なぜ日本語で小説を書いたのだろう?

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▲イラン人作家、シリン・ネザマフィ

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 日本語を母国語としない人が

  日本語で小説を書いて芥川賞候補だそうです

 なんだかうれしいような

  ショッキングのような  (^_^;)

 

日本語で小説を執筆し、2度にわたり芥川賞候補に選出された。

彼女が紡ぐ物語には、世界の不条理と対峙し、迷い苦しみながら、儚くもどこかへと流されてゆく個人の姿がしきりに描かれる。

ネザマフィがあえて母国語を用いずに、この普遍的な題材に挑戦し続けるのはなぜなのだろうか?

  「この作者は、なぜ日本語で小説を書いたのだろう?」

彼女の物語を読んだ読者の多くは、そんな疑問を抱くだろう。

あるいは本の奥付にある彼女の略歴を一読して、「本当は日本人なのでは?」と疑う読者すらいるかもしれない。

それも無理はない。小説家、シリン・ネザマフィは、言葉の壁など微塵も感じさせないスマートな文体で日本語を操り、物語を構築して見せる“外国人作家”なのだから。

2009年に発表した代表作『白い紙』は、第198回文學界新人賞を受賞。

その後も精力的に創作を続け、2度にわたって芥川賞候補にも選出された。

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危ない「正義の人」

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 「正義」を隠れみのにして

   自分に対する深層の怒りを

  周囲に向けてるのかも  ((((;゚д゚))))

 

友人、上司、同僚、マンションの隣人、ご近所……一見したところ、親切そうに見えるのに、付き合っていくと徐々に豹変し、自分の一方的な思いを実現させるべく周囲を利用し始める、そんな“危ない人”が増えています。

気づかずにそのテリトリーに入るととんでもない目に遭うことになる。

なぜいま、そんな危険なパーソナリティの人が増えているのか、見抜く方法や対処法はあるのか。

心療内科医としてサポートに当たる医師が教示。

日常にひそむ「危険な隣人」を紹介し、ゆがんだ正義感をもつ人への対処方法について科学的見地や過去の文献をふまえて丁寧に教えてくれます。

詳細はここをクリック

 

子猫の成長

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 人間で生後10か月とゆうと

  左の絵のような感じですが

 猫は成長が速いですね  (^_^;)

 

生まれてから生後10カ月までの子猫の成長を記録したタイムラプス動画。

モデルをしているのはシルバータビー(縞模様)のメインクーン。

撮影は2~3日間隔でスタートし、最後は10~15日間隔になったとのこと。

動画のラスト数秒は高速逆再生で、あっという間に赤ちゃんに戻ってしまうという演出になっています。

 

新宿高校の修学旅行

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首里城正殿前

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 我々の時は 山陰地方でしたね  (^_^;)

 

新宿高校72回生 (現2年生) 修学旅行(沖縄)

12月10日~12日にかけて、2泊3日で、沖縄への修学旅行に行ってきました。

 これまで、修学旅行委員を中心に、事前学習を進めてきました。

の中でも、平和学習に重点を置いて取り組んできました。

1日目は、平和学習として、平和祈念資料館、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念館、そし
て全クラスが糸数壕(アブチラガマ)を見学しました。

糸数壕では懐中電灯を消して、真っ暗闇の体験もしました。

東京で平和について学んできた72回生ですが、現地で「戦争」を肌で感じることができました。

 夕方、ホテルに到着しました。ホテルは貸切、敷地内にプライベートビーチもあり、白
い砂と青い海に歓声をあげる生徒の姿がありました。

2日目は、コース別の体験学習と、美ら海水族館の見学に行きました。

 コース別体験学習は、「伊江島サイクリング」「慶佐次カヌー&シーカヤック」「ビー
チトレッキング」「サトウキビ&黒糖づくり」「シーサー作り」に分かれて行いました。
「シーカヤック」だけが、天候により内容の変更を余儀なくされましたが、どの班も『私
たちのコースが一番楽しかった!』と言うほど、沖縄の自然を満喫しました。
美ら海水族館では、本校37回生の先輩から直接案内してもらった班もあり、こちらも大
満足でした。

3日目は、首里城を見学した後、国際通りを観光するコースでした。

 改修工事を終えて綺麗になった首里城では、皆が写真撮影を楽しんでいました。国際通
りでは、各班が事前に相談した沖縄グルメを楽しみました。中には、公設市場で魚を購入
し、2階の定食屋さんで調理してもらった班もあったようです。
那覇空港には各班が現地集合する形でしたが、どの班も遅れずに集まることができまし
た。帰りの飛行機が送れるハプニングもありましたが、無事に東京へ到着し、修学旅行を
終えることができました。
これまで、修学旅行の成功のために多くの時間を割いてくださった皆さま、旅行委員の
皆さん、旅行会社の皆さま、ご協力ありがとうございました。

生徒の感想より抜粋

1日目

・「自分と同じ年齢の女子学生がなぜこんな思いを…」とずっと思っていた。怖かった。
詳細が記された体験談も読みたくないと思ったが、読まなければならないと思って読ん
だ。読んでよかった。
・生々しい弾丸の痕を見た。戦争の残酷さを改めて知るとともに、自分たちの生きる未来
では絶対におこしてはならないと感じた。
・私と同い年ほどの女の子が、勉強をしたい思いを絶たれて恐ろしいことをしていたと思
うと胸が痛い。
・糸数豪では皆が懐中電灯を消した瞬間、今までにないほどの暗闇だった。こんな暗さで
何週間も過ごしていたのか。考えられない。体も心も重かった。
・暗
糸数豪ではくて水滴の音しかしなかった。怖かった。見捨てられたり、置き去りにさ
れた人の気持ち、麻酔無しの手術…自分だったら絶対に耐えられない。
・目を背けたいものばかりだったが、見なければならないと言い聞かせ、脳裏に焼き付け
た。沖縄の人も、すべての日本人も、そして米兵など戦争に関わった全ての人々が苦し
く辛い思いをしたということがわかった。

2日目

・美ら海水族館ではバックヤード体験に興奮した!ガラスの隔たりがないからとても近く
感じた。終始「すごい!」「きれい!」の連発だった。
美ら海水族館ではジンベエザメとマンタ、上から見たときと前から見たときは、見え方
が全く違った!生物の授業で聞いていたコバンザメが見られた。
・黒糖づくりではサトウキビがチョコレートのように!甘くておいしかった。家族で食べ
るのが楽しみだ。
・何度も何度も虹が出た!
・伊江島、城山(タッチュー)の頂上からの景色は格別だった。
・カヌー&シーカヤック体験ではマングローブ林の植物には、種を繋げるための工夫が
たくさんあった。私たちは自然を壊した代わりに、自然を守らねばならないと感じた。
・マリンクラフトでは、友達の自由な発想力や器用さに驚かされた!
・ただ砂浜を歩くだけでは得られない知識が得られた。現代文の授業で教わったように、
新たな見方を身に付けられたことが実感できてうれしかった。

3日目

・首里城正殿前の、縞しま模様の意味がわかった。
・日本の一般的なお城とは全く違った。見たことのない古い楽器をじっくりと見ることが
できた。
・とにかく食べた。ステーキをたらふく食べた。
・首里城を見ると、授業で教わった琉球王国と中国との交流がよくわかった。城の持つ役
目も日本とは違うことがわかった。
・公設市場で現地の人と交流できた。

感想文

・沖縄にいた、そのすべての瞬間を覚えておきたい、少しも忘れたくない、そう思えた修
学旅行だった。

・沖縄の食文化、言葉、自然、人々の生活、一つ一つ知っていくことの喜びを感じた。写
真を見返しても、どれも楽しい思い出。しかし、私の沖縄の思い出の多くを占めている
のは、それらではない。沖縄戦だった。知れば知るほど、これまで何も知らずに生きて
きたことが怖くなった。なぜ知ろうとしてこなかったのか。罪にも思えた。遅かったけ
れど、沖縄戦の歴史を知れたことが、今回の一番の収穫だ。

・修学旅行委員として、出発前からたくさんの思い出がある修学旅行だった。助け合った
旅行委員のみんな、我々の何倍もの時間を費やしてくださった先生方、そして3日間を
共に過ごし、楽しさを生み出してくれた友人たちにお礼を言いたい。ありがとう!

ひめゆりの塔で黙祷 伊江島へ渡るフェリー
伊江ビーチから美ら海水族館を望む 城山(タッチチュー)山頂にて
シーカヤック体験 シーカヤック体験
明け方のホテル前の浜 食事後は自主的に片付け
ジンベイザメとコバンザメ 首里城正殿前

 

27回生の修学旅行へ

 

朝陽同窓会アーカイブス

朝陽同窓会に関する過去のお知らせ、ニュース、同期会などの記事は下の表から参照してください。

以下の表で、

イベントは、支部会合の案内や同窓会行事などの案内・結果報告

ニュースは、事務局からのお知らせ・会員動向・母校のイベントなど

同期会は、同期会の案内・結果報告など

を掲載しております。

ただし平成19年以前はすべてのお知らせ(イベント・ニュース・同期会)がニュース一本にまとめられています。

 

イベント ニュース 同期会
平成27年度 平成27年度 平成27年度
平成26年度 平成26年度 平成26年度
平成25年度 平成25年度 平成25年度
平成24年度 平成24年度 平成24年度
平成23年度 平成23年度 平成23年度
平成22年度 平成22年度 平成22年度
平成21年度 平成21年度 平成21年度
平成20年度 平成20年度
平成19年度
平成18年度
平成17年度
平成16年度

 

朝陽クラブ

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第29回「朝陽クラブ」のご案内

講演と懇親の夕べ「朝陽クラブ」第29回は3月13日(水)18:00~20:00 新宿三丁目交差点近くクルーズ・クルーズ新宿店(レインボービレッジ8F)で行われます。

今回のショートスピーチは、29回生 大原悦子さんです。

大原さんは、1982年から99年まで朝日新聞記者、2008年より津田塾大学ライティングセンター特任教授、現在は客員教授としてご活躍されています。

今回は、「フードバンクって何?」「フードバンクから見えてくること」というテーマでお話しされる予定です。

大原さんは2006年から1ボランティアとしてフードバンク活動に関わり、

「フードバンクという挑戦―貧困と飽食のあいだで」(岩波現代文庫)を著しています。

参加費は3,000円、飲み放題の立食パーティで、どなたでも参加できます。

多くの方の参加をお待ちしています。

 

朝陽同窓会長 年頭ご挨拶

2019年1月1日

朝陽同窓会の皆様

東京都立新宿高等学校 朝陽同窓会
会長 田中 俊郎(第17回)

 新年明けましておめでとうございます。

朝陽同窓会の皆様にはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。日頃から都立新宿高等学校ならびに朝陽同窓会への多大なるご理解とご支援を賜り厚く御礼申し上げます。

さて、今年は5月から元号が替わり、新しい時代を迎えようとしています。9月には、ワールドカップ・ラグビーが初めてわが国で開催されます。さらに翌2020年7月には東京オリピック・パラリッピックが開催されようとしています。

その2年後の2022年には、東京府立第六中学校として創立された

都立新宿高校が創立100年を迎えようしています。

この間母校は、関東大震災、第二次世界大戦、新制高校への切り替え、学校群制度の導入、グループ選抜入試の導入、進学重点型単位制高校への改編、進学指導特別推進校の指定など、多くの危機と変化を乗り越えてきました。

現校舎は、三代目にあたり施設設備は改善されましたが、校地は甲州街道の拡幅と明治通りへのバイパスのため狭くなるばかりで、創立50周年時に建設された朝陽会館も取り壊されてしまいました。

戦前、東京では、東京府立第一中学校(現、日比谷高校)を皮切りに、公立のナンバースクールが設立され、それぞれが順次創立100年を迎えています。

昨年は、私たちの直近の先輩にあたる東京府立第五中学校(後の東京都立小石川高校、現在の東京都立小石川中等教育学校)が、創立100年を迎えました。10月28日には京王プラザホテルで800人の着席式の正餐による100周年祝賀パーティーを、11月17日には文京シビックホールで、学校の公式行事として、小石川創立100周年記念式典を開催されました。記念事業のための寄付金も、当初は目標が達成されるかどうか心配されていましたが、記念式典までには1億円を超え、さらに奨学金充実のためにもう1億円を目指して募金を継続するようです。

次は、私たちの番です。2022年に創立100年を迎えます。学生諸君の教育環境をいっそう充実させ、次の100年に向けて都立新宿高校がさらに発展させましょう。創立100周年記念事業は、その一部です。

第1の柱は、朝陽奨学金です。

貸与ではなく、給付型の奨学金です。国のレベルでも、「教育の無償化」が「人づくり」の中心になりつつありますが、拡大しつつある「格差社会」の結果、上級学校への進学を諦める若者をつくってはなりません。そこで、返済義務のない給付型の朝陽同窓会奨学金の仕組みを立ち上げ、2016年度は各10万円で12名、2017年度は15名、2018年度20名分を予算化し、執行しつつあります。学校側にも、大変感謝されています。今後、応募や支給の時期、金額、人数、他の目的(例えば国外留学支援など)など、まだまだ充実・発展の余地はあります。

第2の柱は、臨海教室に使用される館山寮(旧潮見寮)の改修です。

すでに厨房および食堂へのエアコンの導入とLED化、厨房設備の総入れ替えを行い、その費用の一部を記念募金から支出させていただきました。さらに、船倉の立て替えおよび竹やぶの伐採などを行いましたが、予定していた門扉の改修は予算対効果で再検討しています。今年は、例年のような臨海教室が可能かと思われますが、2020年は東京オリンピックと日程的にバッテングしており、今後どうなるか学校側とご相談することになります。

第3の柱は、集いの場の確保です。

新校舎2階の東南の角にある朝陽同窓会事務局はあくまで事務局です。時間制限や週末など、学校の規則に縛られず、もっと自由に使える「集いの場」が求められてきました。しかし、金額的に施設の購入は難しく、昨年夏から母校近くの明治通りにあるマンションの3階1室を賃借しました。20人位使用可能な部屋ですが、同期会の幹事会など、ご利用については同窓会事務局までご相談ください。

私、個人としては、第1の柱である朝陽奨学金の充実と発展が最も重要だと考えております。しかし、それを含めて100周年記念事業を実現できるかは、同窓会会員の皆様から浄財にかかっています。

2015年4月から始まった募金総額は、2018年12月20日現在で、54,426,380円となり、個人・有志・卒業年など2,445件のご協力を得ました。あたたかいご支援を賜りました皆様のうち、ご芳名掲載をご承諾いただいた781件(2018年3月末までの分)を掲載した印刷物をすでに『朝陽』第67号(2018年5月1日発行)とともに発送いたしました。掲載をご希望されなかった方々を含めて、深く感謝申し上げます。2018年4月以降のご寄付についても、ご芳名を掲載していく予定です。

しかし、募金目標の1億円の半分を超えましたが、まだまだです。今後とも、とくに多くの若い方々の参加を得て新規の寄付を募り、1度といわず複数回の寄付をしてくださるリピターを増やすとともに、大口の寄付をお願いする必要があります。皆様の大切な後輩たちを育てるために、是非、いっそうのご支援・ご協力を賜りますれば幸いです。

さて、どうすれば同窓会員、とくに若い会員に「新宿高校」を思い出し、「新宿高校」に「アイデンティティ」をもっていただけるのでしょうか。

現在の新宿高校を知っていただくために、5月末の総会・記念講演会とは別に、「ホームカミングデー」を3年前から11月半ばに開催してきました。昨年の第3回目は11月24日に行い、三代目となる校舎内の見学、運動部・文化部の展示や交流、恩師との交流、DVD化(音楽の使用許可を含めて)された業間体操(現、新宿体操)の披露、創立68年を数える男性合唱団「六声会」と100周年記念事業で新設された混声合唱団「朝陽合唱団」のコーラス、バスケット部OB会元会長三浦正純氏の講演などを催しました。現役生との交流については、学校側のご協力によって、2年前の管弦楽部の演奏、チアリーデイング部の演技に続いて、昨年はダンス部の演舞と軽音楽部の演奏も行われ、大変好評でした。

参加者も145名、163名、180名と徐々に増えてきましたが、2回目から終了後に行ってきた懇親会(有料)は46名と予想より少なく、ちょっと残念です。 今年は、祝賀会の日程と会場を確保しなければなりません。記念誌「100年の歩み(仮題)」の具体的な編集作業も開始されます。祝賀会とは別に、記念音楽祭や記念軽音楽祭などの開催にむけての準備も動き始めました。

さらに、新宿高校が所在する内藤町でかつて栽培されていた「内藤とうがらし」を復活し、新宿高校の特産品するための支援も始まりました。皆様のよりいっそうのご協力とより積極的なご参加をいただければ幸いです。

今年も、明るさと不安定性が同居する状況が予想される2019年ですが、皆様のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。

 

猫さんの本音

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 ネコは構い過ぎると逃げますが

  放っておくと寄って来ます  (^_^;)

 

「猫はひとりぼっちでも寂しくないの?」と、1匹飼いの猫の飼い主さんは思うことがあるのではないでしょうか。

そこで“猫さん”にインタビューしてみました。

さっそく猫さんの本音を聞いてみましょう!

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猫さんはひとりぼっちでも寂しくないの?

人の場合でも、学校や仕事から帰ってきたとき、ふと、ひとりの寂しさを感じることがあります。

そんな“ひとりぼっち”の時間には、テレビを見たりゲームをしたりして気を紛らわすのではないでしょうか。

そこでうかぶのは、「猫は自分の留守中、寂しい思いをしているのではないか」という疑問です。

猫さん、ひとりでのお留守番はどうですか?

 

猫さんの回答「ううん、寂しくないよ!」

そもそも「寂しい」という感情は、人の気持ちを表す言葉だよね。

ボクたちでいえば「不安」という表現になると思うけど、1匹でいることは自然なことなんだ。

野生で暮らす猫は、生まれてから5~6ヶ月頃になると、母猫や兄弟とじょじょに離れて1匹で暮らすようになるんだよ。

だから、1匹でも寂しく思ったり不安になったりすることはないんだ。

でも、長く一緒に暮らしてきた仲間が急にいなくなると、不安になるかもしれないな。

それは、「ひとりぼっちになってしまった」というより、「いつもと違う」という環境の変化からくる不安なんだと思うよ。

 

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ひとりぼっちでも猫の習性は身につくの?

猫さんの回答「誰かに教わらなくてもできるんだよ。」

生活していく上での行動は、どの猫にも生まれつき備わっているんだ。

だから、ゴハンを食べたり排泄したり、毛づくろいをするなんてことも、誰かに教わらなくてもできるんだよ。

ただ、狩りはほかの猫から学んで練習しないと上達しないから、ちょっと難しいかな。

でもボクは飼い主さんがきちんとゴハンをくれるから、狩りがへたっぴでも困らないけどね。

 

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遊び相手が人だけだと物足りなくない?

猫さんの回答「たくさん遊んでくれれば大丈夫だよ!」

「遊び相手が“人だけだから”物足りない」というより、遊び方が単調になったり遊びの時間が少なかったりすると、「刺激や運動量が足りない」と思うことはあるよ。

「ほかの猫と遊びたい」ということではなくて、遊び方を工夫して、飼い主さんがたくさん遊んでくれれば大丈夫だよ!

猫さんは、

「ひとりぼっちだと自分のペースで過ごせるから、ストレスがなくて気楽だよ♪」

と1匹だけの生活がお気に入りのご様子。

でも、相性のよい仲間がいる生活について聞いてみると、

「友達がいれば一緒に遊べるし、そういう生活もきっと幸せだよね」

だそうです。

猫さん、インタビューにお付き合いいただき、ありがとうございました!

 

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参考/「ねこのきもち」2015年7月号
『「ぼっち」でも意外とハッピー!“おひとり猫”マニュアル 2匹目を迎えるタイミングも紹介!』
(監修:帝京科学大学生命環境学部アニマルサイエンス学科准教授 加隈良枝先生)
文/HONTAKA ねこのきもちWeb編集室 ※猫さんの回答部分は、参考特集にもとにライターが猫になりきったアテレコです。

巻紙に毛筆の手紙

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 むかしむかし あるところに

 「文豪」というワープロ専用機がありましたが

 いつの間にか 消えちゃいました  (^_^;)

 

ノーベル賞作家の川端康成(1899~1972年)が、京都を舞台にした代表作「古都」の新聞連載開始を目前に控え、

<筋も人物も場所も定まらず>

<京都弁には御手おてあげ>

などとつづった書簡が見つかった。

後輩の作家・舟橋聖一(1904~76年)に宛てたもので、大作家が不安や焦りを打ち明けている。

国際日本文化研究センター(京都市)の石川肇助教(48)(日本近代文学)が舟橋の家族らから寄託され、遺品を調べてきた。

東京都内の自宅にあった約1500通の書簡の中に川端からの12通があった。

「古都」について言及した書簡は1961年10月2日の日付。

巻紙に毛筆で約300字つづられ、朝日新聞で同月8日に連載が始まる6日前、滞在先の京都から送られた。

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神奈川県鎌倉市在住の川端は

<新聞小説に京都を書いてみたいため>

昨日、京都に来たとし、締め切りが数日内に迫っているのに

<筋も人物も場所も定まらず、どうなる事かと不安です>

と吐露。川端は大阪生まれだが、

<京都は不案内>

<京都弁には御手あげ>

<ただ今闇中あんちゅう模索の憂うつです>

と漏らしている。

舟橋が5年にわたり小説「新・忠臣蔵」を新聞連載したことを、

<私には及びもつかぬ事>

と謙遜している。

川端は同年11月、文化勲章を受章。

京都と東京、鎌倉を行き来しながら、62年1月に107回の連載を終えた。

翌月、睡眠薬の禁断症状で病院に運ばれている。

「古都」は国際的にも評価が高く、川端は68年に日本人で初めてノーベル文学賞に輝いた。

 

十重田とえだ裕一・早稲田大教授(日本近代文学)の話

「体調がすぐれない中で『古都』が執筆されたことは知られているが、書簡からは連載開始直前の切迫した状況が生々しく伝わる」

 

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ネコが大好きだった三島由紀夫

才能は師匠の川端康成よりはるかに上だったので

川端康成はコンプレックスを感じていたかも

 

三島のノーベル文学賞は ほぼ確定だったが

師匠の川端を先に ということになったとか

割腹事件で 三島のノーベル賞はお流れ  (T_T)

 

新橋を歩く

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▲新橋駅の怪獣酒場新橋蒸留所

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 新橋駅の地下街の片隅にある怪獣酒場は

    実は宇宙空間に通じていて

 バルタン星人がオモテナシしてくれます  (^_^;)

 

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