現代史

独裁者のマドゥロが泣いている

先日1/6、当ブログで「ベネズエラ電撃作戦」について書きました

この事件(1/3)が起きてから約2週間が経過し、事件の背景や影響についていろいろ情報が出揃って来ましたので、少し書きます

上の動画にあるように、ベネズエラの支配者として王侯貴族のような優雅な生活を送っていた元独裁者のマドゥロ夫妻ですが、今はニューヨークの拘置所に収監中

王侯貴族からいきなり囚人に転落した訳ですから、毎日の生活の快適さは雲泥の差

余りのミジメさに「ベネズエラに帰りたいよぉ」などと訴えて、泣きながら暮らしているそうで、転落した独裁者は哀れなもんです

それでも殺されなかっただけマシで、マドゥロを警護していた親衛隊は、ほぼ全員(40人くらい)が、電撃作戦の当日1/3に死にました

マドゥロ自身も麻薬取引の罪で懲役40年くらいだそうですから、生きて再びシャバの空気を吸うことは難しいでしょう

文明国アメリカの拘置所ですから、北朝鮮や中国の強制収容所みたいな残酷な拷問や虐待はたぶん無いと思いますが、生活環境の落差が非常に大きいですから、さぞかしミジメな気分だろうとは思います

トランプ大統領がわざわざ拘置所まで面会に来て、元独裁者マドゥロを馬鹿にしまくってるという話は少々眉唾ですが、「トランプならやりかねない」という感じもします

今回の電撃作戦は「力による現状変更」であって、ロシアによるウクライナ侵略などと同列に見て、

国際法に違反する!

という非難が、日本の野党やマスコミからも出ています

形式的な法解釈からすれば、確かにその通りかもしれませんが、

国内法とは異なり、国際法には

原則として、警察のような確実な強制力が無い

という点は極めて重要であり、絶対に忘れてはいけません

ぶっちゃけて言えば(私流に意訳すれば)

国際法を破っても、どこからもおとがめが無い

国際法の歴史は、大国による「破りまくり」の歴史

極論すれば、国際法は破られるためにある

国際社会は、サバンナのような弱肉強食の世界

悔しかったら(侵略や虐殺がイヤなら)強くなれ!

または、信頼できる強者に守ってもらえ(日米安保など)

それも無理なら、弱者が集まって同盟を組め(集団防衛

ということです

これはまさに冷徹なリアリズムの世界であって、国家間の食うか食われるかという残酷な生存競争の世界です

憲法9条をお念仏のように唱えている、薄っぺらい理想主義の世界(頭の中がお花畑の世界)とは正反対

少しでも油断すれば(防衛努力を怠れば)、ウクライナのように領土を侵略されて国民を大量に虐殺されたり、ベネズエラのように国家元首を拉致されたりします

戦争に対する完全な準備を

整えた国民だけが平和を享受できる

という言葉を想い出します

実は北朝鮮に対しても、米軍が独裁者を電撃作戦で拉致(または殺害)しようとする作戦が、過去に何度も計画されていたという説がありますが、実現には至っていません

その理由には、作戦成功見通しの低さと共に、北朝鮮の現体制を維持しておいた方が(泳がせておいた方が)、周辺の大国にとって都合が良いという地政学的な要因もあったと思われます

まさに、冷徹なリアリズムの世界です

((((;゚д゚))))

ベネズエラ電撃作戦へ

苗場プリンスホテル

最近はYoutube(特にネコ動画)を観るのが趣味のようになっています

上の動画は、苗場プリンスホテル

バブルのころは一世を風靡した、あの苗場国際スキー場がメインの巨大かつ豪華なリゾートホテルです

かつてのバブリーな若者スキー文化も「風と共に去り」まして、今はスキーもできる静かな温泉リゾートホテルになってるようですね

以前、太田くんを囲む会の温泉合宿で行ったなぁ、なぁーんて思って動画を観ていたら、何だか記憶と違う

よく考えたら、温泉合宿したのは越後湯沢だったと気付きました

しかもプリンスホテルじゃなくてニューオータニで

昔の記憶がだんだんボケて来ているのを感じます (T_T)

▼これまでの温泉合宿で行った場所

太田くんを囲む会 創立45年以上に及ぶ 輝かしい伝統! (^_^;)

1980年08月 登山合宿 上高地キャンプ場

このころほぼ毎年、新年会か忘年会をやっていたはずですが、記録が無くなっていてよく分からないのです (T_T)

1992年01月 新年会 会場不明

1993年01月 新年会 会場不明 しゃぶしゃぶ

1995年01月 新年会 渋谷 華月楼 9人

1996年01月 新年会 渋谷 十二庵 13人 ←人数最大かも (^_^;)

1997年01月 新年会 横浜 燿来酒家 12人

2002年12月 忘年会 新宿 東京大飯店 7人

2004年12月 新年会 新宿 高田屋 7人

2006年01月 新年会 新宿「喬の倉」→豊島園「庭の湯」

2007年01月 温泉新年会 豊島園「庭の湯」
2007年03月 飲み会 新宿 会場不明
2007年08月 納涼会 西武新宿 世界の山ちゃん
2007年12月 温泉忘年会 六本木ザブー

2008年09月 納涼会 新宿 会場不明

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▲2008年12月 第1回 箱根 「ペンションおかだ」

この頃から、温泉合宿が始まった

2008年12月 第1回 箱根 「ペンションおかだ」

2009年12月 2 箱根 レイクホテル

2010年09月 3 熱海 四季ホテルうたゆの宿

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2011年01月 4 石和 ホテル慶山

2011年10月 5 箱根 伊東園ホテル

2012年03月 6 鬼怒川 プラザホテル

2012年09月 7 別所 上松屋旅館

2013年03月 8 修善寺 ホテル滝亭

2013年09月 9 越後湯沢 ニューオータニ

2014年10月 10 東山(会津若松) 「向瀧」

2015年04月 11 宝川(水上) 「汪泉閣」

2015年10月 12 館山 「ホテル川端」

2016年12月 13 舘山寺 「ウェルシーズン浜名湖」

2017年05月 14 伊香保 「凌雲閣」

2017年12月 第15回 喜連川 「かんぽの宿」

2019年01月 第16回 鶴巻温泉 「大和旅館」 日帰りランチ会

一時は年2回のペースだった温泉合宿ですが、最近はコロナの影響などもあって、合宿をやめてランチ会になりつつあります

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バブル時代も40年くらい昔になり、体感として知っている人はすでに高齢者

あのころ冬になったらスキー場へ出かけるのが若者文化で、「私をスキーに連れてって」などというバブリーな映画も作られました

撮影場所は苗場かな?と思ったら、志賀高原プリンスホテル

プリンスホテルと言えば西武グループで、私も朝散歩では高プリ日本庭園をよく利用させてもらってます(無料だしね)

とにかく巨大資本でデカいホテルを作るのが西武流で、日本全国にプリンスホテル網を作り上げた訳ですが、やや大作りでラフな印象も受けます

上の動画にも出て来ますが、苗場プリンスホテルは最初わずか28室、需要の伸びに合わせて増築を繰り返したようで、そこには経営者の慎重さも感じます

経営者の仕事で最も重要かつ難しいのが需要予測で、これを間違えると企業は倒産します

その総帥が、西武グループ二代目御曹司の堤義明で、いま調べたら91歳でご存命

御曹司(プリンス)が創ったホテルだから、「プリンスホテル」なのかな?

バブルの頃は世界長者番付でトップになったこともあり、まさに隔世の感があります

あのころ「山手線内側の土地を全部売れば、アメリカ全土が買える」などと言われてた(価格固定の思考実験で、本当だったのかどうか知らんけど)

この堤義明の異母弟が、西武セゾングループ総帥だった堤清二で、渋谷公園通りPARCOを中心に、今に続く渋谷の若者文化を創った

この兄弟の父親が堤康次郎で、これも日本の現代史で特筆すべきスゴい人物なんだけど、書き始めたら終わらなくなりそうなので今日はやめときます

堤義明が正妻の子でスポーツマン、堤清二がお妾さんの子で超インテリ(小説家でもあって、ペンネームは「辻井喬」)なので、余り仲は良くなかったらしい

彼の著作リストを見ると、経営者をしながら、よくもこんなに書けたもんだ!と感心します

体育会系の兄と、サブカル同好会系の弟

兄は弟ほどインテリではない、弟は妾の子で父親とソリが合わないという、それぞれコンプレックスを抱えていて、それがライバル意識と活動の原動力になったのかもしれません

親が作った西武グループを、兄は鉄道事業(本流)、弟は流通事業(傍流)を引き受けて、それぞれ現代史を彩る若者スポーツ文化とサブカル文化に大発展させたんですから大したもんです

(^_^;)~♪

訃報 不破哲三

新宿高校(旧制府立六中)のOBで、共産党の委員長や議長を務めた不破哲三が、今日95歳で亡くなりました

本名は上田建二郎で、「不破哲三」はペンネーム

1930年東京生まれ、旧制東京府立六中(現・東京都立新宿高校)、第一高等学校を経て、東大理学部物理学科を卒業

1970年、40歳で日本共産党の書記局長に就任し 当時マスコミから「共産党のプリンス」と呼ばれた

新宿高校の先生の誰かから聞いた話ですけど、不破哲三の兄の上田耕一郎が新宿高校時代に成績の歴代新記録を作り、さらに数年後に弟の不破哲三が記録を塗り替えたという超秀才兄弟

今では「共産党と言えば後期高齢者」と言われるほど、若い世代からまったく人気の無い共産党ですが、不破哲三が活躍した頃は、天下の秀才たちが共産党に流れ込んでいたようです

下の動画は、10年くらい前のテレビ番組、2本目の終わり方がちょっと変ですね

 

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追伸 ちなみに私は不破哲三を、右の「目次 詳細ジャンル別」の中で

13【新宿高校OB:暴力団等】

に分類していますが、あともう一人

高橋岩太郎 暴力団組長 享年90

がいまして、意外と暴力系団体の人は長生き?

暴力団対策法に基づき、暴力的な手段で組織的活動を行う団体として、以下のような団体が指定されています

六代目山口組 神戸山口組 住吉会 稲川会

破壊活動防止法に基づき、公共の安全を確保するために、以下のような団体が調査対象に指定されています

日本共産党 暴力主義的な体制破壊活動を行った疑いがある

オウム真理教 地下鉄サリン事件などの大量虐殺事件を起こした疑いがある

朝鮮総連 日本人拉致事件など反日的な破壊活動を行った疑いがある

(^_^;)~♪

東洋英和女学院

▲六本木の鳥居坂通り 右が東洋英和

ネットニュースを見ていたら、東洋英和の中3・高1が夏休みカナダ研修という記事がありました

旅行費用の国内外価格差が減少(逆転)して、海外修学旅行が流行した時期がありましたが、最近は円安で騒がれなくなったけど、さすがお嬢さまの通う東洋英和は続けてますね(研修だから修学旅行とは少し違うのかな?)

東洋英和女学院は、大学は横浜にありますけど、幼稚園から高校までは六本木にあります

都内では新宿歌舞伎町と並ぶ「危険エリア」六本木ですから、こんなところへ子供を通わせて大丈夫なのかな?という気もしますが、子供の事故とか事件の話は余り聞かないですね

六本木の街を歩いていると、ランドセルを背負った子供とか制服を着た女子中高生などをよく見かけるのですが、その多くは東洋英和の生徒さんたちだと思います

六本木という場所柄、オシャレな制服を想像しますが、意外と普通ですね

私は以前、六本木駅の近くに30年くらい住んでいたので、東洋英和のある鳥居坂通りは、朝散歩などでよく歩きました

外苑東通りの猥雑な飲食風俗街から一本横道に入っただけなのですが、鳥居坂通りは静かな落ち着いた通りで、散歩道には最適でした

新宿歌舞伎町は広大な繁華街ですが、六本木の繁華街はそれに比べるとごく狭く、ちょっと横道に入ると落ち着いた麻布の住宅街です

六本木には、かつて陸軍歩兵連隊(聯隊)があって、二・二六事件の時はここから反乱軍の将兵が出撃して皇居方面へ向かいました

戦後は陸軍の敷地だった場所に米軍が駐留し、一気に横須賀みたいな米軍の街となり、流行や風俗の最先端を走ることになる

野地さんの本で有名なイタリアン「キャンティ」などのオシャレなお店に、三島由紀夫とか当時のインテリ文化人も集まるようになった

今年は三島由紀夫の生誕100年です

彼の早逝は誠に痛恨事でしたが、そのおかげで記憶の中の三島は常に若々しい

米軍が去って自衛隊の駐屯地となり、さらに自衛隊も去って、それが現在のミッドタウン

六本木は、日本の近現代史の縮図のような街です

(^_^;)~♪

加藤和彦安井かずみも、鳥居坂の近くに住んでましたね

おフランスの議会で雨漏り

おフランスの議会で雨漏りです

パリは19世紀半ばにオスマン知事のパリ改造計画が進められました

それまでのパリは、汚くて不潔な街だった

そのころ出来た建物は、すでに2世紀近くが経過して古びてきています

おフランスは伝統を重んずる国なので、古い建物ほど価値があるとされていますが、雨漏りとか機能的にいろいろ問題が起きることが多い

ホテル・クリヨン

以前にパリを旅して、ホテル・クリヨンという、かなり高級なホテルに泊まったことがあります

おフランス語だと、オテル・ドゥ・クリヨン(Hôtel de Crillon)

あのころの、しかも一番安い部屋で、1泊4万円以上

最近のインバウンド相場の東京や京都なら、1泊4万円なんて大したことないですけど、30年くらい前ですから、今なら1ケタ上かな?

予約も「一見さんお断り」みたいな感じで、紹介状が必要

ここを定宿にしてるような、おフランスの上流階級に知り合いは居ませんので、仕方なく前日に泊まっていたパリ日航ホテル(ニッコードパリ、今はもう無い)のコンシェルジュに頼んで、紹介状を書いてもらいました

でも中に入ってビックリ

内装はかなり古びていて、床なんか歩くとギシギシ!

それもそのはず、このホテルの建造は1758年(267年前)ですから、あのおフランス革命(1789年)よりもずっと前

日本だと江戸中期、9代将軍徳川家重の時代

「革命広場」と呼ばれたコンコルド広場に面していますから、革命の直後は毎日のように、窓からギロチン処刑が見えたはず

この場所で1343人がギロチン処刑された、まさに恐怖政治の時代

▲コンコルド広場の場所

▲ギロチン処刑

上の絵は処刑場だったコンコルド広場で、言葉は悪いが、ギロチン処刑は「民衆の娯楽」だった

おフランス国王ルイ16世の処刑場面で、処刑直後の彼の首を民衆に見せている

たぶん観衆から「革命バンザイ!」とか歓声が上がったのだろう

絵の左奥は、たぶんホテル・クリヨン(当時は王室別邸)

これに少し遅れて、たぶんこの場所で、王妃マリー・アントワネットも37歳で処刑された

飢えた民衆に向かって「パンが無ければ、ケーキを食べればいいじゃない」と言ったとされている、あの人です(本当は言ってないらしいけど、いかにも言いそうな人なんだよね)

今の日本なら「コメが無ければ、・・・」で、誰か名言を残してくれないかなぁ

▲フランス国歌は「革命バンザイ!」の歌です

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ホテルの建物は古いけど客層は別格で、いかにも「おフランスの貴族」といった感じの貴婦人がロビーにいたりして、私にとっては普段なかなか味わえない「異次元空間」でした

ホテルの格というものは、設備ではなく客層なんだなぁと感じました

まあ、これを感じるだけならロビーでいい訳で、泊まる必要はないです

ただ、私がいま横になっているこのベッドに、フランス革命の前には、王宮に招かれたおフランスの貴族が寝ていたのかもしれないと思うと、不思議な感情移入が可能です

私は旅するとき、昼間は「歩くの大好き」で、一日中ひたすら歩きまわるので、「ホテルは寝るだけの場所」と割り切って、ふだんは安宿に泊まることが多い

よく行くタイのバンコクやパタヤでは、1泊2000円くらいのホテルが普通です(今は円安で、もう少し高いかも)

でもこのときはパリに半月くらいいて、「1泊くらい高いホテルに泊まってみよう!」みたいなノリでしたね

(^_^;)~♪

窮状のハメネイ師(86)

▲ハメネイ師(86)

イスラエル軍の攻撃で最側近まで失い孤立するなか、窮地のイラン最高指導者ハメネイ師(86)は6/18、イラン国営テレビを通じ

「脅しには屈しない」

「米軍介入は取り返しのつかない被害を(米側に)もたらす」

と述べ、イラン国民に抵抗を呼びかけた

とのことですが、世界でも最高水準の兵器を持つイスラエル軍に対して、現状大ざっぱに言ってイラン側の被害はイスラエル側の10倍以上で、圧倒的にイラン側が不利

イランの人口(約8600万人)はイスラエルの9倍ですが、現代戦は頭数(あたまかず)よりも兵器の性能がものを言う世界

イランが数百発のミサイルを発射しても、イスラエルの防空システム「アイアンドーム」に阻まれて、わずか数発が着弾する程度

最新鋭の戦車部隊に向かって、騎馬隊が突撃しているような時代錯誤感を覚えます

イランはすでに自国の制空権を失っており、これからイスラエルやアメリカはイラン上空に大型爆撃機を飛ばして、大量の爆弾の雨を降らせることも出来る

戦争は通常、次の3段階で進む(核兵器を使わない場合)

1)の攻撃:ミサイルを飛ばして敵の重要拠点(司令部、基地、弾薬庫など)を破壊。見た目が派手なので敵国民への心理的効果はあるが、ミサイル1発でビル1棟を破壊するのがやっとだから、「戦争のコスパ」が悪い。ミサイルは非常に高価なので、大量破壊には向かないが、ドローンの登場でこの「コスパ」も変化しつつある。この段階で戦争の勝敗が決することは少ない。イラン戦争は現状この段階だが、勝敗を決するため次の段階へ移りつつある

2)の攻撃:制空権を奪い、大型爆撃機の飛行コース(線)に爆弾の雨を降らせる。敵国の経済力(工業生産力)や電気水道などの生活インフラを破壊する。第二次大戦で日本は、この段階(B29の空襲)で戦闘力をほとんど奪われ、原爆でトドメを刺された。原爆が無ければ、次の段階(敵前上陸)へ進んだかもしれない

3)の攻撃:敵が陸で国境を接する隣国の場合、陸上部隊(陸軍)が侵攻して、敵の領土を実効支配する。この段階に入ると、最前線では戦死者が急増する。ガザ戦争は現状この段階。ウクライナ戦争は最初からこの段階だが、互いに制空権が奪えず、戦力が拮抗して膠着状態(塹壕戦)になっており、毎日数百人が戦死している。敵が日本や英国、台湾などのような島国だと、敵前上陸が必要になるので、軍事力によほどの差が無いと難しい

上記の3段階はあくまでも原則論で、「兵は詭道なり」(孫子)だから、この原則を踏まえつつ、いかに敵をダマすか(計略)が重要

イラン(ハメネイ師)は、まだ口先では威勢がいいけど、追い詰められて、裏ではアメリカに停戦の仲裁を頼んでいるとの情報もある

これが事実なら、味方のはずのロシアや中国ではなく、敵側のアメリカに頼るところに、ハメネイ師の追い詰められた苦境が感じられる(ロシアや中国は、頼りにならないということか?)

トランプは

「今さら遅い」 「無条件降伏あるのみ!」

「場合によっては、米軍もイランを攻撃する」

「ハメネイなんぞ、いつでも殺せるが、とりあえずまだ生かしといてやる」

と応じて歯牙にもかけない

国際社会はアフリカのサバンナのような弱肉強食の残酷な世界であることを、マザマザと見せつけてくれてます

日本では今でも泡沫政党の政治家が、「ミサイルよりコメを!」とか、トコトン平和ボケした牧歌的お笑い発言してますけどね

ハメネイ師が86歳、トランプが79歳、どっちもいい年で、頑固になりがち

イランはイスラム教原理主義の国で、イスラエルは強烈なユダヤ教の本家本元

アメリカも清教徒(ピューリタン)が創った国ですから、もともとキリスト教原理主義の傾向が強い

ガチガチ一神教原理主義の対立ですから、どっちも「我こそは正義!」「神に守られている」と固く信じてるので、妥協の余地は乏しい

ハメネイ師の言う「取り返しのつかない被害」とは何だろうか?

(たぶん、口先だけの脅し(強がり)だとは思うけどね)

ロシアや北朝鮮あたりからイランに流入した核爆弾を、輸送用コンテナに隠してイスラエルやアメリカの港に運び込み、爆発させるのが最も危険なシナリオだと思う

そこまでやれば第三次世界大戦(全面核戦争)のリスクが高まり、人類滅亡の危機だ

日米欧などの先進文明国連合(G7)に対して、何かと反抗している中露北朝鮮にとって、重要な仲間であるイランがツブレるのは避けたいハズだが、核爆弾まで渡すのは危険すぎるように思える

さりとて通常兵器の援助でイランが劣勢を挽回するのは無理だろう

イランがホルムズ海峡を閉鎖するという可能性は、昔から言われてきていて、重要な原油輸送ルートだから日本への影響も大きいのだが、完全に世界を敵に回すことになるし、原油大量輸入国で親イランの中国にも大きな痛手になる

イラン自身も原油輸出による外貨収入が激減する

もし本当にイランが機雷をばらまいてホルムズ海峡を閉鎖したら、世界最高水準の掃海(機雷除去)技術を持つ海上自衛隊の出番もあるかもしれない

事態は極めて切迫しており、今後1~2週間で、現代史を画するような大きな動きがありそうだ

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▲ホルムズ海峡、波高し

日本人のクルマのガソリンは、ここを通って来ている

艦内神社

▲戦艦「三笠」の艦内神社

 

海上自衛隊の多くの護衛艦の内部には、艦内神社があります

上の写真のように、神社というより神棚といった感じですが、小さいながらも神様が祀られており、祭日には盛装した艦長や幹部がお参りすることもあるそうです

戦前の旧帝国海軍から受け継がれた伝統

実際いざ戦闘となれば命がけ、生きるか死ぬかは運次第という側面もあることを考えると、「神だのみ」したくなる心情は理解できます

とは言っても、自衛隊は国(政府)の組織ですから、政教分離の原則に反する訳にもいきませんので、それなりの配慮もあるようです

(^_^;)

艦内神社の記事へ

 

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新宿高校(旧制六中)の興国の鐘

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▲日本海海戦(日露戦争)における戦艦三笠と東郷平八郎 左上はZ旗

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▲記念館「三笠

「横須賀・軍艦クルーズ」へ

 

日本海海戦120年

海上自衛隊の1等海曹や海曹長で作る「横須賀上級海曹会」220人が5/24、横須賀市の記念艦「三笠」で甲板清掃を行った

戦艦「三笠」は、1905年5/27-28、日露戦争の日本海海戦でロシア・バルチック艦隊を旗艦を含めて撃滅した、日本海軍連合艦隊の旗艦

ロシアは、ウクライナ戦争でも、旗艦「モスクワ」を撃沈されている

ロシアは元々陸軍国なので、海軍が弱いのは仕方ないのかな

「横須賀・軍艦クルーズ」へ

映画「グリーンブック」

私は映画が好きだけど、観るなら映画館より自宅で一人で観る方が好き、そして字幕より吹替が好き

昨日観たこの映画、2018年のアメリカ映画、とても良かったので少し書きます

1960年代の米国で、成功してカーネギーホールの中の豪華ルームに住む黒人ピアニストが、まだ黒人差別が根強い南部への公演ツアーを計画する(非常に勇気のいること)

▲ニューヨークにあるカーネギーホール

▲カーネギーホールの中にある、黒人ピアニストの住居スペース

▲現在の非白人比率マップ

「黒人は畑で肉体労働する奴隷」という意識の強い南部に、経済的に成功した黒人が行けば、現地の白人たちから激しい反感を買い、何をされるか分からない

そこでピアニストは運転手兼用心棒に、粗野でがさつ、少々ケンカっ早いイタリア系を雇い、2人でクルマに乗って危険な公演ツアーという珍道中をする

このイタリア系というところもポイントで、白人だがアングロサクソンなどから差別されがちなイタリア系

刑事コロンボも主人公が「安月給のさえない」イタリア系の刑事で、成功した富裕な犯人(多くはアングロサクソン)を追い詰めるという設定が、米国庶民に大ウケ(たぶん、成功者の転落を見る庶民の爽快感なんだろね)

「安月給のさえない」を強調するツールが、ヨレヨレのコート、そしてボロボロのクルマ

黒人差別という重苦しくなりがちなテーマだが、ユーモラスに描いていて、時々泣かせる場面もある

経済力と弱点の両方を持つ少し気難しい男が、まったく異なる育ち境遇のがさつな男を助っ人として雇い、やがてふたりの間に友情が芽生えるというストーリーは、先日観た「最強のふたり」に通じる

「グリーンブック」とは、黒人でも泊まれるホテルをリストアップした旅行ガイド本

当時、米国の多くのホテルは白人専用で、黒人の泊まれるホテルはごく限られており、ゴキブリが這い回るような劣悪な環境だった

ピアニストはそれを覚悟で、南部への公演ツアーに出る

それから現在までの60年余り、公民権運動などによる差別撤廃が時代の流れとなるが、その裏で米国の貧しい白人たちは白人としての特権を次々に奪われ、経済的にも追い詰められて不満が鬱積していく

その貧しい白人の鬱積した不満に着目して(利用して)大統領になったのがトランプ

副大統領バンスの著書「ヒルビリー・エレジー」の副題は

アメリカの繁栄から取り残された白人たち

元大統領オバマが、このピアニストに重なって見えた

人種別の出生率の違いや移民の流入などによって、米国の白人比率は下がり続けている

白人が米国の少数民族になる日は、そんなに遠くない

現在のトランプ政権の政策は、白人層の「最後の抵抗」にも見えてくる

この映画には実話が背景にあり、「最強のふたり」と同様、二人は生涯親友でありつづけた

(^_^;)~♪

石川太郎先生の研究(2)ハルマヘラ・メモリー

3/15に書いた当ブログ記事「石川太郎先生の研究(1)」のつづきです

あの記事を読んだ徳永パパから、太郎先生は陸軍将校だったと教えていただき、海軍将校だったという私の記憶は間違っていたようでビックリしました

新宿高校時代の生物の授業中、太郎先生の雑談に軍艦や南の島の体験談が多かったので、私が勝手に海軍将校だと思い込んでいただけみたいです

また熊さんからは

「俳優の池部良が、ハルマヘラ・メモリーという本を書いていて、どうも太郎先生と同じ時期に同じ島に居たらしい」

と教えていただき、さっそく池部良の著書「ハルマヘラ・メモリー」を入手して、いま読み終えました

池部良(1918-2010)は、往年の超イケメン映画スターですが、エッセイストとしても有名

そのせいか「ハルマヘラ・メモリー」は大変読みやすい文章で、372ページもある分厚い本ですが、退屈することなく今日一日で一気に読み終えました

文章は淡々としているのですが、それがかえって最前線の臨場感を高めているように感じました

以下、その読後感です

池部良が1918年生まれ、太郎先生が1917年頃の生まれというほぼ同世代で、二人の軍隊経験は驚くほど重なっているようです

どちらも軍隊や戦争にはまったく関係ない世界(映画俳優や生物学研究者)から26歳ころに徴兵され、大卒だったので予備士官学校へ進んで、見習い将校を経て将校(陸軍少尉)になります

陸軍少尉として、中国大陸の北京の近く(保定パオティン)にいて、そこから任地替え(転進)で南方のハルマヘラ島に移って終戦を迎えられたようです

ここまで軍隊経歴が似ていると、ひょっとしてお二人は、戦地(保定やハルマヘラ島)で出会っていたのかもしれませんね

今日、池部良の「ハルマヘラ・メモリー」を読みながら、太郎先生の若き日の戦争体験談を読んでいるような気持ちになりました

極寒の保定から熱帯のハルマヘラ島への移動は、狭い船内にぎゅうぎゅう詰めの輸送船団に乗って行くのですが、途中にはアメリカの潜水艦がウヨウヨしている海域を通ります

日米間の太平洋戦争は、最終的には原爆投下で決着がついた訳ですが、その前にレーダー技術で決定的な差がついていたようです

米軍が数百キロも先の日本軍艦の位置を正確に把握していたのに対して、日本軍は双眼鏡によって目に見える範囲しか分からない

偵察機もあったでしょうが、これは「点の探索」で、広い太平洋をカバーすることなど不可能

現代戦では、科学技術力のわずかな差が、国家や民族の運命を決します(2番じゃダメなんです)

その結果、多くの輸送船が米軍魚雷の餌食となって沈没し、一日に2000人もの将兵が海の藻屑となる話なども出て来ます

池部良の乗った輸送船も魚雷を受けて沈没しますが、海に投げ出された池部良は10時間以上も海面を漂いながら、日本海軍の駆逐艦に救助されて九死に一生を得ます

その駆逐艦に乗って、次の任地であるハルマヘラ島の守備任務につきます

太郎先生の雑談には、輸送船沈没の話は無かったような気がするから、太郎先生の乗った輸送船は、無事にハルマヘラ島へたどり着いたのかな?

米軍の作戦は、太平洋上の一つの島を占領したら、そこに飛行場を建設して次の島を狙う、というような着実な「島づたい戦略」で、この侵攻コース上の島にいた日本軍守備隊は、ほぼすべて全滅しています

池部良のいた(たぶん太郎先生もいた)ハルマヘラ島は、この米軍侵攻コースからわずかに外れていたので、激しい攻撃(艦砲射撃、航空機による爆撃や機銃掃射)を受けますが、かろうじて全滅は免れます

楽園のような南の島でのんびりしていると、その数秒後には耳をつんざくような爆裂音や射撃音が鳴り響き、一気に地獄の戦場と化する場面の描写は、なかなかの臨場感があります

そして戦況悪化の暗いムードが支配する中で、ある日突然、玉音放送が流れて戦争が終わります

その終戦の描写も実に淡々としていて、著者のある種の諦念のようなものを感じさせる

池部良は(たぶん太郎先生も)昭和18~19年という敗色濃いころに徴兵されて、大卒だったので予備士官学校へ進んで、わずかな軍事教育や訓練を経て見習い士官から将校(陸軍少尉)になります

旧日本軍の階級制度は、大きく3段階に分かれていました

国や時代によって各階級の呼び名は違っていますが、どこの国の軍隊組織でもこの3段階の構造は似たようなもので、原則として指揮命令権限を持つのが将校です

兵士(兵卒):二等兵~兵長

下士官:伍長、軍曹、曹長

准尉(見習い士官)

将校(士官):少尉~大将

戦争末期になると軍人不足を補うために、軍隊経験が皆無の大卒(当時の大卒は少数派)も、学徒動員などで徴兵されました

その中には池部良や太郎先生のように、軍隊入隊後に予備士官学校に入り、見習い士官(准尉)を経て「にわか仕立ての将校」(最初は少尉)になる人たちもいました

この予備士官学校での成績や適性に難があると、将校ではなく下士官にされたそうです

一方、軍隊(陸軍)には、もともと市谷にあった陸軍士官学校出身の「本格的な将校」(職業軍人)がいて、上記の「にわか将校」を素人扱いして馬鹿にします

この「本格将校」(職業軍人)には、陸軍幼年学校などを経て、子どものころから軍人になることを目指してきた「軍人一筋」の人たちが多かった

この人たちから見れば、つい2~3年前まで映画俳優や生物学研究者などしていた連中が、陸軍将校として自分たちと同一視されることに耐えられなかったようです

この「本格将校」による「にわか将校」いじめは、かなり露骨に行われていたようで、本書の中でもたびたび描写されています

さらに戦争末期には、一般国民の30代40代といった、それまで年齢的に徴兵されなかった高年齢の男も、兵士不足を補うために徴兵されます

企業の管理職や、中小企業の社長をしていたような社会的地位のある男たちも、有無を言わさず徴兵され、二等兵として軍隊の最底辺のみじめな存在となって戦場へ送られるといった「悲劇」も少なからず生じました

また軍隊には長年いるが、士官学校などの学歴が無いために将校になれない、といったベテラン兵士や下士官も大勢います

すると当然ですが、まだ20代後半の経験不足な「にわか将校」が、自分より年上の、時には父親ほどの年齢の人生経験豊富な兵士(兵卒)や下士官を何十人も統率して指揮命令することになります

今でも年功序列を否定して能力主義を標榜する企業では、年上の部下との接し方に悩む若い上司がいますが、それと似たような現象が旧日本軍の内部でも生じていました

「年上の兵士」たちから見れば、自分たちの方が戦場経験も人生経験もははるかに豊富ですから、経験の乏しい学歴だけの「にわか将校」に対して、素直な気持ちになれないのも理解できます

上にいる「本格将校」(職業軍人)たちからは素人扱いで馬鹿にされ、軍隊の階級的には下にいるはずの「年上の兵士」たちからは、面従腹背の陰湿な抵抗に遭うという板挟み状態

しかも戦況は悪化の一途で、日本が戦争に勝つ見通しはまったく持てない

そんな絶望的状況でのメンタルを、太郎先生が87歳の時に出席した新宿高校同期会のスピーチで

「・・・人生振り返ってみると孤独だった

 軍隊でも孤独だった

と表現したのではないかと推察します

本書の中にも、著者(池部良)の戦場での孤独感が滲み出ています

軍隊組織内で置かれた立場から来る肉体的な厳しさや惨めさでは、将校より兵士の方がツラかったと思います

ただ、兵士にはすぐ近くに同じ立場の兵士が大勢いる

一方、新米の将校はたいてい小隊(10~30人くらいの兵士)を率いる訳ですから、同じ立場の人間(小隊長)には隣の小隊へ行かないと会えないので、小隊の中では常に孤独です

人の上に立つということは、孤独を引き受けることです

今では私もこんな悟ったようなことを書いてますが、これも歳のなせるわざで、20代の太郎先生にはキツかっただろうなぁと思います

戦前の日本の軍隊を描いた映画やドラマなどでは、やたらと激怒して部下を殴ったりする凶暴な軍人がよく登場します

すべての軍人がそうだった訳ではなく、池部良「ハルマヘラ・メモリー」の中には、まともな心を持った優しい軍人も少なからず登場しますし、池部良もその一人

しかしその一方で、軍隊映画そのままの凶暴な軍人がいたことも事実

部下(兵士)に厳しくすることは、軍隊組織の規律維持や精神のゆるみを防止する上で、ある水準までは合理化されますが、その水準を超えて残忍さを出す者も出てくる

今でも警察や検察の取り調べなどで社会問題化しますが、人間が組織や権力を背負って無力な個人に対応したとき、少なからぬ人間は、その深層心理に潜む残忍さを剥き出しにします

人権意識の希薄な途上国や共産独裁国では、ごくありふれた風景です

企業の上司による部下へのいじめ(パワハラ)も、似たような精神構造でしょう

だれの心の中にも、この残忍さは潜んでいます

敗戦の玉音放送が流れて数か月後に、生き残った将兵を日本へ送り返す船(復員船)の中で兵士たちが暴動を起こし、戦争中に部下に凶暴だった上官を海に放り込むといった復讐事件も起きていたようです

敗戦による武装解除で軍隊という枠組みが消滅した訳ですから、当然に起こり得る上下逆転現象で、ギロチンこそ使いませんが、フランス革命のあとの旧貴族の運命と似ています

池部良「ハルマヘラ・メモリー」は、1997年の出版で、池部良79歳の作品

79歳とは思えぬ生き生きとした詳細な描写は、池部良が晩年まで旺盛な知的活動をしていたことを感じさせます

ただし一部には著者の記憶の変化などのせいか、必ずしもすべて事実通りではなく、あるいは本を面白くするための脚色(フィクション)かと思われる部分もある

また中には、残酷すぎて本に書けないこともあったのではないか?と思われるところもある

たぶん太郎先生の雑談でも、残酷すぎて高校生には聴かせられないことがあったのではないか?と推察いたします

(;´Д`) ウウウ

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