利根川を歩く

最近は自宅周辺を歩き尽くして飽きたので、電車に乗ってアチコチ散歩に出かけます

山之内すずちゃんと、散歩の趣味が一致

昨日は千葉県印西市の利根川堤防の上を歩きました

最近はクマが出没して恐いので、クマが出ないと言われている千葉県、茨城県が狙い目です

(^_^;)~♪

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縄文時代には海面が現在より高く、千葉県はほぼ島だった

これが現在、千葉県にクマがいないことと関係してそう

漢詩を読む(1)

▲李白

50歳を過ぎたころからだろうか、私は時々、漢詩の本を読みます

今週は久しぶりに3冊ほど読みました

1)村上「漢詩の名句・名吟」講談社現代新書

2)吉川三好「新唐詩選」岩波新書

3)「要説漢詩(唐代の詩ほか)」日栄社

どれも有名な漢詩を選んで集めた本(選集)ですから、長編小説のように1冊全体を読み通す必要はない

気に入った作品(漢詩)を選んで読むだけなので、さほど時間はかかりません

(1)(2)は新書なので読みやすい

(1)は、まさに超初心者向けの入門書で、解説の文章も味わいがある。手軽な座右の書で、読むのは何回目かな

(2)は、有名な文学者(吉川幸次郎)が書いているので、解説は重厚で奥深さがある。岩波新書の中でも超ロングセラーの1冊(初版1952年)

(3)は、高校生のころに買った受験参考書で、文法や語義の説明が詳しい。気に入った作品の背景などをもう少し知りたい時に便利

上記3冊はまったくの入門書で、もっと漢詩に突っ込むなら、「唐詩選」「三体詩」などの本格的な選集か、または好きな詩人の個人詩集へ進む訳ですが、今のところそこまで漢詩に入れ込むほどの熱意なし

漢詩と言えば、すなわち唐詩と言われるほど、唐の時代が漢詩の最盛期

当時、阿倍仲麻呂など多くの留学生が、遣唐使船に乗って唐へ渡りました(難破が多く命がけだった)

阿倍仲麻呂は、中国語を完璧にマスターしていましたから、漢詩もたくさん創っていますが、

天の原 ふりさけ見れば 春日なる

三笠の山に 出でし月かも

という和歌が有名で、これは故郷の奈良にある三笠山を思い出して詠んだ歌で、古今や百人一首にも入っている

電話もテレビもネットも無かった時代、誰かとのつながりを感じるには、

「離れてはいるが、同じ月を見ている!」

というような空間感覚が大切だったのでしょうね

彼は19歳で唐へ渡り、科挙に合格して、唐の高級官僚(大臣クラス)にまで出世

その才能に期待して、日本の朝廷が彼を帰国させるように唐の朝廷に働きかけます

唐の朝廷が彼の才能を手放すことに難をとなえ、50歳になってやっと、日本への「一時的な出張」という形で、なつかしい故郷の日本へ帰る手はずに

長安での別れの宴には、当時の大唐帝国のトップクラスの文化人が集まります

そのころに彼は故郷をなつかしんで、上の和歌を詠みました

ところが彼の乗った遣唐使船は、嵐(台風か?)に遭遇して安南(ベトナム)に漂着し、命からがら長安まで戻ります

結局、日本への帰国はお流れとなり、彼は大陸で人生を終えました

遣唐使船で大陸に渡った空海や最澄が、その後の日本に与えた影響の大きさを考えると、もし彼が嵐に遭遇せずに帰国していたら、日本の政治や文化にどれほど多大な影響を与えたことか、まことに悔やまれます

私は「歴史にイフは禁物」などとは思わないので

・もしも阿倍仲麻呂が無事に日本へ帰国していたら

・もしも織田信長が本能寺で殺されずに生きていたら

・もしも吉田松陰が処刑されずに明治まで生きていたら

など、いろいろ勝手な想像をめぐらせることがあります(大して深くは考えないけど)

▲杜甫と李白

さて、漢詩の最盛期に登場した詩人で有名なのが、杜甫、李白、白楽天(白居易)の3人

杜甫と李白は、唐詩を代表する二大詩人ですが、性格は正反対

生真面目で悩み深い杜甫と、酒豪で豪放磊落な李白、ネクラとネアカなどとも言われます

杜甫にも酒の歌はありますが、やはり酒と言えば李白で、毎日一斗(10升=18L)飲んだと言われています

「白髪三千丈」で、何でも大げさに言う国ですから言葉通りとは限りませんが、とにかく大変な大酒飲みだったのは間違いない

李白は62歳、杜甫は58歳で亡くなっています

李白は、大酒飲み(今ならアルコール依存症?)でしたが、当時としてはそこそこの長さの天寿を全うしました

船上で月見酒をしていて、水面に映った月を取ろうとして水に落ちて死んだという逸話があって、いかにも酒豪の李白らしい最期ですが、これはどうも作り話(ウソ)らしい

悩み多き杜甫は、ストレスで早死にしたのかな?

そう言えば、新宿高校で漢文を習った豊原先生、いつも歌舞伎町で飲み歩いているとのウワサでしたが、李白を気取っていたのかな?

あのころ仕方なく勉強していた漢文

だいたい漢詩の良さなんて、ふつうの高校生に分かる訳がない(と今は思う)

それにしても当時の「国語の先生」たちは、一癖も二癖もありそうな面構えですねぇ

列まんの先生なんか、歌舞伎町の893かと間違えそう(私は彼から習ったことがないと思うので、どんな人か実態は知りませんよ)

割と最近(11年前)の有元先生

同じ新宿高校の先生でも、マジメな学者タイプに見える「理科の先生」たちとは大違い

やっぱり文学部系と理学部系のキャラの違いか(あるいは、李白派と杜甫派?)

▲「理科の先生」たち

たぶん当時の新宿高校の屋上で、奥に高層ビル群が見える

当ブログで以前「中秋の名月 そして満月」を書いたとき、李白の「月下独酌」を取り上げましたが、酒飲みの心を歌った、まことにシビレるような素晴らしい作品!

酒を歌わせたら、やっぱり李白

3大スター3人目の白楽天(白居易)は、今では杜甫李白ほど有名ではありませんが、平安時代の日本で漢詩と言えば白楽天で決まり

杜甫李白が日本で有名になったのは江戸時代になってから

平安時代に、数百もの有名な和歌や漢詩を集めてつくられた「和漢朗詠集」には、白楽天の137作品が採用されていて、もちろんダントツ1位(2位は40作品)

生きた時代は杜甫李白の方が古いのですが、採用はそれぞれわずか1作品ずつ

平安時代の宮廷では、枕草子の「香炉峰の雪」の逸話のように、和歌や漢詩の教養が絶対必要条件でした

平安貴族にとって、和歌や漢詩の教養が乏しければ、宮廷での仕事や出世に差し支えるだけでなく、恋する人に手紙ひとつ書くことも出来なかった時代です(当時のラブレターは、基本的に和歌だった)

平安時代に漢詩が読めるほど教養があったのは、ほぼ貴族に限られていたのに対して、江戸時代ともなると庶民の識字率が向上し、大河ドラマ「べらぼう」みたいに出版活動が活発化して、漢詩を読む人が増えたことが関係していそうです

江戸時代も中期以降になると俳句が大流行で、多くの句会が開かれましたが、俳句ひとつ詠むにも関連する漢詩を踏まえて詠むのが俳句の達人

芭蕉「奥の細道」冒頭「月日は百代の過客にして」は、李白の詩「春夜宴桃李園序」の冒頭にある

夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり

を踏まえているのは有名

とにかく江戸中期以降の日本では、杜甫李白の人気が白楽天(白居易)を圧倒していきます

平安貴族と江戸庶民では、社会階級がまったく違うし、数百年の時代のズレもあって、漢詩の好みが違って当然でしょうね

杜甫李白と白楽天、どっちが優れているかというような議論にはさほど意味がなく、長い歴史と伝統のある漢詩の世界にも、ゆっくりとした流行のようなものがあり、選集をつくるときの編集方針にそれが反映するということでしょうか

さて本日のブログの冒頭に「50歳を過ぎたころからだろうか」と書きましたが、年齢を重ねるにしたがって人の心境には大きな変化が訪れるもののようで、私もその例外ではないようです

特に60歳を過ぎた頃から、漢詩の描き出す世界観と自分の心境の適合度が上昇してきているように感じています

漢詩作者のほとんどが男性で、年齢の持つ意味合いは男女で異なるでしょうから、女性が漢詩をどう受け止めるか、私は男ですのでよくわかりません

漢詩と和歌で言えば、おそらく女性には、和歌(またはその変形としての俳句)に心引かれる人の方が多いかな

ただ少なくとも私のように「60歳を過ぎた日本人男性」にとって、漢詩の世界をまったく知らずに歳を取っていくというのは、ひどくもったいないことのように思われるのです

▲サントリーのCM

マーラー「大地の歌」が李白の詩に着想を得ているのは有名

 

▲マーラー「大地の歌」 カラヤン ベルリンフィル

 

▲1時間は長いと感じたらこちらをどうぞ ワルター NYフィル

10分たったあたりから下の詩が対応

 

春日醉起言志 李白

處世若大夢 この世に処ることが若し大きな夢のようであるなら
胡為勞其生 どうして其の生を労することがあるものか
所以終日醉 だから終日酔っぱらい
頹然臥前楹 頽然として柱の前に臥してしまう
覺來盼庭前 目が覚めて来て庭前を眺めると
一鳥花間鳴 一羽の鳥が花の間で鳴いている
借問此何時 おたずねしますよ、今は何の時候ですか
春風語流鶯 春風が流れる如く飛ぶ鶯と語る時ですよ
感之欲歎息 之に感じ入って嘆息したくなり
對酒還自傾 酒に対してまた自ら傾いていく
浩歌待明月 のびやかに歌って明月を待ち
曲盡已忘情 曲が尽きたときには心情を忘れていた

※スマホで詩の右が切れるときは、スマホを横にして観て下さい

 

中国には孔孟(儒教)と老荘(道教)という二つの大きな思想の流れがあり

昼は孔孟にしたがい、夜は老荘に遊ぶ

などと言われます

老荘に遊ぶのに、李白はまさにピッタリな詩人で、酒のCMにもピッタリ

(^_^;)~♪

こじのりさん ライブスケジュール

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 新宿高校出身こじのりさんのライブスケジュールです

  情報提供ありがとうございます (^_^;)

 

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index

 

フルート小島のり子です。
ひとつきちょっと前は、沖縄にいて暑い暑いといっていたのに!?
北へのツアーにでました。
素晴らしい2人との初めてのツアーです。日々進化する音となりたし。
ライブへのお越しをお待ちしています。

小島のり子
kojinori@mac.com
jazzkojinori@gmail.com

Website(ライブ詳細こちらで) kojinori.com

YouTube youtube.com/@jazzkojinori

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朝散歩 ウイーン国立歌劇場

▲品川駅前に新しい居酒屋が出来た \(^o^)/

▲高プリ日本庭園にガッシリした体格の外人多数 ラグビー選手か?

▲ホテルの通路にあったホワイトボード

ウイーンから楽団が来てるらしい これかな?

▲▼Google翻訳してみた この人かな?

▲▼これもGoogle翻訳

今日はこれから富士山と箱根に行くみたい

(^_^;)~♪



▲ロータリーはしょっちゅう会議してる

▲今日はドラフト会議なの?

▲駅はラッシュのピーク

▲列に混じってみる

▲遊歩道への階段にハロウィンの飾り付け

 

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▼YouTubeで関連動画を探してみました

 

熊さんによると、一番高い席は7万円超なのに、売り切れだそうです

チケット価格:26000~79000円

ウイーンまで行くこと考えたら安いけどね・・・

( ゚Д゚) ビックリ

▲ウイーンとウクライナの端は、400キロ(東京~大阪くらい)しか離れてない

紅葉の季節ですが熊が恐い

春の桜と秋の紅葉、四季の変化が鮮やかな日本の、季節感二大イベント

私も例年、歩くの大好きであちこち歩き回っているのですが、今年は異常事態!

とにかく熊の出没が多すぎる! ((((;゚д゚))))

山奥だけでなく、最近は市街地でも出没していて恐ろしい

そんな訳で「今年の紅葉は諦めようかなぁ」と考えている今日このごろ

奥多摩の紅葉(鳩ノ巣渓谷御嶽渓谷など青梅線沿線)が好きなんですけど、東京(たぶん奥多摩)にもけっこう出没してますね

まあ、近所でも紅葉の名所はありますし、千葉県に熊はいないらしい

下の図を見ると、茨城県もゼロだね

(^_^;)~♪

▲奥多摩の紅葉

▲これは11年前の11月に奥多摩の紅葉を見に行った時の写真です

 

東洋英和の中に入る

昔この辺に住んでいたので、この前の道(鳥居坂通り)は散歩などで何百回も歩いたけど、中に入るのは始めて

共学のキャンパスなら散歩のついでに入ることはよくあるけど、やはり女子大のキャンパスというのは、用も無いのに入るのはためらわれますね

私は今まで、女子大のキャンパスは3校入ったことアリ

最初は学生時代に、お茶の水女子大の学園祭

2回目は、聖心女子大ミュージカル研究会の公演(近所だったので何回も観た)

そして今回の東洋英和女学院の「遊戯療法」講演会

登校拒否などの問題を抱えた子供に、遊びを通じて働きかけをしていくという療法(セラピー)だそうです

なお今回の場所は、正確には東洋英和の大学院キャンパスです

東洋英和の学部は横浜にあって、六本木にあるのは幼小中高と大学院

* * * * * * *

講演の内容ですが、前半1時間は若い女性の先生が「遊戯療法とは何か」の授業で、wikiの内容を説明してるような感じ

いかにも女子大の先生といった感じの、おしゃれも控えめで清楚な感じの先生

後半1時間は二人の女性の先生(若い&年配)が加わってパネルディスカッション

若いと言っても大学の先生ですから、二人とも30歳くらいかな?

さらに司会をしてたオッサンの先生(東洋英和こども相談室の室長らしい)もかなり議論に加わってました

つまり若い女性2人、年配女性1人、オッサン1人の舞台

ファッションとは縁遠い、かなりだらしない格好のオッサンで(私もそれに近いが)、常にファンション命の女子学生に囲まれてると、その反動(男っぽさの強調?)でこうなるのかなという感じ

若い女性二人の先生は、良く言えば遠慮しながらものすごくていねいな言葉遣い、悪く言えば何を言ってるのか分かりにくいもの言い

対してご年配の女性の先生は、歯切れが良くてズバズバ結論を言うので、百戦錬磨を感じました(個人的な性格かもしれませんが)

「星の王子さま」のバッグを持っていたのが印象的

聴いてたのは50人くらいで、9割が女性という感じ(リモートで聴いてる人が、別に100人くらいいたらしい)

子育てに奮闘している若いお母さん、みたいな人が多かった

私は遊戯療法に格別な関心がある訳ではなく、東洋英和の中を見たいという、やや不純な動機で参加しました

私は、男子学生9割以上の理工系大学出身なので、女子大というのはまるで正反対の世界です

男女が適当に混ざってる一般社会に比べると、どちらもかなり「異質」な世界かな?

(^_^;)~♪

詳細はここをクリック

集う会の歴史

昨日の「昼カラオケ会」に先立ち、山潤さんが上記の「集う会の歴史」を作ってくれました

最近は、ほぼ毎月のペースで開催されてますね

最も長い伝統のある「太田君を囲む会」は、1975年からですから半世紀の歴史

このごろは竹永さんの活躍で、派生イベントの開催が活発化しています

私(小杉)は6月まで皆勤賞でしたが、今年の余りの激暑にバテて、夏の3か月ほどエアコンの効いた自宅に引きこもってました (;^_^;;;)

私の親は新潟の豪雪地帯(山古志村)の出身なので、私の体質(DNA)は寒さには割と強く、暑さに弱いようです

上のリストの当ブログ掲載をOKしていただいた山潤さん、ありがとうございます

1行目の「継承略」は敬称略のようですが、ご愛敬でそのまま掲載しときますね

これからも「集う会」を、永く継承していきたいと思います

(^_^;)~♪

▲大田くんを囲む会の上高地合宿(1980年)

人生の「旅立ち」

上の動画は、先日の当ブログ記事「小田和正 ツアー完走」に載せた、松山千春「旅立ち」の再掲です

今日なんとなくこの動画を観て(聴いて)いたら、これは少し歌詞を変えると、

これから人生に別れを告げる人

(つまり死を目前にした人)

の歌になるなぁと思いました

若い人は「縁起でもない」とか言うかもしれないけれど、歳を取ると死が恐ろしいものと言うより、親しいものに感じられてくるのです

以下、赤い文字が変えた部分

旅立ち

私の瞳が ぬれているのは
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない
この日がいつか 来る事なんか
この世に生まれてすぐに 知っていたはず
私の事など もう気にしないで
貴方は貴方の道を 歩いてほしい

さよならいわずに 笑ってみるわ
の旅立ちだもの 泣いたりしない
言葉はいらない 笑顔をみせて
心の中の貴方は いつもやさしい
私は泣かない だって貴方の
貴方の思い出だけは 消えたりしない
私の瞳が ぬれているのは
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない
涙なんかじゃないわ 泣いたりしない

元歌での「貴方(あなた)」は恋人ですが、上の歌詞だと、妻(夫)や子どもたち、あるいはこれまでの人生で関係のあった人たちという意味になりますね

別れは人生に付きもので、長い人生には多くの出会いと別れがあります

特に愛する人との別れは、人の心に強烈な印象と記憶を残し、多くの音楽や芸術のモチーフになっています

仏教では、人生を四つの苦(生老病死)と考えますが、「四苦八苦」(しくはっく)という言葉があるように、さらに四つの苦をあげています

愛別離苦(あいべつりく) 親・兄弟・妻子など愛する者と別れる苦しみ

怨憎会苦(おんぞうえく) 怨み憎んでいる者に会う苦しみ

求不得苦(ぐふとくく) 求める物が思うように得られない苦しみ

五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ

多くの別れの最後に、人生の全ての関係性からの離脱、つまりがあります

死を一切の消滅(無)ととらえるか、新しい旅立ちととらえるか、それは人それぞれ

仏教に限らず、死は宗教や哲学の最大のテーマ

人間には、直視するのが難しいものが3つある

1)死

2)太陽

3)自分(の現実)

死を直視するところから、多くの芸術や哲学が始まっている

人は死んだらどうなるのか?

脳を含めた肉体を構成する物質(細胞や分子)のレベルで科学的に言えば、人の肉体の大部分は、火葬されたら水蒸気(H2O)や二酸化炭素(CO2)になって大気中に放散され、土に吸収されたり植物の栄養になったりして、新しい物質の流れに加わっていく

土葬なら、微生物による分解を通じて、新しい物質の流れに加わっていく

問題は、そのときに意識の連続性が有るかどうか

これを「有る」と言い切ると、霊魂の存在、天国や地獄、極楽浄土への往生(浄土系仏教)、輪廻転生による再生(インド哲学やヒンドゥ教など)、神による最後の審判(キリスト教)といった考え方につながってきます

能は、霊魂(怨霊)の存在を前提にした舞台芸術ですね

逆に、意識の連続性は科学的には「無い」と断言する人もいるが、これは科学的ではない

「無い」ことを科学的に立証することは不可能(悪魔の証明だからね)で、証明できないことを断言するのは、科学ではなく信仰です

私はもしかしたら、意識の連続性は「有る」んじゃないかなぁと思っているのですが、もちろん科学的に証明はできません

(^_^;)~♪

 

* * * * * * *

 

追伸1 松山千春 19歳の「旅立ち」見つけました(半世紀前だよ)

当たり前だけど、昔はフサフサだったんだねぇ

動画に出て来る「とかち新聞」は、松山千春の父・松山明が北海道の足寄町(あしょろちょう)で発行していたローカル新聞で、デビュー前の松山千春19歳が働いていました

新聞は余り売れず、家は貧しかった

松山千春が政治家の鈴木宗男と仲がいいのは、父親ゆずりの政治志向かもしれませんね

二人は共に足寄町の出身

足寄町の面積は広大(23区の2倍以上)だけど、人口はわずか5800人だから、二人はたぶん足寄町出身の「二大有名人」

鈴木宗男が選挙のとき、松山千春はよく応援演説をしています

▼「とかち新聞」本社 しかし、いい味出してるなぁ

画像をクリックすると拡大します

足寄町図書館では、「とかち新聞」のデジタルアーカイブを公開しています

▲現在の足寄町の中心部

若い人が遊ぶには、少々寂しげな街

近くの大きな街というと、帯広までクルマで1時間ちょっと

19歳の動画で「足寄町からクルマで7時間」とか言ってたけど、札幌までかな?

今は高速つかって3時間半みたいだけど、半世紀前は高速が無かったんだろね

足寄町~札幌は、東京~名古屋と同じくらいだから、いかに北海道が広いかが分かります

( ゚Д゚) ヒエー

 

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追伸2 松山千春の昔の動画を見つけたついでに、北海道つながりで中島みゆきの古い動画を探したら、ありました!

夜のヒットスタジオ初出演:「アザミ嬢のララバイ」 「わかれうた」

正確な放送日は不明ですが、これも半世紀くらい前かな?

私は中島みゆきの音楽が死ぬほどスキ! 文句なしの天才!

彼女の作品も、その多くが「別れ」の歌

足寄町の松山千春とは違って、彼女は大都会札幌の出身(ただし、5歳から岩内、11歳から帯広)

かなりエートコのお嬢だったようです

彼女の初期代表曲は「時代」ですが、デビュー曲は「アザミ嬢」なんですね

比較的最近の「ヘッドライト・テールライト」

これも「旅立ち」と同じように旅をテーマにした曲

「旅」という言葉には、人の心を動かす何かがある

人生は旅、なのかな?

(^_^;)~♪

ヘッドライト・テールライト

語り継ぐ人もなく
吹きすさぶ風の中へ
紛れ散らばる星の名は
忘れられても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

足跡は 降る雨と
降る時の中へ消えて
称える歌は
英雄のために過ぎても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

行く先を照らすのは
まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは
あどけない夢
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない

誰が密告したんだ!

職場で、内部告発者を突き止めようと必死になったBさん

「誰が密告したんだ?チクったんだ?」

「見つけたら徹底的に追い詰める!」

「辞めさせるまでやるぞ!」

とか息巻いて社内調査を進めたが、最終的には上司やコンプライアンス担当役員から厳しく叱責され、被害者たち(内部告発者としてBさんから追い詰められた人たち)に深く頭を下げる羽目になった

ところが、被害者たちはそれでも納得できず、Bさんを加害者として裁判所に提訴した

裁判所は

「Bさんの行為は行き過ぎだ、慰謝料を払え」

と命じた

という、笑い話のような事件(もちろん当事者には深刻な事件ですが)

日本人の大人なら誰でもご存じのように、日本の社会には江戸時代以前からある「村の論理」と、明治以降の「法の論理」があります

この二つの論理は、歴史的に言えば中世と近代という、かなり異なる考え方です

「論理」といいますが、ロジックというより、ルール(倫理、道徳、価値観)に近い概念

表面的には「法の論理」で動いているように見える「法治国家」日本ですが、ときどき「村の論理」が顔を出すことがあり、時には衝突することもあります

「村の論理」で処理しようとしたのに、「法の論理」の出番になったことを、少し前までの日本人は「裁判沙汰(ざた)」などと呼んでいました

特に、頭の中が「村の論理」一色というBさんみたいな人(昔の体育会系に多い)もたま~にいて、思わず笑っちゃうような珍事件を引き起こします

もちろん裁判所は「法の論理」の体現者ですから、原則として「村の論理」は通用しません

「村の論理」が成立したのは、おそらく室町時代の惣村」の形成と深く関係しているように思われます

警察も裁判所も無かった(ほとんど機能していなかった)時代に、農民が自分たちの生活を自分たちで守るために団結し、その結果生まれたのが「村の論理」

それから500年以上が経過していますが、「村の論理」は今も脈々と生きています

ちなみに、西部開拓時代のアメリカのフロンティアでも、警察も裁判所も無かった(ほとんど機能していなかった)時代がありますが、個人主義の強い白人社会でしたから、団結で身を守るよりも、個人個人が自分で自分の身を守るという方向へ進み、「銃の論理」(銃社会)になりました

それなりの歴史的な必然性でそうなっている訳ですから、急に「銃を廃止しろ!」とか叫んでも、急には変えられない

それは日本の「村の論理」が、急には変えられないのと同じ

(^_^;)~♪

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