人生いろいろ
駅弁の甲子園
冬の風物詩「第50回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」が8日、東京・新宿の京王百貨店で始まった。
【第50回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会】
1月8日(木)~20(火) 午前10時~午後8時
※14(水)・20(水)は午後5時閉場
京王百貨店 新宿店 7階大催場
駅弁がすっぽり入って便利な「駅弁大会オリジナルバッグ」先着2000名(大会期間中)に配布されており、記者もゲット!→
この大会は”駅弁の甲子園”と呼ばれるほどで、全 国46の都道府県(沖縄を除く)から300以上の駅弁が集まる全国最大の駅弁大会。
’66年(昭和41年)から続く大会はいまや売上が6億円を超えるとい う超ビッグイベントだ。
50回目の記念となる今回の大会は、この大会だけの掛け紙やパッケージの商品が目白押し、「新幹線開通50周年記念特集」や限定パッケージの弁当が多く 売りだされていたり、普段は会場での実演販売が行われない人気弁当などが、お客さんの目の前で調理さる実演販売が行われたりと「特別企画」が満載なのだ。
記者も毎年この駅弁大会に馳せ参じており、今年も開店30分前に並び、今回のメイン企画である「海の三宝対決」の弁当三種をさっそく購入してきた。
駅弁オタの祭典です (^_^;)
有元先生の本
有元 秀文 (65) 日本文芸アカデミー大賞
まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育
なぜ、文科省の国語教育 は主張する子どもを育てられないのか
(合同出版)
国語や読書が好きにならず国語の授業が役立たない原因は、教科書教材と教え方 にあった。
気鋭の国語教育第一人者が鋭い論法で現場、システムの欠陥を突き、 解決策としてブッククラブという試みにより、問題解決能力・批判力・表現力を 養う技術を提言。
誰でもいつからでも始めようという気にさせる、本の読み方の本。
■日本アカデミー協会 JAPAN ACADEMY ASSOCIATION
■2014年度 第14回『日本文芸アカデミー賞・日本文芸ミネルヴァ賞』受賞作品発表!
出典:朝陽25HPより
有元秀文
1971年早大教育学部卒業。
都立新宿高校教諭を務め、文化庁文化部国語課国語調査官を経て国立教育政策研究所へ。
総括研究官として21年 間日本の国語教育、読書教育の研究に従事。
2012年3月退官、日本ブッククラブ協会を立ち上げる。
本をたくさん読んで書いてディスカッションするブック クラブ・メソッドの開発と普及に力を注いでいる。
あのころの有本先生
大学卒業直後だったんだね (^_^;)
24年前のマンガ
初セリ
新春恒例の初セリが5日、築地市場で開かれ、青森・大間町産のクロマグロは最高値で1匹451万円(180.4キログラム)だった。
1キロ あたりでは2万5千円で、昨年より2割安かった。
落札者はすしチェーン「すしざんまい」を運営する喜代村(東京・中央)で、4年連続だった。
大間産マグロの市場への入荷量も例年に比べ多かったという。
←喜代村の木村清社長(写真)は「あまりに安く落札できたのが意外だった。脂ののり方や形など一番良いマグロを調達できて満足」と話した。
昨年の最高値は1匹736万円(230キロ、1キロあたり3万2千円)。
2013年前は喜代村と香港のすしチェーン「板前寿司」が高値での落札を競い合 い、史上最高値となる1匹1億5540万円を付けた。
昨年以降、板前寿司が高値の落札競争から撤退し、相場は落ち着いていた。
すしざんまいの社長は 元自衛隊員 (^_^;)
松陰神社
今年のNHK大河ドラマ
「花燃ゆ」が始まりました (^_^;)
新宿高校OB 変人編
高橋 岩太郎(たかはし いわたろう、1912年1月25日 – 2002年)は日本のヤクザ、右翼活動家。
日本国粋会落合一家六代目総長。東京都中野区本町出身。
明治45年(1912年)1月25日、東京府東多摩郡中野町(現:東京都中野区本町)で生まれた。実家は、農業と酒造業を営む旧家だった。
大正12年(1923年)、中野の桃園尋常小学校を卒業後、
東京府立第六中学校(現:都立新宿高校)に進学した。
同年9月1日昼、自宅の裏の鶏小屋で卵を取っていた。同日午前11時58分44秒、関東地震が発生し、関東大震災に発展した。東京府立第六中学校は半年間休校となった。休校の間に、酒、煙草、博打を覚え、喧嘩に明け暮れるようになった。
大正14年(1925年)、喧嘩で相手を刺傷した。
東京府立第六中学校から放校処分を受けた。実家を飛び出し、愚連隊に身を投じた。
その後、警察から追われるようになり、新宿を離れて、不良仲間だった高円寺の藤井の家に転がり込んだ。
幸平一家の中野・新井の貸元・大草宇一の若衆が藤井の家に出入りしていた。
その大草宇一の若衆の紹介で、大草宇一と知り合った。
昭和4年(1929年)、背中に「野ざらし」(長襦袢の袖口から両手を出した足のない幽霊と「南無阿弥陀仏」の文字が入った絵)の図柄の刺青を入れ始めた。
厳密に言うと 卒業していないので(放校) OBではないのかな
波瀾万丈の人生で 90歳まで生きた シブトさはすごい (^_^;)
なぜ妻は、夫のやることなすこと気に食わないのか
「昔は優しかったのに、キレやすくなった」と嘆く男性は多いが、実は妻の性格は出会った当初から全く変わっていない。
恋人が可愛く思え、短所さえ許せたの は10~20代に盛んに分泌される自らの男性ホルモンの仕業に過ぎないのだ。
故に、分泌が減り冷静になった時「こんな女だと思わなかった」と後悔するのは 自然の理。
男にとって女はエイリアンにも等しい異なる存在なのである。
夫婦は上手くいく方が奇跡で、男女お互い様だ。
600人の夫婦問題を解決した著者 が、夫婦生活を少しでも賢明に過ごすための「家庭内マネジメント」を提言する。
なかなか刺激的な表題ですね (^_^;)
地方都市別NGワード集
ビジネスマンであれば、各地域の特性に合わせて付き合い方を変えることが、仕事を成功させるカギとなる。
特に、出張や転勤に際して知っておかなければならないのは、その土地土地で言ってはならないNGワードの数々。
地方に転勤・出張する営業マン 必読デス (^_^;)
解体危機 樋口一葉ゆかりの「旧伊勢屋質店」
「たけくらべ」などの作品で知られる明治時代の女性作家、樋口一葉(1872~96年)が通ったとされ、国の登録有形文化財にもなっている文京区本郷の「旧伊勢屋質店」が、解体の危機に直面している。
土地と建物の所有者が「個人で維持するのはもう限界」と売却の意向を示したためで、愛着を持つ地元の有志らが17日夜、区内で保存への道を探る集会を開き、議論を交わした。
文京区などによると、旧伊勢屋質店は江戸時代末期の1860年創業。2階建ての土蔵と木造平屋の座敷棟、木造2階建ての見世(みせ)の3棟(総延べ床面積174・3平方メートル)からなり、関東大震災や東京大空襲にも耐えた。
本郷菊坂に住んでいた一葉は、現在の台東区に転居した後も生活に困ると伊勢屋質店に通い、生計を立てていたとされる。一葉の日記にも衣類を質に出したとする記述があり、24歳で亡くなった時には伊勢屋から香典が届けられたという。
土地と建物は経営者の家族が代々管理し、1982年に廃業した後も、親族が維持・保管してきた。テレビや映画の撮影にもたびたび使われ、2003年には国の登録有形文化財に登録された。02年からは、市民団体「文京の文化環境を活(い)かす会」などが、所有者の親族の協力を得て、一葉の命日にあたる毎年11月23日に一般公開し、13年間で約9000人が訪れていた。
しかし、親族は今年6月、固定資産税などの負担を理由に、「これ以上の維持は困難」と区に土地の借り上げを要請。区は当初、近隣の大学に打診し、平日は授業などに利用し、休日には一般開放できるよう関係者で協議を進めたが、まとまらず、親族は最近になって更地にして売却する意向を示したという。
文化庁によると、国の登録有形文化財を解体するには、国への届け出が必要だが、許可などは不要という。
区の担当者は「区で買い上げるには議会を通さねばならず、簡単には決められない。貴重な文化財なので、所有者のご意向が変わることを祈るだけだ」と話す。
17日夜に開かれた集会には、区内外から約60人が参加。建築家らが建物の歴史的価値を説明し、参加者からは「区に買い上げを依頼する請願書を提出すべきだ」「インターネットで呼びかけて基金を作るべきだ」などの意見が出された。
活かす会は「一葉のファンは全国にいる。どういう形であれ、今の場所で保存できる方法を考えていきたい」としている。
これは保存して欲しいです (^_^;)