年齢が進むとハッキリ老ける白人女性に比べ、日本人女性にはビックリするほど「老けない女」がいるなぁと常々感じています
今日YouTubeを観ていたら、宮本信子さんが出ていて、ビックリするほど若い
てゆーか、「カワイイ」感じがしました
宮本信子さんと言えば、故伊丹十三監督の奥さまで女優
いまwikiで調べたら、3/27で80歳
いや-、ホントにお若い!
(^_^;)~♪
年齢が進むとハッキリ老ける白人女性に比べ、日本人女性にはビックリするほど「老けない女」がいるなぁと常々感じています
今日YouTubeを観ていたら、宮本信子さんが出ていて、ビックリするほど若い
てゆーか、「カワイイ」感じがしました
宮本信子さんと言えば、故伊丹十三監督の奥さまで女優
いまwikiで調べたら、3/27で80歳
いや-、ホントにお若い!
(^_^;)~♪
定年退職などで仕事をリタイアした後に、まったく別な仕事に飛び込む人がいる
都内の自宅で「寿司かわの」を営む河野透さんは、66歳のときに自宅の一室で寿司屋を始めた
東京生まれの東京育ちで、1968年、大学新卒で広告代理店の東急エージェンシーに入社
社歴38年間のほとんどを、テレビ広告担当の広告マンとして活躍し、62歳で定年退職
寿司職人養成学校の東京すしアカデミーに入学して、板前の基礎を学ぶ
卒業後、インターネットで見習い募集のお店を探して応募した
上下関係が厳しいとされる職人の世界に、未経験の62歳が飛び込んだ
もっと変わり種としては、裁判官から板前になった人もいる
大阪高等裁判所の裁判官(部総括判事)だった岡本健さん
1994年、還暦で依願退官して板前に転身、裁判所の近くに居酒屋を開いた
「人を裁く(さばく)」から「食材をさばく」へ
▲クリックすると拡大します
世の中には、板前になりたかったけど別の道に進んだという人が少なからずいる
でも、還暦を過ぎて一から板前修業を始めようとする人は少ない(だから話題になるんだけど)
何かを良いことを始めるのに、遅すぎることなんか無い!
などと昔から威勢良く言いますが、実行するにはとても勇気がいる
好きなことを今から始めるのは、遅すぎるか? 遅すぎないか?
という質問は、さほど重要な質問ではなく
好きなことを本当に今、始めたいのか? 始めたくないのか?
というシンプルな二択が、最も重要な質問のような気がします
(^_^;)~♪
追伸 裁判官から板前になった岡本さんは、この体験を本に書いています
▲地裁の法廷(この事件のものではありません)
ここ数年で世間を騒がせた「上級国民の高齢ドライバー暴走死傷事件」と言うと、
池袋暴走事件の飯塚幸三さん 元工業技術院長(理系官僚の最高峰)
が有名ですが、これとほぼ同時期に
レクサス暴走事件の石川達紘さん 元東京地検の特捜部長
も暴走死傷事件に関与しています
今日は熊さんに誘われて、石川さんの民事裁判を、東京地裁606号法廷で傍聴しました
この事件の法廷傍聴は2回目で、前回11/28は証人尋問で盛り上がったのですが、今回は判決言い渡しだけで、開廷予定の10時に裁判官が登場すると
「原告の請求を棄却する。理由は追って送達する」
とだけ言って、わずか1分足らずで閉廷(拍子抜けしました)
「原告の請求」とは、石川さんのトヨタ自動車に対する5000万円の損害賠償請求のことです
「棄却」ですから、トヨタ自動車に賠償責任無しとする判決です
憲法で裁判公開の原則が定められておりますが、民事裁判では効率化などのため
口頭陳述や判決理由などの「読み上げ」を書面で代用すること
が恒例化しており、証人尋問でもないと、傍聴者にとってはまったくあっけないものです
もちろん裁判資料は原則公開ですから、あとから判決全文を取り寄せれば、判決理由の詳細を知ることは可能だと思います
この暴走事件は刑事事件として、すでに石川さんの有罪が確定しています
それを民事裁判でひっくり返すのは極めて困難で、ほぼ結果が見えている裁判ということで世間も余り注目しておらず、法廷は傍聴券の発行もなく空いていました
一応、マスコミが数人来ていて、今日のニュースにはなっていました
私は以前(10年以上前かな)、裁判の傍聴にハマったことがあり(いわゆる裁判ウォッチャー)、熊さんの誘いもあったので、久しぶりに地裁法廷に入りました
前述のように民事裁判はあっけないので、裁判ウォッチャーは刑事法廷を傍聴することが多いのですが、今日は民事法廷です
法廷の隣にある待合室ですぐ近くから拝見した石川達紘さんは、さすが元東京地検の特捜部長だけあって、すでに年齢は85歳ですがお元気そうです
前回11/28は「矍鑠(かくしゃく)たる力強いオーラ」のようなものを感じましたが、今日は全面敗訴の直後だったせいか、少し元気がなく残念そうに見えました
百戦錬磨の特捜部長だった人ですし、「負けてもともと」みたいな裁判ですから、それほど落ち込んではいないと思いますが
暴走事故が起きたのは石川さんが「20歳台の美人の愛人」と一緒にクルマでゴルフに出かける際だったので、この辺に「85歳の若さの源泉」があるのではないか、などとするゴシップ風の報道もあります
この事件の石川さんへの刑事判決が、実刑ではなく執行猶予が付いたことに、世間から
司法関係者の身内びいき
上級国民への忖度(そんたく)
などといった激しい批判がある訳ですが、上記のようなゴシップ風の報道もいくらか関係がありそうです
ちなみに、もう一人の「上級国民」である飯塚幸三さんは、禁固5年の実刑(執行猶予なし)で、刑務所収監中に亡くなっており、明暗が分かれています
とにかく、石川飯塚両事件の裁判における最大の争点は、
事故原因が、クルマの欠陥か? または運転者のミスか?
という点にあります
クルマの欠陥が機械的あるいは電気的なものなら、時間をかければ欠陥の完全究明は可能かもしれませんが、最近のクルマにはエンジンの制御や事故防止などのためのソフトウェアが搭載されています
これは実際には数千行とか、時には数万~数十万行に及ぶ膨大なコンピュータ・プログラムです
このプログラムの中に、1カ所でも1文字でもバグ(プログラム上のミス)があれば、クルマが誤作動(暴走など)するかもしれません
みずほ銀行のすべてのATMが長時間使えなくなるといった、巨大銀行の経営を揺るがすような重大事件がときどき発生していますが、原因はプログラム中のピリオド(.)ひとつの打ち忘れかもしれません
人間はミスを犯す生き物ですから、バグは必ず発生します
このようなバグを発見するのは、数十巻もあるような大百科事典の中から、あるいは日本全国のすべての電話帳から、わずか1文字の誤字を発見するような気の遠くなる作業で、完全にバグをゼロにすることは、現実にはほぼ不可能です
誤作動が常に発生するのなら対処は比較的簡単なのですが、何らかのめったにない条件下でのみ誤作動するようなバグがあると、事態はますます深刻です
簡単なバグはすぐに除去(デバッギング)されるので、深刻なバグだけが残ります
そんな深刻なバグが原因で誤作動した瞬間(めったにない極めてレアな瞬間)に、たまたまクルマを運転していたドライバーは悲劇です
石川さんや飯塚さんが、そんな悲劇の主人公である可能性を、完全にゼロであると言い切ることは困難です
裁判の判決では両事件とも「運転者のミス」とされましたが、何か割り切れないものが残ります
さらに恐ろしいことに、今回の暴走事故は運転者が「上級国民」ということで社会の注目を集めていますが、これは氷山の一角で、じつははるかに多い数の交通事故で、バグによる暴走事故が「運転ミス」として処理されている可能性も有ります(えん罪)
運転者だけでなく、道を歩く歩行者も、常に周辺のクルマが突然暴走する可能性を考え、エンジンのかかったクルマのすぐ前や後ろを歩くことは極力避けるといった注意が必要になりそうです
これからクルマの自動運転が実用化されていくと、このバグ問題はますます社会の重大問題になっていくでしょう
最近注目されているAIの深層学習(deep learning)が、バグの除去に活用されて、デバッギングの自動化が広く実現すれば、将来への光明になるかもしれません
* * * * * * * * * *
石川飯塚両事件の経過比較(主にwikiより)
ATMでお金を引き出すと、新札が増えてきた今日このごろ
新1万円札の顔、渋沢栄一は、68歳で子供をつくっています
朝陽27会メンバーの年齢が、今ちょうど68歳くらいですよね
このとき渋沢は、「若気の至りで」と言い訳したそうです
ちなみに、渋沢が生きた明治時代の平均寿命は40歳くらい
当時の乳幼児死亡率が高かったことを勘案して、14歳未満で亡くなった人を除いた平均寿命は、60歳くらいだったようです
渋沢栄一は、正妻とお妾(めかけ)さんを同居させたり、68歳でも子づくりに励んだり、いろいろがんばったようで、子供の総勢17人(諸説あり)
まあ、それだけの大家族を養う財力があればこそでしょう
「男の甲斐性(かいしょう)」
とか言われて、昔は財力や社会的地位のある男がお妾さんを持つことは普通にあることで、問題視する人は少なかったようです
あの聖人君子みたいな「経営の神様」松下幸之助(松下電器、現在のパナソニック創業者)にも、お妾さんがいました
生物学的に、能力のある男(強いオス)が多くの子孫を残すことは種の保存に有利
これは倫理観とはまったく別の視点
現在でも、フランス人は浮気に寛容で、政治家や芸能人の不倫が発覚しても、ほとんど無関心
街の人にインタビューしても「それが何か?」という反応が多いそうです
まあ、フランス人はみんな浮気をしているから、他人の浮気なんかどうでもいい、ということかもしれません
なにしろ昔のフランス貴族のお屋敷では、寝室が3つあって(夫婦の寝室、妻の寝室、夫の寝室)、どっちにも愛人がいるのが当たり前だったお国柄ですから
昔の日本には女性の側でも
「三流の男の正妻より、一流の男の妾になりたい!」
と言う女性もいたようです(今もいるかな?)
これと正反対なのが、旧1万円札の顔、福沢諭吉です
「私は、妻以外の女性と関係したことは無い!」
と広言していました
これはこれで立派なもんです
それで、旧札から新札への切り替え
1万円札の顔が、福沢諭吉から渋沢栄一へ替わったのは、なぜか?
少子化・高齢化の日本を憂えた財務省あたりの官僚さんが、
「子供をいっぱいつくりましょう!」と奨励しているのではないか?
と考えるのは勘ぐり過ぎかな?
皇統の維持に腐心している宮内庁は、密かに側室制度の復活を目論んでいるとのウワサがありますが、そのための布石として、新札の顔に渋沢栄一を推した可能性もありますね
最近では、ビリージョエルが67歳で子供をつくっているようです
問題は、子供が成人するまで健康でいられるか、ということですね
(^_^;)~♪
* * * * * * * * * *
追伸 テスラCEOのイーロン・マスク(54)は、もうすぐ14人の子を持つ父親になる
こちらはまだ68歳まで14年もあるから、あと10人くらい、いけるかもね~
彼の天才的な能力を引き継いだ子孫をいっぱいつくって、人類の明るい未来に貢献していただきたい!
昨年末のガン検診で肺が引っかかって
1月下旬に肺のCT撮って
昨日結果が出て、問題無しでした
もしガンが見つかったらどうしようかなぁ
なんて、ここ10日間ほど考えてました
いま自分の健康感を
言葉で表すとしたら「薄氷」
薄い氷の張った湖の上を歩いてる感じ
幸い、まだ氷は割れてないから
自分の足でどこでも自由に行ける
でもいつ氷が割れるかは全く分からない
ガンの宣告か、転倒して歩けなくなるか
実際、友人の中には氷が割れて
寝たきりや鬼籍に入った人もいる
薄氷の上で生きていくのは不安だけれど
それが人生なんだろね
若い人は高齢者より氷が厚いけど
でも割れないという保証は無い
交通事故で寝たきりになる若者もいる
(^_^;) セラヴィ
今日は大田くんを囲む会で、世田谷区の日帰り温泉「SPA成城」へ
ここは1年前の今頃にも同じ仲間で来ている
渋谷と明大前を経由して、京王線八幡山駅で降り、都立松沢病院の中を歩く
私は心理学とか精神医学関係の本を読むことが多いので、この病院の名前はよく知っていたが、中を歩くのは今日が初めて
実に広大な敷地で、大学のキャンパスみたい
中には農園もある
「なんで病院に畑?」
と思ったら、そうゆう精神療法だった
自然作業療法というのだそうだ
周辺の地価を考えると、とんでもなく高コストな療法だね
まあ、土いじりが心の安らぎにつながるのは何となく分かる
私もプランター(角形の植木鉢)でベランダ農園を少しやっているが、多少の癒やしにはなっているような気がする
上の院内マップに「医療観察法病棟」というのがあるが、これがいわゆる重症患者の入る病棟で、主に重大な他害行為を行った者が入ることになっている
重症の精神病患者に精神医療を施して社会復帰を目指すということになっているが、周囲の人に危険(他害行為)を及ぼしかねない者を、場合によっては強制入院(措置入院など)させて「社会から隔離する」機能があることは否定できない
殺人、傷害、暴行、放火、強姦などの重大犯罪(他害行為)を犯した者が、裁判の過程で心神喪失を認められると、刑罰(死刑や刑務所収監)を免除される替わりに強制入院させられたりする
今日は八幡山駅から松沢病院の中へ散歩して、この医療観察法病棟のすぐ脇も歩いたんだけど、途中に何のチェックもなくて誰でも自由に来れちゃう!
もちろん本当に危険な患者は、ちゃんと鉄格子のある隔離空間に入ってるとは思うけどね
なんか、大ヒット映画「羊たちの沈黙」のレクター博士を思い出してしまうよ
いま春日武彦さんという精神科医の書いた一般向けの本を読んでいるんだけど、そんな精神科病棟のやや不気味な、時には面白い修羅場がいっぱい出てくる(すでに十数冊読んだ)
春日さんは、松沢病院で精神科医として勤務していたこともある
この春日さんと、ホラー作家の平山夢明さんが組んで書いた対談本「狂いの構造」シリーズは、メチャ面白くてハマっています
精神医療とホラー(恐怖)小説は、親和性が高い
この春日さん、本の中で自分の心の異常さを、正直にドンドン書いちゃうんだよね
例えば、彼は甲殻類恐怖症で、海老とかカニを食べられない
美味しそうな海老の天ぷらも、彼は食べることが出来ない
それどころか、触れたり近寄ったりすることも出来ないし、考えただけで虫酸が走る
普通の人がゴキブリに感じるような嫌悪感を、甲殻類に対して感じるらしい
しかもその恐怖の原因が、春日さん本人にもよく分からない
恐怖は人間の最も根源的な感情(脳の最下層レイヤーに位置している)なので、その奥は計り知れないほど深く、精神科医の知力をもってしても、自分の恐怖の中身を極め尽くすことは出来ないようだ
精神科医が、自分は高いところに立って患者を見下ろしながら解説するんじゃなくて、自分もかなり狂ってるという立場で解説するから、春日さんの本は面白いのかもしれない
私の勝手な感想だが、精神科医とか心理学者には、高知能だが少々アブナイ人が多いような気がする
人間という生き物は、みんな多かれ少なかれどこか心に狂ったところを持っているのが普通なので、その典型例(極端例)としての精神病について知ることは、自分観察(内省や内観)も含めて、人間観察の深みを増すためにとても有益だと思っています
もし、まったくどこも狂っていない人がいたとしたら、その人は超少数派という意味で「異常な人」かもしれない
もともと人間に対して「異常」という言葉をつかう場合
1)少数派(社会の多数派とは、何かが異なっている)
2)社会不適合(正常な社会生活が送れない、送りにくい)
という二つの意味が含まれている
前者は単なる多い少ないの単純かつ広い概念だが、後者には周囲や本人に実害が伴うという意味で範囲の狭い概念だ
ただ、社会のルールや慣習は多数派に合わせて作られたものがほとんどだから、少数派は社会不適合を起こして、狭い意味での「異常」にもされやすい
たとえば、毎日バスタブ入浴する習慣が無い国(日本以外のほとんどの国がそうだ)に留学した日本人学生は、「水を大量に浪費する」として、寄宿舎の管理人から文句を言われることがある
毎日風呂に入った方が清潔だとか気持ちがいいとか主張しても通用せず、実害が有っても無くても、少数派は異端視や攻撃の対象になり、「一つ目村に迷い込んだ、目が二つある化け物」と見なされやすい
* * * * * * * * * *
帰りに大好きな回転寿司「元祖寿司」へ行こうと思って渋谷へ寄る
元祖寿司は川崎店や蒲田店によく行くんだけど、渋谷店は100円台の安い皿がほとんど廻ってなくて、高い皿ばかり (T_T)
渋谷はインバウンド外人が多いので、観光地価格になっている
帰りの渋谷駅ハチ公改札が超大混雑で、並ばないと駅に入れない
「他の改札へまわってくださーい!」
と駅員が必死になって叫んでいた
で、西口改札にまわったら、ここだけ旧駅舎ビルの一部が残っていて、何とも異様な感じ
なんだか東日本大震災の津波に襲われて、残ったビルの残骸といった風情
周囲は渋谷駅大改造で、工事現場の中に駅があるみたいだ
今日は、あちこち歩いて、合計1.8万歩
少し疲れたなぁ~
うっかり、大田くんを囲む会の集合写真を撮るのを忘れてしまった
(^_^;)~♪
経済アナリストの森永卓郎さんが、膵臓ガンのステージ4を公表
その見た目の激変ぶりが注目を集めています
森永卓郎さんは昭和32年生まれですから、我々と同世代
数年前の写真と比べると、その激変ぶりが分かります
こうやって自分の弱った姿を人前にさらせるのは、強い人なのかなと感じます
以前に蔵間という大相撲の力士が病気(慢性骨髄性白血病)になったとき
「同情されるのが、なによりもつらい」
と言っていたのを思い出します
▲デール・カーネギー
先日、日本製鉄がUSスチールを買収する当ブログ記事の中で、鉄鋼王カーネギー(アンドリュー・カーネギー、1835-1919)について書いた
アメリカにはもう一人の有名なカーネギー
デール・カーネギー(1888-1955)
という人がいる
鉄鋼王より半世紀ほど後に生まれた、自己啓発セミナー講師の元祖みたいな人で、その著書「道は開ける」「人を動かす」などで有名
「道は開ける」(→)には、人生に悩んでいる人へのアドバイスがハウトゥっぽく書かれている
その教えの一つに
「最悪を覚悟せよ」
というのがある
悩んでいる人というのは、アタマの中にモヤモヤしたものが充満して気分が落ち込み、思考力や行動力が落ちている場合が多いのだが、カーネギーは次のように言う
1)悩んでいることをすべて、紙の上に書き出せ
2)これから起こりうる最悪の事態を想定し、それも書き出せ
3)最悪の事態が現実になった状態をなるべくリアルにイメージせよ
4)最悪の事態を受け入れる覚悟を決めろ
5)最悪の事態を回避するために、今できることを書き出し、実行せよ
別に哲学的に深遠難解な表現は無く、たったこれだけなのだが、これが悩みの解消(または軽減)に非常に効果があると多くの人が言っているし、私もそう思う
多くの場合、悩める人は最悪の事態を直視せず、心の奥(潜在意識)に抑圧している場合が多いのだが、これを日常意識(顕在意識)の上に引きずり出す
書くことでアタマのモヤモヤを紙の上に引きずり出し、直視(客観視)する
そして最悪を受け入れる覚悟を決めることで、それ以下は無いという一種の安心感が得られる
この安心感の上で思考力や行動力を回復し、対応策のアイデアを出して実行する訳だ
ここで「紙に書く」というのが重要なポイントで、上の5段階をアタマの中だけでやろうとしても効果は乏しいように思われる
もちろん世の中には本当に深刻な悩みや精神病もあって、専門家による精神分析とか向精神薬などが必要になる場合もあるとは思うが、普通の人の日常的な悩みの8割以上は、上の5段階を踏むことで解決(軽減)されるだろう
これは立派な哲学で、まさにプラグマティズムの国アメリカらしい哲学だ
日本で哲学というと、明治維新以来の大学哲学科でドイツ哲学が主流を占めたせいか、やたらと難解な表現を有り難がる悪習があるが、馬鹿げたことだ
お葬式にお坊さんを呼んでお経をあげてもらい、お経の意味も分からずに有り難がっているのに似ている
人生をいかに生きるべきかの議論をするのに、壮大な理論体系を構築し、難解な表現を好んで使うのは、ヨーロッパの田舎者だったドイツ人の悪癖ではなかろうか
(ドイツ哲学が日本で必要以上に難解になったのは、日本人の翻訳家や哲学者にも責任の一端はあると思うが)
上の5段階の中で、特に重要なのは覚悟だと思う
よく俗に「死んだ気になれば何でも出来る」と言うが、人生で最悪の事態は死と考える人は多いだろう
だから死を受け入れる覚悟が本当に出来たら、その人は怖いもの無しになる
ただ、死を受け入れる覚悟をするのが簡単ではない
死を直視することもイメージすることも難しいし、考えることすら難しい
死と太陽は直視できない
死と税金からは逃れられない
人生を山登りに例えると(→)人生の前半は上り坂で、目の前にはこれから登る山道と、その先には無限の未来(青空)が広がっているように見える(見えるだけだが)
これが人生の後半になると、下り坂の先にフモトが見え、そこには大きな穴(死)がアリアリと見える
「無限の未来」が単なる幻想だったことが分かり、イヤでも死を直視せざるを得なくなる
だから最悪の事態(死)を受け入れる覚悟を決めるには、人生の後半は適した季節だ
哲学者の三木清は「人生論ノート」の冒頭、「死について」で次のように語っている
近頃私は死というものをそんなに恐しく思わなくなった。
年齢のせいであろう。
以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが。
思いがけなく来る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齢に私も達したのである。
三木清は48歳で亡くなっているから、上の文章は40代のものだろう
哲学者として若いころから死について考えてきた三木清の、心の変化がつづられている
つい最近、昭和の途中くらいまで、40代は初老で、50歳を過ぎると完全に老人だった
60歳を過ぎると赤いチャンチャンコを着て長寿のお祝いをし、70歳になっても生きていると、古稀(こき、昔からめったにいない長生きという意味)として周囲が祝福した
マンガ「サザエさん」の父、磯野波平(いそのなみへい、→)の年齢は、54歳ということになっていて、見るからに年寄りくさく描かれている
ここ半世紀ほどの高齢化がいかに急激な現象かが分かるし、そのおかげで日本は超高齢化社会になり、経済は停滞している
「エセー」の著者モンテーニュは言う
哲学とは、死の準備である
ソクラテスとか他の人も言ってるけどね
(^_^;)
スティーブ・ジョブズ、アップル社を創業した天才的経営者
1955年2月24日に生まれ、 今日からちょうど12年前の2011年10月5日に、56歳で亡くなっています
2003年、48歳のときに膵臓ガンが発見されましたが、当時東洋文化に傾倒していたジョブズは西洋医学的な手術を拒否し、菜食主義、ハリ治療などを用いて完治を図ろうとしました
9か月後の検査でガンが大きくなっていることが分かり、ジョブズは上の判断をのちに相当後悔しています
上の動画は治療の末期、すでに死を覚悟したジョブズの言葉です
お金には麻薬のような性質があり、手に入ると、もっともっと欲しくなるようです
人生で「適度なレベルのお金」が手に入ったら、別なことを追求すべきだと、ジョブズは上の動画で言っています
喜劇王のチャップリン(→)は、次のように言っています
人生は恐れさえしなければ、とても素晴らしいものだ。
そのために必要なものは、
勇気、想像力、そして少しのお金だ。
Yes, life is wonderful, if you’re not afraid of it.
All it needs is
courage, imagination, and some money.
この some money こそ、ジョブズの言う「適度なレベルのお金」でしょうか?
「適度なレベルのお金」がどれほどの金額かは意見が分かれるかもしれませんが、さほど大きな金額ではないはずです
松下幸之助(→)、松下電器(現在のパナソニック)を創業した日本の天才的経営者
彼は、1965(昭和40)年、本社を置く大阪府門真市が主催した成人式に出席しました
そして新成人たちを前にして、次のように話しました
もしできることならば、わたしは
自分のいっさいを投げ捨てても
みなさんの年齢にかえりたい
このとき松下幸之助は、71歳でした
この言葉には、成功した経営者が若者に向かって教訓を垂れているのではなく、「若い頃に戻りたい」という、老人の正直で切実な叫びを感じます
ジョブズは17歳の時、
「毎日を、それが人生最後の1日だと思って生きれば、望んだ人生になる」
という言葉にどこかで出会いました
それは彼にとってとても印象的な言葉に映りました
その日を境に彼は毎朝
「もし今日が人生最後の日だとしても、
いまからやろうとしていたことをするだろうか?」
と、鏡に映る自分に問いかけるようにしていたといいます
そのジョブズが人生の最後に、冒頭の動画のような言葉を話しています
ガンなどの重病になると、医者から「期待余命×年」とか「5年生存率××%」などと言われることがあります
この言い方を借りるなら、すべての人間は生まれた瞬間に
「期待余命81年」あるいは「81年生存率50%」
ということになります(女性は87年)
いま60歳の男性なら
「期待余命24年」あるいは「24年生存率50%」
になります
これは世界最高水準の、日本人の数字です
逆に短いと言われているロシア人では、生まれた時点で男性60年、女性73年です
この数十年という期間が、若いうちは非常に長く感じられて、ほとんど永遠のような気がするものです
人生を山道にたとえることがあります
若いうち目の前には山頂へ続く長い長い道があり、その向こうには無限の青空が広がっているように見えます
ところが人生のある時期に差し掛かると山頂に到達し、その先を見ると、下り坂の先に麓(ふもと)が見えます
その麓には大きな穴があいていて、それが死なのです
若いころにはまったく見えなかった、死という大きな穴が、いま目の前にありありと見える
それが人生のようです
((((;゚д゚))))
「自分が見ている世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないか?」
との説は、巷でよく言われる思考実験の一つです。
このような考えを元に、実存主義やエントロピーの概念を解説したビデオを、科学系YouTubeチャンネルのKurzgesagtが公開しました。
* * * * * * * * * *
世界の実在や人間の認識に関する議論で必ず出て来る「水槽に浮かんだ脳」仮説
日常とか常識を余り疑わないで生きている方々には奇妙な説に見えるのかもしれませんが、哲学好きには魅力的な仮説です
私も哲学好きなので、この仮説には余り違和感がありません
いやむしろ、かなり実感をともなった感覚(世界観)かもしれない
いま私の周囲に広がっている世界(宇宙)や、私の周囲にいる人たち、ビッグバンに始まると言われているすべての宇宙や地球や人類の歴史は、すべて私の脳が創り出した夢(幻想)なのではないか?
もし私が死んだら、世界(宇宙)も時間も実在性を失って消滅し、すべては無に帰する
このような仮説は、過去においても唯心論的な哲学や宗教で唱えられたりしていた訳ですが、いま科学の最先端の理論物理学者などでも、この仮説に魅力を感じる人が増えていて、一般の人たちの間にも共感が広がっているようです
これとは少し違うけど、心理学者・岸田秀の「唯幻論」(ゆいげんろん)というのがあって、彼は世界はすべて幻想であると主張しています
岸田秀は高校生の頃から原書(ドイツ語)でフロイトに親しんで(のめりこんで)いたという、かなりの変人(天才肌)
彼の主著「ものぐさ精神分析」(←)は、「唯幻論」で脚色されたフロイト哲学(精神分析)の入門書で、非常に読みやすいオススメです
私は若い頃にこの本に出会い、余りの面白さにグイグイ引き込まれ、正続2冊計800頁余りを、一晩徹夜で読み明かしたことがあります
この本は要するに
「この世はすべて幻想である」
「人間は本能の壊れた動物である」
と主張し、その立場から人間行動や世界の歴史を説明する
例えば高校生が必死に勉強していて、
「あの大学に合格できたら、きっと
素晴らしい人生(毎日)になるだろう」
と考える
しかし実際に合格して憧れの大学に入学すると、うれしくて舞い上がるのは、せいぜい1か月くらい
やがて現実の人生(毎日)が期待したほどのものでなかったことに気付き、中には幻滅して五月病に陥る人も出てくる
そして大学卒業が近づくと、
「あの会社に採用されたら、きっと素晴らしい人生(毎日)になるだろう」
と考え、さらに
「あの人と結婚できたら・・・」
「課長になれたら・・・」「役員になれたら・・・」
「自分の家が持てたら・・・」
でもそれはみんな夢(幻想)に過ぎず、夢が実現すれば、やがて必ず幻滅する
なんだか夢も希望も打ち砕くような悲観的な哲学ですが、これを完全に否定し切るのは難しい
俗に「悲観哲学」と言われているショウペンハウエルの考え方も、これに近いと言えそうです
もしかすると遺伝子(DNA、→)が、人間(個体)の行動力(繁殖力)を高めるために、人間の脳に「夢を持つ」という特殊な機能を持たせたのかもしれません
岸田秀さん(←)は現在、1933年12月25日生まれの89歳
余り将来に夢を持たない方が、長生きできるのかもしれませんね
(^_^;)