人生いろいろ

読書 断腸亭日乗

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永井荷風の全集は、かなり以前にヤフー・オークションで、古本を非常に安く買った

全30巻もある大全集なので、とても一時に読めるものではなく、気が向いたときに気が向いた作品を拾い読みしている状況で、まだ未読部分が多い

荷風と言えば「断腸亭日乗」(だんちょうていにちじょう)が有名で、荷風数え39歳から亡くなる直前まで書き続けた日記

全集の第21巻から第26巻までが日乗にあてられている

近現代日本の日記文学として最高峰と言われている

日乗を始めた直後に、麻布市兵衛町(現在の六本木一丁目)に「偏奇館」(ぺんきかん)という洋館を建て、自由気ままに一人暮らしの自由を楽しんだ

私が麻布に住もうと思ったのは、これの影響が大きい

以前に「濹東綺譚」(ぼくとうきたん)という映画がヒットしたが、その中には偏奇館でのエピソードが種々盛り込まれている

日乗を時々紐解いて、現在の私と同じころの年齢に、荷風が何を考え、何をしていたかを読むのは、とても楽しい

と言っても、荷風の晩年は第二次大戦と重なり、世の中の雰囲気は暗く陰鬱だ

それでも、文人である荷風にとって書斎の中は別世界で、優雅な精神世界に暮らしつつ、女遊びにも余念がなかった(荷風は金持ちで女好きだった)

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ちなみに、映画「濹東綺譚」の荷風役は津川雅彦

実にハマリ役で、スケベなインテリ中年を演じさせたら、この人の右に出る者はいない

秋吉久美子と共演した映画「ひとひらの雪」(→、渡辺淳一原作)も良かったなぁ

荷風数え67歳、昭和20年3月9日の東京大空襲で偏奇館は焼亡、書斎も蔵書も灰燼に帰し、荷風は日乗をカバンに収めて、火の中を逃げ回る

空襲を生き延びた荷風は、79歳まで生きて日乗を書き続けたので、まだ当分は楽しめそうだ

(^_^;)

 

「断腸亭日乗」昭和20年3月9日

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映画「濹東綺譚」

ファイルサイズが大きいので、スマホの場合、WIFI利用をオススメします (^_^;)

 

読書 実践快老生活

実践・快老生活 知的で幸福な生活へのレポート★2012 _01

著者である渡部昇一氏は、昭和5年(1930)生まれで、この本は著者85~86歳のころに書かれた

3年前に86歳で亡くなられているから、その直前に書かれた本ということになる

著者が40年前に著した「知的生活の方法」は当時の大ベストセラーになり、私も大学生のころに読んで、人生が変わるような決定的影響を受けた

すっかりお気に入りの著者の一人になり、いま手元にはその著書が30冊近くある

まだ未読もあるが、少なくとも十数冊は読んでおり、これまでの人生の折々で、貴重な刺激を受けてきた

そんな渡部昇一氏が、85歳という高齢になるということはどういうことなのか、自らの実体験として率直に語っている

若い頃に「知的生活の方法」を、興奮を覚えながら読んだ時の気持ちが蘇って来るようで、とても懐かしかった

歯に衣着せぬ保守系論客だったので、左翼系文化人からの非難も多かったが、そんなイデオロギーの違いなどを超えた、一人の人間として素晴らしい生き方をした人だったと思う

(^_^;)

 

読書 つげ忠男選集

つげ忠男アウトロー選集1~どぶ街~_01

つげ義春は大好きな漫画家の一人で、彼の作品はほとんど、何度も読んだ

そのつげ義春の弟が、本書の作者のつげ忠男

その作品選集10冊を、一気に読んだ

つげ忠男アウトロー選集1~どぶ街~

つげ忠男アウトロー選集2~無頼の街~

つげ忠男アウトロー選集3~無頼平野~

つげ忠男アウトロー選集4~狼の伝説~

つげ忠男アウトロー選集5~流れ者たち~

つげ忠男昭和選集1~きなこ屋のばあさん~

つげ忠男昭和選集2~雨季~

つげ忠男昭和選集3~夜よゆるやかに~

つげ忠男昭和選集4~遠い夏の風景~

つげ忠男昭和選集5~ある予感~

絵のタッチは兄義春と似ているが、雰囲気は兄より暗く鬱屈して乾いている

忠男は一時、血液銀行で働き、その経験が作品の中に何度も登場する

血液銀行は、今は無くなったが、「売血所」とも呼ばれ、輸血用や血液製剤の原料として血液を買い取る場所で、社会の底辺の人間がその日の食費やギャンブル代のために、自分の血液を売りに集まった

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兄義春(←、左)も相当に暗いのだが、そこにはある種の温かみもある

弟忠男(←、右)はそれよるはるかに暗く、冷たく、乾いていて、何とも救いが無い雰囲気が漂っている

第二次大戦の敗戦からすぐというこの時代の日本は、社会全体が暗くて貧しかったし、それはこの選集の中にも濃厚に表現されている

兄弟が育ったのは、昭和20年代、高度成長前の貧しい時代の東京下町、そのまた特に貧しいエリア

将来に希望を持てない鬱屈した時代精神が感じられる

つげ義春のマンガにも出てくるが、この兄弟の父親は早くに亡くなっている

母親の再婚相手である病気がちの義父は残酷な性格の男で、つげ兄弟はひどい児童虐待を受けて育った

正式な美術教育はおろか、家庭の貧しさから義務教育にすら満足に通えなかった兄弟が、二人ともプロの漫画家になっているのは、まさに兄弟共通の才能の成せるところなのだろう

今回も一気に10冊、まったく退屈せずに読めたということは、漫画家としての非凡な才能を感じる

特にアウトロー選集は、社会の掃きだめのような貧しくて暗い街が主な背景になっていて、日常的に暴力と退廃と背徳が横行するハードボイルド的な作品集

全体に、夢と現実が織り交ざったようなシュールな話が多い

兄つげ義春は、睡眠中にみた夢を漫画化したが、その影響は弟忠男と蛭子能収に及んでいる

(^_^;)

 

三菱創業150周年

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 上の写真の一番右のおじさんの

  首がやたら長いのが気になります

 三菱銀行のエラい人らしいです

  (^_^;)

 

2020年は、三菱が創業してから150周年の節目の年に当たる。

創業者であり、初代の社長に就いたのは岩崎彌太郎その人である。

大転換期の日本の世で、岩崎彌太郎は、どのように起業し、発展させたのか。

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 * * * * * * *

岩崎彌太郎(いわさき・やたろう)→

1835~85年(天保5~明治18年)。

三菱の創業者であり、初代社長

幕末から明治維新へ。激動の時代を生き抜き、三菱の礎を築いた。

1835(天保5)年、土佐井ノ口村(現・高知県安芸市)に生まれる。

指がやたら長いのが気になる→

 (^_^;)

『岩崎彌太郎傳』によると、幼少期の彌太郎は、

《気性は激しく、負けることが嫌いである。同じ年頃の子どもを集めて大将を気取り、敏捷で頭の回転が早い》(現代語訳)

とある。

今風に言えば“やんちゃ”だったのである。

一方で、学問に興味を持つのも早かった。

「彌太郎は15歳で、伯母の嫁ぎ先である儒学者の岡本寧浦(おかもとねいほ)の塾に入り、懸命に学びます」

と解説するのは、「公益財団法人 三菱経済研究所」の常務理事・村橋俊樹さんである。

54(安政元)年、彌太郎19歳のときにチャンスが巡ってくる。

江戸詰めに決まった儒学者の奥宮慥斎(おくのみやぞうさい)の従者として、随行が認められたのである。

「その江戸で、岡本寧浦と親交のあった安積艮斎(あさかごんさい)の見山(けんざん)塾に入り、一層、勉学に打ち込みます。ところが、折あしく郷里で父親の彌次郎がトラブルに見舞われ、重傷を負ったという知らせが届きます。彌太郎はやむなく帰郷。江戸遊学は1年足らずで終わりました」

この時、彌太郎は江戸から土佐までの約800kmを16日間で走破している。

当時、土佐藩の早馬飛脚でも14日間かかるというから、彌太郎は並外れた健脚の持ち主でもあった。

帰郷後、彌太郎は父親のトラブルの遠因で投獄される。

約7カ月の入獄の末、出獄するが、傷心の日々。

そんな中、土佐藩開明派の指導者・吉田東洋の少林塾に入り、後藤象二郎(しょうじろう)などの知遇を得る。

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読書 チャールズ・ウォードの奇怪な事件

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ラヴクラフトにとってプロヴィデンスは最も落ち着く場所だったようで、46年の短い生涯のほとんどをここで過ごし、独特のクトゥルフ神話の世界を紡いだ

ラヴクラフトはプロヴィデンスに住む伯母に宛てた手紙の中で

「現実世界を打ち捨てて、古びた場所に引き篭もり、読書や書き物をしたり、風変わりな場所や歴史の残る場所を訪ねたりして、静かに暮らしたい」

と書いて、過ぎ去った時代への偏愛や、異邦への憧憬を表している

日本で言えば出家隠棲のような生き方だが、彼が生きた時代のアメリカは、第一次大戦や世界大恐慌で落ち着かなく、彼は英国に似た落ち着きのあるプロヴィデンスを愛した

彼の墓には「私はプロヴィデンスである」と記されている

(^_^;)

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▲現在のプロヴィデンスの街並み

 

不倫まとめ

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ネット上のWEB(いわゆるHP)の世界には、「不倫まとめ」というジャンルがある

2ちゃんねるなどの掲示板の、不倫関係の投稿を、取捨選別要約してまとめたサイト(ページ)だ

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ここには芸能界の不倫事件とは異なる、一般庶民の不倫事情や修羅場が赤裸々に掲載されている

作家の渡辺淳一(→)は、

「現代において、純愛と呼べるのは、不倫だけである」

と言っている

不倫なんかしても何の得も無いのに、ひたすら愛し合っているのだから、これこそ純愛の極致であるとしている

作家の発言としてはまったくその通りの、ロマンチックな純愛世界かもしれないが、現実の不倫、特にそれがバレて発覚したあとの世界は、まさに修羅場である

「平和な現代の日本において、修羅場と呼べるのは、不倫だけである」

と言ってもよいかもしれない

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そんな修羅場を当事者がネット掲示板に投稿し、それを閲覧した人たちが感想を書いたり、励ましたり、時には罵倒したりしている

それが「不倫まとめ」だ

作家でも何でもない一般人が書いているので、文章は拙くて読みにくいが、まさに現在進行中の不倫の修羅場が、その当事者(多くの場合、不倫された側)によって書かれているので、その臨場感はすさまじい

その多くは外形的には似たようなストーリーで、興信所(私立探偵)が不倫現場の証拠を押さえ、弁護士が登場して法律的に粛々と不倫の後始末をする

その際の関係者の精神の葛藤は、まさに「修羅場と呼べるのは不倫だけ」である

(^_^;)

「不倫まとめ」の一例へ

 

アルツハイマー病の元バレリーナ

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 鬼気迫る動画ですね

  ((((;゚д゚))))

 

アルツハイマー病を患う女性が、チャイコフスキー作曲「白鳥の湖」の振り付けを思い出し、踊る動画が話題となっている。

元バレリーナのマルタ・ゴンザレスさんが踊る動画は、スペイン・バレンシアの介護施設で撮影された。

ゴンザレスさんは撮影から間もなく、2019年に亡くなった。

アルツハイマー病患者の生活向上のために音楽を活用しているスペインの慈善団体「Asociacion Musica para Despertar」が動画を公開した。

 

読書 不老の探求

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著者は1927年生まれの現在93歳

海軍兵学校→三高→東大医学部というコースで、京都大学霊長類研究所で脳生理学を研究

50代後半から一般向けの本を書くようになり、いまでは「長生き先生」といった立ち位置になって、日本全国の高齢者団体などから講演に招かれたりして飛び回っている

秦の始皇帝が全てを手に入れて、最後に望んだものが不老長寿

そのためのポイントは「かきくけこ」、つまり

  感動・興味・工夫・健康・恋

ということになるのだとする

本書はそんな著者の日常生活をエッセイ風に語りながら、上記の5要素を軸に、不老には何が良いかを説いている

そのライフスタイルを貫く好奇心と楽天性は、確かに不老の決め手になるように思える

(^_^;)

 

読書 ゲゲゲのゲーテ

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妖怪マンガの水木しげるの愛読書がゲーテだった

カントやヘーゲル、ニーチェやショーペンハウエルも読んだが、ゲーテが一番「性に合った」らしい

「ヴィルヘルム・マイスター」や「ファウスト」より、「ゲーテとの対話」が好みだという

片腕を失った戦地にも持って行った

作品よりもゲーテの人間性や生き方が好きなのだろう

人生訓の本家のようなゲーテなので、マンガが売れなくて極貧の時代を乗り切るパワーも、ゲーテから得ていたようだ

したくもない戦争に狩り出されたので、終戦のときに本当に自由を感じたという

人生で最も大切なことは「好きなことをすること」と信じる

そして寝ることが好きだから、マンガが売れて余裕が出来てからは、毎日好きなだけ寝ているそうだ

「葉隠」の山本常朝に似ている

(^_^;)

 

役者・奥野瑛太

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革命や敗戦などで体制がひっくり返ると、旧体制の上層部も路頭に迷う

明治維新では旧幕臣の多くが、単なる失業者に転落した

江戸時代初期には、多くの藩が「お取りつぶし」になって、藩士は禄を失った

何か武士以外の特殊技能を持つことは、本物の武士にとって恥とされていたから、ツブシが効かない人も多くいたことだろう

映画「一命」では、失業した武士の一家が内職をしながら、極貧の中で細々と暮らしていて涙を誘う

(T_T)

 

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朝ドラ『エール』の「智彦さん」(奥野瑛太(←)は、当時のふつうの人である。

がちがちに真面目で、家でも威厳を保つ主人である。

外で起こったことを、家内では話題にしない、というタイプだった。

これは軍人にかぎらず、昭和前半の家庭風景としては、ふつうのことだったとおもう。

ふつうの血の通った人として描かれていた。

軍人だったから、戦争が終わると路頭に迷う。

軍人は「政府の役人」でもあり「戦争という特殊技術の人」でもあった。

でも戦争が終わり、軍は解体されて再軍備は禁止されたので、それまでのキャリアがまったく使えない。

過去のキャリアが何も役に立たない、ただの無職である。

職を探して苦労している姿が見られた。

すべてをもてあましてる感じが出ていて、その姿を見せる役者・奥野瑛太が見事だった。

この人は、とても身体性を強く感じさせる役者だとおもう。

セリフを言う前の存在感がきちんとしていて、その佇まいだけで見入ってしまう。

再就職のときに彼の出した履歴書が映しだされていたが、それには赫々たる履歴が並んでいた。

陸軍幼学校から士官学校に進んだエリートで(幼学校は当時の中等学校にあたる)、卒業後、騎兵隊第十九連隊の少尉に任官。

最後は中佐まで昇進している。すごいエリートである。

最後の昇進はいわゆる「ポツダム昇進」、つまり敗戦が決まってからの昇進ではないかとおもわれるが、それまででも少佐である。

すごく偉い。なんか、軍人さんの位で偉さを測るのは裸の大将をおもいだしてしまうのだが、でもそういうしかない。

履歴書が映し出されたあとに、工場の鉄屑拾いの仕事があるといわれ、そんなものができるかと、憤然と席を立つシーンがあったが、たしかにそうだろう。

陸軍中佐は、ふつう鉄屑拾いをやらない。

プライドがあまりに高い。

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