こじのりさん ライブスケジュール

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 新宿高校出身こじのりさんのライブスケジュールです

  情報提供ありがとうございます (^_^;)

 

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フルート小島のり子です。
4/21、新しいCD「オーディナリー」リリースいたしました。
ライブ会場(¥3,000税込)と、ネットショップ(¥3,300税送料込)で販売しています。
kojinori002.stores.jp
オリジナル曲を、今回は歌もうたいました。手にしていただけたら嬉しいです。
曲順など詳細、ブログにも載せました。夏みかんの歌詞も載せてありますっ。
kojinori.exblog.jp

6月頭は、九州へレコ発ツアー。
6月下旬は、堀江洋賀、落合康介とのトリオで東北ツアー。
7月頭は、盛良さんと西へ、下松までツアーです。
7月下旬は、恒例の札幌ひとりツアー。

各所での再会を楽しみにしています。新しいCDも、どうぞよろしくおねがいします。
ライブへのお越しをお待ちしています。

小島のり子 kojinori@mac.com jazzkojinori@gmail.com

Website(ライブ詳細こちらで) kojinori.com

YouTube youtube.com/@jazzkojinori

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ゆざわde音まつり

山潤さん 情報ありがとねー

第1回ということは、今年から新たに始まったイベントのようです

山潤さんが、「タマリンバ」で

マリンバを演奏の予定

「ゆざわ」と言っても、越後湯沢ではありません

高幡不動、多摩動物公園、京王百草園が近いね

事前申込は不要だそうです

「日野札所巡りの会」というのがあるみたいなのでググったら

日野市の札所・七福神めぐりにオススメの神社お寺まとめ7件 | ホトカミ

というページがありました

(^_^;)~♪

牛丼「すき家」の壁の絵

前記事(同窓会誌「朝陽」来ましたね)で、牛丼「すき家」の創業者である小川賢太郞さん(新宿高校19回生)に触れましたので、そのつづきを書きます

上の絵は、牛丼「すき家」のお店の壁に大きく描かれています

私は「すき家」の牛丼がダイスキなので、この絵は前からよく見ておなじみなのですが、先日の

ハマ研(横浜を研究する会)

で、実際に横浜の街を歩いて

上の絵で人々が立っている場所は「象の鼻」だ!

ということに気付きました

それで当時の絵を探したら、ありました!

もう、そのものズバリ、牛丼「すき家」の店内壁画は、この絵を元にしてるのは間違いなさそうです

遠くに高台(港の見える丘公園のあたり)があって、右に海岸通り、これは現在の山下公園のあたりでしょう

となると上の絵で人々が立っている場所は、「象の鼻」以外あり得ない!

▲開港当時の「象の鼻」

▲現在の「象の鼻」

ではなぜ、牛丼「すき家」の店内には、開港当時の横浜の絵を飾っているのか?

牛丼「すき家」の創業者である小川賢太郞さん(新宿高校19回生)は、石川県の出身ですが、「すき家」の第1号店は、生麦駅の近くだった

生麦駅は、川崎と横浜の中間にありますから、横浜に縁が深い

そしてここから先は、まだ十分な事実確認をしていないので、私の推理になります

若いころの小川賢太郞さんは共産主義にハマっていたので、20歳代のほとんどを

港湾肉体労働者(沖仲仕)の組織化(オルグ)

に費やしています

いまでは想像することも難しいのですが、当時(1968年ころ)は、優秀な学生が全共闘運動に参加して革命を夢見るのは「当然」のことでした

1968年、小川賢太郞さんは20歳

日本が高度成長で、どんどん豊かになっていった時代

1969年にはアポロ11号が月面着陸、1970年には前回の大阪万博があったりして、お祭り気分もあった

でもまだ日本には、多くの貧困が残っていた

小川賢太郞さんは、共産主義に見切りをつけて実業家になってからも、社会における「貧困の解決」を自分の人生テーマにしていたようです

▲アポロ11号が月面着陸 1969年

▲前回の大阪万博 1970年

▲沖仲仕

「港湾」労働者の組織化(オルグ)ですから、主な活動場所が横浜だったであろうことは容易に想像できます

青春の情熱を注ぎ込んだ地である横浜

その近くに、「すき家」の第1号店を出し、今なお「すき家」の店内に横浜の絵を飾っている

小川賢太郞さんの横浜に対する思い入れが伝わって来ます

そうなると、

彼の20歳代の活動内容を知りたい!

となるのですが、この辺の情報が意外に無いんです

ズバリ「伝記 小川賢太郞」のような本があれば一番いいけど、先月4/7にお亡くなりになったばかりで、まだ出てないみたい

wikiに経歴の概略が書いてありますが、ほとんどは牛丼業界に飛び込んだ30歳代以降で、20歳代の活動にはほとんど触れてない

共産党活動と言っても戦後ですから、それほど非合法なことはしてないと思いますが、港湾肉体労働者(沖仲仕)を雇っている荷役会社からすれば、共産党オルグは「招かざる客」で、ドロドロの戦いもあったのかもしれない

という訳で、小川賢太郞さんの20歳代についての情報を、これからWebやYoutubeなどでコマメに探していこうと思っています

(^_^;)~♪

同窓会誌「朝陽」来ましたね

▲クリックすると拡大します▼

▼最終ページ(裏表紙)

最終ページ(裏表紙)を見たら、ゼンショー(すき家の牛丼)の広告が載っていて、先日4/6、77歳で亡くなられた小川賢太郞さん(新宿高校19回生)の名前があります

ゼンショー創業者、小川賢太郞さんは朝陽19回生で、我々27回生とは8年違いですが、この違いは決定的でした

全共闘運動が、彼の人生を決定的に変えた

東大の安田講堂「落城」のあと、彼は港湾労働者(沖仲仕)の組織化に取り組み、オルグとして自ら港湾労働の世界に飛び込みました

▲沖仲仕

私は最近(1年くらい前)、ホッファーという人(沖仲仕として働き続けた哲学者)の本を2冊ほど読みました

「大衆運動」 「人間とは何か」

もしかすると小川賢太郞さんも、港湾労働の世界に飛び込む前に、ホッファーを読んでいたのかもしれない

しかし最近半世紀ほどのコンテナ物流革命によって、沖仲仕は世の中から消えた

小川賢太郞さんは、そこから一気に方向転換(共産主義→資本主義)して、超人的な躍進が始まります

世の中には、周囲から「超人」とか「天才」とか呼ばれる人がいます

そんな人に共通しているのは、彼ら彼女らの言う「普通」とか「当然」の内容が、まったく普通でも当然でもないということです

「こんなこと簡単なのに

 なんでみんなしないんだろう?」

みたいなことを言うんだけど、そんなの普通の人には出来ないよ

牛丼「すき家」を創業した小川賢太郞さんは、彼の考える「普通」のことを、従業員(普通の人)にやらせるために、軍隊のような「鉄の規律」を導入

それを物語るのが、企業理念に加え、社員や店舗スタッフの動き方までこと細かく記した「ゼンショーグループ憲章」だ。

たとえば、カウンター席の客には、注文から原則10秒で牛丼を出す。

外食産業に詳しい経営コンサルタントによれば、これは「業界最速」だ。

「営業報告から掃除に至るまでやるべきことのタイムテーブルも秒刻み。時間管理の厳しさは本社の管理部門でも同様で、商談は30分以内、歩く時は1秒に2歩以上が求められる。外食産業の多くでマニュアル化が進んでいるが、ゼンショーは突出している」

マニュアルというのは「聖書」のようなもので、きちんと布教活動をしないと誰も読まなくなる

今までは教祖が先頭に立って社内に布教してきた訳だが、教祖亡き今、すき家はどうなっていくのだろうか?

ゼンショーの後継者は、次男の小川洋平さん

1979年生まれ、東大教養学部を卒業後、財務省に12年間(2004~2016年)

元財務官僚ならそれなりに優秀だろうけど、大きすぎる父親を越えられるかな?

小川賢太郞さんは、極度の「筋トレおたく」だったそうで、会社にはベンチプレスを置いてあって、社員にもすすめていた(一時は義務づけていた)

「日本人は欧米人に比べて体格が貧弱すぎる。ちゃんとベンチプレスやって体鍛えて牛丼を食ってれば、戦争に負けなかった!」

というのが口グセ

日本が戦争に負けたことがよほど悔しくて、会社の名前を「ゼンショー(全勝)」にしたのかもしれない

小川賢太郞さんのご冥福をお祈りします

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週刊誌記事(週刊ポスト2014年4月25日号)によると

小川賢太郞 ゼンショー(すき家の牛丼)創業者

1948年生まれの団塊世代で、1968年に都立新宿高校から東大に入学

全共闘運動に身を投じるが、安田講堂の“落城”で敗北を味わう。

そのときの身の振り方が他の学生と決定的に違った。

多くの学生が教室に戻り、就職したのに対し、大学を中退

港湾労働者(沖仲仕)を組織化すべく、荷役会社へと 潜り込んだ。

そんな挫折と幻滅を味わい、逆に資本主義の優位性を痛感する。

今度は、「資本主義体制の下で世界の飢餓と貧困を撲滅する」という大目標を立て、急成長中だった牛丼の吉野家に入社した。

1978年のことだ。これが今に至る道の始まりだ。

小川氏が入社した2年後(1980年)、吉野家は経営危機が表面化した。

小川氏は孤軍奮闘して自主再建を目指したが、会社は会社更生法の適用を申請。

「米、牛肉、醤油というシンプルな組み合わせの牛丼は必ずハンバーガー並みにポピュラーになる」

と確信していた小川氏は3人の部下を引き連れて独立し、ゼンショーを設立した。1982年のことだ。

社名の「ゼンショー」は「全勝」という意味

そこには、敗北の連続だった小川氏の「これからは全戦全勝だ」との思いが込められている。

 

大井町トラックスを歩く

昨日5/7のトラゲー研(大井町トラックス&高輪ゲートウェイシティを究する会)

大井町トラックスが思っていたより広くて疲れたので、高輪ゲートウェイシティは延期にして、大崎のサイゼリアで中学友人Uちゃんとノンビリ飲みました

ここの最大のウリは、上のような「山手線の車庫」を見下ろせること

朝夕の通勤時間帯に活躍する山手線

昼間や夜間は、ここで眠ったり整備を受けたりしています

(^_^;)~♪

詳細はここをクリック

 

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10年前の動画なので、現在の「電子レンジみたいな顔の山手線」が導入され始めたころですね

これ(↓)は、最近の動画

もっといろいろ見たい人は、ここをクリック

 

これは至高体験か?

上の写真は、我が家のすぐ近く、歩いて数分

先ほど近所のスーパーへ買い物に行く途中、もう何百回も見慣れた風景

今日ここを通りかかったら、たまたま新緑に日光が反射して、まばゆいばかりの美しさ

しばらく見とれて、立ち止まってしまいました

大げさに言えば

あぁ、生きてるって素晴らしい!

みたいな感覚、心境、気分

心理学者マズローが、こんな気分を「至高体験」(peak experience)という言葉で呼んでいます

多くの心理学者や精神科の医者が、「人の心」の病理的側面、例えばノイローゼとか、コンプレックスなどの研究をしてきました

それに対して、

「人の心」には、健康的側面もあるんだ!

と強調したのがマズローで、彼はこれを「第三の心理学」と名付けました

第一が「刺激と反応」のワトソン系、第二が「深層心理」のフロイト系

その健康的側面の代表的な心理現象が、「至高体験」であると主張しました

マズローは、欲求段階説で有名ですけど、彼の主張の柱は欲求段階説ではなくて至高体験にありそうです

まあ、今日の私の体験(気分)が至高体験なのかどうか、よくわかりませんけどね

それで、上の写真を今また見ても、あの気分はよみがえって来ません

知識は記録し保存出来るが

感動(気分)はそうはいかない

ということのようです

(^_^;)~♪

「この世は夢か?」へ

旧中川を歩く(平井→立石)

半年前に、平井から錦糸町まで歩きました

この時も、旧中川をチラっと見ています

昨日5/4は、平井から旧中川に沿って立石まで歩きました

どちらも、平井駅からスタート

旧中川の川べりは、上の写真のように、最高の散歩コースです

▼半年前に歩いたコース(平井から錦糸町まで)

昨日5/4歩いたコース(平井から立石まで)

(^_^;)~♪

昨日5/4の詳細はここをクリック