1993年、生まれた我が子に「悪魔」と命名して市役所に届け出たトンデモない親がいて、役所に受理されなかった事件(悪魔くん事件)がありました
子供に「悪魔」と名付けることは、「社会通念上、問題がある」と判断されたようです
ところが仏教の教祖であるブッダ(仏陀)も、我が子に「悪魔(ラーフラ)」と名付けています
しかもブッダは、そのあと妻子を捨てて出家していますから、ひどいもんです
出家(しゅっけ)というと聞こえがいいですけど、要するに家出(いえで)です
このときブッダは30代だったらしいですけど、もし現在の日本で30代の夫が、妻が産んだ子供に「悪魔」なんて名前をつけた上に、妻子を捨てて放浪の旅に出てしまったら、妻の実家も巻き込んで大騒ぎになりそうな気がします
教祖になるような人は、天才であると同時に、相当な変人でもある場合が多いようですね
和歌の天才である西行も、23歳で出家して妻子を捨てています
願わくは 花の下にて 春死なん
その如月の 望月の頃
という和歌が有名で、しかも本当に桜が満開の頃に亡くなった人
その西行さん、別れを惜しむ娘が寄って来たら、娘を縁側から蹴り落としたというヒドい話が残っているから、これも相当なもんです
▲西行が娘を縁側から蹴り落としたところ
もちろん昔の話(今から約900年前)ですから、後世の作り話かもしれません
西行の23歳は非常に早いですが、日本の昔のエラい男は、中年を過ぎたころに「出家」と称して家族を捨てたり、隠遁生活に入ったりする人が多かった
まあ男という生き物は、ある年齢になると、妙に「ひとりになりたがる習性」があるのかもしれません
まだ人間がサルに近い生き物だったころ、強いオスがハーレムを作って多くのメスとその子供たちを囲い込み、弱いオスはそこから排除されて「ひとりで」生きてきた
数から言えば、闘争に負けた弱いオスの方が多く、そんな時代が何百万年も続いた訳で、その弱いオスの習性が残っているのかもしれません
なぜ弱いオスが子孫を残せたのか?については、強いオスが寝ている間にメスに手を出したとか、動物学的な説明(仮説)がいろいろあるみたいです
家族を捨てて出家するのは大事(おおごと)ですが、会社の帰りに駅前の焼き鳥屋なんかで「一人静かに」お酒を飲んでるお父さんなんか、よくいますよね
ブッダに捨てられた悪魔(ラーフラ)くんは、その後どうなったか?
それが何と、ブッダの十大弟子の一人に収まっています
親(ブッダ)の七光りで十大弟子に入れられたのか、親の才能を受け継いで超優秀だったのか?
そこに至るまでには、親も子もいろいろ心の葛藤があったのではないかと推察しますが、西行よりもさらに古く(今から約2600年前)、その辺の歴史的資料が無いのでよく分かりません
今日知られている十大弟子は、維摩経の弟子品にあるもので、
舎利弗(智慧第一)
大目犍連(目連、神通第一)
大迦葉(摩訶迦葉、頭陀第一)
須菩提(解空第一)
富楼那弥多羅尼子(富楼那、説法第一)
摩訶迦旃延(迦旃延、論義第一)
阿那律(天眼第一)
優波離(持律第一)
羅睺羅(密行第一) ←悪魔くん(ラーフラ)
阿難(多聞第一)
密行第一というのは、修行熱心だったということかな
(^_^;)~♪
▲羅睺羅(密行第一) 悪魔くん(ラーフラ)
▲宇治萬福寺にある羅睺羅(ラーフラ)像
上の絵と全然似てないね
▲宇治萬福寺