2025年3月10日(月)
横須賀市街→軍艦クルーズ→軍艦三笠(↑)
2025年3月10日(月)
横須賀市街→軍艦クルーズ→軍艦三笠(↑)
新宿駅南口から新宿高校へ向かう途中にあった「お大典の碑」と階段
奥に高層ビルが見えますから、そんなに大昔ではない
この階段を登り降りした記憶があります
(^_^;)~♪
「お大典の碑」というのは、昭和3年(1928年)の昭和天皇ご即位を記念した御大典記念の碑のことで、現在は、西新宿の十二社熊野神社に移設されています
「御大典」は「ごたいてん」と読むのが正しいようですが、私は勝手に「おたいてん」と読みたいのです
▼今はこんな感じ ((((;゚д゚))))
「お大典の碑」を意識しているのか、今でも時計台のような碑(塔)が立っています(中はエレベーター)
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東日本旅客鉄道は1月22日から、新宿駅開業140周年を記念した一連のイベントを開催する。
主なイベントには、
2月22日から3月9日まで西改札内コンコースで行われる「歴史写真展」
3月1日にSuicaのペンギン広場で開催される「新宿スペシャルオーケストラ」
などが含まれる。
このオーケストラは、参加者が自分の楽器を持ち寄って演奏し、1000円の参加費で楽しむことができる特別な催しだ。
新宿駅は1885年3月1日に「日本鉄道」として開業した日本初の私鉄で、その歴史を楽しむためのイベントが多岐にわたって計画されている。
特に注目を集めるのが「201系電車」のラッピング自動販売機で、2月1日から12月中旬まで西改札内コンコース11・12番線エレベーター横に設置され、新宿の懐かしい通勤情景を思い起こさせる。
また、2月18日から24日まで「駅からハイキング&ウォーキングイベント」が開催。
新宿高校の生徒と共同で選定した歴史巡りコースを楽しむことができる。
さらに、3月2日には全席グリーン車仕様のハイグレード車両「なごみ(和)」を使用した団体専用の臨時列車が運行され、渋谷駅から上諏訪駅までの往復旅行を楽しむことができる。
この旅行に参加することで、限定記念グッズ4点を手にすることができる特典も魅力だ。
参加申し込みは、1月24日から「日本の旅、鉄道の旅」サイトで受け付ける。
各イベントでは、新宿駅とその周辺の発展を支えてきた歴史と未来への展望を感じることができる。
さらに、JR東日本グループの社員が、特別にデザインされたエンブレムを着用して、来場者を迎え、140周年の記念を祝う。
これらのイベントを通して、新宿駅の重要な節目を体感する機会を提供する。
▲1885(明治18)年、日本鉄道「内藤新宿駅」として完成
今でこそ新宿と言えばここですが、日本全国には「新宿」という地名が多いので、それと区別するために「内藤新宿」と呼ばれていました
江戸時代の大名、信濃高遠藩内藤家の下屋敷(現在の新宿御苑)があったからです
内藤新宿駅の駅名を短くするときに、新宿駅ではなく内藤駅にしていたら、歌舞伎町とか夜(night)の街にふさわしい駅名になっていましたね
でもそうなると、新宿区ではなく「内藤区」、新宿高校ではなく「内藤高校」になっていたかもしれません
(^_^;)~♪
品川駅の近くにある物流博物館では、いま鉄道古写真展が開催されています
上の写真の、ビーチ沿いに建つ小洒落た建物、今から130年以上も前の品川駅です
新橋横浜間に鉄道が正式開業する前に、品川横浜間で試験運転をしたので、横浜駅とともに日本で最も古くからある駅です
線路用地取得難で海岸沿いや海上(高輪築堤)に線路を作り、駅も海岸のすぐ近くで、駅前はすぐに海岸です
写真左上に見えるのが現在の三田(田町)のあたりで、幕末まで薩摩藩の江戸屋敷などがあり、幕府との間でドンパチあった場所です
その奥に見えるのが皇居(江戸城)、その右が江戸の下町でしょうか?
海岸に沿って東海道があり、大名行列や旅人など、江戸時代から賑わっていたエリアです
上の写真の右側、品川駅の南側に少し行くと、東海道の最初の宿場町「品川宿」がありました
その近くには鈴ヶ森刑場があり、江戸時代220年間に10~20万人が処刑されました
仮に15万人とすると、年に680人、毎日2人くらい死刑になっていた計算になります
有名な放火犯人、八百屋お七が処刑されたのもここです
現在のような科学捜査など無い時代で、自白させるための拷問も許されていましたから、冤罪も多かったと思われます
品川宿は江戸市街の入口にあたり、東海道を通って江戸に流入してくる人々に
「悪いことをすると、こうなるぞ!」
という警告(見せしめ)の役割も果たして、江戸の治安維持をはかっていました
今でも品川駅の近くには「旧海岸通り」という道路がありますが、今では周辺が埋め立てられて、近くに海は見えません
品川駅の場所は、上の写真の当時から変わっていませんが、周辺が激変した訳です
上の写真の右側の海が埋め立てられて(大正~戦前)、現在の港区港南エリアが出来ました
私が現在住んでいる場所は、数十年前まで海でした
品川駅は今、高輪ゲートウェイ駅周辺(来年春に本格開業)と共に大規模工事が進められていて、大きく変貌しつつあります
(^_^;)~♪
▲鶴岡八幡宮の社務所日誌
前日(9/1)欠勤して記録に残った木村仕女
直前(8/31)に挙式したカップルもいる
戦後の日本の占領政策を主導した連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー(1880~1964年)は、1945年8月30日に厚木飛行場に降り立った。
3日後の9月2日午前に東京湾上の米戦艦ミズーリ号で行われた歴史的な降伏文書調印式に出席した。
この後、同日午後3時半ごろ「幕僚十二名を帯同」して鶴岡八幡宮を参拝し、日本語を話せる将校が御朱印や破魔矢13本を買い求めたことが社務所日誌に記されている。
マッカーサーは当時の宮司に「私は40年前にも参拝したことがある」と語って境内を懐かしそうに眺め、応接室での休憩を勧められると「ありがとう。今日は急ぐから」と辞退した。
宮司は初対面の印象を「実に穏やかで終始、敬虔(けいけん)な態度で感服した」と話した。
この40年前、青年将校時代のマッカーサーは在日米大使館付き武官だった父の副官として来日。
日露戦争で活躍した東郷平八郎や大山巌、乃木希典と面会した経験もあったとされる。
吉田さんは「武士道で説かれる倫理観や潔さを日本の名将から教わり、武士や軍人の崇敬を受ける鶴岡八幡宮を敬う気持ちを持ったのだろう」と参拝の背景を推し量る
▲連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー
▲東京湾上の米戦艦ミズーリ号で行われた降伏文書調印式
このつい半月ほど前まで、血で血を洗う激戦を繰り広げたが、勝敗確定後は互いに紳士的に対応することができた日米という文明世界
それから80年近くたっても、靖国神社に落書きするなど、日本国民の神経を逆撫でするような悪質な嫌がらせをしつこく続けている、反日赤組(中露韓北)という野蛮世界
この雲泥ほどの民度の差は、これから数十年、数百年、ひょっとすると5000年たっても埋まらないのかもしれませんね
(^_^;)
▲靖国神社に落書きする中国人 2024年6月1日
あのビルゲイツが激賞したというので読んでみたが、期待通りの面白さだった
本書によると、世界のコンテナ輸送は、1956年に始まるというから、すでに68年の歴史を刻んでいる
それまでの物の輸送(物流)は、細かく梱包された品々をバラバラに、輸送船の船室(船内倉庫)、鉄道貨車、トラックの荷台などで運んでいた
これを混載輸送といい、コンテナ輸送が登場するまで、物流はほぼ混載輸送だけで、いろいろな種類の荷物が混ざった状態で輸送されていた(石油や石炭、鉄鉱石などごく一部の原材料は、専用の輸送船や輸送機器で運ばれていた)
港に輸送船が着くと、船と岸壁の間に板(タラップ)が渡され、その上を港湾労働者(沖仲仕)が荷物を担いで行き来するという原始的な方法がとられていた
混載輸送の最大の弱点は、荷物の積み替えに手間と時間、つまり多大なコストが発生することだった
例えば日本から米国西海岸へ船で荷物を輸送する場合、太平洋を数千キロも横断する長い長い輸送の入口と出口のわずか2地点、しかも荷物を船と陸の間(せいぜい数百メートル程度)を移動させるだけのコスト(つまり沖仲仕の人件費)が、輸送コスト全体の半分以上を占めていた
沖仲仕の賃金は必ずしも悪くはないのだが、超肉体労働で業務上の事故や怪我の多い危険な仕事だから炭鉱労働者と似ている
しかも日雇い労働なので炭鉱労働者よりも生活は不安定で、繁忙の差が激しいので仕事にアブレる日も多く、そんな日はバクチをしたり酒を飲んだりという世界だから、この点では底辺の建設労働者(いわゆる土方)と似ている
いきおい気性も荒くなり、ケンカが絶えないので、そんな沖仲仕を仕切る存在としてヤクザが登場する
沖仲仕に仕事を割り振り、その賃金からピンハネすることがヤクザのビジネスだった
映画「波止場」は、この辺の実態を、多少デフォルメして描いている
ヤクザと言えば山口組が有名だが、山口組の本拠地が神戸なのは、神戸港の存在と無関係ではない
山口組の創設者で初代組長の山口春吉(やまぐちはるきち、1881年-1938年)は、ヤクザになる前、神戸港で港湾労働者をしていた
そんな世界なので、物流コストが企業経営や経済全体の重荷なのは分かっていても、なかなか手を付けにくい「暗黒大陸」になっていた
▲沖仲仕による荷物の積み卸し
半世紀前までは、どこの港でも見られた風景
▲現在のコンテナによる荷物の積み卸し
多くの沖仲仕が何時間も(何日も)かかった荷物の積み卸しも
熟練したクレーン操作者なら、たぶん1個あたり数分で済む
そんな旧態依然としていた物流の世界に、ひっそりと登場したコンテナ輸送
コンテナ輸送が登場した1956年当時、こんな「ただの箱」が世界を一変させるとは、一人の天才以外には誰も想像(イメージ)していなかった
運輸業界でコンテナの存在が浮上し始めるだけでも20年くらいかかっており、「一人の天才」も悪戦苦闘している
その前後もろもろ半世紀以上にわたる紆余曲折の詳細な解説が本書の大部分で、とにかく非常に面白い
公的規制のぬるま湯に守られた既存業界からの抵抗、仕事が無くなることを恐れた沖仲仕労働組合との交渉など、イノベーション(革新)が社会に普及するのが簡単ではないことが分かる
世の中で何かを変える(イノベーションを起こす)ということは、必然的に抵抗勢力との激しい対決を招く
そんな抵抗勢力が消えると、次は新しい市場における生き残りを賭けた激烈な競争が始まる
競争を生き残った少数の勝者の背後には、エベレスト頂上付近のように、敗者の死体が累々と横たわっている
本書を激賞しているビルゲイツも、パソコンやインターネットという技術革新を世の中に普及させることに一生を費やしてきたので、自分の人生に重なると感じることも多かったのではなかろうか
ビルゲイツの背後にも、敗者の死体が累々と横たわっているのだ
私がいま住んでいる品川駅の海側(港南口方面)も、今でこそタワーマンションや高層オフィスビルが林立しているが、かつては岸壁の近くに倉庫や運送会社が並ぶ港湾労働者の街だった
私は最近引っ越してきたので当時の詳しいことは知らないが、余りガラの良くない、治安の悪い街だったようだ
それが今では、駅周辺にソニー、キャノン、NTTデータ、マイクロソフト日本法人などの大企業の本社が並ぶ、丸の内や大手町のようなオフィス街に変貌しつつある
もうすぐトヨタの本社も来る予定で、現在建設中
品川駅周辺の丸の内化(大手町化)は、これからあと10年以上、リニア品川駅が開業するころまで延々と続きそうだ
▲朝の通勤時間帯に品川駅港南口からオフィスへ向かう人々
実はこの下に港湾労働者が通った狭くて汚い地下道があった
▼今は一般人は通れないが、JRの業務用として残っている
わずか半世紀で街をこのように変貌させた要因の一つが、まさに本書のテーマであるコンテナだ
この何の変哲もないただの箱(コンテナ)が、わずか半世紀で、品川駅の海側を別世界に変貌させた
もちろんこの変化は品川駅の海側だけでなく、世界中の港湾都市を変貌させ、さらにその効果として世界経済の様相を一変させてしまった(その変化は現在も進行中だ)
なぜコンテナが世界経済を激変させたのか?
コンテナが登場するまで、商品コストの大きな部分を、物の移動費用(物流コスト)が占めていた
だから少しでも物流コストを抑えるために、工場は狭いエリアに密集して立地し、工業地帯を形成した
最近は余り使われなくなった言葉だが、京浜工業地帯とか阪神工業地帯というエリアがあった(今も一応あるけど)
それがコンテナの登場によって輸送費が劇的に下がり、工場の立地において物流コストを余り気にする必要がなくなった
そのコストダウンの数字は、正確な推定が困難であると本書でも繰り返し説かれているが、大ざっぱに言って物流コストは数十分の一になった
それに変わってビジネス競争の上で重要になったのが人件費のコストで、安い人件費を求めて多くの工場が先進国から発展途上国へと移動した
世界経済のグローバル化は、コンテナによる物流コストの劇的な低下なしには考えられない
工場の移動は雇用の移動(消滅)を意味するので、国内政治的にも重大なテーマになった
かつて工業地帯という狭いエリアで集約的に行われていた生産活動が世界中に広がることになり、工業地帯という言葉に替わって「サプライチェーン」という言葉が登場した
筆者は分かりやすいたとえとして、バービー人形(リカちゃん人形の米国版)を取り上げる
かつて米国の狭い工場で全て作られていたバービー人形だが、今では胴体は中国、衣服は東南アジア、毛髪は日本で作られている
そして組み立ては、また別の国かもしれない
サプライチェーンは、少しでもコストが安く事業環境が安定している立地を求めて、いま現在も激しく世界を移動し変化し続けている
ごく最近でも、中国に進出した多くの工場が、中国人の人件費上昇や中国政府の政治的不安定さ(法治国家ではないこと)を嫌って、東南アジアなどへ大規模な移動(脱出)をしている
ビジネス上の用件で中国に出張したら、いきなり訳の分からない容疑で逮捕され、何年も刑務所に監禁されるような暗黒独裁共産国で、誰がビジネスを続けようと思うだろうか?
コンテナ輸送が世の中に普及して、意外なメリットというのが、盗難の減少だ
混載輸送で荷物をバラ積みしていた時代には、輸送中の荷物が抜き取られたりして盗難に遭うのは珍しいことではなかった
特に貴重品や酒類では、馬鹿にならない被害が出ていて、それが輸送コストに上乗せされる
逆に言えば、それが沖仲仕などの役得にもなっていた
コンテナは基本的にほぼ完全密閉して施錠され、輸送途中での開封が少ないので、この盗難被害が激減した(これも当然、物流コストの低下を促進する)
しかし一方で、コンテナ輸送のデメリット(リスク)も生じている
コンテナの中に簡易便所や水食糧の備蓄など設け、違法難民の輸送に使う悪徳エージェントが暗躍している
何かの都合でコンテナの移動が滞り、飲料水の欠乏や内部の異常温度で、中の違法難民が死亡する事件がときどき起きている
コンテナは元々、人間の輸送は想定していない
さらに危険なのが、コンテナに核爆弾を積んだ「核コンテナ」を、密かに敵国の港湾に持ち込む核テロのリスクだ
遠隔操作でいつでも爆発可能な状態にして、敵国政府に無茶な要求を突きつける
そして爆発させれば、高価な核ミサイルなど無くても、敵国に壊滅的な被害を与えることができる
北朝鮮などが必死になっている核ミサイル開発だが、その技術的に最も困難な点は、ミサイルに搭載可能な核弾頭の小型化だ
コンテナ程度の大きさで良ければ、たいていの核保有国が、今すぐにでも核弾頭を積んだ「核コンテナ」を製造できるのではなかろうか?
そしてそれが、テロリストの手に渡ったら・・・
現在の大型コンテナ船は、一度に数千個のコンテナを運ぶ
その中に紛れ込んだ、たった1個の核コンテナを発見することは至難の業だ
本書を読み終わって、実に大変な労作で、細かいことを微に入り細にわたり突っ込んで説明していることに感動したのだが、それだけに少し読むのに骨が折れた
何しろ、巻末の注釈と参考文献だけで66ページもある(読んでないけど)
物流の専門家向けではなく、あくまでも一般人向けの本なのだが、ときどき物流の専門的な細かい話が出てくるので、ネットで調べながら読んだ
このあと、物流の基礎知識や最新動向をまとめた解説書を読もうかなと思っている
(^_^;)
先日、多摩ファミの室内楽コンサートがあった
高畑不動が会場です
土方才蔵役の人、本人に全然似てないね
(^_^;)
▲池辺晋一郎(新宿高校OB)作曲
水戸出身で立花隆とは家が近く、幼なじみ

新宿駅の構内図を3Dで再現
https://satoshi7190.github.io/Shinjuku-indoor-threejs-demo/
ガザ地区にテロ集団ハマスが作った地下通路網は、これよりはるかに複雑なんだろうけど、もう壊滅状態なんだろうね
深さ80m、長さ500kmもあるんだそうです
世界一アタマの良いユダヤ人(イスラエル)のことだから、たぶん3Dマップを作って、細かく分析していたと思うよ
東京の地下鉄で一番深い大江戸線の六本木駅ホームは、深さ42m(地下7階)
地上からエスカレーターで降りていくと、その深さが実感できます

ガザ地区とイスラエルの境界にある地下障壁は、深さ20mしか無いので、それより深いところでイスラエル側にもトンネルを掘って侵入していたんでしょうね
地中貫通ミサイル「バンカーバスター」は、厚さ6mのコンクリートも突き破り、深さ60mまで貫通し、通常の地下施設であれば深さ150~200mまで破壊力をもつそうです
((((;゚д゚))))
▲カーネギーホール

買収額は141億ドル(約2兆円)
USスチールは122年の歴史を誇り、かつて世界最大の企業でした
米国を代表していた大企業が海外勢に買収されるというのは、米国人にとっても感慨深いようで、米国でも大きく報じられています
「中国ではなく日本の企業に買収されて良かった」
と感じているかもしれません
いま中国は不動産バブルの破裂で、それどころではないと思いますけどね
日本でも東芝が、海外ファンドに買収されそうになってましたね
私も理系出身なので、友人が何人も東芝に就職しました
いま「半導体JAPAN」復活の流れに乗って、東芝が大復活して欲しいものです
USスチールは1901年の大合併で誕生しました
日本製鉄の前身の八幡製鉄も1901年の設立
良きライバルと言いたいところですが、かつての八幡製鉄から見たら、USスチールは雲の上の存在でした
USスチールの設立に深く関与したのが、鉄鋼王カーネギー(←)
日本で言えば、新一万円札の顔、渋沢栄一みたいな人
NYのカーネギーホールで有名です(↑↓)
カーネギーホールで演奏することは、世界の演奏家の夢
ピアニストのルービンシュタイン(→)が、ニューヨークで道を歩いているときに観光客から
カーネギーホールへの道
を尋ねられ
Practice, practice, and practice.
(練習して、練習して、さらに練習してください)
と答えたという逸話は余りにも有名
歩行者には5分で行ける道のりでも、演奏家には遠い遠い、さらに遠い道のようです
鉄鋼王カーネギーにも、次のような有名な逸話があります
母親と一緒に市場へ買い物に行ったカーネギー坊や
果物屋に山積みされていたサクランボに見入る
気付いた果物屋のおじさんが
「一つかみ、あげるよ」
しかしカーネギー坊や、手を出さない
おじさん「サクランボ、嫌い?」
坊や「好き」 でも手を出さない
おじさんは不思議そうな顔で、サクランボをつかんで坊やの帽子に入れてやる
帰宅後に母親が「どうして自分で取らなかったの?」と尋ねると、カーネギー坊や
「おじさんの手の方が大きかったから」
さすが大実業家、ガキのころからシタタカだったようです
この種の逸話は、伝言ゲームで話が盛られていくので、どこまでホントか知らんけど
(^_^;)
▲カーネギーホールの内部