太田くんを囲む会の温泉合宿で泊まった、会津若松の風格ある宿「向瀧」です。
雪景色になると、また一段と趣がありますね。
太田くんを囲む会の温泉合宿で泊まった、会津若松の風格ある宿「向瀧」です。
雪景色になると、また一段と趣がありますね。
東京音楽大学の中目黒・代官山キャンパスで竣工式が行われました。
野島稔学長:
すばらしいキャンパス・音楽ホールがここに完成しました。
音楽を通じた人間形成、教養教 育など、これからの音楽大学のあるべき姿とは何かを一所懸命考えています。
自分の中で響いた音楽を人と共有 していくためのコミュニケーションがいかに大事かを、地域の方々との音楽を通じた自然なコミュニケーション の中から学生たちに実感してほしいと思います」と挨拶しました。
なお、開校記念式典は 5 月 18 日に行われる 予定です。
時々こうやって
猫背を直します (^_^;)
日本のマスコミ業界って 本当に腐ってるなぁ
発言内容を わざと悪意で切り貼りして
発言者を炎上させることに 必死になってます
まるで魔女狩りですよ ヽ(`Д´)ノ
フィギュアスケートの宇野昌磨選手(21)のマスコミ対応に称賛の声が集まっている。
アメリカで行われていた四大陸選手権で初優勝(男子シングル)し、その帰国直後の空港での出来事だ。
フィギュアの話題ではなく、競泳の池江璃花子選手(18)が白血病を公表したことについて記者から質問を受けると、自身は白血病について「無知」であるとして、「(発言する)権利はない」と冷静な対応を見せたのだ。
するとツイッターでは、「素晴らしい受け答え」と感心する反応が相次いだ。
一方で質問したマスコミへの激しい批判が起きている。
魔女狩りによる火あぶり炎上の刑→
宇野選手は2019年2月12日夕、凱旋帰国直後に成田空港で報道陣の質問に答えた。
優勝の感想については「日本に帰ってきて、優勝と準優勝ではこれだけの違いがあるんだな、と実感させられております」と笑顔で語った。
18年の四大陸選手権では準優勝だった。
同年代の池江選手がツイッターで「白血病と診断された」と12日に公表したことについて質問を受けたが、「自分は無知」なので、白血病が何なのかとか、詳しいことは答えられないとして、自身のケガの経験にも触れながら、
「やはり自分が一番つらいことなので
僕がそんな無知な状態で発言できるほど何も知らないし
僕はその(発言する)権利はないと思います」
と述べるにとどめた。
こうした発言がテレビなどで報じられると、ツイッターには
「よく言った!って思った」
「素晴らしい受け答えですね」
と、その「極めて冷静」な対応に称賛の声が続出した。
池江璃花子選手の病気公表以降、ツイッターなどで一部政治家らからも「激励」が相次ぐなか、
「余計なことを言わない宇野くんは立派です!」
といった受け止め方が広がったようだ。
一方で、質問したマスコミへの激しい批判が寄せられており、
「あのタイミングで(略)池江さんの病気について質問するマスコミが酷すぎる!」
「(帰国したばかりの宇野選手に聞くのは)質問する内容も相手も間違ってる!」
などの指摘が出ている。
宇野昌磨選手が逆転で初優勝
フィギュアスケートの欧州以外の国・地域で争う四大陸選手権第3日が9日(日本時間10日)、米カリフォルニア州アナハイムのホンダセンターで男子フリーがあった。
平昌(ピョンチャン)五輪銀メダルでショートプログラム(SP)4位の宇野昌磨選手(トヨタ自動車)が逆転で初優勝を果たした。
4回転フリップなど3本の4回転ジャンプを着氷し、ルール改正後に羽生結弦選手(ANA)が出した190・43点を上回る世界最高の197・36点をマーク。合計289・12点も自己最高得点を更新した。
主要国際大会で6戦連続2位だったが、頂点に立った。
宇野選手は
「自分はできるんだと、何も考えずに滑った。
諦めないのは大事だなと思った」
と語った。
信長が気合いを入れて
岐阜と命名した割には
岐阜県って目立たない県ですね (^_^;)
周囲が崖や谷でドライバーから「国道ではなく酷道」と評されている、岐阜県本巣市北部の国道157号の一部区間。
入り口周辺の「危険 落ちたら死ぬ!!」と注意喚起した看板が、老朽化を理由の一つに撤去された。
SNSでは「名所を一度は見たかった」と残念がる書き込みも。
現在通行止めだが、立ち入る人が後を絶たず、県は「危ないからやめて」としている。
国道157号は、金沢市を起点に福井県を経由し、岐阜市を終点とする。
このうち注意を促す看板があったのは、「国道なのに酷い道」の岐阜県側入り口付近で、本巣市根尾能郷のカーブの近く。
その先は乗用車1台がやっと通れる車幅の道があり、片方の道路脇は断崖絶壁、もう一方は深さ10メートルを超す谷になっている。
国から道路管理を任されている県岐阜土木事務所によると、1990年代に自動車の転落事故が相次いだため、北方署と地元の交通安全協会が協議し、看板が設置された。
ただ、設置された年月日や「落ちたら死ぬ!!」と書いた経緯についてはよく分からないという。
北方署によると、昨年の1年間に現場周辺の人身事故はゼロで、看板を取り外した同事務所の担当者は「啓発の役割を終えた。針金1本で固定した状態で倒れる危険性もあった」と、撤去の理由を説明する。
こうした状況下、インターネットの簡易投稿サイト「ツイッター」では、
「大事件ではないか」
「【悲報】落ちたら死ぬ、消える」
「一度は拝んでみたかった」
「復活しないかな」
などと惜しむ書き込みが多く見られる。
看板が設置された区間は昨年7月の豪雨で路肩が損傷し、現在も通行止めだが、手前のゲートにかけた南京錠が4回壊されており、何者かが侵入した可能性があるという。
同事務所施設管理課の沢木利勝課長は「夜は真っ暗になる所が多く、路肩が崩れた道を走るのは、危険極まりない」と懸念する。
開通する時期は未定で、「もう珍しい看板はないので、開通するまでは通行しないでほしい」としている。
▲「落ちたら死ぬ」Tシャツ
受験生が着たら悲壮感ただよう ((((;゚д゚))))
セブンイレブンの本当のライバルは
ファミマやローソンじゃなくて
セイコーマートかも (^_^;)
顧客満足度調査で、業界最大手セブン-イレブンを差し置いて2年連続1位になったコンビニがある。
北海道で店舗数1位の「セイコーマート」だ。
店舗経営コンサルタントの佐藤昌司氏は、「原材料の調達から加工製造、物流まで、“自前主義”の徹底により、高い価格競争力を実現している」と分析する――。
セブン、ファミマ、ローソンも勝てない
「顧客満足」2年連続業界1位、北海道で店舗数1位のコンビニエンスストア――それが「セイコーマート」だ。
日本生産性本部サービス産業生産性協議会の「日本版顧客満足度指数 コンビニエンスストア部門」(2017年度)で、セイコーマートの「顧客満足」は2年連続1位となっている。
なお、15年度こそセブンに譲ったものの、10~14年度の4年間も1位をキープ。最高の評価を受けるコンビニといっていいだろう。
店舗数の状況はどうだろうか。3月末時点のセイコーマートの国内店舗数は1197店。
規模としては、業界1位のセブン(2万286店/18年4月末現在)の5.9%に過ぎない。
ファミマ(サークルK・サンクス含む、1万7205店/18年3月末現在)やローソン(1万4083店/18年3月末現在)にも、圧倒的に負けている。
だが、北海道に限ると異なる風景が見えてくる。
セブン1000店、ローソン655店、ファミマ236店に対し、セイコーマートは1101店。ここではセブンを上回り、堂々の第1位だ。
▲イラン人作家、シリン・ネザマフィ
日本語を母国語としない人が
日本語で小説を書いて芥川賞候補だそうです
なんだかうれしいような
ショッキングのような (^_^;)
日本語で小説を執筆し、2度にわたり芥川賞候補に選出された。
彼女が紡ぐ物語には、世界の不条理と対峙し、迷い苦しみながら、儚くもどこかへと流されてゆく個人の姿がしきりに描かれる。
ネザマフィがあえて母国語を用いずに、この普遍的な題材に挑戦し続けるのはなぜなのだろうか?
「この作者は、なぜ日本語で小説を書いたのだろう?」
彼女の物語を読んだ読者の多くは、そんな疑問を抱くだろう。
あるいは本の奥付にある彼女の略歴を一読して、「本当は日本人なのでは?」と疑う読者すらいるかもしれない。
それも無理はない。小説家、シリン・ネザマフィは、言葉の壁など微塵も感じさせないスマートな文体で日本語を操り、物語を構築して見せる“外国人作家”なのだから。
2009年に発表した代表作『白い紙』は、第198回文學界新人賞を受賞。
その後も精力的に創作を続け、2度にわたって芥川賞候補にも選出された。
「正義」を隠れみのにして
自分に対する深層の怒りを
周囲に向けてるのかも ((((;゚д゚))))
友人、上司、同僚、マンションの隣人、ご近所……一見したところ、親切そうに見えるのに、付き合っていくと徐々に豹変し、自分の一方的な思いを実現させるべく周囲を利用し始める、そんな“危ない人”が増えています。
気づかずにそのテリトリーに入るととんでもない目に遭うことになる。
なぜいま、そんな危険なパーソナリティの人が増えているのか、見抜く方法や対処法はあるのか。
心療内科医としてサポートに当たる医師が教示。
日常にひそむ「危険な隣人」を紹介し、ゆがんだ正義感をもつ人への対処方法について科学的見地や過去の文献をふまえて丁寧に教えてくれます。
人間で生後10か月とゆうと
左の絵のような感じですが
猫は成長が速いですね (^_^;)
生まれてから生後10カ月までの子猫の成長を記録したタイムラプス動画。
モデルをしているのはシルバータビー(縞模様)のメインクーン。
撮影は2~3日間隔でスタートし、最後は10~15日間隔になったとのこと。
動画のラスト数秒は高速逆再生で、あっという間に赤ちゃんに戻ってしまうという演出になっています。
首里城正殿前
我々の時は 山陰地方でしたね (^_^;)
新宿高校72回生 (現2年生) 修学旅行(沖縄)
12月10日~12日にかけて、2泊3日で、沖縄への修学旅行に行ってきました。
これまで、修学旅行委員を中心に、事前学習を進めてきました。
その中でも、平和学習に重点を置いて取り組んできました。
1日目は、平和学習として、平和祈念資料館、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念館、そし
て全クラスが糸数壕(アブチラガマ)を見学しました。
糸数壕では懐中電灯を消して、真っ暗闇の体験もしました。
東京で平和について学んできた72回生ですが、現地で「戦争」を肌で感じることができました。
夕方、ホテルに到着しました。ホテルは貸切、敷地内にプライベートビーチもあり、白
い砂と青い海に歓声をあげる生徒の姿がありました。
2日目は、コース別の体験学習と、美ら海水族館の見学に行きました。
コース別体験学習は、「伊江島サイクリング」「慶佐次カヌー&シーカヤック」「ビー
チトレッキング」「サトウキビ&黒糖づくり」「シーサー作り」に分かれて行いました。
「シーカヤック」だけが、天候により内容の変更を余儀なくされましたが、どの班も『私
たちのコースが一番楽しかった!』と言うほど、沖縄の自然を満喫しました。
美ら海水族館では、本校37回生の先輩から直接案内してもらった班もあり、こちらも大
満足でした。
3日目は、首里城を見学した後、国際通りを観光するコースでした。
改修工事を終えて綺麗になった首里城では、皆が写真撮影を楽しんでいました。国際通
りでは、各班が事前に相談した沖縄グルメを楽しみました。中には、公設市場で魚を購入
し、2階の定食屋さんで調理してもらった班もあったようです。
那覇空港には各班が現地集合する形でしたが、どの班も遅れずに集まることができまし
た。帰りの飛行機が送れるハプニングもありましたが、無事に東京へ到着し、修学旅行を
終えることができました。
これまで、修学旅行の成功のために多くの時間を割いてくださった皆さま、旅行委員の
皆さん、旅行会社の皆さま、ご協力ありがとうございました。
生徒の感想より抜粋
1日目
・「自分と同じ年齢の女子学生がなぜこんな思いを…」とずっと思っていた。怖かった。
詳細が記された体験談も読みたくないと思ったが、読まなければならないと思って読ん
だ。読んでよかった。
・生々しい弾丸の痕を見た。戦争の残酷さを改めて知るとともに、自分たちの生きる未来
では絶対におこしてはならないと感じた。
・私と同い年ほどの女の子が、勉強をしたい思いを絶たれて恐ろしいことをしていたと思
うと胸が痛い。
・糸数豪では皆が懐中電灯を消した瞬間、今までにないほどの暗闇だった。こんな暗さで
何週間も過ごしていたのか。考えられない。体も心も重かった。
・暗糸数豪ではくて水滴の音しかしなかった。怖かった。見捨てられたり、置き去りにさ
れた人の気持ち、麻酔無しの手術…自分だったら絶対に耐えられない。
・目を背けたいものばかりだったが、見なければならないと言い聞かせ、脳裏に焼き付け
た。沖縄の人も、すべての日本人も、そして米兵など戦争に関わった全ての人々が苦し
く辛い思いをしたということがわかった。
2日目
・美ら海水族館ではバックヤード体験に興奮した!ガラスの隔たりがないからとても近く
感じた。終始「すごい!」「きれい!」の連発だった。
・美ら海水族館ではジンベエザメとマンタ、上から見たときと前から見たときは、見え方
が全く違った!生物の授業で聞いていたコバンザメが見られた。
・黒糖づくりではサトウキビがチョコレートのように!甘くておいしかった。家族で食べ
るのが楽しみだ。
・何度も何度も虹が出た!
・伊江島、城山(タッチュー)の頂上からの景色は格別だった。
・カヌー&シーカヤック体験ではマングローブ林の植物には、種を繋げるための工夫が
たくさんあった。私たちは自然を壊した代わりに、自然を守らねばならないと感じた。
・マリンクラフトでは、友達の自由な発想力や器用さに驚かされた!
・ただ砂浜を歩くだけでは得られない知識が得られた。現代文の授業で教わったように、
新たな見方を身に付けられたことが実感できてうれしかった。
3日目
・首里城正殿前の、縞しま模様の意味がわかった。
・日本の一般的なお城とは全く違った。見たことのない古い楽器をじっくりと見ることが
できた。
・とにかく食べた。ステーキをたらふく食べた。
・首里城を見ると、授業で教わった琉球王国と中国との交流がよくわかった。城の持つ役
目も日本とは違うことがわかった。
・公設市場で現地の人と交流できた。
感想文
・沖縄にいた、そのすべての瞬間を覚えておきたい、少しも忘れたくない、そう思えた修
学旅行だった。
・沖縄の食文化、言葉、自然、人々の生活、一つ一つ知っていくことの喜びを感じた。写
真を見返しても、どれも楽しい思い出。しかし、私の沖縄の思い出の多くを占めている
のは、それらではない。沖縄戦だった。知れば知るほど、これまで何も知らずに生きて
きたことが怖くなった。なぜ知ろうとしてこなかったのか。罪にも思えた。遅かったけ
れど、沖縄戦の歴史を知れたことが、今回の一番の収穫だ。
・修学旅行委員として、出発前からたくさんの思い出がある修学旅行だった。助け合った
旅行委員のみんな、我々の何倍もの時間を費やしてくださった先生方、そして3日間を
共に過ごし、楽しさを生み出してくれた友人たちにお礼を言いたい。ありがとう!
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ひめゆりの塔で黙祷 | 伊江島へ渡るフェリー |
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伊江ビーチから美ら海水族館を望む | 城山(タッチチュー)山頂にて |
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シーカヤック体験 | シーカヤック体験 |
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明け方のホテル前の浜 | 食事後は自主的に片付け |
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ジンベイザメとコバンザメ | 首里城正殿前 |