80【ヒストリー】

おフランスの議会で雨漏り

おフランスの議会で雨漏りです

パリは19世紀半ばにオスマン知事のパリ改造計画が進められました

それまでのパリは、汚くて不潔な街だった

そのころ出来た建物は、すでに2世紀近くが経過して古びてきています

おフランスは伝統を重んずる国なので、古い建物ほど価値があるとされていますが、雨漏りとか機能的にいろいろ問題が起きることが多い

ホテル・クリヨン

以前にパリを旅して、ホテル・クリヨンという、かなり高級なホテルに泊まったことがあります

おフランス語だと、オテル・ドゥ・クリヨン(Hôtel de Crillon)

あのころの、しかも一番安い部屋で、1泊4万円以上

最近のインバウンド相場の東京や京都なら、1泊4万円なんて大したことないですけど、30年くらい前ですから、今なら1ケタ上かな?

予約も「一見さんお断り」みたいな感じで、紹介状が必要

仕方なく前日に泊まっていたパリ日航ホテルのコンシェルジュに頼んで、紹介状を書いてもらいました

でも中に入ってビックリ

内装はかなり古びていて、床なんか歩くとギシギシ!

それもそのはず、このホテルの建造は1758年(267年前)ですから、あのおフランス革命(1789年)よりもずっと前

日本だと江戸中期、9代将軍徳川家重の時代

「革命広場」と呼ばれたコンコルド広場に面していますから、革命の直後は毎日のように、窓からギロチン処刑が見えたはず

この場所で1343人がギロチン処刑された、まさに恐怖政治の時代

▲コンコルド広場の場所

▲ギロチン処刑

上の絵は処刑場だったコンコルド広場で、言葉は悪いが、ギロチン処刑は「民衆の娯楽」だった

おフランス国王ルイ16世の処刑場面で、処刑直後の彼の首を民衆に見せている

たぶん観衆から「革命バンザイ!」とか歓声が上がったのだろう

絵の左奥は、たぶんホテル・クリヨン(当時は王室別邸)

これに少し遅れて、たぶんこの場所で、王妃マリー・アントワネットも37歳で処刑された

飢えた民衆に向かって「パンが無ければ、ケーキを食べればいいじゃない」と言ったとされている、あの人です(本当は言ってないらしいけど、いかにも言いそうな人なんだよね)

今の日本なら「コメが無ければ、・・・」で、誰か名言を残してくれないかなぁ

▲フランス国歌は「革命バンザイ!」の歌です

* * * * * * *

ホテルの建物は古いけど客層は別格で、いかにも「おフランスの貴族」といった感じの貴婦人がロビーにいたりして、私にとっては普段なかなか味わえない「異次元空間」でした

ホテルの格というものは、設備ではなく客層なんだなぁと感じました

まあ、これを感じるだけならロビーでいい訳で、泊まる必要はないです

私は旅するとき、昼間は「歩くの大好き」で、一日中ひたすら歩きまわるので、「ホテルは寝るだけの場所」と割り切って、ふだんは安宿に泊まることが多い

よく行くタイのバンコクやパタヤでは、1泊2000円くらいのホテルが普通です(今は円安で、もう少し高いかも)

でもこのときはパリに半月くらいいて、「1泊くらい高いホテルに泊まってみよう!」みたいなノリでしたね

(^_^;)~♪

窮状のハメネイ師(86)

▲ハメネイ師(86)

イスラエル軍の攻撃で最側近まで失い孤立するなか、窮地のイラン最高指導者ハメネイ師(86)は6/18、イラン国営テレビを通じ

「脅しには屈しない」

「米軍介入は取り返しのつかない被害を(米側に)もたらす」

と述べ、イラン国民に抵抗を呼びかけた

とのことですが、世界でも最高水準の兵器を持つイスラエル軍に対して、現状大ざっぱに言ってイラン側の被害はイスラエル側の10倍以上で、圧倒的にイラン側が不利

イランの人口(約8600万人)はイスラエルの9倍ですが、現代戦は頭数(あたまかず)よりも兵器の性能がものを言う世界

イランが数百発のミサイルを発射しても、イスラエルの防空システム「アイアンドーム」に阻まれて、わずか数発が着弾する程度

最新鋭の戦車部隊に向かって、騎馬隊が突撃しているような時代錯誤感を覚えます

イランはすでに自国の制空権を失っており、これからイスラエルやアメリカはイラン上空に大型爆撃機を飛ばして、大量の爆弾の雨を降らせることも出来る

戦争は通常、次の3段階で進む(核兵器を使わない場合)

1)の攻撃:ミサイルを飛ばして敵の重要拠点(司令部、基地、弾薬庫など)を破壊。見た目が派手なので敵国民への心理的効果はあるが、ミサイル1発でビル1棟を破壊するのがやっとだから、「戦争のコスパ」が悪い。ミサイルは非常に高価なので、大量破壊には向かないが、ドローンの登場でこの「コスパ」も変化しつつある。この段階で戦争の勝敗が決することは少ない。イラン戦争は現状この段階だが、勝敗を決するため次の段階へ移りつつある

2)の攻撃:制空権を奪い、大型爆撃機の飛行コース(線)に爆弾の雨を降らせる。敵国の経済力(工業生産力)や電気水道などの生活インフラを破壊する。第二次大戦で日本は、この段階(B29の空襲)で戦闘力をほとんど奪われ、原爆でトドメを刺された。原爆が無ければ、次の段階(敵前上陸)へ進んだかもしれない

3)の攻撃:敵が陸で国境を接する隣国の場合、陸上部隊(陸軍)が侵攻して、敵の領土を実効支配する。この段階に入ると、最前線では戦死者が急増する。ガザ戦争は現状この段階。ウクライナ戦争は最初からこの段階だが、互いに制空権が奪えず、戦力が拮抗して膠着状態(塹壕戦)になっており、毎日数百人が戦死している。敵が日本や英国、台湾などのような島国だと、敵前上陸が必要になるので、軍事力によほどの差が無いと難しい

上記の3段階はあくまでも原則論で、「兵は詭道なり」(孫子)だから、この原則を踏まえつつ、いかに敵をダマすか(計略)が重要

イラン(ハメネイ師)は、まだ口先では威勢がいいけど、追い詰められて、裏ではアメリカに停戦の仲裁を頼んでいるとの情報もある

これが事実なら、味方のはずのロシアや中国ではなく、敵側のアメリカに頼るところに、ハメネイ師の追い詰められた苦境が感じられる(ロシアや中国は、頼りにならないということか?)

トランプは

「今さら遅い」 「無条件降伏あるのみ!」

「場合によっては、米軍もイランを攻撃する」

「ハメネイなんぞ、いつでも殺せるが、とりあえずまだ生かしといてやる」

と応じて歯牙にもかけない

国際社会はアフリカのサバンナのような弱肉強食の残酷な世界であることを、マザマザと見せつけてくれてます

日本では今でも泡沫政党の政治家が、「ミサイルよりコメを!」とか、トコトン平和ボケした牧歌的お笑い発言してますけどね

ハメネイ師が86歳、トランプが79歳、どっちもいい年で、頑固になりがち

イランはイスラム教原理主義の国で、イスラエルは強烈なユダヤ教の本家本元

アメリカも清教徒(ピューリタン)が創った国ですから、もともとキリスト教原理主義の傾向が強い

ガチガチ一神教原理主義の対立ですから、どっちも「我こそは正義!」「神に守られている」と固く信じてるので、妥協の余地は乏しい

ハメネイ師の言う「取り返しのつかない被害」とは何だろうか?

(たぶん、口先だけの脅し(強がり)だとは思うけどね)

ロシアや北朝鮮あたりからイランに流入した核爆弾を、輸送用コンテナに隠してイスラエルやアメリカの港に運び込み、爆発させるのが最も危険なシナリオだと思う

そこまでやれば第三次世界大戦(全面核戦争)のリスクが高まり、人類滅亡の危機だ

日米欧などの先進文明国連合(G7)に対して、何かと反抗している中露北朝鮮にとって、重要な仲間であるイランがツブレるのは避けたいハズだが、核爆弾まで渡すのは危険すぎるように思える

さりとて通常兵器の援助でイランが劣勢を挽回するのは無理だろう

イランがホルムズ海峡を閉鎖するという可能性は、昔から言われてきていて、重要な原油輸送ルートだから日本への影響も大きいのだが、完全に世界を敵に回すことになるし、原油大量輸入国で親イランの中国にも大きな痛手になる

イラン自身も原油輸出による外貨収入が激減する

もし本当にイランが機雷をばらまいてホルムズ海峡を閉鎖したら、世界最高水準の掃海(機雷除去)技術を持つ海上自衛隊の出番もあるかもしれない

事態は極めて切迫しており、今後1~2週間で、現代史を画するような大きな動きがありそうだ

((((;゚д゚))))

▲ホルムズ海峡、波高し

日本人のクルマのガソリンは、ここを通って来ている

艦内神社

▲戦艦「三笠」の艦内神社

 

海上自衛隊の多くの護衛艦の内部には、艦内神社があります

上の写真のように、神社というより神棚といった感じですが、小さいながらも神様が祀られており、祭日には盛装した艦長や幹部がお参りすることもあるそうです

戦前の旧帝国海軍から受け継がれた伝統

実際いざ戦闘となれば命がけ、生きるか死ぬかは運次第という側面もあることを考えると、「神だのみ」したくなる心情は理解できます

とは言っても、自衛隊は国(政府)の組織ですから、政教分離の原則に反する訳にもいきませんので、それなりの配慮もあるようです

(^_^;)

艦内神社の記事へ

 

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新宿高校(旧制六中)の興国の鐘

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▲日本海海戦(日露戦争)における戦艦三笠と東郷平八郎 左上はZ旗

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▲記念館「三笠

「横須賀・軍艦クルーズ」へ

 

卑弥呼の愛犬?

奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で出土した3世紀前半の犬が復元され、桜井市立埋蔵文化財センターと市役所で公開されている

邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の愛犬ではないか?

とも考えられており、愛称募集には1300件を超える応募という人気ぶり

卑弥呼について、いわゆる魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は

「年すでに長大なるも夫なし。見る者少なし」

と記しており、人前に姿を見せない霊能力を持った女性だったようだ

女王といえば華やかなイメージもあるが、愛犬で孤独を癒やす老女の姿もイメージできる

犬を飼っている人が認知症になるリスクは飼っていない人よりも低いそうだし、「歩くの大好き」ではない人でも、犬に誘われて毎日歩くのが習慣(犬の散歩)になっている人も多い

邪馬台国と言えば「どこにあったか?」が昔から古代史論争の大テーマ

九州説と近畿説があるが、そのほか日本中のあらゆる場所が候補地になっていて、「邪馬台国は火星にあった」などというトンデモ説もある

古代史は分からないことが多く、誰でも好き勝手な説を唱えることが出来るので、それが古代史の魅力にもなっている

私は作家の松本清張がダイスキで、最初は推理小説を楽しんでいたんだけど、彼は古代史関係も大量に書いていて(古代史専門の大学教授もタジタジになるほど詳しかった)、それで私も一時、古代史にのめりこみました

確かに古代史は謎だらけなので、読んでいると推理小説みたいです

邪馬台国近畿説なら、纒向遺跡は最有力の候補地になります

纒向遺跡は非常に巨大な遺跡で、現在把握されているだけでも300万平米もあり、発掘史料から察するに、単なる自然発生的な集落ではなく、「計画された都市」らしい

纒向遺跡の中にある箸墓(はしはか)古墳は、「卑弥呼の墓」ではないかとも言われている

卑弥呼という名前は、当時の「ひのみこ」という呼び名を、魏志倭人伝を書いた中国人が漢字表記したものだと考えられている

多分「日の巫女」で、太陽神(アマテラス?)に仕える霊能者としての役割を当時の日本人が説明し、それを聴いた中国人が固有名詞(人名)だと受け取めて、魏志倭人伝に当て字で「卑弥呼」と書いたのだろう(当時の日本には、文字は無かったらしい)

すでに弥生時代、水田農業(コメ作り)が始まっていた日本で、日当たりと日陰ではコメの育ちがまったく違うことから、「コメを実らせる元」として太陽を崇拝していたのではないかな?

現在の日本の国旗(日の丸)だって、太陽崇拝の旗だ

日本人とコメの付き合いは長いね

(^_^;)~♪


▲箸墓古墳

日本海海戦120年

海上自衛隊の1等海曹や海曹長で作る「横須賀上級海曹会」220人が5/24、横須賀市の記念艦「三笠」で甲板清掃を行った

戦艦「三笠」は、1905年5/27-28、日露戦争の日本海海戦でロシア・バルチック艦隊を旗艦を含めて撃滅した、日本海軍連合艦隊の旗艦

ロシアは、ウクライナ戦争でも、旗艦「モスクワ」を撃沈されている

ロシアは元々陸軍国なので、海軍が弱いのは仕方ないのかな

「横須賀・軍艦クルーズ」へ

退職代行サービス

春の訪れとともに、新社会人たちが一斉に社会への第一歩を踏み出す一方で、早くも「仕事を辞めたい」という声も出ている

そんな新社会人のあいだで急増しているのが「退職代行サービス」の利用

退職代行会社「モームリ」には、毎日数十件のペースで依頼が殺到している

退職手続きくらい自分でしろ!と考える中高年も多いだろう

でも自分のしてきたことを専門業者に任せるのは、人類の歴史の大きな流れだ

その方が便利だし、人間は便利にはなかなか逆らえない!

いろいろメンドウだし、気まずい場面もありそうな退職手続きを専門家に任せるのは、合理的な判断かもしれない

衣食住も、かつてはすべて自分で作っていたはずだ

家も竪穴住居のころ(わずか1000年くらい前)は自分(または家族)が作っていたが、やがて大工などの専門業者が登場した

つい数十年前まで、家族の衣服を作り修繕すること(裁縫)は、一家の主婦の必須能力だった

料理の腕前は、今でも未婚の若い女性を評価する要素の一つかもしれないが、無くても何とかなるし、レンジでチンすれば、たいていの「料理」は作れる

キッチンの無い住宅物件(すべて外食)というのも増えている

分業による専門化は、技術の高度化をもたらし、素人の出る幕は減っていく

それでも自分でする!という人もいて、それは趣味の世界になっていく

趣味で自分の家を自分で作る人は今でも時々いるし、修理改善レベルで部分的に実行すればDIYという趣味だ(実益も兼ねているが)

果たして「退職代行サービス」は、世の中に定着するのだろうか?

自分で退職手続きを進めるのは、趣味の世界になっていくのだろうか?

(・_・?)

▲男のヘアスタイルが現代風すぎるような気がするなぁ

この時代に美容室や床屋さんは無いと思うんだけど (^_^;)

「退職代行はあり? なし?」へ

映画「グリーンブック」

私は映画が好きだけど、観るなら映画館より自宅で一人で観る方が好き、そして字幕より吹替が好き

昨日観たこの映画、2018年のアメリカ映画、とても良かったので少し書きます

1960年代の米国で、成功してカーネギーホールの中の豪華ルームに住む黒人ピアニストが、まだ黒人差別が根強い南部への公演ツアーを計画する(非常に勇気のいること)

▲ニューヨークにあるカーネギーホール

▲カーネギーホールの中にある、黒人ピアニストの住居スペース

▲現在の非白人比率マップ

「黒人は畑で肉体労働する奴隷」という意識の強い南部に、経済的に成功した黒人が行けば、現地の白人たちから激しい反感を買い、何をされるか分からない

そこでピアニストは運転手兼用心棒に、粗野でがさつ、少々ケンカっ早いイタリア系を雇い、2人でクルマに乗って危険な公演ツアーという珍道中をする

このイタリア系というところもポイントで、白人だがアングロサクソンなどから差別されがちなイタリア系

刑事コロンボも主人公が「安月給のさえない」イタリア系の刑事で、成功した富裕な犯人(多くはアングロサクソン)を追い詰めるという設定が、米国庶民に大ウケ(たぶん、成功者の転落を見る庶民の爽快感なんだろね)

「安月給のさえない」を強調するツールが、ヨレヨレのコート、そしてボロボロのクルマ

黒人差別という重苦しくなりがちなテーマだが、ユーモラスに描いていて、時々泣かせる場面もある

経済力と弱点の両方を持つ少し気難しい男が、まったく異なる育ち境遇のがさつな男を助っ人として雇い、やがてふたりの間に友情が芽生えるというストーリーは、先日観た「最強のふたり」に通じる

「グリーンブック」とは、黒人でも泊まれるホテルをリストアップした旅行ガイド本

当時、米国の多くのホテルは白人専用で、黒人の泊まれるホテルはごく限られており、ゴキブリが這い回るような劣悪な環境だった

ピアニストはそれを覚悟で、南部への公演ツアーに出る

それから現在までの60年余り、公民権運動などによる差別撤廃が時代の流れとなるが、その裏で米国の貧しい白人たちは白人としての特権を次々に奪われ、経済的にも追い詰められて不満が鬱積していく

その貧しい白人の鬱積した不満に着目して(利用して)大統領になったのがトランプ

副大統領バンスの著書「ヒルビリー・エレジー」の副題は

アメリカの繁栄から取り残された白人たち

元大統領オバマが、このピアニストに重なって見えた

人種別の出生率の違いや移民の流入などによって、米国の白人比率は下がり続けている

白人が米国の少数民族になる日は、そんなに遠くない

現在のトランプ政権の政策は、白人層の「最後の抵抗」にも見えてくる

この映画には実話が背景にあり、「最強のふたり」と同様、二人は生涯親友でありつづけた

(^_^;)~♪

石川太郎先生の研究(2)ハルマヘラ・メモリー

3/15に書いた当ブログ記事「石川太郎先生の研究(1)」のつづきです

あの記事を読んだ徳永パパから、太郎先生は陸軍将校だったと教えていただき、海軍将校だったという私の記憶は間違っていたようでビックリしました

新宿高校時代の生物の授業中、太郎先生の雑談に軍艦や南の島の体験談が多かったので、私が勝手に海軍将校だと思い込んでいただけみたいです

また熊さんからは

「俳優の池部良が、ハルマヘラ・メモリーという本を書いていて、どうも太郎先生と同じ時期に同じ島に居たらしい」

と教えていただき、さっそく池部良の著書「ハルマヘラ・メモリー」を入手して、いま読み終えました

池部良(1918-2010)は、往年の超イケメン映画スターですが、エッセイストとしても有名

そのせいか「ハルマヘラ・メモリー」は大変読みやすい文章で、372ページもある分厚い本ですが、退屈することなく今日一日で一気に読み終えました

文章は淡々としているのですが、それがかえって最前線の臨場感を高めているように感じました

以下、その読後感です

池部良が1918年生まれ、太郎先生が1917年頃の生まれというほぼ同世代で、二人の軍隊経験は驚くほど重なっているようです

どちらも軍隊や戦争にはまったく関係ない世界(映画俳優や生物学研究者)から26歳ころに徴兵され、大卒だったので予備士官学校へ進んで、見習い将校を経て将校(陸軍少尉)になります

陸軍少尉として、中国大陸の北京の近く(保定パオティン)にいて、そこから任地替え(転進)で南方のハルマヘラ島に移って終戦を迎えられたようです

ここまで軍隊経歴が似ていると、ひょっとしてお二人は、戦地(保定やハルマヘラ島)で出会っていたのかもしれませんね

今日、池部良の「ハルマヘラ・メモリー」を読みながら、太郎先生の若き日の戦争体験談を読んでいるような気持ちになりました

極寒の保定から熱帯のハルマヘラ島への移動は、狭い船内にぎゅうぎゅう詰めの輸送船団に乗って行くのですが、途中にはアメリカの潜水艦がウヨウヨしている海域を通ります

日米間の太平洋戦争は、最終的には原爆投下で決着がついた訳ですが、その前にレーダー技術で決定的な差がついていたようです

米軍が数百キロも先の日本軍艦の位置を正確に把握していたのに対して、日本軍は双眼鏡によって目に見える範囲しか分からない

偵察機もあったでしょうが、これは「点の探索」で、広い太平洋をカバーすることなど不可能

現代戦では、科学技術力のわずかな差が、国家や民族の運命を決します(2番じゃダメなんです)

その結果、多くの輸送船が米軍魚雷の餌食となって沈没し、一日に2000人もの将兵が海の藻屑となる話なども出て来ます

池部良の乗った輸送船も魚雷を受けて沈没しますが、海に投げ出された池部良は10時間以上も海面を漂いながら、日本海軍の駆逐艦に救助されて九死に一生を得ます

その駆逐艦に乗って、次の任地であるハルマヘラ島の守備任務につきます

太郎先生の雑談には、輸送船沈没の話は無かったような気がするから、太郎先生の乗った輸送船は、無事にハルマヘラ島へたどり着いたのかな?

米軍の作戦は、太平洋上の一つの島を占領したら、そこに飛行場を建設して次の島を狙う、というような着実な「島づたい戦略」で、この侵攻コース上の島にいた日本軍守備隊は、ほぼすべて全滅しています

池部良のいた(たぶん太郎先生もいた)ハルマヘラ島は、この米軍侵攻コースからわずかに外れていたので、激しい攻撃(艦砲射撃、航空機による爆撃や機銃掃射)を受けますが、かろうじて全滅は免れます

楽園のような南の島でのんびりしていると、その数秒後には耳をつんざくような爆裂音や射撃音が鳴り響き、一気に地獄の戦場と化する場面の描写は、なかなかの臨場感があります

そして戦況悪化の暗いムードが支配する中で、ある日突然、玉音放送が流れて戦争が終わります

その終戦の描写も実に淡々としていて、著者のある種の諦念のようなものを感じさせる

池部良は(たぶん太郎先生も)昭和18~19年という敗色濃いころに徴兵されて、大卒だったので予備士官学校へ進んで、わずかな軍事教育や訓練を経て見習い士官から将校(陸軍少尉)になります

旧日本軍の階級制度は、大きく3段階に分かれていました

国や時代によって各階級の呼び名は違っていますが、どこの国の軍隊組織でもこの3段階の構造は似たようなもので、原則として指揮命令権限を持つのが将校です

兵士(兵卒):二等兵~兵長

下士官:伍長、軍曹、曹長

准尉(見習い士官)

将校(士官):少尉~大将

戦争末期になると軍人不足を補うために、軍隊経験が皆無の大卒(当時の大卒は少数派)も、学徒動員などで徴兵されました

その中には池部良や太郎先生のように、軍隊入隊後に予備士官学校に入り、見習い士官(准尉)を経て「にわか仕立ての将校」(最初は少尉)になる人たちもいました

この予備士官学校での成績や適性に難があると、将校ではなく下士官にされたそうです

一方、軍隊(陸軍)には、もともと市谷にあった陸軍士官学校出身の「本格的な将校」(職業軍人)がいて、上記の「にわか将校」を素人扱いして馬鹿にします

この「本格将校」(職業軍人)には、陸軍幼年学校などを経て、子どものころから軍人になることを目指してきた「軍人一筋」の人たちが多かった

この人たちから見れば、つい2~3年前まで映画俳優や生物学研究者などしていた連中が、陸軍将校として自分たちと同一視されることに耐えられなかったようです

この「本格将校」による「にわか将校」いじめは、かなり露骨に行われていたようで、本書の中でもたびたび描写されています

さらに戦争末期には、一般国民の30代40代といった、それまで年齢的に徴兵されなかった高年齢の男も、兵士不足を補うために徴兵されます

企業の管理職や、中小企業の社長をしていたような社会的地位のある男たちも、有無を言わさず徴兵され、二等兵として軍隊の最底辺のみじめな存在となって戦場へ送られるといった「悲劇」も少なからず生じました

また軍隊には長年いるが、士官学校などの学歴が無いために将校になれない、といったベテラン兵士や下士官も大勢います

すると当然ですが、まだ20代後半の経験不足な「にわか将校」が、自分より年上の、時には父親ほどの年齢の人生経験豊富な兵士(兵卒)や下士官を何十人も統率して指揮命令することになります

今でも年功序列を否定して能力主義を標榜する企業では、年上の部下との接し方に悩む若い上司がいますが、それと似たような現象が旧日本軍の内部でも生じていました

「年上の兵士」たちから見れば、自分たちの方が戦場経験も人生経験もははるかに豊富ですから、経験の乏しい学歴だけの「にわか将校」に対して、素直な気持ちになれないのも理解できます

上にいる「本格将校」(職業軍人)たちからは素人扱いで馬鹿にされ、軍隊の階級的には下にいるはずの「年上の兵士」たちからは、面従腹背の陰湿な抵抗に遭うという板挟み状態

しかも戦況は悪化の一途で、日本が戦争に勝つ見通しはまったく持てない

そんな絶望的状況でのメンタルを、太郎先生が87歳の時に出席した新宿高校同期会のスピーチで

「・・・人生振り返ってみると孤独だった

 軍隊でも孤独だった

と表現したのではないかと推察します

本書の中にも、著者(池部良)の戦場での孤独感が滲み出ています

軍隊組織内で置かれた立場から来る肉体的な厳しさや惨めさでは、将校より兵士の方がツラかったと思います

ただ、兵士にはすぐ近くに同じ立場の兵士が大勢いる

一方、新米の将校はたいてい小隊(10~30人くらいの兵士)を率いる訳ですから、同じ立場の人間(小隊長)には隣の小隊へ行かないと会えないので、小隊の中では常に孤独です

人の上に立つということは、孤独を引き受けることです

今では私もこんな悟ったようなことを書いてますが、これも歳のなせるわざで、20代の太郎先生にはキツかっただろうなぁと思います

戦前の日本の軍隊を描いた映画やドラマなどでは、やたらと激怒して部下を殴ったりする凶暴な軍人がよく登場します

すべての軍人がそうだった訳ではなく、池部良「ハルマヘラ・メモリー」の中には、まともな心を持った優しい軍人も少なからず登場しますし、池部良もその一人

しかしその一方で、軍隊映画そのままの凶暴な軍人がいたことも事実

部下(兵士)に厳しくすることは、軍隊組織の規律維持や精神のゆるみを防止する上で、ある水準までは合理化されますが、その水準を超えて残忍さを出す者も出てくる

今でも警察や検察の取り調べなどで社会問題化しますが、人間が組織や権力を背負って無力な個人に対応したとき、少なからぬ人間は、その深層心理に潜む残忍さを剥き出しにします

人権意識の希薄な途上国や共産独裁国では、ごくありふれた風景です

企業の上司による部下へのいじめ(パワハラ)も、似たような精神構造でしょう

だれの心の中にも、この残忍さは潜んでいます

敗戦の玉音放送が流れて数か月後に、生き残った将兵を日本へ送り返す船(復員船)の中で兵士たちが暴動を起こし、戦争中に部下に凶暴だった上官を海に放り込むといった復讐事件も起きていたようです

敗戦による武装解除で軍隊という枠組みが消滅した訳ですから、当然に起こり得る上下逆転現象で、ギロチンこそ使いませんが、フランス革命のあとの旧貴族の運命と似ています

池部良「ハルマヘラ・メモリー」は、1997年の出版で、池部良79歳の作品

79歳とは思えぬ生き生きとした詳細な描写は、池部良が晩年まで旺盛な知的活動をしていたことを感じさせます

ただし一部には著者の記憶の変化などのせいか、必ずしもすべて事実通りではなく、あるいは本を面白くするための脚色(フィクション)かと思われる部分もある

また中には、残酷すぎて本に書けないこともあったのではないか?と思われるところもある

たぶん太郎先生の雑談でも、残酷すぎて高校生には聴かせられないことがあったのではないか?と推察いたします

(;´Д`) ウウウ

石川太郎先生の研究(1)へ

漫画訳・雨月物語「白峰」

「漫画訳・雨月物語」という本を読みました

元になっている「雨月物語」は、江戸時代の作家、上田秋成の作品で、日本の中世を背景にしたホラー(怪談)話を9話ほど集めています

私は映画でも小説でも、ホラー系ダイスキ!なので、ついつい引き込まれます

つい最近も、春日武彦という精神科医の書いたホラー系の本にのめりこんだばかり

「雨月物語」は、石川淳が現代語に訳してますし、映画にもなってるので、その名前をご存じの方も多いかと思います

マンガですからスグ読めたんですが、その9つあるホラー話の冒頭に「白峯」という話があり、崇徳院と歌人の西行が、あの世とこの世の壁を越えて語り合うというオカルトっぽい内容です

崇徳院は、日本の三大怨霊(おんりょう)として有名な崇徳(すとく)天皇で、歴代の天皇の中でも最も不幸な死に方をした人

この世に未練と恨みを残して死んだために成仏できず、いろいろと厄介な「祟り(たたり)」を巻き起こして生者を苦しめる、と信じられてきました

能の「松山天狗」も、これを題材にしています

この祟りという考え方は、日本人の心性の非常に深いところにあって、日本の歴史に大きな影響を与えているだけでなく、実は我々現代日本人のメンタリティにも大きな影響を及ぼしています

祟りと似たようなものに「言霊(ことだま)」があり、

何かの悪い言葉を口にすると、それが現実化する

という一種の信仰

今でも、誰かが悪い(ネガティブな)言葉を発すると

「そんな縁起でもないこと言うな!」

などとたしなめる人がよくいますよね

自己啓発系の成功哲学には

「常に前向き、建設的な言葉を発していれば

 それはいずれ現実化して成功できる!」

というプラス思考(ポジティブ・シンキング)の考え方がありますが、それのネガティブ・バージョンでしょうか?

日本人が幕末明治以降、西欧文明に接してほぼ2世紀

表面的には「自由」「権利」「進歩」みたいな西欧型の合理的概念に慣れています

でも日本人の心の深いところには、祟りや怨霊、言霊のような心性を脈々と残している

それは時には、スピリチュアルなものに引き込まれる動機にもなったりして(若い女性に多い)、メンタル面を重視した企業のマーケティング戦略にも影響を及ぼしたりする

崇徳院はこの世に恨みを残して死にますが、その元になった政治的事件が保元の乱

日本史上の有名な事件で、大学受験の受験科目に日本史を選んだ方はよくご存じだと思いますが、私は理系だったので今回改めて保元の乱について調べました

この事件(乱)は、天皇家の跡継ぎ問題から始まっていて、現代の愛子さまと秋篠宮の関係を思い起こしてしまいます

結局、後白河天皇方が勝ち、崇徳上皇(崇徳院)は破れて讃岐(現代の香川県)へ流され、二度と京(みやこ)を見ることなく亡くなります

このとき、両軍の戦略立案を担ったのが

崇徳方の藤原頼長(敗者)

後白河方の藤原通憲(信西)(勝者)

両者ともスゴい切れ者で、現代の官僚なんかによくいる秀才タイプ

ただし、頼長は藤原氏の中でも主流派(嫡流)に生まれたエートコのボンボン

信西はそうではなかったので、自分も藤原氏でありながら藤原氏主流派に恨みを持ち、保元の乱に勝利すると着々と藤原氏主流派つぶしを始めます

その信西も、数年後の平治の乱に破れて死に、首はさらしものに

保元の乱は後白河天皇方が勝ったとは言いながら、実は本当の勝者は武士でした

乱の勝敗を決したのは武士の軍事力だったので、当然と言えば当然です

この事件からのち、政治の実権は徐々に武士へ移り、天皇家と摂関家(藤原氏主流)はパワーを失って「飾り物」になっていきます

その意味で保元の乱は、時代が古代から中世へ移り変わる画期的な事件でした

少し大ざっぱな言い方をすると、世界に多くの国家や民族がある中で、歴史的に中世という時代をきちんと経ているのは西欧と日本だけで、ほぼ現代の先進国と一致します

これを偶然と見るか、歴史の必然と見るか、なかなか面白いところです

(^_^;)~♪

「漫画訳・雨月物語」白峰へ(PDF・19MB)