私は展覧会などへ行っても有料のパンフレット(その展覧会の展示内容をまとめた1000円くらいのパンフレット)はめったに買わない
でも今回の「林芙美子展」(→)のパンフレットは、内容が充実していたので買った
新宿歴史博物館のスタッフの水準は、かなり高いのかもしれない
その中に、芙美子の恩師についてのページがあった
芙美子は極貧の家庭環境で育ち、当時の常識から言えば小学校卒業と同時に女中奉公か何かで社会に出るのが普通だったと思うが、芙美子の文学的才能に気付いた小学校教師のすすめで女学校に進学した
親からの経済的援助は期待できず、昼は学校で夜は学費稼ぎのバイトという生活を送り、しかも周囲は富裕な家庭のお嬢さまばかりという、かなりキツイ女学校生活だったはず
それなのに芙美子が女学校生活を余りツライと感じていない、むしろ良き思い出の時代らしいのは、この先生がいたことが非常に大きいのだろう
まさに「恩師」と呼ぶにふさわしい、芙美子にとってとても重要な存在で、この人が芙美子の才能を開花させたのかもしれない
性犯罪ばかり起こしている昨今の学校教師どもに比べたら別世界
さらに言えば、芙美子にとってもっと重要な人物は、いち早く芙美子の才能に気付いて進学をすすめた小学校の先生かもしれない
この人がいなければ、今井先生に出会うことも無かったのだ
(^_^;)
▲女学校を卒業して2年21歳、東京での極貧生活の中から送ったはがき
下足番、女工、事務員、カフェーの女給などでギリギリの極貧生活
原稿を雑誌社・出版社に売り込んで回り、ときには拾われた
当時の原稿料は、現金書留や為替で送られてきたので
郵便配達が「林さん、書留でーす」と来ると、芙美子の胸は高鳴った
このころに芙美子がつけていた日記が「放浪記」の原形
▲昭和4年26歳、今井先生へのはがき
前年(昭和3年)に雑誌「女人芸術」掲載の「放浪記」が好評
翌年(昭和5年)に「放浪記」の単行本が出てベストセラー化
芙美子は超売れっ子作家になった