出版社勤務を辞めて、愛する妻子と新居で小説を書く生活を始めた主人公
しかしその新居には、忌まわしい過去があった、というサイコ・スリラー
アマゾン・レビューの評価は非常に高いのだが、イマイチ楽しめなかった
(^_^;)
出版社勤務を辞めて、愛する妻子と新居で小説を書く生活を始めた主人公
しかしその新居には、忌まわしい過去があった、というサイコ・スリラー
アマゾン・レビューの評価は非常に高いのだが、イマイチ楽しめなかった
(^_^;)
25年前にも読んだ本の再読
多くの天才たちの人生を「孤独」という視点から解説している
ある種の才能や感覚が突出すると、共同での生活や作業が苦痛になる
ソローは「天国の寄宿舎より、地獄で一人で暮らしたい」と言った
巨万の富を孤独の確保につかったピュリツァーやヒューズには、滑稽な悲劇性がただよう
著者が孤独の音楽の最高峰とするのは、グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲、冒頭のアリア
(^_^;)
精神科医が過去の天才(政治家、文学者、思想家など)を精神分析する
ニーチェ、リルケ、フロイトという3人の天才に深くかかわった女性ザロメに興味がわいた
ヒトラーやスターリンは明らかに精神病者だが、多くの理性的な人々が、このような精神病者に簡単にダマされてしまった歴史的事実が恐ろしい
習近平や金正恩の精神分析もして欲しい!
((((;゚д゚))))
天才論の二大古典のうちの1冊で、どちらも100年近く前に書かれた
クレッチマーの「天才の心理学」が、天才の精神の内部(ミクロ)に深く切り込んでいるのに対して、アイヒバウムは天才という存在に関する社会学的考察(マクロ)が中心
「天才と狂気」という昔からある疑問に対して、「名声」という中間項を置いて、天才が社会から天才として認知されるプロセスを、スッキリ分析している
「オレはビッグになりたいんだ!(名声が欲しいんだ!)」という人には、参考になる点が多々あるだろうと思う
しかし、クレッチマーの「天才的」な分析のキレと比べると、相対的には凡庸な「非天才」が、外から天才を観察しているという印象は残る
ただし、アイヒバウムには「天才・狂気・名声」という主著(600ページ以上もある大著)があり、本書はその要約版であるから、主著を読まずして評価を下すのは、公平を欠くかもしれない
主著「天才・狂気・名声」の日本語訳は、現在絶版で手に入らない(原書で読むのは、ちとツライ)
(^_^;)
大学時代に半年ほど、著者・穐山貞登先生の心理学研究室に毎週1回通った時期がありました
教養課程の授業で、学生はわずか4人、毎回テーマを決めて90分くらいディスカッション
穐山先生と研究室の助手さんが議論に耳を傾け、ときどき短いコメントを挟む程度
なつかしい思い出ですが、すでに19年前に穐山先生はご他界、ツン読だった本書も絶版になっていました
本書は、主に天才の創造活動に関する心理学などの諸研究を網羅(1962年現在)してあります
延々と学説を、広く浅く羅列してある感じで、少々退屈
今回も飛ばし読みになってしまいました
(^_^;)
日本は 中国や北朝鮮とは違って
自由主義の国でありますから
両性の同意があるのなら
好きにしていただければ と思いますけど
もの好きな人って いるんだねぇ~ (^_^;)
室井佑月(50)が、前新潟県知事の米山隆一(52)と近日中に結婚することが9日、分かった。
昨年末から交際していた。
室井佑月は再婚となる。
2人は共通の知人を通じて知り合い、昨年末から交際に発展した。
知人は
「米山隆一が猛アプローチして、室井佑月もそれに応えたそうです」
と明らかにした。
2人は既に周囲に結婚を報告している。
米山隆一は東大卒で弁護士資格と医師免許を持つ。
16年に新潟県知事に初当選し、18年に辞職している。
現在は医師、政治家としての視点から新型コロナウイルスに関してさまざまな発信をしている。
室井佑月は昨年8月に乳がんの手術を受けた。
関係者は「再発の不安を抱えながらの生活の中で、米山隆一から熱烈なプロポーズを受けた。大きな心のよりどころになっているようです」と明らかにした。
著者は1873年生まれ、フランスの医学者
1912年、血管縫合および血管と臓器の移植に関する研究でノーベル生理学・医学賞を受賞
前半は生理学をベースに、人間という存在を「総合的に」記述している
総合的にという意味は、人間という複雑きわまりない存在を、各分野の専門家が部分的に詳細に分析し、「群盲が象をなでる」状態になっていることへのアンチテーゼとして、人間存在の全体的なスケッチを描こうとするもの
前半の淡々とした科学的記述に対して、後半は、人間の未来の進歩のために、実に大胆な提言を行っている
人間は厳しい環境と闘ってこそ進歩するという考えに基づき、安全で便利で快適な人工的環境に囲まれて生活する現代人は愚劣化しつつあると主張する
動物の子どもは、生まれるとすぐに母乳の奪い合いなど、自然淘汰の闘いに投げ込まれる
弱者は死に、強い子どもだけが生き残る
人間だけが保育器などによって、この自然淘汰のメカニズムを阻害していると著者は主張する
環境適応できない弱者を文明の力で生き永らえさせるのは、人間の脆弱化、愚劣化につながるという主張は、現代の価値観から見ると、かなり過激に感じられるが、自然淘汰プロセスが生物の種の強靭さや活力を維持する上で欠かせないという厳然たる事実は、簡単には否定できない重みがある
いまからおよそ100年前の、時代精神の一端が感じられる
著者は1944年に71歳で亡くなっている
自然淘汰プロセスの一種とも言える中国コロナ騒動を考えるうえでも、貴重な視点を与えてくれる
(^_^;)
約百年前に書かれた天才論の古典です
彼の3気質説(いわゆるヤセ・デブ・筋肉)を駆使して天才を分析し尽くしています
著者自身が天才と言ってよいので、非常に洞察が深い
天才は社会適応能力を犠牲にして、限定された領域において、その才能を開花させる
その非常に極端な形が、サヴァン症候群でしょうか
特に天才の典型としてのゲーテ、その家系における精神病の惨状には戦慄を覚えます
(^_^;)
女優の安達祐実さんが4月9日、女性誌『ELLE Japan』のYouTubeチャンネルに出演して私物のバッグの中身を紹介。
ネット上で呼ばれることが多いという“ロリババア”の愛称をデザインしたスマホケースを愛用していることを明かしています。
もう公認でいいんですね!
38歳を迎えた現在も、幼少期から変わらない“ロリかわいい”ビジュアルをキープしている安達さん。
ネット上では、少女のような見た目ながら実年齢がずっと上の2次元キャラクターをロリババアと表現する文化がありますが、その条件をまさかの“3次元”で満たしている安達さんも一部ではその愛称で呼ばれています。
動画の中で私物紹介を行っている安達さんは、
「私結構ネットで、『安達祐実ロリババア』って言われることが多いので
もうこんなに言っていただけるなら、自ら名乗ろうと思って」
と“LORIBBA”と印字されたスマホケースを自作して使用していることを告白。
スペルをLORIBBA(正しくはLOLIBBA)と間違えていることもキュートですが、このエピソードを笑顔で話す懐の広さを見せており、どうやらロリババアという愛称を全く不快には思っていないようです。
優しいな!
視聴者からは、
「ロリババアって自分で書くのかっこいい 笑」
「iPhoneケースどこのブランドかなと思ったら…ロリババア 本当に可愛いです」
「ロリババア どんなことがあっても面白がれるマインド素敵すぎ」
などまさかのデザインに驚きの声があがった他、
「もう年齢不詳だな~ 少女みたいな大人の女性」
「え? 20代だよね?」
「なんなんや、、、若すぎやろ、、、」
など驚異の“ロリババア”ぶりにも大きな反響が寄せられています。
本当にかわいいな……。
タイ王国の医療のレベルは 非常に高いので
日本の医療とうまく使い分けるのは
とても賢い選択だと思います (^_^;)
「ガリッ」 ガムを噛んでいた時に、口の中から嫌な音がした。
そして次の瞬間筆者の口から出たのは「ギャー」という絶叫だった!。
考えてみれば、前回行った歯の治療で痛みが激しく、数年歯医者には行っていなかった。
今思えば「口腔崩壊」に近い状態だったのだろう。
先ほどの音は歯の一部が崩れた音で、同時に神経がむき出しになったのだ。
ここまでひどくなると、我慢とか意志の強さとかは関係ない。
文字通り空気が通るだけで悲鳴が上がるほどの激痛なのだ。
唾液が触れただけでも左下の歯の一点に電気ショックで拷問をかけられたときのような痛みが走る。
もはや一日も、いや一分も待っていられない。
当時の筆者は京王井の頭線沿いの富士見ヶ丘駅に住んでいた。
とりあえず、自宅から駅に向かう途上にある一軒の歯科に飛び込むしかなかった。
「ああ、ひどいね。これは神経取るしかないね。
なんでこんなになるまで放っておいたの?」
そこの歯科医は何となく横柄だった。
しかし、放っておいたのは筆者の責任で、反論できる雰囲気ではない。
「あの、痛みがないように治療できませんかね?」
「ここまでひどくなっているのにそんないい話があるわけないじゃないの。
治療中の痛みについては、い・わ・な・い約束でっ!」
あれから10年以上経つが、あの「い・わ・な・い約束でっ」は今だに耳から離れない。
だが一分すら待てなかった筆者に選択の余地はなかった。
否応なく根管治療(RCT)が始まり、若手歯科医に引き継がれ、半年にわたり毎回痛い思いを続けることになった。
数年後に改めて別の歯科でX線を撮り直すと、見事に膿がたまっていた。
今回の記事を書くにあたり、改めて最初の歯医者を検索してみた。
すると、Googleで17件のレビュー平均点が「3.5」となっているのだが、特筆すべきは「5」と「1」で極端に分かれるということだ。
もちろん、ネット上のレビューが全て信用できるわけではないことは、アマゾンやヤフコメでさんざん匿名の誹謗中傷を浴びてきた筆者も重々承知している。
ただ、レビューの数々は明らかに本名と思われる名前で投稿されたものもあり、何より筆者の「い・わ・な・い約束でッ」という実体験とも重なり、非常に信用性が高いのだ。
武士の情けで歯科名は出していないが、もしこの歯科が名誉棄損か何かで筆者を訴えてきたら、タイのバンコクの歯科に残る、
「根管治療(RCT)が失敗して、膿がたまった筆者の口腔内のX線写真」
を証拠として出す予定である。
この数年後、別の歯科でX線を撮影し、前述の通り化膿していることを知らされた。
どうすればいいのかと問うと、
「歯茎をメスで切って取り出すしかありませんね」
という。
もちろん、手術中は麻酔をかけているから痛くないのはわかる。
それでも、歯茎をメスで切り刻んで出血する姿を想像すると寒気がした。
こうして2014年に、悲願のタイ王国バンコクでの歯の治療が実現した。
すでにX線などの資料もメールで送信しており、その日のうちに根管治療(RCT)を開始できるよう専門医も用意してくれていた。
おそらく30歳手前くらいの若手女性担当医は、顕微鏡で患部を見て、フッと鼻で笑った。
「これは化膿していますね。すぐに治療を始めましょう!」
「なんで化膿しているんですかね?」
「前に担当された(日本の)歯科医が失敗したということでしょう」
専門医の目から見れば、日本で受けたズサンな根管治療(RCT)は、嘲笑するしかなかったに違いない。
そこからは粛々と根管治療(RCT)がすすめられた。
「メス」という単語すら出て来ることがなかった。
顕微鏡を使う通常の根管治療(RCT)で十分に対応できる範囲だったということだ。
「はい、治療が終わりましたよ。あなた、治療中寝ていましたね。
つまり痛みが全くなかったということで、非常によい兆候です」
そう言われてみると、根管治療(RCT)につきものの激痛が一切なかった。
文字通り、寝ている間に終わってしまった。
「来週月曜に、もう一度来てくださいね」
そして、もう一度月曜に中をのぞき、何事か作業して根管治療(RCT)は完了してしまった。
あの半年にわたる痛みと徒労の日々は何だったのか。
後日、別のタイ人歯科医と昼食を共にする機会があった。
「日本ってね、歯科治療を個室でやらないところが少なくないんですよ」
と言うと、タイ人の歯科医は絶句した。続けて
「諸々の器材も滅菌処理しないで使い回しする歯科医さえいます」
編集部注:薬液消毒、洗浄は行っている。滅菌処理しない歯科医が存在するのは主に歯を削るドリルやその持ち手であるハンドピースという箇所。参照: 歯を削るドリル「使い回しが36%」の衝撃事実/AERA,東洋経済オンライン
と言うと、絶句に加え、目が大きく見開かれた。
「根管治療(RCT)のとき、ラバーダムや顕微鏡を使う歯科医はほとんどいません」
と言うと、今度はあまりの衝撃に唖然として、声も出ない様子。
もはや、筆者の口から出る言葉を一言も信用できない様子だった。
「日本の常識は世界の非常識」
あまりにも言い古された言葉だが、歯科業界にこそ最も当てはまるのが悲しい現実である。