坂本龍一 ミュージシャン

新宿高校の記事

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増田さん、熊谷さんから

新宿高校の記事を送ってもらいました

ありがとー!

(^_^;)

空音央(32)坂本龍一の息子

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▲坂本龍一の息子、映像作家の空音央(32)

 

 

3月に死去した音楽家、坂本龍一の「最後のコンサート」を記録したドキュメンタリー

「Ryuichi Sakamoto|Opus」

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がイタリアのベネチア国際映画祭で公式上映された。

ピアノに向かった坂本龍一のこん身の演奏をモノクロ映像で撮影。

息子でもある映像作家の空音央が監督した。

空音央は昨年初めごろ、がんで闘病中だった坂本龍一から

「十分にコンサートもできない体になっているので、

映画という形で何か残したい」

と提案されたという。

 

 

空 音央 そら・ねお

米国生まれ、日米育ち。

コネチカット州ウェズリアン大学で映画と哲学を専攻。

以降、ニューヨークと東京をベースにフリーランスの映像作家、アーティスト、そして翻訳家として活動。

短編映画、ドキュメンタリー、PV、ファッションビデオ、コンサートフィルムなどを監督。2017年には東京フィルメックス主催のTalents Tokyo 2017に映画監督として参加。

2015年に北海道平取町二風谷で現代に生きるアイヌ民族を撮ったドキュメンタリー『Ainu Neno An Ainu』をアーティストコレクティブLunch Bee Houseと共同制作。日本による植民地主義の歴史に苦しみながらも強く楽しく文化を守り続けているアイヌを追ったこのドキュメンタリー同プロジェクトのインスタレーション版が2017年に東京のイタリア文化会館で展示、2018年には東京G/P Galleryで展示される。2022年の恵比寿映像祭参加作品。

アーティストグループZakkubalanの一人として、写真と映画を交差するインスタレーションやビデオアート作品を制作。2017年にはワタリウム美術館で作品を展示、同年夏には石巻市で開催されているReborn-Art Festivalに参加し、短編映画とインスタレーションを制作。2019年にはSingapore Biennale、Dojima River Biennaleに参加する。

2020年、志賀直哉の短編小説をベースにした監督短編作品『The Chicken』がロカルノ国際映画祭で世界初上映したのち、ニューヨーク映画祭など、名だたる映画祭で上映される。業界紙Varietyやフランスの映画批評誌Cahiers Du Cinema等にピックアップされ、10月に発表されたFilmmaker Magazineでは25 New Faces of Independent Filmの一人として選ばれる。

2022年にはSundanceのScreenwritersとDirector’s Labに参加した。

詳細はここをクリック

 

忘れられたデビュー作

 

坂本龍一、千歳烏山育ち。

坂本龍一と竹田賢一が濃密に接触し、語り合ったのは1974年からYMOが散開した1983年までの日々である。

10年ほどだ。そしてその唯一のフルーツが『ディスアポイントメント・ハテルマ』である。

迷いながらも末期サカモトまで、この音が秘かな持続低音として長く響いていたと私は確信している。

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坂本龍一 追悼コンサート 

 

 この大島理紗子さん(←)

  萌慧ちゃん

 芸大時代の大親友です

  一緒のバンドで活動してた

 (^_^;)

 

5月6日(土)に北とぴあで、坂本龍一さん(→)の追悼コンサートが開催されるみたい。

情報ソースはこちらのプレスリリース

■コンサート概要

タイトル: ―記憶に残り続ける、坂本龍一の美しきメロディーたち― 坂本龍一追悼コンサート
日時  : 2023年5月6日(土) 開場 19:00/開演 19:30
会場  : 北とぴあ つつじホール
〒114-8503 東京都北区王子1丁目11-1
入場料 : 無料
出演者 :大島理紗子(ヴァイオリニスト)、高倉圭吾(ピアニスト)、三谷野絵(チェリスト)
主催  : 株式会社Big Island
URL   : https://b-island.co.jp/application/

■プログラム
・戦場のメリークリスマス
・ラストエンペラー テーマ曲
・八重の桜 メインテーマ
・energy flow
・ゴリラがバナナをくれる日

お申し込みフォームはこちら

申し込みは、名前・連絡先・チケット枚数を登録するだけのようです。

 

 

二人の天才の出会い

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 二人とも、ひざから下が

  いかにも天才!

 という姿してますね

  (^_^;)

 

ドクター中松(本名・中松義郎=94)が4/18の発明の日」、ドクター中松ハウス(東京都世田谷区)内に「ドクター中松発明博物館」を開館した。

ドクター中松発明博物館内には3/28に71歳で亡くなった、坂本龍一とのツーショット写真も展示。

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1990年4月にニューヨークに拠点を移した坂本龍一が、ニューヨークで一番有名な日本人がドクター中松だと聞き付け「どんな人か?」と直接訪ねてきた。

ドクター中松は

「『戦場のメリークリスマス』(→)

 などピアノで弾いてくれた。

 才能あふれる人だった。

 まだまだ若いのに…もったいない」

と、その死を悼んだ。

 

訃報 坂本龍一 芸術は長く、人生は短し

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新宿高校在学中に、当時吹き荒れていた全共闘運動に巻き込まれてパヨクに染まり、パヨクによる洗脳が生涯とけなかった

音楽家としての世界的な名声をパヨクに利用されて、パヨクの集会などに登場しているのを見るのは痛々しかった

  「芸術は長く、人生は短し」Ars longa,vita brevis

この「Ars(英語でart)」という単語は、日本語の「芸術」よりも意味が広く、技術や学問など「○○術」「○○道」と呼ばれるような諸芸一般を差す言葉なので、

道

「道は長く、生は短し」

と訳す方がふさわしいかもしれません

それにしても「道」という漢字には、

なぜ「首」が含まれているのか?

「芸術は長く、人生は短し」を分かりやすく言い直したのが、

ガンジー(→)の名言と言われている

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明日死ぬと思って今日を生きよ

永遠に生きるつもりで今日

ではないかと思います

佐藤一斎も似たようなことを言っていて

若くしてべば、壮して成すあり。 

壮してべば、老いて衰えず。 

老いてべば、死して朽ちず。

ご冥福をお祈りします

  (T_T)

 

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坂本龍一さんが、先月28日、亡くなりました。71歳。

幼少期からピアノと作曲を学び、新宿高校を経て藝大に入学。

藝大大学院を修了後、1978年にミュージシャンの細野晴臣さん、高橋幸宏さんとともに「イエロー・マジック・オーケストラ」=「YMO」として、アルバムを発表し、当時最新の電子楽器を使った斬新な音楽性で“テクノポップ”という新たなジャンルを築きました。

1988年には、映画「ラストエンペラー」の音楽でアカデミー賞作曲賞を受賞したほか、グラミー賞など数々の賞を受賞して国際的な評価を高めました。

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2014年、中咽頭がんと診断され、治療後に音楽活動を再開しましたが、2021年に新たに直腸がんが見つかったことを公表していました。

癌の治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした。

坂本さんが好んだ一節

芸術は長く、人生は短し

Ars longa,vita brevis

 

これまでの坂本龍一関係の記事へ

 

山下達郎と坂本龍一

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 日本の音楽に一時代を築いた世代が

  いま静かに引退の季節を迎えています

 でもその音楽は、永遠です

  (^_^;)~♪

 

――山下達郎さんの世代は、いまだ“現役”の音楽家が多いですよね。

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日本のポピュラーミュージックを牽引してきた“戦友”は数多いと思います。

同世代で「友人」と呼べる存在を挙げるとすると。

坂本龍一君(→)かな。

 彼がYMOのメンバーになる前、70年代半ばから2年半ほど、それこそ毎日のように会っていた時期がありました。

 数年前、久しぶりにゆっくり話す機会があったんですが、距離感はまったく同じだった」

――『戦場のメリークリスマス』に出演、音楽も担当して以来、“世界のサカモト”と呼ばれて久しい存在ですよね。

今となっては、ちょっと意外な人脈とも思えますが。

「坂本龍一君に初めて会ったのは1974年頃で、福生にあった大瀧詠一さんのスタジオでのリハーサルでした。

 それまで面識はなかったんですが、坂本龍一君は新宿高校、僕は竹早高校で、同時期に高校紛争を経験しているんです。

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 年齢的には坂本龍一君が1級上。

 僕が高校サボって茗荷谷の喫茶店で三島由紀夫(→)自決の臨時ニュースを観ていた1年前、坂本龍一君は新宿高校に3人だけだった某マイナー新左翼のメンバーとして、長髪・下駄ばきで新宿高校内を闊歩してたそうです。

 ちなみに新宿高校のあと2人は、後年衆議院議員になった塩崎恭久さんと、『アクション・カメラ術』で有名になった馬場憲治さん。

そういう背景もあって、坂本龍一君とは初対面からウマが合った。

 新宿のゴールデン街の飲み屋で、坂本龍一君が東京藝大で専攻していた現代音楽について客と論議を戦わせているのを眺めていたり、行きつけのライブハウスの酒を飲み尽くしたり(笑)」

――「政治の季節」を共有された。

「坂本龍一君にしても僕にしても、70年安保で人生が狂ったクチなんです。

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 これはよく言われることですけど、60年安保を機にドロップアウトした人たちが流れた先が雑誌メディア。

 雑誌文化は60年代安保世代が作ったと言えるんです。

 同じ世代が年を重ねるのに合わせて、雑誌も対象年齢が上がっていってますよね。

 育児雑誌、中年雑誌と来て、今や老人雑誌が花盛りになっている」

 

 

 

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