神社仏閣

日本到着3日後に神社参拝したマッカーサー

▲鶴岡八幡宮の社務所日誌

前日(9/1)欠勤して記録に残った木村仕女

直前(8/31)に挙式したカップルもいる

戦後の日本の占領政策を主導した連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー(1880~1964年)は、1945年8月30日に厚木飛行場に降り立った。

3日後の9月2日午前に東京湾上の米戦艦ミズーリ号で行われた歴史的な降伏文書調印式に出席した。

この後、同日午後3時半ごろ「幕僚十二名を帯同」して鶴岡八幡宮を参拝し、日本語を話せる将校が御朱印や破魔矢13本を買い求めたことが社務所日誌に記されている。

マッカーサーは当時の宮司に「私は40年前にも参拝したことがある」と語って境内を懐かしそうに眺め、応接室での休憩を勧められると「ありがとう。今日は急ぐから」と辞退した。

宮司は初対面の印象を「実に穏やかで終始、敬虔(けいけん)な態度で感服した」と話した。

この40年前、青年将校時代のマッカーサーは在日米大使館付き武官だった父の副官として来日。

日露戦争で活躍した東郷平八郎や大山巌、乃木希典と面会した経験もあったとされる。

吉田さんは「武士道で説かれる倫理観や潔さを日本の名将から教わり、武士や軍人の崇敬を受ける鶴岡八幡宮を敬う気持ちを持ったのだろう」と参拝の背景を推し量る

▲連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー

▲東京湾上の米戦艦ミズーリ号で行われた降伏文書調印式

このつい半月ほど前まで、血で血を洗う激戦を繰り広げたが、勝敗確定後は互いに紳士的に対応することができた日米という文明世界

それから80年近くたっても、靖国神社に落書きするなど、日本国民の神経を逆撫でするような悪質な嫌がらせをしつこく続けている、反日赤組(中露韓北)という野蛮世界

この雲泥ほどの民度の差は、これから数十年、数百年、ひょっとすると5000年たっても埋まらないのかもしれませんね

(^_^;)

▲靖国神社に落書きする中国人 2024年6月1日

 

半世紀前の遠足

▲半世紀前の遠足の写真   ▼今月の写真

 

数日前(7/2)に小田原の大雄山(最乗寺・道了尊)を歩きました

ここの参道は、いい感じの散歩(軽いハイキング)コースなので、これまでにも何回か歩いてます

ここはアジサイが群生していて、ちょうど咲きごろでキレイだった

そしたら、徳永パパから

「新宿高校1年のときに、遠足で行ってる」

とのご指摘をいただきました

私はすっかり忘れてたんだけど、探したら上の写真(1年A組)がありました

そしてその下が、数日前(7/2)に撮った同じ位置の写真

橋はそのままだけど、後ろの樹木が半世紀間でずいぶん変化してる

左下に物理の有賀先生が写っていて、超なつかしい!

私は理系で物理ダイスキだったので、先生の授業は強く印象に残っています

2006年に1年A組のクラス会があって、担任だった有賀先生もご出席

「人生、したいことをして生きる。これが大事だと思いますよ」

とおっしゃっていたのが印象に残っています

有賀先生はこの6年後にご逝去なさっています

(T_T)

▲2006年の有賀先生 1年A組クラス会にて

追伸

半世紀前の遠足の写真、私は一番上の1枚しか見つからなかったけど、他の写真をお持ちの方がいらしたら、ご提供いただけるとウレシイです

(^_^;) chouyou27@mkosugi.com

新宿を歩く(3)二の酉

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▲「よぉ~、シャンシャンシャン!」

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下は、花園神社で熊手が売れて、「よぉ~、シャンシャンシャン!」している動画です

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(^_^;)

シャンシャン動画1(56MB)  シャンシャン動画2(64MB)