明治神宮には年に3~4回、月初めにお参りしてます
お参りと言うより散歩がメインかな
品川から原宿まで近いしね(山手線で15分くらい)
ご近所でこれだけ広大な境内がある社寺は多分ここだけ
この壮大な森が、すべて明治になって植えた人工林
林学博士本多静六が中心になって設計
この人、実は利殖の世界でも有名人
植林と利殖、何かつながり(植殖)がある?
Amazonで調べると、著書がいっぱい出て来ます
(^_^;)~♪
明治神宮には年に3~4回、月初めにお参りしてます
お参りと言うより散歩がメインかな
品川から原宿まで近いしね(山手線で15分くらい)
ご近所でこれだけ広大な境内がある社寺は多分ここだけ
この壮大な森が、すべて明治になって植えた人工林
林学博士本多静六が中心になって設計
この人、実は利殖の世界でも有名人
植林と利殖、何かつながり(植殖)がある?
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上の写真は、鎌倉長谷寺で演奏する徳永慶子さんです
仏像とヴァイオリンという異色の組み合わせ
毎年この季節になると、長谷寺の仏前コンサート、「長谷寺 NIGHT TABLE」(ディナーショー形式)が開催されているそうで、ニューヨーク在住の慶子さんが出演のために里帰りします
今年は10月12日に慶子さんの演奏があります(詳細はここをクリック)
なおチケットは、すでに完売だそうです
背後の仏像は、十一面観音菩薩像
721年に二体が彫り上げられ、うち1体は大和長谷寺(奈良県)の本尊となりました
もう1体は、開眼供養をした行基によって海中へ奉じられ、15年後に相模国(神奈川県)の沖合に忽然と現れ(木造ですから水に浮きます)、鎌倉長谷寺の礎となりました
浅草の観音さまのご本尊にも、似たような話がありましたね
それにしても15年も海面を漂い、よく原型をとどめていたものです
721年に彫られたとすると今年で1304年、非常に歴史ある仏像なのですが、上の写真では黄金色で輝いているように見えますね
途中で焼けて作り直されたとの説もありますが、それでも数百年は経ている
仏像は完成直後は金箔を貼って光り輝いているのが普通(だからご本尊安置の建物を「金堂」と呼ぶ)
やがて長い年月で「風化して」、多くの仏像は黒光りした、良く言えば威厳と風格のあるお姿になっています
上に「風化して」と書きましたが、正確には信者が御利益にあずかろうとして仏像を「なでなで」し、金箔が剥がれ落ちたというのが実情のようです
鎌倉長谷寺の十一面観音菩薩像が今でも光り輝いているのは、金箔を張り直してメンテナンスしてるから?
ちなみに仏教国タイの仏像は、ほぼすべて金箔で光り輝いています
タイでは信者が仏像の御利益にあずかろうとする場合、仏像を「なでなで」するのではなく、金箔を上に貼ってゆくからで、そのための金箔をお寺で売っていたりします
里帰りした慶子さん、徳永パパママがお住まいの横浜桂台徳永邸で、「ご自宅コンサート」も開催するのかな?
(^_^;)~♪
1993年、生まれた我が子に「悪魔」と命名して市役所に届け出たトンデモない親がいて、役所に受理されなかった事件(悪魔くん事件)がありました
子供に「悪魔」と名付けることは、「社会通念上、問題がある」と判断されたようです
ところが仏教の教祖であるブッダ(仏陀)も、我が子に「悪魔(ラーフラ)」と名付けています
昨日(鎌倉大仏と江ノ島)の写真をアップするときに
写真の一部(25枚)がもれてました
(;´Д`) ウッカリミス
▲戦艦「三笠」の艦内神社
海上自衛隊の多くの護衛艦の内部には、艦内神社があります
上の写真のように、神社というより神棚といった感じですが、小さいながらも神様が祀られており、祭日には盛装した艦長や幹部がお参りすることもあるそうです
戦前の旧帝国海軍から受け継がれた伝統
実際いざ戦闘となれば命がけ、生きるか死ぬかは運次第という側面もあることを考えると、「神だのみ」したくなる心情は理解できます
とは言っても、自衛隊は国(政府)の組織ですから、政教分離の原則に反する訳にもいきませんので、それなりの配慮もあるようです
(^_^;)
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▲新宿高校(旧制六中)の興国の鐘

▲日本海海戦(日露戦争)における戦艦三笠と東郷平八郎 左上はZ旗

▲記念館「三笠」
埼玉県をご訪問中の天皇陛下は5/25午前、秩父市の秩父神社に到着され、地元の伝統芸能や文化財をご覧になられた
午後には「秩父ミューズパーク」で全国植樹祭にご臨席になり、お言葉を述べられるご予定
皇后陛下(雅子さま)が体調を崩されてご一緒できなかったことが非常に心配です
私は最近、秩父夜祭りと秩父SL旅で、秩父を2回訪れました
少し前ですが、昨年2024年の初詣に、三嶋大社を歩きました