▲部長の役職を担う左翼手・岩佐と田久保監督
新宿高校は東京府立第六中学校として1921(大正10)年に創立。
50年に現校名となり、2022年には創立100周年記念行事が予定される都立高校屈指の伝統校である。
1946年に創部された野球部には、チームを束ねる「主将」とは別に「部長」という役職がある。縁の下の力持ち。
7/17、淵江高との東東京大会3回戦。
4対1の8回表に貴重な一打を放ったのが、九番・左翼の部長・岩佐和樹(3年)だった。
二死一、二塁。岩佐は右打席から強振し、ライト後方への打球を放った。
相手右翼手がグラブを差し出すも、わずかに届かず(記録は失策)、二塁走者が生還した。
5対1。新宿高は23年ぶりの4回戦進出を決めた。
新宿高・田久保裕之監督は試合後
「良い打球だった。絶対に打つと信じていました。
チームで一番、練習してきたのが岩佐。
最後のもうひと伸びがあったのも、努力の賜物。
野球の神様が運んでくれた一打です」
と喜んだ。
▲田久保裕之監督と一村幸主将
田久保監督も新宿高時代は部長だったからこそ、岩佐の苦労を誰よりも知る。
「主将の一村(幸、3年)を影ながら支え、
いつもチームのために献身的です」
指揮官が3年生で5回戦に進出した1999年以来の32強である。
「あえて、生徒たちには言わないようにしてきました。
背負わせるのもどうか、と……。
目の前の試合に集中してほしかった」
試合後に始めて「23年ぶり」と聞かされた岩佐は
「そんなに勝っていなかったんですね(苦笑)」
と目を丸くさせた。
わずか1安打での勝利であり、したたかな野球を展開した。
1回表、制球に苦しむ相手の先発投手を攻め立て、無死満塁から四番・本村忠勝(3年)のスクイズで先制。
次打者が死球で、一死満塁から押し出し四球の後、スクイズで3点目を挙げた。
この2つのスクイズは、いずれもフルカウントからだった。
「ふだんは、あまりやらないんですけど……。
雨が多く、打撃練習ができなかったんです。
ただ、打てなくても点を取る練習はしてきました。
あの場面はストライクを投げるしかないですから、
ストライクをしっかり転がす、と。
夏は重たい試合になることは分かっています。
結果的に初回の3点は大きかったです」
エース右腕・青柳光祐(3年)が安定感のある投球を披露し、試合巧者ぶりを見せた。
新宿高は昨秋、東京都一次予選を突破し、23年ぶりの本大会進出。
今春は本大会で9年ぶりの勝利を挙げ、東海大高輪台高との2回戦では逆転勝利で、3回戦まで駒を進めた。
現在の3年生である「75回生」は、実績において、輝かしい足跡を残してきた。
だが、5月末、チーム状態は停滞。
最上級生として、後輩たちに何が残せるのか、明確な「答え」が見つからなかったという。
女子マネジャー1人を含めて3年生7人。
あまりに高い理想を掲げ、責任感が強い主将・一村に、周りがついていけていなかった。
部長・岩佐は一村の「孤立」を察知。
つなぎ役として水面下で動き、同期に理解を求めた。
主将・一村も仲間に対して聞く耳を持ち、歩み寄る姿勢も見せ、3年生は一枚岩となった。
「日本一の文武同道の達成」
がモットーである進学校・新宿高の平日の練習時間はわずか45分。
勝負しているのは練習量ではないと、部長・岩佐は力を込める。
「万事練習という部訓がありますが、ウチの練習は24時間。
勉強、食事、寝ることも練習。
グラウンド以外の私生活をしっかりすることが、
試合におけるあと一歩、あと一球につながる。
7人で話し合った6月以降
『3年生が何でもNo.1』をやり続けてきました。
自分がこだわるのはグラウンドの環境整備。
ここは、率先して取り組んできたつもりです」
常日ごろからの地道な積み重ねが、田久保監督が言う
「最後のもうひと伸び」
となったのだ。
指揮官は75回生の「背中」について言う。
「野球は完成していませんが、チームワーク、ゲーム運びは、
今までの新宿にはなかったものを発揮している。
よくまとまった7人です」
23年ぶりの5回戦進出をかけた4回戦は共栄学園高と対戦する。
田久保監督は言う。
「(初戦の2回戦から)先行して勝つのが2試合、続きました。
劣勢の場面を、跳ね除けられるか。
そういう練習も積んできましたので、
食らいついていきたいと思います」
2022年のチームスローガンは「継勝」。
部長・岩佐は
「一戦一戦、戦った先に甲子園がある。
でも、今日、勝ったことは忘れて、
次への準備を進めていきたいです」
と謙虚に語った。
背伸びすることなくワンプレー、ワンプレーを全員で確実にこなす。
やってきたことを信じて出すだけ。
新宿高に怖いものはない。