80【ヒストリー】

「氷川清話」を読む

先日、「勝海舟記念館」を歩いたので、久しぶりに「氷川清話」を読みました

幕末明治の英雄である勝海舟が、その晩年に自らの人生を振り返って話した内容の談話録ですから、口語体で非常に読み易い

ちゃきちゃき江戸っ子言葉で、歯切れが良いが、少し話しを盛る(大げさに言う)クセがある

「氷川」というのは、晩年の海舟が住んでいた屋敷が赤坂氷川神社の近くにあったからで、現在の六本木ミッドタウンの裏あたり

昔のお屋敷街の雰囲気が現在も残っていて、私はこのあたりをよく散歩します

晩年の海舟は、この屋敷の中の自分の書斎を「海舟書屋」と呼び、ものを書いたり、人を招いて談話をしたりして過ごしていました

海舟書屋の名付け親は佐久間象山で、象山が海舟に贈った上の額にちなんでいます

象山と海舟は互いを高く評価し合い、象山は海舟の妹を妻にしている

このとき象山は41歳、海舟の妹は17歳(24歳差)

象山はかなりの変人ですが、幕末の日本では一二を争う国際事情通で、早くから開国を説いていたために攘夷派から憎まれ、最後は53歳で暗殺されてしまいました

海舟も開国派でしたから常に命を狙われていて、九死に一生を得たような話が「氷川清話」にはたくさん出てきます

海舟が77歳(満75歳)と、当時としては長寿を全う出来たのは、まさに奇跡!

晩年の海舟は、この海舟書屋から、自らを「海舟」と名乗ります(本名は、勝義邦よしくに)

海舟は若いころから非常に筆まめな人で、大量の書き物を残しており、また人を招いて談話するのも好きだったようで、海舟書屋には海舟の話を聴こうとして毎日のように客が来ていました

夏目漱石もその書斎に毎日のように門下生(芥川龍之介など)がやってきて談話に花が咲いていたようですから、政治家と文学者という違いはあるにせよ、似たような雰囲気だったのかもしれません

むやみに威張ったり、人を叱りつける人のまわりに人は集まりませんから、海舟も漱石もよくしゃべり、人の話も素直によく聴く人柄だったのでしょう

「氷川清話」は、そんな雰囲気の中での海舟の談話をまとめた本です

文庫にもなっていますが、今回は中央公論社「日本の名著」シリーズの「勝海舟」で読みましたので、その冒頭に江藤淳さんの紹介文「海舟論」もあり、これがなかなか素晴らしかった

さすが文芸評論の第一人者だけあって、非常に格調高い文章で、単なる紹介文の域をはるかに超えています

私は大学時代に一般教養で江藤淳さんの授業を選び、その中で勝海舟を知りました

江戸っ子言葉で歯切れが良かった海舟ですが、少々人を食ったような皮肉っぽい軽口も多く、そのために敵を作ることもあったようです

福沢諭吉から嫌われたのも、そのせいかもしれません

海舟が咸臨丸の艦長として米国から戻ったころ、江戸幕府の老中が

「米国が日本と異なる点は何か?」

と質問します

海舟は「同じ人間だから、さほど異なる点は無い」と答えると、老中はなおも「そんなことはあるまい」と続けるので、海舟は

「強いて言えば米国では

人の上に立つ者は皆それなりに優秀でした

こればかりは日本とは正反対でした」

と答えたので、老中は「無礼者め!」と怒った

という話が「氷川清話」の中にあります

(^_^;)~♪

勝海舟が設計した砲台

梶原台場」は、幕末の動乱期、倒幕を狙う長州藩の藩士らの上洛を防ぐために築造された砲台です

勝海舟が設計責任者で、その遺構が、大阪府高槻市内で初めて見つかりました

高槻市は今日2/28午前10時から現地説明会(上の動画)を開きました

倒幕と言うと、

勝海舟と西郷隆盛が会見

英雄同士が意気投合し

無血開城が決まって一件落着

みたいな、簡単に済んだようなイメージもありますが、その背後では勝海舟も西郷隆盛も、権謀術数の限りを尽くして着々と戦争準備を進めています

戦争(内戦)なんですから当然ですけど、両軍のトップが会って簡単に事が済むなら、世の中から戦争なんて、とっくに無くなっています

おそらく「戦争の天才」大村益次郎の立てた江戸攻略作戦が完璧すぎて、それを勝海舟ら幕軍トップがよく理解(状況判断)し、無駄な負け戦(泥沼を避けたというのが実情でしょう

武装解除の命令に反して決起した幕軍の残党(彰義隊)が、わずか数時間で壊滅したことからも、大村の立てた作戦の完璧さがうかがえます(それにしても大村は、どれほど脳が大きかったのだろう?)

これには水戸学(尊皇思想)に傾倒していた「最後の将軍」徳川慶喜の

「大君(おおきみ)に向けて弓は引けない」

という意向も反映していたはず(大君=天皇)

官軍の背後にはイギリス、幕軍の背後にはフランスがいましたから、泥沼の代理戦争に踏み込む可能性は十分にありました(アメリカは南北戦争で、それどころではなかった)

実際、徳川慶喜のお膝元の水戸藩では、天狗党などの悲劇が泥沼の様相を示しています

この理解(状況判断)が出来ずに、無謀な戦争の泥沼に踏み込む愚かなリーダーが、世界の歴史には山ほどいます

人間に闘争心や向上心がある限り、地上から戦争は無くならないと思いますが、勝てない戦争(泥沼は絶対に避けるべきです

昭和19~20年の日本も、同盟国の独伊が消えて明らかに負けが見え、降伏すべきタイミングがあったのにそれを逃し、最後の泥沼の中で多くの貴重な命が失なわれました

第二次大戦での日本人の死者数は、大まかに総計300万人と言われてますが、最後の昭和19~20年で、この半分くらいが亡くなっているのではないかな?

仮に15か月間に150万人とすると、平均で毎月10万人、毎日3000人以上が死ぬ

(死ななくても、手足を失うような大怪我をする人は、この10倍くらいか)

東日本大震災による死者は約15900人ですから、毎週これ以上の人が死ぬ状態を、1年以上も続けてしまった

イタリアとか見ていると、「負けるのが上手だなぁ」とつくづく感心します(単に弱すぎるだけかもしれないけど)

第二次大戦におけるイタリアの死者数は、大まかに30万人(日本の10分の1)

今日2/28、米国とイスラエルがイランとの戦争を始めましたが、果たして短期勝利できるのか、泥沼に踏み込むのか?

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梶原台場の記事へ

勝海舟を歩く

勝海舟

大学時代に江藤淳さんの授業「福翁自伝を読む」で、勝海舟「氷川清話」を読み、興味を引かれました

福沢諭吉(福翁)は、慶應義塾大学の創立者で、最近まで1万円札の顔だった人

勝海舟は、日本海軍の生みの親で、官軍の西郷隆盛と直談判して江戸無血開城を実現した人

この福沢と勝の関係は水と油でしたけど

どちらも超一流の人物で非常に面白い!

福沢が彼の主催していた新聞「時事新報」で

瘠我慢(やせがまん)の説

(幕府側で重要な役職にいたにもかかわらず、明治政府の要職についたのは、「武士道の精神」に反する振る舞いだ!)

として勝を批判したとき、勝は

行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候

(出処進退は自分が決める、悪口称賛は他人の主張、私には関係ない)

と答えて、まったく相手にしなかったのは有名

江戸時代の封建主義(門閥制度)を嫌い、福翁自伝の中で

「門閥制度は、親の敵(かたき)で御座る」

とまで言い、日本の近代化を推進した福沢が「武士道(主君に対する忠義)を説く」というのは、少々無理があるような気もします

理知的な福沢があえて無理な批判をした背景には、福沢が生理的に勝を嫌っていたことがありそう

二人は同じ船(咸臨丸)に乗ってアメリカへ行ったこともありますが、勝(咸臨丸の艦長)には後輩や年下を馬鹿にしてからかうクセがあったので、勝の軽口が福沢のプライドを傷つけ、根に持った可能性もあります(勝は福沢より11歳年上)

氷川清話」を読むと、ほぼ口語体で書かれており、勝の少しハッタリの効いた、歯切れが良くてズバズバ結論を言う、ちゃきちゃきした江戸っ子ぽい話し方が伝わって来ます

大阪で学問したマジメな「学者」福沢と、ちゃきちゃき江戸っ子の「政治家」勝は、気性が合わなかったのかもね

(^_^;)~♪

詳細はここをクリック

▲勝海舟のお墓の前にいたニャンコ (^_^;)~♪

独裁者のマドゥロが泣いている

先日1/6、当ブログで「ベネズエラ電撃作戦」について書きました

この事件(1/3)が起きてから約2週間が経過し、事件の背景や影響についていろいろ情報が出揃って来ましたので、少し書きます

上の動画にあるように、ベネズエラの支配者として王侯貴族のような優雅な生活を送っていた元独裁者のマドゥロ夫妻ですが、今はニューヨークの拘置所に収監中

王侯貴族からいきなり囚人に転落した訳ですから、毎日の生活の快適さは雲泥の差

余りのミジメさに「ベネズエラに帰りたいよぉ」などと訴えて、泣きながら暮らしているそうで、転落した独裁者は哀れなもんです

それでも殺されなかっただけマシで、マドゥロを警護していた親衛隊は、ほぼ全員(40人くらい)が、電撃作戦の当日1/3に死にました

マドゥロ自身も麻薬取引の罪で懲役40年くらいだそうですから、生きて再びシャバの空気を吸うことは難しいでしょう

文明国アメリカの拘置所ですから、北朝鮮や中国の強制収容所みたいな残酷な拷問や虐待はたぶん無いと思いますが、生活環境の落差が非常に大きいですから、さぞかしミジメな気分だろうとは思います

トランプ大統領がわざわざ拘置所まで面会に来て、元独裁者マドゥロを馬鹿にしまくってるという話は少々眉唾ですが、「トランプならやりかねない」という感じもします

今回の電撃作戦は「力による現状変更」であって、ロシアによるウクライナ侵略などと同列に見て、

国際法に違反する!

という非難が、日本の野党やマスコミからも出ています

形式的な法解釈からすれば、確かにその通りかもしれませんが、

国内法とは異なり、国際法には

原則として、警察のような確実な強制力が無い

という点は極めて重要であり、絶対に忘れてはいけません

ぶっちゃけて言えば(私流に意訳すれば)

国際法を破っても、どこからもおとがめが無い

国際法の歴史は、大国による「破りまくり」の歴史

極論すれば、国際法は破られるためにある

国際社会は、サバンナのような弱肉強食の世界

悔しかったら(侵略や虐殺がイヤなら)強くなれ!

または、信頼できる強者に守ってもらえ(日米安保など)

それも無理なら、弱者が集まって同盟を組め(集団防衛

ということです

これはまさに冷徹なリアリズムの世界であって、国家間の食うか食われるかという残酷な生存競争の世界です

憲法9条をお念仏のように唱えている、薄っぺらい理想主義の世界(頭の中がお花畑の世界)とは正反対

少しでも油断すれば(防衛努力を怠れば)、ウクライナのように領土を侵略されて国民を大量に虐殺されたり、ベネズエラのように国家元首を拉致されたりします

戦争に対する完全な準備を

整えた国民だけが平和を享受できる

という言葉を想い出します

実は北朝鮮に対しても、米軍が独裁者を電撃作戦で拉致(または殺害)しようとする作戦が、過去に何度も計画されていたという説がありますが、実現には至っていません

その理由には、作戦成功見通しの低さと共に、北朝鮮の現体制を維持しておいた方が(泳がせておいた方が)、周辺の大国にとって都合が良いという地政学的な要因もあったと思われます

まさに、冷徹なリアリズムの世界です

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ベネズエラ電撃作戦へ

苗場プリンスホテル

最近はYoutube(特にネコ動画)を観るのが趣味のようになっています

上の動画は、苗場プリンスホテル

バブルのころは一世を風靡した、あの苗場国際スキー場がメインの巨大かつ豪華なリゾートホテルです

かつてのバブリーな若者スキー文化も「風と共に去り」まして、今はスキーもできる静かな温泉リゾートホテルになってるようですね

以前、太田くんを囲む会の温泉合宿で行ったなぁ、なぁーんて思って動画を観ていたら、何だか記憶と違う

よく考えたら、温泉合宿したのは越後湯沢だったと気付きました

しかもプリンスホテルじゃなくてニューオータニで

昔の記憶がだんだんボケて来ているのを感じます (T_T)

▼これまでの温泉合宿で行った場所

太田くんを囲む会 創立45年以上に及ぶ 輝かしい伝統! (^_^;)

1980年08月 登山合宿 上高地キャンプ場

このころほぼ毎年、新年会か忘年会をやっていたはずですが、記録が無くなっていてよく分からないのです (T_T)

1992年01月 新年会 会場不明

1993年01月 新年会 会場不明 しゃぶしゃぶ

1995年01月 新年会 渋谷 華月楼 9人

1996年01月 新年会 渋谷 十二庵 13人 ←人数最大かも (^_^;)

1997年01月 新年会 横浜 燿来酒家 12人

2002年12月 忘年会 新宿 東京大飯店 7人

2004年12月 新年会 新宿 高田屋 7人

2006年01月 新年会 新宿「喬の倉」→豊島園「庭の湯」

2007年01月 温泉新年会 豊島園「庭の湯」
2007年03月 飲み会 新宿 会場不明
2007年08月 納涼会 西武新宿 世界の山ちゃん
2007年12月 温泉忘年会 六本木ザブー

2008年09月 納涼会 新宿 会場不明

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▲2008年12月 第1回 箱根 「ペンションおかだ」

この頃から、温泉合宿が始まった

2008年12月 第1回 箱根 「ペンションおかだ」

2009年12月 2 箱根 レイクホテル

2010年09月 3 熱海 四季ホテルうたゆの宿

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2011年01月 4 石和 ホテル慶山

2011年10月 5 箱根 伊東園ホテル

2012年03月 6 鬼怒川 プラザホテル

2012年09月 7 別所 上松屋旅館

2013年03月 8 修善寺 ホテル滝亭

2013年09月 9 越後湯沢 ニューオータニ

2014年10月 10 東山(会津若松) 「向瀧」

2015年04月 11 宝川(水上) 「汪泉閣」

2015年10月 12 館山 「ホテル川端」

2016年12月 13 舘山寺 「ウェルシーズン浜名湖」

2017年05月 14 伊香保 「凌雲閣」

2017年12月 第15回 喜連川 「かんぽの宿」

2019年01月 第16回 鶴巻温泉 「大和旅館」 日帰りランチ会

一時は年2回のペースだった温泉合宿ですが、最近はコロナの影響などもあって、合宿をやめてランチ会になりつつあります

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バブル時代も40年くらい昔になり、体感として知っている人はすでに高齢者

あのころ冬になったらスキー場へ出かけるのが若者文化で、「私をスキーに連れてって」などというバブリーな映画も作られました

撮影場所は苗場かな?と思ったら、志賀高原プリンスホテル

プリンスホテルと言えば西武グループで、私も朝散歩では高プリ日本庭園をよく利用させてもらってます(無料だしね)

とにかく巨大資本でデカいホテルを作るのが西武流で、日本全国にプリンスホテル網を作り上げた訳ですが、やや大作りでラフな印象も受けます

上の動画にも出て来ますが、苗場プリンスホテルは最初わずか28室、需要の伸びに合わせて増築を繰り返したようで、そこには経営者の慎重さも感じます

経営者の仕事で最も重要かつ難しいのが需要予測で、これを間違えると企業は倒産します

その総帥が、西武グループ二代目御曹司の堤義明で、いま調べたら91歳でご存命

御曹司(プリンス)が創ったホテルだから、「プリンスホテル」なのかな?

バブルの頃は世界長者番付でトップになったこともあり、まさに隔世の感があります

あのころ「山手線内側の土地を全部売れば、アメリカ全土が買える」などと言われてた(価格固定の思考実験で、本当だったのかどうか知らんけど)

この堤義明の異母弟が、西武セゾングループ総帥だった堤清二で、渋谷公園通りPARCOを中心に、今に続く渋谷の若者文化を創った

この兄弟の父親が堤康次郎で、これも日本の現代史で特筆すべきスゴい人物なんだけど、書き始めたら終わらなくなりそうなので今日はやめときます

堤義明が正妻の子でスポーツマン、堤清二がお妾さんの子で超インテリ(小説家でもあって、ペンネームは「辻井喬」)なので、余り仲は良くなかったらしい

彼の著作リストを見ると、経営者をしながら、よくもこんなに書けたもんだ!と感心します

体育会系の兄と、サブカル同好会系の弟

兄は弟ほどインテリではない、弟は妾の子で父親とソリが合わないという、それぞれコンプレックスを抱えていて、それがライバル意識と活動の原動力になったのかもしれません

親が作った西武グループを、兄は鉄道事業(本流)、弟は流通事業(傍流)を引き受けて、それぞれ現代史を彩る若者スポーツ文化とサブカル文化に大発展させたんですから大したもんです

(^_^;)~♪

訃報 不破哲三

新宿高校(旧制府立六中)のOBで、共産党の委員長や議長を務めた不破哲三が、今日95歳で亡くなりました

本名は上田建二郎で、「不破哲三」はペンネーム

1930年東京生まれ、旧制東京府立六中(現・東京都立新宿高校)、第一高等学校を経て、東大理学部物理学科を卒業

1970年、40歳で日本共産党の書記局長に就任し 当時マスコミから「共産党のプリンス」と呼ばれた

新宿高校の先生の誰かから聞いた話ですけど、不破哲三の兄の上田耕一郎が新宿高校時代に成績の歴代新記録を作り、さらに数年後に弟の不破哲三が記録を塗り替えたという超秀才兄弟

今では「共産党と言えば後期高齢者」と言われるほど、若い世代からまったく人気の無い共産党ですが、不破哲三が活躍した頃は、天下の秀才たちが共産党に流れ込んでいたようです

下の動画は、10年くらい前のテレビ番組、2本目の終わり方がちょっと変ですね

 

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追伸 ちなみに私は不破哲三を、右の「目次 詳細ジャンル別」の中で

13【新宿高校OB:暴力団等】

に分類していますが、あともう一人

高橋岩太郎 暴力団組長 享年90

がいまして、意外と暴力系団体の人は長生き?

暴力団対策法に基づき、暴力的な手段で組織的活動を行う団体として、以下のような団体が指定されています

六代目山口組 神戸山口組 住吉会 稲川会

破壊活動防止法に基づき、公共の安全を確保するために、以下のような団体が調査対象に指定されています

日本共産党 暴力主義的な体制破壊活動を行った疑いがある

オウム真理教 地下鉄サリン事件などの大量虐殺事件を起こした疑いがある

朝鮮総連 日本人拉致事件など反日的な破壊活動を行った疑いがある

(^_^;)~♪

東洋英和女学院

▲六本木の鳥居坂通り 右が東洋英和

ネットニュースを見ていたら、東洋英和の中3・高1が夏休みカナダ研修という記事がありました

旅行費用の国内外価格差が減少(逆転)して、海外修学旅行が流行した時期がありましたが、最近は円安で騒がれなくなったけど、さすがお嬢さまの通う東洋英和は続けてますね(研修だから修学旅行とは少し違うのかな?)

東洋英和女学院は、大学は横浜にありますけど、幼稚園から高校までは六本木にあります

都内では新宿歌舞伎町と並ぶ「危険エリア」六本木ですから、こんなところへ子供を通わせて大丈夫なのかな?という気もしますが、子供の事故とか事件の話は余り聞かないですね

六本木の街を歩いていると、ランドセルを背負った子供とか制服を着た女子中高生などをよく見かけるのですが、その多くは東洋英和の生徒さんたちだと思います

六本木という場所柄、オシャレな制服を想像しますが、意外と普通ですね

私は以前、六本木駅の近くに30年くらい住んでいたので、東洋英和のある鳥居坂通りは、朝散歩などでよく歩きました

外苑東通りの猥雑な飲食風俗街から一本横道に入っただけなのですが、鳥居坂通りは静かな落ち着いた通りで、散歩道には最適でした

新宿歌舞伎町は広大な繁華街ですが、六本木の繁華街はそれに比べるとごく狭く、ちょっと横道に入ると落ち着いた麻布の住宅街です

六本木には、かつて陸軍歩兵連隊(聯隊)があって、二・二六事件の時はここから反乱軍の将兵が出撃して皇居方面へ向かいました

戦後は陸軍の敷地だった場所に米軍が駐留し、一気に横須賀みたいな米軍の街となり、流行や風俗の最先端を走ることになる

野地さんの本で有名なイタリアン「キャンティ」などのオシャレなお店に、三島由紀夫とか当時のインテリ文化人も集まるようになった

今年は三島由紀夫の生誕100年です

彼の早逝は誠に痛恨事でしたが、そのおかげで記憶の中の三島は常に若々しい

米軍が去って自衛隊の駐屯地となり、さらに自衛隊も去って、それが現在のミッドタウン

六本木は、日本の近現代史の縮図のような街です

(^_^;)~♪

加藤和彦安井かずみも、鳥居坂の近くに住んでましたね

おフランスの議会で雨漏り

おフランスの議会で雨漏りです

パリは19世紀半ばにオスマン知事のパリ改造計画が進められました

それまでのパリは、汚くて不潔な街だった

そのころ出来た建物は、すでに2世紀近くが経過して古びてきています

おフランスは伝統を重んずる国なので、古い建物ほど価値があるとされていますが、雨漏りとか機能的にいろいろ問題が起きることが多い

ホテル・クリヨン

以前にパリを旅して、ホテル・クリヨンという、かなり高級なホテルに泊まったことがあります

おフランス語だと、オテル・ドゥ・クリヨン(Hôtel de Crillon)

あのころの、しかも一番安い部屋で、1泊4万円以上

最近のインバウンド相場の東京や京都なら、1泊4万円なんて大したことないですけど、30年くらい前ですから、今なら1ケタ上かな?

予約も「一見さんお断り」みたいな感じで、紹介状が必要

ここを定宿にしてるような、おフランスの上流階級に知り合いは居ませんので、仕方なく前日に泊まっていたパリ日航ホテル(ニッコードパリ、今はもう無い)のコンシェルジュに頼んで、紹介状を書いてもらいました

でも中に入ってビックリ

内装はかなり古びていて、床なんか歩くとギシギシ!

それもそのはず、このホテルの建造は1758年(267年前)ですから、あのおフランス革命(1789年)よりもずっと前

日本だと江戸中期、9代将軍徳川家重の時代

「革命広場」と呼ばれたコンコルド広場に面していますから、革命の直後は毎日のように、窓からギロチン処刑が見えたはず

この場所で1343人がギロチン処刑された、まさに恐怖政治の時代

▲コンコルド広場の場所

▲ギロチン処刑

上の絵は処刑場だったコンコルド広場で、言葉は悪いが、ギロチン処刑は「民衆の娯楽」だった

おフランス国王ルイ16世の処刑場面で、処刑直後の彼の首を民衆に見せている

たぶん観衆から「革命バンザイ!」とか歓声が上がったのだろう

絵の左奥は、たぶんホテル・クリヨン(当時は王室別邸)

これに少し遅れて、たぶんこの場所で、王妃マリー・アントワネットも37歳で処刑された

飢えた民衆に向かって「パンが無ければ、ケーキを食べればいいじゃない」と言ったとされている、あの人です(本当は言ってないらしいけど、いかにも言いそうな人なんだよね)

今の日本なら「コメが無ければ、・・・」で、誰か名言を残してくれないかなぁ

▲フランス国歌は「革命バンザイ!」の歌です

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ホテルの建物は古いけど客層は別格で、いかにも「おフランスの貴族」といった感じの貴婦人がロビーにいたりして、私にとっては普段なかなか味わえない「異次元空間」でした

ホテルの格というものは、設備ではなく客層なんだなぁと感じました

まあ、これを感じるだけならロビーでいい訳で、泊まる必要はないです

ただ、私がいま横になっているこのベッドに、フランス革命の前には、王宮に招かれたおフランスの貴族が寝ていたのかもしれないと思うと、不思議な感情移入が可能です

私は旅するとき、昼間は「歩くの大好き」で、一日中ひたすら歩きまわるので、「ホテルは寝るだけの場所」と割り切って、ふだんは安宿に泊まることが多い

よく行くタイのバンコクやパタヤでは、1泊2000円くらいのホテルが普通です(今は円安で、もう少し高いかも)

でもこのときはパリに半月くらいいて、「1泊くらい高いホテルに泊まってみよう!」みたいなノリでしたね

(^_^;)~♪

窮状のハメネイ

▲ハメネイ(86)

イスラエル軍の攻撃で最側近まで失い孤立するなか、窮地のイラン最高指導者ハメネイ(86)は6/18、イラン国営テレビを通じ

「脅しには屈しない」

「米軍介入は取り返しのつかない被害を(米側に)もたらす」

と述べ、イラン国民に抵抗を呼びかけた

とのことですが、世界でも最高水準の兵器を持つイスラエル軍に対して、現状大ざっぱに言ってイラン側の被害はイスラエル側の10倍以上で、圧倒的にイラン側が不利

イランの人口(約8600万人)はイスラエルの9倍ですが、現代戦は頭数(あたまかず)よりも兵器の性能がものを言う世界

イランが数百発のミサイルを発射しても、イスラエルの防空システム「アイアンドーム」に阻まれて、わずか数発が着弾する程度

最新鋭の戦車部隊に向かって、騎馬隊が突撃しているような時代錯誤感を覚えます

イランはすでに自国の制空権を失っており、これからイスラエルやアメリカはイラン上空に大型爆撃機を飛ばして、大量の爆弾の雨を降らせることも出来る

戦争は通常、次の3段階で進む(核兵器を使わない場合)

1)の攻撃:ミサイルを飛ばして敵の重要拠点(司令部、基地、弾薬庫など)を破壊。見た目が派手なので敵国民への心理的効果はあるが、ミサイル1発でビル1棟を破壊するのがやっとだから、「戦争のコスパ」が悪い。ミサイルは非常に高価なので、大量破壊には向かないが、ドローンの登場でこの「コスパ」も変化しつつある。この段階で戦争の勝敗が決することは少ない。イラン戦争は現状この段階だが、勝敗を決するため次の段階へ移りつつある

2)の攻撃:制空権を奪い、大型爆撃機の飛行コース(線)に爆弾の雨を降らせる。敵国の経済力(工業生産力)や電気水道などの生活インフラを破壊する。第二次大戦で日本は、この段階(B29の空襲)で戦闘力をほとんど奪われ、原爆でトドメを刺された。原爆が無ければ、次の段階(敵前上陸)へ進んだかもしれない

3)の攻撃:敵が陸で国境を接する隣国の場合、陸上部隊(陸軍)が侵攻して、敵の領土を実効支配する。この段階に入ると、最前線では戦死者が急増する。ガザ戦争は現状この段階。ウクライナ戦争は最初からこの段階だが、互いに制空権が奪えず、戦力が拮抗して膠着状態(塹壕戦)になっており、毎日数百人が戦死している。敵が日本や英国、台湾などのような島国だと、敵前上陸が必要になるので、軍事力によほどの差が無いと難しい

上記の3段階はあくまでも原則論で、「兵は詭道なり」(孫子)だから、この原則を踏まえつつ、いかに敵をダマすか(計略)が重要

イラン(ハメネイ)は、まだ口先では威勢がいいけど、追い詰められて、裏ではアメリカに停戦の仲裁を頼んでいるとの情報もある

これが事実なら、味方のはずのロシアや中国ではなく、敵側のアメリカに頼るところに、ハメネイの追い詰められた苦境が感じられる(ロシアや中国は、頼りにならないということか?)

トランプは

「今さら遅い」 「無条件降伏あるのみ!」

「場合によっては、米軍もイランを攻撃する」

「ハメネイなんぞ、いつでも殺せるが、とりあえずまだ生かしといてやる」

と応じて歯牙にもかけない

国際社会はアフリカのサバンナのような弱肉強食の残酷な世界であることを、マザマザと見せつけてくれてます

日本では今でも泡沫政党の政治家が、「ミサイルよりコメを!」とか、トコトン平和ボケした牧歌的お笑い発言してますけどね

ハメネイが86歳、トランプが79歳、どっちもいい年で、頑固になりがち

イランはイスラム教原理主義の国で、イスラエルは強烈なユダヤ教の本家本元

アメリカも清教徒(ピューリタン)が創った国ですから、もともとキリスト教原理主義の傾向が強い

ガチガチ一神教原理主義の対立ですから、どっちも「我こそは正義!」「神に守られている」と固く信じてるので、妥協の余地は乏しい

ハメネイの言う「取り返しのつかない被害」とは何だろうか?

(たぶん、口先だけの脅し(強がり)だとは思うけどね)

ロシアや北朝鮮あたりからイランに流入した核爆弾を、輸送用コンテナに隠してイスラエルやアメリカの港に運び込み、爆発させるのが最も危険なシナリオだと思う

そこまでやれば第三次世界大戦(全面核戦争)のリスクが高まり、人類滅亡の危機だ

日米欧などの先進文明国連合(G7)に対して、何かと反抗している中露北朝鮮にとって、重要な仲間であるイランがツブレるのは避けたいハズだが、核爆弾まで渡すのは危険すぎるように思える

さりとて通常兵器の援助でイランが劣勢を挽回するのは無理だろう

イランがホルムズ海峡を閉鎖するという可能性は、昔から言われてきていて、重要な原油輸送ルートだから日本への影響も大きいのだが、完全に世界を敵に回すことになるし、原油大量輸入国で親イランの中国にも大きな痛手になる

イラン自身も原油輸出による外貨収入が激減する

もし本当にイランが機雷をばらまいてホルムズ海峡を閉鎖したら、世界最高水準の掃海(機雷除去)技術を持つ海上自衛隊の出番もあるかもしれない

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▲ホルムズ海峡、波高し

日本人のクルマのガソリンは、ここを通って来ている