▲林芙美子の書斎
▲林芙美子の書斎
林芙美子(→)の代表作「放浪記」を読んだ
新潮文庫で576ページという、やや長い作品で、第一部、第二部、第三部に分かれている
第一部を読み始めると、話があちこち飛んで時系列が混乱しているような、ストーリー性が弱いような印象があって、はっきり言って読みにくい
これが原因で、途中で読むのを断念する人も多いらしい
話の途中に沢山の詩が入っているので、自伝的作品でありながら、詩作前後の背景解説付き詩集といった感じ
それでも何とか第一部を読み終え、一晩寝たら頭の中が少し整理されたのか、翌日に読んだ第二部以降は分かり易かったし、急に面白くなった
自伝的作品と言っても、中心は芙美子が20代の若く貧しかった時代の話
それも半端ない貧しさで、毎日の食べものを手に入れるのに汲々としている
空腹なのにお金が無く、下宿の下の階に忍び込み、炊事場で味噌汁を盗んで飲む場面には唖然とする
その中でも読書だけは、まさに寸暇を見つけて続けており、本当に文学が大好きなのがズキズキ伝わってくる
今からちょうど120年前の、明治36年(1903年)生まれなので、私から見ると祖父祖母の時代と重なる
この時代の貧しい家庭の子どもが小学校を卒業すると、男の子は丁稚奉公、女の子は女中奉公などに出るのが普通で、小卒で社会に出るのが当たり前の時代だった
大学へ行くのが珍しくもない現在のような豊かな社会になったのは、1960年代の高度成長以降のわずか半世紀ちょっとで、日本の歴史から言ったらごくごく最近の話なのだ
芙美子は小学生のころから、親と一緒に行商をしており、今で言えば飛び込み営業のような仕事もする貧しい家庭の子どもだった
旧制中学(女の子は女学校)へ進学できるのは、富裕な家庭の子どもに限られていた
そんな時代だったが、小学校の教師が芙美子の文学的才能を発見し、そのすすめもあって女学校に進学する
親からの支援はほとんど期待できず、
「昼は女学校で、夜はバイト」
「周囲はお金持ちのお嬢さまばかり」
という十代のキツイ4年間を過したはずなのだが、その辺の苦労話が本書には少ない
もしかすると、キツイながらも結構楽しい女学校生活を送っていたのかもしれないし、芙美子にはそんな精神的たくましさ(生命力)がある
芙美子自身も、芙美子の母親も男運が悪くて、つまり非常に稼ぎの悪い男とばかりくっついて、この辺の男関係や貧困生活の苦労話が哀愁を帯びている
確かに明日をも知れぬ毎日、赤貧洗うがごとしの毎日なのだが、その割に芙美子本人は余り深く悩んだりせず、「お金が無い無い」と言いながらもあっけらかんと毎日を送っており、たくましい生命力を感じさせる
おそらく「何も無い者の強み」というのか、もうこれ以上落ちようがない境遇のもたらす不思議な安心感のようなものがあったのかもしれない
雑貨の行商のような仕事から始まって職を転々とし、カフェーの女給(今ならキャバ嬢?)もしていて、この辺の描写が森光子(→)の有名な舞台「放浪記」で詳しく演じられていたらしい
舞台を生で見ることはなかったが、舞台を記録した動画が手元にあるので、「放浪記」の映画とともに近日中に観たいと思っている
実は、私が以前に住んでいたマンションの上の方の階に森光子が住んでいて、エレベーターで時々一緒になったりしていたのだが、話しかけたりお近づきになることはなかった(少しもったいなかったかな)
もちろん大女優なのだが、すぐ近くで見ると小柄なおばあさんといった感じ
こんな人が20代のカフェーの女給の役をやるのかなと不思議に思った
カフェーの女給をテーマにした文学と言えば永井荷風なのだが、彼はカフェーのお客となる金持ちの中年男で、芙美子はカフェーで働く貧しくて若い女という、まったく正反対の立場
荷風が足繁く通った銀座のカフェー「タイガー」の名は「放浪記」にも登場するが、荷風と芙美子が同じ店内で客と女給として同席したことは、たぶん無かったようだ
本書「放浪記」全体を読んだ印象としては、21世紀の今なら何の違和感もなく普通に生きていそうな現代的感覚の女性が、たまたま運悪く1世紀前に生まれてしまったような感じがする
「エセー」を書いたモンテーニュは、「中世に生まれた近代人」などと言われているが、彼は貴族だったので経済的な苦労はしていない
以前に瀬戸内寂聴(→)の動画を見ていたら、
「若い頃はいろいろ苦労したけど、
だんだん時代が私に追いついてきたので、
いまは生きるのがとても楽になりました」
というようなことを言っていた
芙美子の場合、時代が彼女に追いつくことは無かったのかもしれないが、たまたま雑誌に連載した「放浪記」(第一部)が人気となって、単行本もベストセラーになった
またたくまに文壇の寵児となり、貧困を抜け出して経済的成功も手に入れた
この辺の事情は、ギッシング「ヘンリ・ライクロフトの私記」を連想させる
19世紀の英国の売れない作家が、お金のためにしたくもない仕事をしたり、書きたくも無い雑文を書いたりして貧しく暮らしていたが、ある日遠い親戚の遺産が転がり込み、本当に書きたい作品だけを書くという恵まれた書斎生活に移行した喜びにあふれている
ジョブズ(→)は「適度なレベルのお金」( some money )が手に入ったら、それ以上のお金は人生にとって大切ではないと言ったが、その「適度なレベルのお金」すら無いとかなり悲惨な人生になるので、運良くそれが手に入った時の喜びは非常に大きいようだ
ただ芙美子の場合、出版社に原稿を持ち込んで断られたりした貧困時代の記憶のせいか、どんな仕事でも断ることなくガツガツ引き受けるので、同時代の同業者(作家)たちからは「仕事を奪う女」として嫌われていたそうだ
およそ人間には
遠くから見ると立派な人物なのだが、近くで付き合うとイヤな奴・・・(1)
遠くから見ると悪党だが、近くで付き合うとすごくいい人・・・(2)
の2種類がいるようだ
政治家で言えば(1)は中曽根康弘、(2)は田中角栄(→)と言われているが、どうなのだろうか
芙美子は、(2)のタイプだったのかもしれない
冒頭の新潮文庫の表紙に書かれた有名な言葉
「花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かりき」
は、芙美子の貧しくて苦しい前半生を象徴しているとされているが、作家の村岡花子に送った芙美子からの手紙に書かれた下の文章こそ、彼女の生命力を象徴している
「多かりき」と「多かれど」の違いに注目してください
経済的な成功を手に入れた芙美子は、新宿区に豪邸を建て、画家の男(手塚緑敏、→)と幸せな家庭生活を送っていた
だが、どんな仕事でも断ることなくガツガツ引き受けることで無理をし過ぎたせいか、1951年(昭和26年)にわずか47歳であっけなく急逝(心臓麻痺)
みじか過ぎる花のいのちを散らしてしまった
仕事の無理もあるが、若い頃の貧困による劣悪な食生活で栄養が偏り、免疫力が低下していたのではないだろうか
芙美子が急死した場所は、食レポ(グルメ紀行文)を書くために訪れたうなぎ屋で、芙美子はすでに超人気作家になっていたのに、そんな新人ライターがするような雑仕事まで引き受けていた
それで「仕事を奪う女」として文壇からは嫌われていて、芙美子の告別式では葬儀委員長をつとめた川端康成(→)が
故人は、文学的生命を保つため、他に対して
時にはひどいこともしたのでありますが
しかし、後二、三時間もすれば
故人は灰となってしまいます。
死は一切の罪悪を消滅させますから
どうか故人を許して貰いたいと思います
と弔辞を述べて、参列していた多くの芙美子ファンの涙を誘った
芙美子が一緒に暮らした手塚緑敏は、画家としての才能は開花せず、彼女の作家収入に依存して、今で言う「主夫」として暮らしていた
今ならそんな夫婦は珍しくないが、何しろ1世紀近くも前なので、周囲からは「髪結いの亭主」とか「甲斐性なし」「ヒモ」とか言われて白い目で見られていたかもしれない
でも手塚緑敏はそんなことを気にせず、右上の写真のように芙美子と仲良く楽しく暮らしていたようで、芙美子と同様に「たまたま運悪く1世紀前に生まれてしまった」現代的感覚の持ち主だったようだ
芙美子は1903年に生まれ、その前半生は極貧の中で生き、27歳(1930年)から「放浪記」が売れに売れて極貧から脱し、多くの仕事と実直な夫(緑敏)に囲まれて、充実した後半生(約20年間)を生きた
芙美子が建てて手塚緑敏との楽しい生活を送った豪邸は、現在は林芙美子記念館として公開されている
近日中に尋ねてみたいと思っている
(^_^;)
▲モンテーニュの読書室(librairie)
21歳の日本人の6割は、まったく本を読まない。
文部科学省が10/13に公表した令和4年の「21世紀出生児縦断調査」でこんな結果が出た。
同じ若者が小学生だった当時よりも読書量が大きく落ち込んでおり、交流サイト(SNS)や動画投稿サイトの普及が一因と指摘されている。
文部科学省は
「読書は人生の豊かさにつながる
図書館の整備などを通して
読書の習慣付けを後押ししたい」
とした。
文部科学省は、平成13年に生まれた特定の子供に、毎年多岐にわたる質問をして、その変化を調べている。
今回は約2万2千人分の回答を分析した。
「この1カ月に読んだ紙の書籍(本)の数」との質問に「0冊」と答えたのは62・3%。
「1冊」19・7%、「2、3冊」12・3%、「4冊以上」5・8%だった。
* * * * * * *
文部科学省が「読書は人生の豊かさにつながる」と言っているのは、間違いではないが、読書に限定する必要はないと思う
スポーツは人生の豊かさにつながる
旅は人生の豊かさにつながる
仕事は人生の豊かさにつながる
人間関係は人生の豊かさにつながる
コスプレ(→)は人生の豊かさにつながる
他人に迷惑をかけず、しかも本人には楽しい(または有意義な)何かをすれば、たいてい人生の豊かさにつながるものだ
文豪の永井荷風(→)は「人生に三楽あり」と言った
それは酒と女と読書だった
作家なので読書が入るのは当然かもしれない
酒を人生の楽の一つにしている人は多かろう
女を三楽に入れているのは、いかにも荷風だ
ただ荷風の場合、それは単なる交際やセックスにとどまらず、のぞき趣味などかなり変態の色彩を帯びている
何を人生の楽にするかは、各個人が勝手に決めればいいことだ
人生に三楽どころか、二楽も一楽も無い、まったく無いというのは少々悲しい
現在の日本のような、平和で自由で豊かな国に生まれて、何も楽しみを見つけられないというのは、余りにも悲し過ぎる
しかしそれも個人の自由、他人が本人に向かってとやかく言うことではない
話を読書に戻すと、読書は単なる趣味だ
本を読む読まないは、100%個人の自由だ
ただ私が一緒に酒を飲むなら、読書を趣味にしている人と飲みたい
なぜなら本を読まない人は、たいてい話題が貧困で、会話の相手として詰まらないからだ
誰と一緒に酒を飲む飲まないは、100%私の自由だ
(^_^;)
有名なフランス映画だが、観たのは今日が初めて
変な親に育てられ、学校へも通わず、友達のいない少女アメリは、モンマルトルのカフェで働きながら、彼女独特の「空想の世界」を作って生きている
ひょんなきっかけからアメリは、
周囲にいる人たちの人生に密かに影響を与える
という不思議な趣味に入り込んでいく
そのドタバタが、ブラックユーモア的で、パリらしく少しオシャレで、ほのぼのしている
その背後にあるメッセージは、フランス映画によくある
la vie est merveilleuse(人生は素晴らしい)
で、彼女から影響を受けた周囲の人たちは、みんな少しずつ幸せになっていく
そして彼女も不器用ながら恋人を見つけ、二人でバイクに乗ってパリの街を疾走する場面で映画は終わる
この、バイクでパリの街を疾走するシーンは印象に残る
私の大好きな映画「パリでかくれんぼ」でも似たシーンがあった(こっちは一人でバイク便の配達だが)
映画の中で歌う ENZO ENZO も印象的で、私はファンになった
映画「アメリ」は2001年の作品だが、ミュージカルになったりして、その後もいろいろ話題が尽きない作品
来月(2023年11月)には日本全国で、デジタルリマスター版が再上映らしい
この映画にも、モロッコ出身の移民(八百屋の店員)が登場して、パリの下町で貧しくひっそりと生きている
移民があふれて暴動を起こしている最近の殺伐としたパリとは別世界
日本でも埼玉県川口市で、クルド人が騒ぎを起こしたりしているから他人事ではない
(^_^;)
▲映画「パリでかくれんぼ」 バイクで疾走するナタリー・リシェール
▲ ENZO ENZO ▼
▲全然関係ないけど、かわいいビダルちゃん
▲移民が暴動を起こしている最近の殺伐としたパリ(2023年7月)
▲ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne)
昨日ジョブズの最後の言葉から死について書いたので、そのつづきを書く
大学受験のころ、英文解釈の英文に下のような文章があった
我々の多くは、100年前にはこの世に存在していなかった
我々の多くは、100年後にはこの世に存在していないだろう
ではなぜ、前半を悲しまず、後半だけを悲しむのか?
当たり前じゃないかと感じる人も多いかもしれないが、私にはなぜか心に刺さり、記憶に残って長く気になっていたが、その時は誰の文章なのか分からなかった
それから20年以上たったある日、読書をしていたら、その文章にぶつかった
16世紀ルネサンス期のフランスの哲学者モンテーニュの言葉で、彼の代表作「エセー」の中の文章だった
彼はワインの産地で有名なフランス南西部の中心都市ボルドー(→)の近くの、モンテーニュ村の貴族の息子だった
彼の家が支配している村なので、彼の名前と同じ村名になっている
さほど大貴族と言うほどではなかったようだが、フランス革命より2世紀以上も前のフランス貴族の生活は、非常にぜいたくなものだった
彼がまだ幼いころ、専門の目覚まし楽団がいて、目覚めの音楽を毎朝演奏していた
目覚ましベルのような荒々しい音で目覚めると、脳の発育に良くないと親が考えたようだ
最初はごく静かな音楽から始め、彼が目覚めるまで少しずつ音量を上げ、彼が目覚めてからもしばらく演奏を続ける
まさにアンシャンレジーム期の、貴族の優雅さの極致のような生活だ
現在の超高級ホテルで、このようなサービスを提供したら面白いと思うのだが、まだ眠っている部屋に楽団が入って来るのを嫌がる人も多かろう
彼の父親は息子の教育に熱心な教育パパだったようで、家庭教師をやとって彼に当時の学問教養を広く身につけさせた
当時すでにラテン語は日常語ではなかったが、彼の父は家庭教師にフランス語の使用を禁じ、ラテン語だけで彼を教育した
当時の学問教養は、ほぼすべてラテン語で書かれていたので、そのための配慮だった
ラテン語の聖書→
おかげで彼は、ラテン語をフランス語と同様に、母国語としてあやつれるようになった
彼は成長して裁判官になり、ボルドー高等裁判所(パルルマン)で働いた
しかし彼は裁判官の仕事に飽き(貴族は飽き易い)、37歳の時に退職して故郷のモンテーニュ村に帰り、屋敷の中に書庫を兼ねた読書室(librairie)を設けて読書生活に入った
▲モンテーニュの読書室(librairie)
天井の梁(はり)に、古典文献からとった格言名言が書かれている
彼の読書室はモンテーニュ村に現存している
一度尋ねてみたいと思っているのだが、コロナのせいで延び延びになっている
右の写真(→)は、モンテーニュの屋敷の片隅にある塔で、この3階に彼の読書室がある
彼が生きた時代は16世紀の後半で、日本で言えば戦国時代、織田信長の生きた時代と重なる
今より平均寿命が短かったとはいえ、37歳でご隠居さんのような生活に入るのは、かなり早かったはずだ
ただ、当時の貴族は生まれてから死ぬまでずっとご隠居さんみたいな生活の人もいたので、特に問題はなかったようだ
それからの彼は、モンテーニュ村の領地管理という必要最低限の雑務(ビジネス)以外は、この読書室にこもってギリシャ、ローマの古典を広く渉猟(しょうりょう)し、その合間に「エセー」という本を書いた
当時のフランスは宗教戦争のまっただ中で、カトリック勢力とプロテスタント勢力が、血で血を洗うような抗争を続けていた
時には彼の屋敷に暴徒がなだれこむような事件も発生しているが、彼は穏健な思想だったので、カトリックとプロテスタントの両派から信頼されており、のちに一時ボルドー市長をつとめて両派の調整もしている
彼はそんな両派の抗争からは距離を置いて、読書室での静かな読書と執筆の生活を続けた
まあ、働く必要のない貴族だからできた生活と言えばその通り
だが現在の平和で自由で豊かな日本で「適度なレベルのお金(some money)」があったら、誰でもその気になれば実現可能な生活かもしれない
彼はカトリック教徒だったが、「エセー」には宗教的記述が乏しく、この時代の人としては驚くほど合理精神に貫かれている
武人と文人という違いはあるが、合理精神のカタマリのような信長とモンテーニュが出会っていたら面白かったのではないかと思う(モンテーニュは信長より1歳年上)
彼はラテン語の達人だったが、「エセー」は日常語のフランス語で書いた
そのせいか広く読まれて、ちょっとしたベストセラーになった
当時のフランス国王とも親しく、国王が彼の屋敷に泊まりに来て夜遅くまで語り明かしたり、彼がパリまで遊びに行って国王と会ったりもしていた
フランス国王アンリ3世→
モンテーニュは、国王アンリ3世の「侍従」という立場だったが、常に近くにいて臣従していた訳ではない
国王のアドバイザーやコンサルタントのような立場だったと思われる
書名の「エセー」は、エッセイ(随筆)の語源となっており、もともとは「試み」や「企て」という意味
彼は自分という実験台を通して、散文形式で率直に思いつくままに、人間という存在を描写してみようと「試み」た
「エセー」は現在、日本語訳されて岩波文庫にも入っており、全6巻2224頁という大部の作品だが、体系もストーリーもなく、思いつくままのバラバラなテーマで書かれた本なので最初から通して読む必要はなく、好きな所から読み始めても楽しめる
だから夜眠る前に「エセー」を開き、適当なページから眠くなるまで読むというのを習慣にしている人も多く、私もその一人だ
冒頭に「ではなぜ、前半を悲しまず、後半だけを悲しむのか?」と書いたが、これだけを読むと唐突な感じで納得できる人は少ないと思う
だが、彼の「エセー」に読み親しんでいると、この考え方(哲学)が心に染み込んできて、死が余り怖くなくなるような気がするのだ
(^_^;)
スティーブ・ジョブズ、アップル社を創業した天才的経営者
1955年2月24日に生まれ、 今日からちょうど12年前の2011年10月5日に、56歳で亡くなっています
2003年、48歳のときに膵臓ガンが発見されましたが、当時東洋文化に傾倒していたジョブズは西洋医学的な手術を拒否し、菜食主義、ハリ治療などを用いて完治を図ろうとしました
9か月後の検査でガンが大きくなっていることが分かり、ジョブズは上の判断をのちに相当後悔しています
上の動画は治療の末期、すでに死を覚悟したジョブズの言葉です
お金には麻薬のような性質があり、手に入ると、もっともっと欲しくなるようです
人生で「適度なレベルのお金」が手に入ったら、別なことを追求すべきだと、ジョブズは上の動画で言っています
喜劇王のチャップリン(→)は、次のように言っています
人生は恐れさえしなければ、とても素晴らしいものだ。
そのために必要なものは、
勇気、想像力、そして少しのお金だ。
Yes, life is wonderful, if you’re not afraid of it.
All it needs is
courage, imagination, and some money.
この some money こそ、ジョブズの言う「適度なレベルのお金」でしょうか?
「適度なレベルのお金」がどれほどの金額かは意見が分かれるかもしれませんが、さほど大きな金額ではないはずです
松下幸之助(→)、松下電器(現在のパナソニック)を創業した日本の天才的経営者
彼は、1965(昭和40)年、本社を置く大阪府門真市が主催した成人式に出席しました
そして新成人たちを前にして、次のように話しました
もしできることならば、わたしは
自分のいっさいを投げ捨てても
みなさんの年齢にかえりたい
このとき松下幸之助は、71歳でした
この言葉には、成功した経営者が若者に向かって教訓を垂れているのではなく、「若い頃に戻りたい」という、老人の正直で切実な叫びを感じます
ジョブズは17歳の時、
「毎日を、それが人生最後の1日だと思って生きれば、望んだ人生になる」
という言葉にどこかで出会いました
それは彼にとってとても印象的な言葉に映りました
その日を境に彼は毎朝
「もし今日が人生最後の日だとしても、
いまからやろうとしていたことをするだろうか?」
と、鏡に映る自分に問いかけるようにしていたといいます
そのジョブズが人生の最後に、冒頭の動画のような言葉を話しています
ガンなどの重病になると、医者から「期待余命×年」とか「5年生存率××%」などと言われることがあります
この言い方を借りるなら、すべての人間は生まれた瞬間に
「期待余命81年」あるいは「81年生存率50%」
ということになります(女性は87年)
いま60歳の男性なら
「期待余命24年」あるいは「24年生存率50%」
になります
これは世界最高水準の、日本人の数字です
逆に短いと言われているロシア人では、生まれた時点で男性60年、女性73年です
この数十年という期間が、若いうちは非常に長く感じられて、ほとんど永遠のような気がするものです
人生を山道にたとえることがあります
若いうち目の前には山頂へ続く長い長い道があり、その向こうには無限の青空が広がっているように見えます
ところが人生のある時期に差し掛かると山頂に到達し、その先を見ると、下り坂の先に麓(ふもと)が見えます
その麓には大きな穴があいていて、それが死なのです
若いころにはまったく見えなかった、死という大きな穴が、いま目の前にありありと見える
それが人生のようです
((((;゚д゚))))
いま日本は格差社会が進行して、底辺ではかなり悲惨な状況もあるみたいです
上の話で子どもを放置して逃げた親の行動は犯罪レベル(刑法218条の保護責任者遺棄罪)ですし、ちゃんと役所に連絡すれば、恵まれた環境とは言いがたいと思いますが、それなりの対応はしてもらえるはずです
上の動画の「金融屋」というのは、たぶんヤミ金融で、その取り立てはかなり厳しいイメージがあります
でもそれは見た目だけ、言葉だけです
「内蔵を売って返せ!」みたいなこと言うかも知れませんが、実際は暴力をふるうことは99%あり得ず、たぶんカラダに指一本触れることは無い
いまの日本でヤクザとかヤミ金融の人間が取り立てで暴力をふるうと、トンデモなく重い刑罰や不利益が科せられます
だから精神異常レベルの底抜けの馬鹿でなければ、そんな愚かなことはしない
暴力をふるえば暴行罪(刑法208条)になりますが、暴行罪の範囲はかなり広くて、ケガをさせるような暴力だけではない(もしケガさせたら傷害罪(刑法204条)になり、刑罰ももっと重くなる)
状況によっては指一本触れるだけでも暴行罪は成立するし、コップの水をかけたり、近くで大きな音や声を出しても成立します
という訳で、子どもを放置して逃げる必要なんてまったく無いのです
でも底辺に落ちた親は、そんなこと知らないんでしょうねぇ
(T_T)
* * * * * * * * * *
上で「そんな愚かなことはしない」と書きましたが、それは相手が日本人の場合です
いま日本にいっぱい入って来てる外国人労働者の中には、いい人もいるけど、かなりヤバい連中もいます
奴らが生まれ育った国(特に南米がヤバい)では、暴力とか殺人が日常茶飯事で、その辺の感覚が日本人とは完全に違っちゃってる奴もいる
殺人の発生率が日本の数十倍、数百倍なんて国は、いくらでもありますから、問答無用でいきなりブスリ!もありうる
だから相手が日本人とは思えない見た目だったり、日本語をちゃんと話せないようなら、1秒でも早くその場から離れた方がいいです
ヤミ金融は相手(借り手)を威嚇(いかく)してお金を返済させようとするビジネスだから、取り立て(追い込み)には見た目の怖そうな人間を雇います
でもそこは企業ですから、わざわざ狂暴な外国人を雇って事件を起こされ、事務所の家宅捜索をされたり金融業の免許を取り消されたりするのは、企業として避けたいはず
だから借金の取り立てに外国人が来るケースは、まだ極めてマレだと思う
むしろ危険なのは飲食業やコンビニの店員で、すでに外国人が多い
「オレはお客さまだ!」という意識で、店員さんに横柄な態度を取る人も時々いるけど、トラブルには気をつけましょうね
((((;゚д゚))))
立花さんからオペラのご案内をいただきました
情報提供ありがとうございます
(^_^;)
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
ようやく涼しくなってきましたがいかがお過ごしでしょうか?
お元気のことと存じます。あの猛暑が懐かしくもありますが…
さて10月28日(土)15:30開演のオペラ『ラ・ボエーム』のご案内をさせてください。
私は、1幕・若者たちの住むアパートの老管理人「ベノワ」、2幕・ムゼッタのいけ好かないパトロン「アルチンドーロ」、そして子どもたちも楽しめるようにと日本語での「語り」と3役を演じます。
只今3役の絶賛役作り中!
藤原歌劇団を代表するプリモテノール藤田卓也のハイCは凄いですよ。
お時間ありましたらどうぞお出かけください。
会場は小田急線「新百合ヶ丘」駅南口より徒歩4分のユリホール。
心よりお待ちしています。
お問い合わせは
bartoshi★a.toshima.ne.jp または baritoshi112★gmail.com
(★を@に)まで宜しくお願い致します。
立花敏弘
愛媛県松山市にある
の、猫の店員さん・ミクちゃんです
今日は兵庫県加古川市で、プリンの出張販売中です
ぜひ東京にも出張して欲しい
(^_^;)
▲なんとピアノも弾ける
ニューヨークが大雨だそうです
ニューヨークは、ビジネスチャンスをつかむには、世界で最高の街
でも普通に生活するには、余り暮らしやすい場所ではないかもしれません
冬には寒くて大雪になったりするし、ニューヨークに限らないけど、医療費が異常に高くて、うっかり医者にもかかれないとか
今は異常な物価高で、卵1パック(12個)2500円とか言ってた時期もあったけど、少しは収まったのかな?
まあ雪が降ろうがヤリが降ろうが、赤組(中露韓北)の国に住むよりは、はるかにマシだと思います
(^_^;)
* * * * * * *
現地時間の9/29金、アメリカ・ニューヨークは記録的な大雨に見舞われました。
上空の寒気を伴った低気圧、寒冷渦の影響で雨雲が発達したとみられます。
現地時間の9/28木の深夜から雨が強まり、9/29金の午後にかけて大雨となりました。
ジョン・F・ケネディ国際空港では9/29金の雨量が約200mmに達し、1948年の統計開始以来、最も多い記録を更新。
セントラルパークの雨量計でも150mm近い雨を観測しています。
大雨によって市街地では大規模な冠水が発生し、丘陵地帯では土砂崩れの起きた所があります。
すでにニューヨークの中心部からは活発な雨雲が離れつつあるものの、影響が残っている可能性があるため、現地の気象当局は引き続き注意を呼びかけています。