80【ヒストリー】

宴会の儀

20200223-00036265-bunshun-000-view

天皇陛下の即位後初めてとなる60歳(還暦)の誕生日を祝う「宴会の儀」が23日、皇居・宮殿で行われ、安倍首相ら三権の長、国会議員ら計約450人が出席した。

一般参賀は、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、中止された。

モーニング姿の天皇陛下は午後1時頃、ロングドレス姿の皇后さまとともに宮殿・豊明殿にお入りになり、

「誕生日にあたり、皆さんと祝宴をともにすることを誠にうれしく思います」

と述べられた。安倍首相は、

「天皇皇后両陛下のご健康と皇室のご繁栄を心からお祈り申し上げます」

とあいさつした。

天皇、皇后両陛下と皇族方は、三権の長や国会議員らとともに和やかに会食された。

両陛下は午後3時から、宮殿・春秋の間で「茶会の儀」に臨み、同日夕、お住まいの赤坂御所で長女愛子さま、秋篠宮家の長男悠仁さまからお祝いを受けられる。

夜には、秋篠宮ご一家、妹の黒田清子さん夫妻らとお祝い御膳を囲まれる。

十三代目

ent2002070002-p1

pattern_teishiki_maku

 

 あの事件と 奥さんのご不幸で

  すっかり「良い子」になった海老蔵さん

 芸の肥やしは 足りてる?  (^_^;)

 

今年5月に十三代目市川團十郎白猿(いちかわだんじゅうろうはくえん)を襲名する歌舞伎俳優の市川海老蔵(えびぞう)(42)が7日、長男、堀越勸玄(かんげん)くん(6)と東京都内で記者会見に臨み、「気負わず、慌てず、しっかりやれることをやりたい」と意気込みを語った。

OBJET-001

6月に八代目市川新之助を名乗り、「外郎売(ういろううり)」で初舞台を踏む勸玄くんも「楽しみです。がんばります」と話した。

市川團十郎は、江戸時代から続く歌舞伎の大名跡(だいみょうせき)。

海老蔵の父、十二代目團十郎が平成25年に死去したため、團十郎の名跡は7年ぶりの復活となる。

東京・歌舞伎座での襲名披露興行は5~7月に行われる。

襲名披露狂言は、七代目團十郎が家の芸を集めて制定した「歌舞伎十八番」のうち「勧進帳」「助六」など、團十郎家ゆかりの代表的な演目が上演される。

「勧進帳」で武蔵坊弁慶を演じる海老蔵は、

「命がけで向き合う男の姿と、團十郎を襲名する私の姿が

 重なるようにできたらいいかなと思っている」

と語った。

市川海老蔵は昭和52年、十二代目市川團十郎の長男として東京に生まれた。

58年5月、「源氏物語」の春宮(とうぐう)で初お目見え。

60年5月、「外郎売」の貴甘坊(きかんぼう)で七代目市川新之助を名乗り、初舞台。

平成16年5月、「暫(しばらく)」の鎌倉権五郎(ごんごろう)ほかで十一代目市川海老蔵を襲名した。

ebizoten_poster

001

 

遊園地「としまえん」閉園へ

2018-12service_center-map

00

 

 太田くんを囲む会で行った

  豊島園温泉「庭の湯」

 どうなるんだろう?  (^_^;)

 

遊園地「としまえん」(東京・練馬)を2020年以降、段階的に閉園する検討をしていることが、3日分かった。

跡地の一部には米映画大手ワーナー・ブラザースが人気映画「ハリー・ポッター」のテーマパークを23年春にも開業し、東京都が防災機能を備えた公園を整備する方針だ。

https___imgix-proxy.n8s.jp_DSXMZO5516479003022020I00001-PB1-2

ワーナーと西武HD、東京都などが交渉を進めている。

としまえんは1926年(大正15年)に開園した遊園地で、プールや温浴施設を備える。

としまえんのプールや遊戯施設を順次閉鎖して、西武HDグループが保有する約20万平方メートルの敷地の一部をワーナーが借りて、映画撮影に使われたセットを再現したテーマパークを建設することが検討されている。

残りの土地は都が買収して、一帯を大規模公園として整備する方向だ。

 

訃報 宍戸錠(ししど・じょう)

images

「エースのジョー」の愛称で親しまれ、日活アクション映画などで活躍した俳優の宍戸錠(ししど・じょう)さんが東京都世田谷区の自宅で死去したことが21日、警視庁などへの取材で分かった。

86歳だった。大阪市出身。

警視庁などによると、宍戸さんが死亡しているのが見つかったのは21日未明で、事件性はないという。

日大在学中の1954年、日活の第1期ニューフェイスに合格し、中退して日活に入社。

「警察日記」で本格的に映画デビューした。

頬を膨らませる整形手術をして以降、アクション映画で活躍。

気取ったしぐさが個性となり、小林旭さん主演の「渡り鳥」シリーズなどで欠かせない敵役として人気を得た。

 

無法地帯レバノン

magPeri200120lebanon-top-thumb-720xauto-181091

▲銀行を襲うデモ隊(1月14日、レバノンの首都ベイルート)

images

 

 日本の司法制度を批判して

  無法地帯レバノンに逃げたゴーン

 親イスラエルだったことがバレて

  反体制派に命を狙われています

 身の危険を感じたら また箱に入って

  日本に逃げて来るかも~  (^_^;)

 

日産元会長のカルロス・ゴーンの逃亡先レバノンが、政治・経済危機に揺れている。

1月15日、首都ベイルートでデモ隊が治安部隊と衝突し、多数の負傷者が出た。

その前日には、ドルの預金引き出し制限に激怒した抗議者たちが、銀行を襲撃したばかりだった。

1月18日、19日にもデモ隊と治安部隊の衝突があり、2日間で負傷者が490人超となっている。

反体制デモは10月半ばから続いているが、国民の怒りは銀行にも向けられている。

金融危機を回避するため、多くの銀行が引き出しを月約1000ドルまでに制限しているからだ。

預金者は自国通貨レバノンポンドでの取引を余儀なくされているが、同通貨は対ドルで急落している。

WS000000

羽田空港

lif1912010028-p1

kuukou

 

 羽田空港は都心から近くて とても便利です

  不便な成田空港は 貨物専用空港にして

 旅客は羽田に 集約して欲しいです  (^_^;)

 

東京・羽田空港。

展望デッキの目の前をさまざまな飛行機が轟音(ごうおん)を響かせ飛び立っていく。

方角は同じでも、それぞれ違った軌道を描き、風に翼を乗せていった。

羽田空港の歴史は1931(昭和6)年、53ヘクタールの敷地に1本の滑走路を敷いた「東京飛行場」から始まる。

戦後、米軍に接収されるなどしたが55(昭和30)年に空港ターミナルがオープン。

そして、日本の経済成長、人口増加に合わせ拡張と再開発を重ねてきた。

海外渡航の自由化、ビートルズ来日、ジャンボ初飛行…。

羽田空港はエポックメーキングな出来事の舞台となった。

今や約1500ヘクタールの敷地に3つの旅客ターミナル、4本の滑走路を備え、面積、発着回数、乗降客数いずれも日本最大の空港だ。

国内、国際線を合わせて1日に計約1200回の発着が行われる

朝から夕方まで離着陸する航空機を撮影した。

空気が澄んだ日、午前8時半から午後5時まで、羽田空港の滑走路を離着陸した計70機を、三脚を据えて撮影した。

すべて同じ画角で撮った機体を、その軌道上で1機につき1枚切り抜いて合成してみた。

するとそこには、大空を埋め尽くさんばかりに混雑する首都の玄関口の姿が現れた。

2020年夏、選手や観客がこの空港に降り立ち、東京五輪・パラリンピックへの熱い第一歩を踏み出していく。

lif1912010028-p2

▲1972(昭和47)年の羽田空港

 

世田谷の猫寺

prm1904180002-p1

 

 世の中には 猫派と犬派がいますが

  井伊家・近江彦根藩は 猫派の代表です

 徳川家は? タヌキ派?  (^_^;)

 

前足を上げて、福を招いてくれるという「招き猫」。

お店などで飾られているのを目にする機会は多いだろうし、家に飾っている方もいるだろう。

諸説あるものの、そんな招き猫さんたちの元祖が東京・世田谷区にある『豪徳寺』だという。

なんとその『豪徳寺』は、猫好き大歓喜の猫さんだらけなお寺らしい。

ということで、さっそく行ってみたよ〜!

続きを読む

天皇皇后両陛下 伊勢神宮ご参拝

isejingu_torii

 

 皇后陛下雅子さまが「お若い」と話題です

  最近はご表情も明るくなられたようで

 とても喜ばしいことだと思います  (^_^;)

 

天皇皇后両陛下は、「即位の礼」と「大嘗祭(だいじょうさい)」が終わったことを伝える儀式として伊勢神宮に参拝するため、21日から三重県を訪問されています。

両陛下が伊勢神宮を参拝されるのは、天皇陛下のご即位後、初めてです。

両陛下は、21日午後0時半前に、JR東京駅の貴賓玄関に到着されました。

両陛下は東海道新幹線のホームで、見送りに来た山東参議院議長などからあいさつを受け、にこやかな表情で一人ひとりとことばを交わし、臨時の専用列車に乗り込まれました。

両陛下が伊勢神宮を参拝されるのは、天皇陛下の即位後、初めてで、歴代天皇に伝わる三種の神器の剣と曲玉が持ち出され、側近の職員によって、列車の中に持ち込まれました。

両陛下は名古屋駅で私鉄の専用列車に乗り換え、午後4時半前に三重県伊勢市の近鉄宇治山田駅に到着されました。

AS20190501000835_comm

駅前では詰めかけた大勢の人たちから大きな歓声があがり、両陛下は、笑顔で手を振って車に乗り込まれると、歓迎にこたえながら宿泊先の伊勢神宮の内宮(ないくう)に向かわれました。

沿道では薄暗い中、子どもからお年寄りまで1万人を超える人たちが、手や小旗を振って歓迎し、両陛下の車列は、スピードを落として集まった人たちの前をゆっくりと進んでいました。

両陛下は、午後5時すぎに内宮に到着され、入り口にある宇治橋を車でお渡りになって、宿泊先の行在所(あんざいしょ)に入られました。

行在所では、天皇陛下の妹で伊勢神宮の主な祭りをつかさどる「祭主(さいしゅ)」を務める黒田清子さんらがお出迎えしたということです。

両陛下は22日は伊勢神宮の外宮に、23日は皇室の祖先とされる「天照大神」をまつる内宮にそれぞれ参拝し、「即位の礼」や「大嘗祭」が終わったことを伝えられる予定です。

天皇皇后両陛下を歓迎しようと、伊勢神宮内宮近くのおはらい町では、ちょうちん行列が行われました。

ちょうちん行列は、伊勢市や地元の商工団体などで作る委員会が企画し、およそ2000人の参加者は、21日午後6時半すぎから高さ20センチほどの赤と白のちょうちんを受け取り、道いっぱいに並んでゆっくりと、おはらい町を歩き始めました。

いくつものちょうちんの明かりが揺れる中、参加者は宇治橋に向かって歩いていました。

ことし4月に今の上皇さまと上皇后さまが三重県を訪問されたことを歓迎するために行われたちょうちん行列では、ちょうちんにろうそくが使われていましたが、委員会によりますと、今回は安全対策としてLEDライトを点灯させているということです。

伊勢市の40代の男性は

「昭和、平成、令和と時代の流れを感じながら行列に参加しました。

 令和の時代が明るい時代になってほしいです」

と話していました。

▲現在の上皇さまと上皇后さまを歓迎するちょうちん行列

ことし4月に三重県にて

 

濱田美栄 信長の子孫をイジメる

201x251xd0096ec6c83575373e3a21d1

▲濱田美栄

 

hototogisu_oda_nobunaga

 

 世が世なら 殺してしまえ ホトトギス

 

 フィギュア男子の五輪代表だった織田信成氏(32)が、関西大学のアイススケート部でハラスメント被害を受けたことが監督辞任の原因と明かした問題で、織田氏が同大の濱田美栄コーチ(60)に民事訴訟を提訴したことが18日、週刊新潮の取材で分かった。

 織田氏は18日の午後2時から大阪地裁の「大阪司法記者クラブ」で会見に臨んで経緯を説明、記者の質疑応答なども行われる予定だという。

母校だから当然だとはいえ、織田氏と関西大学の縁は深い。

e7df91f8637be647f1bb195edc615aa0_1574065943_1

織田氏は大阪府立阿武野高校から関西大学文学部に進学。

2010年にバンクーバー五輪に出場すると、11年3月に大学を卒業した。

同年4月から大学院に進み、15年に修了。

最終学歴は「関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程修了」となっている。

17年に母校スケート部の監督に就任したのだが、今年9月、関大などが退任を発表、メディアは一斉に報道した。

ここでは朝日新聞の記事「織田氏が関大監督を退任 アイススケート」をご紹介しよう。

《関西大学は9日、アイススケート部の織田信成監督兼コーチが同日付で退任したと発表した。後任は未定。同大広報課の担当者は取材に対し、「他の活動が多忙で、監督業との両立が難しくなったのが理由と聞いている」と話した》

ところが織田氏は9月下旬、自身のブログに記事「関西大学アイススケート部監督辞任について」を掲載、関大の説明に異議を唱えた。

《関西大学アイススケート部監督辞任について、一部事実とは異なる報道がありましたので、自分の口から説明させて下さい》

《多忙を理由に監督を辞任したわけではなく、また関西大学との話し合いの場で「多忙で監督として十分な時間が取れない」とは一言も話していません。

辞めた本当の理由は、リンク内で濱田美栄から私に対して嫌がらせやモラハラ行為があり、その影響で今年春頃から体調を崩すようになり、辞任するまでの3ヶ月間リンクに行く事が出来なくなった事とそれに対する関西大学の対応が誠意あるものに思えなかったからです》

これに関大は9月30日、公式サイトに「織田信成さんのブログでの発信について」との反論記事を掲載した。

反論記事で関大は《指導方法をめぐって同部内で意見の相違があったことは認識しています》とし、織田氏が《7月1日に学長に対して所属事務所、弁護士が同席のもと、指導方法等に関する強い要望》が行われたことも認めた。

しかしながら、《時間をかけて複数の関係者に対してヒアリングを行ってまいりましたが、総合的にみてその要望を受け入れることは妥当ではないと判断》したと説明した。

 この状況に週刊新潮が取材を進めると、最終的に織田氏は編集部の“直撃取材”に応じ、記者に重い口を開いた。

10月23日にデイリー新潮が「織田信成が初激白 “関大の女帝”濱田美栄のハラスメントで『うつ状態』に…監督辞任の真相」を速報、翌24日から発売された「週刊新潮10月31日号」には特集記事「『織田信成初激白!』僕は『関大の女帝』濱田美栄に排除された」が掲載された。

これらの記事で織田氏は、自身の退任が関大スケート部の濱田美栄コーチからのハラスメントが原因だったことを明らかにした。

発端は監督就任直後に遡る。

関大のスケートリンクには安全確保のため「1人のコーチがリンクで同時に指導できるのは3人まで」とのルールが設けられていた。しかし“濱田チーム”のサブコーチが5人以上の選手をリンクで滑らせていたのを織田監督が目撃した。

織田監督は濱田コーチに「危ないのでやめてもらえませんか」と申し入れた。

そもそも、このルールは濱田コーチが作ったのだという。

ところが予想に反し、なぜか濱田美栄は「アンタは間違ってる!」と激昂。

以来、濱田美栄はあからさまに織田監督を無視するようになったという。

《「ええ……、そうですね。スケート場で僕とすれ違いそうになると、濱田美栄は直前で“回れ右”をしてしまう。僕とは口も利きたくない様子でした。濱田美栄が僕の方を見ながら他のコーチとヒソヒソ話をすることも増えました。陰では“織田君は監督になってエラそうになった”“監督の権力でスケート部の伝統を変えようとしている”などと嘘を言いふらされて精神的に追い込まれたのです」》(デイリー新潮「織田信成が明かす監督辞任劇の舞台裏 『僕は“関大の女帝”濱田美栄に排除された』」11月4日より)

決定的な亀裂が入ったのは今年1月。関大の体育会は“文武両道”がモットーなのだが、スケート部の一部には成績が低迷している部員も存在した。これを憂慮した織田監督は、勉強時間を確保するため練習時間の変更を提案。濱田コーチも承諾したのだが、3月から実際に時間が変更されると、態度が変わったという。

《「濱田美栄がイラ立つようになって、“この練習時間は評判が悪い!”“これじゃ、子どもたちの練習ができない!”と僕を直接怒鳴るようになった。挨拶も無視され、これまで以上に陰口を叩かれました。以前にも増して濱田美栄による嫌がらせが続き、3月下旬には40度の高熱を出して起き上がれなくなった。結局、10日近く入院することになって、予定していたアイスショーや他の仕事もキャンセルせざるを得ませんでした」》(デイリー新潮「織田信成激白!  “関大の女帝”濱田美栄の『恫喝』と『嘘』と『無視』でうつ状態に追い詰められ…」11月5日より)

記事の最後に織田氏が監督辞任に追い込まれた経緯と、ひどいうつ状態に陥った部分をご紹介しよう。

《度重なるハラスメントの末、ついに織田は“うつ”状態に陥ってしまう。

「6月に入ると耳鳴りがやまず、眩暈(めまい)や吐き気に襲われ、“リンクに行きたくない”と思うようになった。それからの3カ月間は一度もリンクに足を運べませんでした。その間にも濱田美栄は“織田君が私を辞めさせようとしている”という全くのデマを関係者に流していたと聞きます」

こうした状況を知ってもらうため、織田は7月1日に弁護士を伴って学長と話し合いの場を設けている。

濱田美栄による耐え難いハラスメントについて涙ながらに訴えたが、

「学長は“そういうことなら喧嘩両成敗。2人とも辞めてもらうことになると思う”と言う。これには本当に傷つきました。なぜ、大学の文武両道の方針に則って部を変えようとした僕が辞めなくてはならないのか。その後に濱田美栄にもヒアリングをしたそうですが、2カ月待っても僕には何の報告もなかった。それで辞任を決断したのです」》

織田氏が明かした「銀盤の闇」に、大阪地裁はどのような判決を下すのだろうか。

20191119-00151498-roupeiro-000-3-viewのコピー

 

大饗の儀

lif1911160024-p1

gengou_happyou_reiwa

 

 日本人に生まれて良かった!

    令和の御代が

 ステキな時代になりますように  (^_^;)

 

天皇陛下が大嘗祭(だいじょうさい)の中心的儀式「大嘗宮の儀」(だいじょうきゅうのぎ)(14、15日)への参列者を招いてもてなされる饗宴(きょうえん)「大饗の儀」(だいきょうのぎ)が16日、皇居・宮殿「豊明殿(ほうめいでん)」で行われた。

安倍晋三首相や三権の長ら約290人が参加。

皇后さまと秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方も臨席された。

陛下は正午ごろ、三種の神器のうち剣と璽(勾玉)をささげ持った侍従らと共に会場に入り

「大嘗宮の儀を終え、皆さんをお招きし、

 大饗を催すことを誠にうれしく思います」

とあいさつをされた。

豊明殿では天皇、皇后両陛下のお席の後ろの壁に、大正・昭和・平成の大饗の儀でも飾られた「錦軟障」(にしきのぜじょう)と呼ばれる長さ約9・3メートルの墨絵を配置。

左右の壁には、大嘗宮の儀に米を納めた悠紀(ゆき)地方(栃木県)の那須連山や男体山、主基(すき)地方(京都府)の嵐山や天橋立などの四季の風景と、関連する和歌が描かれた屏風(びょうぶ)が立てられた。

饗宴中は両地方の風俗舞も演じられた。

lif1911160024-p5

参列者の献立は鯛のお造りと尾頭付きなど。

朱塗りの「御台盤」(おだいばん)と呼ばれる両陛下の御膳には、参列者の献立に加えて蒸しアワビなどが並んだ。

大饗の儀は18日も行われる。