明治神宮には年に3~4回、月初めにお参りしてます
お参りと言うより散歩がメインかな
品川から原宿まで近いしね(山手線で15分くらい)
ご近所でこれだけ広大な境内がある社寺は多分ここだけ
この壮大な森が、すべて明治になって植えた人工林
林学博士本多静六が中心になって設計
この人、実は利殖の世界でも有名人
植林と利殖、何かつながり(植殖)がある?
Amazonで調べると、著書がいっぱい出て来ます
(^_^;)~♪
明治神宮には年に3~4回、月初めにお参りしてます
お参りと言うより散歩がメインかな
品川から原宿まで近いしね(山手線で15分くらい)
ご近所でこれだけ広大な境内がある社寺は多分ここだけ
この壮大な森が、すべて明治になって植えた人工林
林学博士本多静六が中心になって設計
この人、実は利殖の世界でも有名人
植林と利殖、何かつながり(植殖)がある?
Amazonで調べると、著書がいっぱい出て来ます
(^_^;)~♪
最近は自宅周辺を歩き尽くして飽きたので、電車に乗ってアチコチ散歩に出かけます
山之内すずちゃんと、散歩の趣味が一致
昨日は千葉県印西市の利根川堤防の上を歩きました
最近はクマが出没して恐いので、クマが出ないと言われている千葉県、茨城県が狙い目です
(^_^;)~♪
縄文時代には海面が現在より高く、千葉県はほぼ島だった
これが現在、千葉県にクマがいないことと関係してそう
▲李白
50歳を過ぎたころからだろうか、私は時々、漢詩の本を読みます
今週は久しぶりに3冊ほど読みました
1)村上「漢詩の名句・名吟」講談社現代新書
2)吉川三好「新唐詩選」岩波新書
3)「要説漢詩(唐代の詩ほか)」日栄社
どれも有名な漢詩を選んで集めた本(選集)ですから、長編小説のように1冊全体を読み通す必要はない
気に入った作品(漢詩)を選んで読むだけなので、さほど時間はかかりません
(1)(2)は新書なので読みやすい
(1)は、まさに超初心者向けの入門書で、解説の文章も味わいがある。手軽な座右の書で、読むのは何回目かな
(2)は、有名な文学者(吉川幸次郎)が書いているので、解説は重厚で奥深さがある。岩波新書の中でも超ロングセラーの1冊(初版1952年)
(3)は、高校生のころに買った受験参考書で、文法や語義の説明が詳しい。気に入った作品の背景などをもう少し知りたい時に便利
上記3冊はまったくの入門書で、もっと漢詩に突っ込むなら、「唐詩選」「三体詩」などの本格的な選集か、または好きな詩人の個人詩集へ進む訳ですが、今のところそこまで漢詩に入れ込むほどの熱意なし
漢詩と言えば、すなわち唐詩と言われるほど、唐の時代が漢詩の最盛期
当時、阿倍仲麻呂など多くの留学生が、遣唐使船に乗って唐へ渡りました(難破が多く命がけだった)
阿倍仲麻呂は、中国語を完璧にマスターしていましたから、漢詩もたくさん創っていますが、
天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも
という和歌が有名で、これは故郷の奈良にある三笠山を思い出して詠んだ歌で、古今や百人一首にも入っている
電話もテレビもネットも無かった時代、誰かとのつながりを感じるには、
「離れてはいるが、同じ月を見ている!」
というような空間感覚が大切だったのでしょうね
彼は19歳で唐へ渡り、科挙に合格して、唐の高級官僚(大臣クラス)にまで出世
その才能に期待して、日本の朝廷が彼を帰国させるように唐の朝廷に働きかけます
唐の朝廷が彼の才能を手放すことに難をとなえ、50歳になってやっと、日本への「一時的な出張」という形で、なつかしい故郷の日本へ帰る手はずに
長安での別れの宴には、当時の大唐帝国のトップクラスの文化人が集まります
そのころに彼は故郷をなつかしんで、上の和歌を詠みました
ところが彼の乗った遣唐使船は、嵐(台風か?)に遭遇して安南(ベトナム)に漂着し、命からがら長安まで戻ります
結局、日本への帰国はお流れとなり、彼は大陸で人生を終えました
遣唐使船で大陸に渡った空海や最澄が、その後の日本に与えた影響の大きさを考えると、もし彼が嵐に遭遇せずに帰国していたら、日本の政治や文化にどれほど多大な影響を与えたことか、まことに悔やまれます
私は「歴史にイフは禁物」などとは思わないので
・もしも阿倍仲麻呂が無事に日本へ帰国していたら
・もしも織田信長が本能寺で殺されずに生きていたら
・もしも吉田松陰が処刑されずに明治まで生きていたら
など、いろいろ勝手な想像をめぐらせることがあります(大して深くは考えないけど)
▲杜甫と李白
さて、漢詩の最盛期に登場した詩人で有名なのが、杜甫、李白、白楽天(白居易)の3人
杜甫と李白は、唐詩を代表する二大詩人ですが、性格は正反対
生真面目で悩み深い杜甫と、酒豪で豪放磊落な李白、ネクラとネアカなどとも言われます
杜甫にも酒の歌はありますが、やはり酒と言えば李白で、毎日一斗(10升=18L)飲んだと言われています
「白髪三千丈」で、何でも大げさに言う国ですから言葉通りとは限りませんが、とにかく大変な大酒飲みだったのは間違いない
李白は62歳、杜甫は58歳で亡くなっています
李白は、大酒飲み(今ならアルコール依存症?)でしたが、当時としてはそこそこの長さの寿命を全うしました
船上で月見酒をしていて、水面に映った月を取ろうとして水に落ちて死んだという逸話があって、いかにも酒豪の李白らしい最期ですが、これはどうも作り話(ウソ)らしい
悩み多き杜甫は、ストレスで早死にしたのかな?
そう言えば、新宿高校で漢文を習った豊原先生、いつも歌舞伎町で飲み歩いているとのウワサでしたが、李白を気取っていたのかな?
あのころ仕方なく勉強していた漢文
だいたい漢詩の良さなんて、ふつうの高校生に分かる訳がない(と今は思う)
それにしても当時の「国語の先生」たちは、一癖も二癖もありそうな面構えですねぇ
前列まん中の先生なんか、歌舞伎町の893かと間違えそう(私は彼から習ったことがないと思うので、どんな人か実態は知りませんよ)
同じ新宿高校の先生でも、マジメな学者タイプに見える「理科の先生」たちとは大違い
やっぱり文学部系と理学部系のキャラの違いか(あるいは、李白派と杜甫派?)
▲「理科の先生」たち
たぶん当時の新宿高校の屋上で、奥に高層ビル群が見える
当ブログで以前「中秋の名月 そして満月」を書いたとき、李白の「月下独酌」を取り上げましたが、酒飲みの心を歌った、まことにシビレるような素晴らしい作品!
酒を歌わせたら、やっぱり李白
3大スター3人目の白楽天(白居易)は、今では杜甫李白ほど有名ではありませんが、平安時代の日本で漢詩と言えば白楽天で決まり
杜甫李白が日本で有名になったのは江戸時代になってから
平安時代に、数百もの有名な和歌や漢詩を集めてつくられた「和漢朗詠集」には、白楽天の137作品が採用されていて、もちろんダントツ1位(2位は40作品)
生きた時代は杜甫李白の方が古いのですが、採用はそれぞれわずか1作品ずつ
平安時代の宮廷では、枕草子の「香炉峰の雪」の逸話のように、和歌や漢詩の教養が絶対必要条件でした
平安貴族にとって、和歌や漢詩の教養が乏しければ、宮廷での仕事や出世に差し支えるだけでなく、恋する人に手紙ひとつ書くことも出来なかった時代です(当時のラブレターは、基本的に和歌だった)
平安時代に漢詩が読めるほど教養があったのは、ほぼ貴族に限られていたのに対して、江戸時代ともなると庶民の識字率が向上し、大河ドラマ「べらぼう」みたいに出版活動が活発化して、漢詩を読む人が増えたことが関係していそうです
江戸時代も中期以降になると俳句が大流行で、多くの句会が開かれましたが、俳句ひとつ詠むにも関連する漢詩を踏まえて詠むのが俳句の達人
芭蕉「奥の細道」冒頭「月日は百代の過客にして」は、李白の詩「春夜宴桃李園序」の冒頭にある
夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり
を踏まえているのは有名
とにかく江戸中期以降の日本では、杜甫李白の人気が白楽天(白居易)を圧倒していきます
平安貴族と江戸庶民では、社会階級がまったく違うし、数百年の時代のズレもあって、漢詩の好みが違って当然でしょうね
杜甫李白と白楽天、どっちが優れているかというような議論にはさほど意味がなく、長い歴史と伝統のある漢詩の世界にも、ゆっくりとした流行のようなものがあり、選集をつくるときの編集方針にそれが反映するということでしょうか
さて本日のブログの冒頭に「50歳を過ぎたころからだろうか」と書きましたが、年齢を重ねるにしたがって人の心境には大きな変化が訪れるもののようで、私もその例外ではないようです
特に60歳を過ぎた頃から、漢詩の描き出す世界観と自分の心境の適合度が上昇してきているように感じています
漢詩作者のほとんどが男性で、年齢の持つ意味合いは男女で異なるでしょうから、女性が漢詩をどう受け止めるか、私は男ですのでよくわかりません
漢詩と和歌で言えば、おそらく女性には、和歌(またはその変形としての俳句)に心引かれる人の方が多いかな
ただ少なくとも私のように「60歳を過ぎた日本人男性」にとって、漢詩の世界をまったく知らずに歳を取っていくというのは、ひどくもったいないことのように思われるのです
▲サントリーのCM
▲マーラー「大地の歌」 カラヤン ベルリンフィル
▲1時間は長いと感じたらこちらをどうぞ ワルター NYフィル
10分たったあたりから下の詩が対応
春日醉起言志 李白
| 處世若大夢 | この世に処ることが若し大きな夢のようであるなら |
| 胡為勞其生 | どうして其の生を労することがあるものか |
| 所以終日醉 | だから終日酔っぱらい |
| 頹然臥前楹 | 頽然として柱の前に臥してしまう |
| 覺來盼庭前 | 目が覚めて来て庭前を眺めると |
| 一鳥花間鳴 | 一羽の鳥が花の間で鳴いている |
| 借問此何時 | おたずねしますよ、今は何の時候ですか |
| 春風語流鶯 | 春風が流れる如く飛ぶ鶯と語る時ですよ |
| 感之欲歎息 | 之に感じ入って嘆息したくなり |
| 對酒還自傾 | 酒に対してまた自ら傾いていく |
| 浩歌待明月 | のびやかに歌って明月を待ち |
| 曲盡已忘情 | 曲が尽きたときには心情を忘れていた |
※スマホで詩の右が切れるときは、スマホを横にして観て下さい
中国には孔孟(儒教)と老荘(道教)という二つの大きな思想の流れがあり
などと言われます
老荘に遊ぶのに、李白はまさにピッタリな詩人で、酒のCMにもピッタリ
(^_^;)~♪
春の桜と秋の紅葉、四季の変化が鮮やかな日本の、季節感二大イベント
私も例年、歩くの大好きであちこち歩き回っているのですが、今年は異常事態!
とにかく熊の出没が多すぎる! ((((;゚д゚))))
山奥だけでなく、最近は市街地でも出没していて恐ろしい
そんな訳で「今年の紅葉は諦めようかなぁ」と考えている今日このごろ
奥多摩の紅葉(鳩ノ巣渓谷、御嶽渓谷など青梅線沿線)が好きなんですけど、東京(たぶん奥多摩)にもけっこう出没してますね
まあ、近所でも紅葉の名所はありますし、千葉県に熊はいないらしい
下の図を見ると、茨城県もゼロだね
(^_^;)~♪
▲奥多摩の紅葉
▲これは11年前の11月に奥多摩の紅葉を見に行った時の写真です
これは2024年の脱線事故(資料PDF)で、レールの撤去作業中に作業員が手を放した一瞬、破断したレールを撮った報道写真
まさに「瞬間芸術」と呼ぶべきか!
2025年の新聞協会賞を受賞したというのもうなずけます
場所は2024年11月にJR函館線の森駅近くで発生した脱線事故現場
本来の鉄道レールには、中央部に充分な厚みがあって、これが列車の荷重を支えている
これが腐食(さび)によって、紙のよう薄くなり、脱線事故につながった
私は鉄道に乗るのがダイスキ(乗り鉄)
だからこの写真には大ショックを受けました!
鉄道会社には「保線」(ほせん)という仕事があり、線路が列車の安全運行に耐えるか、常に点検整備しています
事故発生までの函館線の保線部門は、いったい何をしていたのか?
レールはつながっているから、上の写真のようにレール断面を見ることは普段ありませんが、それを機械で測定して腐食(さび)の進行などを把握するのが保線の仕事
「鉄道」と言うくらいですから、レールが鉄で出来ていて錆びやすいことくらい、小学生でも知っています
脱線したのはJR貨物の車両だと思いますが、保線はJR北海道が担当していたと思われます
過疎路線の多いJR北海道は、旧国鉄から分離独立した時点で収益性に問題があり、現在でも政府からの補助金に頼った経営が続いています
純粋な民間企業とは言い難い「準公営企業」です
赤字が出ても補助金で助けてもらえる!
といった甘えが無かったのか?
この辺の経営体質と脱線事故の関係を徹底的に究明し、対策を講じてもらいたい!
しかし、その結論が「赤字路線の廃線」になるのだとしたら、それは何とも情けない!
そのように、乗り鉄の私は、シミジミ思います
((((;゚д゚)))) コワイ
* * * * * * *
追伸 国内最古の車両が、2028年1月で引退です
小田急沿線の皆さんにはおなじみの箱根登山電車
六本木で違反タクシーの取り締まりという動画です
数日前の当ブログ記事「東洋英和女学院」で
都内では新宿歌舞伎町と並ぶ「危険エリア」六本木
と書きましたが、確かに深夜の六本木周辺は危険タップリの風俗歓楽街だし、そこでの「タクシー戦争」も激しい
新宿署、麻布署(六本木)、渋谷署
が事件発生件数の都内御三家です
私が以前いた会社が、地下鉄の神谷町(六本木の隣駅)にあって、それで夜の飲み会は六本木が多かった
バブルのころは世の中の景気が良かったので、遅くまで飲んで電車が終わったあと、帰りのタクシーがなかなかつかまらない
それである日、仕方なく六本木から当時の自宅(目黒区)までトボトボ歩いて帰った(2時間以上かかった)
まだ「歩くの大好き」を始める前だったから、久しぶりの長距離散歩
その途中(テレ朝通り沿い)に良さそうなマンションがあったので、その中の一室を最初は事務所として借り、やがて住みついてしまったという訳です
まさか30年も住むとは思わなかったけど
「タクシー戦争」というのは、タクシーの顧客争奪戦を意味する場合が多いようです
タクシーは、道路を「流し」で走って手を挙げたお客を乗せる場合と、タクシー乗り場などに停車してお客を乗せる場合があります
タクシー乗り場は、お客が並んでる場合とタクシーが並んでる場合があるけど、たぶんタクシーが並んでる方が多い
タクシーの運転手にすれば、乗り場に長時間並んだあと、乗ってきたお客が1000円以下みたいな短距離だと、ガッカリするのは当然
タクシー運転手は、出来高給の割合が高いので
1日5~6万円くらいの水揚げ(売上)が無いと苦しい
1000円以下のお客なんか相手にしていては、目標達成は難しい
夜の六本木だと、
キャバクラとかガールズバーで遊んだお客には、帰りに遠くまで乗ってくれる金回りのいい「上客」が多い(チップもくれたりね)
そんなお店の集まってる狭いエリアでは、時刻が午前になったあたりから、空車タクシーの場所取り合戦になります
駐停車禁止とかマジメに守ってたら食っていけないよぉ、というのがタクシードライバーのホンネではないかな?
よく交通量の少ない道路脇とかにクルマを止めて昼寝してるドライバーがいますけど、「夜のタクシー戦争」に備えているのかもしれません
タクシー会社が常時ドライバーを募集しているのは、水揚げ(売上)が上がらず食っていけないと思ったドライバーがドンドン辞めて、その補充をしているからです
出来高給で固定費比率が低いから、タクシー会社としては多めに採用しても財務リスクになりにくく、応募があれば気楽に採用します
その結果、タクシーは供給過剰で、お客の奪い合いが常態化
麻布署の警察官に駐停車違反を告げられた運転手が
「俺らの税金でメシ食いやがって、このやろう!」
と文句を言いたい気持ちも分かる
駐停車違反 反則金12000円 違反点数2点
12000円もキツイだろうけど、点数が上限に届けば、運転できなくなって即失業
取り締まってる警察官もドライバーの窮状を知ってるだろうから、仕事とはいえ、人の良い警察官ならツライはず
もちろん、交通違反しないマジメなドライバーの方が多数派だとは思いますけどね
交通違反とは違うけど、タクシーセンターというのがあって、乗客からの以下のような苦情を受け付けてます
乗車拒否
わざと遠回り
危険運転(神風タクシー、現在ではほぼ死語)
接客態度が悪い
タクシーセンターは、「タクシー業務適正化特別措置法」に基づく国土交通省の関連団体(公益財団法人、たぶん天下り先)で、ここで苦情の多いタクシー会社には、キツ~イ行政処分がある
最悪はタクシー会社への営業許可の停止とか取消だから、経営を揺るがしかねない
タクシーで苦情を言うなら、タクシー会社よりタクシーセンターへ通報した方が、比較にならないほど効力絶大です
実際、ここで苦情の多いドライバーは、タクシー会社から危険視されて、すぐクビになるらしい(そんな奴を置いといたら、会社の営業許可が危なくなる)
タクシードライバーが恐いのが警察だとしたら、タクシー会社の経営者が恐いのは、たぶんタクシーセンター(とその背後にいる国土交通省)です
もう20年くらい昔ですが、タクシーに乗ったら893みたいな荒っぽいクチをきく(ほとんど脅迫)、ものすごくしょーもないドライバーにぶつかったことがあり、即座にカネを払って降り、ナンバープレートをメモしてセンターへ通報しました
電話に出たタクシーセンターの人が「締め上げてやります!」と勇ましく言っていたのが、今でも記憶に残ってます
そのとき「運賃の返還を求めますか?」と尋ねられたので、「あんな893みたいな人と関わり合いになりたくないので、返還は不要です」と答えておきました
それ以来、凶悪ドライバーにぶつかってないので、通報はしてません
ここはかつて「タクシー近代化センター」と呼ばれていて、「泣く子も黙る」と言われてました(2002年に改名)
タクシードライバーの間では、略称「近セン」と呼ばれて、恐れられていたそうです
「近代化」と言うことは、それまでタクシー業界は「中世」だったのかな?
最近のタクシードライバーは温厚な方ばかりなので、中世を脱したようです
まあ最近の私は急いで移動する必要も減り、「歩くの大好き」で数キロくらいなら気楽に歩くし、それ以上ならたいてい電車があるから、タクシーに乗ることは少なくなりましたねぇ
(^_^;)~♪
今日の深夜(9/8の03時ころ)、皆既月食です
ちなみに今日は二十四節気の「白露」
夜間の気温が下がり、草花や木々に朝露が宿り始める頃を指すそうです
夏の暑さが和らぎ、秋の気配が深まる時期とのことですが、まだまだ暑いなぁ
白露(はくろ)は、秋の季語
与謝蕪村も作品を残しています
白露や 茨の刺に ひとつづつ
(しらつゆや いばらのはりに ひとつづつ)
秋も深くなり、あたり一面に露が降りている。いばらに近づいてみれば、その鋭い刺(とげ)の先の一つ一つに露の玉がくっついて輝いている
話は飛びますが、アメリカでこんな判決が出ました
生成AI学習に「著書を無断利用」と訴えられた米新興企業
2200億円支払い和解 著作権侵害で最大額か
これだけの金額をポンと払えるくらい、いまAI企業は儲かってるのかな?
今回の判決で
約50万冊に1冊あたり3000ドル(44万円)
というのがスゴい!と思うんです
1000冊とか2000冊じゃない、50万冊ですよ
50万冊はだいたい、都内の区立図書館1館の蔵書数です
広尾にある都立中央図書館が240万冊、永田町の国立国会図書館が4600万冊、アメリカ議会図書館(世界最大)が1億7000万点(写真や動画を含む)
日本では年間に7万冊(7万タイトル=毎日200タイトル)くらいの新刊書が出版されてますから、50万冊というと新刊の7年分以上で、それだけの本をAIが読んで学習した訳です
いま日本だと、新刊本の初版は4000部くらいで、売れなくて初版で終わる本も多い
仮に1冊1500円として、せいぜい売上600万(1500×4000)で、著者に入る印税は10%くらいだから60万円
英語圏はもう少し高いかもしれないけど、該当する50万冊の著者には、44万円はウレシイ臨時ボーナスかもしれませんね
(^_^;)~♪
高円寺の阿波おどりを観るのは3回目くらいですが、だんだん盛況で「連(れん)」も増え、観客も混んできてるような気がします
本場徳島の阿波おどりも、かなり前に行きました
踊りの規模(連の数)や会場の広さでは圧倒的に徳島なんですけど、観客数では同じくらいですから、高円寺の観客密度はスゴかったです(比較はこちら)
本場徳島なら、会場が広いですから、ゆったりと観ることができます
徳島の街の裏通りを、一つの連が流しでゆっくり踊って行くのは、とても情緒がありました
▼こんな感じ
▼本場徳島 阿波おどりの達人
▼やっぱキレイな女性の踊りは最高かな? (^_^;)~♪
▼1962(昭37)年の阿波踊り 編み笠が水平だね
東京では高円寺以外にも、下北沢などで阿波おどりがありますが、規模は高円寺が圧倒的です
数年前に韓国のお祭りで大量圧死事件があったせいか、警察や主催者が厳しく一方通行規制などして、事件の予防につとめていました
今から158年前の幕末に「ええじゃないか踊り」というのが大流行しましたが、それに一番近い踊りが阿波おどりだと言われています
▲ええじゃないか踊り
少し前に亡くなられた作家の瀬戸内寂聴さんは徳島出身で、自分の連を作って踊ってましたね
いま、お盆なんですねー
曜日とか祝日に余り関係なく生きてる私ですが、お正月とお盆には1年の区切りを感じます
江戸時代までの日本には「1週間」という概念が無く、丁稚(でっち)奉公とか女中奉公といった最下層で働く人たちの休日は、お正月とお盆だけだった
まさに「おしん」の世界、きっと休みが待ち遠しかったでしょうね
「おしんの動画」を観ると、涙腺がゆるみます(T_T)
年間休日がお正月とお盆の合計でせいぜい2週間くらいですから、現在の週休2日制とはエラい違い
まあ最近は、ブラック企業とかもあって、丁稚奉公みたいにコキ使われている人たちもいるらしい
この「奉公」という言葉には、歴史性や宗教性を強く感じます
お盆は、仏教が入って来る前からあった先祖供養の行事で、仏教の方が後から盂蘭盆会(うらぼんえ)と名付けて仏教行事に含めたみたい
キリスト教のハロウィンも、キリスト教以前からあった素朴な習俗で、よく似ています
念仏踊りと聞くと一遍上人の時宗ですけど、リズムに乗って体を動かすという意味での踊りは、仏教よりずっと前から、たぶん縄文時代からあって、何千年もつづいていたはず
キャンプファイアーみたいに焚き火を囲んで楽しく、時には熱狂的に、踊っていたんじゃないかなぁ
踊りの上手な人は、集落の中でスター的な存在になったりしてたかな?
太鼓を叩いたり歌ったり、音楽の原点かもしれません
盆踊りも江戸時代までは、一種の乱交パーティーのような様相を帯びていて、いまの我々から見たら「やりたい放題」みたいな雰囲気だったらしい
何しろ電気の無い時代ですから、焚き火や提灯の近くの踊りの輪から外れれば、周囲は完全な暗闇
夜這いの習慣とかもあって、江戸時代までの日本は、性に対して非常に大らかでした
世界史的(人類史的)に見たら、キリスト教の性道徳の方がかなり異常なんじゃないかなぁ?
(^_^;)~♪
▲時宗の念仏踊り(踊躍念仏・ゆやくねんぶつ)
上の写真は、鎌倉長谷寺で演奏する徳永慶子さんです
仏像とヴァイオリンという異色の組み合わせ
毎年この季節になると、長谷寺の仏前コンサート、「長谷寺 NIGHT TABLE」(ディナーショー形式)が開催されているそうで、ニューヨーク在住の慶子さんが出演のために里帰りします
今年は10月12日に慶子さんの演奏があります(詳細はここをクリック)
なおチケットは、すでに完売だそうです
背後の仏像は、十一面観音菩薩像
721年に二体が彫り上げられ、うち1体は大和長谷寺(奈良県)の本尊となりました
もう1体は、開眼供養をした行基によって海中へ奉じられ、15年後に相模国(神奈川県)の沖合に忽然と現れ(木造ですから水に浮きます)、鎌倉長谷寺の礎となりました
浅草の観音さまのご本尊にも、似たような話がありましたね
それにしても15年も海面を漂い、よく原型をとどめていたものです
721年に彫られたとすると今年で1304年、非常に歴史ある仏像なのですが、上の写真では黄金色で輝いているように見えますね
途中で焼けて作り直されたとの説もありますが、それでも数百年は経ている
仏像は完成直後は金箔を貼って光り輝いているのが普通(だからご本尊安置の建物を「金堂」と呼ぶ)
やがて長い年月で「風化して」、多くの仏像は黒光りした、良く言えば威厳と風格のあるお姿になっています
上に「風化して」と書きましたが、正確には信者が御利益にあずかろうとして仏像を「なでなで」し、金箔が剥がれ落ちたというのが実情のようです
鎌倉長谷寺の十一面観音菩薩像が今でも光り輝いているのは、金箔を張り直してメンテナンスしてるから?
ちなみに仏教国タイの仏像は、ほぼすべて金箔で光り輝いています
タイでは信者が仏像の御利益にあずかろうとする場合、仏像を「なでなで」するのではなく、金箔を上に貼ってゆくからで、そのための金箔をお寺で売っていたりします
里帰りした慶子さん、徳永パパママがお住まいの横浜桂台徳永邸で、「ご自宅コンサート」も開催するのかな?
(^_^;)~♪