約百年前に書かれた天才論の古典です
彼の3気質説(いわゆるヤセ・デブ・筋肉)を駆使して天才を分析し尽くしています
著者自身が天才と言ってよいので、非常に洞察が深い
天才は社会適応能力を犠牲にして、限定された領域において、その才能を開花させる
その非常に極端な形が、サヴァン症候群でしょうか
特に天才の典型としてのゲーテ、その家系における精神病の惨状には戦慄を覚えます
(^_^;)
約百年前に書かれた天才論の古典です
彼の3気質説(いわゆるヤセ・デブ・筋肉)を駆使して天才を分析し尽くしています
著者自身が天才と言ってよいので、非常に洞察が深い
天才は社会適応能力を犠牲にして、限定された領域において、その才能を開花させる
その非常に極端な形が、サヴァン症候群でしょうか
特に天才の典型としてのゲーテ、その家系における精神病の惨状には戦慄を覚えます
(^_^;)
女優の安達祐実さんが4月9日、女性誌『ELLE Japan』のYouTubeチャンネルに出演して私物のバッグの中身を紹介。
ネット上で呼ばれることが多いという“ロリババア”の愛称をデザインしたスマホケースを愛用していることを明かしています。
もう公認でいいんですね!
38歳を迎えた現在も、幼少期から変わらない“ロリかわいい”ビジュアルをキープしている安達さん。
ネット上では、少女のような見た目ながら実年齢がずっと上の2次元キャラクターをロリババアと表現する文化がありますが、その条件をまさかの“3次元”で満たしている安達さんも一部ではその愛称で呼ばれています。
動画の中で私物紹介を行っている安達さんは、
「私結構ネットで、『安達祐実ロリババア』って言われることが多いので
もうこんなに言っていただけるなら、自ら名乗ろうと思って」
と“LORIBBA”と印字されたスマホケースを自作して使用していることを告白。
スペルをLORIBBA(正しくはLOLIBBA)と間違えていることもキュートですが、このエピソードを笑顔で話す懐の広さを見せており、どうやらロリババアという愛称を全く不快には思っていないようです。
優しいな!
視聴者からは、
「ロリババアって自分で書くのかっこいい 笑」
「iPhoneケースどこのブランドかなと思ったら…ロリババア 本当に可愛いです」
「ロリババア どんなことがあっても面白がれるマインド素敵すぎ」
などまさかのデザインに驚きの声があがった他、
「もう年齢不詳だな~ 少女みたいな大人の女性」
「え? 20代だよね?」
「なんなんや、、、若すぎやろ、、、」
など驚異の“ロリババア”ぶりにも大きな反響が寄せられています。
本当にかわいいな……。
タイ王国の医療のレベルは 非常に高いので
日本の医療とうまく使い分けるのは
とても賢い選択だと思います (^_^;)
「ガリッ」 ガムを噛んでいた時に、口の中から嫌な音がした。
そして次の瞬間筆者の口から出たのは「ギャー」という絶叫だった!。
考えてみれば、前回行った歯の治療で痛みが激しく、数年歯医者には行っていなかった。
今思えば「口腔崩壊」に近い状態だったのだろう。
先ほどの音は歯の一部が崩れた音で、同時に神経がむき出しになったのだ。
ここまでひどくなると、我慢とか意志の強さとかは関係ない。
文字通り空気が通るだけで悲鳴が上がるほどの激痛なのだ。
唾液が触れただけでも左下の歯の一点に電気ショックで拷問をかけられたときのような痛みが走る。
もはや一日も、いや一分も待っていられない。
当時の筆者は京王井の頭線沿いの富士見ヶ丘駅に住んでいた。
とりあえず、自宅から駅に向かう途上にある一軒の歯科に飛び込むしかなかった。
「ああ、ひどいね。これは神経取るしかないね。
なんでこんなになるまで放っておいたの?」
そこの歯科医は何となく横柄だった。
しかし、放っておいたのは筆者の責任で、反論できる雰囲気ではない。
「あの、痛みがないように治療できませんかね?」
「ここまでひどくなっているのにそんないい話があるわけないじゃないの。
治療中の痛みについては、い・わ・な・い約束でっ!」
あれから10年以上経つが、あの「い・わ・な・い約束でっ」は今だに耳から離れない。
だが一分すら待てなかった筆者に選択の余地はなかった。
否応なく根管治療(RCT)が始まり、若手歯科医に引き継がれ、半年にわたり毎回痛い思いを続けることになった。
数年後に改めて別の歯科でX線を撮り直すと、見事に膿がたまっていた。
今回の記事を書くにあたり、改めて最初の歯医者を検索してみた。
すると、Googleで17件のレビュー平均点が「3.5」となっているのだが、特筆すべきは「5」と「1」で極端に分かれるということだ。
もちろん、ネット上のレビューが全て信用できるわけではないことは、アマゾンやヤフコメでさんざん匿名の誹謗中傷を浴びてきた筆者も重々承知している。
ただ、レビューの数々は明らかに本名と思われる名前で投稿されたものもあり、何より筆者の「い・わ・な・い約束でッ」という実体験とも重なり、非常に信用性が高いのだ。
武士の情けで歯科名は出していないが、もしこの歯科が名誉棄損か何かで筆者を訴えてきたら、タイのバンコクの歯科に残る、
「根管治療(RCT)が失敗して、膿がたまった筆者の口腔内のX線写真」
を証拠として出す予定である。
この数年後、別の歯科でX線を撮影し、前述の通り化膿していることを知らされた。
どうすればいいのかと問うと、
「歯茎をメスで切って取り出すしかありませんね」
という。
もちろん、手術中は麻酔をかけているから痛くないのはわかる。
それでも、歯茎をメスで切り刻んで出血する姿を想像すると寒気がした。
こうして2014年に、悲願のタイ王国バンコクでの歯の治療が実現した。
すでにX線などの資料もメールで送信しており、その日のうちに根管治療(RCT)を開始できるよう専門医も用意してくれていた。
おそらく30歳手前くらいの若手女性担当医は、顕微鏡で患部を見て、フッと鼻で笑った。
「これは化膿していますね。すぐに治療を始めましょう!」
「なんで化膿しているんですかね?」
「前に担当された(日本の)歯科医が失敗したということでしょう」
専門医の目から見れば、日本で受けたズサンな根管治療(RCT)は、嘲笑するしかなかったに違いない。
そこからは粛々と根管治療(RCT)がすすめられた。
「メス」という単語すら出て来ることがなかった。
顕微鏡を使う通常の根管治療(RCT)で十分に対応できる範囲だったということだ。
「はい、治療が終わりましたよ。あなた、治療中寝ていましたね。
つまり痛みが全くなかったということで、非常によい兆候です」
そう言われてみると、根管治療(RCT)につきものの激痛が一切なかった。
文字通り、寝ている間に終わってしまった。
「来週月曜に、もう一度来てくださいね」
そして、もう一度月曜に中をのぞき、何事か作業して根管治療(RCT)は完了してしまった。
あの半年にわたる痛みと徒労の日々は何だったのか。
後日、別のタイ人歯科医と昼食を共にする機会があった。
「日本ってね、歯科治療を個室でやらないところが少なくないんですよ」
と言うと、タイ人の歯科医は絶句した。続けて
「諸々の器材も滅菌処理しないで使い回しする歯科医さえいます」
編集部注:薬液消毒、洗浄は行っている。滅菌処理しない歯科医が存在するのは主に歯を削るドリルやその持ち手であるハンドピースという箇所。参照: 歯を削るドリル「使い回しが36%」の衝撃事実/AERA,東洋経済オンライン
と言うと、絶句に加え、目が大きく見開かれた。
「根管治療(RCT)のとき、ラバーダムや顕微鏡を使う歯科医はほとんどいません」
と言うと、今度はあまりの衝撃に唖然として、声も出ない様子。
もはや、筆者の口から出る言葉を一言も信用できない様子だった。
「日本の常識は世界の非常識」
あまりにも言い古された言葉だが、歯科業界にこそ最も当てはまるのが悲しい現実である。
最近、大学時代の研究室の友人が、心筋梗塞で急逝し、まさに「早すぎる死」を痛感しました
下の文章は、哲学者・三木清の『人生論ノート』の抜粋です。この文章を書いたとき、昭和十年代なかば、彼は40歳前後でした
戦前の平均寿命は50歳にも満たず、40歳はすでに初老でした
* * * * * * *
近頃私は、死というものをそんなに恐しく思わなくなった。
年齢のせいであろう。
以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが。
思いがけなく来る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齢に私も達したのである。
この数年の間に私は一度ならず近親の死に会った。
愛する者、親しい者の死ぬることが多くなるに従って、死の恐怖は反対に薄らいでゆくように思われる。
生れてくる者よりも死んでいった者に一層近く自分を感じるということは、年齢の影響に依るであろう。
三十代の者は四十代の者よりも二十代の者に、しかし四十代に入った者は三十代の者よりも五十代の者に、一層近く感じるであろう。
この年齢に達した者にとっては死は慰めとしてさえ感じられることが可能になる。
死の恐怖はつねに病的に、誇張して語られている、今も私の心をとらえて離さないパスカルにおいてさえも。
パスカルはモンテーニュが死に対して無関心であるといって非難したが、私はモンテーニュを読んで、彼には何か東洋の智慧に近いものがあるのを感じる。
最上の死は、あらかじめ考えられなかった死である、と彼は書いている。
* * * * * * *
この場合の「東洋の智慧」とは、主に老荘のことでしょうね
モンテーニュの主著『エセー』は、私の座右の書です
次の文章は、『エセー』1-20
「哲学を極めることは、死ぬことを学ぶこと」
よりの抜粋です
* * * * * * *
足をしっかり踏まえて死を受けとめ、これと戦うことを学ぼう。
そしてまず手始めに、最大の強みを敵から奪うために、普通とは逆の道を取ろう。
死から珍しさを取り除こう。
死に親しみ、馴れ、しばしば死を念頭に置こう。
いつも死を想像し、しかもあらゆる様相において思い描こう。
馬がつまづいた時にも、瓦が落ちてきたときにも「これが死であったら」ととっさに反芻しよう。
お祭やお祝い事の最中にも、我等の境遇を思い起こさせるこの繰り返しを常に口づさもう。
そして喜びにうつつを抜かし、こうした喜びが如何に多くの死に狙われているかを忘れないようにしよう。
古代エジプト人は祝宴の最中や、御馳走の合間に、会食者への警告として、人間のミイラを持ってきた。
死はどこで我々を待っているかもわからない。
あらかじめの死を考えておくことは、自由を考えることである。
死の習得は、我々をあらゆる隷属と拘束から開放する。
* * * * * * *
死に対する覚悟を決めてから、本当の人生が始まる。そんな気がします
次の文章は、雑誌「ニューズウィーク」の掲載された、死に関する科学的研究のレポート
「死が間近に迫ると、不安や恐怖に苛まれるのではなく、愛や幸福を感じる人が多い」
ことが研究でわかったという
* * * * * * *
いつかやってくる死におびえる人は多い。
自らの死を極端に恐れる、「死恐怖症」(タナトフォビア)という症状もあるほどだ。
最近発表された研究でも、大半の人が死を恐ろしいイメージで捉えていることが指摘されている。
しかし同じ研究によると、現実に死が間近に迫っている者では事情が違い、一般に考えるよりはるかに肯定的な体験として死を捉えていることがわかった。
学術誌サイコロジカル・サイエンスに6月1日付けで掲載されたこの研究によると、死が身近に迫った人々の言葉を調査した結果、恐怖や不安に関連する言葉は少なく、意外なほど前向きに死と向き合っていることが判明したという。
ノースカロライナ大学チャペルヒル校の心理学者などからなる研究チームは、絵本作家のエイミー・クラウス・ローゼンタールが亡くなる10日前に記したコラムの言葉遣いが「愛と希望に満ちていた」点に着目したという(ローゼンタールはがんのため今年3月に他界した)。
研究論文の執筆者であるカート・グレイは声明の中で、
「死が目前に迫っている人が肯定的なのは不自然に思えるが、実際にはよくある反応だということが、今回の研究により明らかになった」
と述べている。
研究では、筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic lateral sclerosis:ALS)の末期にある患者と死刑囚という2つの集団について、死を目前にした時期の発言内容を分析した。
ALS患者については亡くなるまでの数カ月間に書かれたブログを、死刑囚に関しては刑執行前に残した最期の言葉を調査対象とした。
研究チームは、この2つの集団の比較対象として、死期を意識していない一般の人たちを対象に、自分が末期患者になった気持ちでブログを書いてもらったほか、自分が死刑囚だったら最後にどんな言葉を残すかと尋ねた。
両者の言葉を比較した結果、一般の人たちが想像した最期の言葉のほうが、実際に死に直面した人による言葉よりも、ずっと否定的であることが判明した。
グレイはこうコメントしている。
「死が近づいたときの感情は、悲しみや恐怖が多くを占めると考えがちだ。だが実際は、一般の人が想像するように悲しくも恐ろしくもなく、むしろ幸せな気持でいることがわかった」
「心身両面において、人間の適応力は驚くほど高い。死が迫っていようと、人は日常生活の営みを続ける。想像の段階では、死は孤独で意味のないものと捉えられがちだ。しかし、実際の言葉は、愛や社会とのつながり、そして意義に満ちている」
末期患者のブログをコンピューターによるアルゴリズム分析にかけたところ、マイナスよりもプラスの感情を表す言葉が使われる割合がはるかに多いことがわかった。
「心配」や「不安」、「恐怖」といった言葉よりも、「幸福」や「愛」を使う傾向が高いという。
一般の人が書いたブログのほうが、否定的な言葉が使われる頻度がはるかに高かった。
同様に、死刑囚が刑執行の直前に残した言葉は、収監されている時期に書いた詩と比べても、肯定的な意味を持つ単語が大幅に増えていた。
一般の人と比べると、否定的な言葉が使われる頻度は低かった。
こうした結果をもとに研究チームでは、死に対する感情では想像と現実にかなりの開きがあると結論づけている。
「死は誰にとっても避けられない。だが恐れることはない。今回の2つの集団を対象とした調査で、実際の死に至る体験は、意外なほど前向きなものであることが判明したからだ」
その限界にも触れている。
今回の研究は、死が迫った人の中でも特徴的な2つの集団を対象としており、老齢により死期が近づいた人など、他の集団には当てはまらない可能性もある。
死にまつわる感情を理解することは、今後の死への対処においてカギを握る要素だと、研究チームは述べている。
同チームは、
「人口の高齢化を考えると、この研究は、緩和ケアをめぐる政治的な議論に一石を投じる可能性がある」
と、その意義を強調した。
「現在の医療制度は、可能な限り死を避ける方向に特化している。これは主に、死が恐ろしく悲劇的なものだという観点に基づいたものだ。死を否定的に捉える文化的傾向を考えると、この方針は理解できるものではある。だが、今回の研究結果を見る限り、死は一般的に考えられているよりも肯定的なものである可能性がある。死神との遭遇は、思ったほど不吉なことでもないのかもしれない」
と、研究チームは論文で述べている。
* * * * * * *
英ロンドンのキングズ・コレッジ病院の女性患者が、脳腫瘍の摘出手術の最中にバイオリンを演奏した。
ダグマー・ターナーさん(53)は、ミリ単位の手術で手の微細運動を制御する部分を傷つけていないか外科医が確認しながら作業するため、バイオリンを弾いたのだという。
ワイト島出身のターナーさんは、2013年に発作を起こした後、右前頭葉に腫瘍があると診断された。
腫瘍があったのは、バイオリンの弦を押さえる左手を制御する部分の近くだったことから、バイオリンが弾けなくなるのではないかと不安だったという。
手術は無事成功した。
ヴィオラ演奏者を歓喜させた天皇陛下
次は焼酎党の皆さんの番です (^_^;)
バレンタインデーでもあった2月14日、天皇陛下とご一緒に、皇后陛下雅子さまは「世界らん展」をご覧になった。
「とてもつやがありますね。明るい色ですね」
鮮やかな黄色と白の、美しいらんの花をご覧になり、そう感想を話された雅子さま。
「両陛下は最近、ご夫婦そろってお出ましになる機会がさらに増えています。
10日にも皇居・三の丸尚蔵館でご即位記念の特別展をお二人でご覧になられました。
天皇陛下は23日に誕生日を迎えられます。還暦を迎える陛下をいつも近くでお支えしたいという思いが、雅子さまにはおありなのかもしれません」(皇室担当記者)
昨年、史上2番目の高齢となる59歳で即位された天皇陛下。
日ごろからご健康にも気を使っていらっしゃるという。
天皇陛下の知人が語る。
「陛下は油断するとお太りになりやすい体質とのことで、実は甘いものはあまりお召し上がりになりません。
また陛下は、以前は日本酒がたいへんお好きでしたが、最近は特別な場合以外ではほとんど飲まれないそうです。
いまは、お飲みになるのはもっぱら焼酎なのだと伺っています」
醸造酒である日本酒が糖質を含む一方、蒸留酒である焼酎は糖質ゼロ。
ダイエット中に飲んでも太りづらいとされている。
こうした健康管理の陰には、雅子さまのご助言があると語るのは宮内庁関係者。
「ご一家のお食事は、雅子さまと“料理番”である大膳が協議しながら決めています。
雅子さまは愛子さまを懐妊された際、専門書を隅々まで熟読され、主治医を驚かせたこともあったといいます。
栄養管理についても、熱心に勉強されていると思います」
天皇陛下は’07年6月、十二指腸にできた良性のポリープを除去するために手術を受けられている。
その際、雅子さまは入院された陛下を毎日お見舞いされた。
一方、上皇ご夫妻はこのポリープを深く憂慮。
天皇陛下が長らく検査を受けられていなかったことに強い不安を抱かれたと、上皇ご夫妻は当時の宮内庁長官を通じて異例の“苦言”を呈された。
「上皇陛下は美智子さまのお支えもあり、85歳まで天皇としてのお務めを続けられました。
健康を維持することも天皇の義務であると伝えるため、あえて天皇陛下に厳しい姿勢を見せられたのでしょう。
それ以来、両陛下は定期健診を欠かさず、雅子さまもご家族の健康管理に、いっそう責任感を持って取り組まれているようです。
日本酒を焼酎に切り替えるという“糖質制限”のアドバイスも、雅子さまが提案されたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまの“愛の懇願”が、天皇陛下の食生活を変えた。
SEXは食事のようなもの
さすがフランスの裁判所
粋ですねぇ (^_^;)
出張中に見知らぬ女性と性交渉をした男性が、心筋梗塞で死亡した。
パリの裁判所は11日、男性の死を労災と判断し、雇用していた企業に遺族に対する賠償責任があるとの判決を出した。
男性は2013年、フランス中部への出張中にホテルで死亡。
公的健康保険側は労災として扱う決定をしたが、企業側は性交渉中は仕事をしていないかったとして決定の無効を求めていた。
裁判官は、フランスの法律下では労働者の出張中の事故などは全て、雇用主に責任があると指摘。
公的健康保険側も、出張中であっても「性行為はシャワーを浴びたり食事をするのと同じ」と日常の行為であると主張し、裁判所も認めた。
「私、失敗しないので」
手術されるとき お医者さんに
ぜひ言ってもらいたいです (^_^;)
今、ドラマ界で最も熱いジャンルが「医療モノ」だ。
生死をテーマに重厚な人間ドラマが描かれるだけに、古くから視聴者の心を鷲掴みにする傑作が数多く生まれてきた。
本誌・週刊ポストは読者1000人に緊急アンケート。
「史上最高の医療ドラマ」をランキングした。
医療ドラマベスト20(順位、タイトル、主演、平均視聴率)
1位:『ドクターX~外科医・大門未知子~』(2012年、テレビ朝日系)米倉涼子、19.1%
2位:『白い巨塔』(1978年、フジテレビ系)田宮二郎、12.8%
3位:『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』(2008年、フジテレビ系)山下智久、15.7%
4位:『Dr.コトー診療所』(2003年、フジテレビ系)吉岡秀隆、19.0%
5位:『医龍』(2006年、フジテレビ系)坂口憲二、14.7%
6位:『JIN─仁─』(2009年、TBS系)大沢たかお、19.0%
7位:『救命病棟24時』(1999年、フジテレビ系)江口洋介、20.3%
8位:『ベン・ケーシー』(1962年、TBS系)ヴィンセント・エドワーズ、50.6%※最高視聴率
9位:『ブラックジャック』(1981年、テレビ朝日系)加山雄三
10位:『振り返れば奴がいる』(1993年、フジテレビ系)織田裕二、石黒賢、16.8%
11位:『ナースのお仕事』(1996年、フジテレビ系)観月ありさ、17.2%
12位:『ER緊急救命室』(1996年、NHK)アンソニー・エドワーズ、21.2%(※米国内)
13位:『チーム・バチスタの栄光』(2008年、フジテレビ系)伊藤淳史、13.2%
14位:『赤ひげ』(1972年、NHK)小林桂樹
15位:『コウノドリ』(2015年、TBS系)綾野剛、11.5%
16位:『グッド・ドクター』(2018年、フジテレビ系)山崎賢人、11.2%
17位:『ブラックペアン』(2018年、TBS系)二宮和也、14.3%
18位:『DOCTORS~最強の名医~』(2011年、テレビ朝日系)沢村一樹、14.8%
19位:『白い影』(1973年、TBS系)田宮二郎、21.7%
20位:『ブラックジャックによろしく』(2003年、TBS系)妻夫木聡、14.2%
1月6日13時15分ごろ、東京都新宿区西新宿のJR新宿駅南口の歩道橋で、
「若い男性が柱にマフラーをひっかけて、飛び降りようとしている」
と110番通報があった。
警視庁新宿署によると、マフラーで首をつり、心肺停止状態になっている30代の男性を発見。
男性は通報の直後に飛び降りたとみられ、搬送先の病院で死亡が確認された。
同署は男性が自殺を図ったとみて調べている。
同署によると、男性は精神障害があり、直前まで一緒に飲食していた知人に対し、
「これから死ぬ」
などと話していたという。
現場は甲州街道にかかる「ミロードデッキ」と呼ばれる歩道橋で、駅周辺の商業施設などと接続している。
派手な格好で羽振りのいいイメージが強かった「金ピカ先生」が孤独死したというニュースは、日本中に衝撃を与えた。
それは、多くの人にとって彼の死に様が他人事に思えぬものだったからに他ならない。
「ハァ、ハァ、ハァ……早く死にたい」
8月下旬のまだ暑い日、本誌は生前の「金ピカ先生」こと佐藤忠志さん(享年68)を取材し、9月7日号の特集でその変わり果てた姿を伝えていた。
かつて築いた財産をすべて使い果たし、生活保護と、週に2回のデイケアサービスだけを頼りに生きていた佐藤さんの家は電気もガスも止められ、熱気がこもる寝室には、異臭が充満していた。
骨と皮だけのようになった身体にパンツ一枚の姿で、ガラス玉のような両目は、遠くを見つめたまま動かない。
口にするのは近所のコンビニで売られている格安のカップ焼酎と、タバコだけ。息も絶え絶えの様子で焼酎をあおり、ゴホゴホとむせる。
「山城(新伍)、梅宮(辰夫)、(菅原)文太、あの頃の東映ヤクザ映画は楽しかったですね……」
頭がもうろうとしているのだろう。予備校講師時代の思い出を尋ねても、会話が嚙み合わない。
取材中、佐藤さんの口をつくのは「自分は生きる屍」「何にも関心がない」「早く死にたい」という、絶望に支配された人間の言葉ばかりだった。
そして、この取材からわずか1ヵ月足らずで、佐藤さんは誰にも看取られることなく、たった独りでこの世を去った―。
バブル期に一世を風靡し、最盛期には年間2億円とも言われる収入を得ていた佐藤さんは、なぜこれほどまでにも哀しく、孤独な最期を迎えなければならなかったのか。
佐藤さんは、’90年代前半にはすでに講師を引退。その後は、知名度を活かしてタレントとして生活していたが、ブームはあっという間に過ぎ去り、収入は講師時代の100分の1以下に。
それでも、かつては毎日のように高級ホテルで食事をし、地方への移動も常にファーストクラスだった佐藤さんの放蕩ぶりは一向に収まらなかった。
「貯金はあっという間に減っていきましたが、決定打になったのは、なけなしのおカネを元手に出馬した’01年の参議院選挙でした。自民党から出馬したものの、落選してしまった」(佐藤さんの友人)
穴埋めのため、予備校講師時代に建てた「豪邸」も売り払った佐藤さんが、中野区内にある実家に妻と共に越してきたのは、いまから5年ほど前のことだった。
「もともと、あの家には佐藤さんの母親が住んでいました。お母さんはハデな人で、ヒラヒラのフリル傘を片手に真っ赤な帽子をかぶったりしていて、佐藤さんの独特のファッションセンスは母譲りだったと思います。
そんな母親が亡くなって間もなく、佐藤さんと奥様が引っ越してきた。あの頃はまだ元気で、『いくらの時計を買った』とか『収入がウン千万円あった』とか、昔の自慢話をよくしていました。でも奥様は常識人でね。いつも腰が低い人だった」(近隣住民)
金遣いの荒さは「金ピカ先生」の異名どおりだった佐藤さんだが、人柄については見た目とは裏腹に穏やかで、人を怒鳴るようなことは一切なかったという。
そして、周囲の人が口をそろえるのは、「人一倍仲の良い夫婦だった」ということだ。
「先生は温泉が大好きで、羽振りの良かった時代はいつも夫婦で伊豆や箱根に出かけていた。そういう旅行も、外食するときも、先生は絶対に奥さんを連れていました。
奥さんはお嬢様育ちで、実家は相撲部屋の後援会会長をしていたほど。先生とは対照的に常に地味な服装で、とても出来た人でした。旦那さんを常に立てていて『うちの佐藤がすみません』というのが口癖でした。
先生はおカネの管理がまったくできない人なので、カネ回りの世話は奥さんがぜんぶやってあげていました。誰かとご飯を食べるときはいつも先生の奢りなので、奥さんの鞄には100万円の束が入っていた。
先生が、講師を辞めてあまりおカネがなくなってからも、奥さんが先生のもとを離れることはありませんでした。10年ほど前に先生が脳梗塞で倒れた直後も、奥様は献身的に世話をして、きっちり断酒を成功させていました」(前出・佐藤さんの友人)
仕事以外のことはまるで何もできない夫と、半歩後ろを歩きながら身の回りを甲斐甲斐しく世話する妻。
典型的な「昭和のおしどり夫婦」の関係に亀裂が走ったのは、実家に移ってから2年ほどが経ち、夫婦の生活が本格的に困窮してからのことだった。
相変わらず近所の飲食店に行くにもタクシーを利用するような佐藤さんの暮らしぶりに妻は呆れ果て、二人の間には喧嘩が絶えなくなった。
ついには「死ぬまで住み続けていい」という条件のもと、知人に自宅を売り払い、そのカネで高級外車を買おうとした佐藤さんに妻の怒りは限界に達した。’17年のある日、突然家を出ていってしまう。
そこから、佐藤さんは死に至る孤独な日々を過ごすことになる。
〈もう女房に未練ないし〉
〈(独りで生きる余生は)バラ色ですよ、ずっと〉
昨年の夏に『スポーツ報知』の取材を受けた際には、以前の威勢の良さがまだ残っていた。だが、それは精一杯の強がりだった。
プライドと見栄の塊だった佐藤さんは、実入りが減って人に奢ることができなくなってからは、次第に友人たちとも没交渉になっていったという。きっと、「みっともない姿は見せられない」と思っていたのだろう。
そんな佐藤さんにとって、妻はありのままの姿をさらけ出すことのできる、唯一の相手だった。
その「たった一人」を失った瞬間から、佐藤さんの本当の苦しみが始まった。
誰もいない部屋で、話し相手もなくタバコをくゆらせながらぼんやりと過ごす毎日。
「過去の人」になっても、カネがなくなっても、病気になっても、多くの人が離れていっても、それでもそばにいてくれた妻が、ついにいなくなってしまった。
〈自分の人生には、もうなにひとつとして残されていない〉
決して取り返すことのできない過ちに気づいたとき、佐藤さんが感じた絶望はいかばかりだっただろうか。
気づけば、すっかり自暴自棄になり、心の痛みを少しでも紛らわそうと、朝から晩まで大量の酒をあおるようになった。
そして、昨年の秋には、デイケアサービスがないと生活できないところまで体調が悪化した。
デイケア施設の関係者が言う。
「地域包括支援センターの職員が様子を見に行った結果、『もう一人では生きられないから、サービスが入ったほうがいい』という判断になりました。
担当のヘルパーが佐藤さんの家に初めて足を踏み入れたとき、中は荒れ放題で、床のそこかしこに落ちたゴミが異様な臭いを放っていた。
できる限りのことはしようと思いましたが、当のご本人が生きる意欲をまったく持てなかった。当初はコンビニでサンドイッチなどを買っていましたが、次第に食べることすらやめてしまった」
電気もガスもつかない真っ暗な家のなかで、服をまとわぬ佐藤さんはじっと虚空を見つめ、微動だにしなかった。
このときの様子を「恐らく、完全な『自己放任』状態だったのではないか」と語るのは、遺品整理業「あんしんネット」の石見良教氏だ。
「『自己放任』は社会から孤立していた人が、死別や離婚で唯一の心の拠りどころだった人を失ったり、病気などの負の出来事に見舞われたりして、孤独に耐えられずに自暴自棄になってしまうことです。
とりわけ、佐藤さんのように子供のいない高齢男性はその傾向がより顕著になる。普通、人間は生ゴミの臭いに耐えられず片付けたくなるものですが、毎日ボーッと過ごしているうちに感覚が麻痺して、それが異常であることにすら気づかなくなってしまう」
すでにほとんど会話することさえままならなくなっていた佐藤さんだが、時折、妻への気持ちをこぼしていたという。
「よく言っていたのは『こうなったのも全部オレが悪いから仕方ないよな』と。もとから、奥さんの悪口を言うのは聞いたことがありませんでした。
自分が悪かったというのは重々わかっていたと思います。ごくたまに奥様が訪ねてくることがあったようで、そのときは嬉しそうに話していました」(前出・施設関係者)
羽振りが良かった時代を忘れられず放蕩を続け、すべてを頼り切っていた妻に愛想を尽かされる。
佐藤さんの辿った末路を、「自業自得」の一言で片付けるのは簡単だ。
しかし、どんな形にせよ、すべての夫婦に離別のときはやってくる。佐藤さんが襲われた絶望は、誰にとっても決して他人事ではない。
「連れ合いと離れた後、女性は『独りで生きなきゃ』と覚悟を決めて強くなる場合も多いのですが、男性の場合は、一気に弱ってしまう人が少なくありません。
近所付き合いや友人付き合いの多い女性にとって、夫は『たくさんある人間関係の一つ』に過ぎませんが、定年後に仕事関係のお付き合いがなくなった男性にとっては、奥さんとの関係は唯一無二のもの。
死別や離婚でそれが失われると、どうしていいかわからず、ただ呆然と立ち尽くしてしまうのです」(ケアマネージャーオフィス「ぽけっと」代表の上田浩美氏)
自分では何もできない男が独りになったときに襲われる、どうしようもない孤独。
人知れず最期を迎えた瞬間、佐藤さんがせめて絶望から解放されたことを願ってやまない。
「週刊現代」2019年10月12・19日合併号より