71【事件事故】

テロ90人死亡 アフガニスタン

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▲爆発で地面に出来た穴

アフガニスタンの首都カブール中心部の大使館街で5月31日朝、爆発物を積んだ大型車が爆発を起こした。

自爆テロとみられ、少なくとも90人が死亡し、400人以上が負傷した。

現場は大統領府にも近く、警備が比較的厳しいとされてきた。

反政府勢力の攻勢でアフガン政府の支配地域が縮小するなか、治安回復は難しさを増している。

爆発はドイツ大使館付近の大通りで、各国の大使館職員らの通勤時間に起きた。

飲料水の運搬車を装って爆発物を積み込んだ大型車が爆発したもようで、付近を走行中だった数十台の自動車も大破した。

アフガンのガニ大統領は「残酷で卑劣な攻撃の犠牲者を悼む」と非難した。

ラマダン(5/27-6/25)は まだ始まったばかり

日本が狙われない という保証はありません (;´Д`)

 

英国で自爆テロ

WS000000米歌手アリアナ・グランデさん(写真左)がコンサートを行っていた英マンチェスターの会場で5月22日、爆発が発生した。

警察によると、少なくとも19人が死亡し、約50人が負傷した。

米当局者2人は匿名を条件に、現時点で1人の自爆犯が引き起こしたものと考えられると述べた。

メイ英首相は、「テロ攻撃」として捜査していると語った。

そうであれば、2005年7月に英国イスラム教徒4人がロンドンで地下鉄やバスを爆破し、52人が死亡した事件以来の、同国における最悪の武力攻撃となる。

コンサートが行われたマンチェスター・アリーナは、欧州最大の屋内アリーナで、2万1000人収容可能。会場には子供も多くいたという。

目撃者がロイターに語ったところによると、コンサート後に開場を出ようとしていたところ、大きな爆発音が聞こえた。

会場にいた人々は、悲鳴を上げて外に避難しようと走ったという。

ツイッターに投稿された動画には、コンサート会場内の人が悲鳴を上げて走っている様子が映っている。

ラマダン(5/27-6/25)とその前後はテロ危険期間です

人の集まるところは なるべく避けましょう  (;´Д`)

犯人の詳細へ

ラマダン5/27-6/25

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米南部フロリダ州オーランドで昨年2016年6月12日(日)未明、29歳の男がナイトクラブで自動小銃を乱射し、死者50人、重軽傷53人という大惨事が起きた。

オバマ大統領は同日、ホワイトハウスから国民向け緊急表明を発表し、「テロ行為であり、米国史上最悪の銃撃事件だ」と述べている。

犯人は、米特別部隊に射殺されたが、イスラム過激派テロ組織「イスラム国」(IS)は同日、間接的ながら犯行声明を明らかにしている。

犯人の両親はアフガニスタン出身で、本人はニューヨーク生まれで米国籍を持つ。

テロ組織との関係は不明だが、ISは「ラマダン期間、欧米社会へテロを実行せよ」と呼び掛けてきた経緯がある。

ラマダンとは、イスラム暦の断食月。健康な人は日の出から日没まで飲食を絶つ決まりがある。

欧米のテロ問題専門家は、「ラマダン期間はテロの危険性が高い」と警戒を呼び掛けてきた。

オーランドの犯人の場合、詳細は不明だが、明らかな点は、ラマダン期間にテロ事件が発生してきたという事実だ。

ラマダン期間は毎年異なるが、今年2017年は5/27-6/25である。

日本国内なら絶対安全

という保証はありません (;´Д`)

 

 

第23回「朝陽クラブ」開催


田中同窓会長による開会挨拶と乾杯

第23回「朝陽クラブ」で五味政信さん(23)がショートスピーチ

講演と懇親の夕べ「朝陽クラブ」の第23回は平成29年3月8日(水)18:00~20:00、 クルーズ・クルーズ新宿店(レインボービレッジ9F)で行われ、五味政信さん(23)が「『五味版 学習者用ベトナム語辞典』を編んで」と題してスピーチされました。

東京外語大ベトナム語学科卒業の後、同大学留学生日本語教育センター、東工大留学生センターを経て、現在は一橋大学名誉教授・特任教授を務める、ベトナム語教育の第一人者の五味さんは、ご自身が2014年に出版された『五味版 学習者用ベトナム語辞典』を引用しながら、ベトナム語の特徴をユーモアを交えて軽妙に解説されました。
さらに5分間は【ここで体験】参加者にベトナム語を直接法で学んでみましょう!として、参加者に発音法と簡単な会話のレッスンをされ、参加者を楽しませて下さいました。

そのエッセンスを盛り込んだ当日のレジュメはこちらです
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コレステロール

私(小杉)はコレステロール値が 従来の基準値(上限220)より高い(250前後)です

下げるクスリは今まで飲まないできました どうもそれで良かったみたいです

いろいろ調べたら 基準値のエビデンス(科学的根拠)が 非常にあいまいなんです

多くの専門家が 「コレステロールの基準値が低すぎる!」 と批判していたのに

基準値を決めた専門家(医者)や学会は スッキリした説明をしませんでした

私には、クスリを多く売るためにビジネス目的で決めた恣意的な数字に見えました

全ての生活習慣病の基準値が怪しいとは言いませんが 鵜呑みにするのは危険です

これからも好きなビールや焼肉を 大いに飲み食いしようと思っています (^_^;)

安藤昇 死去

img_0-260x300 元「安藤組」組長で作家、俳優の安藤昇(あんどう・のぼる)さんが16日午後6時57分、肺炎のため東京都内で死去した。89歳。葬儀は近親者で営む。後日、お別れの会を開く予定。

安藤さんは大正15年、新宿生まれ。戦中は海軍の特攻隊員となり、復員後の昭和27年、愚連隊がもととなる安藤組を結成。

東京・渋谷を拠点に活動を始め、都会派のスマートなヤクザ(?)として有名になる。

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作家の安部譲二(→)も、中学生の頃から末端組員として安藤組に出入りしていた。

安藤組は、実業家の横井英樹(後に、火災を起こした「ホテルニュージャパン」の社長)を襲撃する事件を起こし、組長だった安藤さんは恐喝容疑で逮捕され、服役したこともあった。

出所した昭和39年に、安藤組を解散。

その後は映画界に転身、昭和40年に自伝を元にした「血と掟」で俳優デビュー。

50本以上の作品に出演したほか、映画プロデューサーとしても活躍した。

主な出演作に「網走番外地 吹雪の斗争」「昭和残侠伝 破れ傘」「新仁義なき戦い」など。

また作家としてエッセーなど多くの作品を発表した。

主な著書に「激動」「自伝 安藤昇」など。

特攻隊員→愚連隊→組長→横井襲撃→刑務所→俳優→作家

何ともド派手な人生を 太~く長~く 生きた男ですね  (^_^;)

 

毎日新聞「母校を訪ねる」シリーズ 最終回

6月から3カ月にわたって連載してきた「母校をたずねる」東京都立新宿高校編。

紙面と毎日新聞ニュースサイトで募集した「私の思い出」には、多くの卒業生の読者の方からご投稿をいただきました。

最終回の今回、その一部を紹介します。

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ベルリン・フィルとパナソニックが協力

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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下、ベルリン・フィル)とパナソニック株式会社(以下、パナソニック)は、4K・HDR・ハイレゾ技術を用 いて、コンサートホールでのライブ体験を、高品位かつリアルにご家庭や車室内に届ける可能性を追求すべく、技術開発の協業を進めることで基本合意しまし た。 続きを読む

毎日新聞「母校を訪ねる」シリーズ

WS000000元新宿高教師・佐藤喜一さん

新宿高校1948年度卒

 東京都立新宿高校の長い歴史の中には、多くの名物教師が存在した。新制高校第1期の卒業生で、国語教師として24年間母校の教壇に立った佐藤喜一さん (86)=1948年度卒=もその一人。「新宿高のレジェンド」が、30年にわたる母校の日々を語った。

 生まれは東京都の北区十条。池袋にあった豊島師範付属小に通い、同級生が多く行ったので新宿高の前身の旧制府立六中に進学を決めました。入学した年は 1943(昭和18)年4月の戦中期。入学式翌日は明治神宮に参拝。朝礼の時はまず皇居遥拝(ようはい)、続いて新宿御苑に最敬礼でした。

 勉強もしましたが、軍事訓練が多かった。夏休みは陸軍の兵営で行軍などの訓練。中学2年の時には勤労動員で軍需工場へ行きました。給料は月給30円。戦後に支払われたけど、物価が急に上がり、焼け石に水でした。

 終戦後、学校は一変しました。それまで「お国のために」というのに、急に「民主主義とは」なんて。不信感を持ちました。授業はあってもテキストがない。英語の木村武雄先生は小泉八雲の怪談をガリ版刷りにしてオリジナルのテキストを作ってくれました。

 戦後、部活動も始まりました。鉄道が好きだったので、仲間と鉄道研究会を作り、部品を集めて「Oゲージ」の鉄道模型を作り文化祭で走らせました。

 学校近 くの伊勢丹本店が接収され進駐軍の宿舎でした。部活で帰りが遅くなった夕暮れ、校門を出ようとすると派手な化粧をして米軍兵士を相手とする女性がたむろし ている。ちらりと横目で見ながら「負けたんだ」とつぶやいたものです。

 49年、旧制中学から新制高校に変わった都立第六高(50年に新宿高に校名変更)の第1期生として卒業し、鉄道のエンジニアになりたくて、東京都立大工 学部に入学。その後、教養課程で学んだ文学の方に興味を持って、国文学専攻で卒業、さらに修士課程まで進み、国語教師になりました。

 都立富士高を経て青山高で教えていたころ、新宿の5代目校長の沢登哲一先生が、「母校に帰って来いよ」と声をかけてくださった。そして、先生が退職され た63年春から母校で働くようになったんです。沢登校長は名物校長の誉れ高き方。豪放磊落(らいらく)でお酒好き、教員にも心酔者が多かった。

 先生方もユニークな方が多かったです。いろいろな教員がいる中でも一致していたのは、「私たちの職場は私たちできちんと運営していく」というところで す。当時教頭は教員の中から互選していました。校務分掌も、一切教師が決めました。そういう自主的な校務運営が、自主性を尊重する新宿高の校風を育てたよ うに私は思います。

 教師としての私を支えてくれた言葉があります。「学ぶとはこころにまことを刻むこと。教えるとはともに未来を語ること」。フランスの詩人ルイ・アラゴン の言葉です。必ずしも、この通りに実践したとも思っていませんが、一人一人の可能性の灯を、いかにしたら美しく燃焼させることができるか、考えながら生き てきたつもりです。

 新宿高の魅力は、御苑のみどりから知らず知らずのうちに薫陶を受けているといったところでしょうか。旧制六中校歌の一節に「木々の翠(みどり)を見やり つつ 学ぶ心の清きかな」とあります。これがとってもいい。都心の真ん中にありながら、御苑のみどりを感じながら、朝日のごとくさわやかな生徒たちと過ご せたことは、実にありがたい人生だったと思っています。

記憶に残る「名物先生」 ユニークな授業で慕われ

 新宿高校には多くの生徒が記憶にとどめる「名物先生」が多数在籍した。兼職が認められた時代は進学塾講師を兼任したり、専門性を磨いて大学の教授に転職した先生も。10年、20年と長期在籍する先生も数多くいた。

 1970年から20年間在籍した音楽担当教諭の野村満男さん(81)は、日本のチェンバロ製作・研究の第一人者としての顔も持つ。「基本はバロック音楽 にあり」との思いから、関わりの深いチェンバロを使った指導を思い立ち、試行錯誤の末、手作りで完成させたのがきっかけ。生徒に実際にチェンバロを製作さ せてバッハを演奏させ、評判を呼んだ。坂本龍一さんの教育実習の際の指導教官も務めるなど、多くの音楽家を育てた。

 50年から22年間在籍した英語担当の澤正雄さん(故人)といえば、名物「くるくるとん」。教え子の斎藤成(はかる)さん(61)=72年度卒=による と、ペンをくるくる回して出席簿に落とし、そこに名前のある生徒から当てて授業を始めたことから、この異名がついた。

 毎回、当てられた生徒の悲鳴や当たらなかった生徒の安堵(あんど)の声が教室に響いたという。慕う生徒も多く、退職後、卒業生有志が澤さんにまつわる本 を2冊自主出版した。斎藤さんは「生徒を優しく厳しく見つめてくださり、感謝している」と振り返る。=次回は最終回。26日に、卒業生の読者からいただい た「私の思い出」を掲載します


卒業生「私の思い出」募集

 都立新宿高校(旧府立六中含む)の卒業生のみなさんから「私の思い出」を募集します。300字程度で学校生活や恩師、友人の思い出、またその後の人生に 与えた影響などをお書きください。卒業年度、氏名、年齢、職業、住所、電話番号、あればメールアドレスを明記のうえ、〒100−8051、毎日新聞地方部 首都圏版「母校」係(住所不要)へ。メールの場合はshuto@mainichi.co.jp.へ。いただいた「思い出」は毎日新聞やニュースサイトで紹 介することがあります。新聞掲載の場合は記念品を差し上げます。


さとう・きいち

 1930年東京生まれ。東京都立大学大学院修士課程(近代日本文学専攻)修了。新宿高での教え子には芥川賞作家の絲山秋子さんもいる。退職後は駿台予備 学校講師などを務め、現在は鉄道エッセイストとして活躍。著書に「汽笛のけむり 今いずこ」(第25回交通図書賞受賞)など。