80【ヒストリー】
FORTRANと鳩山由紀夫先生
理系の人ならご存知の方も多いと思いますが、FORTRANというプログラミング言語があります
主に科学技術計算で利用され、ビジネス利用のCOBOLと並んで、コンピュータの歴史の初期に大いに利用されてました
歴史の初期と言っても、まだわずか30~40年前なのですが、変化の速いコンピュータの世界では、すでに大昔かもしれません
実は私、FORTRANを鳩山由紀夫さんから学んだことがあります
そう、あの日本を代表する奇人変人の、鳩山由紀夫さん(→)です
鳩山家は、国会議長や首相、大臣を輩出した名門ファミリーとして有名で、安倍(岸、佐藤)家と並んで、日本の戦後政治をリードしてきました
頭脳もみなさん優秀で、鳩山家では「東大以外は大学ではない」とされていたとか
衆院議長、首相、外相と三代つづき、四代目に生まれてきたのが、鳩山由紀夫・邦夫の兄弟
あの有名な鳩山御殿(↓)で生まれ育った、超お坊っちゃま
▲鳩山御殿 鳩山家の私邸だったが、現在は鳩山会館として一般公開中
どちらも順調に東大合格、弟の鳩山邦夫さんは東大法学部を出て政界へ
兄の鳩山由紀夫さんは東大工学部を出て、理科系の研究者(当時は助手)をしてました
私が大学に入学したころ、FORTRANは理系必須科目で、その入門授業を担当していたのが鳩山由紀夫先生
その後の奇人変人っぷりからは想像もできないほどマトモな授業で、物腰やわらかく、とても分かりやすい授業でした
当時のFORTRAN入門書の定番がこれ(→)で、アマゾンで探したら絶版みたいでしたが、古本(94円)が出品されてたので、なつかしくなって注文しました(来週届く予定)
当時はパソコン一人一台にはホド遠く、大学の計算センターにある大型コンピュータをタイムシェアリングして使ってました
コンピュータにプログラムを入力するのも、今みたいにキーボードからではなく、事前にパンチカード(↓)に打ち込んで(数字のところに機械で穴を開けて)から読み込ませるという驚くべき仕組み
▲入力用パンチカード
縦1列が1文字なので、これ1枚でプログラム1行分
今でも競馬の投票券などのマークシートを見ると、当時の入力用パンチカードを思い出してしまいます
▲競馬の投票券
プログラム1行毎に、この仰々しいパンチカード1枚を使うので、ちょっと長いプログラムだと、このパンチカードが数百枚にもなり、けっこう重かった
FORTRANの授業で出会った鳩山由紀夫先生ですが、その後私が研究室に所属したら、同じ研究室だったのでビックリ
名門鳩山家の御曹司というのはウワサで知ってましたが、まだ理系研究者として政治家の片鱗も見せず、飲み会で「政治家にならないんですか?」などと質問すると、「弟が優秀だから」とか答えていました(弟の邦夫さんは、当時すでに国会議員)
当時の鳩山さんの上司に当たる助教授(応用数学の専門家)に
「数学は政治に使えませんか?」
と質問したら
「それは童貞の男が、
百戦錬磨の女に挑むようなもんだ!」
と言ってました
私は学部4年生&修士2年間の計3年間、鳩山由紀夫さんと一緒でした
学科で研究室対抗の野球大会があると、鳩山由紀夫さんはピッチャーで活躍してました
研究室の飲み会があると、鳩山さんが割り勘に大金を出してくれるし、都合で参加出来ないときも「これカンパね」とか言って数万円くれるので助かりました
私の卒論の発表会で、あと1分とか残り時間が少なくなると「チーン」と音を鳴らす時間係が鳩山さんだったのを覚えています(のちに総理になるなんて誰も知らず、まだ助手ですから、そんな雑用もやらされる)
私は修士を修了(大学院では卒業と呼ばない)してから理系研究者の道を進まずに経営コンサルタントになったので、FORTRANとは余り縁の無い人生を送って来ましたが、ネットのニュースでFORTRANが現役で活躍中というのを見て、超なつかしく、ウレシくなってしまいました
鳩山さんの政治スタンスは親韓親中で、私の思いとは正反対ですが、私には鳩山さんが最後の将軍徳川慶喜(→)に重なって見えるのです
どちらも名門に生まれ、頭脳は超優秀だが、かなりの奇人変人
戊辰戦争で徳川慶喜が敵前逃亡のような奇行に走らなければ幕軍が勝利して、徳川家主体で明治維新に相当する政治改革が行われた可能性は極めて高い
無骨な薩長は当時最強だったドイツ式軍隊を好みましたが、徳川慶喜はフランス好みだったので、日本軍はフランス式の柔和な弱い軍隊になっていたかもしれません(右の写真はフランス軍装した徳川慶喜)
ただそれだと、半世紀後の日露戦争で日本が負け、日本列島はロシア人によって占領されて、日本人は全員、極寒のシベリア奥地に強制移住させられ、餓死や虐殺で「ロシアの少数民族日本人」の人口は、現在1千万人くらい(当時の人口5000万人から激減)になっていたと思われます
ロシア(ソ連)は戦争に勝つと、敵の国民をすべて極寒のシベリア奥地に強制移住させるのが近現代史の常でしたし、餓死しても放置で、逆らったら虐殺ですから、これは大いに有り得ることです
その1千万人に激減した「ロシアの少数民族日本人」の若者は、いまウクライナの最前線に送られて、戦場で虫けらのように殺されていたかもしれません
とここまで書くと、頭脳が超優秀だった最後の将軍徳川慶喜は、日本の未来を明晰に見抜いた上であえて奇行を演じ、無骨だが強い薩長に政権を明け渡したのではないか?と思えてくるのです
そんな徳川慶喜に鳩山さんを重ねると、
「いやそれは買いかぶりだ、
あれは単なる馬鹿だ!」
という反論が山のように出るでしょうね
(^_^;)
▲鳩山ファミリー
▲鳩山兄弟 邦夫と由紀夫
邦夫の方が年上に見えるが、由紀夫が兄
▲岸(安倍、佐藤)ファミリー
1954年に考案され、広く用いられている世界初の高水準言語が「Fortran」は、考案から68年が経過した。
多種多様なプログラミング言語が存在するにもかかわらず、
「Fortran」が依然として、プログラマーに愛用されている
その理由を、カリフォルニア工科大学のMartin D. Maas氏が解説しています。
5 Reasons Why Fortran is Still Used
Fortranは古いプログラミング言語ですが、高度な計算に特化しており、物理学科やスーパーコンピューターの研究機関、政府機関などで2022年時点でも用いられることがあります。
Maas氏はFortranの歴史と強みを説明するとともに、Fortranが今後も維持されるのかについて5つの点から解説しています。
1)性能重視の文化の中で築かれたため
Fortranでは最適化が重視されていたため、コンパイラでコードを最適化できるようになっていましたが、それ故の制限が多く存在しました。この制限により、C言語などの他のプログラミング言語では可能な「遅いコードを自由に書くこと」といったことが、Fortranでは困難です。高性能ではあるものの融通の利かないFortranと、自由度が高いC言語という図式が長らく成り立っていたため、用途に応じてFortranは長らく求められてきたというわけ。しかし、理論と実践によりコンパイラが改善されてきたことで、近年ではFortran以外の言語でもコードの最適化などの生産性を向上させる機能が実装されるようになっています。
2)科学的な情報処理ではC言語やC++よりも使いやすい
Fortranと競合した「速い」言語はほとんどC言語やC++でした。C言語やC++は汎用(はんよう)的なプログラミングを行う際には非常に便利だとされている一方で、多次元配列や複素数を扱うような科学的な計算を行うのに不向きとされています。しかし、Fortranはほぼ初期からこれらの計算やいくつかの特殊関数をサポートしてきました。その後、C言語やC++も複素数に標準対応したり、C++23では多次元配列が一部標準対応したりと開発が進められていますが、Fortranにはいまだに追いついていないのが現状だそうです。
3)コードの長寿命化と後方互換性
科学技術での計算において、寿命が長く、何十年ものあいだ変わることなく動作確認が可能なコードはとても望ましいこととされています。Fortranは後方互換性を厳格にすることで、長期的なコードの寿命を保証しているため、多くのプログラマーに愛されているというわけ。
4)共配列による分散メモリ並列処理
Fortran 2008では、分散メモリシステム上の並列処理を言語の一部として追加する、「共配列」とよばれる機能が導入されました。最新版のFortranでは、既存のシングルスレッドまたはマルチスレッドのコードを分散メモリ並列コードに変換することが容易になっており、これらもFortranの強みのひとつとなっています。
5)Fortranは今も進化している
Fortranは考案から約70年が経過しているにもかかわらず、今でも活発に開発されています。また、Fortran標準委員会が定期的に言語の改訂を行っています。
しかし、Fortranには構築システムや最新のツール、活発なオープンソースのコミュニティー、標準ライブラリが不足しているとされており、Fortranをインターネット時代に適応させるためには、十分な数のFortran開発者がオープンソースの文化を採用する必要があるとされています。そのため、Maas氏は「今もFortranが使われ続けているのには正当な理由があります」と述べる一方で、「Fortranが使われ続けている理由の一部や全部が他の言語によって取って代わられる可能性があります」と指摘しています。
年をとって悟ったこと
社会変化が乏しくて過去の経験則が広く通用する大昔の社会では、年をとった人(高齢者)が尊いという価値観(文化)が支配的になります
多くの宗教が「高齢者を大切にしろ」と説くのは、現在の大宗教が成立したのが大昔だったからかもしれません
現在のように日進月歩、秒進分歩の時代には、高齢者の経験則より若者の柔軟性の方が役に立つ場面が少なくありません
若者が「老害」という言葉を使って高齢者批判をするようになって久しい
年をとっただけの無能な高齢社員が、年功制のヌルマ湯で若者より高い賃金を得ているのは、有能な若者には腹立たしいことだと思います
「ものすごく有能な若者」ならそんな組織を捨て、能力と柔軟性を活かして転職や起業にチャレンジし、夢を実現するチャンスは、今の日本ならいくらでもあります
でも、能力や行動力がそこまでいかない多くの「ちょっと有能な若者」は、現在の組織の中で頭上の重しのようになっている無能で給料が高いだけの高齢者を、邪魔で不愉快な存在と見ています
ただ、人の意識や組織の価値観(文化)が変わるのには非常に時間がかかるし、現在の組織のトップにいるのもたいてい高齢者ですから、「ちょっと有能な若者」が現在の組織に居続ける限り、望むような急な変化は起こりにくい
日本は明治維新以降の1世紀以上、世界の多くの国に比べて、ダイナミックに変化発展してきました
黒船と敗戦という2つの巨大な社会変動(危機的状況)で、高齢者の経験則がまったく通用しなくなり、有能な若者が能力を発揮するチャンスに恵まれたことが大きいように思います
いま日本は、平均賃金が長期にわたって上昇しないという停滞期を迎えている訳ですが、さりとて「危機的状況」と呼ぶほど行き詰まったり、多くの人が生活に困窮している訳でもない
そうゆうヌルマ湯的な社会状況に、いま我々は生きているのだと思います
もしかすると気が付いてないだけで、3回めの巨大な社会変動(危機的状況)が、すぐ目の前に迫っているのかもしれません
(^_^;)
新宿高校脇のバイパス開通
新宿駅周辺の混雑緩和を目的に、都立新宿高校の近くから代々木駅近くまでバイパスする新たな道路「環状第5の1号線(千駄ヶ谷)」が完成し、12月3日から通れます。
明治通りで新宿を通過しようとする際に、渋滞をバイパスして移動できることが期待されています。
上の写真は、新しく開通した道路の新宿側。
左は新宿御苑、右は新宿高校。
写真手前を左右に通るのが甲州街道。
道路計画自体は大昔からあったものの、新宿高校の移転反対運動、新宿御苑の端を“削って”通過する計画への反対運動など、すったもんだ大騒ぎあった末に、片方を地下トンネルにして道路の幅を減らすことで解決しました。
ソフトバンク孫正義 引退への「男の花道」
ビジネス感覚が衰えたせいか、兆円単位の天文学的な巨大赤字を出した孫正義
借金は規模が大きくなると、借りてる方が強くなります
「もっと貸さないと、
今までの分、返さねえぞ!」
というタンカが切れるからです
そうは言っても、底の抜けたバケツ(ソフトバンク)に、永久に水(資金)を注ぎ続けるほど、銀行(みずほ)も甘くない
銀行から融資継続の条件として、孫正義引退が出ているのだと思います
孫正義の完全引退が先か、ソフトバンク倒産が先か?
裸一貫、一代で築いたソフトバンク帝国ですから、一代の最後に、パァ~ッとツブシちゃうのもいいんじゃないかな?
仮に引退しても、まだ65歳で病気も無いみたいですから、アームごっこでもしながら、大いに余生を楽しんでもらいたいと思います
((((;゚д゚))))
ソフトバンクグループ会長の孫正義が、病気説や引退説について
「決してそうではない。
私は健康そのものだ。
気力ますます充実。
やりがいも気合いも十分だ!」
などと否定した。
これまでの決算発表では、孫正義がプレゼンしていたが、
今後はその役割を、CFO兼CISO後藤芳光(→)が担う。
この発表が突然だったので、孫正義の病気説や引退説が広まった。
孫正義は自身のプレゼンについて、
「当分の間は、最後にしたいと思います」
「日常経営業務は、後藤芳光ら経営幹部にやらせる」
「私は、傘下企業アームの爆発的な成長に没頭する」
「私は、もともと攻めの男だ」
と強気の考えを述べた。
「ちくわぶ」は東日本 紀文の鍋白書2022
そろそろ鍋が恋しい季節になりました
東西に長い日本列島ですので、食の好みが東西で異なるのは当然かもしれません
古代史的に言えば、縄文系と弥生系の違いもありそうです
私はおでん種では、「ちくわぶ」と「はんぺん」がダイスキ
熱くてフワっとした食材が、口の中でとろけるような感じがたまらない
あー、日本人に生まれて良かった!
(^_^;)
紀文食品の「鍋白書2022年度版」で、おでん種の地域分布を調査。
「ちくわぶ」は東日本で、「豆腐・焼き豆腐」は西日本で多い。
「家庭でおでんを作る時に、よく入れるおでん種」
をテーマとして、48種類のおでん種の喫食率について、上位10都道府県を算出。
練り物では、関東・南東北でよく用いられるのが「つみれ」で、イワシを原料にしたものが多いそうです。
中四国・九州でよく用いられるのが「かまぼこ」で、白色より紅色の方がおでん種として利用されているようです。
白い食材では、18位まで東日本の県で独占し、関東・南東北で圧倒的に喫食率の高いのが「ちくわぶ」(←)です。
これに対し、大豆加工品の「豆腐・焼き豆腐」は中四国と九州と北陸で上位10県を占めており、西日本で多く食べられています。
がんもどきで8位、厚揚げで5位の京都は、豆腐・焼き豆腐でも14位となりました。
【訃報】仲本工事が交通事故 81歳 ややスサんだ私生活
超人気番組「8時だヨ!全員集合」の番組終了が1985年ですから、もう37年前
意識不明の重体
久しぶりに世間の注目を浴びて浮き上がってきたのは、ややスサんだ私生活
長生きするのも大変なようです
(T_T)
ザ・ドリフターズの仲本工事(81)が、10月18日午前9時過ぎ、横浜市内を歩行中のところをワゴン車にはねられた。
意識不明の重体
仲本工事は、2012年に再婚した演歌歌手の三代純歌(54)との家庭内トラブルを『週刊新潮』に報じられ、渦中にいるタイミングだった。
三代が、飼っていた犬猫と夫を置いて家を出たのは昨年7月。
以来、仲本は夫婦で営んでいたカラオケスナック『ピンクローズ』で生活をしているが、掃除が行き届いておらず、“ゴミ屋敷”のような状態。
1階部分の窓の隙間などから獣臭が漂い、2階は物置代わりに使われているのか、窓際にまで段ボール箱などが積み上げられている様子が外からもうかがえた。
▲カラオケスナック『ピンクローズ』
▲カラオケスナック『ピンクローズ』の場所 自由が丘の近く
▲拡大すると「仲本家JUNKAの台所」と表示されている
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【続報】10月19日22時22分、
急性硬膜下血腫のため、
満81歳で亡くなられました
動画は訃報前の作成です
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千駄ヶ谷ぎょえんトンネルとラクウショウ(落羽松)
▲外回りが「千駄ヶ谷ぎょえんトンネル」の中を、内回りが上を通る
東京都建設局は2022年10月13日、建設を進めている「環状第5の1号線」のうち、渋谷区千駄ヶ谷五丁目から新宿区内藤町までの「千駄ヶ谷地区」805mが、12月3日14時に開通すると発表しました。
新たにできるのは、明治通りの鳩森小学校西交差点から、新宿二丁目交差点の南側(御苑大通りの南端)にかけての区間です。
内回りと外回りを上下に重ねて道路の幅を絞り、新宿御苑と都立新宿高校の間をすり抜けるように走ります。
この開通により、明治通りで新宿を通過するときは、甲州街道(国道20号)と平面交差する新宿四丁目交差点や、伊勢丹に面した新宿三丁目交差点といった混雑箇所を迂回できるようになります。
東京都建設局によると、渋谷・新宿の両副都心を結ぶ道路ネットワークが強化されるほか、新宿駅周辺の交通渋滞の緩和による沿道環境の改善が期待されるといいます。
この「環状第5の1号線(千駄ヶ谷)」は、終戦直後の1946年の都市計画決定を経て、1991年に事業認可を取得しました。
事業費は約755億円に上ります。
事業認可から開通までは30年以上がかかったわけですが、これは途中で計画が大きく変わったことが影響しています。
当初、道路の幅は片側2車線が左右に並ぶ31~35mでしたが、2005年の都市計画変更で14~35mに縮小されました。
これは主に、新宿御苑のラクウショウ(落羽松)が関係しています。
当初の計画は、御苑の土地を多く削って道路を通すというものでした。
しかし道路用地がラクウショウの群生地の一部にかかっていたのです。
▲当初は、計画の範囲がラクウショウの群生地にかかっていた
御苑のラクウショウは明治20~30年代に日本で初めて植えられたもので、樹齢は120年以上、樹高は30m近くにまで達しています。
巨樹の間からはタケノコのような姿の気根がたくさん生えており、独特な景観を作っています。
ラクウショウ自体は他所でも見かけることがありますが、御苑にあるような大きな群生地は希少といえます。
▲新宿御苑のラクウショウ(落羽松)群生地
道路を通すにあたっては都と、御苑を管理する環境省との間で長期間にわたり協議と検討が実施されました。
1999年度に環境影響の調査が始まり、2003年度には調査結果を踏まえた道路構造案について都と環境省の間で基本合意に至り、2005年6月に道路を上下2層構造にして幅員を縮小する計画へと変更されたのです。
これにより新宿御苑と新宿高校の間を通る道路は当初計画のおよそ半分の幅になり、さらにトンネルが掘られました。
名称はひらがなを用いた「千駄ヶ谷ぎょえんトンネル」(長さ492m)です。
外回り(池袋方面)がトンネルの中を通り、内回り(渋谷方面)と歩道がその上の“屋上部分”を通ります。
事業は、2018年度末の時点で用地取得がほぼ終わっている段階まできていましたが、地下埋設物の輻輳や地下埋設インフラの整理・移設に時間を要するなどして、今回、ようやく開通にこぎ着けました。
なお、道路開通後も、横断歩道橋のエレベーター設置工事などは継続して実施されます。
10月2日終了 小田急デパート新宿店
▲小田急デパートの新宿店本館
渋谷に比べると再開発が
遅れていた感じの新宿ですが
ようやく始まるみたいです
(^_^;)
小田急百貨店の新宿店本館が、新宿駅西口の大規模再開発に伴い、2022年10月2日をもって営業終了する。
同年10月以降は、新宿西口ハルクを改装して営業を継続する。
1967年に全面開業した新宿店本館は、今や新宿西口の象徴的な建築物として、50年以上にわたって親しまれてきた。
新宿店本館跡地には、地上48階、高さ約260 メートルの超高層ビルを建設予定。
竣工は2029年度となる見込み。
▼跡地に建設予定の、地上48階、高さ約260 メートルの超高層ビル
坂タモリ港区編
ブラタモリで、地理や地学への造詣の深さを見せつけたタモリ氏が、18年ぶりの著書を出版しました
今回のテーマは港区で、私の現在の地元でもあるので、慣れ親しんだ坂がいっぱい登場して、超ウレシイです
実は港区は、都内でも有数の「坂の多い区」です
東京の地形は、山の手と下町に分かれてますが、その境目は地形的にかなりハッキリしていて、その境目には急な坂が多いのです
港区に住んでいるだけで、かなり足腰が強くなるような気がします
(^_^;)
タモリ氏、18年ぶりの著書!
「日本坂道学会」再結成を記念して、会長の山野勝氏も監修者としてお江戸と東京の坂を徹底ガイド。
今回は、江戸の坂道の二大双璧の一角、「港区」の不朽の名坂87坂を味わい尽くす。
前著「タモリのTOKYO坂道美学入門」から18年。
なんと、港区の名坂が再開発によって消失したり、高層ビルができたり、江戸の坂道を取り巻く風景はずいぶん変わった。
「坂道写真家」タモリ氏は、坂の写真を自ら歩いて改めて撮影。
今の東京と江戸の坂道がせめぎあう2022年の東京を、見事にカメラに収めている。
併せて自身のさまざまなエピソードもまじえて、坂めぐり、歴史めぐりのお散歩コースも14コース紹介する。
新発見&再発見満載の1冊に!
さらに本書は、江戸時代の古地図と現代MAPを同じエリアで徹底比較し、江戸の面白い文化の話も満載。
▲港区の古地図 芝増上寺付近
まさに「お江戸&東京 坂道バラエテイ」第1回、「港区の名坂編」である。
[本書で取り上げた主な「江戸の名坂」87坂14コース]
[三田の坂] 「幽霊坂」~「魚籃坂」~「聖坂」
[三田の坂] 「綱坂」~「神明坂」~「日向坂」
[赤坂の坂] 「薬研坂」~「九郎九坂」~「三分坂」~「丹後坂」
[赤坂の坂] 「南部坂」~「檜坂」~「氷川坂」
[赤坂の坂] 「本氷川坂」~「寄席坂」~「丹波谷坂」~「閻魔坂」
[虎ノ門の坂] 「江戸見坂」~「霊南坂」
[六本木の坂] 「雁木坂」~「道源寺坂」~「御組坂」
[六本木の坂] 「於多福坂」~「鳥居坂」~「芋洗坂」
[麻布台の坂] 「狸穴坂」~「植木坂」~「鼠坂」
[麻布十番の坂] 「暗闇坂」~「一本松坂」~「大黒坂」
[西麻布の坂] 「牛坂」~「狐坂」~「狸坂」
[南麻布の坂] 「釣堀坂」~「奴坂」~「青木坂」
[白金台の坂] 「蜀江坂]~「三光坂」~「明治坂」
[高輪の坂] 「洞坂」~「柘榴坂」~「桂坂」~「天神坂」
著者:森田一義
1945年福岡生まれ。早稲田大学中退後、芸能活動を開始。「ブラタモリ」「タモリ倶楽部」「ミュージックステーション」「タモリステーション」「世にも奇妙な物語」など人気番組で活躍中。博覧強記で多趣味で知られ、「日本坂道学会」副会長にして「坂道写真家」。著書に「タモリのTOKYO坂道美学入門」(講談社刊がある。
監修:山野勝
1943年広島県呉市生まれ。早稲田大学政経学部新聞学科卒業。講談社常務取締役を経て退職後、「坂道研究家」として活躍中。「朝日カルチャーセンター」「NHK文化センター」などで17年間「坂道講座」の講師を務める「日本坂道学会」会長で、著書に「大江戸坂道探訪」(朝日新聞出版)。「日本坂道学会」のオンライン講座も今年9月に開設。
「お江戸・東京 坂タモリ 港区編」
発行:(株)ARTNEXT
発売:日販アイ・ピー・エス
価格:1650円(税込み)
ISBNコード:978-4-910825-05-2
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