▼下の3枚は竹永さんのスマホで撮影 ありがとー (^_^;)~♪
41【芸能】
誰が密告したんだ!
職場で、内部告発者を突き止めようと必死になったBさん
「誰が密告したんだ?チクったんだ?」
「見つけたら徹底的に追い詰める!」
「辞めさせるまでやるぞ!」
とか息巻いて社内調査を進めたが、最終的には上司やコンプライアンス担当役員から厳しく叱責され、被害者たち(内部告発者としてBさんから追い詰められた人たち)に深く頭を下げる羽目になった
ところが、被害者たちはそれでも納得できず、Bさんを加害者として裁判所に提訴した
裁判所は
「Bさんの行為は行き過ぎだ、慰謝料を払え」
と命じた
という、笑い話のような事件(もちろん当事者には深刻な事件ですが)
日本人の大人なら誰でもご存じのように、日本の社会には江戸時代以前からある「村の論理」と、明治以降の「法の論理」があります
この二つの論理は、歴史的に言えば中世と近代という、かなり異なる考え方です
「論理」といいますが、ロジックというより、ルール(倫理、道徳、価値観)に近い概念
表面的には「法の論理」で動いているように見える「法治国家」日本ですが、ときどき「村の論理」が顔を出すことがあり、時には衝突することもあります
「村の論理」で処理しようとしたのに、「法の論理」の出番になったことを、少し前までの日本人は「裁判沙汰(ざた)」などと呼んでいました
特に、頭の中が「村の論理」一色というBさんみたいな人(昔の体育会系に多い)もたま~にいて、思わず笑っちゃうような珍事件を引き起こします
もちろん裁判所は「法の論理」の体現者ですから、原則として「村の論理」は通用しません
「村の論理」が成立したのは、おそらく室町時代の「惣村」の形成と深く関係しているように思われます
警察も裁判所も無かった(ほとんど機能していなかった)時代に、農民が自分たちの生活を自分たちで守るために団結し、その結果生まれたのが「村の論理」
それから500年以上が経過していますが、「村の論理」は今も脈々と生きています
ちなみに、西部開拓時代のアメリカのフロンティアでも、警察も裁判所も無かった(ほとんど機能していなかった)時代がありますが、個人主義の強い白人社会でしたから、団結で身を守るよりも、個人個人が自分で自分の身を守るという方向へ進み、「銃の論理」(銃社会)になりました
それなりの歴史的な必然性でそうなっている訳ですから、急に「銃を廃止しろ!」とか叫んでも、急には変えられない
それは日本の「村の論理」が、急には変えられないのと同じ
(^_^;)~♪
国立能楽堂と三十三間堂
千駄ヶ谷にある国立能楽堂で能を鑑賞しました
3年以上前で、写真を当ブログにアップしないまま忘れていたのですが、本日たまたま思い出したので(山潤さんのLINEのおかげ)、アップしました
実は最近(9月半ばから)、室町時代の本を何冊か読んでいます
仏教絡みで一休さん(一休宗純)の一生を読んでるうちに、彼が生きた時代背景を知りたくなった訳です
室町時代は足利将軍の時代で、徳川幕府のような強力な統治能力を持った幕府ではなかったので、守護大名に何かと戦争(乱)が起きます
そのほとんどは代替わりに伴う跡目争いで、それを知っていた徳川家康が後に天下をとると、「跡継ぎは嫡男(正妻の長男)に限る」というような厳しい相続ルールを定めて、跡目争いの芽をつぶそうとしました
その戦争(乱)の最大が、有名な応仁の乱で、京都はほとんど焼け野原になった!
何のために戦ってるのかよく分からない変な戦争が、11年もダラダラ続いた
京都の人が「この前の戦争で焼けた」という場合、80年前の世界大戦ではなく、500年以上前の応仁の乱
おまけに天候不順やら疫病やらで大量の餓死者が出て、鴨川が死体で埋まった!などという恐ろしい記録が残っています
一番ヒドい時期には、京都(当時の人口20万人くらい)だけで、毎日1000人くらいの餓死者が出て、鴨川の河原は数万人の死体ですさまじい異臭!
鴨川の河原から京都の中心(そこに天皇も将軍もいた)まで、せいぜい1~2キロですから、東から西へ風が吹けば、異臭がそこを直撃する!
そんな時代でも将軍(足利義政)は知らん顔で、自分の趣味の世界に没頭して遊んでいたのですが、そこには不思議なくらい「文化の花」が咲きました
現在の我々日本人が「日本文化」と思っているものの多く、能もその一つですが、この時代に花開いている
社会が混乱した時代の方が文化の花が咲くという、歴史の面白い側面です
文化の花は咲いたけど、政治や社会は大混乱!
やがて、雨降って(戦国時代)、地固まる(天下統一)という流れで、時代が進んでいきます
(^_^;)~♪
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追伸1) 能を大成したのは世阿弥ということになってますが、その世阿弥(超美少年だった)を全面的に支援したのが将軍義満(義政の祖父)
しかも、将軍義満と世阿弥の関係は、なかなか奥深い(アブナイ)ものがあります
室町幕府は240年(将軍15人)続きましたから、徳川幕府の260年(15人)にほぼ匹敵しますが、その実態は正反対
武力の裏付けが乏しい弱い将軍ですから、常に有力大名の顔色を見ながらなので、特に最後の方(戦国時代)の将軍たちは有名無実で哀れなものでした
気に入らない大名をバンバン「お家お取りつぶし」にした徳川将軍とは大違いです
その中でも比較的存在感がある将軍と言うと、初代の足利尊氏は別格として、上記の足利義満とその孫の足利義政
義満は、室町幕府の中では比較的パワフルな将軍で、金閣寺に代表される北山文化を創った
義政は、政治家(将軍)にはまったく向いてない気の弱い優柔不断な男で、妻の日野富子に押しまくられ、ひたすら趣味の世界に逃避していた
ただ芸術的なセンスは抜群だったようで、祖父に負けない東山文化を開花させた
この二人を見ていると、おフランス王家ブルボン王朝の、ルイ14世とルイ16世を思い出します
現在のおフランスを見ると、経済の柱がパリの観光業とブランド品ですから、ブルボン王朝の遺産(文化)で食っているようにも見えますし、文化の力は馬鹿に出来ません
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追伸2)山潤さんに教えてもらったんですけど、先日のブラタモリ「三十三間堂」によると、応仁の乱の時焼けなかった京都の寺社は三十三間堂など4つしかないそうです
応仁の乱が550年くらい前だから、京都でそれ以上古い神社仏閣の建物はほとんど無い訳ですね
みんな木造だから、戦場になったらどうしようもないけどね
それに比べたら法隆寺とか、木造なのに1400年前だからメチャ古い!
▲三十三間堂(蓮華王院本堂)
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今では、三十三間堂と言うと、この「通し矢」で知られています
実は私、通し矢の当日、現場(三十三間堂)で生で見たことがあります
2020年ですから、もう6年近く前ですが、お正月の青春18旅(えべっさんを歩く)のヒトコマです
成人式のお祝いに、三十三間堂で通し矢をする習慣らしい
これからなのか、もう済んだのか、三十三間堂のまわりには、弓矢を持った20歳がうじゃうじゃ
華やいじゃって、女子大の卒業式みたい!
▲三十三間堂で「通し矢」するGALたち
青春18旅(えべっさんを歩く)、写真が2000枚以上あって、三十三間堂にたどり着くまで大変そうですが、おヒマのある方は下のリンクからご覧ください
いまザッと見たら、1230番あたりから三十三間堂でした
女子大の卒業式みたいな写真が山ほどあります
(^_^;)~♪
アグネス・ラムと広末涼子
アグネス・ラムは、1970年代後半の日本で大変な人気でした
上の動画を見れば分かるように、ちょっと人間ばなれしたカワイさ
彼女は 1956年生まれですから、朝陽27回メンバーと同世代
彼女は当時、大変な人気でしたが、サラっと芸能界を引退して、幼なじみと結婚して2児をもうけ、現在もハワイで暮らしているそうです
ここで比較の対象にするのは、やや気の毒かもしれないけど、広末涼子を思い出します
彼女は、いわゆる「奇行」で知られており、先日も事件を起こして警察沙汰になったばかり
奇行(きこう):奇妙な行動。普通の人がしないような変わった行動。eccentric behavior
その奇行にどんな心理的背景があるのか、もちろん人の心ですから真相は闇ですが、三面記事的なニュースを見る限り、彼女の美貌の衰えと人気の低下が深く関係しているらしい
若くて美しい(カワイイ)女性に、群がるように男が寄ってくるのは、ごく自然な現象
そんな女性が何かを望めば、寄ってきた男たちは即座にかなえてくれる
芸能界もマスコミも、彼女を「女王さま」に持ち上げる
チヤホヤされて、何でも思い通りになる状況がしばらく続きます
しかしこれも「しばらく」であって、やがて時間の経過と共に状況は変化し、山から谷への下降線をたどるようになる
彼女の魅力が高ければ高いほど、その山は高く、谷へ向かう下降線は急降下になる
彼女がいた場所に、別な若い女性タレントが立つようになる
これは当たり前すぎる現象であって、誰でも理屈では分かっているが、感覚が付いていかない場合もある
この現実と感覚のズレが、徐々に彼女の精神に悪影響を及ぼし、「奇行」を起こすようになったのではないか?
というのが、三面記事的なニュースによくある解説です
舞台やスクリーンで脚光を浴びた「過去の栄光」が忘れられない老女優、みたいな設定で、よく映画やドラマになったりしますよね
刑事コロンボに「忘れられたスター」という作品がありますが、「別れのワイン」と並ぶ、コロンボシリーズで最高の作品ではないかなぁ
以上は女性の場合ですが、男性の場合は「美貌」ではなく「組織内の権力」や「社会的地位」だったりして、美と力という違いはあるにせよ、やはり年齢と共に下降線をたどることがあります
最近は平均寿命が伸びて、この下降線の期間が長い!
よく知られているように、仏教の教祖であるお釈迦さま(仏陀)は、生老病死を万人に共通する人生最大の「苦」ととらえ、それに対処する方法を考えました
生は少し別として、老病死という苦しみの本質は
若さ、健康、生命が永久に続くことは無い
という現実(無常)に対して
理屈では分かっているが感覚が付いていかない
ことに起因しているとお釈迦さま(仏陀)は考えたようです
そして現実(老病死)を変えられない以上、変えるべきは自分の感覚であって、その感覚を変えることに成功した心の状態を「さとり」と呼んだようです
「サラっと芸能界を引退」したアグネス・ラムは、この「さとり」に近かったのかもしれませんね
同じアグネスでも、煩悩のカタマリのように見えるチャンとはエラい違いかな?
なお、上記の説明で使った「感覚」という言葉は、視覚、聴覚、味覚といった狭い意味での感覚ではありません
それは「理屈(知識)以外の何か」のことで、意識や感情、深層心理、固定観念、信念、勇気、価値観、気分など、総合的な心の作用(働き)のことを指しています
よって、これを変える(さとりに至る)のは簡単なことではなく、そのために仏教の永い歴史(約2500年)があるとも言えます
ただし、「さとり」を余りにも神秘的な何かと考えるのは間違いで、人によってはサラっと「さとり」に至る人もいれば、死ぬまで煩悩に苦しみ、「さとり」には縁遠い人もいるようです
なお、ハワイ出身のアグネス・ラムが引退したのは、単に日本の寒さが耐えられなかったから、という説もあります
(^_^;)~♪
「バカ殿」ダイスキ!
▲インドのプーリー石油・天然ガス相
インドのプーリー石油・天然ガス相は7/17、ロシアからの原油供給が二次制裁の影響を受けた場合でも、代替供給源で国内需要を満たせると自信を示した。
・・・とのことですが、
上の写真を見た瞬間に、志村けんの「バカ殿」に出てくる家老(桑野信義)を思い出してしまいました
▲「バカ殿」に出てくる家老(桑野信義)
桑野信義は1957年4月4日生まれで、朝陽27メンバーとほぼ同世代
2021年に大腸がんの宣告を受け、14時間に及ぶ大手術を受けたそうです
とにかく私は、ホントに「バカ殿」ダイスキ!だったんだけど、出演メンバーが逮捕、自殺、大手術、そして極め付けが志村さんのコロナ死で、さらに放送局(フジテレビ)が大スキャンダル、もう何かに呪われたような状況になっています
田代まさしは、実にいい味を出してたのに、残念です! (T_T)
もう今となっては叶わない夢ですが、あのトボケた田代の芸を、もう一度見たい!
ちなみに、「バカ殿」はタップリ録画してあるので、過去の芸はいつでも見れます
▲自殺した上島竜兵(右から二人目)
▲由紀さおりの定番、年齢詐称ギャグ
しかし由紀さおり(1946年生まれ、現在78歳)って、このとき何歳だったのか知らんけど(50歳くらいかな?)、トコトン「老けない女」だよねー
▲浅田真央ちゃんも「真央姫」として登場
(^_^;)~♪
バルタン星人からAIと人類の未来を考える
ネットで、ある歴史家が書いた、こんな記事を見つけました
バルタン星人の進化論的考察から始まり、AIと人類の未来についての記事です
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2015年5月17日、ミューザ川崎シンフォニーホールの帰りに、「怪獣酒場」で特撮分科会が開催されました
怪獣酒場の店長さんは、バルタン星人でした
(^_^;)~♪
ゴジラ県
佐賀県が情報発信プロジェクト「サガプライズ!」の一環として、新たなプロジェクトとして「ゴジラ対(つい)サガ」を進め、ゴジラを「佐賀県かたち観光大使」に任命した
佐賀県と言えば、目立たない県、地味な県の代表で、東日本の人は佐賀県が九州のどこにあるのか、よく知らない人も多い
福岡県や長崎県という、何かと目立つ県に挟まれて、とにかくヒッソリ目立たない
早稲田を創った大隈重信の出身地なんだけどね
慶応を創った福沢諭吉が大分県出身で、どちらも九州人というのも面白い
そんな佐賀県が、「ゴジラと佐賀県はほぼ同じ”かたち”」と主張している
そう言われればそう見えなくもない、といった程度で、少し無理があるかなぁ
「ゴジラ対(つい)サガ」というキャッチフレーズも、語感にイマイチ破壊力が乏しい
ズバリ「ゴジラ県」と打ち出した方がいいのに!
佐賀県と言えば、有田焼 、伊万里焼、唐津焼、鍋島焼 などの焼き物が有名
幕末には聡明な藩主(鍋島直正)が出て開明的な政策を推進し、明治政府では薩長土肥の一角(肥前藩=佐賀藩)となったものの、薩長の影に隠れてイマイチ目立たなかった
佐賀藩(肥前藩)は江戸時代、近隣の藩との交流を長く絶ってきたので、二重鎖国などと呼ばれてきた
その藩風のせいか、九州の中でも孤立感があり、これが今でも「目立たない県、地味な県」という印象につながっているのかもしれない
11年前に佐賀長崎を旅しましたが、やはり長崎県中心で、佐賀県は観るところがやや少なかった印象です
佐賀県の県土のカタチがゴジラに似ているというところから始まった今回の「県おこし」プロジェクトですが、世の中には市とか県とか国のカタチが何かに似ているというのは少なくない
当ブログの11年前の記事「東京都イラ区」では、渋谷区とイラクが似ていることを取り上げた
神奈川県は、犬のようにも見えますね
(^_^;)~♪
老けない女 宮本信子
年齢が進むとハッキリ老ける白人女性に比べ、日本人女性にはビックリするほど「老けない女」がいるなぁと常々感じています
今日YouTubeを観ていたら、宮本信子さんが出ていて、ビックリするほど若い
てゆーか、「カワイイ」感じがしました
宮本信子さんと言えば、故伊丹十三監督の奥さまで女優
いまwikiで調べたら、3/27で80歳
いや-、ホントにお若い!
(^_^;)~♪
映画「グリーンブック」
私は映画が好きだけど、観るなら映画館より自宅で一人で観る方が好き、そして字幕より吹替が好き
昨日観たこの映画、2018年のアメリカ映画、とても良かったので少し書きます
1960年代の米国で、成功してカーネギーホールの中の豪華ルームに住む黒人ピアニストが、まだ黒人差別が根強い南部への公演ツアーを計画する(非常に勇気のいること)
▲ニューヨークにあるカーネギーホール
▲カーネギーホールの中にある、黒人ピアニストの住居スペース
▲現在の非白人比率マップ
「黒人は畑で肉体労働する奴隷」という意識の強い南部に、経済的に成功した黒人が行けば、現地の白人たちから激しい反感を買い、何をされるか分からない
そこでピアニストは運転手兼用心棒に、粗野でがさつ、少々ケンカっ早いイタリア系を雇い、2人でクルマに乗って危険な公演ツアーという珍道中をする
このイタリア系というところもポイントで、白人だがアングロサクソンなどから差別されがちなイタリア系
刑事コロンボも主人公が「安月給のさえない」イタリア系の刑事で、成功した富裕な犯人(多くはアングロサクソン)を追い詰めるという設定が、米国庶民に大ウケ(たぶん、成功者の転落を見る庶民の爽快感なんだろね)
「安月給のさえない」を強調するツールが、ヨレヨレのコート、そしてボロボロのクルマ
黒人差別という重苦しくなりがちなテーマだが、ユーモラスに描いていて、時々泣かせる場面もある
経済力と弱点の両方を持つ少し気難しい男が、まったく異なる育ち境遇のがさつな男を助っ人として雇い、やがてふたりの間に友情が芽生えるというストーリーは、先日観た「最強のふたり」に通じる
「グリーンブック」とは、黒人でも泊まれるホテルをリストアップした旅行ガイド本
当時、米国の多くのホテルは白人専用で、黒人の泊まれるホテルはごく限られており、ゴキブリが這い回るような劣悪な環境だった
ピアニストはそれを覚悟で、南部への公演ツアーに出る
それから現在までの60年余り、公民権運動などによる差別撤廃が時代の流れとなるが、その裏で米国の貧しい白人たちは白人としての特権を次々に奪われ、経済的にも追い詰められて不満が鬱積していく
その貧しい白人の鬱積した不満に着目して(利用して)大統領になったのがトランプ
副大統領バンスの著書「ヒルビリー・エレジー」の副題は
アメリカの繁栄から取り残された白人たち
元大統領オバマが、このピアニストに重なって見えた
人種別の出生率の違いや移民の流入などによって、米国の白人比率は下がり続けている
白人が米国の少数民族になる日は、そんなに遠くない
現在のトランプ政権の政策は、白人層の「最後の抵抗」にも見えてくる
この映画には実話が背景にあり、「最強のふたり」と同様、二人は生涯親友でありつづけた
(^_^;)~♪
漫画訳・雨月物語「白峰」
「漫画訳・雨月物語」という本を読みました
元になっている「雨月物語」は、江戸時代の作家、上田秋成の作品で、日本の中世を背景にしたホラー(怪談)話を9話ほど集めています
私は映画でも小説でも、ホラー系ダイスキ!なので、ついつい引き込まれます
つい最近も、春日武彦という精神科医の書いたホラー系の本にのめりこんだばかり
「雨月物語」は、石川淳が現代語に訳してますし、映画にもなってるので、その名前をご存じの方も多いかと思います
マンガですからスグ読めたんですが、その9つあるホラー話の冒頭に「白峯」という話があり、崇徳院と歌人の西行が、あの世とこの世の壁を越えて語り合うというオカルトっぽい内容です
崇徳院は、日本の三大怨霊(おんりょう)として有名な崇徳(すとく)天皇で、歴代の天皇の中でも最も不幸な死に方をした人
この世に未練と恨みを残して死んだために成仏できず、いろいろと厄介な「祟り(たたり)」を巻き起こして生者を苦しめる、と信じられてきました
能の「松山天狗」も、これを題材にしています
この祟りという考え方は、日本人の心性の非常に深いところにあって、日本の歴史に大きな影響を与えているだけでなく、実は我々現代日本人のメンタリティにも大きな影響を及ぼしています
祟りと似たようなものに「言霊(ことだま)」があり、
何かの悪い言葉を口にすると、それが現実化する
という一種の信仰
今でも、誰かが悪い(ネガティブな)言葉を発すると
「そんな縁起でもないこと言うな!」
などとたしなめる人がよくいますよね
自己啓発系の成功哲学には
「常に前向き、建設的な言葉を発していれば
それはいずれ現実化して成功できる!」
というプラス思考(ポジティブ・シンキング)の考え方がありますが、それのネガティブ・バージョンでしょうか?
日本人が幕末明治以降、西欧文明に接してほぼ2世紀
表面的には「自由」「権利」「進歩」みたいな西欧型の合理的概念に慣れています
でも日本人の心の深いところには、祟りや怨霊、言霊のような心性を脈々と残している
それは時には、スピリチュアルなものに引き込まれる動機にもなったりして(若い女性に多い)、メンタル面を重視した企業のマーケティング戦略にも影響を及ぼしたりする
崇徳院はこの世に恨みを残して死にますが、その元になった政治的事件が保元の乱
日本史上の有名な事件で、大学受験の受験科目に日本史を選んだ方はよくご存じだと思いますが、私は理系だったので今回改めて保元の乱について調べました
この事件(乱)は、天皇家の跡継ぎ問題から始まっていて、現代の愛子さまと秋篠宮の関係を思い起こしてしまいます
結局、後白河天皇方が勝ち、崇徳上皇(崇徳院)は破れて讃岐(現代の香川県)へ流され、二度と京(みやこ)を見ることなく亡くなります
このとき、両軍の戦略立案を担ったのが
崇徳方の藤原頼長(敗者)
後白河方の藤原通憲(信西)(勝者)
両者ともスゴい切れ者で、現代の官僚なんかによくいる秀才タイプ
ただし、頼長は藤原氏の中でも主流派(嫡流)に生まれたエートコのボンボン
信西はそうではなかったので、自分も藤原氏でありながら藤原氏主流派に恨みを持ち、保元の乱に勝利すると着々と藤原氏主流派つぶしを始めます
その信西も、数年後の平治の乱に破れて死に、首はさらしものに
保元の乱は後白河天皇方が勝ったとは言いながら、実は本当の勝者は武士でした
乱の勝敗を決したのは武士の軍事力だったので、当然と言えば当然です
この事件からのち、政治の実権は徐々に武士へ移り、天皇家と摂関家(藤原氏主流)はパワーを失って「飾り物」になっていきます
その意味で保元の乱は、時代が古代から中世へ移り変わる画期的な事件でした
少し大ざっぱな言い方をすると、世界に多くの国家や民族がある中で、歴史的に中世という時代をきちんと経ているのは西欧と日本だけで、ほぼ現代の先進国と一致します
これを偶然と見るか、歴史の必然と見るか、なかなか面白いところです
(^_^;)~♪





















































…横須賀・軍艦クルーズ
.慶応義塾キャンパス
★いな吉
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