不登校経験者が通うフリースクール「東京シューレ新宿」(東京都新宿区)では、勉強や読書、ゲームなど、毎日のスケジュールをそれぞれが決める。
みんなでするスポーツや行事は、週1回のミーティングで話し合って決定する。子どもも大人も1票を持つ。
昨年12月中旬、1月にやりたいスポーツを出し合った。スタッフの倉原香苗さん(42)が「スケート」を希望すると、子どもたちから「くーちゃん、できるの?」と声が飛んだ。「後ろ向きにだって滑れるよ」。笑顔が広がった。
2階建てビルの一室で、10~22歳の25人をスタッフ2人が見守る。倉原さんは調理や手芸の実習、算数、漢字の練習などをサポートし、進路相談にも乗っている。
創立30年、1400人巣立つ
3か所のフリースクールなどを運営する東京シューレは、1985年に設立され、これまでに約1400人が巣立った。倉原さんは1期生だ。
不登校になったのは小学2年生の春。クラス替えで親しかった友 人と離れ、孤立した。休み時間は廊下で一人。学校には居場所がなかった。近所では「心の病気」とささやかれ、「消えてしまいたい」と思った。怖くて中学校 にも行けず、東京シューレを訪ねた。そこで、理事長の奥地圭子さん(73)に出会った。
奥地さんは小学校教師だった頃、小学3年生の長男がいじめで学校に行け なくなり、5年生で拒食症になった。児童精神科を受診すると、2時間の面談で、医師はひたすら長男の言葉に耳を傾けた。
「羽が生えたみたいな気分。僕は僕 でよかったんだ」。長男はそう言い、おにぎりを7個平らげた。
「学校に戻ってほしいという気持ちを、長男に見抜かれていた。学校に行けないあなたじゃダメ、と否定していたようなもの」と奥地さんは振り返る。東京シューレに来る子どもたちには「そのままのあなたが大事なのよ」と言い続けている。
その言葉に、倉原さんは「こうあるべきだ、という価値観が薄れ、学校に行けない自分だっていていいのかなと思えた」。他のスタッフや子どもたちとも親しくなり、演劇、英語と、関心が広がっていった。
「先生ほど遠くないし、親ほど近くない」
フリースクールの仲間と結婚、息子2人の4人で暮らす。20年前からスタッフとして働く。夜中に子どもらから電話があれば、2時間でも3時間でも聴く。
中学校で不登校になった男性(18)は倉原さんを、「学校の先生ほど遠くないし、親ほど近くない。ぐいぐい来るんじゃなく、何かしようとした時にさっと支えてくれる」と信頼する。
「ここにたどり着くまでにたくさん傷ついてきたはずだから、否定をせずに、丸ごと受け入れたい。自分が受け入れられた感覚と、実際にできた達成感の積み重ねが自信につながっていく」と倉原さん。かつての自分のように子どもたちが一歩を踏み出す瞬間を、待つ。
新宿には いろいろな学校が あるね (^_^;)