鳥取県は世田谷区の半分?

日本一人口の少ない県である鳥取県の人口が、52万人を割りました

世の中には田舎好きの人もいるでしょうけど、私は圧倒的に都会好き

田舎の散歩は好きだけど、それはたまに行くから良いのであって、そこにずっと永住する気にはなれません

だから田舎の人口が減っていくのは、何となく理解できる

人生の後半に入って、のんびり田舎で暮らしたいというのは分からなくもないけど、10代20代の若者が田舎から出たくないというのは、美しい郷土愛と言うより、心の活力が少し欠けてないかい?と心配になる

で、表題の比較ですけど

鳥取県52万人 世田谷区95万人

となっていて、大ざっぱに言えば、鳥取県は世田谷区の半分

▲少し前のデータです▼

鳥取県はお隣の島根県と合併して、「鳥島県」とかになったら、知事も一人で済むし、行政コストが削減できそう

ただ、同じ島根県の中でも出雲人と石見人では気風がエラく違っていたりするから、合併なんてとんでもなくて、むしろ

出雲県と石見県に分けてくれ!

という意見も出そう(たぶんもう出てるはず)

出雲は「いずも」、石見は「いわみ」と読みます

島根県(岩見地方)出身の森鴎外は、死に臨んで

余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス

と遺言していて、何となく

出雲人と一緒にされてたまるか!

というような気魄を感じます

森鴎外は文豪であると同時に、東大医学部卒業後ドイツに留学して軍医総監をつとめたほどの人だから、国際的な教養や視野もあったはずですが、わずか100年くらい前でも「日本人である前に石見人」という帰属意識が強かったようです

出雲人:忍耐強い、真面目、温厚、引っ込み思案、排他的、陰湿、石橋を叩いても渡らない、保守的

石見人:飽きっぽい、適当、激情、目立ちたがり、開放的、単純、ロクにモノを考えず実行、革新的

これが事実なら、まさに水と油で、

ひとつの県の中にゲルマン系とラテン系が住んでいる

と言っても過言ではない(やっかいな県だね)

逆に、鳥取県や島根県の倍近くもある世田谷区は、デカ過ぎるので分割案とかもありそう

でもそうなると、練馬区とか大田区とか人口上位の区もバリバリ分割をめざして(政治家にとって区長や区議のポストが増えるのは歓迎?)、簡単には済みそうもない

もちろんそこに住むのなら、人口より中身が重要ですけどね

 

* * * * * * *

 

4/9に中学友人Uちゃんとハマ研(横浜を歩く)をして、そのとき

大阪府と大阪市には合併話として

大阪都構想」があるのに

神奈川県と横浜市の合併話は出ないね

という話題になりました

人口で言えば、神奈川県は大阪府より大きく、横浜市は大阪市より大きいんですけど

「お住まいは?」と尋ねられたら「横浜市!」と答えて

絶対に「神奈川県」とは言わないらしい横浜市民

が、そんなアホな合併話に乗る訳ないよね

おそらく「小田原あたりと一緒にされてたまるか!」という、森鴎外みたいな心理があるのかもね

(^_^;)~♪

ゴジラ-0.0

11/3公開の新作「ゴジラ-0.0」 最初の予告動画

山潤さんからの情報提供、ありがとねー

(^_^;)~♪

サンマル会 創立総会

本日、「サンマル会」の創立総会が、いつもの新宿「パセラ」で開催されました

と言っても名前が変わっただけで、母体は伝統ある特撮分科会など多数

「サンマル会」は略称で、正式名称は

「昭和30年代生まれの会」

あるいは「サン・マルク会」

だったかな?

上の写真は、たけちゃんご提供の松田聖子ライブ動画から

今は亡き神田沙也加と共演で、4K高画質の超「お宝」映像

20年以上前なので、松田聖子がまだ若い!

みんな「昭和の世界」にタップリひたりました

10日間の国際クルーズから戻ったばかりの山潤さん、幹事役ありがとー!

クルーズ中に撮った写真も見せてもらいました

うっかりして恒例の全員記念撮影を忘れちゃった

(^_^;)~♪

▲山潤さんが乗ったクルーズ船

▲おみやげのクルーズクッキー

▲クルーズ船内のラジオ体操

18時集合でしたので、通勤帰りのラッシュにぶつかり、新宿駅がすさまじい混雑!

特に埼京線ホームは、池袋方面へ向かう乗客の待ち行列がホームからあふれそうで移動困難、遭難しそうになり、18時に少し遅れてしまいました

m(__)m

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谷川岳を歩く

▲地下神殿(土合駅地下ホーム)

昨日4/21の朝、起きたら天気が良さそうだったので、急に思い立って谷川岳を歩きました

谷川岳は遭難で亡くなる人の多い「魔の山」ですが、今回はフモトを少し歩いただけ

桜は咲いてたけど、さすがに標高が高いので、少し寒かったなぁ

道ばたの日影には、まだ残雪がありました

久々に上った地下神殿(土合駅地下ホーム)からの階段、ちょっと疲れました

帰りに越後湯沢に寄りました

(^_^;)~♪

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「横浜」をつくった男

先日のハマ研(横浜歴史散歩)で知った高島嘉右衛門の伝記

高木彬光(ミステリー作家)著

「横浜」をつくった男 易聖・高島嘉右衛門の生涯

いま読み終えました

前述の通り、大実業家でありながら占い師という不思議な男の人生

■佐賀鍋島藩とのご縁

当時(幕末)の鍋島藩には、鍋島直正という名君がいて、この殿様(別名閑叟公かんそうこう)が若き日の高島嘉右衛門の人物を見抜いてチャンスを与えていきます

例えば、日本にやってきた「異人」たちが日本の焼き物(陶磁器)を好むことから、佐賀特産の伊万里焼などのお店(鍋島藩の直営店のようなもの)を横浜に出す

その店の経営を任されたのが、若き日の高島嘉右衛門で、ここで商才を発揮して実業家としての実績と人脈を築き、横浜との関係を深めていく

■裁定取引に手を出して投獄

ここで彼は、当時の金と銀の内外価格差による裁定取引(アービトラージ)に目をつけて手を出すが、これが幕府の国禁に触れて捕まります

実はこの裁定取引、「異人」が主導して、日本の金(ゴールド)が大量に国外流出するという、日本にとって巨大な損失となる大事件でした

ボロ儲けした「異人」たちはうまくたちまわってお構いなしだったり海外へ逃げたり

つられて手を出した高島嘉右衛門が罪人となるという、やや不運な巡り合わせ

総じて日本の警察検察は、日本人には威張りまくるが外国人に甘く、今でも外国人犯罪者に「不起訴」を出しまくって日本国民の怒りを買っています

■獄中で易経に出会う

結局、6年間の地獄のような獄中生活を味わう訳ですが、その獄中にたまたまあった「易経」(えききょう)の本を暗記するほど熟読して占いの世界にハマリます

江戸時代までの学問と言えば、まず四書五経で、その五経の筆頭にあるのが易経

現代人の感覚から言うと、

なぜ占いの本がそんなに重要な位置づけなのか?

フシギですが、とにかく東洋思想では占いを非常に重要視していたようです

シャバに出た高島嘉右衛門は、商才と占いの知識を活用して、明治政府要人との間に人脈を築き、大実業家への道を邁進します

政治家は先の見えない状況で重大な決断を迫られることが多いので、占いに関心が高かったようです

特に伊藤博文との関係は極めて濃厚!

伊藤博文が大陸へ行く直前、占いで凶相だと言って止めるのですが、それを振り切って旅立った伊藤博文は暗殺されてしまう

■ガス灯

先日の横浜歴史散歩で馬車道を歩いていたら、店の前に今でもガス灯を灯しているフレンチレストランがあったんです

馬車道ですから昔の「馬の水飲み場」があって、それを見ていたらお店の人が出て来て、「この街灯は今でもガスを送って光ってるんだよ」と教えてくれました

その時は予備知識が無かったので、「今でもガス灯をともしてるなんて面白い店だなぁ」なんて思っただけでした

ところがこの場所(馬車道十番館)には、かつて高島嘉右衛門の自宅があって、ガス灯の会社を運営(ガスを供給)していた場所だったようです

高島嘉右衛門は、横浜や東京に街灯(ガス灯)を広めました

街灯など無く夜は漆黒の闇、提灯(ちょうちん)をぶら下げて歩くしかなかった当時の日本人

街灯を見て「まるで昼間のようだ!」と驚いたようです

(^_^;)~♪

馬車道十番館

▲夜はこんな感じ 今でもガスの光が輝いてる

除菌用アルコール(1)

上の写真は、武漢コロナが猛威をふるっていた2021年6月に買った除菌用アルコール缶

■価格

Amazonで18リットル3788円(税送料込み)、1リットルあたり210円

ふつう家庭用500ml入りが500~1000円位だから、まとめて買うと安いね

これを百均で買った小分けスプレーボトルに詰めてせっせと除菌

そして5年たった今月、ほぼ使い切りました!

年3.6リットル、月平均300mlくらい使った訳です

コロナはほぼ去ったけど、除菌習慣は残った

また買おうとAmazonを見たら同製品が5300円で、4割ほど値上がりしてました

原油から精製する訳ではないだろうから、ホルムズ海峡は関係ないと思う

円安のせいかな?(5年前は1ドル110円で、今は160円)

5年前 3788円÷110=34.4ドル

いま 5300円÷160=33.1ドル

■保管場所

ガソリンほどではないけど引火性があるので、室内に置くと危険

それでベランダの日の当たらない場所に保管箱を設置して、その中に保管しました

ついでにカセットコンロの燃料も20~30本くらい保管

これだけあると地震なんかで電気が止まった場合、少なくとも3か月くらいはキッチンで加熱調理できそう

最悪、カセットボンベが無くなっても、除菌アルコールは燃料にも使える

昨年の猛暑では、保管箱内に温度計を置いて、内部温度に気を付けました

■濃度

15kgとありますが水より軽いので18リットルで15kg

アルコール濃度が7割くらいなのには、理由があります

それにしても濃度は67.9%なのに、ネーミングは「ユービーコール75」にして、濃度75%と誤解させようとする商魂

除菌には濃度7~8割が良いとされてますが、濃度を少しでも下げればコストが下がって利益が増える

(^_^;)~♪

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酷暑日

気象庁が4/17、最高気温が40度以上の日の名称を「酷暑日」と決め、今後、予報用語として使用すると発表しました

酷暑日 最高気温40℃以上

猛暑日 最高気温35℃以上

真夏日 最高気温30℃以上

夏日  最高気温25℃以上

熱帯夜 最低気温25℃以上

もうすぐ夏ですね

散歩が大好きな私ですが、昨年7~9月は余りの暑さにすっかり参ってしまい、なるべく外出せず、自宅の冷房の効いた部屋で静かにしてました

親が新潟の豪雪地帯出身なので、私のDNAは寒さには割と強いけど、暑さには弱いのかもしれません

年々だんだん暑くなってるような気がするので、今年の「酷暑」が心配です

(;×_×;;;) ヒー

夜散歩2026春

一日中机に向かって倦んだので、4/14夜22時くらいから近所を散歩

朝散歩コースとほぼ同じなので、さほど変わり映えはしませんが、昼と夜では雰囲気がだいぶ変わります

先日、桜が満開のころ、朝散歩と夜桜を比較しましたが、今回はすでに桜が散って、日常的な風景が戻ってきたバージョン

旅行とかイベントの写真はバッチリ残るけど、こんな何げない日常の写真は残りにくい

日本とか世界の歴史でも、当時の人々が余りにも知り尽くしていた日常知識って、歴史の史料に残りにくいんですよね

(^_^;)~♪

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ハマ研(横浜を研究する会)

▲「象の鼻」は横浜の歴史を知る上で重要なスポット

今回、象の鼻の上も歩きました

昨日4/9、中学友人Uちゃん(横浜在住)と一緒に、「横浜の港と駅の歴史を散策する会」を開催いたしました

横浜を研究する会なので、略称「ハマ研

まあ、「ブラタモリ」みたいなことをした訳です

私にとっては、前日の「離宮を歩く」に続く、連日の「ハマハマ散歩」でした

150年(我々の人生の倍ちょっと)ほど前には、わずか100軒ほどの家しか無かった寒村「横浜村

それが、世界でも有数の巨大都市に成長した訳で、そこにはワクワクするような歴史ドラマがある(あった)はずという問題意識からスタートしました

さらに個人的なことを言えば、自宅近くの品川駅から横浜駅までわずか17分なのに、私は横浜の街をよく知らない!

それで「横浜の土地勘を養いたい」という動機もあります

ここはオフィス街、ここは飲み屋街、ここは住宅街みたいな、それぞれのエリアの性格や雰囲気、魅力的なポイントなどを大まかに知っておきたいんです

さらにその街の歴史も知れば、散歩の楽しさも増すだろうという考え

それで今回は、横浜在住で「ハマの小市民」を自称する中学友人Uちゃんにご同行いただきました

最初の地図は明治初めの横浜ですが、長崎の出島を大きくしたような「島」

左側の川(中村川)は人工的に作った掘り割りなので、元々は小さな半島(砂州)でした

徳川幕府が「異人」を恐れて、何とか「」の中に隔離しようとした苦肉の策

当時は水戸学などの尊皇攘夷思想が流行していて、攘夷(外敵を追い払え!)という物騒な連中(テロリスト)がいっぱいいましたから、そいつらから「異人」を守るという意図もありました

実際このころ、生麦事件のような、「異人」が襲われる事件が多発しています

「島」を隔離するために、周囲の橋には関所を置いたので島の中は「関内(かんない)」と呼ばれ、島の外側は「関外」(かんがい)でした

やがて貿易のもたらす巨大なビジネスチャンスに、「異人」も日本人も群がるように寄ってきて、横浜の街を発展させていきます

周囲の海はどんどん埋め立てられて、関内と関外の区別はあいまいになり、街は際限なく拡大していく

そんな中に、高島嘉右衛門という、ケタ外れに面白い男がいました

海を埋め立てて鉄道を敷き、ガス灯を灯し、横浜の発展に偉大な功績を残します

下の地図の上の方の高台に屋敷を構え、そこから下界に広がる海とその先に広がる横浜の街の発展を眺めながら上機嫌だったそうです

やがてその高台は「高島台」と呼ばれるようになります

上の地図で「鉄道線路」とあるのは、もともと海(入り江)だった場所を高島嘉右衛門が埋め立てて、ここに日本初の鉄道(新橋横浜間)が通ります

現在の横浜駅も、この海(入り江)を埋め立てた場所にあります

最初の横浜駅」というのは、現在の桜木町駅で、これと品川駅が

1872年(明治5年)10月1日、日本で最初に開業した「駅」(当時は「停車場」)

ということになります

新橋駅は同年10月14日開業ですから、「日本で最初の鉄道」は厳密に言うと、最初の13日間だけ「品川横浜間」でした

新橋から横浜まで30キロくらいで、歩けば丸1日かかります

これが鉄道で53分(現在は30分くらい)ですから、所要時間10分の1

東海道新幹線ができた当時、在来線特急に比べて所要時間2分の1でしたから、「10分の1」というのは当時の人にとって衝撃的だったと思います

上の写真は、前日の「浜離宮を歩く(花見)」で通った、開業当時の新橋駅(復元)で、最初の横浜駅もほぼ同じデザインでした

まだ頭はちょんまげ、腰に刀を差した武士もいた時代に、よくこれだけの建物を作ったものです

もちろん設計したのは、当時の「異人」さんですけどね

当時の駅のホームとレールも復元されてますよ(↓)

そして更にビックリするのが、この高島嘉右衛門さん、占いで有名な高島易断」の教祖なんですね

実業家にして占い師という何ともフシギな男、それが高島嘉右衛門

この人の人生、いろいろ調べてみたくなりました

それで探したら

高木彬光 『横浜をつくった男 易聖・高島嘉右衛門の生涯』 光文社文庫

持田鋼一郎 『高島易断を創った男』 新潮新書

松田裕之 『高島嘉右衛門 横浜政商の実業史』 日本経済評論社

これから、ワクワクしながら読むツモリ

高木彬光ってミステリー作家だから、面白く書いてそう

高島嘉右衛門の名前は、

地名「高島台」 横浜市神奈川区

地名「高島」 横浜市西区

駅名「新高島」 みなとみらい線

駅名「高島町」 横浜市営地下鉄

駅名「高島町」 東急東横線 2004年に駅廃止

などに残っています

なお横浜駅西口前にあるデパートの高島屋は、高島嘉右衛門とは関係ないそうです

高島嘉右衛門をよく知らない人の中には、上記の地名や駅名の「高島」が、デパートの高島屋にちなむものだと思ってる人もいるかもね

(^_^;)~♪

▲赤い線が歩いたルート

散歩の詳細へ(写真360枚)