21【親睦会・音楽系】

集う会の歴史

昨日の「昼カラオケ会」に先立ち、山潤さんが上記の「集う会の歴史」を作ってくれました

最近は、ほぼ毎月のペースで開催されてますね

最も長い伝統のある「太田君を囲む会」は、1975年からですから半世紀の歴史

このごろは竹永さんの活躍で、派生イベントの開催が活発化しています

私(小杉)は6月まで皆勤賞でしたが、今年の余りの激暑にバテて、夏の3か月ほどエアコンの効いた自宅に引きこもってました (;^_^;;;)

私の親は新潟の豪雪地帯(山古志村)の出身なので、私の体質(DNA)は寒さには割と強く、暑さに弱いようです

上のリストの当ブログ掲載をOKしていただいた山潤さん、ありがとうございます

1行目の「継承略」は敬称略のようですが、ご愛敬でそのまま掲載しときますね

これからも「集う会」を、永く継承していきたいと思います

(^_^;)~♪

▲大田くんを囲む会の上高地合宿(1980年)

長谷寺の仏前コンサート 徳永慶子さん

上の写真は、鎌倉長谷寺で演奏する徳永慶子さんです

仏像とヴァイオリンという異色の組み合わせ

毎年この季節になると、長谷寺の仏前コンサート、「長谷寺 NIGHT TABLE」(ディナーショー形式)が開催されているそうで、ニューヨーク在住の慶子さんが出演のために里帰りします

今年は10月12日に慶子さんの演奏があります(詳細はここをクリック

なおチケットは、すでに完売だそうです

背後の仏像は、十一面観音菩薩像

721年に二体が彫り上げられ、うち1体は大和長谷寺(奈良県)の本尊となりました

もう1体は、開眼供養をした行基によって海中へ奉じられ、15年後に相模国(神奈川県)の沖合に忽然と現れ(木造ですから水に浮きます)、鎌倉長谷寺の礎となりました

浅草の観音さまのご本尊にも、似たような話がありましたね

それにしても15年も海面を漂い、よく原型をとどめていたものです

721年に彫られたとすると今年で1304年、非常に歴史ある仏像なのですが、上の写真では黄金色で輝いているように見えますね

途中で焼けて作り直されたとの説もありますが、それでも数百年は経ている

仏像は完成直後は金箔を貼って光り輝いているのが普通(だからご本尊安置の建物を「金堂」と呼ぶ)

やがて長い年月で「風化して」、多くの仏像は黒光りした、良く言えば威厳と風格のあるお姿になっています

上に「風化して」と書きましたが、正確には信者が御利益にあずかろうとして仏像を「なでなで」し、金箔が剥がれ落ちたというのが実情のようです

鎌倉長谷寺の十一面観音菩薩像が今でも光り輝いているのは、金箔を張り直してメンテナンスしてるから?

ちなみに仏教国タイの仏像は、ほぼすべて金箔で光り輝いています

タイでは信者が仏像の御利益にあずかろうとする場合、仏像を「なでなで」するのではなく、金箔を上に貼ってゆくからで、そのための金箔をお寺で売っていたりします

里帰りした慶子さん、徳永パパママがお住まいの横浜桂台徳永邸で、「ご自宅コンサート」も開催するのかな?

(^_^;)~♪

横浜桂台徳永邸の動画

▲徳永邸の動画 画面Wクリックで拡大

先日の当ブログで、新築の徳永邸の写真を掲載させていただきました

静止した写真では素晴らしい邸宅の空間感覚が十分に伝えきれないなぁと思っていたら、それを補うのにピッタリのYouTube動画(↑)をご紹介いただきました

詳細は上の動画をご覧いただくとして、目を引かれるのは、サロンコンサートが可能な1階の広間(リビング)ですね

小型のグランドピアノも設置してあります

動画には帰国中の徳永慶子さんも登場して、ヴァイオリン演奏の場面もあります

この広間には、2階から飾り階段で下りて来ることができます

以前、名古屋にある川上貞奴邸を見学したことがありますが、ステンドグラスもあったりして、雰囲気がよく似ています

川上貞奴邸の1階広間

この階段を日本初の女優、川上貞奴がしずしずと降りてきて、歌や踊りをご披露(100年も前の話ですけどね)

徳永邸でも、慶子さんがしずしずと登場して、サロンコンサートが開かれているそうです

私は慶応大学の出身ではありませんが、学生時代から福澤諭吉にとても興味があり、その関係で彼の娘婿である福澤桃介を知りました

福澤桃介は、明治末期から昭和初期にかけて日本の電力業界を中心に活躍した大物実業家で、「電力王」との異名をとっていました

その福澤桃介の愛人だったのが川上貞奴で、彼女の夫は「オッペケペー節」で有名な川上音二郎

この3人には不倫の三角関係という時期もありますが、普通のそれとは異質で、不思議かつ優雅な世界でした

福澤桃介は水力発電所の建設で木曽川への出張が多く、川上貞奴を同伴して一緒に過ごした優雅な別荘が木曽川沿いに「福澤桃介記念館」として残っていて、訪れたことがあります

(^_^;)~♪

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

▲超カワイイ絃ちゃん動画 再掲します (^_^;)~♪

大船観音と横浜桂台徳永邸

新築なったばかりの徳永邸に、みんなで新築祝いにおじゃましました

旅行中にケガ(骨折)をなさった徳永ママも、ほぼ全快でお元気そうでした

JR大船駅の近くだったので、その前に少し大船観音も見学

徳永邸のある桂台(横浜市栄区桂台西)は、落ち着いた邸宅街

ワンコ、ニャンコもいて、ペットには天国のような世界でした

結局、7時間半もおじゃまして、楽しい一日を過ごすことができました

徳永パパママ、いつもありがとうございます!

新築の桂台徳永邸で、これからも楽しく愉快な毎日をお過ごしください

当日の写真へ

徳永邸の動画へ

新宿駅の東西デッキ

2035年度末までに東口と西口をつなぐ「東西デッキ」が完成する予定で

それまで生きてるかどうか微妙なところ・・・

全体工事の完成は2046年度だそうで、かなり厳しいかなぁ

((((;゚д゚))))

 

追伸

この「東西デッキ」の場所は?と思って調べたら、上のような位置らしい

バスタ新宿の裏にあるような、線路をまたぐデッキが、もう一つ出来るのかな?

で、この左上に「西口駅前広場」というのがある

これがもしかすると、いつも昼カラオケ会をしている「カラオケの鉄人」のあたりのようにも見えます

すると、この鉄人のお店は無くなるのか?

まあ、10~20年も先の話ですし、カラオケのお店は他にもいっぱいあるから、心配するようなことではないのかもしれません

(^_^;)~♪

 

音楽と脳 2つの仮説

music_hikigatari_stand_woman

 

昨夜はYouTubeで、Oldiesをいっぱい聴いた

特に、Joan Baezが良かった!

それにしても、この時期(1950~60年代)の音楽には、なぜかくも名曲が多いのだろう?

あるいは、なぜ「名曲が多い」と、私は感じるのだろう?

一つの仮説は、直前に第二次大戦が終わり、その爆発的な開放感が多くの名曲を生んだという仮説(外部要因)

そもそも、Oldiesという言葉があること自体、この時期の音楽の特異性を示している

もう一つの仮説は、人はその人生の初期(おそらく20歳くらいまで)に聴いた音楽を、脳の奥深くの特定の部位に記憶し(刻み込み)、後になって名曲として感動し易い認識構造が脳に形成されるという仮説(内部要因)

脳の深層記憶にはタイミングが重要という仮説だが、生まれたばかりの小鳥の母親認識などに明瞭に現れている

また、聴覚や味覚臭覚など人間の根源的感覚に関する記憶が、それを初めて感じ取った時の生々しい周辺記憶を呼び覚ますという現象は、人間心理(脳)の特徴として広く認識されている(プルーストの『失われた時を求めて』など)

body_nouha

私は今でこそ高校の友人に誘われて時々クラシックのコンサート(多くは無料)へ行くこともあるが、残念ながらOldiesに感じるような、深層心理に突き刺さって来るような強烈な感覚は、クラシック音楽からはまったく得られない

生演奏特有の迫力があるので、クラシックのコンサート自体は嫌いじゃないんだけど、曲によっては「早く終わらないかなぁ」と感じることも少なくない

私の家は貧しかったから、子供のころ家にステレオはおろか、モノラルのプレーヤーすら無かった

日本全体が貧しかった時代だから、私の親が特別に悪いわけではない

小学校の半ばに家にテレビが入ったので、歌謡曲とかは聴くようになったが、親が新潟の山奥から東京に出て来たばかりで、世の中にクラシック音楽というものが存在することすら知らないような感じだったので、私がクラシック音楽を聴くことは皆無だった

私の両親は死ぬまで、クラシック音楽とは無縁だった

おそらくこのころ歌謡曲に混じってOldiesの曲もテレビから流れ、私の耳(脳)に入り込んだのかも知れない

music_ongaku_kansyou

私がクラシック音楽も聴くようになったのは、大学生になって自分の部屋にステレオを買ってからだったように記憶している

高校の友人(熊さん)に勧められて、クラシックの廉価版LPを買ったのが最初、たしかヴィバルディの「四季」だったかな

ただ、その時すでに私の「人生の初期(おそらく20歳くらいまで)」は過ぎ去っていたので、クラシック音楽が私の脳の奥深くの特定の部位に記憶(刻み込み)されることは無かったのかもしれない

いま私がクラシックのコンサートへ一緒に行ったりする友人たちは、みなクラシック音楽に深く傾倒しているクラシックマニア(オタク)なのだが、彼ら彼女らに共通しているのは、「親もクラシック音楽が好きだった」という決定的な事実だ

おそらく彼ら彼女らは、生まれたときからクラシック音楽を日常的に聴き、クラシック音楽に囲まれて生きて(成長して)きているようだ

これがおそらく、彼ら彼女らの耳(脳)に、決定的な影響を与えているのだろう

yakuza_kowai

そして、その決定的な影響は、私には無かった

暴力団の世界を取材して、多くの本を書いている作家がいる

彼はこれまでに1000人以上の暴力団組長を取材してきているのだが、これまでクラシック音楽のファンだという組長には、一人も会ったことが無いと言っている

世の中にクラシック音楽のファンがそれほど多数派ではないことは知っているが、1000人の中に一人もいないというのは、かなりスサマジイことだ

安部譲二

安部譲二(←)のような恵まれた家庭出身の例外もいるが、ヤクザの世界に入るということは、その生育環境が恵まれたものではなかったであろうことは容易に想像できる

時代の違いもあるが、おそらくステレオもモノラルプレーヤーも無い貧しい家庭がほとんどだったはずだ

そして1000人の組長の親に、クラシック音楽のファンは、ほぼ皆無だったのだろう

(ちなみに安部譲二は、クラシック音楽に関する本やCDも出しているが、組長ではない)

私は幸か不幸か、ヤクザにはならずに成長したが、クラシック音楽から「深層心理に突き刺さって来るような強烈な感覚」は、今でも得られずにいる

果たして2つの仮説のうち、どちらが正しいのか?(どちらも正しいのか?)

 (^_^;)