なつかしの名曲

人生の「旅立ち」

上の動画は、先日の当ブログ記事「小田和正 ツアー完走」に載せた、松山千春「旅立ち」の再掲です

今日なんとなくこの動画を観て(聴いて)いたら、これは少し歌詞を変えると、

これから人生に別れを告げる人

(つまり死を目前にした人)

の歌になるなぁと思いました

若い人は「縁起でもない」とか言うかもしれないけれど、歳を取ると死が恐ろしいものと言うより、親しいものに感じられてくるのです

以下、赤い文字が変えた部分

旅立ち

私の瞳が ぬれているのは
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない
この日がいつか 来る事なんか
この世に生まれてすぐに 知っていたはず
私の事など もう気にしないで
貴方は貴方の道を 歩いてほしい

さよならいわずに 笑ってみるわ
の旅立ちだもの 泣いたりしない
言葉はいらない 笑顔をみせて
心の中の貴方は いつもやさしい
私は泣かない だって貴方の
貴方の思い出だけは 消えたりしない
私の瞳が ぬれているのは
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない

元歌での「貴方(あなた)」は恋人ですが、上の歌詞だと、妻(夫)や子どもたち、あるいはこれまでの人生で関係のあった人たちという意味になりますね

別れは人生に付きもので、長い人生には多くの出会いと別れがあります

特に愛する人との別れは、人の心に強烈な印象と記憶を残し、多くの音楽や芸術のモチーフになっています

仏教では、人生を四つの苦(生老病死)と考えますが、「四苦八苦」(しくはっく)という言葉があるように、さらに四つの苦をあげています

愛別離苦(あいべつりく) 親・兄弟・妻子など愛する者と別れる苦しみ

怨憎会苦(おんぞうえく) 怨み憎んでいる者に会う苦しみ

求不得苦(ぐふとくく) 求める物が思うように得られない苦しみ

五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ

多くの別れの最後に、人生の全ての関係性からの離脱、つまりがあります

死を一切の消滅(無)ととらえるか、新しい旅立ちととらえるか、それは人それぞれ

仏教に限らず、死は宗教や哲学の最大のテーマ

人間には、直視するのが難しいものが3つある

1)死

2)太陽

3)自分(の現実)

死を直視するところから、多くの芸術や哲学が始まっている

人は死んだらどうなるのか?

脳を含めた肉体を構成する物質(細胞や分子)のレベルで科学的に言えば、人の肉体の大部分は、火葬されたら水蒸気(H2O)や二酸化炭素(CO2)になって大気中に放散され、土に吸収されたり植物の栄養になったりして、新しい物質の流れに加わっていく

土葬なら、微生物による分解を通じて、新しい物質の流れに加わっていく

問題は、そのときに意識の連続性が有るかどうか

これを「有る」と言い切ると、霊魂の存在、天国や地獄、極楽浄土への往生(浄土系仏教)、輪廻転生による再生(インド哲学やヒンドゥ教など)、神による最後の審判(キリスト教)といった考え方につながってきます

能は、霊魂(怨霊)の存在を前提にした舞台芸術ですね

逆に、意識の連続性は科学的には「無い」と断言する人もいるが、これは科学的ではない

「無い」ことを科学的に立証することは不可能(悪魔の証明だからね)で、証明できないことを断言するのは、科学ではなく信仰です

私はもしかしたら、意識の連続性は「有る」んじゃないかなぁと思っているのですが、もちろん科学的に証明はできません

(^_^;)~♪

 

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追伸1 松山千春 19歳の「旅立ち」見つけました(半世紀前だよ)

当たり前だけど、昔はフサフサだったんだねぇ

動画に出て来る「とかち新聞」は、松山千春の父・松山明が北海道の足寄町(あしょろちょう)で発行していたローカル新聞で、デビュー前の松山千春19歳が働いていました

新聞は余り売れず、家は貧しかった

松山千春が政治家の鈴木宗男と仲がいいのは、父親ゆずりの政治志向かもしれませんね

二人は共に足寄町の出身

足寄町の面積は広大(23区の2倍以上)だけど、人口はわずか5800人だから、二人はたぶん足寄町出身の「二大有名人」

鈴木宗男が選挙のとき、松山千春はよく応援演説をしています

▼「とかち新聞」本社 しかし、いい味出してるなぁ

画像をクリックすると拡大します

足寄町図書館では、「とかち新聞」のデジタルアーカイブを公開しています

▲現在の足寄町の中心部

若い人が遊ぶには、少々寂しげな街

近くの大きな街というと、帯広までクルマで1時間ちょっと

19歳の動画で「足寄町からクルマで7時間」とか言ってたけど、札幌までかな?

今は高速つかって3時間半みたいだけど、半世紀前は高速が無かったんだろね

足寄町~札幌は、東京~名古屋と同じくらいだから、いかに北海道が広いかが分かります

( ゚Д゚) ヒエー

 

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追伸2 松山千春の昔の動画を見つけたついでに、北海道つながりで中島みゆきの古い動画を探したら、ありました!

夜のヒットスタジオ初出演:「アザミ嬢のララバイ」 「わかれうた」

正確な放送日は不明ですが、これも半世紀くらい前かな?

私は中島みゆきの音楽が死ぬほどスキ! 文句なしの天才!

彼女の作品も、その多くが「別れ」の歌

足寄町の松山千春とは違って、彼女は大都会札幌の出身(ただし、5歳から岩内、11歳から帯広)

かなりエートコのお嬢だったようです

彼女の初期代表曲は「時代」ですが、デビュー曲は「アザミ嬢」なんですね

比較的最近の「ヘッドライト・テールライト」

これも「旅立ち」と同じように旅をテーマにした曲

「旅」という言葉には、人の心を動かす何かがある

人生は旅、なのかな?

(^_^;)~♪

ヘッドライト・テールライト

語り継ぐ人もなく
吹きすさぶ風の中へ
紛れ散らばる星の名は
忘れられても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

足跡は 降る雨と
降る時の中へ消えて
称える歌は
英雄のために過ぎても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

行く先を照らすのは
まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは
あどけない夢
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

小田和正 ツアー完走

歌手、小田和正(78)は10/1、横浜アリーナで全国アリーナツアーの最終公演を開催

9月20日の誕生日で78歳となり、2022年に自身が75歳2カ月で樹立したアリーナツアー完走の最年長記録を更新した

地元の横浜開催となった最終公演では約1万3000人の声援を受け

約210メートルの花道で何度も疾走

さわやかな白シャツ姿で客席を指さしながら「ありがとう!」と笑顔で感謝を伝えた

小田和正(おだかずまさ) 1947(昭和22)年9月20日生まれ。神奈川県出身。69年オフコース結成。「眠れぬ夜」「さよなら」「愛を止めないで」などヒット曲を連発し89年に解散。ソロアーティストとして「ラブストーリーは突然に」が自身初のミリオンセラーに

歌手、松山千春(69)は

「俺はいつも小田に会ったら言うんだけどさ、『お前、ステージでね、走ったりいろんなことしてるみたいだけど、お前がそんなことやったら、俺たち年下の人間は何やればいいのよ。頼むぞ』みたいなな。アーティスト、それぞれ自分のコンサートスタイルってのがありますからね」

と苦笑していた

松山千春(まつやまちはる) 1955(昭和30)年12月16日生まれ。北海道足寄町出身。足寄高卒業後、75年に「全国フォーク音楽祭」北海道大会への出場をきっかけに、77年にシングル「旅立ち」でデビュー。以降、多くのヒット曲を生み出す

いやぁ~、小田和正が松山千春より、9歳も年上とは知らなかった!

(^_^;)~♪

東洋英和女学院

▲六本木の鳥居坂通り 右が東洋英和

ネットニュースを見ていたら、東洋英和の中3・高1が夏休みカナダ研修という記事がありました

旅行費用の国内外価格差が減少(逆転)して、海外修学旅行が流行した時期がありましたが、最近は円安で騒がれなくなったけど、さすがお嬢さまの通う東洋英和は続けてますね(研修だから修学旅行とは少し違うのかな?)

東洋英和女学院は、大学は横浜にありますけど、幼稚園から高校までは六本木にあります

都内では新宿歌舞伎町と並ぶ「危険エリア」六本木ですから、こんなところへ子供を通わせて大丈夫なのかな?という気もしますが、子供の事故とか事件の話は余り聞かないですね

六本木の街を歩いていると、ランドセルを背負った子供とか制服を着た女子中高生などをよく見かけるのですが、その多くは東洋英和の生徒さんたちだと思います

六本木という場所柄、オシャレな制服を想像しますが、意外と普通ですね

私は以前、六本木駅の近くに30年くらい住んでいたので、東洋英和のある鳥居坂通りは、朝散歩などでよく歩きました

外苑東通りの猥雑な飲食風俗街から一本横道に入っただけなのですが、鳥居坂通りは静かな落ち着いた通りで、散歩道には最適でした

新宿歌舞伎町は広大な繁華街ですが、六本木の繁華街はそれに比べるとごく狭く、ちょっと横道に入ると落ち着いた麻布の住宅街です

六本木には、かつて陸軍歩兵連隊(聯隊)があって、二・二六事件の時はここから反乱軍の将兵が出撃して皇居方面へ向かいました

戦後は陸軍の敷地だった場所に米軍が駐留し、一気に横須賀みたいな米軍の街となり、流行や風俗の最先端を走ることになる

野地さんの本で有名なイタリアン「キャンティ」などのオシャレなお店に、三島由紀夫とか当時のインテリ文化人も集まるようになった

今年は三島由紀夫の生誕100年です

彼の早逝は誠に痛恨事でしたが、そのおかげで記憶の中の三島は常に若々しい

米軍が去って自衛隊の駐屯地となり、さらに自衛隊も去って、それが現在のミッドタウン

六本木は、日本の近現代史の縮図のような街です

(^_^;)~♪

加藤和彦安井かずみも、鳥居坂の近くに住んでましたね

♪ ぞぉ~さん ぞぉ~さん

西新宿の東京オペラシティ(リサイタルホール)へ

作曲家 團伊玖磨の生誕101年コンサート

声楽家4人が「日本」を歌いました

最後には、おなじみの「ぞうさん

半世紀ぶりに聴きました

(^_^;)~♪

女声二人は姉妹です(シュガー・シスターズ

5人全員、藝大です

選挙の歌~♪

今日は楽しい選挙の日~
誰が投票に行こうと行くまいと
 どーでもE!
なんですけど、この歌ダイスキ
 (^_^;)~♪

The End Of The World

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この歌には思い出があります

大学に合格して最初の頃の英語の授業で、当時の受験予備校界で割と有名人だった英語の先生である松山正夫という先生が登場しました

大学の先生がお金儲けなどのために大学受験予備校の講師をするというのは、当時でもさほど珍しいことではなかったのですが、それでも割と有名な先生が目の前にいて、ちょっと感動した記憶があります

右の写真(→)は最近の松山先生みたいですが、もちろん当時はもっと若かった

その松山先生がある日の授業で、この「The End Of The World」を教室に流したんですね

歌の歌詞をネタに授業をしたんだと思います

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しかも松山先生は面白い先生で、Brenda Lee(→)のあとに別な若い歌手(名前は忘れました)が歌う同じ曲を流して、

「Brenda Leeが百戦錬磨の「使用」で

 その若い歌手は初々しい「使用」だ」

などと冗談を飛ばしていたのを憶えています

確かにBrenda Leeの歌には、歌唱力の違いもありますが、人生経験を感じさせる何かがあるようにも感じました

その授業は機械工学系の男子学生ばかりの語学クラスで、女子学生はいなかった

とはいえ大学の授業で、そんなセクハラまがいの冗談が飛び出すあたりに、当時の時代性を感じますね

この直前に大学の入学式があり、当時の学長が

「入学おめでとう!

 本日より本学は、諸君を紳士として遇する

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 だから諸君も、そのつもりで行動してください」

みたいなことを言ったのを憶えています

私の通った高校は割と自由な校風で、細かい校則とか無く、服装とかもほぼ完全に自由だった

坂本龍一(→)が学園紛争で大暴れして、校長に要求して(校長室に突入して占拠した)、変な校則をみんな廃止させてしまったのです

それでも小中高と子ども扱いされてウンザリしていた私は、この学長の挨拶がスゴくうれしかった

松山先生は授業の中で

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「君たちの英語力は今がピークだから

 今すぐに英検2級を受けておきなさい」

と言いました

大学の英語の先生が、

「大学生になったら、英語力は下がる一方だよ」

と断言するのですから、かなり大胆な発言です

私は素直にすぐ英検2級を受けて合格しましたが、松山先生のご指摘が卓見だったのは間違いなかったようです

私がいま英検2級を受けても、不合格になる可能性が高いと思います

(^_^;)

 

 

あなたはどちらがいいですか?

私は、カーペンターズは嫌いじゃないけど、この曲では、Brenda Lee が圧倒的にいいと思います

この The End Of The World という曲は、もともとはスキータ・デイヴィス(↓)という歌手の持ち歌なんですけど、余り歌唱力が高いとは言えず、Brenda Lee はもちろん、カーペンターズにも食われちゃってる感じがします

 

 

藤圭子 みだれ髪 憑依系の世界

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昨日9/22はYouTube動画を観ているうちに、オールディーズや日本のフォークソング、さらに藤圭子にたどりついて、またしみじみ聴き惚れてしまいました

藤圭子は何を歌わせても超天才なんだけど、上の動画はその中でも格別に際だって、もう神がかっているとしか言いようがない

私は藤圭子のYouTube動画を、何百本も繰り返し繰り返し観ている(聴いている)が、上の動画はその中でも一番の「推し」です

見た目はふつうの主婦が近所のスーパーに買物に行くような服装で飾り気なし、寝起きのボサボサ頭みたいな感じ(まさに乱れ髪)

それが歌い始めると、歌の神が乗り移ったような憑依系(ひょういけい)の世界に入る

本人には気合いも気負いもなく淡々と歌ってるんだけど、聴いてる歌手にしきのあきらの表情に「完全に圧倒されてる感」が浮かんでる

たぶん「プロだから分かる本物のスゴさ」みたいなものを感じ取っているのかな

この歌は美空ひばりの持ち歌で、美空ひばりだって大変な歌唱力なんだけど、聞き比べると完全に食っちゃって比較にもならん感じ

歌手で現在は参議院議員の中条きよし(→)

「ボクの持ち歌をそんなにうまく歌われたら

 やってられないよ-」

と言った(プロ歌手としての敗北宣言)

歌手の村田英雄は「もうオレの歌を歌うな!」と怒ったとか(大人げない)

もう亡くなって10年、引退してから数十年で、知らない人も多いと思うけど、こんなスゴい歌唱力の人は空前絶後、今後も永久に現れないだろうなぁと思うよ

ありがたいことに、YouTubeに大量の動画がアップされてるので、いつでも藤圭子の世界にどっぷり浸かることが出来ます

自殺に至った彼女の心の闇は永久に闇のままかもしれないが、天才というのは常人には計り知れない別世界に住んでるし、けして住みよい世界ではなさそう

最近観たYouTube動画で、同じくらい「天才はスゴい!」と感じたのが下の動画(↓)です

もちろん、クイーンの持ち歌だけど、食っちゃってますねー

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藤圭子は主に演歌を歌っていたけど、本人が本当に好きだったのはビートルズなどの洋楽系で、いつもアメリカに住みたいと言っていた

実際に引退してからは、精神を病みながらも、日米を行ったり来たりして暮らしていました

  (T_T)

 

 

夜が来る~♪

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この歌、サントリー・オールド(←)のCMソングで有名

洋楽なのかと思っていたら、純然たる日本人の作曲なんですよね

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寺内貫太郎こと小林亜星(→)作曲

役者としても有名ですが、作曲家としても大変な数の名曲を創っています

もちろん作曲家の方が本業

そしてこの「夜が来る」というシブい曲

この曲だけでも、小林亜星は天才だなぁと思う

ご自身でも歌っています(↓)

(^_^;)~♪

 

オールドのCMをもっと見る

 

六中健児の歌

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山縣有朋らが心血を注いで制定した「軍人勅諭」が出来たのが、1882年(明治15年)

続く「教育勅語」が、1890年(明治22年)

新宿高校の前身である旧制府立六中が四中に間借りして開校、1921年(大正10年)

校舎完成、府立中学で初の鉄筋コンクリート、1922年(大正11年)

その直後に関東大震災、1923年(大正12年)今日からちょうど100年前

そして我らが「 六中健児の歌 」が出来たのは、1929年(昭和4年)

明治新政府の思想的バックボーンである富国強兵の皇国思想は、旧制中学の歌にまで着々と普及していった訳です

このような軍国思想を、現在の民主主義の立場から批判することは、頭の悪い中学生にでもたやすいことですが、当時の社会状況や国際情勢を理解した上で、これらに正当な評価を下すことは、簡単ではないですね

(^_^;)

 

▲新宿高校(六中)の初代校舎と興国の鐘

 

六中健児の歌

作詞作曲 堀内 敬三

 

黎明の雲を破り さしいづる日のごと
明けし生気充てり 我等六中健児
いざ燃えよ朝日のごと 母校の光世にあらはせ
興国の鐘は響けり 興国の旗あがれり

建国の毅き力 こころに保ちて
新たなる御代を護る 我等六中健児
いざ築け強き日本 歴史の光なほ加へよ
興国の鐘は響けり 興国の旗あがれり

伏し仰ぐ大帝 御旨を畏み
神前の誓固し 我等六中健児
いざ励め祖国のため 誓ひし誠世に捧げよ
興国の鐘は響けり 興国の旗あがれり

湧き出る若き力 揺るがぬ意思もて
奮闘と努力やまず 我等六中健児
いざ進め撓まず往け 校旗を四方に輝かせよ
興国の鐘は響けり 興国の旗あがれり

 

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【参考】府立六中校歌   作詞 尾上紫舟

東西古今たぐひなき      聖き帝の神つ宮
伏して御前に誓ひてし     同じ心の千余人

みめぐみ深き御苑生に     続く校舎の窓近く
木々の翠を見やりつつ     学ぶ心の清きかな

紫にほふ武蔵野の       はてに聳ゆる富士のねの
雪の光をのぞみつつ      研く心の高きかな

仰ぐも遠き建国の        君と臣との雄心を
今も楯とし剣とし         進みゆくてに敵ありやむ

事しもあらば国のため      君のみためにそそぎてむ
あつき血潮を胸にもつ      同じ心の千余人

 

【参考】新宿高校校歌  作詞 安藤一郎

朝は澄める大空の        ひろきを仰ぐ清けさに
世界の心豊かに酌まむ     光を目ざす若き胸
ああ 千余のわれら理想に燃ゆる

代々木の森は年ごとに      緑の色もいや増して
若き命ぞまた立ち返る      希望は常に新しく
ああ 千余のわれら力に満つる

文化の流れ西東          新たに結ぶ日本の
若き世代はわれらの肩に     正義と愛の大道を
ああ 千余のわれら雄雄しく往かむ

 

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