品川駅の近くにある物流博物館では、いま鉄道古写真展が開催されています
上の写真の、ビーチ沿いに建つ小洒落た建物、今から130年以上も前の品川駅です
新橋横浜間に鉄道が正式開業する前に、品川横浜間で試験運転をしたので、横浜駅とともに日本で最も古くからある駅です
線路用地取得難で海岸沿いや海上(高輪築堤)に線路を作り、駅も海岸のすぐ近くで、駅前はすぐに海岸です
写真左上に見えるのが現在の三田(田町)のあたりで、幕末まで薩摩藩の江戸屋敷などがあり、幕府との間でドンパチあった場所です
その奥に見えるのが皇居(江戸城)、その右が江戸の下町でしょうか?
海岸に沿って東海道があり、大名行列や旅人など、江戸時代から賑わっていたエリアです
上の写真の右側、品川駅の南側に少し行くと、東海道の最初の宿場町「品川宿」がありました
その近くには鈴ヶ森刑場があり、江戸時代220年間に10~20万人が処刑されました
仮に15万人とすると、年に680人、毎日2人くらい死刑になっていた計算になります
有名な放火犯人、八百屋お七が処刑されたのもここです
現在のような科学捜査など無い時代で、自白させるための拷問も許されていましたから、冤罪も多かったと思われます
品川宿は江戸市街の入口にあたり、東海道を通って江戸に流入してくる人々に
「悪いことをすると、こうなるぞ!」
という警告(見せしめ)の役割も果たして、江戸の治安維持をはかっていました
今でも品川駅の近くには「旧海岸通り」という道路がありますが、今では周辺が埋め立てられて、近くに海は見えません
品川駅の場所は、上の写真の当時から変わっていませんが、周辺が激変した訳です
上の写真の右側の海が埋め立てられて(大正~戦前)、現在の港区港南エリアが出来ました
私が現在住んでいる場所は、数十年前まで海でした
品川駅は今、高輪ゲートウェイ駅周辺(来年春に本格開業)と共に大規模工事が進められていて、大きく変貌しつつあります
(^_^;)~♪