山岳城

山岳遭難Youtube動画

ここ数日、山岳遭難のYoutube動画にハマってます

上の動画はそんな中の1本で、特にこれを選んだ深い意味はありませんが、こんな感じの動画が山ほどYoutubeにアップされてます

最近は地形の3D動画生成が簡単になったせいか、立体感のある山岳動画の上に移動ルートが示されて、登山者がいまどんな位置や状況にあるのかがアリアリと分かります

救助隊が来て助かる場合と、力尽きて命を失う場合があって、やはり後者の方がドラマチックなせいか、Youtubeの山岳遭難動画では後者の方が多いみたい

私が注目するのは、

どこが運命(生死)の分かれ目だったのか?

という点です

山道に迷って遭難する場合が多いのですが、迷いに至るプロセスの中の決定的な瞬間(分かれ目)は何なのか?どうなっていたのか?に関心があります

多くの場合、地図やコンパス(方向磁石)を持っていなかったりする初歩的な準備不足に起因しているのですが、ベテラン登山者が十分な登山装備と準備を尽くしても、迷うときは迷う!

まさに「山には魔物が住む」といった感じで戦慄を覚えます

迷わなくても、道を踏み外して転倒転落したり、落石が体に当たったりして動けなくなる場合があり、これは即座に救助が必要になります

もう一つの注目点は、危機的な状況への対応方法で、特に警察や知人に連絡をとって救助を要請する具体的な手段が重要

最近の登山はスマホを持って行くのが当然ですが、山ですから圏外になったり、電池が切れたり、極寒や水没で故障したり

スマホで遭難者の現在位置を特定出来れば救助は割と簡単ですが、そうでないと手間がかかる

このときに事前に登山計画書の提出が無いと、捜索範囲が広がって大仕事になる

まずヘリコプターで遭難者を発見することが第一歩で、時には非常に時間と費用がかかる

警察のヘリよりも探索能力が高い民間探索会社のヘリを私費で雇うと、1時間で50万円くらいかかる

生存のデッドライン(72時間)が刻々と迫り、家族や救助関係者は心理的に追い詰められていく(もちろん遭難者本人は、もっとキツイ)

悪天候でヘリが使えない時など、何十人という救助隊を編成して山に向かい、時にはマスコミが大騒ぎしたりもする

山の中での位置不明遭難者の探索は、砂浜に落とした小さな指輪を遠くから探すようなもので、遭難者の立場から言えば、いかに目立つように工夫してヘリコプターや救助隊から発見してもらうかが重要

最近は探索にドローンを使えるから、かなり便利で手軽に(たぶん費用も安く)なっているのかもしれません

救助されるまでの間の水や食糧の確保、ケガの応急手当、メンタル問題など、山岳遭難における危機対応というのはドラマチックな要素がいっぱいある

特に単独遭難だと、幻聴や幻覚が出たりして、ホラー要素もある ((((;゚д゚))))

だから、山岳遭難を扱った小説や映画は多いですね

私自身は、好きな散歩の延長でハイキング程度の山歩き(高尾山の簡単なコースとか)はたまにしますけど、本格的な登山はしません(たぶん恐いから)

太田くんを囲む会が出来る元になった「上高地登山合宿」が、唯一の登山経験かもしれません

あのときは、北アルプスの蝶ヶ岳(2677m)だったのですが、いま調べたら割と初心者向けの山なんですね(上級者は槍・穂高などを目指す)

私にとっては最初で最後の本格登山ですから超初心者で、それなりに疲れましたけど、恐い思いをした記憶はありません

槍と蝶とはうまいネーミングで、いかにも槍ヶ岳は上級者向け、蝶ヶ岳は初心者向けという感じがします

槍ヶ岳の頂上は、まさにその名の通り、とがっています

▲槍ヶ岳の山頂(とがっている)

▲蝶ヶ岳の山頂(平ら)

▲MAP左下、上高地の合羽橋付近から槍・穂高方向を見る

流れているのは梓川(あずさがわ)

▲上高地は人気観光地なので、時季によっては混みます

 

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当ブログでも過去に「そして5人は帰らなかった」(吾妻連峰の遭難)を取り上げていますが、この動画はよく出来ています

私はなぜ山岳遭難に興味があるのか?

あえて理屈を付ければ、危機管理に関心があるので、その1ジャンルとして山岳遭難に引き込まれているのかもしれません

人の一生は、チャンスとピンチ(危機)の連続で、そこでどんな判断を下すかで、その後の人生が大きく左右される場合がある

個人でも企業でも国家でも、世の中にはチャンスと危機(リスク)がいっぱいで、歴史というのはチャンスや危機に対して人間がどう対応したかの記録ではないかと思います

いま日本(あるいは世界)は、ホルムズ海峡が閉鎖されて原油が来なくなるかもしれないという危機に直面しています

泥沼になる可能性もありますが、過去に石油ショックなど多くの危機を乗り越えて来た日本ですから、今回も多分うまく対応できるのではないかと楽観しています

(^_^;)~♪

修学旅行で姫路城へ行ったか?

▲修学旅行 姫路城 1974年3月21日 写真をクリックすると拡大

先日、山順さんから、

新宿高校時代の修学旅行で姫路城へ行ったか?

と尋ねられました

すでに頭の中の記憶は消えてるので、さっぱり分からない (・_・?)

それで、PC(HDD)の中を色々調べました

私は、モノはなるべく捨てるんだけど、情報はとっておく方なので、たぶんあるだろうと思って探したら、ありました!

結論は「行った」で、その証拠が上の写真(D組)

私の写真をさらすな!、という方はご連絡ください(網掛けします)

他クラスの写真あったら、ご提供いただけるとウレシイ

姫路城は、平成の大修理(2009~2015年)で色合いが白っぽくなりました

上の写真の姫路城は、白っぽくなる前ですが、ややボケていてよく分からない

▲改修工事前          ▲改修工事後

こうやって並べると修理後は、屋根に雪が積もってるみたいに白い!

修理直後は「白すぎる!」という批判もあったみたいです

それから10年以上が経過して、最近は適度に汚れて、ちょうど良い色合いになってきているらしい

修学旅行資料「中国路の旅というのもありました

各クラスから修学旅行委員を2人ずつ選んで、いろいろ準備したり、旅行資料を編集したりしてたんですね

資料を見ると、細かい日程や班編制、泊まった旅館の部屋割りまで分かります

すでに新幹線があったはずなのに、在来線特急の夜行ブルートレイン「あさかぜ」で広島までとは、かなりの強行軍!

高校生だった我々はいいとして、同行した先生たちはキツかっただろうね

私は「乗り鉄」なので、これまで寝台車にはずいぶん乗ってますが、このときが初めてだったかもしれない

日本で消えた寝台列車の多くが、中古車両として海外へ輸出されています

私はタイで「チェンマイ→バンコク」の寝台個室に乗ったことがありますが、日本から来た車両で、車内表示はすべて日本語でした

(^_^;)~♪

笠間を歩く

11/19朝起きたら、余りにも天気が良いので、散歩することにしました

行き先は、数日前の「友部の森を歩く」が少し歩き足らない気分だったので、すぐ近くにもう一度行くことにしました

友部の森も笠間市の一部で、どちらも茨城県ですから、熊が出ないと言われています

時季的には、まさに紅葉真っ盛りといった感じ

目が覚めるような素晴らしい紅葉なのですが、さらに素晴らしいのは、ほとんど人がいないということ

インバウンド外人とかウジャウジャいたら、興ざめですからね~

(^_^;)~♪

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笠間市は茨城県のほぼ中央部

上高地に夏が来る

上高地開山祭、4月27日

大田くんを囲む会の上高地合宿(1980年)を思い出します

登山(蝶ケ岳)とキャンプしました

あのころ、みんな若かった

(^_^;)~♪

詳細はここをクリック

80歳の男性が滑落死 北アルプス燕岳

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北アルプス燕岳(つばくろだけ)で8/4、登山中の男性(80が滑落し、死亡しました。

警察によりますと、8/4午前7時すぎ、神奈川県横浜市の男性(80)が北アルプス燕岳の標高2650m付近で滑落しました。

燕岳から大天井岳に向け登山中で、尾根からおよそ100m滑落したとみられています。

男性は8/3、2人のパーティーで中房登山口から入山。

もう一人の同行者からの救助要請を受けて、長野県警のヘリで松本市内の病院に搬送されましたが、頸椎損傷により死亡が確認されました。

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私は「歩くの大好き」なので、あちこち歩き回るし、ハイキング程度の低山にも登るが、2650mなどという高山にはほとんど登ったことが無い

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だから、この北アルプス燕岳(つばくろだけ)が、どれほど登山難易度の高い山か、正確には知らない

だけど、100mも滑落する危険があるというだけで、80歳には無理があるんじゃないかなぁと感じる

ワシはまだ若いんじゃ!」と言わんばかりに元気さを強調するじいさんが時々いるけど、年齢を無視した若化粧をしているばあさんに似たものを感じる

 (;´Д`)

 

一夜城と福翁自伝

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先日、小田原の一夜城(石垣山城)に登りました

城の建物はありませんが、石垣の多くは残っており、駐車場の近くにパティシエ鎧塚俊彦(→)の「ヨロイヅカファーム」もありました

天下統一の総仕上げ、秀吉が北条攻めのために「一夜で築いた」と言われる城なので、急ごしらえのチャチな城かと思っていたら、一の丸、二の丸、天守閣まである壮大な城でした

これを一夜ではないにしても、わずか88日間(3か月弱)で築いたと言うからビックリ

城から小田原市街が一望できます

日本一堅固と言われていた北条の小田原城は平野に立つ平城なので、山の上に立つ一夜城(石垣山城)の天守閣から、秀吉は小田原城を見下ろしたのでしょうか

いきなりすぐ近くに壮大な城が出来たせいか、北条は戦意を失い、すぐに降伏しています

秀吉はその生涯で多くの名城を築いていて、「秀吉は建築家だった」と言う人もいる

海岸付近から歩いて標高260mまで、距離的には往復10キロ4時間くらい登り下りしたので、ほとんどは舗装された道路でしたが、かなりの脚力強化になったような気がします

家を出るときは雲っていて、その前数日間より涼しかったのですが、登っているうちに晴れてきて暑くなり、汗だくだくになりました

城から下る途中にあった自動販売機のポカリスエットが死ぬほど美味しかった

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行く前にグーグルマップ(↑)で下調べをしたら、松永記念館というのが目に付きました

もしかして「電力の鬼」松永安左エ門?(→)と思ったら、まさにその通りで、松永が晩年を過ごした邸宅が没後に記念館になっています

一夜城に登った帰りに寄ろうと思ったのですが、暑さでその気が失せ、次回の楽しみにしました

現在の民営電力会社地方分割9社体制は松永の主張によるもので、旧国鉄のような公営1社全国独占体制を考えていた当時の政界の動きを封じて、自由競争体制による効率経営を実現しました

その後の国鉄の腐敗堕落と大赤字、さらに分割民営化への国家的大混乱を考えると、いかに松永に先見の明があったかが分かります

現在もまだ1社独占体制を続けて底なしの腐敗堕落(ケタはずれの高給&高受信料)の極みに達している公共放送NHKも、早く解体整理してもらいたいものです

小田原から帰宅して、松永の著書「人間福沢諭吉」を読みました

その中で松永は、福沢諭吉を「日本史上の三大偉人」として持ち上げています(残り二人は、聖徳太子と弘法大師空海)

松永が慶應義塾に在学したころまだ福沢諭吉は存命中で、三田のキャンパス内にあった福沢の自宅に松永はたびたび押しかけ、直接の薫陶を受けています

特に面白かったのは、松永と福沢の最初の出会いの場面

慶應義塾で教授に廊下ですれ違う時に丁寧なお辞儀をしていた松永に向かって、粗末な服装をした変なじいさんが近より、

「教師に向かって、そんな丁寧なお辞儀をするな!」

と言うのです

「三尺下がって師の影を踏まず」という伝統的価値観が生きていた時代に、それとは真逆なことを言う変なじいさんに松永は驚くのですが、それが福沢でした

福沢が言うには、

「ここ慶應義塾において

 教師も学生も共に学問する仲間だから同列で

 身分の上下などは無いし、あっては困るんだ!」

ということでした

松永の著書「人間福沢諭吉」は、「福翁自伝」からの引用が多いので、いままた「福翁自伝」を読み始めています

「福翁自伝」を読むのは今回で3回目ですが、グイグイ引き込まれるような面白さ

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最初に読んだのは大学時代、江藤淳先生(→)の授業「福翁自伝を読む」でこの自伝の存在を知りました

私は江藤淳先生から「直接の薫陶」は受けておりませんが、多大な影響を受けています

次に読んだのは30代の半ば、そして今回と、それぞれ感じるところが微妙に違います

福沢諭吉は66歳で亡くなっており、「福翁自伝」が書かれたのは63歳のとき

明治時代の63歳は、立派に「翁」だったのですね

いま「福翁自伝」の半分ほど読み終えたところで、貧乏書生がいきなり咸臨丸による万延元年遣米使節団トップのところへ押しかけて「私も乗せて行ってください」と頼むあたり、福沢の押しの強さを感じます

「日本史上の三大偉人」の一人、空海が遣唐使船に便乗するのと似ています

そして使節団トップが「ああ、いいよ」と簡単にOKするのですが、国家を代表する外交使節団に、どこの馬の骨とも分からぬ貧乏書生が紛れ込めたことに驚きです

福沢の洋学知識や押しの強さもさることながら、当時の牧歌的な雰囲気も感じます

このときの咸臨丸の艦長が勝海舟で、通訳としてジョン万次郎も同乗していた

関西育ちの福沢諭吉と、チャキチャキ江戸っ子の勝海舟は、ウマが合わなかったようで、「福翁自伝」でも勝海舟のことを余り良くは書いていません

空海も福沢も、行った先で文献を買いまくって日本へ持ち帰り、日本のその後の文明化に多大な貢献をしています

 

赤富士

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あまりにきれいで、まさに葛飾北斎の名画「凱風快晴を思わせる映像。

「ほんとに赤い……!」

「絵みたいだ」

と驚きの声が多く上がりました。中には

「フィクションかと思ってた」

「赤富士って現実のものだったのか!」

なんて声も。

 

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▲葛飾北斎「凱風快晴」

 

撮影者のVICENTE AGEMATSUさんも

「葛飾北斎の赤富士、あんなに赤くなるわけがないなどと揶揄(やゆ)されたりして、

 私も実際5年ほど見続けてもあれほどの『赤富士』出会えたことはなかった」

そうで、今回の景色を見たときには

「あの葛飾北斎と同じ風景を、時空を越えて見ている!」

のだと心が震え、涙したといいます。

 

詳細はここをクリック

 

あさま山荘のカップヌードル

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 上の写真は、あさま山荘を包囲し

  カップヌードルを食べている

 機動隊の隊員さんたちです

  ちょうど半世紀前です

 ((((;゚д゚))))

 

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あさま山荘事件は、半世紀前の1972年(昭和47年)2月19日~28日、軽井沢にある河合楽器製作所の保養所「浅間山荘」において、連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。

2月19日、極左組織「連合赤軍」の5人が、山荘管理人の妻を人質にして、浅間山荘に立てこもった。

浅間山荘を包囲した警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が人質救出作戦を行うも難航し、死者3名(機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(機動隊員26名、報道関係者1名)を出した。

 

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10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、連合赤軍の5名は全員逮捕された。

人質は219時間(約9日間)監禁されており、警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録である。

酷寒の環境における警察と犯人との攻防、血まみれで搬送される隊員、鉄球での山荘破壊などの衝撃的な経過がテレビで生中継され、日本中の注目を集めた。

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2月28日の最高視聴率は89.7%に達した。

同日のNHKの報道特別番組は、平均50.8%の視聴率を記録した。

現在でも、報道特別番組の視聴率日本記録である。

 

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事件現場は、平均気温がマイナス15度前後で、機動隊員たちの弁当は凍ってしまった。

やむなく、当時販売が開始されたばかりの日清食品のカップヌードルが機動隊員に配給された。

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手軽に調達・調理ができた上に、寒い中長期間の勤務に耐える隊員たちに温かい食事を提供できたため、機動隊員の士気の維持向上に貢献したといわれている。

このカップヌードル(←)を食べる機動隊員の姿が、テレビの生放送で幾度も大写しで報じられ、平均視聴率50%を超える注目度もあって、同商品の知名度を一挙に高めた。

直後から他県警や報道陣からの注文が相次ぎ、それが更に大きく報道されたことで、カップヌードルの売上は爆発的に伸びて、一躍ヒット商品となった。

 

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▼警視庁幹部が慰霊碑に献花

 

 

▼犯人の一人は、服役後、小学校の教師になっていた!

 

▼映画にもなりました(予告編)

 

▼映画2時間まるまる全部

 

そして5人は帰らなかった

 

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私はネコと同様に寒いのがキライなので、冬山登山なんて頼まれてもしないと思いますけど、冬山登山がダイスキな人は、山に雪が積もるとじっとしていられないみたいですね

冬山登山には、生命の危険を上回る、とてつもない醍醐味があるのだろうと思います

遭難の経過というのは、ミステリー小説のような、人をドキドキさせるものがあるので、ときどきYouTubeで遭難の動画を見ています

もちろん興味半分なんですけど、どのタイミングでの判断が生死を分けたか?、など地震や洪水など災害時の心の準備にも役立つような気がします

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吾妻連峰の遭難を扱った「そして5人は帰らなかった」は、非常に生々しくて、遭難ドキュメンタリー動画の秀作ではないかと思っています

1994年=平成6年、28年前の2月11~13日、今年と同じ3連休に発生した雪山遭難です

無謀なDQNではなく、ちゃんとした社会人で登山経験も豊富な方たちが遭難して、7人のうち5人が亡くなっています

偶然(不運)と油断(判断ミス)が少しずつ折り重なって、最後の悲劇(遭難)へと進んでいきます

 ((((;゚д゚))))

 

 

 

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▲家形山避難小屋  7人が遭難前夜に宿泊

 

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▲家形山避難小屋の内部

 

高齢者が冬山遭難

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 70~80代の高齢者が

  2600メートルの冬山登山

 元気すぎると言うべきか

  無謀と言うべきか

 ((((;゚д゚))))

 

長野県の八ヶ岳連峰で、高齢(70代から80代)の男女3人が遭難し、17日夜から連絡がとれなくなっていましたが、警察などが1/18朝から捜索を行い3人を発見しました。

1/17の19時半すぎ、長野県の八ヶ岳連峰の標高およそ2600メートルの天狗岳の山頂付近で、高齢の男女3人のパーティーから

「身動きがとれなくなった」

と消防に通報があり、そのおよそ30分後の電話を最後に連絡が取れなくなりました。

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警察の山岳救助隊などは1/18午前5時ごろから捜索を始めたところ、8時前に、山頂付近で高齢の3人を発見しました。

警察によりますと、高齢男性2人は意識があるものの、高齢女性1人は意識がないということです。

警察などによりますと、高齢の3人は1/16入山し、1/17山小屋に宿泊する計画でした。

1/17の山頂付近では、雪が降っていたということで、警察が当時の状況を調べています。