人生いろいろ

訃報 篠田桃紅 107歳

水墨を使った独自の抽象作品で国際的に知られる美術家の篠田桃紅(しのだ・とうこう、本名満洲子=ますこ)さんが3/1、老衰のため東京都内の病院で死去した。107歳だった。

葬儀は近親者で済ませた。喪主はめい、爽子(そうこ)さん。

中国東北部(旧満州)の大連生まれ。

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幼少から書を始め、第2次世界大戦後、文字を解体した抽象表現「墨象」に取り組んだ。

1956年に渡米し、ニューヨークを拠点にシカゴやパリなど欧米で個展も開いた。

1958年に帰国し、東京・芝の増上寺大本堂の壁画やふすま絵を手掛けるなど精力的に活動を続けた。

エッセイストとしても活躍。

著書に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した「墨いろ」などがある。

映画監督の篠田正浩さんはいとこ。

▼20歳のころ

浅田真央ちゃんに似てますね (^_^;)

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読書 アウトサイダー

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著者コリン・ウイルソンの略歴は、

1931年、イギリス、レスター生まれの評論家、小説家。労働者階級の家に生まれ、アカデミックな教育は受けなかった。さまざまな職につきながら独学、作家の道を志す。56年、『アウトサイダー』で衝撃的デビューを飾り・・・

とある

まともな学校教育をほとんど受けず、ほぼ独学にもかかわらず、25歳で本書を書いて全世界に衝撃を与えた

まさに天才の名にふさわしい人物が、過去の、特に19世紀の天才(アウトサイダー)たちに焦点をあて、その生態を明らかにしている

個人的には、特にニーチェとショーペンハウエルへの言及に興味がある

天才を対象にしている以上、それは脳の構造や機能の分析とならざるを得ず、まだ右脳の概念は登場していないが、その後の「フランケンシュタインの城」などへ続く意識のメカニズムの解明が為されている

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著者コリン・ウイルソンは非常に多くの本を書いているが、処女作から一貫して同じテーマを追求している

実は本書を最初に読んだのは20年くらい前なのだが、そのときは余りの難解さにうんざりして、5分の1くらい読んだところで読み進めるのを断念している

しかし、何か非常に重要なことを論じていることは間違いなさそうなので、その後、コリン・ウイルソンの本を10冊くらい読んだが、本書よりずっと分かりやすかった

そのおかげかどうか、今回は最後まで読み通すことが出来たが、果たしてどれほど理解できたかは自信がない

まだ何回も読む必要を感じる

(^_^;)

 

若かりし菅首相

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 ちょっと不良っぽいところが

  なかなか良いですね~

 (^_^;)

 

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▲カワイイ子は前へ 怖そうな子は後ろへ  (^_^;)

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▲空手をしていた

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▲野球もしていた

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▲政治家になって 愛想が良くなった  (^_^;)

読書 フランケンシュタインの城

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大学時代、工学部だったので、「意味の欠乏」に悩んだ記憶がある

工学部は、科学技術を用いて世の中を変革するための方法を研究をする場所だ

そこでは主に「方法」が議論され、「意味」はほとんど議論されない

方法の議論とは、HOWの追求(方法論)であり、そのためには世界の成り立ちを「原因と結果」の連鎖として解明し、その一方の究極は宇宙成立のビッグバンにまで及ぶ

意味の議論とは、WHYの追求(意味論)であり、世の中を「目的と手段」の連鎖として解明し、広くは人類や宇宙の存在にとって、狭くは自分ひとりにとっての、存在や行動の意味(価値)の中身を明らかにしようとする

毎日、詳細な工学的方法論を頭に詰め込んでいると、「いったい、これらは何のためにあるのか?」ということが気になってくるのだが、そのような哲学的な意味論は自然科学の対象外であるとして、工学部では余り議論されないことになっている

という訳で、若かりし私は、「意味の欠乏」に悩んだ

まったく同じような生活環境や状況に置かれていても、そこを天国と感じている人もいれば、地獄と感じている人もいる

「天国は人の心の中に存在する。地獄もまた同様である」

と言われるが、まったくその通りだ

毎朝目が覚めると、今日もまた天国のような世界で活動できることに喜びを感じ、ワクワクしながら生きている人がいる

毎朝目が覚めると、今日もまた地獄のような一日かと感じて、会社や学校へ行くのにもウンザリして、生きることに何の喜びも興味も感じない人がいる

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世界の受け止め方における、この大きな違い(天国と地獄の違い)を生じさせているものは、いったい何だろうか?

言うまでもなく、それは人の心(脳)であり、「意識」と呼ばれている

本書は副題にもある通り、その意識のメカニズムを明らかにしようとしており、これは著者コリン・ウイルソンが生涯をかけて追及したテーマでもある

(^_^;)

 

読書 超越意識の探求

35260674人生は素晴らしいという感覚、毎日がワクワクするような感覚を、著者コリン・ウイルソンは「超越意識」と呼んでいる

マズローの心理学における「至高体験」と似た感覚

人の意識には、いろいろなレベルがあり、ほとんど寝ているようなレベルで受動的にボォーっと生きている人もいれば、その反対に非常に高い創造性と幸福感に包まれて生きている人もいる

この違いは何なのか?というのが本書の問題意識であり、著者が人生をかけて追及してきたテーマでもある

とてつもなく大きな業績を達成した人を見ると、人間の潜在能力の可能性に目を開かれる想いがすることがある

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そのような人に共通しているのは、「意味の感覚」であって、人は意味を感じた目標に集中する時、人間離れした非常に高いパフォーマンスを発揮することがある

この状態を「自己実現」と呼ぶこともある

たいていの人は、潜在能力の何分の1、何十分の1の低いレベル、つまり自己実現から遠く離れたレベルで生きている

では、どのようにすれば「意味の感覚」をつかみ、人生は素晴らしいという感覚、毎日がワクワクするような感覚の中で生きることが出来るのか?

それをなるべく分かりやすく、マニュアル的に説明しているのが本書なのだが、私もまだ十分に理解し切れていないようで、うまく要約できません

もっと興味のある方は、本書を読んでみてください

(^_^;)

 

読書 幸福について

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世の中には幸福論と称するものが数多あるが、私はこれがベストだと思っている

客観的に優れた本かどうかより、これは私に合っているなぁという感じ

もう何度も読み返している座右の書で、今日もまた読み返してみた

ショーペンハウアーというと、悲観主義などと呼ばれることもあるが、別に暗い顔をして生きることを勧めている訳ではなく、

「朗らかさは人生最大の財産だ」

と言っている

彼の哲学が悲観主義と呼ばれるのは、

「幸福は幻想だが、苦痛は現実である」

という極めて冷めたリアリズムに基づき、幸福など追求するな、苦痛から逃れることだけを考えよと説いているためだろう

人間は、いろいろな目標(夢)を持つ

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あの学校に入学出来たら、あの賞を受賞できたら、あの人と結婚出来たら、一戸建ての自宅を手に入れたら、社長になれたら、自分の会社を上場できたら、・・・

そして目標が実現した時に、自分がどれほど幸福になれるかという夢を心の中に描いて努力する

しかしいざ目標が実現してみると、幸福な気分になれたのは目標達成の直後だけで、やがて夢は色あせてくる

これは厳しい現実だが、こんなことを指摘したら夢を持つ若者が少なくなるから、彼の哲学が悲観主義と呼ばれるのも分かるし、あえて言えば「老人向きの哲学」なのかもしれない

ポジティブ・シンキングの成功哲学とは対極にある哲学だ

人間がなかなか幸福になれない原因に、自分の自由にならないものの存在がある

その最大のものは、運命と他人の2つだろう

この2つが、人間の幸福の邪魔をし、苦痛を生み出す原因となる

この2つにいかに対峙するかが、本書の主な内容になっている

彼の主著は有名な「意志と表象としての世界」で、彼の哲学はほぼこの1冊に尽きており、本書はその残りかすのようなものだと彼は言っているが、残りかすの方が読みやすいし役に立つような気がする

(^_^;)

 

読書 教説と手紙

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快楽主義者のことをエピキュリアンと呼ぶが、エピクロスはその元祖

快楽主義という言葉のイメージとは逆に、人生の雑事を「苦」と考え、それからの解放を「快」としたので、その哲学の理想はむしろストア哲学(禁欲主義)に近い

大欲は無欲に通じるという禅の境地や、涅槃(欲望から解放された悟り)を理想とした原始仏教の境地にも似ている

人間(特に男)は若いうちは肉体的欲望の奴隷となりやすいので、老年こそ欲望から解放された、人生の最も充実した時代としている

その規範をひと言で言えば

 「隠れて生きよ」

となって、世間の雑事に煩わされることなく、なるべく俗人に出会うことの少ない場所で静かに生きることを勧めている

ここまで来ると、老荘の無為自然の境地にも近くなり、深山幽谷に住む仙人のような生き方になる

エピクロスは非常に多くの著作を書いたが、そのほとんどは隠滅してしまい、現在残っているのはディオゲネス・ラエルティオスが「ギリシア哲学者列伝」に残した引用(つまり本書)だけとなっている

この時代の哲学は、自然哲学(世界観、のちの自然科学)と人生哲学(人生観、いかに生きるべきか)から成っているが、自然哲学は古代原子論(アトム)による説明で、現代人には少々退屈

人生哲学は、のちの哲学が非常に難解になったのに比べると単純明快で、現代人にも親しみやすい

本書には3つの手紙が含まれているが、最初の2つは主に自然哲学なので、ここで退屈して読むのをやめてしまうともったいない

3つ目の手紙(メノイケウス宛の手紙)から読むのがいいと思う

(^_^;)

 

 

スカっとさわやか

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 コカ・コーラって

  健康に良かったのかぁ~

 (^_^;)

 

ギネス世界記録で世界最高齢に認定されている福岡市の田中カ子さんは、明治36年1月2日生まれで、2日、118歳になりました。

現在、田中さんは福岡市内の高齢者福祉施設で暮らしています。

施設によりますと、職員が2日、「誕生日おめでとうございます」と声をかけると、田中さんは手をたたいて喜んでいたということです。

新型コロナウイルスの影響で家族とはほとんど会えていないということですが、元気な様子で、1日3食、欠かさず食べ、体操したりして過ごしているということです。

田中さんはチョコレートとコカ・コーラが大好物で、かけ算や割り算などの計算問題を解いたりして楽しんでいて、「120歳まで元気に暮らす」が目標だということです。

田中さんはおととし3月に「存命中の世界最高齢」としてギネス世界記録に認定されているほか、現在確認できる国内の歴代最高齢です。

 

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▼バブル時代のコカ・コーラのCM

 

荷風64歳の大みそか

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 断腸亭日乗、昭和17年大みそかの日記

  荷風数え64歳 戦争で生活しにくさが増し

 長生きはしたくなし などと言っている

  でも79歳まで生きたけど

 (^_^;)

 

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▲荷風とお歌

荷風が芸者であった関根歌(芸者名、鈴龍、すずろう)を身請けするのは、荷風48歳(昭和2年)のときである。

映画「濹東綺譚」にも、「おうた」として登場する。

断腸亭日乗によれば、自分はすでに老いたので妾を囲うこともないが、21歳のお歌がしきりに芸者をやめたいと願うし、借金もわずか五百円程度だから身請けしたとしている。

だが、それは照れ隠しで、老境にさしかかった荷風(当時の48歳は初老)は、若いお歌に惚れた。

40年以上続いた荷風の日記「断腸亭日乗」の面白いところは、荷風が人を褒めなかったこと。

いや、けなしてばっかりだ。

その荷風が日乗で褒めた回数を数えたことはないが、荷風の研究家によれば、10回にも満たないらしい。

その荷風が珍しく、お歌を褒めている。

お歌は、荷風が足掛け5年間に渡り、最も長く付き合った愛人で、荷風はお歌のことを、

「最近では、かくの如き妾気質(めかけかたぎ)も珍らしき(中略)

 かくの如き可憐なる女に行会いしは、誠に老後の幸福といふべし」

 (『断腸亭日乗』 昭和3(1928)年2月5日)

と、荷風らしい言い方で最上級の賛辞を与えている。

さらに荷風は、お歌が世の悪風に染まらず、活動写真も好まず、針仕事や拭き掃除に精を出し、一日中たすきを外すことがなく、昔より下町の女によく見られる世帯持の上手なる女のようだ、などと褒めまくるのである。

これは、荷風とお歌の相性がよかったのではないかと思う。

いかにカサノヴァ荷風とはいえ、富松や八重次のような本物の芸者(芸のある玄人)と毎日膝を突き合わせていれば、疲れるのかもしれない。

それに対し、お歌のように日陰者でありながら着物の一枚も欲しいと云わない女性は、荷風にとって砂漠のオアシスのようなものであったのだろう。

だから、お歌が勤めていた川岸屋(芸妓屋)があった麹町3番町(現在の九段そば)の近くに最初は間借りさせていたが、荷風が住んでいた偏奇館のそばに移らせている。

現在の六本木一丁目あたり、日比谷線神谷町駅の近くの2階建て。

何も荷風の自宅である偏奇館の近くなら、一人暮らしの自宅に同居させればよいと思うのだが、偏奇館は世間に知られていたから都合が悪く、荷風はお歌の引越先を隠れ家として「壺中庵」と名付けた。

荷風は若いころ、慶応大学文学部の教授をしていたが、妾宅から教室へ出かけることも多かった。

日乗には壺中庵記として、陽が高くなっても

「雨戸一枚、屏風六曲のかげには、不断の宵闇ありて、

 つきせぬ戯れのやりつづけも、誰はばからぬこのかくれ家」

とある。

淫靡な世界が垣間見れる、さすが荷風先生。

だから、お歌が待合を持ちたいと望んだときの荷風は、新婚の亭主のように、お歌のために炊事道具や客用の食器などを揃える。

ところが、そのお歌との蜜月も3年で終わる。

結局、荷風は一か所に停泊する船ではなかった。

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* * * * * * * * * *

 

上の文章では、荷風がお歌に飽きて捨てたような印象を持つかもしれないが、実はお歌には年齢の近い恋人が出来ていた

しかし世話になった荷風にそれを切り出しにくく、ついに仮病を使って、荷風に諦めさせる作戦に出た

荷風はお歌を心配して知人の医者に見せるが、なんとお歌はその医者をもダマし通して、「もう長くはあるまい」などという誤診をさせる

まったく

「恋愛において、女は常にプロだが、男はアマチュアである」

というフランス人の言葉が思い出される

しかし別れた後も荷風とお歌は、時々会って旧交を温め、荷風が亡くなるまで、大人の関係を持続させている

いい話だなぁ

(^_^;)

 

読書 老年について

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ローマのストア哲学者を3人選ぶなら、エピクテトスとマルクス・アウレリウスが来て、3人目がセネカかキケロかな

キケロは雄弁家として切れ者なんだけど、ややクセの多いところが嫌われやすい

そのキケロが、大カトー84歳の口を借りて、若者2人に向かって、老年の何たるかを語らせています

時代は紀元前2~3世紀、日本では縄文時代が終わり、弥生時代が始まったころ

さすがにローマ帝国の超大物政治家である大カトーですから、老いてますます盛ん、弱ったところなどまったく見せず、むしろ「老いを楽しむ」余裕さえ感じさせます

特に、老年は「欲望の鎖」から解放された自由な年代であると主張しています

と言っても、大カトーは80歳で次男を儲けていますから、なかなか精力旺盛でした

良いもの(健康とかお金)について、

「有る時は大いに使え、無い時は強くは求めるな」

としているのは、いかにもストア哲学者キケロらしい

「死によって魂が消え去るなら、死は無視すれば良い。

 魂が不滅なら、死を待ち望むべきだ」

とも言っている

まだキリスト教が登場する以前だから、最後の審判のような話は出て来ない

本書の中の言葉ではないが

Live as if you were to die tomorrow. 明日死ぬかのように生きよ

Learn as if you were to live forever. 永遠に生きるかのように学べ

という言葉を思い出した

いま調べたら、ガンジーの言葉だそうです

(^_^;)