
あけましておめでとうございます
令和二年元旦


派手な格好で羽振りのいいイメージが強かった「金ピカ先生」が孤独死したというニュースは、日本中に衝撃を与えた。
それは、多くの人にとって彼の死に様が他人事に思えぬものだったからに他ならない。
「ハァ、ハァ、ハァ……早く死にたい」
8月下旬のまだ暑い日、本誌は生前の「金ピカ先生」こと佐藤忠志さん(享年68)を取材し、9月7日号の特集でその変わり果てた姿を伝えていた。
かつて築いた財産をすべて使い果たし、生活保護と、週に2回のデイケアサービスだけを頼りに生きていた佐藤さんの家は電気もガスも止められ、熱気がこもる寝室には、異臭が充満していた。
骨と皮だけのようになった身体にパンツ一枚の姿で、ガラス玉のような両目は、遠くを見つめたまま動かない。
口にするのは近所のコンビニで売られている格安のカップ焼酎と、タバコだけ。息も絶え絶えの様子で焼酎をあおり、ゴホゴホとむせる。

「山城(新伍)、梅宮(辰夫)、(菅原)文太、あの頃の東映ヤクザ映画は楽しかったですね……」
頭がもうろうとしているのだろう。予備校講師時代の思い出を尋ねても、会話が嚙み合わない。
取材中、佐藤さんの口をつくのは「自分は生きる屍」「何にも関心がない」「早く死にたい」という、絶望に支配された人間の言葉ばかりだった。
そして、この取材からわずか1ヵ月足らずで、佐藤さんは誰にも看取られることなく、たった独りでこの世を去った―。
バブル期に一世を風靡し、最盛期には年間2億円とも言われる収入を得ていた佐藤さんは、なぜこれほどまでにも哀しく、孤独な最期を迎えなければならなかったのか。

佐藤さんは、’90年代前半にはすでに講師を引退。その後は、知名度を活かしてタレントとして生活していたが、ブームはあっという間に過ぎ去り、収入は講師時代の100分の1以下に。
それでも、かつては毎日のように高級ホテルで食事をし、地方への移動も常にファーストクラスだった佐藤さんの放蕩ぶりは一向に収まらなかった。
「貯金はあっという間に減っていきましたが、決定打になったのは、なけなしのおカネを元手に出馬した’01年の参議院選挙でした。自民党から出馬したものの、落選してしまった」(佐藤さんの友人)
穴埋めのため、予備校講師時代に建てた「豪邸」も売り払った佐藤さんが、中野区内にある実家に妻と共に越してきたのは、いまから5年ほど前のことだった。
「もともと、あの家には佐藤さんの母親が住んでいました。お母さんはハデな人で、ヒラヒラのフリル傘を片手に真っ赤な帽子をかぶったりしていて、佐藤さんの独特のファッションセンスは母譲りだったと思います。
そんな母親が亡くなって間もなく、佐藤さんと奥様が引っ越してきた。あの頃はまだ元気で、『いくらの時計を買った』とか『収入がウン千万円あった』とか、昔の自慢話をよくしていました。でも奥様は常識人でね。いつも腰が低い人だった」(近隣住民)
金遣いの荒さは「金ピカ先生」の異名どおりだった佐藤さんだが、人柄については見た目とは裏腹に穏やかで、人を怒鳴るようなことは一切なかったという。
そして、周囲の人が口をそろえるのは、「人一倍仲の良い夫婦だった」ということだ。
「先生は温泉が大好きで、羽振りの良かった時代はいつも夫婦で伊豆や箱根に出かけていた。そういう旅行も、外食するときも、先生は絶対に奥さんを連れていました。
奥さんはお嬢様育ちで、実家は相撲部屋の後援会会長をしていたほど。先生とは対照的に常に地味な服装で、とても出来た人でした。旦那さんを常に立てていて『うちの佐藤がすみません』というのが口癖でした。
先生はおカネの管理がまったくできない人なので、カネ回りの世話は奥さんがぜんぶやってあげていました。誰かとご飯を食べるときはいつも先生の奢りなので、奥さんの鞄には100万円の束が入っていた。
先生が、講師を辞めてあまりおカネがなくなってからも、奥さんが先生のもとを離れることはありませんでした。10年ほど前に先生が脳梗塞で倒れた直後も、奥様は献身的に世話をして、きっちり断酒を成功させていました」(前出・佐藤さんの友人)
仕事以外のことはまるで何もできない夫と、半歩後ろを歩きながら身の回りを甲斐甲斐しく世話する妻。
典型的な「昭和のおしどり夫婦」の関係に亀裂が走ったのは、実家に移ってから2年ほどが経ち、夫婦の生活が本格的に困窮してからのことだった。
相変わらず近所の飲食店に行くにもタクシーを利用するような佐藤さんの暮らしぶりに妻は呆れ果て、二人の間には喧嘩が絶えなくなった。
ついには「死ぬまで住み続けていい」という条件のもと、知人に自宅を売り払い、そのカネで高級外車を買おうとした佐藤さんに妻の怒りは限界に達した。’17年のある日、突然家を出ていってしまう。
そこから、佐藤さんは死に至る孤独な日々を過ごすことになる。
〈もう女房に未練ないし〉
〈(独りで生きる余生は)バラ色ですよ、ずっと〉
昨年の夏に『スポーツ報知』の取材を受けた際には、以前の威勢の良さがまだ残っていた。だが、それは精一杯の強がりだった。
プライドと見栄の塊だった佐藤さんは、実入りが減って人に奢ることができなくなってからは、次第に友人たちとも没交渉になっていったという。きっと、「みっともない姿は見せられない」と思っていたのだろう。
そんな佐藤さんにとって、妻はありのままの姿をさらけ出すことのできる、唯一の相手だった。
その「たった一人」を失った瞬間から、佐藤さんの本当の苦しみが始まった。
誰もいない部屋で、話し相手もなくタバコをくゆらせながらぼんやりと過ごす毎日。
「過去の人」になっても、カネがなくなっても、病気になっても、多くの人が離れていっても、それでもそばにいてくれた妻が、ついにいなくなってしまった。
〈自分の人生には、もうなにひとつとして残されていない〉
決して取り返すことのできない過ちに気づいたとき、佐藤さんが感じた絶望はいかばかりだっただろうか。
気づけば、すっかり自暴自棄になり、心の痛みを少しでも紛らわそうと、朝から晩まで大量の酒をあおるようになった。
そして、昨年の秋には、デイケアサービスがないと生活できないところまで体調が悪化した。
デイケア施設の関係者が言う。
「地域包括支援センターの職員が様子を見に行った結果、『もう一人では生きられないから、サービスが入ったほうがいい』という判断になりました。
担当のヘルパーが佐藤さんの家に初めて足を踏み入れたとき、中は荒れ放題で、床のそこかしこに落ちたゴミが異様な臭いを放っていた。
できる限りのことはしようと思いましたが、当のご本人が生きる意欲をまったく持てなかった。当初はコンビニでサンドイッチなどを買っていましたが、次第に食べることすらやめてしまった」
電気もガスもつかない真っ暗な家のなかで、服をまとわぬ佐藤さんはじっと虚空を見つめ、微動だにしなかった。
このときの様子を「恐らく、完全な『自己放任』状態だったのではないか」と語るのは、遺品整理業「あんしんネット」の石見良教氏だ。
「『自己放任』は社会から孤立していた人が、死別や離婚で唯一の心の拠りどころだった人を失ったり、病気などの負の出来事に見舞われたりして、孤独に耐えられずに自暴自棄になってしまうことです。
とりわけ、佐藤さんのように子供のいない高齢男性はその傾向がより顕著になる。普通、人間は生ゴミの臭いに耐えられず片付けたくなるものですが、毎日ボーッと過ごしているうちに感覚が麻痺して、それが異常であることにすら気づかなくなってしまう」
すでにほとんど会話することさえままならなくなっていた佐藤さんだが、時折、妻への気持ちをこぼしていたという。
「よく言っていたのは『こうなったのも全部オレが悪いから仕方ないよな』と。もとから、奥さんの悪口を言うのは聞いたことがありませんでした。
自分が悪かったというのは重々わかっていたと思います。ごくたまに奥様が訪ねてくることがあったようで、そのときは嬉しそうに話していました」(前出・施設関係者)
羽振りが良かった時代を忘れられず放蕩を続け、すべてを頼り切っていた妻に愛想を尽かされる。
佐藤さんの辿った末路を、「自業自得」の一言で片付けるのは簡単だ。
しかし、どんな形にせよ、すべての夫婦に離別のときはやってくる。佐藤さんが襲われた絶望は、誰にとっても決して他人事ではない。
「連れ合いと離れた後、女性は『独りで生きなきゃ』と覚悟を決めて強くなる場合も多いのですが、男性の場合は、一気に弱ってしまう人が少なくありません。
近所付き合いや友人付き合いの多い女性にとって、夫は『たくさんある人間関係の一つ』に過ぎませんが、定年後に仕事関係のお付き合いがなくなった男性にとっては、奥さんとの関係は唯一無二のもの。
死別や離婚でそれが失われると、どうしていいかわからず、ただ呆然と立ち尽くしてしまうのです」(ケアマネージャーオフィス「ぽけっと」代表の上田浩美氏)
自分では何もできない男が独りになったときに襲われる、どうしようもない孤独。
人知れず最期を迎えた瞬間、佐藤さんがせめて絶望から解放されたことを願ってやまない。
「週刊現代」2019年10月12・19日合併号より
後継に道を譲らず ひたすらポストにしがみつく
醜い認知症ボケ老人もいるようですが
こうゆう清々しい引退劇も あるんですね~ (^_^;)
山梨県甲州市の田辺篤市長(74)が27日、市議会議長に辞表を提出し、受理された。
物忘れなどを理由に挙げ、来年1月末で辞職する。
市長選は2月上旬に実施される公算が大きい。
辞表提出後に記者会見し、
「年を取りしんどくなった。年には勝てない」
と語った。
特定の病気は否定したが、疲れや物忘れが目立つようになったと説明。
「30分前の話を忘れることもあり、妻から気をつけた方がよいと言われるようになった」
と明かした。
決断時期については、
「選挙のこともあり、4月までには新しい市長が誕生していないと(いけない)」
と話し、年度の区切りを考慮したという。
新年度予算については「骨格予算」との方針を示した。
現在4期目で、任期を2年近く残した辞職になる。
「自分ではそれなりのことはやってきた」
と市政運営を振り返った。後継については
「やりたい人が何人もいるので、あえて言いません」
と明言しなかった。
田辺氏は県議や旧塩山市長を経て、2005年の合併で誕生した甲州市の市長選で当選。
17年11月に4選された。
柴田さん行きつけのマレーシア料理が美味しいお店があるというので
「柴田さんとマレーシア料理を楽しむ会」(柴マ会)設立の運びとなりました
このお店のママさんは、もう日本在住19年だそうです (^_^;)

さっそく来年の手帳に
書いておきましょう (^_^;)

12月22日、東京都新宿区の都立新宿高校で「ティーボール教室」が行われた。
新宿高校はこれまでも「Shinjukuベースボールアカデミー」などの社会貢献活動を行ってきたが、今回は日本高野連の「200年構想」の「普及 子ども向けティーボール教室の開催」に準拠した、日本高野連公認のイベントだ。
当初はグラウンドでの開催を予定していたが雨の予報があったために、急遽大体育館で行われた。
田久保裕之監督は「初めてのことだから、何人が集まるか不安」と話したが、約20人の未就学児童が保護者に伴われて参加した。
田久保監督は軽妙な「お話」で、子どもたちをリラックスさせる。
命令口調ではなく「語りかける」口調だ。
まずは、ウォーミングアップとしてダッシュ、ベースランニング。
最初の段階で「ベースを回る」という経験をさせるのは、最後のティーボールゲームを理解させる上で非常に有効だ。
続いて柔らかいボールを使ってボール投げ。
自分でキャッチ、弾ませてキャッチ、そして選手のお兄さんとキャッチボール。
さらに転がるボールを「パクっ」と掴む体験も。
子供たちはボールを使う基本的な動作を身に着けた。
さらにボールを使った「的あてゲーム」「玉入れゲーム」この段階まで来ると、子どもはボールを自分から争って取りに行き、自分から進んで競技に取り組むようになる。
いよいよバッティング。まず選手が、フルスイングでボールをホームランを披露。
そして子どもたちはティーに置かれたボールを打っていく。
バッティングは、未就学児童でも個人差が出やすい。
特に女の子はティーのボールにバットが当たらないことが多い。
そこで田久保監督は段ボール箱の上にティーを置きボールを置いてバットで打たせる「箱ティー」も考案した。バットも少し太めにした。
これで、みんながボールでバットを打つ体験ができるようになった。
ティーボール教室の進行は田久保監督が行ったが、選手たちはイベントの趣旨をよく理解し、子どもがいいプレーをしたら褒めたり、ハイタッチをするなど大いに盛り上げた。
このイベントが、高校球児にとってどんな意義があるのかをよく理解していることが見て取れた。
最後は「どか点ティーボール」。
2面でゲームが行われた。
バットを使うゲームでは、子どもが打ったあとにバットを放り投げるのが危険だ。
今回は、コーンを倒し、その中にバットを入れる動作を子どもたちに教え込んだ。
攻撃側は子どもたち。守備側は子どもたちと選手。
1塁1点、2塁2点、3塁3点、本塁まで帰ってくれば4点が入る。走者は残らないスタイル。
子どもたちは歓声を上げて塁を回った。
通常、ティーボールでは、ゲームの当初は「塁の回り方がわからない」子どもが続出し、それを教えるのに少し時間がかかるが、ウォーミングアップでベースランニングを教えていたので、子どもたちはスムーズに塁を回ることができた。
小さいことのようだが、こうした工夫が、イベントの進行をさらにスムーズにする。
どちらが点が多く入ったかを競い、1時間20分でイベントは終了した。
途中で2回、給水タイムもしっかり取られた。
最後に記念撮影、そして今回は公認イベントで予算があったので、ボール、バット、コーンを使ったティーを子どもたちにプレゼントした。これも重要なポイントだ。
こうした体験は一過性のものに終わりがちだが、ボールやバットを持ち帰ることで、家でもこうした遊びに親しむことができる。
イベント後の保護者のアンケートでは「楽しかった」「子どもがこんなに楽しそうにしているのを久しぶりに見た」「お兄さん、お姉さんが優しかった」「野球ってこんなに楽しかったんだ」などのコメントが寄せられ、評判も上々だった。
こうした取り組みは「200年構想」発表以降、全国で行われているが「誰のための、何のための取り組みなのか」を選手がはっきり理解することがポイントになる。
新宿高校の取り組みは、自分たちが大好きな野球の楽しさを子どもたちにも伝えようという熱意がはっきり見て取れたのが有意義だった。
毛沢東時代の集団ヒステリー(文化大革命)で
知識人を大量虐殺した中国は 民度が劇的に低下し
ウソと裏切りが日常化してしまった ((((;゚д゚))))
ネパールの首都はカトマンズ、昨今は中国人が闊歩し、日本食レス
大声で騒いでいるのは中国
カトマンズは地震に襲われて一時、中国人ツアーが姿を消し、ネパールに平穏が訪れていたが、またもや中国人が舞い戻ってきた。
カトマンズと中国の幾つかの都市とは直行便で結ば
12月23日、カトマンズ警察が中国人ハッカー犯罪者集団のアジ
かれらはVISAカ
インドネシアで85名、カンボジアのシアヌークビルでも大がかり
一方、米国ではハッカー「ゴールドサン」(黄金の太陽)という暗
一年八ヶ月、
凶悪な中国人犯罪者・愈平安のハッキングで被害を受けた企業はクアルコム、航空・防
凶悪な中国人犯罪者・愈平安はマルウェアのブローカーで、コンピューターを遠隔操作できる
マルウェア「Sakula」は数千万人の個人情報が漏えいした米健康保険大手ア
中国人民解放軍ならびに中国国家安全省が、日米欧企業のハイテク技術を盗
中国外務省は「関知していない」としらを切り、「我々はいかなる
日常的にウソをつく中国政府の言い分を信じる人はいない。
今はタイの一番よい季節なので
気持ちは分からんでもないけど
次回はちゃんと休暇を取ってね (^_^;)
虚偽の届け出で市議会議会運営委員会を欠席し、タイへ旅行していた兵庫県姫路市議会議員の井川一善(49)=自民、3期目=が帰国し、23日の議運委で
「公務より私的なことを優先させてしまった」
と釈明した。
「一から出直したい」
と述べて議員辞職は否定した。
井川市議は所属する議運委で
「市民の名誉と市議会の信頼を失墜させてしまった。後悔しかない」
と謝罪。
旅行した理由について
「バンコク在住の十数年来、世話になっている人の健康状態が悪いと聞き、見舞いをするため」
と述べた。
議運委の委員の辞職を市議会議長に申し出て、受理された。
井川市議は今月16日付で議運委員長に対して文書で
「病院で検査をするため」
とする虚偽の届け出をし、20日の議運委を欠席。
19日に同居する女性らと一緒にタイのバンコクへ向かい、22日に帰国した。
立憲民主党の衆院議員、強姦魔・初鹿明博は20日、強制わいせつの疑いで書類送検されたことを受け、同日付で離党届を提出したと発表した。
報道各社宛ての文書で強姦魔・初鹿明博は「捜査機関の判断を待つ身でありますが、このような事態を招いたことに鑑み、離党届を提出しました」とした。
強姦魔・初鹿明博を巡っては2015年5月、タクシー内で知人女性にわいせつな行為をしたとして、警視庁葛西署が今月10日に書類送検した。