世の中には 猫派と犬派がいますが
井伊家・近江彦根藩は 猫派の代表です
徳川家は? タヌキ派? (^_^;)
前足を上げて、福を招いてくれるという「招き猫」。
お店などで飾られているのを目にする機会は多いだろうし、家に飾っている方もいるだろう。
諸説あるものの、そんな招き猫さんたちの元祖が東京・世田谷区にある『豪徳寺』だという。
なんとその『豪徳寺』は、猫好き大歓喜の猫さんだらけなお寺らしい。
ということで、さっそく行ってみたよ〜!
世の中には 猫派と犬派がいますが
井伊家・近江彦根藩は 猫派の代表です
徳川家は? タヌキ派? (^_^;)
前足を上げて、福を招いてくれるという「招き猫」。
お店などで飾られているのを目にする機会は多いだろうし、家に飾っている方もいるだろう。
諸説あるものの、そんな招き猫さんたちの元祖が東京・世田谷区にある『豪徳寺』だという。
なんとその『豪徳寺』は、猫好き大歓喜の猫さんだらけなお寺らしい。
ということで、さっそく行ってみたよ〜!
皇后陛下雅子さまが「お若い」と話題です
最近はご表情も明るくなられたようで
とても喜ばしいことだと思います (^_^;)
天皇皇后両陛下は、「即位の礼」と「大嘗祭(だいじょうさい)」が終わったことを伝える儀式として伊勢神宮に参拝するため、21日から三重県を訪問されています。
両陛下が伊勢神宮を参拝されるのは、天皇陛下のご即位後、初めてです。
両陛下は、21日午後0時半前に、JR東京駅の貴賓玄関に到着されました。
両陛下は東海道新幹線のホームで、見送りに来た山東参議院議長などからあいさつを受け、にこやかな表情で一人ひとりとことばを交わし、臨時の専用列車に乗り込まれました。
両陛下が伊勢神宮を参拝されるのは、天皇陛下の即位後、初めてで、歴代天皇に伝わる三種の神器の剣と曲玉が持ち出され、側近の職員によって、列車の中に持ち込まれました。
両陛下は名古屋駅で私鉄の専用列車に乗り換え、午後4時半前に三重県伊勢市の近鉄宇治山田駅に到着されました。
駅前では詰めかけた大勢の人たちから大きな歓声があがり、両陛下は、笑顔で手を振って車に乗り込まれると、歓迎にこたえながら宿泊先の伊勢神宮の内宮(ないくう)に向かわれました。
沿道では薄暗い中、子どもからお年寄りまで1万人を超える人たちが、手や小旗を振って歓迎し、両陛下の車列は、スピードを落として集まった人たちの前をゆっくりと進んでいました。
両陛下は、午後5時すぎに内宮に到着され、入り口にある宇治橋を車でお渡りになって、宿泊先の行在所(あんざいしょ)に入られました。
行在所では、天皇陛下の妹で伊勢神宮の主な祭りをつかさどる「祭主(さいしゅ)」を務める黒田清子さんらがお出迎えしたということです。
両陛下は22日は伊勢神宮の外宮に、23日は皇室の祖先とされる「天照大神」をまつる内宮にそれぞれ参拝し、「即位の礼」や「大嘗祭」が終わったことを伝えられる予定です。
天皇皇后両陛下を歓迎しようと、伊勢神宮内宮近くのおはらい町では、ちょうちん行列が行われました。
ちょうちん行列は、伊勢市や地元の商工団体などで作る委員会が企画し、およそ2000人の参加者は、21日午後6時半すぎから高さ20センチほどの赤と白のちょうちんを受け取り、道いっぱいに並んでゆっくりと、おはらい町を歩き始めました。
いくつものちょうちんの明かりが揺れる中、参加者は宇治橋に向かって歩いていました。
ことし4月に今の上皇さまと上皇后さまが三重県を訪問されたことを歓迎するために行われたちょうちん行列では、ちょうちんにろうそくが使われていましたが、委員会によりますと、今回は安全対策としてLEDライトを点灯させているということです。
伊勢市の40代の男性は
「昭和、平成、令和と時代の流れを感じながら行列に参加しました。
令和の時代が明るい時代になってほしいです」
と話していました。
▲現在の上皇さまと上皇后さまを歓迎するちょうちん行列
ことし4月に三重県にて
世が世なら 殺してしまえ ホトトギス
フィギュア男子の五輪代表だった織田信成氏(32)が、関西大学のアイススケート部でハラスメント被害を受けたことが監督辞任の原因と明かした問題で、織田氏が同大の濱田美栄コーチ(60)に民事訴訟を提訴したことが18日、週刊新潮の取材で分かった。
織田氏は18日の午後2時から大阪地裁の「大阪司法記者クラブ」で会見に臨んで経緯を説明、記者の質疑応答なども行われる予定だという。
母校だから当然だとはいえ、織田氏と関西大学の縁は深い。
織田氏は大阪府立阿武野高校から関西大学文学部に進学。
2010年にバンクーバー五輪に出場すると、11年3月に大学を卒業した。
同年4月から大学院に進み、15年に修了。
最終学歴は「関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程修了」となっている。
17年に母校スケート部の監督に就任したのだが、今年9月、関大などが退任を発表、メディアは一斉に報道した。
ここでは朝日新聞の記事「織田氏が関大監督を退任 アイススケート」をご紹介しよう。
《関西大学は9日、アイススケート部の織田信成監督兼コーチが同日付で退任したと発表した。後任は未定。同大広報課の担当者は取材に対し、「他の活動が多忙で、監督業との両立が難しくなったのが理由と聞いている」と話した》
ところが織田氏は9月下旬、自身のブログに記事「関西大学アイススケート部監督辞任について」を掲載、関大の説明に異議を唱えた。
《関西大学アイススケート部監督辞任について、一部事実とは異なる報道がありましたので、自分の口から説明させて下さい》
《多忙を理由に監督を辞任したわけではなく、また関西大学との話し合いの場で「多忙で監督として十分な時間が取れない」とは一言も話していません。
辞めた本当の理由は、リンク内で濱田美栄から私に対して嫌がらせやモラハラ行為があり、その影響で今年春頃から体調を崩すようになり、辞任するまでの3ヶ月間リンクに行く事が出来なくなった事とそれに対する関西大学の対応が誠意あるものに思えなかったからです》
これに関大は9月30日、公式サイトに「織田信成さんのブログでの発信について」との反論記事を掲載した。
反論記事で関大は《指導方法をめぐって同部内で意見の相違があったことは認識しています》とし、織田氏が《7月1日に学長に対して所属事務所、弁護士が同席のもと、指導方法等に関する強い要望》が行われたことも認めた。
しかしながら、《時間をかけて複数の関係者に対してヒアリングを行ってまいりましたが、総合的にみてその要望を受け入れることは妥当ではないと判断》したと説明した。
この状況に週刊新潮が取材を進めると、最終的に織田氏は編集部の“直撃取材”に応じ、記者に重い口を開いた。
10月23日にデイリー新潮が「織田信成が初激白 “関大の女帝”濱田美栄のハラスメントで『うつ状態』に…監督辞任の真相」を速報、翌24日から発売された「週刊新潮10月31日号」には特集記事「『織田信成初激白!』僕は『関大の女帝』濱田美栄に排除された」が掲載された。
これらの記事で織田氏は、自身の退任が関大スケート部の濱田美栄コーチからのハラスメントが原因だったことを明らかにした。
発端は監督就任直後に遡る。
関大のスケートリンクには安全確保のため「1人のコーチがリンクで同時に指導できるのは3人まで」とのルールが設けられていた。しかし“濱田チーム”のサブコーチが5人以上の選手をリンクで滑らせていたのを織田監督が目撃した。
織田監督は濱田コーチに「危ないのでやめてもらえませんか」と申し入れた。
そもそも、このルールは濱田コーチが作ったのだという。
ところが予想に反し、なぜか濱田美栄は「アンタは間違ってる!」と激昂。
以来、濱田美栄はあからさまに織田監督を無視するようになったという。
《「ええ……、そうですね。スケート場で僕とすれ違いそうになると、濱田美栄は直前で“回れ右”をしてしまう。僕とは口も利きたくない様子でした。濱田美栄が僕の方を見ながら他のコーチとヒソヒソ話をすることも増えました。陰では“織田君は監督になってエラそうになった”“監督の権力でスケート部の伝統を変えようとしている”などと嘘を言いふらされて精神的に追い込まれたのです」》(デイリー新潮「織田信成が明かす監督辞任劇の舞台裏 『僕は“関大の女帝”濱田美栄に排除された』」11月4日より)
決定的な亀裂が入ったのは今年1月。関大の体育会は“文武両道”がモットーなのだが、スケート部の一部には成績が低迷している部員も存在した。これを憂慮した織田監督は、勉強時間を確保するため練習時間の変更を提案。濱田コーチも承諾したのだが、3月から実際に時間が変更されると、態度が変わったという。
《「濱田美栄がイラ立つようになって、“この練習時間は評判が悪い!”“これじゃ、子どもたちの練習ができない!”と僕を直接怒鳴るようになった。挨拶も無視され、これまで以上に陰口を叩かれました。以前にも増して濱田美栄による嫌がらせが続き、3月下旬には40度の高熱を出して起き上がれなくなった。結局、10日近く入院することになって、予定していたアイスショーや他の仕事もキャンセルせざるを得ませんでした」》(デイリー新潮「織田信成激白! “関大の女帝”濱田美栄の『恫喝』と『嘘』と『無視』でうつ状態に追い詰められ…」11月5日より)
記事の最後に織田氏が監督辞任に追い込まれた経緯と、ひどいうつ状態に陥った部分をご紹介しよう。
《度重なるハラスメントの末、ついに織田は“うつ”状態に陥ってしまう。
「6月に入ると耳鳴りがやまず、眩暈(めまい)や吐き気に襲われ、“リンクに行きたくない”と思うようになった。それからの3カ月間は一度もリンクに足を運べませんでした。その間にも濱田美栄は“織田君が私を辞めさせようとしている”という全くのデマを関係者に流していたと聞きます」
こうした状況を知ってもらうため、織田は7月1日に弁護士を伴って学長と話し合いの場を設けている。
濱田美栄による耐え難いハラスメントについて涙ながらに訴えたが、
「学長は“そういうことなら喧嘩両成敗。2人とも辞めてもらうことになると思う”と言う。これには本当に傷つきました。なぜ、大学の文武両道の方針に則って部を変えようとした僕が辞めなくてはならないのか。その後に濱田美栄にもヒアリングをしたそうですが、2カ月待っても僕には何の報告もなかった。それで辞任を決断したのです」》
織田氏が明かした「銀盤の闇」に、大阪地裁はどのような判決を下すのだろうか。
日本人に生まれて良かった!
令和の御代が
ステキな時代になりますように (^_^;)
天皇陛下が大嘗祭(だいじょうさい)の中心的儀式「大嘗宮の儀」(だいじょうきゅうのぎ)(14、15日)への参列者を招いてもてなされる饗宴(きょうえん)「大饗の儀」(だいきょうのぎ)が16日、皇居・宮殿「豊明殿(ほうめいでん)」で行われた。
安倍晋三首相や三権の長ら約290人が参加。
皇后さまと秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方も臨席された。
陛下は正午ごろ、三種の神器のうち剣と璽(勾玉)をささげ持った侍従らと共に会場に入り
「大嘗宮の儀を終え、皆さんをお招きし、
大饗を催すことを誠にうれしく思います」
とあいさつをされた。
豊明殿では天皇、皇后両陛下のお席の後ろの壁に、大正・昭和・平成の大饗の儀でも飾られた「錦軟障」(にしきのぜじょう)と呼ばれる長さ約9・3メートルの墨絵を配置。
左右の壁には、大嘗宮の儀に米を納めた悠紀(ゆき)地方(栃木県)の那須連山や男体山、主基(すき)地方(京都府)の嵐山や天橋立などの四季の風景と、関連する和歌が描かれた屏風(びょうぶ)が立てられた。
饗宴中は両地方の風俗舞も演じられた。
参列者の献立は鯛のお造りと尾頭付きなど。
朱塗りの「御台盤」(おだいばん)と呼ばれる両陛下の御膳には、参列者の献立に加えて蒸しアワビなどが並んだ。
大饗の儀は18日も行われる。
京都は日本文化の極致ですから
外国人から見ると日本人は
京都人のように見られてるかも~ (^_^;)
京都の人は遠回しな言い方をして、はっきりと物事を言わないという印象を持っている人もいるのではないだろうか。
京都の人に「良い時計してますなぁ」と言われたら、あなたなら何と返すだろうか。
この言葉の“本当の意味”が話題になっている。
「京都の会社と商談していて、『良い時計してますなぁ』と言われ、時計のスペックを語ってしまった。
実は本音が『話長えよ』という嫌味だったと気づいたときのおいらの気持ち。」
投稿者のだーます(@da_masu)さんがIT企業に勤務していたとき、京都の老舗企業と商談した際に先方役員にサービス内容をプレゼン。
「良い時計してますなぁ」と言われ、時計のスペックについて話したという。
しかし、帰り際に先方担当者から耳打ちされ、状況を理解したそうだ。
確かに説明が長かったそうで、 かなり冷や汗をかいたという。
Twitter上では、「難易度高いわ」「京都人は腹黒い訳では無く、相手の気持ちを慮るあまり遠回しになってしまうのです」 などこの言い回しが話題となり、11万超のいいねが付いている。(9月4日現在)
「良い時計してますなぁ」と言われたら、確かに「話が長い」という意味だとは気づかず、時計について話してしまう気持ちはわかる。
とても遠回しな言い方で、京都以外の人は分からないのではないか。
では、京都の人は「良い時計してますなぁ」という言い回しをよく使うものなのか。
その他にも、京都特有の表現がありそうなので、方言学を専門とする、桃山学院大学の村中淑子教授に聞いてみた。
ーー「良い時計してますなぁ」は「話が長い」という意味か?
聞いたことがないです。しかしたぶん、「話が長い」というよりは、「時計を見ろ、時間がずいぶん経ったことに気づいてくれ!」という意味だと思います。つまり、相手を非難するというよりは、「自分が早く解放されたい、助けてほしい」というような、自分を救済する意味合いだと思われます。
ーー「良い時計してますなぁ」は京都の人はよく使うか?
初めて聞きました。おそらく、京都の人がいつでもどこでも誰にでも使うのではなく、中高年の人がそれほど親しくない人(取引先とか近所の人だとか)を相手に使うのだと思います。
ーー他の京都の分かりづらい言い回しは?
京都のお茶漬け以外くらいしか、知りません。誰かのお宅にお邪魔して、「お茶漬け出しまひょか」と言われたら、「いえ、もうお暇します」と言って帰らなければならない。うっかり食べてしまうと、気の利かない人だ、野暮だ、と陰口を言われる、という話。広く知られていますよね。
京都独特かどうかわかりませんが、類似の表現としては、「おたくのお嬢さんのピアノ、お上手ですね」というと、「やかましいから控えてくれ」という意味、というのもあるかと思います。時計の話と同様で、相手に属する何かを褒めて、それに注目させて、そこに何かしらの問題があることに気づかせるというパターンです。
ーー京都の人はなぜ遠回しな言い方なのか?
それについては、すでにいろいろなことが言われていると思います。京都人はストレートにものを言わず高みに立った嫌味な性格の人が多いとか、逆に相手に恥をかかせないための思いやりとして遠回しに言うのだとか、いざというときに「そう言う意味ではなかった」と逃げ道を作るためにわかりにくい言い方をしておくとか。
そのような性格が形成されてきたのは、長年、いろいろな支配者層(天皇家、藤原家、平家、足利家、織田、豊臣など)に支配されてきた京都人がしぶとく生き延びるための知恵だとか。いろいろ言われ過ぎている感があります。新たなアイデアはありません。
方言学を専門とする村中教授も「良い時計してますなぁ」が「話が長い」という意味合いであるということは、聞いたことがないということで、投稿者のだーますさんが遭遇したのは稀なケースだったのだろうか。
いずれにしても京都の文化は特有であり、奥が深いと言えるだろう。
真っ赤なトウガラシが、遠く離れた新宿区とフランスを結び付けた。
江戸時代、内藤新宿(現在の新宿区)の名産品だった「内藤とうがらし」を復活させたプロジェクトチームが、トウガラシの産地、フランスのエスプレット村で今月二十六、二十七日に催される「トウガラシ祭」に遠征する。
区内の大学生も同行、「内藤とうがらしを広めてきます」と意気込んでいる。
内藤とうがらしは、江戸時代、内藤家下屋敷(現在の新宿御苑)で栽培が始まった。
近隣の農家にも広まり、宿場で飛ぶように売れたが、都市化などで明治以降は姿を消したとされる。
それを、二〇一〇年発足の町おこし団体「内藤とうがらしプロジェクト」が復活させた。
今では区内の小学校などで栽培され、毎年十月には区内各地で「とうがらしフェア」が行われている。
内藤とうがらしプロジェクトのリーダー成田重行さん(77)は
「活動を始めた時からエスプレット村は新宿のお手本になると注目していた。特産品を町の文化として発信する力がある」
と話す。
▲収穫期になると家の軒先にトウガラシが飾られる仏エスプレット村
一方、エスプレット村はフランスとスペインにまたがるバスク地方の人口二千人の村。
新宿とは比べものにならない山あいの村だが、欧州では「エスプレット」がトウガラシを指すほど有名で、たった一品での町おこしに成功している。
村との縁を結んだのはプロジェクトメンバーの川副剛之さん(59)。
フランス在住で、昨年、ふとしたきっかけでエスプレット村のトウガラシ祭を訪れた。
家々の軒先に飾られたトウガラシ。
観光客でにぎわうマーケット。
「二千人の村に二万人が押し寄せていた。ピーマン(現地でのトウガラシの呼び方)祭という名前も面白い」
と感じ、帰国した際に知り合った成田さんに報告。プロジェクトに加わった。
▲多くの観光客でにぎわった昨年のトウガラシ祭
内藤とうがらしと、エスプレット村のトウガラシは、どちらもマイルドな辛さで、うまみ成分が多いという。
内藤とうがらしの名前の由来が徳川家康に新宿を与えられた内藤家、エスプレットも、かつての領主エスプレット男爵から来ているという共通点も。
遠征隊は約二十人。
うち六人は同区の学習院女子大学国際コミュニケーション学科で内藤とうがらしを栽培・研究している四年生だ。
現地ではフランス人にワサビなどを食べてもらい、辛さの感じ方を調べたり、七味作りのワークショップを行う。
渡辺瞳子さん(21)は
「エスプレット村ではチョコレートにトウガラシを入れるそうなので、参考にしたい」
トウガラシが大好きな星野冬帆さん(21)にとっては夢の村で「現地の人の生の声を研究に生かしたい」と目を輝かせる。
二十万円以上かかる旅費は自腹だけに物見遊山では済まされない。
前田理菜さん(21)は「目的意識をしっかり持ち、卒論の材料を集めてきます」と気合を入れた。
トウガラシ祭ではトウガラシの普及に貢献した人が表彰され、日本人で初めて成田さんが真っ赤なガウン姿でステージに立つ。
「新宿は多文化共生の町。内藤とうがらしで世界とつながる第一歩にしたい」
プロジェクトも豊かな収穫期を迎えたようだ。
彼女らには現地での撮影という使命もある。
それを今年から新宿区にキャンパスを構えた桜美林大学の学生が記録映像に仕上げ、十二月に新宿武蔵野館などで上映する。
製作費約五十万円はクラウドファンディングで調達予定。
同大の太田万葉(まほ)さん(20)は「映像を内藤とうがらしを広めるきっかけにしたい」と抱負。
青木伸之介さん(20)は「町おこしに興味がある人、頑張っている大学生を応援したい人に、ぜひ協力してほしい」と呼び掛けた。
▲新宿高校のとうがらし畑で意気込む(左から)
学習院女子大学の渡辺瞳子さん、星野冬帆さん、前田理菜さん、
桜美林大学の太田万葉さん、青木伸之介さん
▲新宿の都庁の前で内藤とうがらしを手にする
プロジェクトリーダーの成田重行さん
(10月21日東京新聞朝刊「TOKYO発」面に掲載)
とても感動的な一日でした (^_^;)
天照大御神が 天岩戸から
お出ましになったのかなぁ
と感じました (^_^;)
「即位礼正殿の儀」が始まった途端、雨がやみ、日が差して青空が見え始め、皇居に虹がかかり、富士山も姿を現した中、祝砲がとどろきました。
▲73歳ですが「若頭」です
関西ヤクザの抗争ですが
系列組織は全国に分布しています
流れ弾に当たらないように
気を付けましょう ((((;゚д゚))))
京都の建設会社オーナーを恐喝したとして6年の実刑判決を受け、服役していた
髙山清司・六代目山口組若頭が、10月18日午前6時、府中刑務所を出所する。
その直前の、髙山若頭の出身母体である名古屋の弘道会に所属するヒットマン丸山俊夫容疑者が、対立する神戸山口組系山健組の本部前で2人の組員を射殺。
▲68歳にもなってヒットマン ヤクザも高齢化?
両山口組には緊張が走っており、他の刑務所への移送、時間の変更などは考えられるが、出所に変わりはない。
髙山若頭が恐喝事件で逮捕されたのは2010年11月。
その後、山口組は篠田建市(司忍)六代目のもとを井上邦雄・山健組組長が去って神戸山口組を設立。
その井上組長の側近だった織田絆誠・神戸山口組若頭代行が、組を割って任侠山口組を立ち上げた。
▲暴力団対策法の締め付けで、暴力団員は激減している
髙山若頭は、極道の筋を通す正統派のヤクザである。
極道の筋とは、
「親子」「兄弟」の盃の重さを大事にすることであり、
組の「代紋」のためには体を投げ出す覚悟であり、
襲撃されたら「返し(反撃)」を行なう強さであり、
「絶縁」した者が稼業を続けていれば、許さず潰してしまう非情さである。
六代目山口組二次団体の幹部は言う。
「カシラ(髙山若頭)の情報収集力と危機管理能力はたいしたもの。
三分裂は、カシラ不在ゆえに起きたことだ。
カシラが出てきたら、時期を見て綱紀を粛正、組織を立て直し、
分裂の解消に乗り出すだろう」
人に歴史あり
川にも歴史あり (;´Д`)
多摩川の氾濫は、世田谷区の東急二子玉川駅付近なのですけれども、元々、堤防が無い場所で、国土交通省関東地方整備局や世田谷区が土嚢を積んでいたのですけれども、隙間から川の水が溢れたようです。
周辺の住宅の1階部分や車が水につかるなど大変な被害が発生しています。
今時、一級河川で堤防がない所があるなど、ちょっとビックリなのですけれども、この辺りは1907年に多摩川電気鉄道が開通してから行楽地として栄え、1911年頃には十数件の料亭がありました。
1918年には多摩川の改修工事が始まったのですけれども、この辺りは料亭の反対を受け、その後ろ側に堤防を作ることになります。
料亭はそのまま残ることになったのですけれども、料亭業が衰退すると、ここの土地は売られ、民家に変わっていきました。
1973年にまた堤防を作る話が出たのですけれども、住民の反対を受け頓挫。
再び2004年に堤防を作ろうとしたのですけれども、住民の中で、安全を求める賛成派と眺望・治安の悪化を嫌がる反対派で対立。
計画高水位までの暫定堤防の築堤までは合意したものの、実際の工事は反対派の妨害活動もあって、一部しか完成していませんでした。
つまり、今回の多摩川の氾濫は起きて当然の場所で起こった訳です。