ブッダは我が子に「悪魔」と名付けた

先日(6/16)みんなで行った鎌倉大仏

 

1993年、生まれた我が子に「悪魔」と命名して市役所に届け出たトンデモない親がいて、役所に受理されなかった事件(悪魔くん事件)がありました

子供に「悪魔」と名付けることは、「社会通念上、問題がある」と判断されたようです

ところが仏教の教祖であるブッダ(仏陀)も、我が子に「悪魔(ラーフラ)」と名付けています

しかもブッダは、そのあと妻子を捨てて出家していますから、ひどいもんです

出家(しゅっけ)というと聞こえがいいですけど、要するに家出(いえで)です

このときブッダは30代だったらしいですけど、もし現在の日本で30代の夫が、妻が産んだ子供に「悪魔」なんて名前をつけた上に、妻子を捨てて放浪の旅に出てしまったら、妻の実家も巻き込んで大騒ぎになりそうな気がします

教祖になるような人は、天才であると同時に、相当な変人でもある場合が多いようですね

和歌の天才である西行も、23歳で出家して妻子を捨てています

願わくは 花の下にて 春死なん

 その如月の 望月の頃

という和歌が有名で、しかも本当に桜が満開の頃に亡くなった人

その西行さん、別れを惜しむ娘が寄って来たら、娘を縁側から蹴り落としたというヒドい話が残っているから、これも相当なもんです

▲西行が娘を縁側から蹴り落としたところ

もちろん昔の話(今から約900年前)ですから、後世の作り話かもしれません

西行の23歳は非常に早いですが、日本の昔のエラい男は、中年を過ぎたころに「出家」と称して家族を捨てたり、隠遁生活に入ったりする人が多かった

まあ男という生き物は、ある年齢になると、妙に「ひとりになりたがる習性」があるのかもしれません

まだ人間がサルに近い生き物だったころ、強いオスがハーレムを作って多くのメスとその子供たちを囲い込み、弱いオスはそこから排除されて「ひとりで」生きてきた

数から言えば、闘争に負けた弱いオスの方が多く、そんな時代が何百万年も続いた訳で、その弱いオスの習性が残っているのかもしれません

なぜ弱いオスが子孫を残せたのか?については、強いオスが寝ている間にメスに手を出したとか、動物学的な説明(仮説)がいろいろあるみたいです

家族を捨てて出家するのは大事(おおごと)ですが、会社の帰りに駅前の焼き鳥屋なんかで「一人静かに」お酒を飲んでるお父さんなんか、よくいますよね

ブッダに捨てられた悪魔(ラーフラ)くんは、その後どうなったか?

それが何と、ブッダの十大弟子の一人に収まっています

親(ブッダ)の七光りで十大弟子に入れられたのか、親の才能を受け継いで超優秀だったのか?

そこに至るまでには、親も子もいろいろ心の葛藤があったのではないかと推察しますが、西行よりもさらに古く(今から約2600年前)、その辺の歴史的資料が無いのでよく分かりません

今日知られている十大弟子は、維摩経ゆいまぎょうの弟子品にあるもので、

舎利弗しゃりほつ(智慧ちえ第一)

大目犍連だいもくけんれん(目連もくれん神通じんずう第一)

大迦葉だいかしょう(摩訶まか迦葉、頭陀ずだ第一)

須菩提しゅぼだい(解空げくう第一)

富楼那弥多羅尼子ふるなみたらにし(富楼那、説法せっぽう第一)

摩訶迦旃延まかかせんねん(迦旃延、論義第一)

阿那律あなりつ(天眼てんげん第一)

優波離うぱり(持律じりつ第一)

羅睺羅らごら(密行みつぎょう第一)  ←悪魔くん(ラーフラ)

阿難あなん(多聞たもん第一)

密行みつぎょう第一というのは、修行熱心だったということかな

(^_^;)~♪

▲羅睺羅らごら(密行みつぎょう第一)  悪魔くん(ラーフラ)

▲宇治萬福寺にある羅睺羅(ラーフラ)

上の絵と全然似てないね

▲宇治萬福寺

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