメリカ映画っぽかったけど、この「海辺のポーリーヌ」は、まさにフランス映画ど真ん中という感じ
モンサンミッシェルに近いビーチに、15歳のポーリーヌ♀と25歳くらいのマリアン♀(二人はいとこ)がパリからバカンスにやって来る
マリアンはこのビーチが初めてじゃなくて、現地に昔の恋人もいて、男女数人が入り乱れてビーチで短い夏を過ごします
ストーリーだけ見るとドタバタ痴話げんかっぽいんだけど、それがさすがフランス人で、オシャレ、セクシー、哲学的なんだよね
ストーリーは単純で、雰囲気(ムード)を楽しむ映画です
こんなムードは、フランス映画じゃないと味わえないなぁ
中のひとり、アタマが少しハゲかかった中年男(と言っても40歳くらいかな)のアンリは、いい女とみると見境がなくて、次々に引っかけようとする浮気性の強い奴なんだけど、これがけっこうモテるんだ
欧米では「ハゲの男はモテる」って聞くけど、こんな感じなのかな?
マリアンは、まさにフランス女って感じで、コケティッシュな魅力を思い切り振りまいている
中年男アンリはマリアンと関係しながらも、「彼女は完璧すぎる」とかなんとか難癖を付けている(たぶん、浮気の言い訳)
映画の題名にもなってるポーリーヌは、まだ15歳で子供っぽいんだけど、周囲の大人たちの恋愛に混じりながらボーイフレンドを作ったりして、しかも自分なりの恋愛観を持って毅然としてるのはかっこいい
マリアンがポーリーヌを預かって二人でビーチに来たという設定だから、ポーリーヌの母親とかが出て来ないのもいいんだろうね
フランスの女の子って、こうやって「大人の女」になっていくのかなぁって感じ
フランスには女性の年代層の中に、しっかり「大人の女」という区分があって、これが質量ともに存在感がスゴいなぁと思う(主にフランス映画からの印象だけどね)
日本では下手をすると、「少女」「若い女」からいきなり「主婦」とか「中年女」に跳んでしまって、「大人の女」の幅や存在感が薄いような気がする
「大人の女」という存在が、「主婦」や「中年女」と何が違うのか、と問われたら、まず「恋愛の現役感」でしょうかねぇ
フランス映画の強みを3つ選ぶとしたら(日本人の男である私の目から見て)
フランス女 フランスの風景(特にパリ) フランス語
かなぁと思う
イタリア人もそうだけど、ラテン系の女はカワイイし、自由奔放で魅力的だ
フランスは階級社会だから、上流と下流では違うだろうけどね
同じ白人でも、ゲルマン系は生真面目で固い感じがするし、デカくてゴツい
パリの街並みを背景にして映画を撮れば、下手な監督でもいい映画を撮れそう
恋愛映画でフランス語の話し言葉としての上品さは強力で、英語やドイツ語はかなり不利だ
フランス語:愛をささやく言葉
英語:部下に用事を言いつける言葉
ドイツ語:家畜をののしる言葉
そして、愛をささやきながら、哲学っぽい会話をする
フランスの高校卒業試験であるバカロレアでは、「哲学」が必須科目で、非常に重みのある科目だ
日本の高校の「国語」に近いんだけど、日本の国語の教科書には情感(ハート)に比重のある文学作品が多いのに対して、フランスの「哲学」は徹頭徹尾、自分のアタマで考え抜く論理(ブレイン)の世界
結局、フランス人をフランス人たらしめているのは、この高校時代にたたき込まれる「哲学」なのではないかと思う
私は基本的に外国映画は、字幕を読むのがメンドウなので吹替で観るのが好きだけど、フランス映画は字幕もいいなぁと思います
とにかく「海辺のポーリーヌ」、各シーンが長く記憶に残りそうで、何年も経って再び観ると懐かしさを感じそうな映画
1983年の映画だから、もう40年以上も前なんだけど、まったく古さを感じない
むしろ、最近のフランスは移民が増えすぎて荒廃しちゃってるから、古き良き時代のフランスが描かれたステキな映画と言えそう
パリ五輪の演出は、世界中から叩かれて「フランスも落ちたもんだ」と言われたし、フランス人はプライドが高くて周辺国を見下してるから、何かと嫌われがち(日本で言えば京都に似ている)
だけど過去には、いい映画をいっぱいつくってますね
(^_^;)~♪
久しぶりにいい映画だったので、感想を少し書きますね
映画評で評価の高い映画を観ると、期待が高くなる分がっかりすることもあるんだけど、本作は期待を裏切らなかった
ハングライダーの事故で、首から下がマヒした富豪の中年フィリップ
貧しいスラム街の出身だが陽気な黒人の若者ドリス
フィリップは、住み込みで身の回りの世話をする人を募集し、採用面接に多くの人が並ぶ
真面目そうな応募者が多い中で、気むずかしいフィリップは、ズバズバものを言うドリスが気に入る
ドリスは介護役に採用され、何もかも正反対の二人に友情が芽生えていく
階級差 パリの街並み 冒険 孤独と愛 不機嫌と愉快
寝たきりや、首から下がマヒでも、人生はそれなりに楽しめる
暗く湿っぽくなりがちな身体障害者の世界を、明るく愉快に描く
まあ、余り暗くならないのは、身体障害者でも大富豪だからかもしれないけどね
上流階級的な気取った世界を、痛烈に笑い飛ばしているところも痛快だ
2011年のフランス映画だから近作ではないが、この映画には実在のモデルがいて、ふたりともたぶん今も健在(もちろん一人は体が不自由)
黒人が主人公だからアメリカ映画っぽいけど、やはりフランス映画っぽさはよく出ている
(^_^;)~♪
▲カーネギーホール
買収額は141億ドル(約2兆円)
USスチールは122年の歴史を誇り、かつて世界最大の企業でした
米国を代表していた大企業が海外勢に買収されるというのは、米国人にとっても感慨深いようで、米国でも大きく報じられています
「中国ではなく日本の企業に買収されて良かった」
と感じているかもしれません
いま中国は不動産バブルの破裂で、それどころではないと思いますけどね
日本でも東芝が、海外ファンドに買収されそうになってましたね
私も理系出身なので、友人が何人も東芝に就職しました
いま「半導体JAPAN」復活の流れに乗って、東芝が大復活して欲しいものです
USスチールは1901年の大合併で誕生しました
日本製鉄の前身の八幡製鉄も1901年の設立
良きライバルと言いたいところですが、かつての八幡製鉄から見たら、USスチールは雲の上の存在でした
USスチールの設立に深く関与したのが、鉄鋼王カーネギー(←)
日本で言えば、新一万円札の顔、渋沢栄一みたいな人
NYのカーネギーホールで有名です(↑↓)
カーネギーホールで演奏することは、世界の演奏家の夢
ピアニストのルービンシュタイン(→)が、ニューヨークで道を歩いているときに観光客から
カーネギーホールへの道
を尋ねられ
Practice, practice, and practice.
(練習して、練習して、さらに練習してください)
と答えたという逸話は余りにも有名
歩行者には5分で行ける道のりでも、演奏家には遠い遠い、さらに遠い道のようです
鉄鋼王カーネギーにも、次のような有名な逸話があります
母親と一緒に市場へ買い物に行ったカーネギー坊や
果物屋に山積みされていたサクランボに見入る
気付いた果物屋のおじさんが
「一つかみ、あげるよ」
しかしカーネギー坊や、手を出さない
おじさん「サクランボ、嫌い?」
坊や「好き」 でも手を出さない
おじさんは不思議そうな顔で、サクランボをつかんで坊やの帽子に入れてやる
帰宅後に母親が「どうして自分で取らなかったの?」と尋ねると、カーネギー坊や
「おじさんの手の方が大きかったから」
さすが大実業家、ガキのころからシタタカだったようです
この種の逸話は、伝言ゲームで話が盛られていくので、どこまでホントか知らんけど
(^_^;)
▲カーネギーホールの内部
有名なフランス映画だが、観たのは今日が初めて
変な親に育てられ、学校へも通わず、友達のいない少女アメリは、モンマルトルのカフェで働きながら、彼女独特の「空想の世界」を作って生きている
ひょんなきっかけからアメリは、
周囲にいる人たちの人生に密かに影響を与える
という不思議な趣味に入り込んでいく
そのドタバタが、ブラックユーモア的で、パリらしく少しオシャレで、ほのぼのしている
その背後にあるメッセージは、フランス映画によくある
la vie est merveilleuse(人生は素晴らしい)
で、彼女から影響を受けた周囲の人たちは、みんな少しずつ幸せになっていく
そして彼女も不器用ながら恋人を見つけ、二人でバイクに乗ってパリの街を疾走する場面で映画は終わる
この、バイクでパリの街を疾走するシーンは印象に残る
私の大好きな映画「パリでかくれんぼ」でも似たシーンがあった(こっちは一人でバイク便の配達だが)
映画の中で歌う ENZO ENZO も印象的で、私はファンになった
映画「アメリ」は2001年の作品だが、ミュージカルになったりして、その後もいろいろ話題が尽きない作品
来月(2023年11月)には日本全国で、デジタルリマスター版が再上映らしい
この映画にも、モロッコ出身の移民(八百屋の店員)が登場して、パリの下町で貧しくひっそりと生きている
移民があふれて暴動を起こしている最近の殺伐としたパリとは別世界
日本でも埼玉県川口市で、クルド人が騒ぎを起こしたりしているから他人事ではない
(^_^;)
▲映画「パリでかくれんぼ」 バイクで疾走するナタリー・リシェール
▲ ENZO ENZO ▼
▲全然関係ないけど、かわいいビダルちゃん
▲移民が暴動を起こしている最近の殺伐としたパリ(2023年7月)
▲ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne)
昨日ジョブズの最後の言葉から死について書いたので、そのつづきを書く
大学受験のころ、英文解釈の英文に下のような文章があった
我々の多くは、100年前にはこの世に存在していなかった
我々の多くは、100年後にはこの世に存在していないだろう
ではなぜ、前半を悲しまず、後半だけを悲しむのか?
当たり前じゃないかと感じる人も多いかもしれないが、私にはなぜか心に刺さり、記憶に残って長く気になっていたが、その時は誰の文章なのか分からなかった
それから20年以上たったある日、読書をしていたら、その文章にぶつかった
16世紀ルネサンス期のフランスの哲学者モンテーニュの言葉で、彼の代表作「エセー」の中の文章だった
彼はワインの産地で有名なフランス南西部の中心都市ボルドーの近くの、モンテーニュ村の貴族の息子だった
彼の家が支配している村なので、彼の名前と同じ村名になっている
さほど大貴族と言うほどではなかったようだが、フランス革命より2世紀以上も前のフランス貴族の生活は、非常にぜいたくなものだった
彼がまだ幼いころ、専門の目覚まし楽団がいて、目覚めの音楽を毎朝演奏していた
目覚ましベルのような荒々しい音で目覚めると、脳の発育に良くないと親が考えたようだ
最初はごく静かな音楽から始め、彼が目覚めるまで少しずつ音量を上げ、彼が目覚めてからもしばらく演奏を続ける
まさにアンシャンレジーム期の、貴族の優雅さの極致のような生活だ
現在の超高級ホテルで、このようなサービスを提供したら面白いと思うのだが、まだ眠っている部屋に楽団が入って来るのを嫌がる人も多かろう
彼の父親(ボルドー市長を務めたこともある)は息子の教育に熱心な教育パパだったようで、家庭教師をやとって彼に当時の学問教養を広く身につけさせた
当時すでにラテン語は日常語ではなかったが、彼の父は家庭教師にフランス語の使用を禁じ、ラテン語だけで彼を教育した
当時の学問教養は、ほぼすべてラテン語で書かれていたので、そのための配慮だった
おかげで彼は、ラテン語をフランス語と同様に、母国語としてあやつれるようになった
彼は成長して裁判官になり、ボルドー高等裁判所(パルルマン)で働いた
しかし彼は裁判官の仕事に飽き(貴族は飽き易い)、37歳の時に退職して故郷のモンテーニュ村に帰り、屋敷の中に書庫を兼ねた読書室(librairie)を設けて読書生活に入った
▲モンテーニュの読書室(librairie)
天井の梁(はり)に、古典文献からとった格言名言が書かれている
彼の読書室はモンテーニュ村に現存している
一度尋ねてみたいと思っているのだが、コロナのせいで延び延びになっている
右の写真(→)は、モンテーニュの屋敷の片隅にある塔で、この3階に彼の読書室がある
彼が生きた時代は16世紀の後半で、日本で言えば戦国時代、織田信長の生きた時代と重なる
今より平均寿命が短かったとはいえ、37歳でご隠居さんのような生活に入るのは、かなり早かったはずだ
ただ、当時の貴族は生まれてから死ぬまでずっとご隠居さんみたいな生活の人もいたので、特に問題はなかったようだ
それからの彼は、モンテーニュ村の領地管理という必要最低限の雑務(ビジネス)以外は、この読書室にこもってギリシャ、ローマの古典を広く渉猟(しょうりょう)し、その合間に「エセー」という本を書いた
当時のフランスは宗教戦争のまっただ中で、カトリック勢力とプロテスタント勢力が、血で血を洗うような抗争を続けていた
時には彼の屋敷に暴徒がなだれこむような事件も発生しているが、彼は穏健な思想だったので、カトリックとプロテスタントの両派から信頼されており、のちに一時ボルドー市長をつとめて両派の調整もしている
彼はそんな両派の抗争からは距離を置いて、読書室での静かな読書と執筆の生活を続けた
まあ、働く必要のない貴族だからできた生活と言えばその通り
だが現在の平和で自由で豊かな日本で「適度なレベルのお金(some money)」があったら、誰でもその気になれば実現可能な生活かもしれない
彼はカトリック教徒だったが、「エセー」には宗教的記述が乏しく、この時代の人としては驚くほど合理精神に貫かれている
武人と文人という違いはあるが、合理精神のカタマリのような信長とモンテーニュが出会っていたら面白かったのではないかと思う(モンテーニュは信長より1歳年上)
彼はラテン語の達人だったが、「エセー」は日常語のフランス語で書いた
そのせいか広く読まれて、ちょっとしたベストセラーになった
当時のフランス国王とも親しく、国王が彼の屋敷に泊まりに来て夜遅くまで語り明かしたり、彼がパリまで遊びに行って国王と会ったりもしていた
フランス国王アンリ3世→
モンテーニュは、国王アンリ3世の「侍従」という立場だったが、常に近くにいて臣従していた訳ではない
国王のアドバイザーやコンサルタントのような立場だったと思われる
書名の「エセー」は、エッセイ(随筆)の語源となっており、もともとは「試み」や「企て」という意味
彼は自分という実験台を通して、散文形式で率直に思いつくままに、人間という存在を描写してみようと「試み」た
「エセー」は現在、日本語訳されて岩波文庫にも入っており、全6巻2224頁という大部の作品だが、体系もストーリーもなく、思いつくままのバラバラなテーマで書かれた本なので最初から通して読む必要はなく、好きな所から読み始めても楽しめる
だから夜眠る前に「エセー」を開き、適当なページから眠くなるまで読むというのを習慣にしている人も多く、私もその一人だ
冒頭に「ではなぜ、前半を悲しまず、後半だけを悲しむのか?」と書いたが、これだけを読むと唐突な感じで納得できる人は少ないと思う
だが、彼の「エセー」に読み親しんでいると、この考え方(哲学)が心に染み込んできて、死が余り怖くなくなるような気がするのだ
(^_^;)
ニューヨークが大雨だそうです
ニューヨークは、ビジネスチャンスをつかむには、世界で最高の街
でも普通に生活するには、余り暮らしやすい場所ではないかもしれません
冬には寒くて大雪になったりするし、ニューヨークに限らないけど、医療費が異常に高くて、うっかり医者にもかかれないとか
今は異常な物価高で、卵1パック(12個)2500円とか言ってた時期もあったけど、少しは収まったのかな?
まあ雪が降ろうがヤリが降ろうが、赤組(中露韓北)の国に住むよりは、はるかにマシだと思います
(^_^;)
* * * * * * *
現地時間の9/29金、アメリカ・ニューヨークは記録的な大雨に見舞われました。
上空の寒気を伴った低気圧、寒冷渦の影響で雨雲が発達したとみられます。
現地時間の9/28木の深夜から雨が強まり、9/29金の午後にかけて大雨となりました。
ジョン・F・ケネディ国際空港では9/29金の雨量が約200mmに達し、1948年の統計開始以来、最も多い記録を更新。
セントラルパークの雨量計でも150mm近い雨を観測しています。
大雨によって市街地では大規模な冠水が発生し、丘陵地帯では土砂崩れの起きた所があります。
すでにニューヨークの中心部からは活発な雨雲が離れつつあるものの、影響が残っている可能性があるため、現地の気象当局は引き続き注意を呼びかけています。