43【文学読書】
バイデン写真疑惑
▲バイデン一家
アメリカ前大統領バイデン(82)が、家族と一緒の写真(↑)をSNSにアップ
この写真が「不自然だ!」として話題になってる
今はAIで合成写真が簡単に作れるけど、何か不自然な感じが残ったりする
それで、わざと不自然さのある写真を合成して、「どこが不自然か?」を当てるクイズがネット上で流行っていたりもする
上の写真をよく見ると、バイデンは階段の最上段付近にいるのに、背の高さ(頭の位置)が何となくおかしい
立ってるようには見えず、床にヒザをついてる、あるいは階段に腰かけてるくらいの高さなんだけど、スーツ着てヒザをついたり階段に腰掛けたりするかな?
バイデンは在職中に、階段で何度もコケてるから、ちょうどコケて起き上がった(まだヒザついてる)ところの写真なら、さもありなん
だいたい前大統領なんだから、普通はバイデンを中央にして写真とるでしょ
上の写真のせいで健康不安説まで出ている
「すでに死んでいるのではないか?」とか
バイデンは大統領在職中からヨボヨボしていたし、いつみまかっても不思議ではない
遺産相続か何かの関係で、まだ生きてることにしたい事情でもあるのかな?
それに比べて、トランプ(78)の元気なこと!
上のバイデン一家、オシャレとはほど遠い(ダサい)普段着みたいな格好なんだけど、わざと庶民性をアピールしてるつもり?
トランプ一家が常にモデルみたいに超オシャレなのと大違い
実際、トランプの奥さんは元モデルだしね
とにかく私は、ちょっとミステリアスと言うか、ホラーっぽい話がダイスキです
(^_^;)~♪
▲トランプ一家
* * * * * * *
追伸 ローマ教皇フランシスコの葬儀で、
「男性は黒いスーツと黒いネクタイ、白いシャツ」
というドレスコードを無視して、トランプが青いスーツとネクタイで参列し、世界中から非難ゴーゴー
こうゆう
「オレのルールは、オレが作る!」
みたいなオヤジって、面白いから好きです
その下で働きたいとは思わないけど
それでも、トランプは先進国の文明人だから、ルールを破ったことがニュースになってる
これがプーチンとか習近平なら、ルールを守ったことがニュースになるよ
(^_^;)~♪
訃報 西尾幹二
今朝、西尾幹二氏が亡くなられた
享年89
ドイツ文学者で、保守系論客としても有名
初めて彼の文章に接したのは、新宿高校1年の時の現代国語の教科書に、彼の著書「ヨーロッパの個人主義」の一部が載っていたから
この本のまえがき冒頭に
「ひとはつねに自分にとって切実なことのみを語らねばならぬ」
などとあって、読者に挑戦するような論調
さっそく1冊買ってきて読み始め、何回も読んだようで、いま手元にある本書には傍線や書き込みがかなり入っている
副題に
「人は自由という思想に耐えられるか」
とある通り、
自由あるいは運命とどう対峙して生きるべきか?
を、日本の明治以降の近代化に絡めて論じている
当時の教科書はもう処分してしまったので、どこが載っていたのか分からないのだが、下の鷗外を引用した前後だったかもしれない
デール・カーネギーの哲学「最悪を覚悟せよ」
▲デール・カーネギー
先日、日本製鉄がUSスチールを買収する当ブログ記事の中で、鉄鋼王カーネギー(アンドリュー・カーネギー、1835-1919)について書いた
アメリカにはもう一人の有名なカーネギー
デール・カーネギー(1888-1955)
という人がいる
鉄鋼王より半世紀ほど後に生まれた、自己啓発セミナー講師の元祖みたいな人で、その著書「道は開ける」「人を動かす」などで有名
「道は開ける」(→)には、人生に悩んでいる人へのアドバイスがハウトゥっぽく書かれている
その教えの一つに
「最悪を覚悟せよ」
というのがある
悩んでいる人というのは、アタマの中にモヤモヤしたものが充満して気分が落ち込み、思考力や行動力が落ちている場合が多いのだが、カーネギーは次のように言う
1)悩んでいることをすべて、紙の上に書き出せ
2)これから起こりうる最悪の事態を想定し、それも書き出せ
3)最悪の事態が現実になった状態をなるべくリアルにイメージせよ
4)最悪の事態を受け入れる覚悟を決めろ
5)最悪の事態を回避するために、今できることを書き出し、実行せよ
別に哲学的に深遠難解な表現は無く、たったこれだけなのだが、これが悩みの解消(または軽減)に非常に効果があると多くの人が言っているし、私もそう思う
多くの場合、悩める人は最悪の事態を直視せず、心の奥(潜在意識)に抑圧している場合が多いのだが、これを日常意識(顕在意識)の上に引きずり出す
書くことでアタマのモヤモヤを紙の上に引きずり出し、直視(客観視)する
そして最悪を受け入れる覚悟を決めることで、それ以下は無いという一種の安心感が得られる
この安心感の上で思考力や行動力を回復し、対応策のアイデアを出して実行する訳だ
ここで「紙に書く」というのが重要なポイントで、上の5段階をアタマの中だけでやろうとしても効果は乏しいように思われる
もちろん世の中には本当に深刻な悩みや精神病もあって、専門家による精神分析とか向精神薬などが必要になる場合もあるとは思うが、普通の人の日常的な悩みの8割以上は、上の5段階を踏むことで解決(軽減)されるだろう
これは立派な哲学で、まさにプラグマティズムの国アメリカらしい哲学だ
日本で哲学というと、明治維新以来の大学哲学科でドイツ哲学が主流を占めたせいか、やたらと難解な表現を有り難がる悪習があるが、馬鹿げたことだ
お葬式にお坊さんを呼んでお経をあげてもらい、お経の意味も分からずに有り難がっているのに似ている
人生をいかに生きるべきかの議論をするのに、壮大な理論体系を構築し、難解な表現を好んで使うのは、ヨーロッパの田舎者だったドイツ人の悪癖ではなかろうか
(ドイツ哲学が日本で必要以上に難解になったのは、日本人の翻訳家や哲学者にも責任の一端はあると思うが)
上の5段階の中で、特に重要なのは覚悟だと思う
よく俗に「死んだ気になれば何でも出来る」と言うが、人生で最悪の事態は死と考える人は多いだろう
だから死を受け入れる覚悟が本当に出来たら、その人は怖いもの無しになる
ただ、死を受け入れる覚悟をするのが簡単ではない
死を直視することもイメージすることも難しいし、考えることすら難しい
死と太陽は直視できない
死と税金からは逃れられない
人生を山登りに例えると(→)人生の前半は上り坂で、目の前にはこれから登る山道と、その先には無限の未来(青空)が広がっているように見える(見えるだけだが)
これが人生の後半になると、下り坂の先にフモトが見え、そこには大きな穴(死)がアリアリと見える
「無限の未来」が単なる幻想だったことが分かり、イヤでも死を直視せざるを得なくなる
だから最悪の事態(死)を受け入れる覚悟を決めるには、人生の後半は適した季節だ
哲学者の三木清は「人生論ノート」の冒頭、「死について」で次のように語っている
近頃私は死というものをそんなに恐しく思わなくなった。
年齢のせいであろう。
以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが。
思いがけなく来る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齢に私も達したのである。
三木清は48歳で亡くなっているから、上の文章は40代のものだろう
哲学者として若いころから死について考えてきた三木清の、心の変化がつづられている
つい最近、昭和の途中くらいまで、40代は初老で、50歳を過ぎると完全に老人だった
60歳を過ぎると赤いチャンチャンコを着て長寿のお祝いをし、70歳になっても生きていると、古稀(こき、昔からめったにいない長生きという意味)として周囲が祝福した
マンガ「サザエさん」の父、磯野波平(いそのなみへい、→)の年齢は、54歳ということになっていて、見るからに年寄りくさく描かれている
ここ半世紀ほどの高齢化がいかに急激な現象かが分かるし、そのおかげで日本は超高齢化社会になり、経済は停滞している
「エセー」の著者モンテーニュは言う
哲学とは、死の準備である
ソクラテスとか他の人も言ってるけどね
(^_^;)
映画「君たちはどう生きるか」
今週の 米国 映画収益ランキングで、
1位:「君たちはどう生きるか」
3位:「ゴジラ-1.0」
トップ3に日本映画2本は、ちょっとした快挙かな?
私はまだどちらも見てないので、内容についてどうこう言えません
「君たちはどう生きるか」(↑)は、吉野源三郎が1937年に出した哲学的な小説
1937年(昭和12年)は、盧溝橋事件が起きて日中が全面戦争に突入し、日米関係が緊迫の度を高めていたころです
そんな86年も前の本を、いまアニメ化しようと考えた宮崎駿監督(→)
よほど思い入れのある本なんでしょうかね?
著者の吉野源三郎という人は、東大哲学科を出て、何を思ったか26歳で陸軍に入り、2年後に辞めてからは反戦活動を始める
戦前に元陸軍将校が反戦活動をするのだから、軍や政府の上層部からにらまれるよね
もう少し後になって第二次大戦末期、時の首相の東條英機(→)は、気に入らない奴(特に左翼=共産主義者)を片っ端から徴兵して、危険な最前線に送るという手段を使った
その結果、若い人はもちろん、かなりの年配者でも最前線で亡くなったり、死ぬような苦労をした
私が東條英機を好きになれない最大の理由がこれだ
自分の周りにゴマすりイエスマンばかり集めて出世させ、優秀な人材を煙たがって左遷したのもこいつ
人間のちっぽけさ丸出しで、とても一国の首相とは思えない
今でもこんなトップのいる組織は、方向性や活力を失ってダメになりやすい
出陣学徒壮行会で「天皇陛下バンザイ」を叫んだのもこいつ(→)
こんな奴に送られて最前線へ出陣させられた学徒たちが気の毒だ
吉野源三郎も年齢的に最前線に送られておかしくなかったのだが(終戦時46歳)、運よくそうはならなかったようだ
もう少し若かったら、元軍人なんだから、間違いなく最前線送りだったと思う
戦前の左翼は命がけの覚悟が必要だったし、立派な人物も多かった
現在のふやけたパヨクとはまるで違う
戦後の吉野源三郎は、岩波書店で岩波新書や雑誌「世界」の創刊に携わり、当時の左翼運動の先頭に立った
戦後25年間くらいは左翼(共産主義)運動が盛んで、全学連などの学生が暴れまくり、日本も共産化しそうになったことがある
その最若年層に坂本龍一もいて、新宿高校で暴れていた
戦争に負けた日本(吉田茂内閣)は、米国中心の自由主義陣営と講和して国際社会に再デビューした
このとき吉野源三郎など左翼陣営は、ソ連や中国など共産国を含んだ講和を主張していた
この左翼陣営の主張が通っていたら、やがて左翼運動が盛り上がった1960年ころに日本が共産化して、現在の中国や北朝鮮のような暗黒独裁体制の共産主義国家になっていた可能性もあって恐ろしい
このころ、安倍ちゃんの祖父の岸信介首相が
「共産勢力に勝つためなら、何でも利用しよう!」
ということで、カルト宗教の統一教会(反共団体だった)に接近し、これが今に至る自民党と統一教会の腐れ縁になった
実際、共産革命を主張する全学連が国会を取り囲み(↓)、岸信介も命の危険を感じた
今では信じがたいが、日本が共産化するかどうか、紙一重だった
▲国会を取り囲んだデモ隊(1960年)
統一教会のおかげも少しはあったのか不明だが、日本は共産化を免れた
当時の大学生の多くや坂本龍一は、共産革命の成功を本気で信じていた
その熱っぽい雰囲気は、柴田翔「されどわれらが日々」を読むと伝わってくる
第二次大戦中の英国首相チャーチル(→)は
「ヒトラーに勝つためなら、悪魔とでも手を組む!」
と言ったらしい(史実かどうか知らんけど)
まさに岸信介はそれを実行し、共産主義者に勝つために、悪魔(統一教会)と手を組んだ
チャーチルも岸信介も、相当な悪党だと思うが、東條英機よりははるかに人間が大きい
政治とは結局、力(パワー)の世界なのだから、必要とあらば猫の手でも悪魔の手でも借りるくらいの器の大きい悪党じゃなきゃいけないと思う
黒船に乗ってペリーが日本に来てから170年、日本という国は随分と危険な橋を渡りながら現在に至っているのだなぁと思います
それでも何とか乗り切って来れたのは、徳川時代260年の天下太平の世で培われた民度の高さがあったからかな?
「どうする家康」終わっちゃったね
(^_^;)
* * * * * * *
追伸 大河ドラマ「どうする家康」の最終回
北川景子演じる茶々が、燃え上がる大坂城と血まみれの顔で最期に掃き捨てたセリフ
「つまらぬ国になるであろう」
「正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ
人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける」
「やさしくて、卑屈な、かよわき者の国に」
まさにニーチェの言った「畜群」そのもの
器の大きい悪党のいない国ですね
(;´Д`)
▲映画「君たちはどう生きるか」予告編(2023年)
▲学徒出陣壮行会(明治神宮外苑、1943年)
▲全学連の安保闘争デモ隊(1960年)
林芙美子の恩師 今井先生
私は展覧会などへ行っても有料のパンフレット(その展覧会の展示内容をまとめた1000円くらいのパンフレット)はめったに買わない
でも今回の「林芙美子展」(→)のパンフレットは、内容が充実していたので買った
新宿歴史博物館のスタッフの水準は、かなり高いのかもしれない
その中に、芙美子の恩師についてのページがあった
芙美子は極貧の家庭環境で育ち、当時の常識から言えば小学校卒業と同時に女中奉公か何かで社会に出るのが普通だったと思うが、芙美子の文学的才能に気付いた小学校教師のすすめで女学校に進学した
親からの経済的援助は期待できず、昼は学校で夜は学費稼ぎのバイトという生活を送り、しかも周囲は富裕な家庭のお嬢さまばかりという、かなりキツイ女学校生活だったはず
それなのに芙美子が女学校生活を余りツライと感じていない、むしろ良き思い出の時代らしいのは、この先生がいたことが非常に大きいのだろう
まさに「恩師」と呼ぶにふさわしい、芙美子にとってとても重要な存在で、この人が芙美子の才能を開花させたのかもしれない
性犯罪ばかり起こしている昨今の学校教師どもに比べたら別世界
さらに言えば、芙美子にとってもっと重要な人物は、いち早く芙美子の才能に気付いて進学をすすめた小学校の先生かもしれない
この人がいなければ、今井先生に出会うことも無かったのだ
(^_^;)
▲女学校を卒業して2年21歳、東京での極貧生活の中から送ったはがき
下足番、女工、事務員、カフェーの女給などでギリギリの極貧生活
原稿を雑誌社・出版社に売り込んで回り、ときには拾われた
当時の原稿料は、現金書留や為替で送られてきたので
郵便配達が「林さん、書留でーす」と来ると、芙美子の胸は高鳴った
このころに芙美子がつけていた日記が「放浪記」の原形
▲昭和4年26歳、今井先生へのはがき
前年(昭和3年)に雑誌「女人芸術」掲載の「放浪記」が好評
翌年(昭和5年)に「放浪記」の単行本が出てベストセラー化
芙美子は超売れっ子作家になった
新宿歴史博物館を歩く(林芙美子展)
▲林芙美子展
林芙美子記念館を歩く
▲林芙美子の書斎
林芙美子「放浪記」を読む
林芙美子(→)の代表作「放浪記」を読んだ
新潮文庫で576ページという、やや長い作品で、第一部、第二部、第三部に分かれている
第一部を読み始めると、話があちこち飛んで時系列が混乱しているような、ストーリー性が弱いような印象があって、はっきり言って読みにくい
これが原因で、途中で読むのを断念する人も多いらしい
話の途中に沢山の詩が入っているので、自伝的作品でありながら、詩作前後の背景解説付き詩集といった感じ
それでも何とか第一部を読み終え、一晩寝たら頭の中が少し整理されたのか、翌日に読んだ第二部以降は分かり易かったし、急に面白くなった
自伝的作品と言っても、中心は芙美子が20代の若く貧しかった時代の話
それも半端ない貧しさで、毎日の食べものを手に入れるのに汲々としている
空腹なのにお金が無く、下宿の下の階に忍び込み、炊事場で味噌汁を盗んで飲む場面には唖然とする
その中でも読書だけは、まさに寸暇を見つけて続けており、本当に文学が大好きなのがズキズキ伝わってくる
今からちょうど120年前の、明治36年(1903年)生まれなので、私から見ると祖父祖母の時代と重なる
この時代の貧しい家庭の子どもが小学校を卒業すると、男の子は丁稚奉公、女の子は女中奉公などに出るのが普通で、小卒で社会に出るのが当たり前の時代だった
大学へ行くのが珍しくもない現在のような豊かな社会になったのは、1960年代の高度成長以降のわずか半世紀ちょっとで、日本の歴史から言ったらごくごく最近の話なのだ
芙美子は小学生のころから、親と一緒に行商をしており、今で言えば飛び込み営業のような仕事もする貧しい家庭の子どもだった
旧制中学(女の子は女学校)へ進学できるのは、富裕な家庭の子どもに限られていた
そんな時代だったが、小学校の教師が芙美子の文学的才能を発見し、そのすすめもあって女学校に進学する
親からの支援はほとんど期待できず、
「昼は女学校で、夜はバイト」
「周囲はお金持ちのお嬢さまばかり」
という十代のキツイ4年間を過したはずなのだが、その辺の苦労話が本書には少ない
もしかすると、キツイながらも結構楽しい女学校生活を送っていたのかもしれないし、芙美子にはそんな精神的たくましさ(生命力)がある
芙美子自身も、芙美子の母親も男運が悪くて、つまり非常に稼ぎの悪い男とばかりくっついて、この辺の男関係や貧困生活の苦労話が哀愁を帯びている
確かに明日をも知れぬ毎日、赤貧洗うがごとしの毎日なのだが、その割に芙美子本人は余り深く悩んだりせず、「お金が無い無い」と言いながらもあっけらかんと毎日を送っており、たくましい生命力を感じさせる
おそらく「何も無い者の強み」というのか、もうこれ以上落ちようがない境遇のもたらす不思議な安心感のようなものがあったのかもしれない
雑貨の行商のような仕事から始まって職を転々とし、カフェーの女給(今ならキャバ嬢?)もしていて、この辺の描写が森光子(→)の有名な舞台「放浪記」で詳しく演じられていたらしい
舞台を生で見ることはなかったが、舞台を記録した動画が手元にあるので、「放浪記」の映画とともに近日中に観たいと思っている
実は、私が以前に住んでいたマンションの上の方の階に森光子が住んでいて、エレベーターで時々一緒になったりしていたのだが、話しかけたりお近づきになることはなかった(少しもったいなかったかな)
もちろん大女優なのだが、すぐ近くで見ると小柄なおばあさんといった感じ
こんな人が20代のカフェーの女給の役をやるのかなと不思議に思った
カフェーの女給をテーマにした文学と言えば永井荷風なのだが、彼はカフェーのお客となる金持ちの中年男で、芙美子はカフェーで働く貧しくて若い女という、まったく正反対の立場
荷風が足繁く通った銀座のカフェー「タイガー」の名は「放浪記」にも登場するが、荷風と芙美子が同じ店内で客と女給として同席したことは、たぶん無かったようだ
本書「放浪記」全体を読んだ印象としては、21世紀の今なら何の違和感もなく普通に生きていそうな現代的感覚の女性が、たまたま運悪く1世紀前に生まれてしまったような感じがする
「エセー」を書いたモンテーニュは、「中世に生まれた近代人」などと言われているが、彼は貴族だったので経済的な苦労はしていない
以前に瀬戸内寂聴(→)の動画を見ていたら、
「若い頃はいろいろ苦労したけど、
だんだん時代が私に追いついてきたので、
いまは生きるのがとても楽になりました」
というようなことを言っていた
芙美子の場合、時代が彼女に追いつくことは無かったのかもしれないが、たまたま雑誌に連載した「放浪記」(第一部)が人気となって、単行本もベストセラーになった
またたくまに文壇の寵児となり、貧困を抜け出して経済的成功も手に入れた
この辺の事情は、ギッシング「ヘンリ・ライクロフトの私記」を連想させる
19世紀の英国の売れない作家が、お金のためにしたくもない仕事をしたり、書きたくも無い雑文を書いたりして貧しく暮らしていたが、ある日遠い親戚の遺産が転がり込み、本当に書きたい作品だけを書くという恵まれた書斎生活に移行した喜びにあふれている
ジョブズ(→)は「適度なレベルのお金」( some money )が手に入ったら、それ以上のお金は人生にとって大切ではないと言ったが、その「適度なレベルのお金」すら無いとかなり悲惨な人生になるので、運良くそれが手に入った時の喜びは非常に大きいようだ
ただ芙美子の場合、出版社に原稿を持ち込んで断られたりした貧困時代の記憶のせいか、どんな仕事でも断ることなくガツガツ引き受けるので、同時代の同業者(作家)たちからは「仕事を奪う女」として嫌われていたそうだ
およそ人間には
遠くから見ると立派な人物なのだが、近くで付き合うとイヤな奴・・・(1)
遠くから見ると悪党だが、近くで付き合うとすごくいい人・・・(2)
の2種類がいるようだ
政治家で言えば(1)は中曽根康弘、(2)は田中角栄(→)と言われているが、どうなのだろうか
芙美子は、(2)のタイプだったのかもしれない
冒頭の新潮文庫の表紙に書かれた有名な言葉
「花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かりき」
は、芙美子の貧しくて苦しい前半生を象徴しているとされているが、作家の村岡花子に送った芙美子からの手紙に書かれた下の文章こそ、彼女の生命力を象徴している
「多かりき」と「多かれど」の違いに注目してください
経済的な成功を手に入れた芙美子は、新宿区に豪邸を建て、画家の男(手塚緑敏、→)と幸せな家庭生活を送っていた
だが、どんな仕事でも断ることなくガツガツ引き受けることで無理をし過ぎたせいか、1951年(昭和26年)にわずか47歳であっけなく急逝(心臓麻痺)
みじか過ぎる花のいのちを散らしてしまった
仕事の無理もあるが、若い頃の貧困による劣悪な食生活で栄養が偏り、免疫力が低下していたのではないだろうか
芙美子が急死した場所は、食レポ(グルメ紀行文)を書くために訪れたうなぎ屋で、芙美子はすでに超人気作家になっていたのに、そんな新人ライターがするような雑仕事まで引き受けていた
それで「仕事を奪う女」として文壇からは嫌われていて、芙美子の告別式では葬儀委員長をつとめた川端康成(→)が
故人は、文学的生命を保つため、他に対して
時にはひどいこともしたのでありますが
しかし、後二、三時間もすれば
故人は灰となってしまいます。
死は一切の罪悪を消滅させますから
どうか故人を許して貰いたいと思います
と弔辞を述べて、参列していた多くの芙美子ファンの涙を誘った
芙美子が一緒に暮らした手塚緑敏は、画家としての才能は開花せず、彼女の作家収入に依存して、今で言う「主夫」として暮らしていた
今ならそんな夫婦は珍しくないが、何しろ1世紀近くも前なので、周囲からは「髪結いの亭主」とか「甲斐性なし」「ヒモ」とか言われて白い目で見られていたかもしれない
でも手塚緑敏はそんなことを気にせず、右上の写真のように芙美子と仲良く楽しく暮らしていたようで、芙美子と同様に「たまたま運悪く1世紀前に生まれてしまった」現代的感覚の持ち主だったようだ
芙美子は1903年に生まれ、その前半生は極貧の中で生き、27歳(1930年)から「放浪記」が売れに売れて極貧から脱し、多くの仕事と実直な夫(緑敏)に囲まれて、充実した後半生(約20年間)を生きた
芙美子が建てて手塚緑敏との楽しい生活を送った豪邸は、現在は林芙美子記念館として公開されている
近日中に尋ねてみたいと思っている
(^_^;)
21歳の日本人の6割は全く本を読まない
▲モンテーニュの読書室(librairie)
21歳の日本人の6割は、まったく本を読まない。
文部科学省が10/13に公表した令和4年の「21世紀出生児縦断調査」でこんな結果が出た。
同じ若者が小学生だった当時よりも読書量が大きく落ち込んでおり、交流サイト(SNS)や動画投稿サイトの普及が一因と指摘されている。
文部科学省は
「読書は人生の豊かさにつながる
図書館の整備などを通して
読書の習慣付けを後押ししたい」
とした。
文部科学省は、平成13年に生まれた特定の子供に、毎年多岐にわたる質問をして、その変化を調べている。
今回は約2万2千人分の回答を分析した。
「この1カ月に読んだ紙の書籍(本)の数」との質問に「0冊」と答えたのは62・3%。
「1冊」19・7%、「2、3冊」12・3%、「4冊以上」5・8%だった。
* * * * * * *
文部科学省が「読書は人生の豊かさにつながる」と言っているのは、間違いではないが、読書に限定する必要はないと思う
スポーツは人生の豊かさにつながる
旅は人生の豊かさにつながる
仕事は人生の豊かさにつながる
人間関係は人生の豊かさにつながる
コスプレ(→)は人生の豊かさにつながる
他人に迷惑をかけず、しかも本人には楽しい(または有意義な)何かをすれば、たいてい人生の豊かさにつながるものだ
文豪の永井荷風(→)は「人生に三楽あり」と言った
それは酒と女と読書だった
作家なので読書が入るのは当然かもしれない
酒を人生の楽の一つにしている人は多かろう
女を三楽に入れているのは、いかにも荷風だ
ただ荷風の場合、それは単なる交際やセックスにとどまらず、のぞき趣味などかなり変態の色彩を帯びている
何を人生の楽にするかは、各個人が勝手に決めればいいことだ
人生に三楽どころか、二楽も一楽も無い、まったく無いというのは少々悲しい
現在の日本のような、平和で自由で豊かな国に生まれて、何も楽しみを見つけられないというのは、余りにも悲し過ぎる
しかしそれも個人の自由、他人が本人に向かってとやかく言うことではない
話を読書に戻すと、読書は単なる趣味だ
本を読む読まないは、100%個人の自由だ
ただ私が一緒に酒を飲むなら、読書を趣味にしている人と飲みたい
なぜなら本を読まない人は、たいてい話題が貧困で、会話の相手として詰まらないからだ
誰と一緒に酒を飲む飲まないは、100%私の自由だ
(^_^;)