80【ヒストリー】

中央線カルチャー

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ガード下を何駅も歩いたり、安居酒屋で潰れたり……。

JR中央線にそんな思い出を持つ人は、世代を問わず多い。

2019年は、新宿~八王子間の開業130周年

その長い歴史には、数々の芸能人・文化人たちの記憶が眠っている。

そこで、都心から高尾に向け、有名人たちの記憶をたどる路線旅に出ることにした。

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【新宿】

中央線文化の “起点”。大鶴義丹も出演した「テント芝居」は、花園神社の名物。

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マルイのそばの新宿高校は、中村敦夫や坂本龍一、絲山秋子らが通い、都立高校でもっとも自由で、遊び人指数も高かった。

【中野】
オタクの聖地・中野ブロードウェイは1966年に開業。当初は沢田研二ら、多くの有名人が暮らした。駅周辺の出身者には寺門ジモン。出身の中野区立第九中学は統合され、旧校舎は堀越高校の新校舎建設期間中、代替校舎に。

【高円寺】
吉田拓郎が街の名を歌い、中央線を代表する駅に。森本レオや水道橋博士ら、上京時から今なお住み続ける著名人も多数。地元出身者は後藤久美子(杉並区立大宮中学出身)、兄が美容院を経営する一色紗英ら。

【阿佐ヶ谷】
爆笑問題らが所属するタイタンがある。また、あばれる君は阿佐ヶ谷エリア内で引っ越し、高級マンションへ。かつては熊谷真実&松田美由紀姉妹の実家の洋品店も。熊谷のお気に入りの、ラーメンの「げんこつ屋」が最近になって復活。

【荻窪】
地元出身タレントには俳優の吉沢悠がおり、16歳から20歳まで駅ビル内の魚介類専門店でアルバイトをしていた。角野卓三、小倉一郎ほか著名人の住民は多い。「荻窪ラーメン」で知られるが、菅原文太御用達の「中華徳大」は豚骨醤油の名店。

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【西荻窪】
坂上忍はこの駅近辺の出身。松田優作一家も荻窪との間に居を構えていたようで、松田龍平・翔太の出身中学も坂上と同じだ。駅周辺には下町的な雰囲気が漂い、吉祥女子高校は生稲晃子、釈由美子、TBSの木村郁美アナらが卒業。

【吉祥寺】
楳図かずおや江口寿史ら著名な住民は多いが、生粋の出身者では、まず伊藤蘭。武蔵野市役所そばの、大野田小学校卒だ。「前進座」があるので、中村梅雀にとっても地元。安倍晋三首相が小学校から通った成蹊学園も、ここにある。

【三鷹】
吉祥寺もスキップする、特別快速が停まる。2017年度の1日平均乗車人員は9万7413人と、他線との接続がないJR駅のなかでは最多。松屋フーズ、モンテローザ、すかいらーくなど外食大手の本社が集中。水谷豊は、駅近の大成高校卒。

【武蔵境】
駅の住所は武蔵野市だが、三鷹市域が近い。脚本家の岡田惠和、嵐の大野智、本田翼らの実家があって、目撃情報多数。彼らは揃って、三鷹市立第二中学出身だ。安野モヨコやミスチルの桜井和寿の母校、関東(現聖徳学園)高校も徒歩3分の距離。

【東小金井】
東京農工大(川谷絵音、お笑いコンビ・ハマカーンの母校)や、スタジオジブリがある。小金井市立緑中学は、生稲晃子と中山美穂&忍姉妹が卒業。駅前の油そばの「宝華」は、水樹奈々の行きつけだった店で、今では聖地巡礼の客で賑わう。

【武蔵小金井】
B級グルメの名店揃いの駅。東京学芸大(栗山英樹、米村でんじろう、矢部太郎、優木まおみの母校)、中大附属中高(小倉智昭、秋元康、ナオト・インティライミの母校)などがあるからか。広島風お好み焼きの「へんくつや」は、小栗旬が通う。

【国分寺】
東京経済大、移転後の早稲田実業中高もあって、ボリュームのある飲食店が多い。清宮幸太郎も御用達の「淡淡」は味も満点の大衆中華。カレーで有名な「ほんやら洞(店主は女性シンガー・ソングライターの草分けの中山ラビ)」など、渋い老舗も。

【西国分寺】
武蔵野線との乗換駅。芸能系の高等専修学校・日本芸術高等学園があり、出身者にはアイドルグループ「生ハムと焼うどん」、清野菜名、加藤夏希、山田優、河相我聞らがいる。

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【国立】
文教地区で、三浦友和・百恵邸も有名。宇梶剛士はここで育ち、いまも住む。「名物スタ丼サッポロラーメン国立本店」は、宇梶の後輩が先代の後をついでいる。

【立川】
レストラン「ベースボール」では、2018年に阪神に入団した高橋遥人など、多くのプロ野球選手がアルバイトをしていた。店主は横峯さくらとも親交がある。

【日野】
実践女子大学(TBSの山形純菜アナらの母校)が近い。日野市は広くないのに、市内にはモノレールも含めて12駅も。出身のねづっちは、市から依頼の仕事も多い。

【豊田】
東京薬科大(ケツメイシのRYO、大蔵の母校)も近い。住宅街にある「海の幸のステーキ屋 大洋軒」は、多くの著名人が訪問。森繁久彌夫妻も通った名店だ。

【八王子】
駅前には、古くからの宿場町の風情が漂い、松任谷由実の実家の「荒井呉服店」のような老舗も健在。都立南多摩中等教育学校は、お笑いコンビ「メイプル超合金」の安藤なつがOG。

【西八王子】
法政大の多摩キャンパスが近い。法政出身者にはアナウンサーが多く、NHKの鈴木奈穂子アナも多摩キャン育ち。上川隆也は大学(中央大)まで八王子だった。

【高尾】
今をときめく俳優の西島秀俊は、駅近くの新興住宅地育ち。小学校の遠足以来、現在も高尾山にはよく登るという。中高は国立市の名門・桐朋学園だった。

中央線から離れた人もいれば、ずっといる人、戻ってきた人もいる。でも、そのすべての目に、オレンジのラインが焼きついているのだ。

(週刊FLASH 2019年7月16日号)

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 先日の萌慧ちゃんコンサートの日に

  お台場から豊洲駅まで散歩したコース(緑色の線)

 不発弾が埋まってたんだ!  ((((;゚д゚))))

 

浅草ほおずき市

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 季節感あふれる催し

  夏が近いのを感じます  (^_^;)

 

江戸時代から続く恒例の「ほおずき市」が、東京都台東区の浅草寺で9日から始まった。

風鈴の音が響く境内には、鮮やかなオレンジ色のホオズキを並べた約100店が出店し、観賞や盆飾り用に買い求める人でにぎわった。

千葉県浦安市から訪れた女性(55)は

「仏様にお供えするためにしっかりしたものを選び、

 家族の健康を願ってお参りもしました」

と笑顔を見せた。10日まで。

 

渋谷くじら屋 閉店

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 せっかくクジラ漁が解禁になったのにね

  渋谷は谷間の土地なんで

 水はけが悪いようです  (^_^;)

 

渋谷・文化村通りの老舗くじら料理店「元祖くじら屋」(渋谷区道玄坂2、TEL 03-3461-9145)が7月31日、現在の場所での営業をいったん終了する。

同店は1950(昭和25)年に創業。

その後の開発により店周辺が様変わりする中、店を構える場所は創業当初から変わらず、現在はファッションビル「SHIBUYA109」が立つ路面の一角に店を構える。

店では、唐揚げ(780円)や「上赤身お刺し身」(880円)、「白ベーコン」「さえずり(クジラの舌)」、ステーキ、チーズカツ(以上980円)、「はりはり鍋」(1,980円)など、クジラの頭から尻尾までを使ったさまざまなメニューをはじめ、コース料理やランチ定食も提供。

食文化の変化などから食べられる機会が減っている日本伝統の鯨肉料理を味わえる店として親しまれてきた。

同店によると、店の1階部分が半地下になっていることから長年悩まされてきたという湧水による床やガス管などの劣化、老朽化などの影響で「やむを得ず、今回の移転になった」(同店)という。

大規模修繕に伴い、店は10月、道玄坂沿い「道玄坂鈴井ビル」3階に「元祖くじら屋 はなれ」として移転オープンする予定。

「さらなる100年を目指し、移転先でも、より一層お客さまに喜ばれる店を目指していく」とする一方、「いずれは当地に戻ってきたい」という意向も示している。

現店舗の営業時間は、ランチ=11時30分~14時(土曜・日曜・祝日は17時まで)、ディナー=17時~22時30分(金曜・土曜・祝前日は23時30分まで)。

芸人とヤクザ

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 30年前の動画ですが さすが上岡龍太郎

  なかなか勇気ある発言だと思いますよ

 芸人の興業を ヤクザが取り仕切るのは

  江戸時代からの 永~い伝統ですからね

 社名に「興業」とか入ってるし  (^_^;)

 

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日本の芸能史を振り返れば、美空ひばりの興行に、某反社会勢力が

ガッツリ絡んでたんだよなあ。 闇営業とかいうレベルじゃない。

▼山口組の田岡組長(当時)と美空ひばり

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ひばり邸の「三婆」(さんばば)

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▲故美空ひばりさんの家政婦の3人

辻村あさ子、斎藤千恵子、関口範子

 

 いい話だなぁ~

  ひばりさん お元気なら今82歳

 戦後の歌謡界が生んだ 二番目の天才

  一番はもちろん 藤圭子   (T_T)

 

日本の戦後歌謡史に大きな足跡を残した美空ひばり

6月24日30回目の命日に当たる。

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生前のまま残る東京・目黒区青葉台の自宅(現在は、美空ひばり記念館)には、住み込みで働いていた「おのり」「ちーこ」「あさこ」が今も住んでいる。

ひばり邸の「三婆」(さんばば)とも「妖精」とも呼ばれる3人。

ひばりの死後30年たっても、あのころのまま「『お嬢さん』が生きていた時と同じように」と暮らし続けている。

3人の朝は午前6時、仏前で火打ち石を打つことから始まる。

公私にわたってひばりを支えた母、喜美枝が、舞台へ向かう娘のために祈りを込めた習わしだった。

母の没後は、ひばりが仏前で打つようになって、その習慣を3人が引き継いだ。

耳のいいひばりは、台所のテーブルを動かす、わずかな音でも目を覚ました。

だから静かに、お嬢さんを起こさないように朝食の支度をする。

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「今朝の食事はいかがでしたか」。

食事を担当してきた「あさこ」が仏前で尋ねる。

返事はない。

だが「おいしかったよ」という言葉を夢想して、あさこはひとり、うれしくなる。

日中は、自宅に併設する記念館をファンが訪ねてくる。

身近で見てきたひばりの素顔を今に伝える「語り部」としての役割が、3人の仕事だ。

「お客さんに『ひばりさんがここにいて、迎えてくれたみたいだわ』

 なんて言われると、本当にうれしくて」

現場で付き人を務めた「おのり」の笑みがこぼれる。

ひばりの主演映画やコンサートの録画を3人で見る。

映像に合わせて誰ともなく歌い出す。

かわいらしい衣装や小物を見れば「お嬢さん、こういうの好きよね」などと語り合う。

「飽きる? いいえ、お嬢さんの話題は次から次に出てきますから」。

おのりとともに現場の付き人だった「ちーこ」が破顔する。

現在のひばり邸を新築する際、3人に個室を、という話もあった。

だが、固辞してそのまま、豪邸の隅っこ、10畳の和室で川の字になって寝る。

「お嬢さんが夢に出てくることは、ほとんどありません。夢でもいいからお話ししたいのに。なぜでしょう」と3人は口をそろえる。

長年、公私にわたって芸能活動を支えた3人を、ひばりは生前、とても大切にした。

ひばりの死後、誰も「辞める」と言わなかった。

「出て行け」とも言われなかった。

付き人として、ひばりと暮らしたあのころのまま、昨日と同じ今日を生きていたら、いつのまにか30年がたった。

これからのことなど考えたこともない。

明日も今日のように生きるつもりだという。

3人の夢、生きがいは、昔も今も「お嬢さんのそばにいること」。

おのりは言う。

「たった一つの願いがかなった人生です。私たちは本当に幸せです」

(以上、敬称略)

「おのり」こと関口範子さんは1940年(昭15)、「ちーこ」こと斎藤千恵子さんは37年、ともに東京都で生まれた。

「あさこ」こと辻村あさ子さんは50年生まれで静岡県出身。

いずれも熱烈なひばりファンだったが、ひばりの母、喜美枝さんに声をかけられて、住み込みで働くようになった。

おのりは商社勤務を経て61年、ちーこは66年から、ともに付き人に。

あさこは農協勤務を経て73年から料理係を務めた。

それぞれのあだ名は、ひばりがつけた。

現在は、東京都目黒区の美空ひばり記念館(旧ひばり邸)で案内係としても働いている。

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