▲築地市場の落とし物には、冷凍マグロがある! (゜Д゜)
新しくスタートした豊洲市場では 市場警備員として
ネコを採用したら良いのではないでしょうか?
しばらく築地周辺の飲食店は 避けた方が無難かも (;´Д`)
83年の歴史に幕を閉じた築地市場では、10月11日から解体工事が始まります。
大量のネズミが周辺に拡散するのではないかと、周辺では不安が広がっています。
▲築地市場の落とし物には、冷凍マグロがある! (゜Д゜)
新しくスタートした豊洲市場では 市場警備員として
ネコを採用したら良いのではないでしょうか?
しばらく築地周辺の飲食店は 避けた方が無難かも (;´Д`)
83年の歴史に幕を閉じた築地市場では、10月11日から解体工事が始まります。
大量のネズミが周辺に拡散するのではないかと、周辺では不安が広がっています。
▲元横綱 輪島
「貴乃花の実の父親は輪島だ!」という根強いウワサがあります。
確かに顔はよく似ていますし、あの天才的な格闘能力も、輪島ゆずりと考えると納得できます。
世渡り(ゴマすり)が下手で、相撲協会から追い出されたのもよく似ています。
変なシガラミの多い相撲協会では、一匹狼的な天才は生きにくかったのかも (T_T)
▲元横綱 貴乃花
大相撲の第54代横綱輪島で、史上7位となる14度の幕内優勝を果たした輪島大士(わじま・ひろし)さん=本名・輪島博=が下咽頭(いんとう)がんと肺がんの影響による衰弱で、8日午後8時に東京・世田谷区の自宅で死去したことが9日、遺族への取材で分かった。70歳だった。
「黄金の左」と呼ばれた左差しの攻めを得意とし、大関初代貴ノ花と相撲人気を二分。
ライバルの横綱北の湖(いずれも故人)とともに、昭和40~50年代に“輪湖(りんこ)時代”を築いた昭和の名横綱が、平成最後の秋に旅立った。
魔女狩りって現在でも行われていますね
言葉の端とらえて「誰かを傷つける」とされたら魔女認定!
みんな「傷ついた被害者」になりたくて必死 (;´Д`)
最近、SNSなどにおける議論の不毛さと破壊性が指摘されている。
問題となるコミュニケーションでは、基本的に、相手の語っていることを正確に理解しようという意欲に欠けている。
必死になるのは、相手の発言によって「傷つく」何らかの存在(被害者)を探すこと。
あるいは、その発言の公共の利益を損なう面を指摘すること。
相手の語る行為が非道徳的であることを示し、その語られた言葉、あるいは語った人をコミュニケーションの空間から排除すること、少なくとも信用のできない人物として印象づけることで、その影響力を削ぐことにコミュニケーションの努力のほとんどが傾けられる。
ここでは、双方が持ち寄ったロジックを戦わせることで、そのどちらもが洗練されていくことは起きえない。
弁証法的な議論の展開はあり得ないのだ。
その代わりに、ただ痛めつけ合うだけの結果になることも、しばしばである。
私が見るところ、それは次に説明するような万能感に支配されながら議論を展開する人が多いのにも関わらず、そのことへの自覚が乏しいからである。
「中立的な立場から被害者に共感する」という一見すると道徳的な実践が、人の心に誤った「万能感」を抱かせることがある。
その万能感が、科学などの信頼に足る他者の見解を軽視し、「加害者」とみなした対象に過剰な攻撃性を向けることに歯止めをかけなくさせる。
そして、そのような「万能感」を批判しているときの私も、まさにその「万能感」にとらわれている。
このような万能感(ナルシシズム)が作り出す精神の監獄から、私たちはいかにして自由になることができるだろうか。
発明家のドクター中松氏(90)が21日、都内で「イグ・ノーベル賞の世界展」オープニングセレモニーに登場し、前立腺導管がんを克服したと明かした。
35年以上にわたって自身の食事を撮影して体調に与える影響を研究し、2005年に同賞を受賞している。
この日、車いすでゲスト出演。
マイクを握り「私はこの研究でガンを見つけ、そして克服した」と明かすと、おもむろに立ち上がり「寿命は長く、スピーチは短く!」と言い放ってマイクを置き拍手を浴びた。
その後、取材に応じ「僕は毎日、自分の食事と血液を研究しているけど、5年前に赤血球が激減してガンが分かった」と説明。
医者からは「手の施しようがない。2015年までの余命」と宣告されたが、青魚やヨーグルトを積極的にとるなど自身の研究によって食生活を改善。
2015年には「腫瘍マーカーの数値が0・01以下に下がった。治ったんですよ。90歳を迎えられました」と明かした。
また中松氏といえば都知事選などの選挙出馬が有名だが、選挙については「もうあんな下らないことは…いいかな」と苦笑いしていた。
爺「あれは平成最後の夏じゃった・・・」
家族「(また始まった)」
200人超の死者が出た未曾有の豪雨
大阪での大地震
主人公金足農業
台風21号による関空沈没
北海道大地震・・・」
家族「(いくらなんでも盛りすぎでしょ)」
家族「(絶対あれ色々混ぜて覚えてるわよ)」
今年は子孫に語り継ぐ事件が
とても多い年でしたね (^_^;)
個性派俳優としてテレビドラマやCMなどで活躍、お茶の間の人気者だった
樹木希林(きき・きりん、本名内田啓子=うちだ・けいこ)さんが15日午前2時45分、東京都渋谷区の自宅で死去した。
75歳。東京都出身。
葬儀・告別式は30日午前10時から東京都港区南麻布4の11の25、光林寺で。
1961年に文学座に入り、悠木千帆の芸名でデビュー。
テレビドラマ「七人の孫」のお手伝いさん役で有名になった。
文学座を退団後、主にテレビドラマで活躍。
ユニークな脇役として強い個性と存在感を示した。
ホームドラマ「寺内貫太郎一家」では小林亜星さんが演じた主人公の母親を演じた。
全身ガンの割には元気そうだったので
このまま天寿を全う
かと思っていたのですが・・・ (T_T)
電動自転車で走行中に転倒し、胸に抱いていた次男(当時1歳4か月)を死亡させたとして、神奈川県警都筑署が14日、母親の保育士(38)(横浜市都筑区)を過失致死の疑いで横浜地検に書類送検していたことが同署への取材で分かった。
刑事処分の判断を地検にゆだねる「相当処分」の意見を付けた。
自転車の乗車を巡っては、神奈川県では、前後の幼児用座席に乗せたり、ひもで背負ったりして運転者を含め計3人の乗車を容認しているが、前に抱いた状態で運転することについては定めがない。
同署は、次男を前に抱えた上、傘を手首に掛けたまま自転車を運転した一連の行為を過失ととらえた。
同署によると、母親は7月5日午前8時25分頃、同区の市道で、次男を抱っこひもで前に抱え、左手首に傘をぶら下げた状態で電動自転車を運転。
自転車のフレームと前輪の泥よけの間に傘が引っ掛かってハンドルが動かなくなり、バランスを崩して転倒、次男の頭を地面に強く打ち付けて死亡させた疑い。
母親は「子供が前にいると顔が見えて安心だった」と話していたという。
自転車で転倒したことあるけど
打ち所が悪ければ 簡単に死にますね
非常に危険な乗り物です ((((;゚д゚))))
「すんごい昔の人でしょ、それ」
キャスターの安藤優子が2018年8月27日放送の情報番組「直撃LIVE グッディ!」(フジテレビ系)で、「Perfume」にそう言及したことが、ツイッターなどで話題になっている。
安藤優子は一体、誰と勘違いしたのか。はたまた、本心でそう言ったのか――!?
番組では、第12回U18アジア野球選手権(9月3日開幕・宮崎)に出場する高校日本代表の金足農・吉田輝星投手が継承した「カナノウイズム」について特集。
番組のアナウンサーがフリップで吉田投手の情報を説明していた。
吉田投手の「好きな歌手」の話になった時だった。
司会の安藤優子が、高橋克実さんに「克実さんに当ててもらおう」と正解を予想するよう促す。
高橋さんが「世代的なものですからね。きっと…」と女性3人組「Perfume」を挙げると、安藤優子は驚きの一言を放った。
「えぇーーー!? すんごい昔の人でしょ、それ」
中田ヤスタカさんプロデュースのPerfumeは、8月15日に新アルバム『Future Pop』をリリース。
27日付のオリコン週間アルバムランキングで初登場1位を獲得した今作をひっさげ、9月21日から全国アリーナツアーに入る。
とても「昔の人」とは呼べないほど、今まさに精力的に活動している。
こうして安藤優子のアホ発言には、ツイッターなどインターネット上で視聴者からツッコミが相次ぐことに。
具体的には、以下のようなものだ。
「PUFFYと勘違いしてるんじゃないのかなー?」
「パフュームを昔の人って!! おかしなこと言ってた。安藤優子、誰と間違えたんだ?」
「安藤さんは…今を煌めくPerfumeと何を勘違いしたのだろうか…」
「相手がPerfumeであろうと誰であろうとその発言はNGじゃない…」
「失礼すぎでしょ。Perfumeのこと昔の人って」
番組では安藤優子の発言を受け、三田友梨佳アナウンサーが「今、大人気ですよ!」とすかさず指摘し、コメンテーターのお笑いコンビ「トレンディエンジェル」の斎藤司さんも「どうしちゃったんですか、安藤さん」とツッコみ、スタジオは笑い声に包まれていた。
ネット上では、安藤優子が女性2人組「PUFFY」とPerfumeを間違えたのではないかとの声が多い。
「安藤優子さんの件、PUFFYと勘違いしてるんじゃないのかなー?」
「安藤さんpuffyと間違えたのかなーって思ったけど、だとしてもpuffyにめっちゃ失礼で草」
Perfume と PUFFY 間違えると
自分が「すんごい昔の人」だとバレます
気を付けましょう (^_^;)
日本の歌謡界が生んだ 戦後最大の天才
天才にはよくあることですが
一般社会(非天才が99.9%以上を占める)への適応には
困難を極めたようです (T_T)
1960年代末から1970年代初頭にかけて、夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な楽曲(『怨歌』)を、個性的なドスの効いたハスキーボイスと独特の凄みのある歌いまわしで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。
代表曲は「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「京都から博多まで」など。
他の歌手のヒット曲なども幅広くカバーしており、多くの曲で本家を凌駕する歌唱力と表現力を発揮したと言われている。
最大のヒット曲『うそ』をカバーされた中条きよしは
『こんなにうまく歌われたら、たまんないよ』
と作曲した平尾昌晃に伝えている。
幼い頃から浪曲師の父・阿部壮(つよし)、同じく浪曲師であり曲師(浪曲における三味線奏者)でもある母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)のドサ回りに同行。
旅の生活を送り、自らも歌った。
岩見沢市立栄中学校(1983年閉校)卒業。
勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念。
15歳の時に岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿が作曲家・八洲秀章の目に留まり、上京。
八洲秀章のレッスンを受けながら、いくつかのレコード会社のオーディションを受けるが、全て落選。
このとき落とした審査員って、馬鹿なの? (;´Д`)
生活のために錦糸町や浅草などで母と流しをする。
その後、作詞家の石坂まさをと知り合い、石坂まさをの自宅に住み込みでレッスンを受ける。
1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。
以後、石坂まさをと組んでヒット曲を連発。
オリコンチャートで、ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。
計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。
なお、内山田洋とクール・ファイブとの共作「演歌の競演 清と圭子」も含めると計42週連続1位となる。
シングルにおいても「女のブルース」は8週連続1位、続く「圭子の夢は夜ひらく」も10週連続1位を記録し、18週連続1位という同一歌手での連続記録を残す。
2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。
新宿警察署によって飛び降り自殺を図ったと断定された。
藤が自殺した後、照實と光はそれぞれコメントを発表し、藤が1988年頃から精神疾患を患っていたことを公表した。
最後の夫は音楽プロデューサーの宇多田照實。
娘は歌手の宇多田ヒカル。
元夫はムード歌謡歌手の前川清。
▼藤圭子・終焉の地