20【親睦会】

苗場プリンスホテル

最近はYoutube(特にネコ動画)を観るのが趣味のようになっています

上の動画は、苗場プリンスホテル

バブルのころは一世を風靡した、あの苗場国際スキー場がメインの巨大かつ豪華なリゾートホテルです

かつてのバブリーな若者スキー文化も「風と共に去り」まして、今はスキーもできる静かな温泉リゾートホテルになってるようですね

以前、太田くんを囲む会の温泉合宿で行ったなぁ、なぁーんて思って動画を観ていたら、何だか記憶と違う

よく考えたら、温泉合宿したのは越後湯沢だったと気付きました

しかもプリンスホテルじゃなくてニューオータニで

昔の記憶がだんだんボケて来ているのを感じます (T_T)

▼これまでの温泉合宿で行った場所

太田くんを囲む会 創立45年以上に及ぶ 輝かしい伝統! (^_^;)

1980年08月 登山合宿 上高地キャンプ場

このころほぼ毎年、新年会か忘年会をやっていたはずですが、記録が無くなっていてよく分からないのです (T_T)

1992年01月 新年会 会場不明

1993年01月 新年会 会場不明 しゃぶしゃぶ

1995年01月 新年会 渋谷 華月楼 9人

1996年01月 新年会 渋谷 十二庵 13人 ←人数最大かも (^_^;)

1997年01月 新年会 横浜 燿来酒家 12人

2002年12月 忘年会 新宿 東京大飯店 7人

2004年12月 新年会 新宿 高田屋 7人

2006年01月 新年会 新宿「喬の倉」→豊島園「庭の湯」

2007年01月 温泉新年会 豊島園「庭の湯」
2007年03月 飲み会 新宿 会場不明
2007年08月 納涼会 西武新宿 世界の山ちゃん
2007年12月 温泉忘年会 六本木ザブー

2008年09月 納涼会 新宿 会場不明

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▲2008年12月 第1回 箱根 「ペンションおかだ」

この頃から、温泉合宿が始まった

2008年12月 第1回 箱根 「ペンションおかだ」

2009年12月 2 箱根 レイクホテル

2010年09月 3 熱海 四季ホテルうたゆの宿

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2011年01月 4 石和 ホテル慶山

2011年10月 5 箱根 伊東園ホテル

2012年03月 6 鬼怒川 プラザホテル

2012年09月 7 別所 上松屋旅館

2013年03月 8 修善寺 ホテル滝亭

2013年09月 9 越後湯沢 ニューオータニ

2014年10月 10 東山(会津若松) 「向瀧」

2015年04月 11 宝川(水上) 「汪泉閣」

2015年10月 12 館山 「ホテル川端」

2016年12月 13 舘山寺 「ウェルシーズン浜名湖」

2017年05月 14 伊香保 「凌雲閣」

2017年12月 第15回 喜連川 「かんぽの宿」

2019年01月 第16回 鶴巻温泉 「大和旅館」 日帰りランチ会

一時は年2回のペースだった温泉合宿ですが、最近はコロナの影響などもあって、合宿をやめてランチ会になりつつあります

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バブル時代も40年くらい昔になり、体感として知っている人はすでに高齢者

あのころ冬になったらスキー場へ出かけるのが若者文化で、「私をスキーに連れてって」などというバブリーな映画も作られました

撮影場所は苗場かな?と思ったら、志賀高原プリンスホテル

プリンスホテルと言えば西武グループで、私も朝散歩では高プリ日本庭園をよく利用させてもらってます(無料だしね)

とにかく巨大資本でデカいホテルを作るのが西武流で、日本全国にプリンスホテル網を作り上げた訳ですが、やや大作りでラフな印象も受けます

上の動画にも出て来ますが、苗場プリンスホテルは最初わずか28室、需要の伸びに合わせて増築を繰り返したようで、そこには経営者の慎重さも感じます

経営者の仕事で最も重要かつ難しいのが需要予測で、これを間違えると企業は倒産します

その総帥が、西武グループ二代目御曹司の堤義明で、いま調べたら91歳でご存命

御曹司(プリンス)が創ったホテルだから、「プリンスホテル」なのかな?

バブルの頃は世界長者番付でトップになったこともあり、まさに隔世の感があります

あのころ「山手線内側の土地を全部売れば、アメリカ全土が買える」などと言われてた(価格固定の思考実験で、本当だったのかどうか知らんけど)

この堤義明の異母弟が、西武セゾングループ総帥だった堤清二で、渋谷公園通りPARCOを中心に、今に続く渋谷の若者文化を創った

この兄弟の父親が堤康次郎で、これも日本の現代史で特筆すべきスゴい人物なんだけど、書き始めたら終わらなくなりそうなので今日はやめときます

堤義明が正妻の子でスポーツマン、堤清二がお妾さんの子で超インテリ(小説家でもあって、ペンネームは「辻井喬」)なので、余り仲は良くなかったらしい

彼の著作リストを見ると、経営者をしながら、よくもこんなに書けたもんだ!と感心します

体育会系の兄と、サブカル同好会系の弟

兄は弟ほどインテリではない、弟は妾の子で父親とソリが合わないという、それぞれコンプレックスを抱えていて、それがライバル意識と活動の原動力になったのかもしれません

親が作った西武グループを、兄は鉄道事業(本流)、弟は流通事業(傍流)を引き受けて、それぞれ現代史を彩る若者スポーツ文化とサブカル文化に大発展させたんですから大したもんです

(^_^;)~♪

とんかつ要(かなめ)会

いつもの昼カラオケ会メンバーが集まって、世田谷の竹永邸のお隣にある

とんかつ要(かなめ)

で飲み会を開催しました

美味しくて量もタップリあって、超ハイコスパのお店でした

ご手配いただいた山潤さん、竹永さん、ありがとー!

▲▼白井さんと長谷川さんは、今月が60代最後の誕生日!

▲馬事公苑

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集う会の歴史

昨日の「昼カラオケ会」に先立ち、山潤さんが上記の「集う会の歴史」を作ってくれました

最近は、ほぼ毎月のペースで開催されてますね

最も長い伝統のある「太田君を囲む会」は、1975年からですから半世紀の歴史

このごろは竹永さんの活躍で、派生イベントの開催が活発化しています

私(小杉)は6月まで皆勤賞でしたが、今年の余りの激暑にバテて、夏の3か月ほどエアコンの効いた自宅に引きこもってました (;^_^;;;)

私の親は新潟の豪雪地帯(山古志村)の出身なので、私の体質(DNA)は寒さには割と強く、暑さに弱いようです

上のリストの当ブログ掲載をOKしていただいた山潤さん、ありがとうございます

1行目の「継承略」は敬称略のようですが、ご愛敬でそのまま掲載しときますね

これからも「集う会」を、永く継承していきたいと思います

(^_^;)~♪

▲大田くんを囲む会の上高地合宿(1980年)

バルタン星人からAIと人類の未来を考える

 

ネットで、ある歴史家が書いた、こんな記事を見つけました

バルタン星人の進化論的考察から始まり、AIと人類の未来についての記事です

記事の詳細へ

 

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2015年5月17日、ミューザ川崎シンフォニーホールの帰りに、「怪獣酒場」で特撮分科会が開催されました

怪獣酒場の店長さんは、バルタン星人でした

(^_^;)~♪

当日の写真へ

 

ゴジラ県

佐賀県が情報発信プロジェクト「サガプライズ!」の一環として、新たなプロジェクトとして「ゴジラ対(つい)サガ」を進め、ゴジラを「佐賀県かたち観光大使」に任命した

佐賀県と言えば、目立たない県、地味な県の代表で、東日本の人は佐賀県が九州のどこにあるのか、よく知らない人も多い

福岡県や長崎県という、何かと目立つ県に挟まれて、とにかくヒッソリ目立たない

早稲田を創った大隈重信の出身地なんだけどね

慶応を創った福沢諭吉が大分県出身で、どちらも九州人というのも面白い

そんな佐賀県が、「ゴジラと佐賀県はほぼ同じ”かたち”」と主張している

そう言われればそう見えなくもない、といった程度で、少し無理があるかなぁ

「ゴジラ対(つい)サガ」というキャッチフレーズも、語感にイマイチ破壊力が乏しい

ズバリ「ゴジラ県」と打ち出した方がいいのに!

佐賀県と言えば、有田焼 、伊万里焼、唐津焼、鍋島焼 などの焼き物が有名

幕末には聡明な藩主(鍋島直正)が出て開明的な政策を推進し、明治政府では薩長土の一角(前藩=佐賀藩)となったものの、薩長の影に隠れてイマイチ目立たなかった

佐賀藩(肥前藩)は江戸時代、近隣の藩との交流を長く絶ってきたので、二重鎖国などと呼ばれてきた

その藩風のせいか、九州の中でも孤立感があり、これが今でも「目立たない県、地味な県」という印象につながっているのかもしれない

11年前に佐賀長崎を旅しましたが、やはり長崎県中心で、佐賀県は観るところがやや少なかった印象です

佐賀県の県土のカタチがゴジラに似ているというところから始まった今回の「県おこし」プロジェクトですが、世の中には市とか県とか国のカタチが何かに似ているというのは少なくない

当ブログの11年前の記事「東京都イラ区」では、渋谷区とイラクが似ていることを取り上げた

神奈川県は、犬のようにも見えますね

(^_^;)~♪

 

 

下北沢カラオケ会 世田谷の学習院

▲▼終了後、梅ヶ丘駅にて恒例の記念写真 (^_^;)~♪

 

昨日4/29(昭和の日)、昭和100年という記念すべき日に、「昭和の男」たちによる、下北沢カラオケ会が開催されました

終了後は、梅ヶ丘へ移動して、美登利寿司でお食事

私以外は世田谷区立桜丘中学出身者という、大田くんを囲む会と同じ状況です

私は、この記事の一つ前の「上高地に夏が来る」で書いたように、45年前から桜丘中学出身者といろいろお付き合いいただいています(熊さんのおかげ)

それで私が大田くんを囲む会に参加して、以前から考えていた

「桜丘中学出身者には、いい人が多いなぁ」

という感想を話したら、当時の桜丘中学は

「世田谷の学習院」

と呼ばれるほど生徒の質が高かった、という貴重な情報を得ました!

まったく、さもありなん、深く納得しました

区立中学というのは入学試験がありませんから、学校間の学力差は大きくないけど、生徒が学区で区切られているので、学区の地域特性は大きく出ます

当時の桜丘中学の学区には、育ちの良い坊ちゃん嬢ちゃんが多かったのでしょう

大田くんを囲む会が半世紀以上も続いている理由だと思います

今後ともヨロシクお願いします

(^_^;)~♪

以下、当日の写真です

削除修正のご要望は小杉までどーぞ

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上高地に夏が来る

上高地開山祭、4月27日

大田くんを囲む会の上高地合宿(1980年)を思い出します

登山(蝶ケ岳)とキャンプしました

あのころ、みんな若かった

(^_^;)~♪

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