43【文学読書】

東洋英和女学院

▲六本木の鳥居坂通り 右が東洋英和

ネットニュースを見ていたら、東洋英和の中3・高1が夏休みカナダ研修という記事がありました

旅行費用の国内外価格差が減少(逆転)して、海外修学旅行が流行した時期がありましたが、最近は円安で騒がれなくなったけど、さすがお嬢さまの通う東洋英和は続けてますね(研修だから修学旅行とは少し違うのかな?)

東洋英和女学院は、大学は横浜にありますけど、幼稚園から高校までは六本木にあります

都内では新宿歌舞伎町と並ぶ「危険エリア」六本木ですから、こんなところへ子供を通わせて大丈夫なのかな?という気もしますが、子供の事故とか事件の話は余り聞かないですね

六本木の街を歩いていると、ランドセルを背負った子供とか制服を着た女子中高生などをよく見かけるのですが、その多くは東洋英和の生徒さんたちだと思います

六本木という場所柄、オシャレな制服を想像しますが、意外と普通ですね

私は以前、六本木駅の近くに30年くらい住んでいたので、東洋英和のある鳥居坂通りは、朝散歩などでよく歩きました

外苑東通りの猥雑な飲食風俗街から一本横道に入っただけなのですが、鳥居坂通りは静かな落ち着いた通りで、散歩道には最適でした

新宿歌舞伎町は広大な繁華街ですが、六本木の繁華街はそれに比べるとごく狭く、ちょっと横道に入ると落ち着いた麻布の住宅街です

六本木には、かつて陸軍歩兵連隊(聯隊)があって、二・二六事件の時はここから反乱軍の将兵が出撃して皇居方面へ向かいました

戦後は陸軍の敷地だった場所に米軍が駐留し、一気に横須賀みたいな米軍の街となり、流行や風俗の最先端を走ることになる

野地さんの本で有名なイタリアン「キャンティ」などのオシャレなお店に、三島由紀夫とか当時のインテリ文化人も集まるようになった

加藤和彦安井かずみも、鳥居坂の近くに住んでましたね

今年は三島由紀夫の生誕100年です

彼の早逝は誠に痛恨事でしたが、そのおかげで記憶の中の三島は常に若々しい

米軍が去って自衛隊の駐屯地となり、さらに自衛隊も去って、それが現在のミッドタウン

六本木は、日本の近現代史の縮図のような街です

(^_^;)~♪

皆既月食とAI判決

今日の深夜(9/8の03時ころ)、皆既月食です

ちなみに今日は二十四節気の「白露

夜間の気温が下がり、草花や木々に朝露が宿り始める頃を指すそうです

夏の暑さが和らぎ、秋の気配が深まる時期とのことですが、まだまだ暑いなぁ

白露(はくろ)は、秋の季語

与謝蕪村も作品を残しています

白露や 茨の刺に ひとつづつ

(しらつゆや いばらのはりに ひとつづつ)

秋も深くなり、あたり一面に露が降りている。いばらに近づいてみれば、その鋭い刺(とげ)の先の一つ一つに露の玉がくっついて輝いている

話は飛びますが、アメリカでこんな判決が出ました

生成AI学習に「著書を無断利用」と訴えられた米新興企業

2200億円支払い和解 著作権侵害で最大額か

詳細はここをクリック

これだけの金額をポンと払えるくらい、いまAI企業は儲かってるのかな?

今回の判決で

約50万冊に1冊あたり3000ドル(44万円)

というのがスゴい!と思うんです

1000冊とか2000冊じゃない、50万冊ですよ

50万冊はだいたい、都内の区立図書館1館の蔵書数です

広尾にある都立中央図書館が240万冊、永田町の国立国会図書館が4600万冊、アメリカ議会図書館(世界最大)が1億7000万点(写真や動画を含む)

日本では年間に7万冊(7万タイトル=毎日200タイトル)くらいの新刊書が出版されてますから、50万冊というと新刊の7年分以上で、それだけの本をAIが読んで学習した訳です

いま日本だと、新刊本の初版は4000部くらいで、売れなくて初版で終わる本も多い

仮に1冊1500円として、せいぜい売上600万(1500×4000)で、著者に入る印税は10%くらいだから60万円

英語圏はもう少し高いかもしれないけど、該当する50万冊の著者には、44万円はウレシイ臨時ボーナスかもしれませんね

(^_^;)~♪

 

バイデン写真疑惑

▲バイデン一家

 

アメリカ前大統領バイデン(82)が、家族と一緒の写真(↑)をSNSにアップ

この写真が「不自然だ!」として話題になってる

今はAIで合成写真が簡単に作れるけど、何か不自然な感じが残ったりする

それで、わざと不自然さのある写真を合成して、「どこが不自然か?」を当てるクイズがネット上で流行っていたりもする

上の写真をよく見ると、バイデンは階段の最上段付近にいるのに、背の高さ(頭の位置)が何となくおかしい

立ってるようには見えず、床にヒザをついてる、あるいは階段に腰かけてるくらいの高さなんだけど、スーツ着てヒザをついたり階段に腰掛けたりするかな?

バイデンは在職中に、階段で何度もコケてるから、ちょうどコケて起き上がった(まだヒザついてる)ところの写真なら、さもありなん

だいたい前大統領なんだから、普通はバイデンを中央にして写真とるでしょ

上の写真のせいで健康不安説まで出ている

「すでに死んでいるのではないか?」とか

バイデンは大統領在職中からヨボヨボしていたし、いつみまかっても不思議ではない

遺産相続か何かの関係で、まだ生きてることにしたい事情でもあるのかな?

それに比べて、トランプ(78)の元気なこと!

上のバイデン一家、オシャレとはほど遠い(ダサい)普段着みたいな格好なんだけど、わざと庶民性をアピールしてるつもり?

トランプ一家が常にモデルみたいに超オシャレなのと大違い

実際、トランプの奥さんは元モデルだしね

とにかく私は、ちょっとミステリアスと言うか、ホラーっぽい話がダイスキです

(^_^;)~♪

▲トランプ一家

詳細はここをクリック

 

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追伸 ローマ教皇フランシスコの葬儀で、

「男性は黒いスーツと黒いネクタイ、白いシャツ」

というドレスコードを無視して、トランプが青いスーツとネクタイで参列し、世界中から非難ゴーゴー

こうゆう

「オレのルールは、オレが作る!」

みたいなオヤジって、面白いから好きです

その下で働きたいとは思わないけど

それでも、トランプは先進国の文明人だから、ルールを破ったことがニュースになってる

これがプーチンとか習近平なら、ルールを守ったことがニュースになるよ

(^_^;)~♪

訃報 西尾幹二

今朝、西尾幹二氏が亡くなられた

享年89

ドイツ文学者で、保守系論客としても有名

初めて彼の文章に接したのは、新宿高校1年の時の現代国語の教科書に、彼の著書「ヨーロッパの個人主義」の一部が載っていたから

この本のまえがき冒頭に

「ひとはつねに自分にとって切実なことのみを語らねばならぬ」

などとあって、読者に挑戦するような論調

さっそく1冊買ってきて読み始め、何回も読んだようで、いま手元にある本書には傍線や書き込みがかなり入っている

副題に

「人は自由という思想に耐えられるか」

とある通り、

自由あるいは運命とどう対峙して生きるべきか?

を、日本の明治以降の近代化に絡めて論じている

当時の教科書はもう処分してしまったので、どこが載っていたのか分からないのだが、下の鷗外を引用した前後だったかもしれない

デール・カーネギーの哲学「最悪を覚悟せよ」

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▲デール・カーネギー

 

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先日、日本製鉄がUSスチールを買収する当ブログ記事の中で、鉄鋼王カーネギー(アンドリュー・カーネギー、1835-1919)について書いた

アメリカにはもう一人の有名なカーネギー

デール・カーネギー(1888-1955)

という人がいる

鉄鋼王より半世紀ほど後に生まれた、自己啓発セミナー講師の元祖みたいな人で、その著書「道は開ける」「人を動かす」などで有名

道は開ける(→)には、人生に悩んでいる人へのアドバイスがハウトゥっぽく書かれている

その教えの一つに

「最悪を覚悟せよ」

というのがある

悩んでいる人というのは、アタマの中にモヤモヤしたものが充満して気分が落ち込み、思考力や行動力が落ちている場合が多いのだが、カーネギーは次のように言う

1)悩んでいることをすべて、紙の上に書き出せ

2)これから起こりうる最悪の事態を想定し、それも書き出せ

3)最悪の事態が現実になった状態をなるべくリアルにイメージせよ

4)最悪の事態を受け入れる覚悟を決めろ

5)最悪の事態を回避するために、今できることを書き出し、実行せよ

別に哲学的に深遠難解な表現は無く、たったこれだけなのだが、これが悩みの解消(または軽減)に非常に効果があると多くの人が言っているし、私もそう思う

多くの場合、悩める人は最悪の事態を直視せず、心の奥(潜在意識)に抑圧している場合が多いのだが、これを日常意識(顕在意識)の上に引きずり出す

書くことでアタマのモヤモヤを紙の上に引きずり出し、直視(客観視)する

そして最悪を受け入れる覚悟を決めることで、それ以下は無いという一種の安心感が得られる

この安心感の上で思考力や行動力を回復し、対応策のアイデアを出して実行する訳だ

ここで「紙に書く」というのが重要なポイントで、上の5段階をアタマの中だけでやろうとしても効果は乏しいように思われる

もちろん世の中には本当に深刻な悩みや精神病もあって、専門家による精神分析とか向精神薬などが必要になる場合もあるとは思うが、普通の人の日常的な悩みの8割以上は、上の5段階を踏むことで解決(軽減)されるだろう

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これは立派な哲学で、まさにプラグマティズムの国アメリカらしい哲学だ

日本で哲学というと、明治維新以来の大学哲学科でドイツ哲学が主流を占めたせいか、やたらと難解な表現を有り難がる悪習があるが、馬鹿げたことだ

お葬式にお坊さんを呼んでお経をあげてもらい、お経の意味も分からずに有り難がっているのに似ている

人生をいかに生きるべきかの議論をするのに、壮大な理論体系を構築し、難解な表現を好んで使うのは、ヨーロッパの田舎者だったドイツ人の悪癖ではなかろうか

(ドイツ哲学が日本で必要以上に難解になったのは、日本人の翻訳家や哲学者にも責任の一端はあると思うが)

上の5段階の中で、特に重要なのは覚悟だと思う

よく俗に「死んだ気になれば何でも出来る」と言うが、人生で最悪の事態は死と考える人は多いだろう

だから死を受け入れる覚悟が本当に出来たら、その人は怖いもの無しになる

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ただ、死を受け入れる覚悟をするのが簡単ではない

死を直視することもイメージすることも難しいし、考えることすら難しい

死と太陽は直視できない

死と税金からは逃れられない

人生を山登りに例えると(→)人生の前半は上り坂で、目の前にはこれから登る山道と、その先には無限の未来(青空)が広がっているように見える(見えるだけだが)

これが人生の後半になると、下り坂の先にフモトが見え、そこには大きな穴(死)がアリアリと見える

「無限の未来」が単なる幻想だったことが分かり、イヤでも死を直視せざるを得なくなる

だから最悪の事態(死)を受け入れる覚悟を決めるには、人生の後半は適した季節だ

哲学者の三木清は「人生論ノート」の冒頭、「死について」で次のように語っている

近頃私は死というものをそんなに恐しく思わなくなった。

年齢のせいであろう。

以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが。

思いがけなく来る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齢に私も達したのである。

三木清は48歳で亡くなっているから、上の文章は40代のものだろう

哲学者として若いころから死について考えてきた三木清の、心の変化がつづられている

つい最近、昭和の途中くらいまで、40代は初老で、50歳を過ぎると完全に老人だった

60歳を過ぎると赤いチャンチャンコを着て長寿のお祝いをし、70歳になっても生きていると、古稀(こき、昔からめったにいない長生きという意味)として周囲が祝福した

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マンガ「サザエさん」の父、磯野波平(いそのなみへい、→)の年齢は、54歳ということになっていて、見るからに年寄りくさく描かれている

ここ半世紀ほどの高齢化がいかに急激な現象かが分かるし、そのおかげで日本は超高齢化社会になり、経済は停滞している

「エセー」の著者モンテーニュは言う

哲学とは、死の準備である

ソクラテスとか他の人も言ってるけどね

(^_^;)

 

映画「君たちはどう生きるか」

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今週の 米国 映画収益ランキングで、

1位:「君たちはどう生きるか」

3位:「ゴジラ-1.0」

トップ3に日本映画2本は、ちょっとした快挙かな?

私はまだどちらも見てないので、内容についてどうこう言えません

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「君たちはどう生きるか」(↑)は、吉野源三郎が1937年に出した哲学的な小説

1937年(昭和12年)は、盧溝橋事件が起きて日中が全面戦争に突入し、日米関係が緊迫の度を高めていたころです

そんな86年も前の本を、いまアニメ化しようと考えた宮崎駿監督(→)

よほど思い入れのある本なんでしょうかね?

著者の吉野源三郎という人は、東大哲学科を出て、何を思ったか26歳で陸軍に入り、2年後に辞めてからは反戦活動を始める

戦前に元陸軍将校が反戦活動をするのだから、軍や政府の上層部からにらまれるよね

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もう少し後になって第二次大戦末期、時の首相の東條英機(→)は、気に入らない奴(特に左翼=共産主義者)を片っ端から徴兵して、危険な最前線に送るという手段を使った

その結果、若い人はもちろん、かなりの年配者でも最前線で亡くなったり、死ぬような苦労をした

私が東條英機を好きになれない最大の理由がこれだ

自分の周りにゴマすりイエスマンばかり集めて出世させ、優秀な人材を煙たがって左遷したのもこいつ

人間のちっぽけさ丸出しで、とても一国の首相とは思えない

今でもこんなトップのいる組織は、方向性や活力を失ってダメになりやすい

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出陣学徒壮行会で「天皇陛下バンザイ」を叫んだのもこいつ(→)

こんな奴に送られて最前線へ出陣させられた学徒たちが気の毒だ

吉野源三郎も年齢的に最前線に送られておかしくなかったのだが(終戦時46歳)、運よくそうはならなかったようだ

もう少し若かったら、元軍人なんだから、間違いなく最前線送りだったと思う

戦前の左翼は命がけの覚悟が必要だったし、立派な人物も多かった

現在のふやけたパヨクとはまるで違う

戦後の吉野源三郎は、岩波書店で岩波新書や雑誌「世界」の創刊に携わり、当時の左翼運動の先頭に立った

戦後25年間くらいは左翼(共産主義)運動が盛んで、全学連などの学生が暴れまくり、日本も共産化しそうになったことがある

その最若年層に坂本龍一もいて、新宿高校で暴れていた

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戦争に負けた日本(吉田茂内閣)は、米国中心の自由主義陣営と講和して国際社会に再デビューした

このとき吉野源三郎など左翼陣営は、ソ連や中国など共産国を含んだ講和を主張していた

この左翼陣営の主張が通っていたら、やがて左翼運動が盛り上がった1960年ころに日本が共産化して、現在の中国や北朝鮮のような暗黒独裁体制の共産主義国家になっていた可能性もあって恐ろしい

このころ、安倍ちゃんの祖父の岸信介首相が

「共産勢力に勝つためなら、何でも利用しよう!」

ということで、カルト宗教の統一教会(反共団体だった)に接近し、これが今に至る自民党と統一教会の腐れ縁になった

実際、共産革命を主張する全学連が国会を取り囲み(↓)、岸信介も命の危険を感じた

今では信じがたいが、日本が共産化するかどうか、紙一重だった

 

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▲国会を取り囲んだデモ隊(1960年)

 

統一教会のおかげも少しはあったのか不明だが、日本は共産化を免れた

当時の大学生の多くや坂本龍一は、共産革命の成功を本気で信じていた

その熱っぽい雰囲気は、柴田翔「されどわれらが日々」を読むと伝わってくる

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第二次大戦中の英国首相チャーチル(→)

「ヒトラーに勝つためなら、悪魔とでも手を組む!」

と言ったらしい(史実かどうか知らんけど)

まさに岸信介はそれを実行し、共産主義者に勝つために、悪魔(統一教会)と手を組んだ

チャーチルも岸信介も、相当な悪党だと思うが、東條英機よりははるかに人間が大きい

政治とは結局、力(パワー)の世界なのだから、必要とあらば猫の手でも悪魔の手でも借りるくらいの器の大きい悪党じゃなきゃいけないと思う

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黒船に乗ってペリーが日本に来てから170年、日本という国は随分と危険な橋を渡りながら現在に至っているのだなぁと思います

それでも何とか乗り切って来れたのは、徳川時代260年の天下太平の世で培われた民度の高さがあったからかな?

「どうする家康」終わっちゃったね

(^_^;)

 

* * * * * * *

 

追伸 大河ドラマ「どうする家康」の最終回

北川景子演じる茶々が、燃え上がる大坂城と血まみれの顔で最期に掃き捨てたセリフ

つまらぬ国になるであろう」

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「正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ

 人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける」

「やさしくて、卑屈な、かよわき者の国に」

まさにニーチェの言った「畜群」そのもの

器の大きい悪党のいない国ですね

(;´Д`)

 

 

▲映画「君たちはどう生きるか」予告編(2023年)

 

▲学徒出陣壮行会(明治神宮外苑、1943年)

 

▲全学連の安保闘争デモ隊(1960年)

 

林芙美子の恩師 今井先生

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私は展覧会などへ行っても有料のパンフレット(その展覧会の展示内容をまとめた1000円くらいのパンフレット)はめったに買わない

でも今回の「林芙美子展」(→)のパンフレットは、内容が充実していたので買った

新宿歴史博物館のスタッフの水準は、かなり高いのかもしれない

その中に、芙美子の恩師についてのページがあった

芙美子は極貧の家庭環境で育ち、当時の常識から言えば小学校卒業と同時に女中奉公か何かで社会に出るのが普通だったと思うが、芙美子の文学的才能に気付いた小学校教師のすすめで女学校に進学した

親からの経済的援助は期待できず、昼は学校で夜は学費稼ぎのバイトという生活を送り、しかも周囲は富裕な家庭のお嬢さまばかりという、かなりキツイ女学校生活だったはず

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それなのに芙美子が女学校生活を余りツライと感じていない、むしろ良き思い出の時代らしいのは、この先生がいたことが非常に大きいのだろう

まさに「恩師」と呼ぶにふさわしい、芙美子にとってとても重要な存在で、この人が芙美子の才能を開花させたのかもしれない

性犯罪ばかり起こしている昨今の学校教師どもに比べたら別世界

さらに言えば、芙美子にとってもっと重要な人物は、いち早く芙美子の才能に気付いて進学をすすめた小学校の先生かもしれない

この人がいなければ、今井先生に出会うことも無かったのだ

(^_^;)

 

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▲女学校を卒業して2年21歳、東京での極貧生活の中から送ったはがき

下足番、女工、事務員、カフェーの女給などでギリギリの極貧生活

原稿を雑誌社・出版社に売り込んで回り、ときには拾われた

当時の原稿料は、現金書留や為替で送られてきたので

郵便配達が「林さん、書留でーす」と来ると、芙美子の胸は高鳴った

このころに芙美子がつけていた日記が「放浪記」の原形

 

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▲昭和4年26歳、今井先生へのはがき

前年(昭和3年)に雑誌「女人芸術」掲載の「放浪記」が好評

翌年(昭和5年)に「放浪記」の単行本が出てベストセラー化

芙美子は超売れっ子作家になった

 

「新宿歴史博物館を歩く(林芙美子展)」へ