80【ヒストリー】

荒川治水資料館と赤羽せんべろ街を歩く

東京(江戸)では、1600年に徳川家康が来てから400年以上、ずっと大規模な建設工事が続いています

東京の下町は標高が低く、台風や大雨による水害に弱い

1910年(明治43年)の関東大洪水では、死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸という被害が出ました

そこで始まったのが荒川の治水で、名前の通り「荒れる川」でした

それまで荒川の下流が都心を流れる隅田川だったのですが、途中から新しい人工の川(荒川放水路)をつくり、大水のときは隅田川へ流れる水を減らして都心の洪水を防ごうというプランです

パナマ運河の掘削工事に参加して最先端の掘削技術を身に付けたエンジニア青山士(あきら)が先頭に立ち、1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)まで、17年間の大工事

まだパワーショベルのような重機も無い時代で、ほとんどは人力による苦難の工事、まさに感動ものです

隅田川へ流れる水をせき止める役目を果たすのが、今回見学した岩淵水門

上の写真は旧水門(赤水門)で、今は二代目の新水門(青水門)になっている

岩淵水門のすぐ近くに荒川治水資料館があり、「荒れる川」を治水した苦難の歴史を記録しています

資料館と水門を歩いたあと、近くの赤羽駅へ移動して、有名な「赤羽せんべろ街」を歩きました

熊さんからLINEで感想があり、下のMAPをいただきました

熊さん、ありがとー

(^_^;)~♪

当日の写真(396枚)へ

せんべろ街の写真だけ(最後の96枚)

靖国神社を歩く

▲台湾から来た靖国参拝団?

終戦の日である今日8/15、九段の靖国神社を歩きました(11時半~12時半くらい)

靖国神社は何度も来たことがありますが、8/15は初めて

もっと混んで騒然としているのかと思っていましたが、意外と空いていて静か

(^_^;)~♪

当日の写真へ

東洋英和元学院長の不正事件

六本木の東洋英和女学院の元学院長、深井智朗氏が、論文でねつ造(不正引用)をしたという事件が再び話題になっています

昨日8/3、深井智朗氏の著書「十九世紀のドイツ・プロテスタンティズム――ヴィルヘルム帝政期における神学の社会的機能についての研究」を絶版にし回収すると、出版元の教文館が発表しました

まあ、キリスト教徒でもない普通の日本人から見たら、どうでもいいようなテーマの本かもしれません

しかし、そこらの書店で売ってる著書まで絶版回収になるというのは、かなり珍しい事件なので、世間の話題になっています

深井智朗氏は、論文ねつ造(不正引用)発覚を受けて、すでに2019年5月に東洋英和女学院を懲戒解雇となっていましたから、事件としてはかなり前の話なんです

それが、ねつ造論文7本が数日前7/31に追加認定されたので、今回の著書絶版回収にまで至ったようです

科学技術系の学問ですと、学者の主張(論文)の正しさは、事実(実験や観察)によって確認されます

論文の主張する実験結果などが、他の学者の追加検証で確認されて初めて、科学論文としての正しさが広く認められます

以前問題になった小保方晴子氏によるSTAP細胞に関する研究は、この追加検証(再現)が出来なかったために、不正研究扱いになりました

それに比べると人文系の研究では、事実(実験や観察)による追加検証が出来ない場合がほとんどなので、論拠として過去論文の引用が頼りになる場合が多い

その論拠論文を間違って引用(誤読)していたりすると、他の学者から厳しい批判を浴びます

それでも人間ですから、勘違いやうっかりミスで誤読することもあるので、単なる間違いなら恥をかいて済むのですが、今回の深井智朗氏は、明らかに意図的に繰り返し、論文ねつ造(不正引用)をしていたようなので、その悪質性が糾弾されています

一般に学者とか医者、法律家、芸術家など狭い専門家の世界というのは、世間のシロウトからはうかがい知れない世界が多い

その狭い中で、専門家同士の激しい勢力争いのようなものが起きると、世間の監視が少ない分だけ、ドロドロ怨念の世界になりやすい

このあたり、松本清張なんかが推理小説の中でよく扱っているテーマで、ドロドロ怨念の果てに殺人事件が起きたりします

この事件でも、事件そのものは7年以上も前に起きて、本人は大学を懲戒解雇になってるのに、世間のホトボリが冷めた今頃になって再び、ねつ造論文7本を追加認定して蒸し返している

首つりした死体の足を引っ張ってるような、何やら「怨念」めいたものを感じます

((((;゚д゚))))

 

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「不正ねつ造」で思い出すのが、26年前に起きた不正発掘事件

日本の縄文時代の前には、まだ土器を知らない時代(旧石器時代)があり、数十万年前からおよそ1万年前までの長い長い期間です

かつて「縄文以前の日本列島に人類はいなかった」(日本列島に旧石器時代は無い)と言われていました

それが、1946年(昭和21年)に相沢忠洋氏によって群馬県の岩宿で、縄文時代より古い時代の石器が発掘され、やがて

日本にも縄文以前の時代(旧石器時代)があった!

ことが明らかになり、日本の古代史が塗り変わりました

これが「岩宿の発見」と呼ばれている、日本の考古学における有名な事件です

当時の相沢氏は20歳で、戦後間もない混乱の時代に、納豆などの行商をしながら独学で考古学の研究を行っていたという、逆境にもめげず向学心に燃えていた青年

相沢氏の歴史的な発見が、当時の学会や世の中に正しく評価されるまでには紆余曲折があり、なかなかドラマチックです

それ以来、旧石器時代の地層からは次々に石器が掘り出されて、それが当時の日本人の生活を知る貴重な材料になるので、発掘現場では考古学者が必死になって旧石器を探します

そんな中に「神の手」と呼ばれるシロウト考古学研究家、藤村新一がいて、彼が発掘現場に来ると、驚くような旧石器の発掘が続いていました

多くの古代史学者が彼の発掘業績をたたえ、その発掘事実に基づいて論文や著書を発表していました

私は当時(30年くらい前)、松本清張の影響で日本の古代史に興味を持ち、そんな古代史本を何冊も読んでいました

そこで起きたのが、2000年11月の、有名な旧石器発掘ねつ造事件

発掘現場を取材していた新聞記者が、藤村新一が深夜密かに石器を埋めている現場を発見し、それを写真や動画で記録したのです

藤村新一は、別なところで発掘された石器を用意し、深夜密かに自分で発掘現場に埋め、翌日にそれを掘り出していたのです(完全なマッチポンプ)

これが新聞報道されると、当然ですが、当時の日本古代史学会や考古学学会は大騒ぎになりました

それまでの旧石器時代に関する日本古代史の多くが真っ赤なウソだったとバレて、高校の日本史教科書を書き直す事態にまで至ります

古代史学や考古学に対する信頼は地に堕ち、海外の歴史学会からは「日本の歴史学は信用できない」などと言われる始末

「神の手」による犯罪ということで、「ゴッドハンド事件」と呼ばれています

主犯の「神の手」藤村新一は、考古学の世界から完全追放されましたが、彼の発掘を元に論文や著書を書いていた古代史学者たちはどうなったのか?

事件のあと明らかになったのですが、シロウト考古学研究家である藤村新一の発掘には、いかにもシロウトっぽい多くの不自然な点がありました

そこで、専門の古代史学者なら当然、発掘の不正に気付いていたはずだ!という疑惑が生じます

不正に気付きながらも、自分の論文作成に便利なので、藤村新一を利用し続けていたのではないか?、ひょっとしたら最初から藤村新一とグルだったのではないか?、という根深い疑惑です

しかし彼らは結局、全ての責任を藤村新一ひとりに押しつけ、自分の論文や著書の該当部分だけ修正した改訂版を出し、そのまま何食わぬ顔で(被害者ヅラして)、歴史学者として大学に居座り続けました

真相は闇の中ですが、何とも後味の悪い話です

私の手元にはそんな古代史学者の書いた、改訂前(事件発覚前)の著書と、該当部分を書き換えた改訂版の、まったく同じ書名の2冊の本があります

(;´Д`) ヒドイナー

 

映画「大番」

昨日8/1、暑いのでエアコン部屋に引きこもって、

映画「大番」全4部作

一気に鑑賞しました

1青春編 2時間  2風雲編 2時間

3怒涛編 1時間50分  4完結編 1時間45分

合計7時間半、まったく退屈させない面白さ、特に青春編がいい!

成り上がりサクセスストーリーの名作映画

獅子文六の原作小説は、1956年から1958年まで『週刊朝日』で連載

昭和の日本橋、兜町(かぶとちょう)、現在の証券会社がまだ「株屋」と呼ばれていたころ、株取引が電子化される前の、まだ「場立ち」がいたころのお話です

魚とか野菜の卸売市場で今でもやってる「せり」を、株の世界でもやっていた

江戸時代の大阪堂島コメ取引所では、世界で最初の先物取引(デリバティブ)を行っていたほど、江戸時代の日本の一部では、すでに資本主義経済が高度に発達していた

それで、明治維新以降の産業革命がスムーズに進みました

多くの宗教が労働よりも信仰を優先している中で、「働くことは善」という社会的価値観が確立していたのは、地球上では西欧プロテスタンティズム(カルヴァニズム)と日本の江戸時代の価値観だけのようです

これは現在の先進国とほぼ一致しています

イスラム教では、労働よりも「お祈り」が優先ですから、日本に働きに来ているムスリムたちも、仕事時間中だろうが何だろうが、メッカに向かって毎日5回の礼拝を欠かしません

これでは心の平安は得られても、資本主義の競争経済の中では決定的にマイナス

実は現在でも、地球上の人類の多くは、「労働は悪」とまでは言わないまでも、

労働(仕事)は、信仰(宗教)よりも、ずっと価値の低いもの

という価値観の世界に生きています

昭和前半の日本は、今よりずっと厳しい格差社会だった訳ですが、本作ではそれをリアルにしかも明るく描いています

青春編で主人公の子供の頃の生活は、明るい雰囲気ながらも極貧の極みで、コメの飯が食えず、毎日イモを煮て食っていたような世界

戦前の日本の田舎は、ほとんど江戸時代!

若衆宿とか夜這いとか、今は消えた江戸時代の古き良き風習がリアルに登場する

そんな中で育った素朴な主人公が、18歳で東京に出て来て何も知らずに「株屋」に仕事を見つけ、雑用係の丁稚奉公(でっちぼうこう)からスタート

持ち前の明るい性格と必死の努力で成功の階段を駆け上がり、後半は森繁の社長シリーズみたいになって、豪邸を立てたりゴルフ場を開発したり

かつて「貧乏人の小せがれ」などと馬鹿にしていた村の有力者たちが、急に態度を変えて主人公を「名士」扱いし始める

まさに「故郷に錦を飾る」なんですけど、これが明治から昭和にかけての東京における、地方出身者(田舎者)の大きな目標であり、モチベーション(「今に見ていろ!」という雑草バイタリティ)になっていたのだろうと思われます

現在の日本ではそんな活力は徐々に失われ、日本経済は長期停滞

平等とか福祉とかって悪いものではありませんが、人間を弱体化させるという負の側面があることは間違いなさそう

主役の加藤大介は、脇役なのに存在感があるなぁと昔から思っていたんですが、やっぱり堂々と主役を張れる大スターだったんですね

元歌舞伎役者 女優澤村貞子の弟

本当は歌舞伎の家系で、エートコのボンボンなんですけど、「貧乏人の小せがれ」を見事に演じている

黒沢映画の常連で、「七人の侍」にも出演、強烈な個性と演技力がある

1911年生まれで、本作撮影の1956年ころには45歳だから、主人公の若いころ(10~20代)の場面では少し無理がありますね

酒を飲む場面が多いが、本人は下戸、でも本当に大酒飲みっぽい演技をしている

この映画を見ていると、人間という生き物の持つ柔軟性(環境適応性)というのは、底知れぬものがあるなぁと感じます

相手役の淡島千景が、若くてキレイで超カワイイ

本作撮影は私が生まれた頃で、彼女は私より32歳も年上ですから、私が子供のころ彼女はすでに女優の盛りを過ぎていました

本作は彼女の最盛期の映画で、当然ですけど女優の最盛期というのは素晴らしいものです

宝塚出身で、演技力も素晴らしく、令嬢役の原節子よりずっといい

撮影時32歳くらいで、映画の中では23歳くらいからの役を演じてますが、加藤大介(45歳が10~20代を演じる)のような無理感は無い

永井荷風の愛人「おうた」さんもそうなんだけど、金持ちの男と付き合う女性はたいてい、「お店を出したい」とか何とか言って男に出資を募るようです(今でもそうかな?)

主人公が株の世界で激しく戦っている背後では、彼を取り巻く女性たちが激しい「女の戦い」を繰り広げる

仲代達矢が脇役で出ていて、まだ若かったころとはいえ、脇役にはもったいないほどの存在感。ややミスキャストの感アリ

いろいろあって、最後に再起を目指すところは、「風と共に去りぬ」の最後みたい

私は昭和史について、2・26事件とか真珠湾攻撃とかの、表面的な政治史の背後にある、庶民の生活史に興味があります

それで、永井荷風「断腸亭日乗」や、林芙美子「放浪記」を通じて、庶民の昭和生活史のリアルな姿を感じ取ってきたのですが、この映画もその一翼を担ってくれそうです

なお、当ブログ記事をご覧になって、映画「大番」を観たいと感じたらご連絡ください。映画「大番」のmp4動画ファイル(全4本)を提供します。白黒ですけど、画質はそんなに悪くない

(^_^;)~♪

横浜駅西口の歴史とムービル

一昨日7/9に、ハマ研(第3回)で、横浜駅西口と海老名を歩きました

そのとき案内役をしてくれた中学友人Uちゃんから今日、上の動画を教えてもらいました

Uちゃんは、かつて相鉄(相模鉄道)に在席していたので、このあたりの「鉄道と街の歴史」にスゴく詳しい

いま横浜駅西口に立つと、「こっちが横浜駅の表玄関か?」と錯覚しますが、実は西口は長らく「横浜駅の裏側」で、それを再開発したのが相鉄

ムービル(ムービービルの略?)は、横浜駅西口の繁華街にあって、映画館やライブハウスが入ったアミューズメントビル

新宿で言えばコマ劇場みたいなランドマーク的存在かな?

ムービルも建設から40年近くが経過し、一昨日7/9の散策では、やや衰退の気配も感じられて、「廃墟好き」の私の心はトキメキました

ムービルは、来年解体されて、数年後には新しいムービルが建つそうです

さらにその先には、横浜ジョイナスや高島屋の大規模再開発も続くようで、「日本のサグラダファミリア」と呼ばれている「永久に完成しない駅」横浜駅らしい

さすが幕末の開港以来150年、常に新陳代謝と発展を続けている横浜です

(^_^;)~♪

江戸東京博物館ちゃんこ会

サンマル会で、相撲博物館と江戸東京博物館を見学しました

特に数年間掛けてリニューアルした江戸東京博物館の展示は素晴らしい!

その前後に、両国回向院を歩き、ちゃんこランチも味わって、充実した一日でした

平日の昼間ですから、インバウンド外国人と高齢者が多いのはもちろんですが、小学生くらいの子供がいっぱいで、かなり混んでました

すでに遠足の定番になってるのかもしれません

ちなみに今日はシルバーデーで、65歳以上は常設展への入場が無料!

(^_^;)~♪

▲ちゃんこランチ

▲吉良邸前 山潤さん撮影

当日の写真へ(278枚)

日本橋を歩く

両国駅周辺でサンマルク会があったので、その直前に、東京駅から両国駅まで歩きました

日本一高い「トーチタワー」建設現場、さらにもうすぐ撤去される日本橋の上の高速道路も見ました

(^_^;)~♪

当日の写真へ(140枚)

湘南×宇宙

なんかまだよく分からないけど、「湘南×宇宙」が動き出してるみたい

私は最近、中学友人Uちゃんと一緒に、横浜の歴史を歩く会「ハマ研」を始めたんですけど、特に「みなとみらい」エリアを歩いていると、未来都市にいる気分になります

実は横浜ってここ150年くらい

常に日本の「未来都市」だった

日本最大の「巨大都市・東京(江戸)」のすぐ近くに出来た、「実験都市・横浜」

幕末でも歩いて1日ですから、そんなに遠くない

明治になり日本最初の鉄道ができると、1時間で行ける「すぐそこにある未来」になって、当時も今も先進的な人々を引きつけてきた街、それが横浜

その延長線上にある湘南は、常に日本の流行の最先端でした

そんな湘南に「湘南スペースパーク」というのができるらしい

宇宙ビジネスと言うと、イーロン・マスクとか、日本ならホリエモンとか、ベンチャー系の印象が強いですけど、いよいよ日本の大企業や行政、大学などが本腰を入れて取り組み始めたのかな?

昔から日本人には、集団の意思決定に時間がかかるので動き出すのは遅いけど、いったん動き出すと非常に速くて、先行者をあっという間に抜き去るという評価がありました

バブル崩壊以降、たまたま日本社会の急激な高齢化にぶつかったこともあり、経済の低成長や円安が続いてますけど、そろそろ日本の底力を発揮して欲しいなぁ

(^_^;)~♪

神奈川宇宙サミット2026 湘南スペースパーク構想

横浜を歩く(ハマ研) 「横浜」をつくった男

動画をスマホで観るときは、スマホを横にしてご覧ください

牛丼「すき家」の壁の絵

前記事(同窓会誌「朝陽」来ましたね)で、牛丼「すき家」の創業者である小川賢太郞さん(新宿高校19回生)に触れましたので、そのつづきを書きます

上の絵は、牛丼「すき家」のお店の壁に大きく描かれています

私は「すき家」の牛丼がダイスキなので、この絵は前からよく見ておなじみなのですが、先日の

ハマ研(横浜を研究する会)

で、実際に横浜の街を歩いて

上の絵で人々が立っている場所は「象の鼻」だ!

ということに気付きました

それで当時の絵を探したら、ありました!

もう、そのものズバリ、牛丼「すき家」の店内壁画は、この絵を元にしてるのは間違いなさそうです

遠くに高台(港の見える丘公園のあたり)があって、右に海岸通り、これは現在の山下公園のあたりでしょう

となると上の絵で人々が立っている場所は、「象の鼻」以外あり得ない!

▲開港当時の「象の鼻」

▲現在の「象の鼻」

ではなぜ、牛丼「すき家」の店内には、開港当時の横浜の絵を飾っているのか?

牛丼「すき家」の創業者である小川賢太郞さん(新宿高校19回生)は、石川県の出身ですが、「すき家」の第1号店は、生麦駅の近くだった

生麦駅は、川崎と横浜の中間にありますから、横浜に縁が深い

そしてここから先は、まだ十分な事実確認をしていないので、私の推理になります

若いころの小川賢太郞さんは共産主義にハマっていたので、20歳代のほとんどを

港湾肉体労働者(沖仲仕)の組織化(オルグ)

に費やしています

いまでは想像することも難しいのですが、当時(1968年ころ)は、優秀な学生が全共闘運動に参加して革命を夢見るのは「当然」のことでした

1968年、小川賢太郞さんは20歳

日本が高度成長で、どんどん豊かになっていった時代

1969年にはアポロ11号が月面着陸、1970年には前回の大阪万博があったりして、お祭り気分もあった

でもまだ日本には、多くの貧困が残っていた

小川賢太郞さんは、共産主義に見切りをつけて実業家になってからも、社会における「貧困の解決」を自分の人生テーマにしていたようです

▲アポロ11号が月面着陸 1969年

▲前回の大阪万博 1970年

▲沖仲仕

「港湾」労働者の組織化(オルグ)ですから、主な活動場所が横浜だったであろうことは容易に想像できます

青春の情熱を注ぎ込んだ地である横浜

その近くに、「すき家」の第1号店を出し、今なお「すき家」の店内に横浜の絵を飾っている

小川賢太郞さんの横浜に対する思い入れが伝わって来ます

そうなると、

彼の20歳代の活動内容を知りたい!

となるのですが、この辺の情報が意外に無いんです

ズバリ「伝記 小川賢太郞」のような本があれば一番いいけど、先月4/7にお亡くなりになったばかりで、まだ出てないみたい

wikiに経歴の概略が書いてありますが、ほとんどは牛丼業界に飛び込んだ30歳代以降で、20歳代の活動にはほとんど触れてない

共産党活動と言っても戦後ですから、それほど非合法なことはしてないと思いますが、港湾肉体労働者(沖仲仕)を雇っている荷役会社からすれば、共産党オルグは「招かざる客」で、ドロドロの戦いもあったのかもしれない

という訳で、小川賢太郞さんの20歳代についての情報を、これからWebやYoutubeなどでコマメに探していこうと思っています

(^_^;)~♪