勝海舟を歩く

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勝海舟

大学時代に江藤淳さんの授業「福翁自伝を読む」で、勝海舟「氷川清話」を読み、興味を引かれました

福沢諭吉(福翁)は、慶應義塾大学の創立者で、最近まで1万円札の顔だった人

勝海舟は、日本海軍の生みの親で、官軍の西郷隆盛と直談判して江戸無血開城を実現した人

この福沢と勝の関係は水と油でしたけど

どちらも超一流の人物で非常に面白い!

福沢が彼の主催していた新聞「時事新報」で

瘠我慢(やせがまん)の説

(幕府側で重要な役職にいたにもかかわらず、明治政府の要職についたのは、「武士道の精神」に反する振る舞いだ!)

として勝を批判したとき、勝は

行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候

(出処進退は自分が決める、悪口称賛は他人の主張、私には関係ない)

と答えて、まったく相手にしなかったのは有名

江戸時代の封建主義(門閥制度)を嫌い、福翁自伝の中で

「門閥制度は、親の敵(かたき)で御座る」

とまで言い、日本の近代化を推進した福沢が「武士道(主君に対する忠義)を説く」というのは、少々無理があるような気もします

理知的な福沢があえて無理な批判をした背景には、福沢が生理的に勝を嫌っていたことがありそう

二人は同じ船(咸臨丸)に乗ってアメリカへ行ったこともありますが、勝(咸臨丸の艦長)には後輩や年下を馬鹿にしてからかうクセがあったので、勝の軽口が福沢のプライドを傷つけ、根に持った可能性もあります(勝は福沢より11歳年上)

氷川清話」を読むと、ほぼ口語体で書かれており、勝の少しハッタリの効いた、歯切れが良くてズバズバ結論を言う、ちゃきちゃきした江戸っ子ぽい話し方が伝わって来ます

大阪で学問したマジメな「学者」福沢と、ちゃきちゃき江戸っ子の「政治家」勝は、気性が合わなかったのかもね

(^_^;)~♪

詳細はここをクリック

▲勝海舟のお墓の前にいたニャンコ (^_^;)~♪

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