老後の誤算

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川口マーン惠美『老後の誤算 日本とドイツ』(草思社)

近所の中学校には我が家の子供達も通った。

その学校が十数年前に廃校となって、いま福祉センターになっている。

少子化によって小・中学校が急激に統廃合されている。

評者(宮崎)のすむ町は「単身赴任者通り」という別名があって、高層マンションの大半が1DKのスタジオタイプである。

だから公園がいくつもあるが、子供達の笑い声も鳴き声も聞こえない。昼間、誰も遊んでいないのだ。

朝の公園は逆で、ラジオ体操にどこからともなく集まってくる爺婆で一杯である。

先週、所用あって商店街から一筋横道に入ったら、新築の見慣れぬマンション、ところが一階が全部喫茶店風。

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なんだろうと思ったら老人ホームだった。

町の景観が変わった。

製本と印刷の町だった。

出版不況の嵐がやってきて、いまフォークリフトが走り回る風景が消え、外国人労働者はコンビニしかいなくなり、居酒屋、焼鳥屋が激減した。

町一番と評判だった蕎麦屋さんも、ひっそりと閉店した。

これこそ少子高齢化、衰弱する社会の物理的実態である。

そして団塊の世代が介護を必要とする時代がやってきた。

年金基金も健康保険も基金が底をつきかけ、それなのに医療費、保険料が適切なレートではなく、システムは息切れを見せ始めているが、近未来はもっと酷くなる。暗くなる。

それならば高度福祉国家とされたドイツはどうなのか。

在独三十五年の著者が、この問題に挑んだ。

ドイツではプライベート保険に加盟していないと、まともに見てくれる医者は殆どいなくなった。老人ホームには入所を希望しても、お金持ち以外は入れないというのがドイツの実情である。

ならば高齢社会世界一の日本は、これからどうなるのか。

日本のシステムは、じつは崩壊寸前の危機にさらされているのが実態である。

そして「死」が、確実にやってくる。

日本は生命尊重、安楽死は認められず、脳死していても、最後の最後まで生命維持装置を外さない。

そこで参考になるのが北欧である。

ドイツと日本の老後のことを総合比較して綴った本書の後半部に、川口さんはこう書く。

スウェーデンでは「延命のための胃ろうはしない」。
「点滴も、ただの延命のためだけなら、やはりしない」という。

「意識もなく寝たきりの人々のおかげで、日本の平均寿命が世界一に押し上げられているのなら、一位は返上しても差し支えないのではないか」と切実な訴えが続く。

日本の生命尊重という「思想」は、やはり基本的に哲学上の欠陥があるのではないか。

「北欧が日本と決定的に違うのは、死や寿命についての議論が、不謹慎でも、反道徳でもなく、純粋に科学的になされていることだ。それは死や寿命だけではなく、すべてのテーマに共通していて、移民政策についても、エネルギー政策についても、情緒は取り除かれ、議論は極めて冷静だ」

この箇所こそ、日本の一番の問題である、というのが読後感だった。

 

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