20【親睦会】

春の嵐 すごいですね

 

先日3/30の慶応会でも、強風でJRがストップ、水戸から参加予定の阪田先生が来れなくなってしまいました。春の嵐、恐るべし。

ビルから物が落ちてきたりしますので、皆さん注意してくださいね。(;´Д`) 

 

▲強風で横転したトラック 富山県砺波市 (;´Д`) ひえ~ 

 

米軍機が羽田空港に着陸

全国を襲った強風の影響で、米軍の大型輸送機「C5」が予定の横田基地に着陸できず、4日午前0時半ごろ、羽田空港に急きょ目的地を変えて着陸した。国土交通省東京空港事務所によると、同機は米ハワイ州のヒッカム空軍基地から、横田に向かっていた。4日昼現在も羽田空港に駐機しており、離陸に向けて調整中という。同事務所は「米軍機が羽田に着陸するのは珍しい」と話している。

 

新宿駅近くで看板落下、2人けが

警視庁などによりますと、4日午後0時20分ごろ、東京のJR新宿駅西口近くにあるビルから居酒屋チェーン店の看板の一部が路上に落下し、近くを歩いていた52歳の男性と65歳の男性に当たりました。「ガタンというものすごい音がしたんです。目の(上の)ところからすごい出血」(目撃者)。2人は病院に運ばれましたが、52歳の男性が頭を打って軽傷、65歳の男性は左足に軽いけがをしたということです。警視庁などで落下の原因を調べています。

 

強風で交通乱れる

全国的な強風の影響で日本航空と全日空は3日午後3時現在、計494便の欠航を決めた。

日本航空は羽田と旭川、札幌、三沢、小松、伊丹、岡山、出雲、徳島、高松、高知、松山、福岡、長崎、熊本、宮崎、鹿児島、奄美大島、那覇などを結ぶ219便。全日空は羽田と徳島、鳥取、高知、米子などを結ぶ計275便を欠航した。

また、東海汽船は東京と伊豆大島を結ぶジェット船計4便などを欠航した。

JR東日本は3日午後3時ごろから、首都圏の在来線の運転本数を通常の7割ほどに減らして運行している。かいじ115号(東京―甲府)などの特急や、通 勤者向けの中央ライナー、東京と北海道を結ぶ夜行列車などは運休を決めた。新幹線は午後3時現在、東北新幹線と上越新幹線で計14本の運休が決まった。

東海道線は、17時43分頃より、強風の影響で、上下線で運転を見合わせています。湘南新宿ラインは、強風の影響で、終日運休となります。

JR東日本の列車運行情報

 

レインボーブリッジ通行止め
東京湾にかかるレインボーブリッジが3日午後4時45分、通行止めになった。東京都によると橋上の風速計で同4時半、最大瞬間風速25メートルを記録し、通行止めの規制値(25メートル)に達した。

 

強風で物置が倒壊、死亡
強風のため、建物の倒壊なども相次いでいます。   富山西警察署によりますと、午後1時ごろ、富山市池多のホリイ・トミオさん宅で物置が倒壊し、ホリイさんが下敷きになって死亡しました。

 

強風で物置が倒壊、死亡
強風のため、建物の倒壊なども相次いでいます。  富山西警察署によりますと、午後1時ごろ、富山市池多のホリイ・トミオさん宅で物置が倒壊し、ホリイさんが

 

強風で野球のネット倒れ重傷
衣浦東部広域連合消防局によると、3日午前6時55分ごろ、愛知県刈谷市宝町8の豊田自動織機グラウンドで、野球用ネット(高さ3メートル、幅6メートル)が倒れ、下敷きになった同社陸上部監督の長谷川重夫さん(48)が腰の骨などを折り重傷。

 

強風で展示用やぐら傾く
鹿児島県西之表市城南町のオートバックス鹿児島城南店では、鉄製パイプで組んだ高さ約7メートルのタイヤ展示用やぐらが、強風にあおられて傾いた。通報で駆けつけた消防が固定した後、業者がやぐらの撤去作業を始めた。

 

強風の渋谷駅前
渋谷駅前のバスターミナルです。雨もやんで、いつも通りの光景がもどってきたように見えます。しかし、近くの店の方に話を伺いますと、非常に人が少 ないそうです。いつもの1割以下じゃないかということを話していました。駅付近が一番混雑していたのは、いつもの通勤時間帯よりも2、3時間早い、午後 3、4時だったということです。どうやら東日本大震災の教訓もあったのでしょうか。予報でひどくなるのが夜だと分かっていまして、それよりも前倒しして仕 事を切り上げて、帰宅の途に就いた方が非常に多かったようです。

東急電鉄では、3日午後6時45分まで一時、全線で運転を見合わせていました。その時に駅前のターミナルには人があふれていたということなんですが、例えば、このバス停でいきますと普段は1列に並んでいるのですが、2、3列になりまして行列が できていました。その時に雨も風も非常に激しくなっていたということで、最初は傘をさしていたのですが、あまりにも風が強すぎて傘もさせなくなってしまい まして、皆さん傘をささずにずっと濡れながら並んでいたそうです。そのなごりが見えるのがゴミ箱です。周りに入りきらないほどの折れた傘が捨てられていま す。この強い風は4日朝まで続くとみられていまして、ゆりかもめや常磐線では運転を全線で見合わせています。4日朝の通勤時間帯も場所によってはダイヤに 乱れが生じそうです。

 

強風対策傘

オンラインストア「イーサプライ」では、従来の倍である、16本の骨で作られた対策雨傘を販売開始した。強度を高めたため、台風などの強風時でも傘が裏返ったりすることなく使うことができるという。

 

強風対策傘  商魂、恐るべし(^_^;)

 

水戸のパイプオルガン復活

 

▲水戸芸術館(水戸市)

 

東日本大震災で被災した水戸芸術館(水戸市)のパイプオルガンが約1年ぶりに復活し、4月1日、入場無料の記念コンサートが開かれた。

待ちわびた荘厳な音色を味わおうと、同館のコンサートでは最多の約1800人の観客が詰めかけた。

震度6弱の揺れを受けた水戸芸術館のパイプオルガンは、金属や木のパイプがぶつかり合い、3283本のうち9割以上が傷ついたりへこんだりした

正面にあった5本の大きなパイプは、1階ロビーまで落下して折れ曲がった。

ようやく修繕が始まったのは、昨年11月。

製作会社の「マナ オルゲルバウ」(東京都)の社長、松崎譲二さん(65)と中里威さん(63)ら職人6人が、約3か月かけて損傷したパイプに1本ずつ鉄の棒を差し入れてしごき、今年1月下旬からは整音と調律を繰り返した。

重厚感と丸み、壮麗さを備えた「音」を、記憶の中に探る。わずかな形状や室温の違いによって、音程は微妙に狂う。

職人たちは毎週平日の開館前や閉館後、静まりかえった冬の館内で暖房を切り作業を続けた。その姿は広く県民に知られるようになった。

この日は、開演1時間前の午後12時半に用意された200席が埋まり、コンサートが始まると会場の1、2階エントランスホールは立ち見の観客であふれかえった。

オルガニストの浅井美紀さんがバッハなど4曲を次々に奏でる。多くの観客が目を閉じながら体を静かに揺らす。

アンコールで滝廉太郎作曲「花」など2曲が始まると、メロディーをハミングする声が会場を満たした。

パイプオルガンを最後に、同館は完全復旧を迎えた。

水戸市上水戸、医師佐藤智子さん(37)は「パイプオルガンにもようやく春が来たんだと実感して、涙がにじんだ。これをきっかけに水戸の復興も勢いづいてほしい」と感激していた。

これまでの日々を振り返り、あいさつに立った松崎さんは「オルガンは生き物。これからもたくさんの人に弾いてもらって育っていってほしい」と聴衆に語りかけていた。

 

▲パイプオルガンを背にあいさつする奏者の浅井さん

 

水戸芸術館

茨城県水戸市五軒町 1-6-8 TEL. 029-227-8111

 

(^_^;) 震災前の繁栄が少しずつ戻ってくる

 

急逝 がってん寿司の創業者

 

いま、六本木のがってん寿司で食事してきました。

そこで聞いた話だけど、がってん寿司チェーン(社名:RDC=Restaurant Dramatic Company)の創業者、大島敏さんが、つい先日亡くなられたそうです。

まだ61歳。死因は心筋梗塞。さほど年齢が違わないので、ちょっとショックでした。

歯科医から外食チェーンへという異色の経歴。

以下、RDCのHPに載っているトップの自己紹介。

 

 

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 RDC代表取締役会長 大島 敏

当社は1986年の設立以来、外食産業の慣習にとらわれることなく、時代のニーズに合致した、新しい試みにチャレンジしてまいりました。

一流の職人が握る「寿司屋」の寿司を、「回転寿司」という形態で、お客様により安価に味わってもらおうと誕生させたのが『がってん寿司』です。

がってん寿司は、他社が仕組みや効率を第一に機械化を進めている中、手作りのおいしさ、お客様に心から楽しんでいただくサービスにこだわり、店内での調理を基本に、グループの大きな柱として成長しています。

また、「新のれん分け制度」による分社化を進め、全国展開を視野に入れた戦略にも取り組んでいます。

さらに、「ひとりでも多くのお客様に、安くておいしい料理を召し上がっていただきたい」という思いから、とんかつ店『かつ敏』、ラーメン店『唐麺や十兵衛』、市場場外食堂『大島屋』、など、様々な業態を次々と開発してまいりました。

私たちは、手作りをキーワードに専門店として全く新しい外食産業のありかたを打ちたてています。
今後もアールディーシーは、食へのこだわりとお客様第一主義の姿勢を貫き、社会とともに飛躍する企業として、株式の上場や海外出店など、これからも限りない挑戦を続けてまいります。

 

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代表大島の夢

歯科医からの転身と外食産業への思い

代表大島の幼い頃からの夢、それは日本一のコックになること。

しかし、一度は親の説得に負け、歯科医療の道へ進むこととなる。

「人を喜ばせることが好き」という大島のやり方は、歯科医の常識を超えていた。患者の名前を覚えようと努力したり、アフターフォローの電話を入れたり…。

歯科業は軌道に乗り、埼玉県でも最も患者が多いと言われるほどに繁盛した。

医療業界では、どんなに手を尽くしても報われないこともある。
一方、外食産業では、優れたサービスを提供すればお客様は必ず喜んでくれる。
「もっとたくさんの人に喜んでもらいたい」
その思いを叶えるために、37歳の時遂に、外食産業への転身を果たす。
「歯科医の道楽で寿司屋ができるわけない」誰もが、失敗を予想した。
しかし、大島の情熱と独自の戦略は、確実に時代の波を捉え、夢は現実のものとなる。

大島は語る

夢は、企業理念を達成すること。Good Personを育てること。
関わった人みんなが夢を実現し、「今の自分がいるのは、RDCに出会えたから」と言われたい。
そして、「お客様・従業員・会社」すべてが幸せになることを目指したい。

 

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安くて美味しい寿司を

食べさせていただいたことに感謝しつつ

ご冥福をお祈りいたします (T_T)

 

アタッカ激励会11/18

アタッカ東京公演(11/20)に先立って、11/18にアタッカ・サポーターがアタッカ・メンバーを囲んで、激励会を開催しました (^_^;)

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