人生いろいろ

三菱創業150周年

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 上の写真の一番右のおじさんの

  首がやたら長いのが気になります

 三菱銀行のエラい人らしいです

  (^_^;)

 

2020年は、三菱が創業してから150周年の節目の年に当たる。

創業者であり、初代の社長に就いたのは岩崎彌太郎その人である。

大転換期の日本の世で、岩崎彌太郎は、どのように起業し、発展させたのか。

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 * * * * * * *

岩崎彌太郎(いわさき・やたろう)→

1835~85年(天保5~明治18年)。

三菱の創業者であり、初代社長

幕末から明治維新へ。激動の時代を生き抜き、三菱の礎を築いた。

1835(天保5)年、土佐井ノ口村(現・高知県安芸市)に生まれる。

指がやたら長いのが気になる→

 (^_^;)

『岩崎彌太郎傳』によると、幼少期の彌太郎は、

《気性は激しく、負けることが嫌いである。同じ年頃の子どもを集めて大将を気取り、敏捷で頭の回転が早い》(現代語訳)

とある。

今風に言えば“やんちゃ”だったのである。

一方で、学問に興味を持つのも早かった。

「彌太郎は15歳で、伯母の嫁ぎ先である儒学者の岡本寧浦(おかもとねいほ)の塾に入り、懸命に学びます」

と解説するのは、「公益財団法人 三菱経済研究所」の常務理事・村橋俊樹さんである。

54(安政元)年、彌太郎19歳のときにチャンスが巡ってくる。

江戸詰めに決まった儒学者の奥宮慥斎(おくのみやぞうさい)の従者として、随行が認められたのである。

「その江戸で、岡本寧浦と親交のあった安積艮斎(あさかごんさい)の見山(けんざん)塾に入り、一層、勉学に打ち込みます。ところが、折あしく郷里で父親の彌次郎がトラブルに見舞われ、重傷を負ったという知らせが届きます。彌太郎はやむなく帰郷。江戸遊学は1年足らずで終わりました」

この時、彌太郎は江戸から土佐までの約800kmを16日間で走破している。

当時、土佐藩の早馬飛脚でも14日間かかるというから、彌太郎は並外れた健脚の持ち主でもあった。

帰郷後、彌太郎は父親のトラブルの遠因で投獄される。

約7カ月の入獄の末、出獄するが、傷心の日々。

そんな中、土佐藩開明派の指導者・吉田東洋の少林塾に入り、後藤象二郎(しょうじろう)などの知遇を得る。

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読書 チャールズ・ウォードの奇怪な事件

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ラヴクラフトにとってプロヴィデンスは最も落ち着く場所だったようで、46年の短い生涯のほとんどをここで過ごし、独特のクトゥルフ神話の世界を紡いだ

ラヴクラフトはプロヴィデンスに住む伯母に宛てた手紙の中で

「現実世界を打ち捨てて、古びた場所に引き篭もり、読書や書き物をしたり、風変わりな場所や歴史の残る場所を訪ねたりして、静かに暮らしたい」

と書いて、過ぎ去った時代への偏愛や、異邦への憧憬を表している

日本で言えば出家隠棲のような生き方だが、彼が生きた時代のアメリカは、第一次大戦や世界大恐慌で落ち着かなく、彼は英国に似た落ち着きのあるプロヴィデンスを愛した

彼の墓には「私はプロヴィデンスである」と記されている

(^_^;)

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▲現在のプロヴィデンスの街並み

 

不倫まとめ

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ネット上のWEB(いわゆるHP)の世界には、「不倫まとめ」というジャンルがある

2ちゃんねるなどの掲示板の、不倫関係の投稿を、取捨選別要約してまとめたサイト(ページ)だ

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ここには芸能界の不倫事件とは異なる、一般庶民の不倫事情や修羅場が赤裸々に掲載されている

作家の渡辺淳一(→)は、

「現代において、純愛と呼べるのは、不倫だけである」

と言っている

不倫なんかしても何の得も無いのに、ひたすら愛し合っているのだから、これこそ純愛の極致であるとしている

作家の発言としてはまったくその通りの、ロマンチックな純愛世界かもしれないが、現実の不倫、特にそれがバレて発覚したあとの世界は、まさに修羅場である

「平和な現代の日本において、修羅場と呼べるのは、不倫だけである」

と言ってもよいかもしれない

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そんな修羅場を当事者がネット掲示板に投稿し、それを閲覧した人たちが感想を書いたり、励ましたり、時には罵倒したりしている

それが「不倫まとめ」だ

作家でも何でもない一般人が書いているので、文章は拙くて読みにくいが、まさに現在進行中の不倫の修羅場が、その当事者(多くの場合、不倫された側)によって書かれているので、その臨場感はすさまじい

その多くは外形的には似たようなストーリーで、興信所(私立探偵)が不倫現場の証拠を押さえ、弁護士が登場して法律的に粛々と不倫の後始末をする

その際の関係者の精神の葛藤は、まさに「修羅場と呼べるのは不倫だけ」である

(^_^;)

「不倫まとめ」の一例へ

 

アルツハイマー病の元バレリーナ

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 鬼気迫る動画ですね

  ((((;゚д゚))))

 

アルツハイマー病を患う女性が、チャイコフスキー作曲「白鳥の湖」の振り付けを思い出し、踊る動画が話題となっている。

元バレリーナのマルタ・ゴンザレスさんが踊る動画は、スペイン・バレンシアの介護施設で撮影された。

ゴンザレスさんは撮影から間もなく、2019年に亡くなった。

アルツハイマー病患者の生活向上のために音楽を活用しているスペインの慈善団体「Asociacion Musica para Despertar」が動画を公開した。

 

読書 不老の探求

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著者は1927年生まれの現在93歳

海軍兵学校→三高→東大医学部というコースで、京都大学霊長類研究所で脳生理学を研究

50代後半から一般向けの本を書くようになり、いまでは「長生き先生」といった立ち位置になって、日本全国の高齢者団体などから講演に招かれたりして飛び回っている

秦の始皇帝が全てを手に入れて、最後に望んだものが不老長寿

そのためのポイントは「かきくけこ」、つまり

  感動・興味・工夫・健康・恋

ということになるのだとする

本書はそんな著者の日常生活をエッセイ風に語りながら、上記の5要素を軸に、不老には何が良いかを説いている

そのライフスタイルを貫く好奇心と楽天性は、確かに不老の決め手になるように思える

(^_^;)

 

読書 ゲゲゲのゲーテ

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妖怪マンガの水木しげるの愛読書がゲーテだった

カントやヘーゲル、ニーチェやショーペンハウエルも読んだが、ゲーテが一番「性に合った」らしい

「ヴィルヘルム・マイスター」や「ファウスト」より、「ゲーテとの対話」が好みだという

片腕を失った戦地にも持って行った

作品よりもゲーテの人間性や生き方が好きなのだろう

人生訓の本家のようなゲーテなので、マンガが売れなくて極貧の時代を乗り切るパワーも、ゲーテから得ていたようだ

したくもない戦争に狩り出されたので、終戦のときに本当に自由を感じたという

人生で最も大切なことは「好きなことをすること」と信じる

そして寝ることが好きだから、マンガが売れて余裕が出来てからは、毎日好きなだけ寝ているそうだ

「葉隠」の山本常朝に似ている

(^_^;)

 

役者・奥野瑛太

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革命や敗戦などで体制がひっくり返ると、旧体制の上層部も路頭に迷う

明治維新では旧幕臣の多くが、単なる失業者に転落した

江戸時代初期には、多くの藩が「お取りつぶし」になって、藩士は禄を失った

何か武士以外の特殊技能を持つことは、本物の武士にとって恥とされていたから、ツブシが効かない人も多くいたことだろう

映画「一命」では、失業した武士の一家が内職をしながら、極貧の中で細々と暮らしていて涙を誘う

(T_T)

 

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朝ドラ『エール』の「智彦さん」(奥野瑛太(←)は、当時のふつうの人である。

がちがちに真面目で、家でも威厳を保つ主人である。

外で起こったことを、家内では話題にしない、というタイプだった。

これは軍人にかぎらず、昭和前半の家庭風景としては、ふつうのことだったとおもう。

ふつうの血の通った人として描かれていた。

軍人だったから、戦争が終わると路頭に迷う。

軍人は「政府の役人」でもあり「戦争という特殊技術の人」でもあった。

でも戦争が終わり、軍は解体されて再軍備は禁止されたので、それまでのキャリアがまったく使えない。

過去のキャリアが何も役に立たない、ただの無職である。

職を探して苦労している姿が見られた。

すべてをもてあましてる感じが出ていて、その姿を見せる役者・奥野瑛太が見事だった。

この人は、とても身体性を強く感じさせる役者だとおもう。

セリフを言う前の存在感がきちんとしていて、その佇まいだけで見入ってしまう。

再就職のときに彼の出した履歴書が映しだされていたが、それには赫々たる履歴が並んでいた。

陸軍幼学校から士官学校に進んだエリートで(幼学校は当時の中等学校にあたる)、卒業後、騎兵隊第十九連隊の少尉に任官。

最後は中佐まで昇進している。すごいエリートである。

最後の昇進はいわゆる「ポツダム昇進」、つまり敗戦が決まってからの昇進ではないかとおもわれるが、それまででも少佐である。

すごく偉い。なんか、軍人さんの位で偉さを測るのは裸の大将をおもいだしてしまうのだが、でもそういうしかない。

履歴書が映し出されたあとに、工場の鉄屑拾いの仕事があるといわれ、そんなものができるかと、憤然と席を立つシーンがあったが、たしかにそうだろう。

陸軍中佐は、ふつう鉄屑拾いをやらない。

プライドがあまりに高い。

詳細はここをクリック

 

 

読書 葉隠入門

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「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」で有名な佐賀鍋島藩に伝わる思想書「葉隠」を、三島由紀夫が自分流に解説している

世の中には、損得で動く人間と、そうではない人間がいる

後者でなければ大業は成し得ぬと言ったのは西郷隆盛だが、現実の社会は前者が大部分を占めている

損得で動く人間の行動は予想しやすいので安心感がある

けして無茶な行動には走らない

経済学などは、そのような合理的人間を前提として理論を構築している

しかし江戸時代、家臣が主君への忠の覚悟と生き方(死に方)を本気で貫くには、損得の感覚では具合が悪い

損得を超えた武士の哲学が必要とされ、それに応えたのが「葉隠」だった

「葉隠」は、損得勘定の武士道を、上方流(商人のようだ)と罵っている

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一方、三島由紀夫(→)は天才にありがちな、かなり変わった価値観(性的嗜好と言ってもよい)の持ち主であり、「美しく高貴に死にたい」という潜在欲求(タナトス)が極めて旺盛だったように思われる

彼はそのために、自らの死を正当化し、美化し、高貴なものとするための壮大な内面世界を構築し、作品化し、行動化していった

三島にとって「葉隠」は、そのような内面世界構築の材料としては、非常に魅力に富んでいたものと思われる

「葉隠」の思想を語った山本常朝には、死を自己目的とする意識は希薄で、ただひたすら主君への忠を貫くには、生と死の二者択一の場面では、常に死を選ぶ覚悟を持てと主張しているに過ぎない

それは、三島が45歳で自決の道を選び、山本常朝が61歳(当時としては長命)で天寿を全うした違いとなって表れている

死を本気で覚悟した人間には、それまでの世間(損得勘定の世界)が従来とはまったく違って見えるのは、何となく想像できる

近松門左衛門が、死を覚悟して心中への道行(駆け落ち)に出た男女二人は「急に背が伸びた心地がする」としているのは、まことに鋭い描写だと思う

本当の人生や美意識というものは、その感覚の後に生ずるものかもしれない

(^_^;)

「美徳のよろめき」へ

 

あれから半世紀

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11/25は「あの事件」から半世紀です

日本が生んだ戦後最大の文学的天才が、現実を相手にした行動では、なぜ児戯にも似た杜撰極まる方法で命を落としたのか?

今となっては藪の中だが、おそらく三島は事件の非成功を百も承知で、あえて自らの悲劇的な死への舞台装置として、あの事件を利用したのだろう

ニーチェといい、三島といい、なぜ天才は「悲劇」にかくもこだわるのだろうか?

下の文章は、宮崎正弘氏による書評です

(^_^;)

 

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あれから五十年が閲したとは思えないほど、須臾の時間だった。

昨日の出来事のように、フト生前の三島、森田両氏と会話している(夢の中で)。

おりしも書店に行くと三島本が並びだした。

それもかなりの数である。

「定番」の人々の回想録という周期はおわって、三島事件から後に生まれた世代が、それぞれのアングルから三島由紀夫の世界に挑んでいる。

たまたま日本経済新聞にも「三島五十年」のシリーズが特集され、宮本亜門、宮台真司、吉田大八、熊野純彦など新世代が、それなりの三島を語っていて、視野狭窄、ピント外れ、マニアック、哲学的ブンガク論だったり、しかし、それぞれに光る一行がある。

第一周期は三島と直接付き合った人たちの交友録的評伝の列だった。

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林房雄、石原慎太郎、佐伯彰一、奥野健男、坊城俊民、三谷信、渋沢龍彦らが続き、第二周期は客観的な評伝へと移る。

猪瀬直樹、村松剛、スコット・ストークス、ジョン・ネイサン、松本健一、そして編集担当だった川島勝、小島千加子。

異色は堂本正樹、野坂昭如、福島次郎、岩下尚史氏らの作品だった。

加えて文学的見地からは田中美代子、松本徹ら夥しい人が三島を語ったのだ。

最近では三島と直接付き合った自衛隊OBが退役後の感想をのべたものに加わって、杉山隆男、浜崎洋介氏らの出色の三島論もでてきた。

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ともかく半世紀も経つと、あの驚天動地の三島事件をかくも冷静に見直し、くわえて三島文学に対して、一般的な、通俗な評伝を越えた、ある種冷徹な評価ができるのか、と本書を読み終えて、全体を貫く客観性にまず感心した。

著者の佐藤秀明氏は「前意味論的」と分析方法を断っているが、本書は相対的には意味論である。

さすがに三島文学館の館長を兼任する著者は、四谷の生家を探し当て、死後の評論のなかからも、珠玉を選ぶ一方で、間違いもただしていく。

たとえば、秋山駿は

 

「死後も成長し続ける作家」

 

と三島を評した名言を残したが、これはドストエフスキーの言葉がオリジナルだという。

三島が少年時代から憧れ続けたのは「悲劇的なもの」だった

初期の作品群を一覧しても、美しき夭折への、名状しがたい憧憬に満ちている。

衝動的な渇仰が『花ざかりの森』にも『軽皇子と衣織姫』にも、底辺に流れ、漂う。

「前意味論的な欲動」と著者は言う。

処女作と遺作には静謐が共通する。

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昭和四十三年の『太陽と鉄』の最終章には、「身を挺している」「悲劇的なもの」という語彙に加えて「栄光と死」を望んでいると書かれている。

村松剛は「決意を彼が公にした最初の文章だった」と『三島由紀夫の世界』で見抜いた。

しかし『悲劇的なもの』と『身を挺している』という言葉は『仮面の告白』で出てくるのだ。

佐藤は

「職業作家として出発した記念碑的な作品に書いた言葉を、二十年後に死の予感を告白する文章に織り込んだのは、意図してのことであろう」

と分析していて研究者としての慧眼が冴える。

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また『憂国』はまさに悲劇的イロニーに充ち満ちた短編だが、

「作品の意匠は全く異なるが、『潮騒』の幸福感に通じている」

とする。

なるほど、そういわれてみればそうかもしれない。

気になった箇所は三島が机上の空論的に皇居突入計画を立てたという、これは生前も耳にした風説で、当時評者(宮崎)の耳にも聞こえてきたが、佐藤氏はこの顛末を文献的に振り返り、関係者の著作も紐解いている。

真相は薮の中、計画を打ち明けられた自衛隊は冗談だろうと、その場では同調するフリをしたのだろうと評者は想像する。

げんに富士学校へひとりで入隊時に対応した幹部は、三島のクーデター計画を聴いて

「私らは役人ですから」

と冷ややかに言い放ち、以後、明確に距離を置いた。

現在の自衛隊にクーデターを望むこと自体が妄想である。

それは体験入隊を通じて、三島はいやというほどに体得していた。

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まして楯の会を始末に負えぬ存在と考えていた財界の桜田武や自民党は、冷笑したフシが濃厚。

そこで三島は法螺吹きの田中清玄にも自衛隊への斡旋を頼んだとか、虚実こもごもだが、三島が「愛国者」となのる軍人OBや自衛隊幹部、財界の有力者に課した「リトマス試験紙」だったのではないのか、というのが評者の見立てである。

というのも、この皇居突入計画を聴いて以後、距離を置き始めた人が多かったからだ。

ついで三島が吹聴していたのは治安出動を契機とするクーデター計画で、仄聞していた限り、だれも本気とはとっておらず、文豪ミシマの独特のアフォリズム、いや何かの芝居なのかと誤認した。

じつは評者、このあたりの経緯を村松剛氏や編集者、そして楯の会の会員ながらも三島とは距離を置いた学生達から聴いており、その本気度と計画の杜撰さとの整合性を不安に思ったものだった。

そのあとに森田必勝が学生長になって本格的に計画立案に加わり実現性のたかい、綿密な行動計画へ移っていくのである。

佐藤氏はこう言う。

「(戯曲『わが友ヒトラー』にでてくる)レームと突撃隊は、明らかに三島と楯の会を表している。楯の会など政治の権謀術数から見れば、子供騙しの集団でしかないことを作者(三島)は知っている。しかし同時に三島は、レームの単純な盲信が『神々の特質』であることも知り、この戯曲であっさりと粛正される『三度の飯よりも兵隊ごっこが好き』なレームを、戯画化したうえで憧れている」(182p)。

冷徹な、あまりに冷徹なほどの客観性で、本書は一貫している。

「宮崎正弘の国際情勢解題」より

 

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▼三島由紀夫は、ものすごい猫好きでした (^_^;)

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1日1食

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 私もほぼ1日1食なんだけど

  ほとんど痩せないです

 なぜだろう?  (・_・?)

 

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厳しいトレーニングで体脂肪率8%を維持しているGACKT

体内の毒素を抜くために断食をおこない、20日間、酵素水だけで過ごすこともあるという。

取材時は

「普通の食事に戻している最中なので、野菜だけ。

 おかずが野菜で主食も野菜」

と告白。

この日のメニューは、鍋にマイタケなどきのこ類と豆腐、ニラ、春菊などを入れたもので、味付けは、ココナッツ由来のMCTオイル、塩とシンプルな味付けだった。

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そこまでストイックになることに、GACKTは

「ライブを見てくれたらわかるけど、たぶん47歳で

 僕ほどパフォーマンスできる人間はいないと思う」

と音楽活動のためだと明かす。

「ファンが来てよかったと思えるために、自分が存在している。

 やりたいときにやれるだけの体をキープしてるから、いつでもやれる。

 体がダメになったら人生終わるからさ」

また、GACKTは食事について「26歳から1日1食」と明かし、サプリとプロテインは摂取しているが、「お腹が空く感覚がない」と話していた。

とことん自分を追い込む理由として、

「ライブをやるとき、(仲間に)キツいことも言わなきゃいけない。

 自分が一番キツい状態で仕事に向き合う姿勢を作ってから、

 みんなの一番前を走れる状態に持っていっている」

とリーダーとしての矜持を説明。

ダンサーのMADOKAはGACKTについて

「ダンサーは『バックダンサー』ってよく言われるけど、

 兄さん(GACKT)は1回も言ったことない。

 アーティストとして認めてくれている」

と敬意を語った。